ジャズ・ディスク・ノート

第213回2017年7月18日

ジミー・ヌーン入門 その1
1923〜1926年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

前回ウナギの名店横浜「八十八」について、山口瞳氏の本で名前だけは知っていたと書きました。今回は少し山口瞳氏について書いてみます。
山口氏はご存知のように小説家で、サントリーに在職中に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞し、文筆業に専念するようになりました。僕は山口さんの作品が好きで大分読みました。彼の作品を正式に分類したことはありませんが、フィクションである「小説」と日記風の「随筆」があり、分量的には「随筆」が圧倒的に多いと思われます。それは「週刊新潮」に31年間延べ1614回に渡って『男性自身』というコラム・日記があるためです。僕は、小説も好きで読みましたが、彼の随筆も大好きでした。
随筆は『男性自身』に代表されるサラリーマン時代の経験を活かした「サラリーマンもの」と、「旅行記或いは飲食店もの」などに大別できると思います。僕はどちらも好でしたが、「旅行記或いは飲食店もの」は特に好きでした。山口氏が求め歩いたのはいわゆる「グルメもの」とは異なりますが、実際の店名を出して、そこでの飲食体験を記すというのは、現在大流行のグルメもののさきがけではなかったかと思います。
山口氏は随筆、例えばスケッチ旅行に出かけその行先で出会った飲食店のことをたくさん書いています。それらを集大成してまとめたものが右の『行きつけの店』です。
僕は山口瞳ファンと自称しながら彼の行きつけの店に実際に行ったことはありません。どうしてかというと僕にはどうしても敷居が高いのです。僕のような未熟者が行っていいのだろうかと思ってしまうのです。
そんな僕が初めて山口氏の行きつけの店に行こうと思ったのは、定年となりカミサンと祝還暦旅行を子供たちにプレゼントされ、北部九州を旅した3年前のことです。山口氏が推奨して已まない長崎のお寿司屋さん「とら寿司」に行こうと思ったのです。では実際に行けたのというと結果は行けませんでした。「とら寿司」の場所を調べているうちにご主人が無くなり廃業したことを知りました。考えてみれば右の本が出たのは1993年、今から約25年も前のことです。当時仮に60歳の脂の乗り切った職人さんが鬼籍に入られていても不思議ではありません。残念です。でもいつか山口氏が行きつけにしていたお店に行ってみたいという思いはずーっと持ち続けていました。今回の「八十八」は僕が行った初めての山口氏「行きつけの店」となります。山口氏が行きつけの横浜の本店ではありませんが、入門編として良かったのではないでしょうか?

No.213 The way to Jimmie Noone Vol.1
1923-1926

たまりかねてポチしてしまった。何にたまりかねたのかというと、そのレコードの少なさである。その人物とはだれかと言えば、「ジョニー・ドッズと並ぶニューオリンズ・ジャズの大立者」ジミー・ヌーンである。
大立者という割に彼はこのHPにはほとんど登場しなかった。なぜか?前にも書いたが、彼のレコードというのが驚くほど無いのである。僕は彼のことを知ってから、ずーっと以前に粟村政明師著『ジャズ・レコード・ブック』で知ってから、ずーと彼のレコードを聴いてみたかった。しかしないのである。見当たらないのである。このことも以前書いた。最近でもディスク・ユニオンの横浜、渋谷、ジャズ東京などへ行く度に必ず探しているが、どうしても見つからない。
それが今回紹介するCDである。因みにアマゾンで購入したのだが、海外の出品者の方から送料込みで¥1,150だった。それならもっと早くポチしても良かったかもしれないが、僕はこの時期の音源は何とかCDではなくレコードで欲しい、レコード・ショップで買いたいと思っているため遅くなってしまった。
ところで粟村師は、ジミーを非常に高く次のように評価している。
「(ジョニー)ドッズの影響があくまでもディキシーの世界にとどまったのに対して、ヌーンの影響力は圧倒的な大きさでスイング以後のジャズ界を支配した。ヌーンの持っていた美しい音色、高度のテクニック、豊かな歌心を抜きにしてBG(ベニー・グッドマン)以下のスイング・クラリネット奏者たちの誕生は考え難い。彼はメロディを美しくストレートに歌い上げ、アンサンブルに見事なカラミを付けることを得意とした」と。
その後にアール・ハインズとの「エイペックス・オーケストラ」について記載しているがこれは次回にしよう。

““Jimmie Noone 1923-1928” The chronogical classics 604”

<Personnel>…オリー・パワーズ・ハーモニー・シンコペイターズ (Ollie Powers’ harmony syncopators)

Band leader & Drumsオリィ・パワーOllie Power
Cornetアレックス・カラミス?Alex Calameseトミー・ラドニアTommy Ladnier
Tromboneエディ・ヴィンセントEddie Vincent
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto saxホレス・ディーマーHorace Diemer
Pianoグローヴァー・コンプトンGlover Compton
Banjoジョン・ベイズリーJohn Basley
Bbウィリアム・ベース・ムーアWilliam “Bass” Moore

<Contents> … 1923年9月、10月 シカゴにて録音

CD-1プレイ・ザット・シングPlay that thing
CD-2ジャズボ・ジェンキンスJazzbo Jenkins

1923年と言えば、キング・オリヴァーなども初レコーディングを行った年で、ジャズ録音の草創期に当たる。リーダーのオリィについてはジャズ人名事典にも載っておらず不明。名前知っているのはをヌーンとラドニアくらいである。ラドニアは24年サッチモの代わりにキング・オリヴァー楽団に入る前の貴重な録音。多分SP盤から録音したのであろう、針が飛んだり、音は良くない。演奏全体としてはあまり面白いものとは言えないが、ヌーンと言われて聴くと確かにClの音色は美しくフレージングもゆったりとしてスムースだと思う。

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Nooneクリフォード・キングClliford King
Alto saxジョー・ポストンJoe Poston
Tenor saxジェローム・パスクォールJerome Pasquall
Violinジミー・ベルJimmy Bell
Banjoスタン・ウィルソンStan Wilson
Bbビル・ニュートンBill Newton
Drumsフレッド“タビー”ホールFred “Tubby” Hall

<Contents> … 1924年1月21日 リッチモンドにて録音

CD-3シザー・グラインダー・ジョーScissor Grinder Joe
CD-4ロンリー・リトル・ウォールフラワーLonely little wallflower
CD-5ソー・ジス・イズ・ヴェニスSo this is Venice
CD-6モーンフル・マンMoanful Man
CD-7ザ・メンフィス・メイビー・マンThe Memphis maybe man
CD-8ザ・ワン・アイ・アイ・ラヴ・ビロングス・トゥ・サムボディ・エルスThe one I love belongs to somebody else

僕は今の今まで僕の持っているジミー・ヌーンの録音は、サッチモと共演した歌伴もの(第198回)だけだと思っていたが、他にもあったのである。それは第144回でフレディ・ケパードを取り上げたがその時の音源4曲は、このドク・クックのドリームランド・オーケストラ1924年1月21日の録音であった。その時このバンドのリーダーであるドク・クックについても簡単だが取り上げている。第144回で取り上げた曲と被らないのはCD-4とCD-6である。
CD-4[ロンリー・リトル・ウォールフラワー]は余りジャズらしくない曲で、ケパード、ヌーンともソロはない。アルトが活躍している。CD-6[モーンフル・マン]はアンサンブルが面白い。ヌーンも大きくフューチャーされており美しい音色を聴くことができる。
僕は第144回でケパードのレコードはつまらないと書いた。今回改めて聴いてみても演奏自体はあまり面白くはない。ただこの録音はそもそもケパード主体のものでもヌーン主体のものでもないのである。彼らはその時のリーダーから求められる通りに吹いただけかもしれない。

<Personnel>…クッキーズ・ジンジャースナップス (Cookie’s Gingersnaps)

Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppard
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinet & Vocalジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto & Tenor saxジョー・ポストンJoe Poston
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Anderson
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyr

<Contents> … 1926年6月22日 シカゴにて録音

CD-9メッシン・アラウンドMessin’ around
CD-10ハイ・フィーヴァーHigh Fever
CD-11ヒア・カムズ・ザ・ホット・タマレ・マンHere comes the hot Tamale man
CD-12ラヴ・ファウンド・ユー・フォー・ミーLove found you for me

1925年の録音は収録されておらず、いきなり1926年6月の録音に舞台は移る。”クッキーズ・ジンジャースナップス”というバンド名から、”クックズ・ドリームランド・オーケストラ”のピック・アップ・メンバーかなと思うが実態は分からない。
演奏自体はこれも余り面白いものではない。しかし僕がそう思うのは、耳が1928年の演奏に慣れてしまっているのかもしれない。

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Noone
Clarinet & Alto saxジョー・ポストンJoe Postonクリフォード・キングClliford King
Alto saxジョー・ポストンJoe Poston
Tenor saxジェローム・パスクォールJerome Pasquall
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Anderson
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyrロバ―ト・シェリーRobert Shelly
Bbルドルフ“スーディー”レイナードRudolph “Sudie” Reynaud
Drumsバート・グリーンBert Greeneorアンドリュー・ヒラリーAndrew Hilaire

<Contents> … 1926年7月10日 シカゴにて録音

CD-13ヒア・カムズ・ザ・ホット・タマレ・マンHere comes the hot Tamale man
CD-14ブラウン・シュガーBrown sugar
CD-15ハイ・フィーヴァーHigh Fever
CD-16スパニッシュ・ママSpanish Mama

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

下記以外7月10日と同じ
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardジョージ・ミッチェルGeorge Mitchell
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Andersonジェローム・キャリントンJerome Carrington

<Contents> … 1926年12月2日 シカゴにて録音

CD-16サイドウォーク・ブルースSidewalk blues

CD-13〜16までの演奏もあまり面白くはない。そもそもジャズという感じではない。

正直言うと、今回取り上げた録音は面白くない。ケパード、ヌーンの貴重な参加吹込みということが無ければ、一度聞いて終わりだと思う。とはいうものの「ヌーンは音色が美しい」という文章を読んでいるので、演奏はつまらなくても、それを聴こうとしているのだが、それでいいのかな?とも思う。

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第212回2017年7月16日

シカゴ・スタイル・ジャズ第3回 1928年その2

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

暑い日が続いています。テレビのニュースでは連日真夏の暑さと報じています。7月中盤に差し掛かった今は真夏ではないのでしょうか?
「土用の丑の日」にはまだ早いですが、ちょっとしたことがあり「ここはがっちり体力つけなくちゃ」と思い奮発してウナギを食べに行きました。
向かったお店は本店が横浜にあるウナギの名店「八十八(やそはち)」の町田店です。このお店のことは山口瞳さんの本で以前から知っていましたが、訪問したのは初めてです。そもそも「八十八」の支店が町田にあることは全く知りませんでした。どうして町田に支店があることが分かったかというと、ネット検索です。このすぐ近くにはディスクユニオン町田店がありよく行くところですが、これまで全く気付かずにいました。今更ですが、ネット検索は便利だな。
横浜の本店は、山本周五郎先生が贔屓にしていたとのこと、いずれ一度は伺ってみたいものです。

さて僕たちがいただいたのは右、上から2番目の写真「好日(平日昼間数量限定)」¥2,960です。これにサービス料10%と消費税が加算され、支払いは1人¥3,520ほどとなりました。この値段が高いか安いかは難しいところです。もともと我が家が贔屓(と言っても行くのはせいぜい年1回程度)にしていたのは相模原の「甚太」というウナギ屋さんです。ここはおいしいことは天下一品ですが、何せ鰻重のお値段が「¥5,500〜」であり、それに比べれば安価と言えます。
しかしウナギは高くなりました。絶滅が危惧される希少生物なので已むを得ませんが。ともかく僕の経済情勢から言えば、昼食としてはかなり無理をしたものであることは間違いありません。ただし理由は書けませんが、この日はちょっと特別な事情があり良しとしましょう。
おっと、大事なことを忘れていました。お味は期待に反せず実においしいものでした。ウナギはふっくらと関東風に蒸し上げられ、少し塩気が強いかなとも思いましたが、甘みを抑えたたれがさっぱりしていてあっという間に完食してしまいました。お店の方も明るく気さくでとても良い感じです。老舗にもかかわらず気取ったところがなく、「また伺いたいな」と思わせるお店です。

No.212“Chicago style jazz” Vol.3 1928-2

「シカゴ・スタイル・ジャズ」の3回目。1928年の録音で前回取り上げきれなかった録音を聴いていこう。しかしその前に少し「シカゴ・スタイル・ジャズ」について書いてみる。

What' "Chicago style jazz"?

師粟村政明氏は、エディ・コンドンの項で「シカゴ・ジャズなる言葉もいつの間にやらコンドン一家の演じるディキシーランド・ジャズの代名詞みたいになってしまったが、これも言ってみれば、リーダー或いはプロモーターとしての彼の勢力のしからしめるところであったろう。コンドンは、メズロウ、テッシュメーカー、フリーマン、クルーパといったシカゴのジャズ青年たちを率いて歴史に残る何曲かの名演を残した後、次第に商業主義との結びつきを深めてコンドン・ジャズとでも称すべき味もそっけもない安手のディキシーランド・ジャズの乱造を始めた。」
また、師はテッシュメーカーの項で、「シカゴ・スタイルなる言葉は、現在では死後とかしてしまった感があるが、ニューオリンズ・ジャズの精神を白人の知性を通じて昇華し、出来るだけ数少ない音符によってこれを表現せんとした彼らの努力は―テッシュメーカー自身のソロも含めて―稚拙さと模倣という点に問題があろうともジャズ史に特筆されてよい貴重な価値があった。こうしたアマチュア精神の権化のごとき演奏スタイルが崩れ去って『普通のディキシーランド・ジャズ』化していく過程は誠にはかないが、テッシュ自身はこうした変遷と不況のさなかに思わぬ自動車事故で昇天してしまい、この事実が逆に後世のテッシュメーカーの名を神の座に近づけることともなったのである。」
前にも述べたが「シカゴ・スタイル」とはフランスのジャズ評論家ユーグ・パナシェ氏らによって名付けられた名前で、本質的にはディキシーランド・ジャズと変わったところはないという。これは10インチ盤「シカゴ・スタイル・ジャズ」の裏面で解説の石原康行氏が書いているところである。
しかしここで僕は感じることもある。第189回で書いたことだが、黒人たちが演奏するいわゆる「ディキシーランド・ジャズ」とはどこかが違う。それは粟村師が言うように「ニューオリンズ・ジャズの精神を白人の知性を通じて昇華し、出来るだけ数少ない音符によってこれを表現せん」としたところなのかもしれない。

さて、4月28日マッケンジーとコンドンズ楽団の次にくる録音は、7月に行われたトロンボーンの鬼才ミフ・モールによるものである。

“Chicago style jazz”Columbia ZL-1091

<Personnel>…ミフ・モールと彼のリトル・モーラーズ (Miff Mole and his little Molers)

Band leader & Tromboneミフ・モールMiff Mole
Cornetレッド・ニコルスRed Nichols
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年7月6日 シカゴにて録音

A面4曲目ワン・ステップ・トゥ・ヘヴン(ウィンディ・シティ・ストンプ)One step to heaven(Windy city stomp)
B面1曲目シム・ミイ・シャ・ワープルShim-me-Sha-Wabble

この2曲はミフ・モール(Tb)がリーダーを務めるバンドの演奏で、そもそも日本ではミフ・モールのレコード発売自体が極めて少なく貴重だという。

A-4[ワン・ステップ・トゥ・ヘヴン]

これはシカゴ・スタイルと言いながらニューヨークで録音されたもの。当時のレッド・ニコルスの演奏が聴ける貴重なものだという。イントロからCl、Tp、Tbがみごとなアンサンブルを奏し、テッシュメーカー、ビックス張りのニコルスのソロが快適であるとは解説の石原氏。僕にはまだまだ<ビックス張り>のと言われてもピンと来ないのが残念だ。

B-1[シム・ミイ・シャ・ワープル]

スペンサー・ウィリアムスが1917年に書いたナンバー。石原氏のレコード解説によると、この作品はミフ・モールの代表作として、たくさんの批評家が最高評価を与えているという。軽快なサリヴァンのピアノのイントロに始まり、シカゴ・スタイルのデリケートな演奏が聴かれる。石原氏は、特に後半のミフのアンサンブルとホット・ソロが素晴らしい作品としているが、ソロがちょっと短すぎないか。も少し聴きたいところだ。しかし白人Tb奏者の興味深いレコードとしてコレクションには欠かせない1作と石原氏は述べている。

<Personnel>…エディー・コンドン・カルテット (Eddie Condon Quartet)

Band leader & Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年7月28日 ニューヨークにて録音

A面3曲目オー・ベイビーOh Baby
B面2曲目インディアナIndiana

ニューヨークに進出しての録音で、カルテットによる演奏というのがまず珍しい。こういう小編成のバンドでは個々の音がよく聴こえるので、コンドン氏はよくやる気になったなとも思う。実際に聴いてみると、バンジョかギターのコード・ストロークが聴こえるような聴こえないような微妙な感じだが…。
なお、この録音においてクルーパは初めてドラム・セットをフルに活用するチャンスが与えられたという。ハリキリ過ぎてちょっとうるさいと思うところもあるが、まぁそれが若さというと言うこともできる。
また、この2曲の録音日について、レコード解説の石原氏の記述は混乱している。A-3[オー・ベイビー]の項では28年1月28日とし、B-2[インディアナ]の解説には、この2曲は同日1928年7月28日の録音とある。「1」と「7」を見間違えたか?他のディスコグラフィーにはどちらも7月28日の録音とあるので、両曲とも7月28日の録音とした。

A-3[オー・ベイビー]

これもアメリカでは発売されず、オーストラリア、英国のパーロフォンで出され好評を博していたためコレクターの間で話題になっていたという。テッシュメーカーは最初短くクラリネットでソロを取るが出来としてはそれほど感心しない。却って後半のアルト・ソロの方が良いと思う。

B-2[インディアナ]

バラード・マクドナルドとジェイムス・F・ハンレイの共作で1917年に書かれたディキシーランドのスタンダード・ナンバー。O.D.J.B.も1917年にコロンビアに吹き込んでいる
クルーパのシンバルによるイントロ、テッシュメーカーがアルトでメロディーを奏し、サリヴァンが軽快でスムースなスイング時代を先取りするようなソロを取る。そしてクラリネットに持ち替えたテッシュメーカーの力のこもった堂々たるソロを経由してエンディングに入る。Clの2コーラス目盛り上げる部分で珍しくコンドンのバンジョーの音が明確に聴こえる。クルーパが思い切りドラムを叩いた記念すべき傑作。

さて、日付がコンドン・カルテットの次に来る録音は、デッカの12インチ盤のウィンギー・マノン率いるバンドの録音となる。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」

“The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

<Personnel>…ジョー・“ウィンギー”・マノンとクラブ・ロイヤル楽団 (Joe“Wingy”Mannone and his club Royal orchestra)

Band leader ,Trumpet & Vocalジョー・“ウィンギー”・マノンJoe “Wingy” Mannone
Clarinetウェイド・フォスターWade Foster
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoジャック・ガードナーJack Gardner
Guitarレイ・ビオンディRay Biondi
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年9月4日 ニューヨークにて録音

A面7曲目ダウンライト・ディスガステッドDownright disgusted
B面1曲目フェア・ジー・ウェルFare the well

ウィンギー・マノンの率いるクラブ・ロイヤル・オーケストラによる録音。「ロイヤル・クラブ」とは1920年代後半シカゴの北クラーク街にあったクラブで、そこにマノンが出演していたためこのバンド名となったという。オーケストラと言ってもメンバーはマノンを入れて6人しかいない。ウィンギーマノンは拙HP2度目の登場。前回はいつかというと第110回ベニー・グッドマンの1928年の項だった。この時マノンはBG率いる”Benny Goodman's boys”の一員として、1928年8月11日の2面分の録音に参加している。この録音でBGは人気を博しつつあったコンドン率いるシカゴ・スタイル・ジャズを意識してかディキシーランド・ジャズを演奏している。ウィンギー・マノンは片腕のTp奏者で歌も歌い、当時「白いサッチモ」的なエンターティナーだったらしい。
この2曲はマノンがテキサス州東部へ行って入手してきたものというが、その意味合いはよく分からない。
クラリネットはテッシュメーカーそっくりだが、イリノイ州出身のウエイド・フォスター、またマノンのヴォーカルも光っているというが、僕には素人っぽさが目立ち素晴らしいものとは思えない。B-1[フェア・ジー・ウェル]のエンディングはスイング時代を彷彿させるようなリフが聴かれる。

次の録音は10月30日に行われたエディ・コンドンと彼のフット・ウォーマーズによるもので、名手ティーガーデンの若き日の録音として大変貴重だという。

“Chicago style jazz”Columbia ZL-1091

<Personnel>…エディ・コンドンと彼のフット・ウォーマーズ (Eddie Condon and his Footwarmers)

Band leader & Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Cornetジミー・マクパートランドJimmy McPartland
Trombone & Vocalジャック・ティーガーデンJack Teagarden
Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Bassアーティ・ミラーArtie Miller
Drumsジョニー・ボウェルJohnny Bowell

<Contents> … 1928年10月30日 にて録音

B面3曲目メイキン・フレンズMakin' friends

曲はティーガーデンとコンドン、そしてTpのマクパートランドの共作という。サリヴァンのスインギーなプレイに先導され、ティーガーデン、メズロウの短いソロそしてティーガーデンの味のあるヴォーカルが入る。コンドンのバンジョーによるコード・プレイもしっかり聴こえる。解説の石原氏は、ここで聴かれるメズロウのソロとテッシュメーカーのソロを比べるとシカゴ・スタイルのフレーズなり約束された形式が理解できるというが、残念ながら僕はその境地には達していない。

次の録音は12月17日に行われたウィンギー・マノン率いるクラブ・ロイヤル・オーケストラによる録音だが、3か月前の9月の録音時とはメンバーに若干移動があるが6人編成であることは同じである。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」

“The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

<Personnel>…ジョー・“ウィンギー”・マノンとクラブ・ロイヤル楽団 (Joe“Wingy”Mannone and his club Royal orchestra)

Band leader ,Trumpet & Vocalジョー・“ウィンギー”・マノンJoe “Wingy” Mannone
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxジョージ・スナーパスGeorge Snurpus
Pianoアート・ホーズArt Hodes
Guitarレイ・ビオンディRay Biondi
Drumsオーギー・シュレンジAugie Schellange

<Contents> … 1928年12月17日 にて録音

B面2曲目トライング・トゥ・ストップ・マイ・クライングTrying to step my crying
B面3曲目イズント・ゼア・ア・リトル・ラヴIsn’t there a little love ?

飯塚氏の解説に拠ると、ドラムのクルーパとテナーのバド・フリーマンはレッド・、マッケンジーとニューヨーク入りしていたため珍しい顔合わせとなったという。ピアノのアート・ホーズの初吹込み盤としてマニアに珍重されているという。
両曲とも途中怪しいところもあるがテッシュメーカーのソロが聴き応えがある。彼がメイン・ソロイストとして機能していたことが分かる。はっきり言って申し訳ないが、この録音でもマノンのヴォーカルはいただけないと思う。

たまたまなのか、彼らオースティン・ハイスクール・ギャングの面々はソロイストとして素晴らしいのである。粟村師は「シカゴ・スタイル」はコンドン興行師のおかげで、後に毒にも薬にもならぬディキシーランド・ジャズとかしていったとされるが、ここから排出された、マグシー・スパニアやティーガーデン、テッシュメーカーやクルーパといった次の時代に大活躍するアーティストの出自をたどる時必ず「オースティン・ハイスクール・ギャング」の名が出ることになり、そのことによって「シカゴ・スタイル」が敬意を評される対象となったことは否めないであろう。

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第211回2017年7月11日

シカゴ・スタイル・ジャズ第2回 1928年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

未だ梅雨が明けてはいないはずですが、僕の住む辺りはここ2、3日は晴れて猛暑日が続いています。7月8日は今年一番の高温を記録しました。
一方九州地方では記録的な大雨とそれに伴い甚大な災害に見舞われています。被害に遭われた方々のご無事と一日も早い復興を祈念いたします。

先週金曜日、この定年オジサンは性懲りもなく残業で帰りが遅くなっていました。そしていつもの田園都市線に乗って帰途についていました。そしてこれもいつものように電車の座席で眠りこけてしまったのですが、かなり寝てしまったなと思って目を覚ましても未だ渋谷にもついていません。「発煙騒ぎがあった」という他詳しい状況説明もなく、電車を降ろされました。確かに時節柄「テロ」という可能性もあり、由々しき事態です。ともかく運転再開の目途が立たないというので、迂回して帰ることにしました。迂回して無事帰宅できたのですが、帰宅は時間は23時を回っていました。
帰宅してビールの栓を開けて一杯口に運び、テレビをつけると丁度ウィンブルドン錦織選手の3回戦第3セットをNHKで中継していました。このセットは何とかものにしましたが、次第4セットでべルダスコにあっけなく敗れてしまいます。色々と事情はあるのでしょうが、僕の見た部分だけを言うとかなり情けないプレイだったとしか言えません。ミスを連発して勝手に自滅して行くといういつもの悪いパターンです。
そしてスポーツ・ニュースを見ると贔屓のチーム、セ・リーグ「横浜」、パの「楽天」も敗れています。「楽天」はシーズン初めから守ってきた首位の座から陥落です。
どうも7月7日七夕の日は、田園都市線の運転中止、錦織選手敗退、横浜、楽天の敗退と僕にとって大殺界の日だったようです。
まだ大丈夫、ガンバレ、横浜、楽天、杉田祐一選手!!

No.211“Chicago style jazz” Vol.2 1928

第189回で取り上げた「シカゴ・スタイル・ジャズ」の2回目です。当初第189回は「エディ・コンドン入門」としていましたが、よく考えてみれば「エディ・コンドン」を聴いていこうということではなく、「シカゴ・スタイル・ジャズ」を学んでいこうというと思っていたので、タイトルを変更しました。第189回も同様に「シカゴ・スタイル・ジャズ入門 第1回」と変更しました。

ということで第189回で、1927年12月にマッケンジー・コンドン・シカゴアンズは華々しくデビューしたことを書きました。そんな彼らの1928年を追ってみましょう。
そこでまず音源です。僕が“シカゴアンズ”関連で持っているレコードは2枚。先般ご紹介した高校時代の修学旅行の際京都で買った10インチ盤と割と最近入手した12インチ盤である。10インチ盤は前回紹介したので、今回12インチ盤について少し触れておこう。
このレコードのタイトルは「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」(デッカSDL-10361)。日本編集盤ではなくアメリカで発売されたものを日本用にしたものであろう。原題は[The Chicagoans “The Austin high gang” 1928-1930 Frank Teschemacher , his influence on” ……]で、[……]の部分は6つのバンド名が記載されている。要はフランク・テッシュメーカーの影響を受けたバンドたちということであろう。
師粟村政昭氏はその著『ジャズ・レコード・ブック』のテッシュメーカーの項でこのレコードについて触れ、以下のように述べている。
「テッシュメーカーの名演は『Jazz Odyssey vol.2』(Columbia C3L-32)並びに『ザ・シカゴアンズ』(Decca SDL-10361)の中に聴くことができるが、同時にこれらはシカゴ・ジャズの数少ない実例とされている貴重な録音でもある。」
このレコードを見つけてよかった!どこで見つけたのか忘れたけれど。
しかし細かいことを言うようだが、このアルバムのタイトルには疑問が残る。つまり「シカゴアンズ」=「テッシュメーカーの影響を受けたミュージシャン達」としてしまってよいかということである。更にこちらデッカ盤解説は飯塚経世氏が担当しているが、氏は「シカゴ・スタイル」という明確なスタイルがあるような書きっぷりをしている。しかしコロンビア盤10インチ盤解説の石原康行氏のライナーノートによると、「シカゴ・スタイル」とはフランスのジャズ評論家、ユーグ・パナシェやその他の人々によって名付けられた名前で、本質的にはディキシーランド・ジャズと変わったところはないという。いわばシカゴに移住してきた黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズに感銘を受け、自らもその演奏を研究し、演奏するようになった若きシカゴの白人たちの演奏するジャズをそう呼んだという。つまり明確な「スタイル」というものはなく、その黒人たちに学ぼうという精神というか態度が「シカゴ・スタイル」なのだという。しかし僕は1927年に録音された2つの録音を聴いて、「なんか黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズとは感じが少し違う気がする」と感じた。その「違い」が「シカゴ・スタイル」ということなのであろうと思う。
ともかく聴いていこう。数少ない「シカゴアンズ」の貴重な吹込みを集めたものであることは粟村師の折り紙付きなのだ。そして録音順に並べるのがいいかどうかはよく分からないが、いつものようにそれぞれの音源を録音順に聴いていこう。そこでもしかすると「こういうところが黒人の奏するデキシーランドとは違う」ということが明らかにできるかもしれない。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」 “The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

まず最初の音源は、「マッケンジー・アンド・コンドンズ・シカゴアンズ」によるシカゴ・スタイル・ジャズの初録音から約1か月ほど後にシカゴで行われた「ハスク・オハーレとフット・ウォーマーズ」というバンドの録音で、デッカ盤「シカゴアンズ」の冒頭を飾っている。

<Contents> … 1928年1月10日シカゴにて録音

A面1曲目ミレンバーグ・ジョイスMilenberg joys
A面2曲目マイ・ダディ・ロックス・ミーMy daddy rocks me

<Personnel>…ハスク・オハーレとフット・ウォーマーズ (Husk O’Hare Footwarmers)

Cornetモエ・ファーガソンMoe Ferguson
Tromboneシーザー・ペトリロCaesar Petrillo
Clarinet & Saxノーマン・ジャケスNorman Jaques
Clarinet & Sax or Baritone saxモーリー・ヒックスMaurie Hicks
Pianoジョー或いはウォルター・ルドルフJoe or Walter Rudolph
Banjoルイス・ブラックLouis Black
Tubaドク・スレイターDoc Slater
Drumsビル・マーシパンBill Marcipan

まず知った名前が一つもないのに驚かされる。一人も「ジャズ人名事典」にその名が見当たらず、ジャズを勉強中である僕が言うのもなんだが、多分ジャズ史上でここでだけ登場する名前ではないかと思う。そしてこれだけ知らない人物ばかりの上に、このパーソネルは正確には不明で、レコード収集家ジョン・ステイナーシという人の推定だという踏んだり蹴ったりの録音である。
レコード解説の飯塚経世氏によると、と言ってもほとんど元の米盤の翻訳だと思われるが、1928年1月シカゴの録音でまずオーストラリアで発売され後にアメリカに逆輸入されたという珍しいレコードであるという。そしてリーダーであるハスク・オハーレという人は、シカゴの白人ジャズ・メンをWHT 放送(ラジオか?)やボールルームなどに出演する際に口利きをしたMCA(Music Corporation of America)の支配人で、当時の若いジャズ・メンたちの激しい意欲がうかがえると日本語にならない解説をしている。
粟村師に楯突くわけではないが、なぜこれが「数少ないシカゴ・ジャズ」の一つと言えるのかフランク・テッシュメーカーの肝入りと言えるのかがどうもわからない。しかし逆にこういう演奏が「シカゴ・スタイル・ジャズ」なのだと思って聴くしかないのだろう。
と文句を並べたてたが、演奏は立派なものである。まずアンサンブルに工夫がある。Tpがメロディーを吹き、Clがヒョロヒョロと上へ下へと自由に動き回り、Tbが低音部のアクセントをつけるというありきたりのディキシーランド・ジャズではない。こういうことが「シカゴ・スタイル」というものであろうか。いや今となってはそう思うしかあるまい。
A-1[ミレンバーグ・ジョイス]は、ニュー・オリンズ・ジャズの名曲で、歌っているのはダーク・サヴェイジという人だという。A-2[ マイ・ダディ・ロックス・ミー]はJ・バーニー・バーバーの作ったブルースで、これも歌入り。解説の飯塚氏は、コルネット、バリトン・サックスなどシカゴ・スタイルの原型であるとしている。

録音順でいうと次に当たるのが、約3か月後の録音となる「ザ・シカゴ・リズム・キングス」によるものである。このバンド名もニューオリンズの名門No.O.R.K.(ニューオリンズ・リズム・キングス)に因むものであろう。パーソネルも、Tpがジミー・マクパートランドからマグシー・スパニアに、Tsがバド・フリーマンからメズ・メズロウに代わっているくらいで、ほぼ”McKenzie and Condon's Chicagoan”と同じである。なぜかレッド・マッケンジ―も参加しているが。
ともかくこの3曲はルイ・アームストロング1927年の傑作「バーベキュー料理で踊ろう」にも匹敵するような素晴らしい出来を示している。各自のソロも比較的長く聴き応えがある。

<Personnel>…ザ・シカゴ・リズム・キングス (The Chicago Rhythm kings)

Cornetマグシー・スパニアMuggsy Spanier
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjo & Vocal A-5エディ・コンドンEddie Condon
Bassジム・ラニガンJim Lanigan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocal A-3,4 レッド・マッケンジ―Red McKenzie

<Contents> … 1928年4月6日と5月2日シカゴにて録音

A面3曲目ゼアール・ビー・サム・チェンジィズ・メイドThere’ll be some changes made
A面4曲目アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビーI’ve found a new baby
A面5曲目家に帰っておくれBaby , won’t you please come home
A-3[ゼアール・ビー・サム・チェンジィズ・メイド]

1923年にW・ベントン・オーヴァーストリートという人が作ったスインギーなヒット曲という。シカゴ・リズム・キングスの傑作の一つ。第1コーラスはスパニアがリードするアンサンブル、そしてマッケンジーのヴォーカルが続き、その後のテッシュメーカーのクラリネット・ソロが何といっても素晴らしい。そしてラストも名手スパニアがリードするアンサンブルで締める。

A-4[アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー]

1928年ジャック・パルマーとスペンサー・ウィリアムスの作曲したとされるが、実際はもっと昔からディキシーランド・ジャズ・ナンバーとして演奏されており、これほど広く親しまれた曲も珍しいという。解説では元は歌曲というが、意外にヴォーカルは入っていない。ソロ・ワークはテッシュメーカー、サリヴァンのP、メズロウのTs、スパニアのCorいずれも聴き応え十分である。

[家に帰っておくれ]

1919年チャールス・ウァーフィールド作詞、これもクラレンス・ウィリアムス作曲の歌もの。ここもスパニアのリードによるアンサンブル、テッシュメーカーのCl、コンドンの歌、スパニアとテッシュメーカーの絡みと見事でシカゴ・スタイルの代表作というのもうなづける。

<Personnel>…マッケンジーとコンドン楽団 (McKenzie and Condon’s boys , direction of Mr. Tesch)

Clarinet & Alto saxフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Alto saxロッド・クレスRod Cless
Tenor saxメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjo & Vocal A-5エディ・コンドンEddie Condon
Bassジム・ラニガンJim Lanigan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalレッド・マッケンジ―Red McKenzie

<Contents> … 1928年4月28日 シカゴにて録音

A面6曲目ジャズ・ミー・ブルースJazz me blues

久しぶりマッケンジーとコンドン名義の録音。Corなしという珍しいセッション。アレンジはテッシュメーカーで自身のソロも素晴らしい。しかし素晴らしいのは一人テッシュメーカーだけではない。ロッド・クレスのAs、メズロウのTs、サリヴァンのPなど聴き処の多い作品である。

今回は思わずアップが遅れてしまった。連日の猛暑と残業、PCの勝手なアップデートなどで動かなくなるなどいろいろなことが重なってのことであった。本当に最近はツキが無い。

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