ジャズ・ディスク・ノート

第244回2018年1月14日

20年代ビッグ・バンド入門 その2
チャーリー・ジョンソンズ・パラダイス・オーケストラ 〜1929年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

僕の目下の宝物

非常に強力、この冬最強の寒気団が日本列島を襲っています。北日本、日本海側だけではなく、中国地方や九州でも大雪に見舞われているようです。僕の住む関東地方は、カラカラに乾いた晴天ですが、気温はこの冬一番の低く実に寒い日が続いています。左の写真は1月13日の森の様子です。
雪がたくさん降った地方の方々は、雪かきや交通の確保で大変ご苦労をされていると思います。特に今は受験、センター試験が行われています。受験生の皆さん、お疲れさんです。
さて僕も今週1月9日(火)から、通常よりも遅いですが仕事を始めています。そしてイキナリ残業の毎日です。
今週は、初日はほぼ定時で帰りましたが、後は残業で帰宅は10時を過ぎました。大した残業ではないですが歳のせいか疲れます。そして何よりつらいのは、拙HPに取り組む時間が無い。僕は前にも書きましたが、平日ウィークデイに少しずつ内容を書き溜め、土日に編集するというローテイションを組んでいます。残業をして帰宅が遅くなると、内容を入力する時間が取れなくなります。いやこのHPの記事を書こうとすれば、睡眠時間を削るほかなく、体調に影響します。睡眠時間を優先すれば、何もできません。
ところで右はちょっと贅沢な写真。左の「獺祭」は行きつけの酒屋さんのポイント貯めて年末にいただいたもの。右の「百年の孤独」は、お世話になっている方に頼まれたことを実行したらお礼にいただいたものです。日頃お世話になっているので、お礼など恐縮ですが自前では買えないのでありがたく頂戴しました。どちらも高級な酒類です。このお酒を、ゆったり、じっくりいただくのが今のところ僕の最高に楽しみにしていることです。もちろん芳醇なジャズでも聴きながら…。いつになることやら??。

第244回Study in 1920th The Big Band Era
”Charlie Johnson's Paradise Orchestra”

チャーリー・ジョンソンと彼のパラダイス・オーケストラ Charlie Johnson’s Paradise Orchestra
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1週」 レコード 4枚目

さて今回は、チャーリー・ジョンソンのパラダイス・オーケストラ。前回のマッキニーズ・コットン・ピッカーズ以上に現代のわが国において知られていないバンドであろう。
とエラそうに書いたが僕自身も全く知らなかった。かろうじてガンサー・シュラー氏の著作によって、その名前だけは聞いたことがあるという感じであった。
チャ―リー・ジョンソンの項を担当しているのは、生けるリジェンド瀬川昌久氏である。氏は冒頭次のように述べる。
「名著『ビッグ・バンド・ジャズ』の著者アルバート・マッカーシーによれば、1920年代後半から30年代初頭、すなわちスイング以前の時代の米国東部においてフレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントン、マッキニーズ・コットン・ピッカーズに次ぐ優れたジャズ・オーケストラは、チャーリー・ジョンソンのバンドであった。ただここに収録した20年代の演奏しかレコーディングされなかったので、ほとんど埋もれてしまった」と。

1891年生まれのチャーリー・ジョンソンは、1914年ニューヨークに出てしばらくはトロンボーン奏者として活動していた。間もなくアトランティック・シティに移り、ピアノに転向、1919年初め(1924年という記述あり)に自己のバンドを結成した。
1925年10月22日ニューヨークに移り、「スモールズ・パラダイス」というクラブのオープンに伴い、そのハウス・バンドとなり以後約15年間にわたってレギュラー・バンドとして演奏を続けた。もちろんその間他のクラブや劇場に出演したこともあったし、夏季シーズンにスモールズ・パラダイスが閉じている間は、アトランティック・シティで演奏するのが常であったという。
バンドのメンバーには、初期にはシドニー・ド・パリス、ジャボ・スミス、後期にはベニー・カーター、ロイ・エルドリッジ、フランク・ニュートン、ビル・コールマン、ディッキー・ウエルズ、エドガー・サンプソンらを抱えていた。 38年にバンドを解散した後はローカルで不定期に活動を行っていたが、健康上の理由で50年代には引退していた。 「スモールズ・パラダイス」というクラブは20〜30年代に栄えたビッグ・バンドが出演するクラブの中で今でも(1970年代中期)まだ開いている実に稀な場所の一つである。

このクラブの名称は経営者のエド・スモールズの名前からとったもので、クラブのオーナー、スモールズとバンド・リーダーのジョンソン、そしてバンドのミュージシャンたちの関係は他では見られないほどハッピーなものであったという。
トロンボーン奏者ディッキー・ウエルズが自著『ザ・ナイト・ピープル』という本の中で、スモールズとジョンソンについて親しみを込めて回想している。
それによると、1929年の大恐慌とその影響が到来するまでは、このクラブは他に類がないくらい、景気がよかった。スモールズは実に気前の良い経営者で、バンドのメンバー全員に自動車が十分に買えるくらいの金を貸し、返済はいつでも可能な時に5ドルでも10ドルでも少しづつ返せばよい、というほどに寛大だった。
リーダーのジョンソンは、ピアニストとしては決して偉大とは言えなかったが、優れた才能を聴き分ける耳を持っていたので、いつも良いメンバーをそろえ、バンドを指揮することができた。彼はまたギャンブルが大好きで、時々バンド・スタンドをそっと抜け出してスロット・マシーンを廻していたりしたし、また酒を飲むことも大好きで、時に酔っぱらって記憶をなくし、メンバーたちに週給を2回も支払ったこともあったという。
そんなジョンソンのバンドにも、1930年代に入って大不況の波が押し寄せ、クラブの経営難から、バンドのサイズを小さくすることを余儀なくされるような事態がしばらく続いた。しかし1935年には、再び元のレギュラー・サイズに復帰することができたという。
バンドのサックス奏者でアレンジャーでもあったベニー・ウォーターズによれば、初期のジョンソンのバンドはフレッチャー・ヘンダーソンに次ぐ偉大な実力を有するとみなされていた。サウンド的にはヘンダーソンのバンドよりも、もっとカラフルなものを持っていた。ブラスにハットとダービーをかぶせて吹いたり、ワウ・ワウ・ミュートを使うやり方を初めて採用したのが彼のバンドだった。ヘンダーソンのバンドはクリーンで揃ったスイング・サウンドを誇ったが、ジョンソンのバンドは同じスイングでも、独特のちょっとした工夫を加えたサウンドを持っていた。ベニー・ウォーターズがバンドに在籍したのは、1925〜32年と、36〜37年と2度に渡ったが、この初期の期間こそ、このバンドがその特異なサウンドを完成した時期であった。ブラスにハットやダービーやワウ・ワウといったミュート奏法を取り入れたことは明らかにデューク・エリントンの初期のバンドのサウンドに酷似している。むしろエリントンの方がジョンソンのバンドのサウンドをコピーしたともいえるのである。
スタイルの点で比較すると、ジョンソンのバンドはヘンダーソンとエリントンのちょうど中間に位置するともいえた。すなわちエリントン・バンドがコットン・クラブに専属した時代のエキゾチックなサウンド効果と、ヘンダーソン・バンドのもっと自由にスイングするアプローチとの奏法をジョンソン・バンドは兼ね備えていた。しかしジョンソンとエリントンとのサウンドの類似は、互いに真似をしたというよりも、ともに有名なナイト・クラブの専属バンドであった、という事実に基づいていたといえよう。当時これらの豪華なクラブは、いずれも大変に贅沢で、目を楽しませる素晴らしいレヴューを売り物にしていたので、ステージに登ってその伴奏を務めるという目的のためには、客の注目を引くようなユニークなサウンドを発することが必要だったのだ。

ジョンソンのバンドは、スモールズというナイト・クラブで人気があっただけではなく、その余暇に大学のダンス・パーティに盛んに招かれ、大学生に非常に人気があった。政治、大学のキャンバスに同時に4つのバンドが揃ったことがあった。フレッチャー・ヘンダーソン、ドーシー・ブラザーズ、ザ・メンフィス・ファイヴ、そしてチャーリー・ジョンソンのバンドが代わる代わる出演した。そしてジョンソンのバンドが最大の人気を獲得したのだった。彼のバンドの前には、いつも多くの人々が群がってダンスを楽しんだ。もちろん白人バンドは当時から美しい音色を持っていたし、ヘンダーソンのバンドはそれに加えてさらにスイングしたが、いずれもショーマンシップに欠けていた。ジョンソンのバンドは、後のジミー・ランスフォードにも比すべき優れたショーマンシップを備えていたのだ。しかもアレンジメントについてもカラフルなチャートを持つことを忘れなかった。ジョンソンは、ケン・マッコーバーという白人の編曲者に何曲か書かせていたし、その他にも良いアレンジがあればリハーサルをしてすぐにも書いとった。アレンジ費やすほど、金にも恵まれていたのだ。
バンドのサイドメンには、著名な一流プレイヤーが去来している。このアルバムの吹き込まれた1927年から29年までの期間はパーソネルの移動も少なく、比較的安定した時代だった。29年5月の最後のセッションの後、数か月して未曽有の大恐慌が起こったためレコーディングも中断されてしまった。その間「スモールズ・パラダイス」も経営不振となり、バンドの人員を削減せざるを得なくなり、サイドメンはより良い待遇を求めて他に移動するものが多くなった。
不況が終わってスイング時代が到来し、レコード会社が再びレコーディングを考え始めたころにはチャーリー・ジョンソンはバンドの解散を考え始めていた。そのため残念ながら、二度と吹込みの機会に恵まれることはなかったのであった。
しかしそれにもかかわらず各セクションには常に一流のプレイヤーが残っていた。特にトランペット人にはスイング期の最も優れた奏者が何人か参加した。ヘンリー・レッド・アレン(1932年末から1933年春)、エドワード・アンダーソン(1930年)、ビル・コールマン(1930年)、ハーマン・オートリ―(1933年末)、ロイ・エルドリッジ(1930年代初期)、バーナード・フラッド(1936年から37年)、ルノー・ジョーンズ(1930年代初期)、フランク・ニュートン(1930年から31年及び1933年秋から35年末)、ケネス・ロウン(1932年)等著名な名前(?)が並んでいる。
またトロンボーンには、ロバート・ホートン(1930年)、ジョージ・スティーヴンソン(1932年から33年)、ディッキー・ウエルズ(1933年)、アルトン・スリム・ムーア(1938年)、ジョー・ブリットン(1936年)らが参加した。 サックス・セクションには、テナーのレオン・チューベリー(1932年末から33年初め)、テディ・マクレー(1930年代初め)等のスター・ソロイストがいた。
このような一流プレイヤーを揃えた30年代のジョンソンのバンドは、確かに優れた演奏水準を最後まで維持したに相違なく、レコーディングに恵まれなかったのは誠に残念なことであった。
チャーリー・ジョンソンのレコーディングについて述べると、1925年エマーソンというレーベルに2曲“Don’t forget you’ll regret”(Emerson 10856)と“Meddin’ with the blues”(Emerson 10854)とが吹き込まれているが、今日このレコードは殆ど入手し難く、かつ正確なパーソネルとデータが判明していない。
したがって1927年2月から29年5月までの間にRCAヴィクターに録音された12曲が、このレコードで今日聴くことのできる全てである。
そのうち2曲“Getting away from me”と“Mo’lasses”とは発売されず、今日でもテイクが入手できない。したがってこのアルバムには、残り10曲とそのうちテイクが余分にあるものを加えて計13タイトルが収録してある。各吹込みのパーソネルについては諸説があり、チャールズ・デロネイのホット・ディスコグラフィー、アルバート・マッカーシーのジャズ・ディスコグラフィー、ブライアン・ラストのディスコグラフィーの3種の間にもいくつかの相違がある。レコードジャケット裏のパーソネルはブライアン・ラストによるものを記載した(記載されていない)。

<Personnel>…例によって録音データの記載がないため詳細は不明だが、文中に記載のあるものを記す。

 
Band leader & Pianoチャーリー・ジョンソンCharlie Johnson
Trumpetジャボ・スミスJabo Smith
Trumpetシドニー・ド・パリスJabo Smith
Trumpetトーマス・モリスThomas Morris
Trumpetレナード・ディヴィスLeonard Davis
Tromboneジミー・ハリソンJimmy Harrison
Tromboneチャーリー・アーヴィスCharlie Irvis
Trombone ジョージ・スティーヴンソンGeorge Stevenson
Alto sax , Clarinet & Arrangementベニー・カーターBenny Carter
Alto sax , Clarinetベン・ウィチッドBen Whittet
Clarinet & Tenor saxベニー・ウォーターズBen Waters
Violinエドガー・サンプソンEdger Sampson
Vocalモネット・ムーアMonette Moore

<A面Contents>

 
1.パラダイス・ウォブルParadise wobble1927年2月25日ニューヨークにて録音
2.バーミンガム・ブラック・ボトムBirmingham black bottom1927年2月25日ニューヨークにて録音
3.ドント・ユー・リーヴ・ミー・ヒアDon’t you leave me here1927年2月25日ニューヨークにて録音
4.ユー・エイント・ザ・ワンYou ain’t the one1928年1月24日ニューヨークにて録音
5.チャールストン・イズ・ザ・ベスト・ダンスCharleston is the best dance after all1928年1月24日ニューヨークにて録音
6.ホット・テンパード・ブルースHot-tempered blues1928年1月24日ニューヨークにて録音

A面1〜3までの3曲は1927年2月25日ニューヨークで行われたRCAへの初吹込みであるとレコード解説にあるが、Web版ディスコグラフィーによれば1925年2月25日となっている。どちらが正しいのか?1927年と1925年では大分違う気がするが…。

1.パラダイス・ウォブル

バンジョーのよく聴いたリズムがいかにも古めかしいジャズ的サウンドである。Tbソロはチャーリー・アーヴィスで、続く流麗で高音のよく聴いたTpはジャボ・スミスであろうという。
瀬川氏は、サックスの合奏が薄いというが、こんなものだろうと思う。またモネット・ムーアのヴォーカルはなかなかに黒人歌手の気分が出ているというが…?。ムーアは黒人なんですけど…。短いクラリネットは、ベニー・カーターかベン・ウィチットであろう。合奏がディキシー風の絡みが多いのも20年代のビッグ・バンドの特色であるという。

2.バーミンガム・ブラック・ボトム

アンサンブルの後に素晴らしい輝きに満ちたプレイはジャボ・スミス。後半Bjソロが出るのが懐かしく、ラストのTpソロに他のホーンが絡んでいくのが時代を感じさせる。

3.ドント・ユー・リーヴ・ミー・ヒア

ジェリー・ロール・モートンの作。ムーアのヴォーカルの後に出るプランジャー・ミュートのTpソロが、シドニー・ド・パリスかトム・モリスかと説が分かれているという。次のTbはアーヴィスという。

A4〜6の3曲は解説、Web版ディスコグラフィーとも約1年後の1928年1月24日の吹込みと一致している。この吹込みには初レコーディングでははっきりしなかったベニー・カーターが参加していることは確実であるという。また、エドガー・サンプソンもヴァイオリンで加わっている。わずか1年後の録音だが、前の演奏に比べるとアンサンブルに格段のまとまりが出ているのは、ベニー・カーター効果だという。

4.ユー・エイント・ザ・ワン

  これもムーアの歌入り。ジャボ・スミスのリードするアンサンブルの後、初めてAsソロが登場するが、これはカーターであろうとする。続くTbはアーヴィス。最後にビッグ・バンドらしい見事なサックス・アンサンブルで締めている。

5.チャールストン・イズ・ザ・ベスト・ダンス

ガンサー・シュラー氏によるとベニー・カーターが編曲し、指揮をしたとし、サックス・アンサンブルのコーラスの見事な演奏で、この曲がこのバンドの唯一素晴らしい演奏という評価を下している。
一方解説の瀬川氏も、整然たるアンサンブル、特にカーターが得意とするところのサックス・セクションの合奏が光っていて、高音を駆使するジャボ・スミスのTpソロが輝かしいと高評価をしている。

6.ホット・テンパード・ブルース

これもおそらくカーターのアレンジで、サックスとブラス、サンプソンのVlの入った合奏がユニークな響きを創り出している。Tbソロはアーヴィス、続くミュートTpソロはレナード・ディヴィスという。
ガンサー・シュラー氏は、このバンドは作曲上の規則やその他の配慮に縛られないで、自由闊達な集団即興に没頭できる場合に、最良の演奏を行ったとし、その最も刺激的な演奏の例がこの曲の最後の2コーラスだとしている。シュラー氏曰く、特に最後の頂点の、集団即興のコーラスでは、時代に先んじたやり方で、スイングし、揺さぶる。そして自由奔放なままに、この不協和音溢れる音楽を終了させる。集団即興の技巧の勝利というべき出来映えであると激賞している。

<B面Contents>

 
1.ザ・ボーイ・イン・ザ・ボートThe boy in the boat1928年9月19日ニューヨークにて録音
2.ザ・ボーイ・イン・ザ・ボートThe boy in the boat1928年9月19日ニューヨークにて録音
3.ウォーク・ザット・シングWalk that thing1928年9月19日ニューヨークにて録音
4.ウォーク・ザット・シングWalk that thing1928年9月19日ニューヨークにて録音
5.ウォーク・ザット・シングWalk that thing1928年9月19日ニューヨークにて録音
6.ハーレム・ドラッグHarlem drag1929年5月8日ニューヨークにて録音
7.ホット・ボーンズ・アンド・ライスHot bones and rice1929年5月8日ニューヨークにて録音

レコード解説の瀬川氏によれば、B面の1〜5の5曲はこの時代のビッグ・バンド・ジャズの最高の部類に属すると評価されているという。

1、2.ザ・ボーイ・イン・ザ・ボート

瀬川氏は、イントロからのエキゾチックなリズムの扱いが面白い。メランコリックな旋律がブラスとClの合奏され、ジミー・ハリソンのTbの鋭いソロに受け継ぐ。ド・パリスによるプランジャー・ミュートの輝くようなソロが素晴らしく、数ある彼のレコード・プレイの中でもベストと評価されているという。Clとの掛け合い、ラストのタップのようなサウンドも興味深いと記載しているが、シュラー氏は「シドニー・ド・パリスによる卓抜なプランジャー奏法によるしゃべるようなソロは素晴らしい」と書いている。「輝くような」と「しゃべるような」は大分かけ離れているような気もするが…。

3、4、5.ウォーク・ザット・シング

  イントロのピアノのフレーズは、一時期よく使われたロックン・ロールのフレーズである。アップ・テンポの迫力に満ちたリズムにチューバの低音がよく効いている。珍しいTsソロはベン・ウォーターズで、メロディックなプレイである。ジョンソンのバンドはブラスやClに比してサックスによるソロが少ないのも特色の一つである。
リズムなしのエキサイティングなミュートTpソロはレナード・ディヴィス。続くハリソンのTbソロもなかなか良い。さらにTpClソロはベン・ウィチット前合奏にTuやBjのソロが挟まれているのも面白い。

B-6,7の2曲は1929年5月8日ニューヨークにて録音されたジョンソンのラスト・レコーディング。

6.ハーレム・ドラッグ

スローなテンポでベン・ウォーターズのCl、ド・パリスの輝かしいTpソロが光っている。最後のTbはジョージ・スティーヴンソンである。

7.ホット・ボーンズ・アンド・ライス

いかにも黒人らしい、ブルーな感じのブルース。特にスティーヴンソンのTbソロが素晴らしいプレイを聴かせる。さらにプランジャー・ミュートのTpソロは、ド・パリスの名演である。

最後にガンサー・シュラー氏のこのバンドに対する評価をまとめてみよう。
「チャーリー・ジョンソンのパラダイス・バンドは、その全盛期には多くの人々によって、デューク・エリントンと同じくらいに高く評価された。ハーレムのナイト・クラブ「スモールズ・パラダイス」を本拠とするこのバンドは、ある意味では、デュークの最も身近な競争相手だった。というのは、デュークもまたダウンタウンからやってくる白人のお客のために、ショウやジャングル物の音楽を提供していたからである。
このバンドには、ジミー・ハリソン、ジャボ・スミス、ベニー・カーター、シドニー・ド・パリス、チューバのサイラス・セント・クレアやビリー・テイラー、驚異的なバンド・ドラマーのジョージ・スタッフォードなど数多の優秀な音楽家が在籍した。しかしこのバンドは長続く生き延びることができなかった。
このバンドには、フレッチャー・ヘンダーソンやマッキニーズ・コットン・ピッカーズのようなバンドと競合するために必要な正確さや腕の良い編曲家を持たなかったし、エリントンのような想像的な才能と規律を備えた指導者を持たなかった。このバンドは、ドン・レッドマンの編曲手法を熱心に模倣したが、おおむね身に付けることができなかった。 また、このバンドでのジャボ・スミスは、自身のバンドとは比べものにならないくらい劣っている。」
確かに瀬川氏は、Tpジャボ・スミスのソロを全て「輝かしい」と高評価だが、少々もたついている感じがする個所もあり、僕にも全篇素晴らしいとは言えないような気がするが…。

前回のM.K.C.P.に比べれば確かに粗削りなところはあるが、こちらの方が楽し気に演奏している感じがして好感が持てる。「パラダイス・バンド」(天国楽団)という名前のせいだろうか?

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第243回2018年1月7日

20年代ビッグ・バンド入門 その1
マッキニーズ・コットン・ピッカーズ 1928・29年

あけましておめでとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。2018年第1回目の定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
昨年末から強烈な冬型の気象が続き、北日本、日本海側では大変な大雪に見舞われているようです。僕の住む関東地方は、カラカラに乾いた晴天が続いていますが、気温は低く実に寒い年の瀬でした。

2018年1月1日 初詣

2018年最初の「ジャズ・ディスク・ノート」、第243回です。昨年末はバタバタとしたアップになってしまい、反省しきりです。今年度は少し落ち着いた、少しでも内容のあるコンテンツを目指していきたいと思っております。ぜひ皆さま引き続きのお付き合いよろしくお願いいたします。
皆さんはお正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?僕は1月1日先ずは、午前中に近所の神社に初詣に出かけたのですが、ものすごい行列、もう30年近く参っていますが、これまで見たことも無いような行列だったので、家がすぐ近いこともあり引き返し、午後改めて参拝に行きました。他に何も用事が無いようですが、明日2日は嫁いだ娘2人が夫婦、一人は孫を連れて年始に来るのでその準備です。年末に買えなかった魚屋さんなどへの買い出しを行い、狭いリヴィングの片づけ、これまた狭い庭掃除などに追われました。

箱根美術館前

1月2日は早めに来た孫と遊び、みんなで食事をし、食後にまた孫と遊んで日を過ごし、翌3日は、疲れを癒そうと近場の温泉へ1泊旅行に出かけました。行先は「箱根」です。
箱根は関東大学駅伝、いわゆる「箱根駅伝」の熱戦が繰り広げられるところですが、3日は復路、選手たちは朝8時に箱根を出発し10時頃には、平塚、茅ケ崎といったところまで走り抜けます。とんでもなく速いです。僕ら夫婦はその熱戦をラジオ放送で聴きながら、ゆっくりと箱根に向かいます。駅伝の一団が去った後の箱根までの道は意外に混まず、すんなりと目的地まで行き着けることをここ3年の経験で知っているからです。
この日は当初久しぶりにロープウェイで大涌谷まで行ってみようかと思っていましたが、もう一つの目的地「箱根美術館」が1月1〜3日まで開館し1月4日は休刊することをネットで知り、急きょ予定を変更し1月3日に訪ねてみました。この美術館は、庭一面に生えている苔と紅葉、新緑がマッチして特に美しいと評判で、この季節はシーズン・オフのためか人影も疎らでゆっくりと館内を見学できました。
その後は箱根ビジター・センターを少し見学した後、宿に向かいます。今年で3度の目の宿なので道にも迷わず早めに着き、明るいうちに温泉に入りまったりと過ごしました。

噴煙を上げる大涌谷

1月4日も晴天に恵まれました。左の大きめの写真は午前11時ころ大涌谷から写した富士山です。ラジオによると、翌1月5日箱根には雪が降り高速道路は通行止めになったそうで、スタッドレ・タイヤでもなく、チェーン装備もない我々は間一髪でセーフだったことになります。
この日は、ガスの状況が悪くロープウェイは運行休止しており、クルマで大涌谷まで登りました。そういう方が多かったと見えて道は大渋滞、たどり着くまで1時間ほどかかりました。
大涌谷では、これを食べると7年長生きするという名物の「黒たまご」を買って食べ、お土産品を買い求め、早めの昼食「激辛地獄ラーメン」を食べ、元箱根に向かいました。今日は、一般には仕事始めということもあり空いているかと思っていたのですが、道路は大渋滞で湖畔にたどり着くまで何時間かかるか分からないという状況だったため元箱根行きは断念し、箱根新道〜西湘バイパスを通り帰途につきました。
どこにも寄らずに箱根を下りてきたので、少し早すぎるかなと思い途中高速を降り、久しぶりに「寒川神社」に参拝に立ち寄りました。以前は毎年初詣に訪れていたのですが、余りに人出が多くご無沙汰していました。

寒川神社に参拝

「寒川神社」は相模国一之宮と称され、1600年の伝統を持つ格式の高い神社です。全国で唯一八方除の守護神として、すべての悪事災難を取り除くといわれる厄除けのご神徳があるといわれています。初詣に参拝される方が多いのは当然のことでしょう。参拝者が多いなぁと言いながら結局自分も参拝するわけです。
一年の初めにおみくじをひかないと気が済まないカミサンは、ここでおみくじを引くことも大きな目的としていて、気合いを入れて引いていました。結果は「末吉」、僕は「小吉」でした。おみくじによると、今年の僕は、すぐにというわけではないが願い事は叶うそうです。おっと、他人に話していけなかったかな?ともかく悪くない運勢で安心しました。今年も頑張ろう!

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第9巻レコード・ボックス」

ジャズの歴史を扱った本などを読んでいて、1920年代後半から30年、40年代にかけてアメリカにはいったい幾つくらいのビッグ・バンドがあったのだろうと思う。全てのローカル・バンドをを含めれば何百という数のバンドがあったように思われる。もちろんそれらを全て追うなどということは、出来ももしないし、やろうとも思っていない。僕は、今日日本にもその名が残っているようなバンドは、やはりそれなりに優秀というか存在価値があるから残っているのだろうと楽観的というか安易に考えている。そういったバンドの代表がフレッチャー・ヘンダーソンであろう。しかし前回ヘンダーソンの項でも触れたが、ヘンダーソンは時に優柔不断で不安定な時期があった。そんなときヘンダーソンの地位を脅かすようなバンドが出来てきていた。その中で最終的に最も重要なのはデューク・エリントンであったのだが、ガンサー・シュラー氏によれば他の3つのバンド―マッキニーズ・コットン・ピッカーズ、チャーリー・ジョンソン、ザ・ミズーリアンズの方がむしろ脅威と思われていた。
これらのバンドの名前は、本などで見かけるがレコード・CDはほとんどレコード・ショップで見かけないバンドというのも多い。そういったバンドを取り上げてくれていて便利なのはやはり最近では、今回紹介するような企画編集した組物ということになろう。本来は単体でレコードが欲しいのだが、そういったものを探していたのでは、その演奏をいつ聴くことができることやら分からない。そういった意味でこのレコードボックスは大変にありがたいものだ。
まずざっと収録内容をご紹介しよう。全体で9枚組である。

レコードフレッチャー・ヘンダーソン その1
レコードフレッチャー・ヘンダーソン その2
レコードマッキニーズ・コットン・ピッカーズ
レコードチャーリー・ジョンソン
レコードザ・ミズーリアンズ
レコードジミー・ランスフォード
レコードベニー・モーテン その1
レコードベニー・モーテン その2
レコードベニー・モーテン その3

フレッチャー・ヘンダーソンに関しては、その年代ごとに項を設定して記述進行中である。今回はレコード靴房録された「マッキニーズ・コットン・ピッカーズ」について聴いていこう。
ただその前にこの編集物の不備を指摘しておこう。それは、この「マッキニーズ・コットン・ピッカーズ」解説の瀬上保男氏は、パーソネルについて、「(吹込み)メンバーについては、中ジャケット裏のデータをご参照いただきたい」と述べているが、中ジャケットの裏にはパーソネルの記載は無いのである(写真右)。これと同様の苦言を以前第135回ColemanHawkins”Body and soul”でも記載した。
ここからは僕の想像であるが、元々「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」には、録音データが記載された中ジャケットがあったのである。ところが何らかの事情で再発する時に別のタイプを用いるようになった。その別のタイプが右の黒の用紙を使ったものではないかと思う。何らかの事情とは?これも想像だが、この黒用紙タイプに全てを統一したのではないかと思う。そうすればこのタイプの中ジャケットだけを大量に一括印刷・製本できる。それぞれの録音データを印刷する必要が無くコストが削減できる。
そう思わせるのは、同じシリーズの「Jazz Classics of Jelly Roll Morton」の中ジャケットである。写真左はその裏面。きっちり録音データが載っている。
もちろん正式なことは分からない。というのも「2版目以降経費節減のため中ジャケットに録音データ記載を辞めました」などとメーカーがいう訳がない。しかし解説者の記載と現実を突き合わせると以上のような想像にたどり着く他ないのである。
この編集にも携わった僕の師粟村政昭氏は他の所で、「このような歴史的な録音の再編集盤の場合、最も大事なのはそのパーソネルや録音期日を記したデータであると述べている。このような編集員の下で編集されたレコード・セットに録音データが最初から記載されていないわけはなく、再発の時に記載を止めたとしか想像できないのである。このことから分かるのは、この再発にかかわった人物がジャズ・ファンでないことだけは確かである。

第243回Study in 1920th The Big Band Era
”McKinney's Cotton Pickers”

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1週」でマッキニーズ・コットン・ピッカーズ(以下M.K.C.P.と略)の解説を担当する瀬上保男氏は冒頭で、「M.K.C.P.の日本における知名度は決して高くない」と述べている。この「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ」が発売された昭和50年という時期においてはそうだったろうが、2018年の今においては「ほとんど知られていない」という方が正しいだろう。ジャズの歴史を扱った本などには必ずと言っていいほど登場し、拙HPでもその名前は何度か登場している。しかし彼らの録音自体を取り上げるのは初めてのことである。
僕はそれほど熱心にショップに通っているわけではないが、そもそも彼らの録音物(レコード・CD)についても単体、いわゆるM.K.C.P.名義のものはまず見たことが無い。そういった意味でこういう企画もの、組み物は貴重だが、こういうものでないとお目にかからないというのも寂しい感じがする。
それというのもこのバンドを率いたウィリアム・マッキニーが、他のバンドでの活躍歴がほとんどなく、リーダー自身の知名度低さがバンド自体の知名度の低さにつながっていると思われる。
それでも瀬上氏は「1920年代にあっては、フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントンと肩を並べるところまで行った一流バンドとしてジャズ史上不滅である」と微妙な表現ではあるが、高く評価している。そしてこの1枚のレコードは、油井正一氏が選曲したM.K.C.P.の傑作集であり、ビッグ・バンド・ジャズのオリジネーター、ドン・レッドマンが生み出したユニークなサウンド再認識できると述べており、何が彼らを「ジャズ史上不滅」にしているのであろうか?それをこれからこのレコードを聴くことによって学習していこう。
M.K.C.P.は、1924年ごろオハイオ州スプリングフィールドで旗揚げしたシンコ・セプテットに始まる。リーダーのウィリアム・マッキニーはサーカス出身のドラマーで、グループは多分にショウ・バンド的色彩を持っていた。このユニットはやがて、シンコ・ジャズ・バンドと改名し、キューバ・オースチン(Dr)、ジョン・ネスピット(Tp、Arr)、クロード・ジョーンズ(Tb)等の参加を得て次第に充実していく。
そして、自身バンド・リーダー兼ダンスホール経営者ジーン・ゴールドケットに招かれてデトロイトに進出し、同地の「グレイストーン・ボールルーム」を根城にするようになる。バンド名をM.K.C.P.と名乗るようになったのは、その頃からであると瀬上氏は記述する。しかし別資料によれば独自にデトロイトに進出し、そこでゴールドケット氏の知己を得、「グレイストーン・ボールルーム」を根城にするようになったとある。しかしバンド名をM.K.C.P.と名乗るようになったのは、その頃とある。2つの説の違いは、デトロイトに進出したのはゴールドケット氏に呼ばれたのか独自だったのかということであり、いずれにしろゴールドケット氏の「グレイストーン・ボールルーム」を根城にするようになって、バンド名をM.K.C.P.と名乗るようになったというところは変わりない。

そもそも”Cotton Pickers”という名称はどう意味であろうか?辞書を見ても特別な意味はないようで、そのまま「綿摘み達」ということでよいだろうか?「綿摘み」と言えばプランテーションで綿摘みの重労働に従事させられた黒人奴隷を連想させるような名称であり、わざと付けたのだろうが少しばかり「?」と思わされる。
ともかく1926年「グレイストーン・ボールルーム」登場に前後して、このバンドに二つのビッグ・イヴェントが起きる。
一つは、この年アメリカを訪問中だった英国皇太子(後のエドワード8世)の前で演奏する機会を与えられ、しかも皇太子自らがドラマーとなってステージを共にするハプニングに恵まれたことである。
もう一つは、ゴールドケット氏のバック・アップにより、全米中に中継されるラジオ番組に出演したことである。
この二つの出来事は、当時の黒人バンドとしては破格であり、異例だった。彼らの名が上がったこと言うまでもない。
デトロイトでのM.K.C.P.は日ごとに人気を獲得していき商業的な成功を収めた。しかしバンドにはこれといった特色もなく、客の求めに応じて何でもこなすという感じだったという。しかし名実ともに一流を目指すマッキニーはゴールドケットと相談の結果、フレッチャー・ヘンダーソン楽団からドン・レッドマンを招いて、バンドの再編を図ることにした。マッキニー自身は目立たない人で、キューバ・オースチンの入団以後、ビジネス・マネージャーに専心していたが、レッドマンに目を付ける辺りはさすがである。
招きに応じたレッドマンは、さっそくジョン・ネスビットの協力を得てバンドの全スコアを書き直し、バンド・カラーを一新させてしまった。レッドマンはビッグ・バンド作りのノウハウを実によく心得た職人肌の天才であったが、ヘンダーソン時代に開発したサックスとブラスの対比など、いろいろの手法をフルに生かしてM.K.C.P.を平凡なダンス・バンドから一流ジャズ・バンドへ脱皮させてしまった。
レッドマンはM.K.C.P.の再生に当たって、ソロイスト偏重の姿勢を取らず、ユニットとしてのサウンドやスタイルによって、他のバンドと一線を画すことを心掛けたという。1920年代にあって、グループ・サウンドの表現に着眼したリーダーは、決して多くなかった。
M.K.C.P.のレコーディング史は、2トランペット、1トロンボーン、4サックスという編成で始まったが、特にサックス・セクションに重点を置いた音作りに特徴があった。フレッチャー・ヘンダーソンでさえ、1933年以前は3サックスであり、この点では後輩にあたるM.K.C.P.の方が5年も先行していたことになる。その結果全体として白人指向を思わせる一面はあったものの、極めてユニークなスタイルが出来上がったのである。
しかしガンサー・シュラー氏によれば、コットン・ピッカーズを録音のみによって正確に評価することは難しいという。 というのは、このバンドは生の響きと同じくらいに素晴らしい録音が一つもなかったという説があるからである。つまりこの楽団の質の高さについては、(シュラー氏よりも)年長の音楽家たちの証言があるのだという。
そもそもこのバンドには、優秀な音楽たちがたくさんいたし、編曲を担当したジョン・ネスビットとドン・レッドマンはその分野のエリートであった。それにもかかわらず、録音されたものは、当時の標準を上回るとはいえ、なんら大編成のジャズに新しい次元を付け加えるものではなかった、とシュラー氏は評する。
M.K.C.P.は、その後もソロイストの充実とともに一流バンドの名声を維持していたが、1931年夏、レッドマンが自己の楽団結成のために退団すると急激に生気を失い、ベニー・カーター、キューバ・オースチンをリーダーとして挽回を図ったもののわずか3年後の1934年には解散の憂き目を見てしまった。この一事をもってしても、M.K.C.P.が本来は、ドン・レッドマンズ・コットン・ピッカーズと呼ばれるべきユニットであったことが分かる。
しかし、短期間のうちに消滅してしまったとは言え、最盛期のM.K.C.P.の同行、吹き込んだレコードは、常にジャズ界での最大関心事であったことはデューク・エリントンも証言しているという。
また、レッドマン時代の再発LP(英RCA RD-7561)が、1963年イギリスのジャズ誌『ジャズ・ジャーナル』によってレコード・オブ・ジ・イヤーに選ばれるなど、当時のM.K.C.P.は、後に至るまで高い評価を受けた。
バンドが解散して38年後の1972年に、シカゴのDJデヴィッド・ハットソン氏が旧メンバーを集め、レッドマンのオリジナル・スコアによるM.K.C.P.の再演を狙ったのも、単なる懐古趣味とはいえないと瀬上氏は書いている。

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」日本盤レコード(RCA RA-47)

<A面Contents>

 
1.プット・イット・ゼアPut it there1928年7月11日シカゴにて録音
2.ミレンバーグ・ジョイズMilenberg joys1928年7月11日シカゴにて録音
3.チェリーCherry1928年7月12日シカゴにて録音
4.ストップ・キディングStop kidding1928年7月12日シカゴにて録音
5.ノーボディーズ・スイートハート Nobody’s sweetheart1928年7月12日シカゴにて録音
6.サム・スイート・ディSome sweet day1928年7月12日シカゴにて録音
7.シム・ミ・シャ・ウォブルShim-Me-Sha-Wabble1928年7月12日シカゴにて録音
8.イッツ・タイト・ライク・ザットIt’s tight like that1928年7月23日シカゴにて録音
9.ゼアズ・ア・レインボウ・ラウンド・マイ・ショルダーThere’s a rainbow ‘round my shoulder1928年7月23日シカゴにて録音

<A面Personnel>…上記のように録音データの記載がないため詳細は不明だが、文中に記載のあるものだけ記す。

 
Band leaderウィリアム・マッキニーWilliam McKinney
Arrangement & Alto sax(?)ドン・レッドマンDon Redman
Trumpet & Arrangementジョン・ネスビットJohn Nesbitt
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jones
Clarinet & Tenor saxプリンス・ロビンソンPrince Robinson
Pianoトッド・ローデスTodd Rhodes
Drumsキューバ・オースチンCuba Austin

M.K.C.P.の処女録音が1928年7月11日、12日の両日に渡って10曲も残されたのは、その頃としては珍しいと解説の瀬上氏は記載するが、何が珍しいのかよく分からない。2日間10曲録音したことか、通常は録音しても捨てられるのに10曲も残したことか?ともかくA面1〜7曲目がその10曲からのピック・アップであるという。
ドラムのキューバ・オースチンは当時を回想し、「我々が初録音した頃は、雑音を拾わないようにするため、全員靴を脱いでスタジオ入りし、足の下枕を並べて音を取ったものだ。ところがテンポの速い『ミレンバーグ・ジョイズ』では、演奏しているうちに枕がずれて、NGを出してしまった」という。
A面中編曲者がはっきりクレジットされているのは5曲、◆↓、ァ↓Гレッドマン、いジョン・ネスビットだけだが、残りの曲にも当然レッドマンのペンになるものがあるであろうという。
レッドマンがリーダーシップを取るようになってから約1年後の録音だが、黒人らしさが余り前面に出ない洗練されたアンサンブルは完成の域に近づき、他のバンドとは一味違ったスイング感を出している。

以上は瀬上氏の解説である。僕自身の感想を書くと、
洗練されているというが、A-1、2の低音部を支えているのはストリング・ベースではなくチューバであり、ちょっと古めかしい感じがする。A-1のピアノはアール・ハインズに似ている感じがする。
A-3の洗練された感じはレッドマンによるものか?線の細いヴォーカルも後のスイング時代を感じさせる。 A-4のサックスを中心としたアンサンブルなどは時代を先取りした感じがする。これはネスビットのアレンジのようだ。
A-5のヴォーカルはジョージ・トーマスという人だそうだが、ルイ・アームストロングの模倣のように感じる。
A-8の”イッツ・タイト・ライク・ザット”は、少し後12月12日レッドマンとルイ・アームストロングの共演で賛否両論がある”It's tight like this”の事前ヴァージョンのような気がするが、このことに評論家の先生方は誰も触れていないので全く関係ないのかもしれない。

<B面Contents>

 
1.プレイン・ダートPlain dirt1929年11月5日ニューヨークにて録音
2.ジー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユーGee , Ain’t I good to you1929年11月5日ニューヨークにて録音
3.ザ・ウェイ・アイ・フィール・トゥディThe way I feel today1929年11月5日ニューヨークにて録音
4.ミス・ハナMiss Hannah1929年11月5日ニューヨークにて録音
5.ホェアエヴァ・ゼアズ・ア・ウィル・ベイビーWherever there’s a will , baby1929年11月7日ニューヨークにて録音
6.ゾンキーZonky1930年11月17日ニューヨークにて録音
7.ロッキー・ロードRocky road1930年11月3日ニューヨークにて録音

B面は1929〜30年にかけてのニューヨークでの録音。A面がM.K.C.P.のメンバーによる録音であるのに対し、B面は強力なソロイストを補強した臨時編成バンドによる録音だという。
デトロイトで仕事があったために、ニューヨークには一部のメンバーしかこれなかったということになってはいるが、ソロイストにスターがいないという弱みをカバーするためのアイディアとみることもできるという。ニューヨークでの録音に参加したM.K.C.P.のメンバーは以下の通りである。
注目はトランペットのジョー・スミスで、フレッチャー・ヘンダーソンの楽団でプレイしていた彼は、M.K.C.P.としては初めて迎えた一流のソロイストである。またバンジョーのデイヴ・ウィルボーン、チューバのビリー・テイラーはA面の録音にも加わっていたと思われるが、記載がないので記載のあるB面のメンバーとして記載した。

<B面Personnel>…上記のように録音データの記載がないため詳細は不明だが、文中に記載のあるものだけ記す。

 
Band leaderウィリアム・マッキニーWilliam McKinney
Arrangement , Alto sax & Vocalドン・レッドマンDon Redman
Trumpetジョー・スミスJoe Smith
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jones
Banjoデイヴ・ウィルボーンDave Wilborn
Tubaビリー・テイラーBilly Taylor

基本的には上記のメンバーに、ゲスト的にソロイストが加わり録音が行われた。このことによって、A面に比べてよりエキサイティングな仕上がりとなり、一連のニューヨーク録音は、非常に好評を博したという。

まず1929年11月5日の録音から4曲ほど選ばれているが、これには上記M.K.C.P.のメンバーに加えてシドニー・ド・パリスコールマン・ホーキンスベニー・カーターといった一流どころのプレイヤーが呼ばれた。

1.プレイン・ダート

編曲はジョン・ネスビットで、ソロ・オーダーはシドニー(Tp)⇒クロード(Tb)⇒ホーキンス(Ts)だというが、いずれも極めて短く思う存分その腕を発揮したという感じではない。。

2.ジー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー

レッドマンの編曲で、ソロ・オーダーはスミス(Tp)⇒シドニー(Tp)⇒カーター(As)⇒レッドマン(Vo)だという。テーマ部分のソロはスミスで美しい音色である。続くオープンのソロはシドニー、続くカーターのソロも見事、解説に拠るとこの時期カーターは全てのサックス奏者の目標になっていたという。

3.ザ・ウェイ・アイ・フィール・トゥディ

レッドマンの編曲で、ソロ・オーダーはクロード(Tb)⇒スミス(Tp)⇒レッドマン(Vo)⇒ホーキンス(Ts)だという。短いからかもしれないが、クロードもスミス、ホーキンスに引けを取らない吹奏ぶりだと思う。

4.ミス・ハナ

ソロ・オーダーは、レッドマン(As、Vo)⇒シドニー(Tp)⇒カーター(Cl)⇒ホーキンス(Ts)。このB面すなわちニューヨーク録音面では、レッドマンはこの曲しかソロを取っていない。その理由を聞かれたレッドマンは「私は、ベニー・カーターのように演奏できるとは思っていないからだ」と語ったという。ここで聴かれるカーターのクラリネット・ソロは彼の代表作の一つと言われているという。また、アームストロング直系と言われるシドニーのソロも素晴らしい。シュラー氏はこれらに全く触れず、チューバのビリー・テイラーの華麗なプレイによって、ジャズ・レコードでの最低音D♭が披露されていると記載している。

5.ホェアエヴァ・ゼアズ・ア・ウィル・ベイビー

こちらは2日後の11月7日の録音。M.K.C.P.のメンバー以外について変動があるかどうかは不明。ソロ・オーダーはシドニー(Tp)⇒レッドマン(Vo)⇒ホーキンス(Ts)。ホークは少々粗削りな面もあるが、後の男性的な持ち味を先取りするような堂々たるソロを展開している。

残りの2曲は1930年に入ってからの録音である。

6.ゾンキー

解説で、ソロ・オーダーはカフェ⇒スミス⇒ウィルボーン(Vo)となっている。ここで初めてカフェなるプレイヤーが唐突に登場する。録音データが無いので定かなことは分からないが、想像するにエド・カフェ(Ed Cuffee Tb)のことかもしれない。

7.ロッキー・ロード

ソロ・オーダーはレッドマン(Vo)⇒スチュワート(Tp)⇒カーター(As)⇒レッドマン(Vo)だという。このスチュワートは後にデューク・エリントンの楽団で活躍するレックス・スチュワートである。またここでのトランペット・セクションのトリルは素晴らしいとシュラー氏は評する。

最後にガンサー・シュラー氏のM.K.C.P.に対する全体的な評価を紹介しよう。曰く、
「優れた点は色々あるのだが、このバンドは、全体として熱意を欠いた印象を与える。ホワイトマン楽団の正確さと多面性を見習おうとしているようだが、趣味の悪さが目立つところがある。1920年代の音楽家たちにとっては、M.K.C.P.は高度な実力を備え、収入の良い楽団として、素晴らしいものに見えたかもしれない。しかし、歴史は、この楽団がエリントンやカウント・ベイシーの楽団のような持続力を持たなかったことを明らかにした。」

今回はM.K.C.P.の1928、1929年のつもりだったが、30年の録音が2曲だけなので改めて回を設けるのもどうかと思い一緒に扱った。結構長くなってしまったが、この時代のビッグ・バンドにはなじみが薄く色々調べなければならないことが多い。学習することが多い1年になりそうだ。

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第242回2017年12月31日

マイルス・ディヴィス 入門その11
「ライヴ・イン・ヨーロッパ 1969」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

12月28日 仕事納めの日の夜

2017年最後の更新です。押しに押し詰まった大晦日12月31日です。
このシーズン最強の寒気団が南下しているとのことで、本当に寒い日が続きます。左は、僕の仕事納めの12月28日の朝の勤務先周辺の光景、右は帰る時の写真です。この光景も今年は最後、少しばかり長いお正月休みに入ります。
どのくらい長いかというと、通常12月29日から翌年1月4日までの7日間なのですが、1月5日が金曜日なので有給休暇を取り、1月8日は成人の日の祝日ということで11日間の休暇となります。やらなければならないこと、やりたいことがたくさんありますが、押し寄せてくる野暮用もありであっという間に終わるんだろうなぁ〜。
休暇第1日目、12月29日は切れかかった蛍光灯の代替を買いに行き、お正月用のお酒を買い、年賀状を作ったら(いまごろ?)、1日が終わってしまいました。本当はゆったりジャズが聴きたいなぁ。
2日目の12月30日は注文していたお餅を取りに行き、正月の飾り付け、夜は娘夫婦が孫を連れてきてのお年取りです。これは楽しい。

2017年レコード買い納め

カレーの店「アサノ」東京・町田

少し前のことですが、今年のレコード買い納めに、12月22日金曜日東京町田のディスク・ユニオンに出かけました。この日は社会的には休日ではありませんが、我が会社の親会社は、12月23日天皇誕生日が土曜日と重なったための振り替え休日となっています。僕もそれに便乗して有給休暇をいただきました。
さてその目的は、ディスク・ユニオンの年末のセールの売れ残りを漁ることです。ディスク・ユニオンのセールと言えば、朝早くから並び整理券を貰って、11時の開店を待つというのが恒例だそうですが、僕は行ったことがありません。朝並んだことがないばかりかセール当日に行ったことすらありません。ジャズ喫茶「ビッグボーイ」の店長も「ジャズ東京」のセールはすごいよ、殺気立っている」と言っていました。僕が聞いたところでは、そういうセールでは、オリジナルの希少盤が15万円とか20万円とかで取引されるとか。全く僕には縁遠い話です。そんな高額盤に目もくれないというか買えるはずもない僕などが、そんな混み合った中でウロウロしていては申し訳ない。それでいつも少し後に売れ残りで、僕にも買えるような良盤が無いかなと漁りに行くのが常となっています。
ということで師走の街に繰り出したのですが、ストレートに向かうわけではありません。先ずは眼科医院で緑内症の検査をし薬をもらい、整形外科で五十肩のリハビリをしてから向かいます。ああ、年寄りはイヤだなぁ!

「アサノ」名物カツ・カレー

僕が年内かかりつけの医者に行けるのはこの午前中が最後、考えてみればよいタイミングでの休暇です。
カレーの店「アサノ」はこの近辺では大変に有名なお店ですが、僕は初めて伺いました。お店はカウンターだけの、10人も入れないような狭さで、行列ができる店としても近隣では有名です。僕が行ったときは満員でしたが、僕の前に並んでいるお客はなく、10分ほど待って入店することが出来ました。
メニューはチキン、ポーク、ビーフなど一般に定番のカレーが揃っていますが、何といっても有名なのはブランド豚「高座豚」をとんかつにしてごはんに載せた「カツ・カレー」が有名です。僕がいる間に来店されたお客の9割はカツ・カレーを注文していました。カラっと揚がったとんかつは見た目ヴォリューム満点ですが、食べてみると全くしつこくなく実においしい。またカレーも薬膳カレーとのことで、それほど辛くはないスパイスがバッチリと効いておりおり、これまたとてもおいしい。揚げ物のカツが全くしつこく感じられないのは、このルーにも原因があるかもしれません。
全体にヴォリュームがあるのですが、すんなり胃に収まってくれます。一人で来店される若い女性の方も多く、その女性たちも皆さんカツ・カレーを注文し、完食していました。因みにお値段は1,450円、ちょっと高いような気もしますが、味・量ともに申し分のなく満足できるお店です。

「ポール・ウィナーズ/ライド・アゲイン」ステレオ盤オリジナル

おっと、昼食のことばかり書いてしまいました。肝心のセールでの成果ですが、左の「ポール・ウィナーズ/ライド・アゲイン」のステレオ版のオリジナル、ニア・ミントを3,700円でゲットしました。
僕はベースのレイ・ブラウンが大好きで、「ポール・ウィナーズ」シリーズも何枚か持っており、このレコードも持っていました。しかしオリジナルのNM(ニア・ミント)ということと、僕にも手が届くお値段でしたので即購入決定です。家に帰って再発盤と比べてみようと思ったのですが、現在のところまだ再発盤が見つかっていません。情けない!ともかく本盤はさすがにレイのベースが唸る好録音盤です。あぁデカいスピーカーで、ヴォリュームを上げて聴いてみたい。因みに師である粟村政昭氏は何枚か出ている「ポール・ウィナーズ」ものの中で本作がベストと評価しています。そのこともあって買ったのですが…。
その他3枚、計4枚を約7,000円で購入し本年の打ち止めとしました。最後はちょっと贅沢したかな?

そこで恒例の2017年12月31日現在の所有ジャズ・レコード、CDの枚数を計算しました。

5308枚
昨年末が5073枚でしたので、230枚ほど増えたことになります。月20枚弱買っている計算になります。そんなに買ったかなぁ?この数値をカミサンに知られたら大変なことになります。ご内密に!

さて、2017年最後の今回は、自分で決めたルール・シリーズ第3弾「マイルス・ディヴィス」。マイルスを前回取り上げたのは、2016年9月の第167回で、1946年の録音を取り上げた。それからの録音については、やはりチャーリー・パーカーとの絡みもあるので、後に順番に取り上げていきたい。ということで今回は本年買ったマイルスのCDをご紹介しよう。

第242回Miles Davis vol.11
”Miles Davis Quintet live inEurope 1969”

“Miles Davis Quintet Live in Europe 1969 The bootleg series vol.2” 輸入CD3枚+DVD1枚 Columbia/legacy 8872541853 2

<Personnel>

Trumpetマイルス・ディヴィスMiles Davis
Tenor & Soprano saxウエイン・ショーターWayne Shorter
Pianoチック・コリアChick Corea
Bassデイヴ・ホランドDave Holland
Drumsジャック・ディジョネットJack DeJohnette

<CD1 Contents> … 1969年7月25日 フランス・アンティーブ・ジャズ・フェスティヴァルにてライヴ録音

1.イントロダクションIntroduction
2.ディレクションズDirections
3.マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウンMiles runs the Voodoo down
4.マイルストーンズMilestones
5.フットプリンツFootprints
6.ラウンドミッドナイト‘Round midnight
7.イッツ・アバウト・ザット・タイムIt’s about that time
8.サンクチュアリSanctuary
9.ザ・テーマThe theme

<CD2 Contents> … 1969年7月26日 フランス・アンティーブ・ジャズ・フェスティヴァルにてライヴ録音

1.イントロダクションIntroduction
2.ディレクションズDirections
3.スパニッシュ・キーSpanish key
4.マスカレロMasqualero
5.マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウンMiles runs the Voodoo down
6.ノー・ブルースNo blues
7.ネフェルティティNefertiti
8.サンクチュアリSanctuary
9.ザ・テーマThe theme

先に書いた僕の持っているレコード、CDの枚数でアーティスト毎にいうと、最も数が多いのがDuke Ellington156枚、次がマイルスで149枚である。Dukeは多分ジャズ史上最も録音数の多いアーティストなので当然として、僕の最も好きなアーティストであるマイルスの保有数も多い。重複しているものもあるので、149種類というわけではないが、ほぼ正規発売盤は揃っている。正直に言うともうマイルスに関しては、音源を購入する気持ちはなかった。彼の素晴らしさはよく分かっているつもりであり今後これまでに経験したことのない新しい面を発見できるとは思えず、これからは数多くの音源をじっくり味わうことにしようと思っていたのである。ところが買う気が無くなってからも実は何枚か買っている。それは全て海賊版である。中古ショップで500円とかで売られているとついつい買ってしまう。多分2000円なら買わないと思うのだが。
そもそも僕はマイルスに限らず、あるアーティストの音源の全てを集めたいという気持ちが全く無い。それでもファンか!と怒られそうだが、まぁそんな程度のファンとお笑いください。
ところが今回これまで全く知らなかった音源を偶然発見して驚いてしまった。購入は今年4月、右のCDを近所のブックオフの500円コーナーで見つけたのである。いかにも海賊版ぽいが、500円なので買ってみた。実に久しぶりのマイルスものの購入である。海賊版(英語ではブートレッグ(略してブート)というらしい)である。発売元は“Scorpio”で、これをググってみると、イタリアを根拠地にしていたが、日本に移転したとある。えっ!日本は海賊版製作会社の暮らし易いところなの?
まずこのCDだが、裏面を見ると1969年7月26日フランスのアンティーブ・ジャズ・フェスティヴァルにおけるライブ録音で、“from Pre-FM master tape”とある。さらにCD本体には、”Promotional use only Not for sale”と書いてある。フランスのFMラジオで放送用に編集される前のマステープからCD化した、プロモーション用で非売品ということであろう。これはどういうことだろう?こんなことが可能なのだろうか?なんか犯罪の匂いさえするではないか。ということでこの辺りのことには目をつぶろう。
さて、このアルバム録音日1969年7月26日というのは、公式盤でいうと1969年2月の「イン・ア・サイレント・ウェイ」録音のの6か月後、8月の「ビッチェズ・ブリュー」録音の直前に当たる。
僕はこのCDがきっかけでディスコグラフィーを見てみると、「1969 Miles - Festiva De Juan Pins」というCDがCBS/Sonyから出ており、録音日が前日の7月25日とある。このCDのことは全く知らなかった。中山康樹氏「マイルスを聴け!」にも載っていない。もっとも「1969 Miles」は1993年に発売されたらしく、僕の持ってる「マイルスを聴け!」は1992年発行版なのでその時点では、中山氏は聴いていなかったのかもしれない。
ここから想像すると、マイルス・ディヴィス・クインテットは7月25日と26日の2度フェスティヴァルに登場した。そのうちの7月25日分はCBSから正規版として出たが、7月26日分は正規版としては出ていないが、上記Scorpioのブートとして世に出ているということである。
そんな程度の知識を持ってある時いつも行く町田のディスク・ユニオンに行った折、通常はレコードだけを見てCDは見ないのだが、ふと虫の知らせかCDのマイルスのコーナーを覗いた。そこで今回の”Miles Davis Quintet Live in Europe 1969 The bootleg series vol.2”を発見したのである。この組み物はCD3枚(アンティーブの実況7/25、7/26各1枚と11/5ストックホルムでのライヴ録音1枚)と11月7日のベルリンでのライヴのDVD1枚、計4枚組というまさに優れもの。そしてお値段がな、な、何と1400円という驚くような金額でしかも中古ではなく新品だった。迷わず購入したのであった。

思い入れ

僕は、このCDセットに格別の感慨を抱いてしまう。もちろん個人的な感慨である。それは拙HPの第1回に詳しく書いたが要約すると、僕は高校生になりそろそろジャズを聴こうと思い立ち、初めて『スイング・ジャーナル』を買った号の特集がマイルスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」で、誌上ではエレクトリック・マイルスに喧々諤々の議論が行われていた。そして僕はそれで初めてマイルスの名前を知った。さらに初めてジャズのレコードを買いに行った時が、マイルスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」が一般発売された時なのである。初めて仙台ヤマハのジャズ・コーナーに足を踏み入れた時、壁には「イン・ア・サイレント・ウェイ」のジャケットがたくさん壁に貼り付けられていた。そしてマイルスは翌年発表する次作「ビッチェズ・ブリュー」でさらなる論議を巻き起こすことになるのはご承知の通りである。
僕がこの問題作「イン・ア・サイレント・ウェイ」を実際に聴くのは後のことだが、確かに「ジャズど真ん中」という作品ではないし、熱く燃え上がるような作品でもない。念のためマイルス以外の「イン・ア・サイレント・ウェイ」のパーソネルを示すと
ウェイン・ショーター … ソプラノ・サックス
ジョー・ザヴィヌル … オルガン
チック・コリア&ハービー・ハンコック … エレクトリック・ピアノ
ジョン・マクラグリン … ギター
ディヴ・ホランド … ベース
トニー・ウィリアムス … ドラムス
である。

そして次作「ビッチェズ・ブリュー」の録音はわずか3週間後の8月19日に始まる。「ビッチェズ・ブリュー」のパーソネルはたくさんいるので書かないが、これこそ「イン・ア・サイレント・ウェイ」以上の問題作という評判となった。
これは僕だけの感じ方かもしれないが、良し悪しは別にすると「イン・ア・サイレント・ウェイ」、「ビッチェズ・ブリュー」という作品においてマイルスはジャズ・プレイヤーというよりも「サウンド・クリエイター」として新しい作品に取り組んでいるという印象がある。では「サウンド・クリエイター」として取り組んだ2作品の中間に位置する本作はどんな作品であるのか?チックはエレクトリック・ピアノを弾いているが、ズバリ「ストレート・ジャズ」、トランぺッターとしてのマイルス全開である。挑戦的ともいえるフレーズを吹きまくる。熱い、熱いライヴである。
何が感慨深いのか?日本では、一人の高校生がジャズを聴き始め、ジャズ専門誌において「ジャズを捨てたのか云々」という悪評も飛び交う中、当の本人はヨーロッパで燃えに燃えて伝統的なクインテットを率いトランペットを吹きまくっていたのである。「ジャズを捨てた」処の話ではない、「ジャズに燃え上がっていた」のだ。
もう一つ感慨深い点がある。ドラムのジャック・ディジョネットである。前にも書いたが、僕はたぶん1970年か71年の1月来日したジャックを見ている。「ドラム合戦」という企画ものコンサートで来日したのだ。その時彼は若手のホープ的な紹介しかされていなかったと思うが、これを見るとすでにマイルスのバンドに採用され歴史に残るレコーディングを経験した、「単なるホープ」どころではない若手ナンバー1といった存在だったのだ。ものすごいドラマーだとは思ったが、そこまですごいとは思っていなかった。お見逸れしました。そんなすごい人物が日本の雪の積もる片田舎で、ものすごいプレイをしまくっていたのだ。ありがたいことだ。

「マイルス・ディヴィス/ライヴ・イン・ヨーロッパ 1969」について

前書きが長くなりすぎてしまった。本作の内容について書く時間が無くなってしまった。来年が近くなってきてしまったのだ。本作の内容については改めて、マイルスを年代順に聴いていく時に取り上げよう。本作について評価を一言ですれば、もしマイルス・ファンでこのCDをまだお持ちでない方がいたら、ぜひ買いです。買って絶対の後悔しない作品ですとだけ申し上げて2017年の「ジャズ・ディスク・ノート」は締めといたしましょう。肝心なことに触れられず申し訳ない。

拙HPをお読みいただいた方へ 本年はありがとうございました。実に、実に拙いHPですが、来年も更新を続けていく所存ですので、是非お時間に余裕のある時にまた覗いてみてください。
では、よいお年を!

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第241回2017年12月24日

ジョン・コルトレーン 入門第7回 1946年
「ファースト・ジャイアント・ステップス」

メリー・クリスマス!!
ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

東京・町田「八十八」

毎日寒い日が続きます。日本有数の温暖地である、僕の住む辺りの森もすっかり葉を落とし、冬本番の装いです。皆さん、風邪などひかれてないでしょうか?
さて、「メリー・クリスマス」などと洋風のスタートをしましたが、今回はぐっと和風の話題です。
我が家では、というか我が夫婦は「夫婦忘年会」称し、ちょっとばかり贅沢をして、おいしいものを食べ、おいしいお酒を飲んで過ごす一夜(一夜だけです)を設けています。今年は12月9日土曜日に、夏にランチにうかがって以来の「八十八」さんにうかがいました。
実は、「うなぎ」のおいしい季節、旬は夏場ではなく、冬だといわれています。「冬饅(とうまん)」と呼ばれる冬場のウナギは、厳しい冬を乗り切るために体に脂肪分をため込んでいるので、脂が乗ってまことにおいしいとか。そのことを江戸時代の庶民はよく知っており、「うなぎ」は冬が旬、夏場は脂が乗っておらず、うまみに欠けることから売れ行きが良くない。その対策として考案されたのが「土用の丑の日」キャンペーンであることはよく知られています。

山口瞳さんの色紙

ということで、今年は、以前夏にもご紹介したウナギの名店「八十八」で忘年会ということにしました。しかしさすがにこの時期の「うなぎ」を食される方は多いと見えて、夕方早い時間はすべて満席、19時30分からの予約となりました。
「八十八」町田店は、基本的には障子に仕切られた個室で、ゆったりと食事が楽しめるようになっています。我々が通された部屋には、このお店、といっても横浜の本店の方だと思いますが、贔屓にされていた作家の故山口瞳氏の色紙が飾られていました。

ウナ玉

この日ばかりはちょっと贅沢をし、先ずは喉を潤すビールを注文。その後は日本酒のぬる燗に切り替えて、お新香、白焼き、ウナ玉を当てに豪華な酒盛りです。
白焼きもおいしいのですが、ウナ玉が絶品でした。なんでもだし巻き卵の「だし」にはうなぎのだしを使っていて、他ではなかなか無い味だと思いますとお店の方が言う通り、ふわふわとした卵焼きと中のウナギとの相性が抜群で、さすが老舗の逸品です。
何かの本で読んだのですが、鰻重を待つ間に、白焼きだのウナ玉だのと注文するのは邪道だそうで、本来はせいぜい「お新香」辺りでちびちびと一杯やりながら、うなぎが焼きあがるのを静かに待つというのが「粋」というものなのだそうです。しかし年に一度か二度しか行くことのない贅沢なので、ついついあれもこれもと食べたくなってしまいます。故山口瞳氏のいうところの「田舎者」なのでしょう。

八十八「鰻重」

そしてしめは勿論「鰻重」。ふわふわと柔らかく、脂が乗っていて正に絶品。

町田の元ジャズ・バー「バード」

「八十八」の「鰻重」はヴォリュームたっぷりでかなりお腹がいっぱいになりました。そこで腹ごなしに少し歩き、町田のジャズ・バーの老舗として地元では有名な「バード」で、一杯やって帰ろうということになりました。このお店は、吉祥寺の「メグ」と同様スピーカーに「アヴァンギャルド」を入れていることで知られています。などと書きましたが、僕は初めての訪問です。
お店に入り、スコッチ・ウィスキーのロックを、「ストレート・ノー・チェイサー」と言いたいところですが、お水ももらってチビチビとやっていました。お店に入った時には、ライトなスムース・ジャズがかかっていたので、「あぁ、こういうのもかけるんだなぁ」と思いながら、ストレート・ジャズがかかるのを待ちましたが、一向にかかりません。ジャズ・バーは夜はヴォーカルものがかかることが多いと聞いていたので、お店のお兄さんに「何かリクエストがあったら?」と言われたので、「ヘレン・メリルをお願いします」というと、「ヘレン・メリル? 聞いたことがある名前ですが…」という驚くような答えが返ってきました。僕が余りに驚いているので、お店の年嵩の店員さんが、説明してくれました。ちょうど4日前にオーナーが変わり、まったく不慣れなことそして本日はCDプレイヤーが故障し、今はスマホからダウンロードした曲を流していることなどです。
愛想のいいオニィチャンでしたが、もう行くことはないでしょう。
折角のクリスマスなのに最後は愚痴っぽくなってしまいました。皆さん、良いクリスマスを!!

さて今回は、僕が買って決めているルール、「年に1回はマイルス、コルトレーン、エヴァンズを取り上げる」に従い、ジョン・コルトレーンの巻です。

第241回John Coltrane vol.6 1946

“First giant steps” RLR 88619

<Personnel>

Alto saxジョン・コルトレーンJohn Coltrane
Trumpetデクスター・カルバートソン Dexter Culbertson
Pianoノーマン・ポールショックNorman Poulshock
Bassウィリー・ストーダーWillie Stauder
Drumsジョー・タイマーJoeTimer (aka Joe Theimer)
Vocalベニー・トーマスBenny Thomas

<Contents> … 1946年7月13日 ハワイにて録音

CD1曲目エンブレイサブル・ユーEmbraceable you
CD2曲目オーニソロジーOrnithology
CD3曲目スィート・ミスSweet Miss
CD4曲目イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーンIt’s only a paper moon
CD5曲目スィート・ロレインSweet Lorraine
CD6曲目ココKo-ko
CD7曲目ナウ・ザ・タイムNow the time
CD8曲目ホット・ハウスHot house
藤岡靖博氏著『コルトレーン』

僕は、コルトレーンの前々回第100回で僕の持っている最も初期のコルトレーンの吹込みとして1951年録音の“First ride”を取り上げた。その時にこのCDに触れ、聴いてみたいのだがレコード、CD・ショップで見たことが無いと書いた。今年に入ってふと思いついて、アマゾンで検索してみるとあるある、至るところで売りに出している人がいるのである。そして安い。結局イギリスの方から(信用できそうなので)、送料込みで約1000円ちょっとで新品のCDを手に入れたのであった。案ずるより産むが易しとはこのことか、ちょっと違うかな?
さて、このCDは、1945年海軍に徴兵されたコルトレーンが、翌年除隊する時に記念として海軍のバンド仲間と録音したものである。詳しい事情はプロフィールを参照してください。
この78回転SP盤4枚のレコードで驚くことは、藤岡靖博氏『コルトレーン』によれば、このレコードは巡り巡って数か月後マイルス・ディヴィスの耳に届く。そしてマイルスはこのコルトレーンの演奏にいたく感銘を受けたというのである。その記憶からマイルスは1949年、ハーレムの「オーデュボン・ボールルーム」でのダンス・ギグにコルトレーンを誘い、更には55年初代マイルスのクインテットに抜擢されることにつながっていくというのである。要は、マイルスはこの演奏を聴いて、将来の大器を見抜いたというのである。

ただこういう歴史的に貴重という録音は、入手に際して少し迷うのである。ビル・エヴァンスの「ヴェリー・アーリー」同様絶対に愛聴盤にはならないのである。今回は安いからいいかということで購入したが、具体的な金額は思いつかないが、高額であったら買わなかったかもしれない。

原田和典氏著『コルトレーンを聴け!』

一方『コルトレーンを聴け!』で原田氏は、「なんて貴重なのだろう。レアなのだろう」としながらも「聴いていて引き込まれるような『いい演奏』かというと話は別。」と冷静である。そして「たどたどしい半熟ビ・バップで、あくまでマイルス・バンドやプレスティッジやアトランティックやインパルス時代のコルトレーンの音楽にはまったファンが、若き日の恋人が写っている卒業アルバムをそっと見るような気持ちで、何年に1回か秘密の小箱をこじ開けつつにやりと楽しむ、そんなパフォーマンスだと思う。」とうまい表現をしている。

マイルスに挑戦して、ここから将来の大器を感じることができるかそれとも恋人の昔のアルバム写真としてひっそりと楽しむか…。ジャズ耳の未熟のことだからマイルスに挑戦するのはおこがましい。恋人の昔の写真としてひっそりと楽しんでいくのがふさわしいかな、僕には。

「ファースト・ジャイアント・ステップス」CD

さて、演奏曲目を見ると、スタンダードかチャーリー・パーカーものと大きく分かれる。僕は、他の連中、特にヴォーカル君などは「スタンダードでいいんじゃないの?」と思っているところに、「いやパーカーだ!」とコルトレーンが主張し、結局スタンダード4曲、パーカーも4曲に落ち着いた、しかしどうせスタンダードやるならパーカーが何度も録音している”Embraceable you”を入れようということで話がまとまったという感じを受ける。
この時代コルトレーンンもご多分に漏れずパーカーに憧れ、模倣に明け暮れていたのであろう。なおコルトレーンは全ての曲でソロを取っている。このバンドのナンバーワン・ソロイストであったことは疑いない。
1曲目の”Embraceable you”はパーカーが何度も録音しているバラード・ナンバーだ。しかしここではベニー・トーマス君のヴォーカルが入る。ヴォーカルの合間にトレーンのソロが入る。少しTpとの絡みもあるが、このTpが危なかっしい。このたどたどしい演奏をバックに何とか雰囲気を出そうとしているトーマス君がいじらしい。
2曲目”Ornithology”はズバリ、パーカーの曲。偉そうに言って申し訳ないが、「ああ素人の演奏だなぁ」という感じ。まだまだだが、やはりこのメンバーでは、トレーンが頭一つ抜けた存在だったことがよく分かる。
3曲目”Sweet Miss”は知らない曲。Tpのデクスター君が覚束ないながら頑張っている。しかし次にトレーンがソロを取ると力量の差が分かってしまう。自分も下手くそなバンドをやっていたことがあるから分かるが、バンドの中に一人だけうまい奴がいると全体を引き上げてくれて良いのだが、他の連中の至らなさがかえって目立ってしまう。これは仕方が無いことだが、至らない人間にはつらい。このつらさよく分かる。
4曲目はよく知られているスタンダード・ナンバーで1曲目以来のヴォーカル入り。ここでのトレーンのソロはちょっと覚束ない感じ。パーカー風に無理して吹いてみようとしたら失敗したという感じがする。
5曲目”Sweet Lorraine”もスタンダード・ナンバーでヴォーカル入り。
6曲目”Ko-Ko”は勿論パーカーもの。『コルトレーンを聴け!』で原田氏は、曲名こそパーカーの歴史的名演と同じだが、あのテーマ・メロディはメンバーには難しすぎたのか演奏されていないとし、この録音8曲中で断トツのベスト、コルトレーン録音史上最初の熱演と評価している。確かにたどたどしい部分はあるが力演である。
7曲目”Now the time”もパーカーものだが、ヴォーカル入り。僕の不勉強のせいかこの曲のヴォーカルものは余り聴いたことが無い。
8曲目”Hot house”は、タッド・ダメロン作のビ・バップ・ナンバー。パーカーものと言っていいであろう。

このCDのデザインは誰が行ったのであろうか?僕にはどうにも「やっこさん」をイメージしたように思えてならない。
ところでこのCDにはほかに1954年6月これもトレーンにとって憧れだったジョニー・ホッジスのバンドに加わったライヴ演奏も収録されているが、それはまた改めて取り上げよう。

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