ジャズ・ディスク・ノート

第220回2017年8月16日

トニー・スコット
「ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット」

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

8月14日、15日も僕の住む辺りはぐずついた曇り空で時たま小さな雨粒が落ちてくるという生憎の天気でした。気温は低く過ごしやすいのですが、何しろ湿度が高くて鬱陶しい日々が続いています。

特段ヒマを持て余しているわけではないのですが、以前から一度やってみたかったことに挑戦してみました。それは何かの本でかのベートーヴェンはコーヒーが大好きで、彼はコーヒーを入れる時は必ず60粒と決めていて、飲むたびに粒数を数えて、自ら豆を挽き淹れていたというのです。つまりベートーヴェンが考える最高のコーヒーは、60粒のコーヒーから抽出されるということです。
そこで先ずは60粒のコーヒー豆を数えました。それが右上の写真です。実際にやってみて初めて分かったことですが、コーヒーの粒には大小様々なサイズがあるということです。僕が買っているのが安物のせいなのでしょうか、結構大きさにバラつきがあります。

それを豆を救ってミルに入れる何というのでしょうか、柄杓の小さいもののようなものに入れてみます。それが下の写真です。かなり少ない感じです。僕はこの小さな柄杓に1杯が1人分と聞いた気がしてずーっとその分量の豆を1人分として淹れてきましたが、60粒は約半分ほどの量です。
これで大丈夫だろうか?という疑念が払いきれず豆を足し、約100粒ほどで1人分を淹れました。しかし考えてみれば人生一度くらいベートーヴェンの言う最高の方法で淹れてみた方がよかったのかもしれません。
そしてコーヒーを飲みながら考えました。僕はいつものようにペーパー・ドリップで淹れたのですが、ベートーヴェンはどういう淹れ方をしたのだろう?と。
ベートーヴェンが活躍していた19世紀初頭にペーパー・ドリップはなかったと思います。ではどういう淹れ方だったのでしょうか?そこをぜひ紹介して欲しいなぁ。

第220回 Tony Scott
“The touch of Tony Scott”

このアルバムはビル・エヴァンスが加わっていることで夙に有名なアルバムである。そのことによってトニー・スコットというクラリネット奏者を知ったという方も多いのではないだろうか?
僕の場合は、トニー・スコットというクラリネット奏者は知っておりレコードも1枚だけだが持っていた。でもこの「ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット」というアルバムを買ったのはやはりビル・エヴァンスがメンバーに加わっているからであった。
前回(第219回)書いたことだが、ビル・エヴァンスは、49年ギタリストのマンデル・ロウに見いだされ、翌50年短期だがニューヨークで活動する。その時には、マンデル・ロウやベースのレッド・ミッチェルらと共演したという。
しかし51年に徴兵され、54年1月まで兵役に就き、除隊後、ニューヨークに出、トニー・スコットのコンボなどで仕事をし、次第に新進ピアニストとして認められるようになっていく。
中山康樹氏『ビル・エヴァンスを聴け!』によればマンデル・ロウとトニー・スコットは一時期アパートをシェアし、一緒に住んでいたという。そこでマンデルがトニーに有望な新人ピアニストとしてビルを推薦したのであろうとしている。

さて今回取り上げるレコードの録音は、1956年7月2,3,5,6日に行われた。この前の録音は第190回で取り上げたジョージ・ラッセルの「ザ・ジャズワークショップ」の4曲(1956年3月録音)で、このアルバムが全曲収録する間にエヴァンスは、トニー・スコットのアルバムに参加し、自己の初リーダーアルバムもレコーディングしている。
まずこのアルバムについて一言でいえばどうか?
ビル・エヴァンスに特段興味を惹かれないジャズ・ファンなら買う必要はない。
もしビル・エヴァンスのファンなら、廉価できれいな盤が見つかったら買ってもいいかな。
ビル・エヴァンスの大ファン、マニアなら、当然買うべきでしょう。
因みに僕のは日本での再発盤で中古レコード店で980円、結構美盤です。
まずこのレコードを見て感じることは、「豪華なアルバムだなぁ」ということです。これは『エヴァンスを聴け』の中山氏も書いている。というのはこれは色々なケースで録音された音源の寄せ集めではなく、あくまでこのレコードとしてリリースするために録音されたという点である。それもカルテット、テンテットまでは分からないでもないが、フルのビッグ・バンドまで仕立てていることである。ビッグ・バンドの面子の豪華なこと!

『ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット』(RCA RGP-1056(MONO)日本盤

<Contents>

A面
 B面
1.ロック・ミー・バット・ドント・ロール・ミー(Rock me but don’t roll me)Personnel A 1.ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジー(You , You’re driving me crazy)Personnel A
2.ディープ・パープル (Deep purple)Personnel C  2.ラウンド・ミッドナイト(Round about midnight)Personnel C
3.ジターバッグ・ワルツ (The Jitterbug Waltz)Personnel B  3.ウォーキン・オン・エア(Walkin’ on air) Personnel B
4.ザ・ムーン・ウォークス (The moon walks)Personnel A  4.ポインシアナ(Poinciana)Personnel A
5.マイ・オールド・フレーム (My old flame)Personnel B  5.ヴァニラ・フロスティング・オン・ア・ビーフ・パイ (Vanilla frosting on a beef pie)Personnel C
6.イオリアン・ドリンキング・ソング (Aeolian drinking song)Personnel C  6.イエスタディズ(Yesterdays)Personnel A

<Personnel A>…トニー・スコット・オーケストラ (Tony Scott Orchestra)
1956年7月2、3日ニューヨークにて録音

Clarinet & Band leaderトニー・スコットTony Scott
Trumpetジミー・マックスウェルJimmy Maxwellジミー・ノッティンガムJimmy Nottinghamアイドリュース・スリーマンIdrees Sulieman
Tromboneジミー・クリーヴランドJimmy Clevelandアービー・グリーンUrbie Green>レックス・ピアRex Peer
Bass Tromboneバート・ヴァルセロナBart Varselona
Alto saxジジ・グライスGigi Gryceサム・マロウィッツSam Marowitz
Tenor saxセルダン・パウェルSeldan Powellズート・シムスZoot Sims
Baritone saxダニー・バンクDanny Bank
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Guitarマンデル・ロウMundell Lowe
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Bassミルト・ヒントンMilt Hinton
Drumsオシー・ジョンソンOsie Johnson

<Personnel B>…トニー・スコット・テンテット (Tony Scott Tentette)
1956年7月5日ニューヨークにて録音

Osie Johnson
Clarinet & Band leaderトニー・スコットTony Scott
Trumpetジョン・キャリシJohn Carisiジョー・ワイルダーJoe Wilder
Tromboneジミー・クリーヴランドJimmy Clevelandアービー・グリーンUrbie Green
Baritone saxダニー・バンクDanny Bank
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Guitarバリー・ガルブレイスBarry Galbraith
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Bassミルト・ヒントンMilt Hinton
Drumsオシー・ジョンソン

<Personnel C>…トニー・スコット・カルテット (Tony Scott Quartet)
1956年7月6日ニューヨークにて録音

Clarinet & Band leaderトニー・スコットTony Scott
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Bassレス・グリネイジLes Grinage
Drumsレニー・マクブラウンLennie McBrowne

このレコードは、最近ではビル・エヴァンスが参加したアルバムとして知られるのがほとんどで、トニー・スコットというミュージシャンの作品として純粋に評価されるということはまずないように思う。僕は折角高いお金(それほど高価でもないか)を出して買ったのだから、1枚のジャズ・レコードとして味わう、そしてピアニストには気を付けるということで聴いていこうと思う。
僕が50年代、もうすでにモダン・ジャズ時代に突入した1956年に吹き込まれたこのレコードを購入して最初に感じたことは、トニー・スコットは現代の(当時として)ベニー・グッドマンになりたいのではないかなということだった。そしてそれにヴィクターも載ったということであろう。そうでもなければ先ほども書いたが、この豪華なアルバムは絶対成立しないと思う。そして当然のことながら、ビッグ・バンド、コンボの曲を収録順ではなく、まぶしているということは、こういう順で聴いてほしい、こういう順で聴くと良いですよ、という主張であろう。
ということで順番に聴いていこう。

A-1ロック・ミー・バット・ドント・ロール・ミー

予想通りつかみの1曲目はビッグ・バンドによる派手なナンバー。スコット自身の作という。中山氏曰く「完全に場末のキャバレー・ミュージック、クラの猥雑な音色がまたよく合っているから怖い」。
ド派手なTpの咆哮に始まり、懐かしきジャングル・スタイルのアンサンブルをバックにスコットも負けじと下品にしゃくりあげる。ブルース・ナンバーであろうが、どちらと言えば「ロックン・ロール」と言っていいような作品。

A-2ディープ・パープル

正に一転して格調高いカルテットでの演奏。中山氏『エヴァンスを聴け!』では、「午後のティールームを思わせる格調高いBGM風」というが、まさにそんな感じだ。特にどうということも無いがエヴァンスのプレイはよく聴こえる。

A-3ジターバッグ・ワルツ

そしてテンテットによる演奏が続く。これはファッツ・ウォーラーの名作で曲自体は古めのナンバー。レコード解説に拠るとこういう軽快なプレイこそがスコットの持ち味だという。

A-4ザ・ムーン・ウォークス

「ムーン・ウォーク」と言ってもマイケル・ジャクソンではない。ビッグ・バンドの作品。後半アレンジがクラシックの協奏曲風になってくる。こういうところが白人バンドらしい。

A-5マイ・オールド・フレーム

これはスタンダード・ナンバー。スコットが美しくメロディーを歌いあげ、ソロも曲調に沿ったリリカルなプレイが素晴らしい。

A-6イオリアン・ドリンキング・ソング

カルテットの演奏で、このレコード白眉で最も傑出したプレイが堪能できる。
冒頭からスコットの情熱的なソロがドラムと絡みながら始まる。次いでエヴァンスを始めとするリズムが絡んでくる。そしてスコットとエヴァンスの絡みというよりはバトルのようなソロが展開され、エヴァンスのソロに引き継がれる。
このエヴァンスのソロが特筆ものである。レコード解説の佐藤秀樹氏は「曲全体の雰囲気をつかんだ見事な表現」とし、前出中山氏は「ハードボイルドなタッチが瑞々しくも頼もしい」とする。確かにあまりエヴァンスらしくない中音域を多用した極めてハードな演奏に目を見開かせられる。
ベース、ドラムも熱演である。エンディングがいかにも尻切れトンボ風なのが残念!

B-1ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジー

B面もビッグ・バンドの演奏でスタートする。A面と趣向を替え古き良きスイング時代を思い出させるようなナンバー。スコットもBG風に気持ちよく吹いている。

B-2ラウンド・ミッドナイト

一転してセロニアス・モンクの不朽の名作を取り上げている。かの有名なマイルス盤はこの後1956年10月なのでそれ以前からこの曲に注目していたことになる。この曲のカバーは1000曲を超えるそうで、スコットの演奏はかなり初期の一作と言える。
スコットはカルテット演奏でエヴァンスのピアノをバックに、実にゆったりとしんみりと吹き込んでいく。

B-3ウォーキン・オン・エア

テンテットによる吹込み。しかしよく見るとこのテンテットは、ホーンがダニー・バンクのバリトン・サックスのみと変わっているし、ビッグ・バンドとはTpを総入れ替えするなど(ビッグ・バンドのメンバーは単に都合がつかなかっただけかもしれないが)いろいろ趣向があるようだが、その辺りのコメントはレコード解説にもない。

B-4ポインシアナ

B-1とこちらはハープシコードを加えているので、サウンド的に豪華さが増している。佐藤氏はアレンジが面白くクールな感じがよいとしている。この曲はアーマッド・ジャマルのピアノで大ヒットした。ジャマルは1955年に一度吹き込み、二度目の1958年のものがヒットした。この録音はその間になされたことになる。

B-5ヴァニラ・フロスティング・オン・ア・ビーフ・パイ

スコットの自作。カルテットによる演奏でエヴァンスのソロもメロディアスで聴き応えがある。>

B-6イエスタディズ

ジェローム・カーンの名作、スタンダード・ナンバー。クラシック風のアレンジによるテーマの後で、4ビートによるスコットのソロとなり、映画の主題歌のような劇的なエンディングを迎える。

全体的には、レコード会社ヴィクターもスコット本人も力を籠め、工夫して制作されたアルバムであることが分かる。しかし聴き終わって最も印象に残るのはA-6におけるエヴァンスのソロである。やはり気付かないうちにエヴァンスを追って聴いているのだろうか。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第219回2017年8月13日

マンデル・ロウ 
ザ・マンデル・ロウ・カルテット

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今日(8月13日)はお盆の入り。僕の勤め先もお休みの形式は、夏休みではなく「お盆休み」なのでもう少し休みが続きます。と言っても16日(水)までで、その後はまた通常のサラリーマン生活に戻ります。
前回も同じことを書いたような気がしますが、まだ梅雨のようなぐずついた天気が続いています。
以前は我々一家も頑張って僕かカミサンの実家に行き、お墓参りなどをしたものですが、何せ交通渋滞が余りにも激しくこの時期に長距離を移動するのは諦めてしましました。それで普段にはないのんびりとした生活を楽しもうと思うのですが、なぜかいろいろとヤボ用が発生してなかなか果たせません。

休みに入った8月11日久しぶりに相模原市橋本近くのラーメン店「太尊」に行きました。八王子系ラーメンと言われるタイプらしく、長ネギではなく玉ねぎのみじん切りが載っています。
写真はチャーシュウ麺大盛り¥750です。何てコストパフォーマンスが良いんでしょう。ここのラーメンのスープは独特でしばらくするとまた食べたくなるという優れものです。




第219回 Mundell Lowe
“The Mundell Lowe Quartet”

ジャズを年代順に聴いていく(僕の持っている音源の範囲で)。そして僕の最大のアイドルマイルス、コルトレーン、ビル・エヴァンスについては年1度は取り上げるというのが拙HPの掟である。いつもはマイルス⇒トレーン⇒エヴァンスという順なので、今年は逆にエヴァンス⇒トレーン⇒マイルスにしようと思う。ということで今回はエヴァンス。 エヴァンス自身の続きに取り組む前にちょっと番外編である。

マンデル・ロウ

今回取り上げるマンデル・ロウは、21歳のビル・エヴァンスをニューヨークへ、ジャズの世界へと導いた人物として知られる。ロウは1949年の夏、サウス・イースタン大学に在学中でプロとしても活動していたエヴァンスを聴き感銘を受け、ニューヨークへ出て近く結成する自分のグループへの参加を要請するのである。エヴァンスは一時的な仕事としてその誘いに応じニューヨークへと登る。
そして1950年ロウとエヴァンスはニューヨークのカフェ・ソサエティで落ち合い、結果的に短期間に終わるものトリオを結成する。トリオのもう一人はベースのレッド・ミッチェルで、このトリオには非常に興味を引かれるがレコーディングなどは行われなかった。このトリオがどのようなコンセプトを持ったものかはよく分かっていないが、約2週間のツアーを終えた後、以後のスケジュールを埋めることができなかった。つまり仕事の声がかからなかったのである。このことについてロウ自身は「私たちの演奏は知的かつ高尚過ぎた」と述べているそうだが、中山康樹氏によれば、あながちジョークとも思えないという。ともかく1950年当時のジャズ・ファンの耳には奇異に聴こえたのだろうという。
その後エヴァンスはフリー・ミュージシャンとしてニューヨークにとどまり、結婚式やパーティーなどでの演奏で糊口を凌ぐ。そしてテナー・サックスの新人賞を取りながらバップを理解できない奴と痛烈な批判を油井正一氏に浴びせかけられることになるハービー・フィールズのバンドに参加し、全国をツアーしている最中の1950年の後半に徴兵礼状が届きエヴァンスは、入隊を余儀なくされる。
1954年1月除隊したエヴァンスは、故郷のニュージャージー州プレインフィールドに戻り、約1年間を本人曰く何もせずに過ごすのである。そして翌1955年エヴァンスは意を決してニューヨークに向かう。そしてジェリー・ウォルドや歌手ルーシー・リード、ギタリストのディック・ガルシアとの録音に参加し日銭を稼ぐのである。
エヴァンスはニューヨークでの唯一の知人ともいえるマンデル・ロウの後見によって飛び込みの仕事をこなす。一方ロウはリヴァーサイドと契約を結び数枚のレコードを録音していた。その関係からロウはエヴァンスをリヴァーサイド。レコードに紹介するのである。
そんな関係であったマンデル・ロウは自身のアルバムにおいてビル・エヴァンスとは一度も共演を果たしていない。なぜなのであろうか?その才能は認めるが芸風が違うと思っていたのだろうか?それなら「カフェ・ソサエティ」で共演はしないだろう。エヴァンスの才能を認め共演して出来上がる音楽は知的かつ高尚なものになり、「売れるもの」にはならないということだったのかもしれない。
エヴァンスが、まともなジャズのレコーディングに初参加したのは前回取り上げたジョージ・ラッセルの「ザ・ジャズ・ワークショップ」で、これは1956年3月31日からレコーディングを開始している。これはその約7か月前に録音されたマンデル・ロウが契約先のリヴァーサイドに録音したものである。

ディック・ハイマン

ということを書いていくと「やはり、エヴァンス絡みでこのレコードを買ったのだな」と思われるかもしれない。もちろんそれはある。しかしもう一つ別の理由もあるのだ。それはピアニストというかオルガン奏者としてというか現代なら差し詰め“キーボード奏者”ということでメンバーに加わっている「ディック・ハイマン」の存在である。
「ディック・ハイマン」と言っても若い方にはピンと来ないかもしれない。などと偉そうにしてみたものの僕もそれほどはよく知らない。そこで以下僕の「ディック・ハイマン」エピソードをご紹介しておこう。
このレコードは高校の修学旅行の際に京都で買ったものだ。もう45年以上前にもなる。当時は「アイシャム・ジョーンズ」も「ラスティ・デドリック」も全く知らなかった。まぁ現在もあまりよく知らないが。ではなぜ買ったか?何となく古めかしかったからである。「アイシャム・ジョーンズ」なんて古めかしい名前だと思いませんか?
そうして田舎の仙台に持ち帰り、聴いてみて驚いた。実に現代的な演奏なのである。素晴らしいプレイの連続だが僕が最も気に入ったのがピアノのディック・ハイマンであった。実に洒脱なのである。僕はこのレコードしか持っていないのに、当時からしばらくの間「好きなピアニストは?」と問われると生意気にも「ディック・ハイマン」と答えていたものだ。
ところが問題はその後で、そんなことから彼のレコードを探すのだが見つからないのである。しばらくジャズから離れてそして戻ってからも探したのだが、見つからない。やっと3、4年前くらいに2枚見つけ少々高いと思ったが、購入した。輸入盤である。
しかしこれがつまらないのだ。どういうことだ?ディック・ハイマンとは一体どんなピアニストなのだ?
そんな中で見つけたのが、このアルバムだ。少々興味があった「マンデル・ロウ」そのアルバムに「ディック・ハイマン」が加わっている。これは買うしかないでしょう。

ということで今回は、『ビル・エヴァンス』を見出し、一時期コンボを組むもレコーディングはついぞ行わなかった「マンデル・ロウ」とかつてのたり庵が一番好きだったピアニスト「ディック・ハイマン」の共演盤を取り上げよう。

『マンデル・ロウ・カルテット』(The Mundell Lowe Quartet)日本盤 SMJ-6089M

<Personnel>…ザ・マンデル・ロウ・カルテット (The Mundell Lowe Quartet)

Guitar & Band leaderマンデル・ロウMundell Lowe
Piano , organ & Celestaディック・ハイマンDick Hyman
Bassトリガー・アルパートTrigger Alpert
Drumsエド・ショウネシーEd Shaugnessy

<Contents>…1955年8月27日、10月4日ニューヨークにて録音

A面
B面
1.ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン (Will you still be mine) 1.イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー (Yes , sir , that’s my baby)
2.アイ・ゲス・アイル・ハヴ・トゥ・チェンジ・マイ・プラン (I guess I’ll have to change my plan) 2.ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・ディ (The night we called it a day)
3.アイル・ネヴァー・ビー・ザ・セイム (I’ll never be the same) 3.バッハ・リヴィジテッド (Bach revisited)
4.オール・オブ・ユー (All of you) 4.チーク・トゥ・チーク (Cheek to cheek)
5.ファー・フロム・ヴァニラ (Far from vanilla)

僕の持っているレコードはもちろん日本盤で帯が付いている。帯の裏面には、レコード解説を担当されている佐藤秀樹氏のものと思われる一口コメントが載っている。ちょっと抜粋すると、「チャーリー・クリスチャン系のよく歌うギタリストとして、タル・ファーロウやバーニー・ケッセルと並ぶ実力を持ちながら、その地味な持ち味からかわが国ではほとんど紹介されることも無く”幻のギタリスト”的存在であった白人ギタリスト、マンデル・ロウの代表作〜」と。
僕はロウの作品をもう1枚しか持っていないので本作が代表作かどうかは判断できないが、ロウの紹介文としては必要にして十分な記述であろう。
さてその代表作と言われる本作はどうであろうか?正直言って、一言でいうと「あまり良くない」。何が良くないのか?ハイマンである。何故かオルガンを多用するがこれが全く合わないのだ。ギターとオルガンというとウェス・モンゴメリーとジミー・スミスのコラボなどを思い出すが、彼ら黒人で思い切りブルージーなグルーヴを創り出していたのに対してこちらはちぐはぐな感じがしてしまう。
具体的に曲を聴いていこう。

A面1.ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン

ピアノ弾き語りそして作曲家としても有名なマット・デニスの作。この曲は第1回で取り上げたマイルス・ディヴィスの「ミュージングス・オブ・マイルス・ディヴィス」でも冒頭で奏されていた。マイルス盤ではイントロなしいきなりテーマから入り、マイルスがテーマを吹き、そのままソロへと突入するが、こちらはテーマにゴテゴテとしたスイング初期のようなアレンジが施されている。
テーマの後にロウのソロが入る。これはフレーズもあり良いソロと思う。ハイマンもバッキングをピアノで行っていてよい感じである。しかし続いてソロを取るハイマンがオルガンで出てくるとこれがどうもいけない。

A面2.アイ・ゲス・アイル・ハヴ・トゥ・チェンジ・マイ・プラン

アーサー・シュワルツが作曲したという美しいバラード・ナンバー。ロウのソロは音圧は低いがメロディー・ラインもあり良いソロと思うが、続くハイマンがここでもオルガンでソロを取っており、これがどうもいただけない。

A面3.アイル・ネヴァー・ビー・ザ・セイム

マティ・マルネックとフランク・シニョレリの合作でビリー・ホリディのヴォーカル・ナンバーも有名だというこちらもバラード・ナンバー。ロウの抒情的なソロが印象的だ。ハイマンがピアノで通すので安心して聴ける。

A面4.オール・オブ・ユー

映画『絹の靴下』に挿入されたコール・ポーターの曲。ビリー・ホリディほか多くの歌手が取り上げている。こちらはハイマンが途中までオルガンでバッキングを取り、なぜか一時ピアノに替え、ソロは再びオルガンで取る。

B面1.イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー

映画『この虫10万ドル』の主題歌でウォルター・ドナルドソンの作という。テーマは軽快なラテン・リズムを用い変化をつけている。リラックスしたスインギーなナンバー。

B面2.ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・ディ

これもマット・デニスの作。ジューン・クリスティのヴォーカルで以前紹介したことがある。ハイマンはチェレスタを弾いているという。

B面3.バッハ・リヴィジテッド

ロウとディック・ガルシアというギター奏者の共作という。ディック・ガルシアは自身のアルバムでピアノにビル・エヴァンスを起用したことがあるので、ロウとは旧知の間柄だったのであろう。
曲はバッハのフーガ形式を借りた作品でこういう作品は白人ならではのものであろう。ユーモア路線を狙った選曲かもしれない。

B面4.チーク・トゥ・チーク

アーヴィング・バーリンの作で著名な作品でフレッド・アステアのヴォーカルで大ヒットした。以前ベニー・グッドマンなどで紹介したことがある。

B面5.ファー・フロム・ヴァニラ

ロウの自作で野心的な作品。スローとアップのテンポが入り混じるテーマの展開も異色。エコーをかけたロウのギターが古めかしい。ここでハイマンはピアノでソロを取りはじめる。この人はやはりピアノの方がよいなぁと思っているとすぐにオルガンに移ってソロを取る。がっかりです。

今回はビル・エヴァンスの派生版としてマンデル・ロウを取りげた。1950年に組んだロウ、エヴァンス、ミッチェルのトリオ、自ら「知的かつ高尚過ぎた」と述べるトリオは一体どんな演奏をしたのだろう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第218回2017年8月11日

ストライド奏法ピアノ入門 第3回
ジェイムス・P・ジョンソン 入門 その3

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


とんでもなく暑い日が来たかと思えばぐっと涼しくなり、台風が来て大気の状態が不安定となって大雨となったり、台風一過、倒れそうになるくらい蒸し暑くなったりと、天候不順が続いています。そして8月10日からはまたもや梅雨を思わせるようなぐずついた天気です。

テニス 錦織選手に思うこと

8月10日(木)から休暇を取ったので、8月9日から10日にかけて、カナダで行われている「ロジャーズ・カップ」(ATPマスターズ)をテレビ観戦しました。僕が見たのは第1セットの終わりタイ・ブレイクからです。
このタイ・ブレイクは相手のミスにも助けられ奪取することが出来ました。相手は強者モンフィスですが、これまで接戦をしながらも3戦3勝を上げている相手です。戦い方は分かっているはずです。第2セットでは、先に相手のサーヴをブレイクして5−2とリードします。そしてマッチポイントも握ります。しかしこれを決めれば勝ちというポイントをことごとく凡ミスで落としていきます。こんなプロ選手見たことがありません。まるで勝ちたくないと言わんばかりです。
僕はこの先どうなるか見たくなくテレビを消して寝てしまいました。
第3セットもタイブレイクの接戦だったのには驚きました。もっと簡単に敗れているかと思ったのです。しかし試合評を見ると、ここでもタイ・ブレイク6−2から逆転で敗れたようです。信じられません。一時タイ・ブレイクの勝率1位を誇った錦織選手です。

はっきり言って最近の彼はおかしいです。まるで「俺は勝ちたくないんだ」と言わんばかりの凡ミスを犯します。集中力が途切れるのです。一体何があったのでしょう?
プライヴェートをいろいろ週刊誌に書かれているようですが、今の彼には、全く輝くものを、心ときめかせるものを感じません。もう応援するのが嫌になりました。

第218回Study in Stride Piano Vol.3
James P Johnson vol.3

ストライド奏法ピアノ、ジェイムズ・P・ジョンソンについては、第162、163回で取り上げたので、またかと思われる方もいると思うでちょっと事情を説明しよう。
下名のたり庵は、8月9日から勤務先の夏休みに合わせて休暇を取ることにした。特段することもないので、すこしレコードの整理をしようと思ったら、何とこのレコードが出てきた。そうだ、持っていたのだ。なんか第163回で取り上げたファッツ・ウォーラーの追悼を含む1944年の吹込みの他に何か持っていたような記憶があったのだ。でも特段探しはしなかった。そうしたら1928年を終わりにしようとしていた矢先に出てきたのだ。「オイラを忘れちゃ駄目だぜ!」とジェイムズが言っている。
要らない説明だったが、そんな事情で今回は「ジェームズ・P・ジョンソン」の第3回目、1927年までの録音を聴いていこう。
なおこのレコードには、「ジェイムズ・P・ジョンソン・アンド・オーケストラ」と称する7重奏団の1939年の録音も収録されているが、それは後日改めて紹介しよう。

「ストライド・ピアノの父/ジェイムズ・P・ジョンソン」レコード・ジャケット

「ストライド・ピアノの父/ジェイムズ・P・ジョンソン」 CBS 20AP 1474

今回取り上げるのは全てジョンソンによるピアノ・ソロである。

<Personnel>

ジェイムズ・P・ジョンソンピアノ・ソロPiano solo

<Contents>

A面
B面
1.イフ・ドリームス・カム・トゥルー (If dreams come true) 1.リドでスイング (Swingin' at the Lido)
2.ファシネイション (Fascination) 2.ハヴィン・ア・ボール (Havin' a ball)
3.ロンサム・リヴェリー (Lonesome revere) 3.ハングリー・ブルース (Hungry blues)
4.ミュール・ウォーク (The mule walk) 4.オールド・ファッションド・ラヴ (Old-fashoned love)
5.ブルーベリー・ライム (Blueberry rhyme) 5.メモリーズ・オブ・ユー (Memories of you)
6.スノウィ・モーニング・ブルース (Snowy morning blues) 6.ウォリード・アンド・ロンサム・ブルース (Worried and lonesome blues)
7.オール・ザット・アイ・ハッド・イズ・ゴーン (All that I had is gone) 7.ウィーピング・ブルース (Weeping blues)
8.ハウ・くド・アイ・ビー・ブルー (How could I be blue ?) 8.キャロライナ・シャウト (Caroline shout)

収録は年代順ではない。最も古い1921年の録音「キャロライナ・シャウト」が最後に収録されている。この曲については第162回に詳述したので、また新たに発見したことも無いので今回は触れないことにする。
録音順に次に来るのは、B-7[ウィーピング・ブルース]とB-6[ウォリード・アンド・ロンサム・ブルース]で、1923年6月18日の録音である。
B-6、B-7ともブルースであるが、前回はシカゴの強烈なブギー・ウギーを取り上げたので、比べて聴いてみるとこちらはやはりちょっとクラシックぽいというかラグタイムの香りがする。

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第6巻 クラシック・ジャズ・ピアノの精髄」レコード2枚組

少し後の7月25日録音の2曲がRCA「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第6巻 クラシック・ジャズ・ピアノの精髄」に収録されており、第162回で取りあげた。

年代的に次の録音は約4年後1927年2月25日にこれもニューヨークで行われたA-6[スノウィ・モーニング・ブルース]A-7[オール・ザット・アイ・ハッド・イズ・ゴーン]の2曲である。
A-6は楽し気なメロディーの曲である。タイトルに「ブルース」と付いてはいるが多分ブルースではない。A-7はタイトルに「ブルース」と付いてはブルースと思われる作品である。こちらも何となく楽し気な演奏だ。

たまたま前回、今回とピアノ・ソロの演奏を取り上げることになった。前回シカゴのブギー・ウギーはコテコテの黒人の血を感じるブルースであるのに対してニューヨークのこちらはぐっと洗練されている感じがする。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第217回2017年8月6日

ブギ・ウギ―入門 第1回 1928年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今日8月6日は蒸し暑い日でした。僕の住む辺りはこの夏一番の暑さを記録したところが多かったようです。この暑さで熱中症に対する注意が呼びかけられています。そんなことで僕も夕方17時過ぎ、少し涼しくなったころ散歩に出かけました。左は夕方の森の様子です。かなり暗くなっています。

この夏本番の今は、夏祭りも各所で開催されています。僕達夫婦も娘夫婦と孫と近くのお祭りに出かけました。賑やかに盛り上がっている夏祭りの頭上には、月が煌々と照っていました。夜風は涼しくとても良い気分で娘たちと別れたのはいいですが、ちょっと飲み足りない感じがした呑兵衛夫婦は、帰りに行きつけのお寿司屋さんにより痛飲してしまったのでありました。

ところで今日は早く起きて散歩する予定でしたが、朝起きて新聞を見るとBS放送でテニス「シティ・オープン」の準決勝、錦織選手対ズべレフ選手の中継があるということを知り見てしまいました。
結果は錦織選手3-6、4-6のストレート負け。ズべレフ選手は20歳の伸び盛りの若手、まったく競り合ったところもなく一方的にやられた敗戦です。2年ぶりの優勝を期待していたのにがっかりです。
まぁ次のロジャーズ・カップに期待しましょう。ロジャーズ・カップには杉田祐一選手も出場いきなり第9シードのゴファンと当たるようですが、善戦を期待しましょう。

第217回 The way to Boogie Woogie

ブギー・ウギー物語

「東京ブギ・ウギ、リズムウキウキ」のブギー・ウギーである。「東京ブギ・ウギ」は、笠置シヅ子さんが歌ってレコードが1948年発売され、大ヒットとなったことは皆さんご承知の通りです。えっ!そんな歳ではない?失礼しました。ワタクシのたり庵もまだ生まれていません。
さてこの日本でも有名な「ブギ・ウギー」の誕生物語については油井正一氏が『生きているジャズ史』に書いている。それによると1920年前後、アメリカの産業構造が変わりというか軍港都市ニューオリンズでの規制強化によって、シカゴに大量の黒人たちが移住して行く。このことはニューオリンズ・ジャズに関してキング・オリヴァーやルイ・アームストロングに関連して何度も触れてきた。
人種的に差別されている黒人は、シカゴに来ても決められた黒人居住地区に住むことが決められていた。一定区域に住む住民が増えれば、「需要供給の法則」に基づき、貸家の家賃はどんどん値上がりしていく。そしてとうとう、収入に比して家賃の占める割合が増えて行き、普通の労働賃金だけでは、家賃が支払えないほどになる。そこでサウス・サイドの黒人たちは、家賃パーティー(ハウス・レント・パーティー)というものを開きいくばくかの利益を得、家賃を支払うということを頻繁に行うようになったという。入場料は当時のお金で50セント、これは主催者側の収入、お客はそれぞれサンドイッチなどの食べ物、ジンなどのアルコール飲料を持参し夜中騒ぎ散らかすという寸法です。

ジミー・ヤンシー

このパーティーに入場も払わず、食べ物も飲み物も持って来ないくせに歓迎される客がいた。その名はジミー・ヤンシー。彼は不思議なスタイルのピアノを弾いたのだが、当時そのスタイルに名前はなかった。これがのちに「ブギ・ウギ―」として全世界に知られるようになったスタイルであるという。
ヤンシーは、子供のころからヴォードヴィルで歌ったり、タップを踊ったりしていた寄席芸人でしたが、25歳の時(『ジャズ人名事典』では31歳)芸人家業を辞め、地元野球チームであるホワイト・ソックスのグランド・キーパーをして亡くなるまでの30年間を過ごした。彼の妻はエステラ・ママ・ヤンシーと呼ばれるブルース・シンガーで勤務の余暇に頼まれれば、夫婦でブルース演奏をした。一生のうち一度としてコンサートのステージを踏むことなく一労働者としての生活を過ごしたヤンシーは、自宅にピアノを持っていなかった。さらにピアノは全くの独学でレッスンさえ受けたことが無かったと油井氏は書いているが、実際はそうではなかった。
彼は、48年ニューヨークのカーネギー・ホールにも出演している。これを油井氏が知らないはずはなく、どうも油井氏の記述を見ると「ヤンシー=美しきアマチュア精神」ということしたいような意図が感じられる。そもそもなぜヤンシーから「ブギ・ウギー物語」を始めたのか?

パイントップ・スミス

パイントップ・スミスは1904年生まれであるので、ヤンシーよりも10歳若い。小さい時から芸人の素質があり、ピアノもうまかったと油井氏は書き出している。続けて彼は利口な男なのでピアノだけでは食えないことを知り、コメディアンとしても修業を積み、シカゴに流れてきたいう。
彼のピアノの才能はレコード会社も認めるところとなり、1928年の暮れに2曲、明けて29年春に6曲吹き込んだ。この吹込みで彼はタイトルに「ブギー・ウギー」と名付け、歌詞にも「ブギー・ウギー」と歌い込んだ。これがこのスタイルを「ブギー・ウギー」と名付けた最初とされていると油井氏は書いている。
そして2回目の録音が終わって間もなく1928年(1929年の間違いであろう)3月14日突然不幸な死を遂げた。享年25歳、後には未亡人と二人の子供が残されたという。

油井氏の『生きているジャズ史』を読むとジミー・ヤンシーをブギ・ウギー・ピアノの創始者に仕立て上げたいという意図がうかがわれる。ヤンシー自身のレコードというのもあるのだが録音は意外と後になってからのものである。 ヤンシーはプロの音楽家として活動していない時期が長かったため、レコーディングが遅れたということも考えられるが。
しかし後にブギ・ウギー・ピアノの大スターとなるミード・ルクス・ルイスが「ヤンシー・スペシャル」なる曲を作り吹き込んでいることから、ピアノ仲間からは尊敬される存在ではあったのであろう。ともかく僕が持っているブギ・ウギーの録音で最も古い1928年の録音から今回は聴いていこう。

『The Boogie Woogie masters』輸入盤 AFS 1005 (made in United Kingdom)

<Contents>…1928年7月16日 シカゴにて録音

A面1.カウ・カウ・ブルースCow cow blues
A面2.ステイト・ストリート・ジャイヴState street jive

<Personnel>

Piano & Speechチャールズ・“カウ・カウ”・ダヴェンポートCharles “Cow cow” Davenport
Speech(A-2 only)アイヴィー・スミスIvy Smith

多分最も古い「ブギー・ウギー」スタイル・ピアノの録音の一つであろう。しかし次に取り上げる「パイン・トップス・ブギー・ウギ―」が出る前だったので「ブギー・ウギー」とは呼ばれなかったのかもしれないが、完全に「ブギー・ウギー」スタイルである。では、「ブギー・ウギー」スタイルとはどういうものかということになるが、これは次回の「ブギー・ウギー入門」の時に考えてみたい。
「ステイト・ストリート・ジャイヴ」において、レコード裏面にはアイヴィー・スミスという女性が「スピーチ」となっているが、一種の煽りのような「しゃべり」である。またダヴェンポートにも「ピアノ&スピーチ」と記載されているので、そう記したがどうもダヴェンポートのものらしき声は聴こえない。
リズム―ウキウキ、ココローわくわくのブギーである。そしてよく聴くとどことなくラグタイム風なところもあるのが面白い。

<Contents>…1928年12月29日 シカゴにて録音

A面3.パイン・トップス・ブルースPine top’s blues
A面4.パイン・トップス・ブギ・ウギ―Pine top’s boogie woogie

<Personnel>

Piano & Vocalクラレンス・パイントップ・スミスClarence “Pine top” Smith

これぞまさしく「ブギー・ウギー」の名が付いた初録音である。A-3[パイン・トップス・ブルース]は、ピアノ弾き語りブルースであるが、そのピアノが「ブギー・ウギー」なのである。A-4[パイン・トップス・ブギ・ウギ―]は完全コテコテのブギー・ウギーで、スミスは歌うというよりは語り風で何度も「ブギー・ウギー」という言葉を発している。

「ブギー・ウギー」誕生の録音である。しかしもし現在「ブギー・ウギー」を演奏するとしたら、これらとそれほど変わらないものになるのではないかと思う。つまり単純だが完成されたスタイルなのだと思う。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第216回2017年8月3日

レッド・ニコルス 入門第2回 1928年
「レッド・ニコルス物語/レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ」

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
大分前に梅雨明けの発表が済んでから、ここのところ梅雨本番のようなジメジメとした天気が続いています。それでも勤務先近くの昼の時間自動車が通行止めになるこの道にはテーブル、椅子が運び出され、ランチを楽しむ人々がたくさん見受けられます。
これは勤務先の近くですが、住居の当たりは雷が鳴り、ドシャ降りの雨だったそうです。最近ちょっと距離が離れると全く違う気象状況になっていて驚くことが多いです。

訃報…ジャンヌ・モロー

フランスを代表する女優ジャンヌ・モローさんが7月31日に亡くなられたという訃報を新聞で知りました。僕は映画は好きですが、それほど見る方でもなく特にジャンヌ・モローのファンというわけでもありません。僕が見た彼女の出演作ではっきり覚えているのは、マイルス・ディヴィスが音楽を担当した『死刑台のエレベーター』ぐらいです。でもジャズ・ファンの多くは僕と同じように、マイルスの映画音楽⇒『死刑台のエレベーター』⇒若く美しいジャンヌ・モローという風に彼女を知ったのではないでしょうか?
僕は彼女の訃報を朝日新聞で知ったのですが、そこで使われている写真は割と最近のものと思われるものです。他紙を見ても大体同じような感じです。正直オバアサンだなぁと。右はマイルスの『死刑台のエレベーター』のCDジャケットです。ここには若くて美しいジャンヌがいます。
久しぶりで、哀悼の意を込めこのCDを聴きました。マイルスのトランペットは哀愁を含み、彼女を送るのにふさわしいように思いました。合掌!

第216回 Red Nichols Vol.2 1928
“The Red Nichols story / Red Nchols and his five pennies”

『レッド・ニコルス物語』(The Red Nichols story) MCA-3012

レッド・ニコルスの1928年の録音を聴いていこう。レッド・ニコルスおよびファイヴ・ぺニーズについては前回(第188回)で少々詳しく書いた。
固定的なバンドでもない「レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ」を律儀に年代を追って取り上げなくてもいいのではないかとも思えるが、やはり年代順に聴いていこうと決めたからには愚直に従っていこうと思う。その割に年代順でなかったりするのは、僕が忘れたりしているからである。自分ながら情けない。

僕の持っているレッド・ニコルス名義のレコードはこの1枚だけ。収録されているのは、1926年から1930年に至る4年間、12曲で曲順は録音順ではない。ということは12インチアルバムに編集するときに曲順を並べ替えているということである。こういう場合A面1曲目にはキャッチ―な演奏を収録するのが普通である。ということは編集者はこの2曲をキャッチ―なナンバーと考えていたと思われる。その冒頭の2曲が1928年の録音である。

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

Cornet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Tromboneミフ・モールMiff Mole
Clarinetピー・ウィー・ラッセルPee Wee Russell
Clarinet and Alto saxファド・リヴィングストンFud Livingstone
Mellophoneダドリー・フォスディックDudley Fosdick
Piano & Celestaレニー・ヘイトンLennie Hayton
Guitarカール・クレスCarl Kress
Drumsヴィック・バートンVic Berton

A-2[アヴァロン]…1928年2月25日 ニューヨークにて録音

解説の大和明氏は当時としては異色の楽器編成というが、現在でも十分に珍しい編成である。チェレスタは勿論エンディング直前に吹かれるメロフォーンのソロは大変珍しいという。実際僕は初めて聴いた。大和明氏によれば、奏者のフォスディックはこの楽器のパイオニアであるという。
アンサンブルの後ラッセルかリヴィングストンのCl、モールのTbと聴き応えのあるソロが続き、チェレスタの後に件のメロフォンの短いソロが入る。僕はずーっとニコルスのコルネットとばかり思っていた。

A-1[恋人が無いとね]…1928年2月27日 ニューヨークにて録音

初期白人ジャズバンドN.O.R.K.(ニュー・オリンズ・リズム・キングス)のレパートリーだという。大和氏によれば、ファド・リヴィングストンが非常に良いアンサンブル・アレンジを施すことにより洗練された色彩豊かな演奏に仕立て上げているという。フランク・テッシュメーカー張りのリヴィングストンのClソロと多分ニコルスと思われるコルネット・ソロが聴かれると大和氏。

今回は1928年の録音としてレッド・ニコルスを取り上げたが、ジャンヌ・モローは1928年の生まれであった。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第215回2017年7月30日

フレディ―・ケパード その2 1926年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

僕の住む辺りは、このところ暗い曇り空に覆われ、時々雨が落ちてくるという梅雨に逆戻りしたような鬱陶しい日々が続いています。昨日今日はそんなことで森へも出かけず写真も撮っていません。どうしようかと迷いましたが、巻頭ぐらいは明るい緑の写真がいいなと思って7月15日に撮影し前々回使用した写真の別ヴァージョンとしました。別ヴァージョンと言ってもその違いは1分間ぐらいなのでほとんど同じです。

僕のジャズ大冒険 … 北ルート 肩透かし篇

東京駅 丸の内口

前に何度か書いたことですが、僕はボーナスが出ると「自分へのご褒美」としていつもより大幅増の予算(と言っても1万円前後ですが)を握りしめレコード・ショップに出かけるのを非常な楽しみにしています。そこにこの2月から「ジャズ喫茶でいい音を聴く」、「おいしいものを食べる」という楽しみを付け加え自分だけの一大イベントしています。と言っても今回が2回目です。1回目は今年2月28日に南ルート(横浜方面)を実施し、その時のことは第195回で書いています。今回2回目は北ルートを考えました。
日取りは7月28日の金曜日、会社に半日休暇を申請し、12時少し過ぎに退社し出発です。出発は東京駅から。この日は明るい曇りで蒸し暑い日でした。

ランチは「たつみ亭」
杉並・荻窪「たつみ亭」

先ず、「北ルート」の概略です。メインは「ジャズ喫茶でいい音を聴く」は吉祥寺の「メグ」、レコード・ショップは「ディスク・ユニオン吉祥寺店」、「おいしいものを食す」は杉並・荻窪の「たつみ亭」と決めました。
先ずは腹ごしらえです。東京駅から中央線に乗り、荻窪に向かいます。荻窪と言えば、「丸福」、「春木屋」というラーメンの名店のある所で、それはそれで憧れの地でありますが、今回は洋食の「たつみ亭」としました。
なぜかというと、この後ジャズ喫茶でコーヒーを飲むので、その前の食事は「ラーメン」ではなく定食、それも肉系にしようと思ったのです。「たつみ亭」は「とんかつ」をこよなく愛するグルメ評論家の山本益博氏が、「東京で一番おいしいとんかつを出す店」としていることで有名です。氏が参加している「東京とんかつ会議」ではランキング2位という名店です。
「たつみ亭」は荻窪駅北口に出、西荻窪方面ルミネ脇を通り、線路に沿って歩いて約5分荻窪白山神社の目の前にあります。間口は狭く4人掛けテーブルが2つ、2人掛けが1つ後はカウンターという小さなお店です。
僕は13時少し過ぎに入店したのですが、平日それも昼過ぎということもありお客さんは疎らでした。

「たつみ亭」とんかつ定食

写真はランチのとんかつ定食¥1,000です。「東京とんかつ会議」では、「まずランチでとんかつ定食を食べ、気に入ればランチではないとんかつ定食を食すべし」とのことなので、今回はランチとんかつ定食を注文しました。
さすがにおいしい。写真はとんかつだけですが、これにご飯とお味噌汁がつきます。お味噌汁は「豚汁」これもうまかった。
肝心のとんかつはパリッとしていて肉は柔らかく、また脂身がおいしい。とてもおいしい。しかしこれ以上おいしいとんかつが無いかと言えばよく分かりません。よく考えてみれば僕はとんかつは好きですが、名店と言われるお店を食べ歩いたことはなく、鳴り物入りのお店を訪ねたのはこれが初めてかと思います。要は、味を云々する資格がないような気がします。

あの名店”メグ”…肩透かし
吉祥寺「メグ」

さて、本日のメーン・イベント…吉祥寺「メグ」を訪ねます。
「たつみ亭」を出た後太陽が出て、かなり暑くなってきました。真夏のこういう企画はキツイナと思いながら、JR中央線で2駅目吉祥寺に降り立ちます。吉祥寺に来たのは本当に久しぶりです。一体何年ぶりでしょうか?いろいろ思い返しても思い出せません。学生の頃体育で先行した「野球」の球場が吉祥寺からバスで行く不便なところにあり、あの頃はよく来ていたなぁなどと思いながらお店を探します。
なぜこういった散策が僕には冒険なのか?僕はとても気が小さく東京の有名店などに行くときは大変緊張します。もし入店した途端見破られ、「お前はジャズが分かっていない、帰れ!」と言って追い出されはしないだろうかと不安になるのです。この冒険はそんな僕を鍛える旅でもあるのです。
ちょっと迷い行ったり来たりしましたが、お店にたどり着きました。その結果は右写真の通りです。時間は14時10分過ぎ、13時開店の店のシャッターが閉まっています。臨時休業ということもあるので事前に、前日にネットで調べましたが、特に記載はありませんでした。翌日7月29日サイドネットで検索してみると「システム不具合でただいまお休み中」とあります。何と言ったらよいのでしょうか?そういえばお店の前に灰皿が置かれており、そこに銘柄の違うタバコの吸い殻が2つほど捨てられていました。来店してお店が空いていないことを知りしばらく待ったお客が手持ち無沙汰に吸った殻かもしれません。急な不具合だったのでしょうか?
ああ、あの寺島氏自慢の700万円もするアヴァンギャルドのスピ―カーを聴いてみたかったなぁ。
この後目玉抜きで仕方なく「ディスクユニオン」吉祥寺店に行きました。「メグ・ショック」でユニオンの写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました。なんとなく意気が上がらなかったのですが、再発盤を中心に11枚¥10,272ほど購入。これは後でまた話題としたいと思います。

一言

寺島さん!僕などはまだ首都圏に住んでいるので再訪することはそう難しいことではありませんが、地方から上京し聴きに来られる方もいらっしゃると思います。システムの不具合は分かりますが、もしそのことが原因で急遽開店することが出来なくなっても、せめてシャッターぐらいは開けて来店されたお客に事情を説明するくらいのことがあっても良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

第215回Freddy Keppard vol.2 1926

”Archives of jazz”BYG 529 075- Vol.25

前々回ジミー・ヌーンを取り上げた回において、1923年ヌーンが在籍していたドク・クックのバンドが出てきた。そしてそのバンドのあるものはすっかり忘れていたのだが、2代目ジャズ王と目されたこともあるフレディ・ケパードも在籍していたのだった。そこでふと思い出した、これまで1928年までの録音を取り上げてきているが、第144回で取り上げた1924年以降のケパードも取り上げるはずだったと。
ということで今回はケパードの1924年以降の録音を聴いてみよう。と言っても僕は音源としては、前回紹介したBYG盤しか持っていないのだが…。そしてこのレコードには、ケパードの1924年のヌーンと重なる4曲の後、1925年の録音は収録されておらず、1年飛んで1926年の録音となり、そしてこの年の録音でレコードは終わる。

「Archives of jazz /Vol.25 Freddy Keppard」レコード

<Contents> … 1926年6月26日 シカゴにて録音

A面5曲目.オールドマン・ブルースOld man blues

<Personnel> … バーミンガム・ブルーエット(Birmingham bluette)

Cornetフレディ―・ケパードFreddy Keppard
Tromboneロイ・パーマーRoy Palmer
Clarinet & Alto saxinc
Piano/td>ジミー・ブライスJimmy Blythe
Drumsジャスパー・テイラーJasper Taylor

「バーミンガム・ブルーエット」という聴いたことのない名前のバンドの録音で、元のSP盤の状態が良くないらしく音は非常に悪い。パーソネルに書かれているフランス語の“inc”の意味が分からない。”不明”ということだろうか?この“不明”のアルト・サックスが活躍するナンバーで、ここでもケパードは目立たない。

次の録音は同年同月末のジミー・ブライスのバンドに参加してのものとなる。

<Contents> … 1926年6月末 シカゴにて録音

A面6曲目.メッシン・アラウンドMessin’around take1
A面7曲目.メッシン・アラウンドMessin’around take2
B面1曲目.アダムズ・アップルAdam’s apple

<Personnel> … ジミー・ブライシズ・ラガマフィンズ(Jimmy Blythe’s ragamuffins)

Piano & band leaderジミー・ブライスJimmy Blythe
Cornetフレディ―・ケパードFreddy Keppard
Tromboneinc
Clarinetジョニー・ドッズJohnny Dodds
Drumsinc
Vocalトリキシー・スミスTrixie Smith

前々回ジミー・ヌーンの回で、クッキーズ・ジンジャースナップスが演奏していたナンバーと同タイトル。クラリネットが良い感じのソロを取る。聴いたところとしてはドッズというよりヌーンという感じがするが実際は分からない。 A-6、7はトリキシー・スミスという女性シンガーが加わった歌もの。B-1は、この人(ケパード)は本当に2代目ジャズ王と目されたことがあるのかと思わせるような実にだらしない演奏を聴かせる。ドッズの奮闘ぶりが痛々しい。

「Archives of jazz /Vol.25 Freddy Keppard」レコードA面ラベル

<Contents> … 1926年9月 シカゴにて録音

B面2曲目.ソルティー・ドックSalty dog take1
B面3曲目.ソルティー・ドックSalty dog take2
B面4曲目.トックヤード・ストラットTockyard strut

<Personnel> … フレディー・ケパードアンド・ヒズ・ジャズ・カーディナルス(Freddie Keppard and his jazz cardinals)

Cornet & band leaderフレディ―・ケパードFreddy Keppard
Tromboneエディ・ヴィンセントEddie Vincent
Clarinetジョニー・ドッズJohnny Dodds
Piano/td>アーサー・キャンベルArthur Campbell
Drums & Woodblocksジャスパー・テイラーJasper Taylor
Vocalパパ・チャーリー・ジャクソンPapa Charlie Jackson

B-2、3は歌もので、ケパードの演奏がかなりまともになる(ちょっと?という個所もあるが)。ケパード名義の録音となると、立ち直るところがこの人のパーソナリティなのかもしれない。
B-4では、ケパードがまともに吹き、ドッズの絡みも聴き応えがある。

「Archives of jazz /Vol.25 Freddy Keppard」レコードB面ラベル

<Contents> … 1926年11月 シカゴにて録音

B面5曲目.ストンプ・タイム・ブルースStomp time blues

<Personnel> … ジャスパー・テイラーズ・ステイト・ストリート・ボーイズ(Jasper Taylor’s state street boys)

Drums , Woodblocks & band leaderジャスパー・テイラーJasper Taylor
Cornetフレディ―・ケパードFreddy Keppard
Tromboneエディ・エリスEddie Ellis
Clarinetジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoタイニー・パーハムTiny Parham

ここでもケパードは好調をキープする。ブレークでの短いソロ、ドッズ、ケパード、エリスともども工夫を凝らしていることが感じられる。

この後このレコードでも前回ジミー・ヌーンと同じような不思議な現象が見られる。レコード裏面のパーソネルが正しければ、B-6、7のコルネット奏者はたぶんマニュエル・ぺレス(Manuel Perez)なる人物とincであるという。もしかするとこれはそうは言われているが実はケパードが吹いたものとして有名だったりするという仕掛けなのであろうか?それとも“inc”はケパードと推定されるのであろうか?よく分からない。ともかくB-6のコルネットのソロなどは力がこもったいいソロだと思うのであるが。ともかくご紹介だけはしよう。

<Contents> … 1926年9月 シカゴにて録音

B面6曲目.イット・マスト・ビー・ザ・ブルースIt must be the blues
B面7曲目.ナイトメアNightmare

<Personnel> … エルガーズ・クレオール・オーケストラ (Elgar’s creole orchestra)

Violin & band leaderチャールズ・エルガーCharles Elgar
Cornetマニュエル・ぺレス(多分)Manuel Perez (perhaps)inc
Tromboneinc
Clarinet & Alto saxダーネル・ハワードDarnell Howard
Saxinc
Tubaウェルマン・ブラウドWellman Braud
Piano , Banjo & Drumsinc

前回ケパードの回で紹介したように、ケパードについてはその絶頂期を捉えた録音は無いという。確かに今回はソロも聴こえるので前回よりましな演奏だと思う。でももう彼のレコードを見つけても買うことはないと思う。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第214回2017年7月23日

ジミー・ヌーン入門 その2
1927〜1928年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

毎日暑い日が続きます。今週の火曜日は土用の丑の日。丑の日と言えば「うなぎ」ということでまたまた先日伺った「八十八」の写真を掲載します。
そもそも土用の丑の日にウナギを食べるという風習はいつから始まったのでしょう。よく言われるのは江戸時代にあのエレキテルの発明で有名な平賀源内が考案したという説があります。諸説あるようですが、僕が聞いたのは、ウナギは冬を越すため脂分を蓄える初冬が旬でいわゆる脂がのっておいしい。逆に夏場は脂分が落ちて味も落ちます。そんなことは当時の江戸っ子の間では常識だったようです。つまりうなぎは冬に食べるもので夏場に食べるものではありませんでした。
そこで困るのはウナギ屋さんです。この窮状をかの天才博士平賀源内に相談したというのです。そこで源内が考え出したのが、「土用の丑の日はウナギを食べよう」キャンペーンだったというのです。
もともと当時は「うしの日」には、「う」のつくもの食べると病気にならないという迷信があったようで、その迷信と相俟って「土用の丑の日=ウナギを食べる日」ということが定着していったというのです。
恐るべし、平賀源内!このことから源内は日本初の「コピーライター」とも呼ばれるようになったといいます。確かにうまい、巧妙な仕掛けです。素晴らしいコピーです。ああ、ウナギ食べたい!!

No.214 The way to Jimmie Noone Vol.2
1927-1928

さて、今回は前回の続きジミー・ヌーン入門の2回目、1927〜28年の録音を聴いていこう。1927年の音源も前回の続きで”The chronogical classics”のCDである。
収録は約1年後の1927年6月11日のものである。

““Jimmie Noone 1923-1928” The chronogical classics 604”

<Personnel>…ドク・クック・アンド・ヒズ・14・ドクターズ・オブ・シンコペイション (Doc Cook and his 14 doctoras of syncopation)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetジョージ・ミッチェルGeorge Mitchellエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneビル・ドウソンBill Dawsonフェイエット・ウィリアムスFayette Williams
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto saxジョー・ポストンJoe Poston
Alto sax & Violinビリー・バトラーBilly Butler
Tenor saxクラレンス・オーエンスClarence Owens
Pianoジェローム・キャリントンJerome Carrington
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyr
Tubaビル・ニュートンBill Newton
Drumsアンドリュー・ヒラリーAndrew Hilaire

<Contents> … 1927年6月11日 シカゴにて録音

CD-18アリゲイター・クロウルAlligator crawl
CD-19ウィリー・ザ・ウィーパーWillie the weeper

<Contents> … 1927年6月15日 シカゴにて録音

CD-20ブレインストームBrainstorm
CD-21スルー・フットSlue foot

はっきり言って聴いて面白みのない演奏である。ヌーンのClを耳で追いかけるのだが、ソロはなくせいぜいアンサンブルのリードを取る程度である

<Personnel>…ドク・クック・アンド・ヒズ・14・ドクターズ・オブ・シンコペイション (Doc Cook and his 14 doctoras of syncopation)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetジョージ・ミッチェルGeorge Mitchellエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneビル・ドウソンBill Dawson
Clarinet & Alto saxビリー・バトラーBilly Butler
Clarinet & Alto , Tenor saxジョー・ポストンJoe Poston
Pianoスターリング・トッドSterling Todd
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyr
Tubaビル・ニュートンBill Newton
Drumsアンドリュー・ヒラリーAndrew Hilaire

<Contents> … 1928年3月30日 シカゴにて録音

CD-22ハム・アンド・シュトラムHum & strum(Do-do-do , that’s what I do)
CD-23アイ・ガット・ウォリーI got worry (love is on my mind)

この2曲に関してはさらに理解に苦しむ。CD記載のパーソネルが正しいとすれば、ジミー・ヌーンはこの録音に加わっていない。それとも記載に漏れたのだろうか?いずれにしろこの2曲にもクラリネットの見せ場はなく加わっていたとしても「参加してました」程度の意味合いしかない。しかしなぜ「ジミー・ヌーン」作品集にヌーンが加わっていない作品を取り上げたのか理解に苦しむ。記載パーソネルが正しければ、タイトルの”Jimmie Noone /1923-1928”は誤りで、”Jimmie Noone /1923-1927”とすべきであろう。
実は、The chronogical CDの”Jimmie Noone /1923-1928”の1928年の録音についてはかなり楽しみにしていたのである。何故かというと、実はこらえきれずに同時期にもう1枚、こちらはレコードをポチしていた。それが“Jimmie Noone / Apex club blues”(AFS 1023)である。こちらはヤフオクで980円、競争なしの落札で送料込みで¥1480で入手した。このレコードのことはよく知らなかったが、The chronogical CDとカブリが無いことは分かっていたので、The chronogical CDには、アール・ハインズとの「エイペックス・オーケストラ」以外の1928年のプレイを聴けるのではないかと期待していたのである。残念!!

さてアール・ハインズとの「エイペックス・オーケストラ」について粟村師は次のように述べている。「市場に名高いヌーンのエイペックス・クラブ・オーケストラは、アール・ハインズのピアノを擁し、クラリネットとアルト・サックスにリズムが付くというディキシーの範疇を全く超えた異色の編成と内容を持っていた。当時の名演は「ジミー・ヌーンとアール・ハインズ」(Decca SDL-10389)の中に余さず収録されているが、これら一連の吹込みのあるものにはかなりコマーシャルな色彩も強い」と。
少し調べて処では「ジミー・ヌーンとアール・ハインズ」(Decca SDL-10389)とこの「Jimmie Noone / Apex club blues」(AFS 1023)では10曲ほど被るように思う。つまり極めて近いと言ってよいだろう。

“Jimmie Noone / Apex club blues”AFS 1023

<Personnel>…ジミー・ヌーンズ・エイペックス・クラブ・オーケストラ (Jimmie Noone’s Apex club orchestra)

Band leader , Clarinet & Vocalジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto sax & Vocalジョー・ポストンJoe Poston
Pianoアール・“ファーザー”・ハインズEarl “Fartaa” Hines
Banjoバド・スコットBud Scott
Drumsジョニー・ウェルスJohnny Wells

<Contents> … 1928年5月16日 シカゴにて録音

A面5曲目フォー・オブ・ファイヴ・タイムスFour of five times
A面8曲目エヴリー・イヴニングEvery evening
B面7曲目スイート・スー-ジャスト・ユーSweet Sue-just you

アール・ハインズを擁した当時から見れば異色の、ジミー・ヌーン率いるバンドの僕が所有しているものでは最も初期の録音は、5月16日に行われた。この時期ハインズはルイ・アームストロング率いるホット・ファイヴの一員としても歴史に残る名演を記録しており(拙HP第197回〜第200回)、ノリに乗っている時期だったと言ってよいだろう。

A-5[フォー・オブ・ファイヴ・タイムス]

まずこの時期に聴いたことのないサウンドに驚かされる。ゆったりとしたテンポの曲でハインズのイントロに導かれてClとAsが絡むアンサンブルはかすかにディキシー風だが、コルネット、トロンボーンという定番楽器が無く斬新な響きがする。ヌーン、ポストン男性2人のコーラスも、今でこそ「ゆず」、「コブクロ」など人気のユニットだが当時としてはかなり風変りだったと思われる。曲調は楽し気な曲でメンバーが楽しんで演っている感じがする。

A-8[エヴリー・イヴニング]

こちらは少しアップ・テンポの曲で、3人(ハンズ・ヌーン・ポストン)が入れ替わりソロを取る。それぞれ力のこもったソロで、3人の絡みも全くディキシー・スタイルとは異なった見事なインタープレイを展開する。

B-7[スイート・スー-ジャスト・ユー]

第1コーラスはP抜きでClとAsがメロディーを奏で、2コーラス目はCl、AsのアンサンブルをバックにPがソロを取る。そして第3コーラスは主旋律を少し崩してのアンサンブルというかインタープレイが展開される。この辺りが粟村師の言うコマーシャルな曲かもしれない。

<Personnel>…ジミー・ヌーンズ・エイペックス・クラブ・オーケストラ (Jimmie Noone’s Apex club orche stra)

上記+Tuba…ロウソン・ビュフォード Lawson Buford

<Contents> … 1928年8月23日 シカゴにて録音

A面1曲目エイペックス・ブルースApex blues
A面3曲目ブルース・マイ・ノーティ・スゥイーティー・ギヴズ・トゥ・ミーBlues my naughty sweetie gives to me
B面1曲目マイ・マンディ・デイトMy Monday date

<Contents> … 1928年8月25日 シカゴにて録音

B面6曲目キング・ジョーKing Joe
B面8曲目オー・シスター、エイント・ザット・ホットOh! Sister , ain’t that hot ?
A-1[エイペックス・ブルース]

ゆったりとしたブルース・ナンバー。ソロはまずハインズ、ヌーンが2コーラス取り、リフのアンサンブルで終わる。

A-2[ブルース・マイ・ノーティ・スゥイーティー・ギヴズ・トゥ・ミー]

バド・スコットの単音によるバンジョー・ソロで始まる。これだけ長いBjの単音ソロは珍しい。続くヌーンのソロも歌心溢れる素晴らしいもの。

B-1[マイ・マンディ・デイト]

こちらは一転してアップ・テンポのナンバーでディキシー・スタイルを踏襲した楽しい作品。ただし響きは異なる。

B-6[キング・ジョー]

こちらもアップ・テンポのディキシー・スタイルのナンバー。バンジョーのスコットがリズム刻み、単音ソロと頑張っている。ヌーンのソロも見事。

B-8[オー・シスター、エイント・ザット・ホット]

アンサンブルの後ハインズのソロ、ヌーンのソロが見事、そこから集合合奏的にエンディングに向かう

The chronogical CDを聴きそしてその後このレコードを聴くと実に驚く。もちろんヌーンの責任というわけではないのだが、The chronogical CDに収録された演奏はほぼジャズではないのに対し、こちらの演奏はジャズ、それも当時最先端の聴き応えのあるジャズが飛び出してくるからである。
特別ジミー・ヌーンに関心があるという方以外は、まずこのレコードを持てば充分ではないかと思う。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第213回2017年7月18日

ジミー・ヌーン入門 その1
1923〜1926年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

前回ウナギの名店横浜「八十八」について、山口瞳氏の本で名前だけは知っていたと書きました。今回は少し山口瞳氏について書いてみます。
山口氏はご存知のように小説家で、サントリーに在職中に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞し、文筆業に専念するようになりました。僕は山口さんの作品が好きで大分読みました。彼の作品を正式に分類したことはありませんが、フィクションである「小説」と日記風の「随筆」があり、分量的には「随筆」が圧倒的に多いと思われます。それは「週刊新潮」に31年間延べ1614回に渡って『男性自身』というコラム・日記があるためです。僕は、小説も好きで読みましたが、彼の随筆も大好きでした。
随筆は『男性自身』に代表されるサラリーマン時代の経験を活かした「サラリーマンもの」と、「旅行記或いは飲食店もの」などに大別できると思います。僕はどちらも好でしたが、「旅行記或いは飲食店もの」は特に好きでした。山口氏が求め歩いたのはいわゆる「グルメもの」とは異なりますが、実際の店名を出して、そこでの飲食体験を記すというのは、現在大流行のグルメもののさきがけではなかったかと思います。
山口氏は随筆、例えばスケッチ旅行に出かけその行先で出会った飲食店のことをたくさん書いています。それらを集大成してまとめたものが右の『行きつけの店』です。
僕は山口瞳ファンと自称しながら彼の行きつけの店に実際に行ったことはありません。どうしてかというと僕にはどうしても敷居が高いのです。僕のような未熟者が行っていいのだろうかと思ってしまうのです。
そんな僕が初めて山口氏の行きつけの店に行こうと思ったのは、定年となりカミサンと祝還暦旅行を子供たちにプレゼントされ、北部九州を旅した3年前のことです。山口氏が推奨して已まない長崎のお寿司屋さん「とら寿司」に行こうと思ったのです。では実際に行けたのというと結果は行けませんでした。「とら寿司」の場所を調べているうちにご主人が無くなり廃業したことを知りました。考えてみれば右の本が出たのは1993年、今から約25年も前のことです。当時仮に60歳の脂の乗り切った職人さんが鬼籍に入られていても不思議ではありません。残念です。でもいつか山口氏が行きつけにしていたお店に行ってみたいという思いはずーっと持ち続けていました。今回の「八十八」は僕が行った初めての山口氏「行きつけの店」となります。山口氏が行きつけの横浜の本店ではありませんが、入門編として良かったのではないでしょうか?

No.213 The way to Jimmie Noone Vol.1
1923-1926

たまりかねてポチしてしまった。何にたまりかねたのかというと、そのレコードの少なさである。その人物とはだれかと言えば、「ジョニー・ドッズと並ぶニューオリンズ・ジャズの大立者」ジミー・ヌーンである。
大立者という割に彼はこのHPにはほとんど登場しなかった。なぜか?前にも書いたが、彼のレコードというのが驚くほど無いのである。僕は彼のことを知ってから、ずーっと以前に粟村政明師著『ジャズ・レコード・ブック』で知ってから、ずーと彼のレコードを聴いてみたかった。しかしないのである。見当たらないのである。このことも以前書いた。最近でもディスク・ユニオンの横浜、渋谷、ジャズ東京などへ行く度に必ず探しているが、どうしても見つからない。
それが今回紹介するCDである。因みにアマゾンで購入したのだが、海外の出品者の方から送料込みで¥1,150だった。それならもっと早くポチしても良かったかもしれないが、僕はこの時期の音源は何とかCDではなくレコードで欲しい、レコード・ショップで買いたいと思っているため遅くなってしまった。
ところで粟村師は、ジミーを非常に高く次のように評価している。
「(ジョニー)ドッズの影響があくまでもディキシーの世界にとどまったのに対して、ヌーンの影響力は圧倒的な大きさでスイング以後のジャズ界を支配した。ヌーンの持っていた美しい音色、高度のテクニック、豊かな歌心を抜きにしてBG(ベニー・グッドマン)以下のスイング・クラリネット奏者たちの誕生は考え難い。彼はメロディを美しくストレートに歌い上げ、アンサンブルに見事なカラミを付けることを得意とした」と。
その後にアール・ハインズとの「エイペックス・オーケストラ」について記載しているがこれは次回にしよう。

““Jimmie Noone 1923-1928” The chronogical classics 604”

<Personnel>…オリー・パワーズ・ハーモニー・シンコペイターズ (Ollie Powers’ harmony syncopators)

Band leader & Drumsオリィ・パワーOllie Power
Cornetアレックス・カラミス?Alex Calameseトミー・ラドニアTommy Ladnier
Tromboneエディ・ヴィンセントEddie Vincent
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto saxホレス・ディーマーHorace Diemer
Pianoグローヴァー・コンプトンGlover Compton
Banjoジョン・ベイズリーJohn Basley
Bbウィリアム・ベース・ムーアWilliam “Bass” Moore

<Contents> … 1923年9月、10月 シカゴにて録音

CD-1プレイ・ザット・シングPlay that thing
CD-2ジャズボ・ジェンキンスJazzbo Jenkins

1923年と言えば、キング・オリヴァーなども初レコーディングを行った年で、ジャズ録音の草創期に当たる。リーダーのオリィについてはジャズ人名事典にも載っておらず不明。名前知っているのはをヌーンとラドニアくらいである。ラドニアは24年サッチモの代わりにキング・オリヴァー楽団に入る前の貴重な録音。多分SP盤から録音したのであろう、針が飛んだり、音は良くない。演奏全体としてはあまり面白いものとは言えないが、ヌーンと言われて聴くと確かにClの音色は美しくフレージングもゆったりとしてスムースだと思う。

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Nooneクリフォード・キングClliford King
Alto saxジョー・ポストンJoe Poston
Tenor saxジェローム・パスクォールJerome Pasquall
Violinジミー・ベルJimmy Bell
Banjoスタン・ウィルソンStan Wilson
Bbビル・ニュートンBill Newton
Drumsフレッド“タビー”ホールFred “Tubby” Hall

<Contents> … 1924年1月21日 リッチモンドにて録音

CD-3シザー・グラインダー・ジョーScissor Grinder Joe
CD-4ロンリー・リトル・ウォールフラワーLonely little wallflower
CD-5ソー・ジス・イズ・ヴェニスSo this is Venice
CD-6モーンフル・マンMoanful Man
CD-7ザ・メンフィス・メイビー・マンThe Memphis maybe man
CD-8ザ・ワン・アイ・アイ・ラヴ・ビロングス・トゥ・サムボディ・エルスThe one I love belongs to somebody else

僕は今の今まで僕の持っているジミー・ヌーンの録音は、サッチモと共演した歌伴もの(第198回)だけだと思っていたが、他にもあったのである。それは第144回でフレディ・ケパードを取り上げたがその時の音源4曲は、このドク・クックのドリームランド・オーケストラ1924年1月21日の録音であった。その時このバンドのリーダーであるドク・クックについても簡単だが取り上げている。第144回で取り上げた曲と被らないのはCD-4とCD-6である。
CD-4[ロンリー・リトル・ウォールフラワー]は余りジャズらしくない曲で、ケパード、ヌーンともソロはない。アルトが活躍している。CD-6[モーンフル・マン]はアンサンブルが面白い。ヌーンも大きくフューチャーされており美しい音色を聴くことができる。
僕は第144回でケパードのレコードはつまらないと書いた。今回改めて聴いてみても演奏自体はあまり面白くはない。ただこの録音はそもそもケパード主体のものでもヌーン主体のものでもないのである。彼らはその時のリーダーから求められる通りに吹いただけかもしれない。

<Personnel>…クッキーズ・ジンジャースナップス (Cookie’s Gingersnaps)

Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppard
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinet & Vocalジミー・ヌーンJimmie Noone
Alto & Tenor saxジョー・ポストンJoe Poston
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Anderson
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyr

<Contents> … 1926年6月22日 シカゴにて録音

CD-9メッシン・アラウンドMessin’ around
CD-10ハイ・フィーヴァーHigh Fever
CD-11ヒア・カムズ・ザ・ホット・タマレ・マンHere comes the hot Tamale man
CD-12ラヴ・ファウンド・ユー・フォー・ミーLove found you for me

1925年の録音は収録されておらず、いきなり1926年6月の録音に舞台は移る。”クッキーズ・ジンジャースナップス”というバンド名から、”クックズ・ドリームランド・オーケストラ”のピック・アップ・メンバーかなと思うが実態は分からない。
演奏自体はこれも余り面白いものではない。しかし僕がそう思うのは、耳が1928年の演奏に慣れてしまっているのかもしれない。

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

Band leaderドク・クックDoc Cook
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardエルウッド・グラハムElwood Graham
Tromboneフレッド・ガーランドFred Garland
Clarinetジミー・ヌーンJimmie Noone
Clarinet & Alto saxジョー・ポストンJoe Postonクリフォード・キングClliford King
Alto saxジョー・ポストンJoe Poston
Tenor saxジェローム・パスクォールJerome Pasquall
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Anderson
Banjoジョニー・サンシールJohnny St.Cyrロバ―ト・シェリーRobert Shelly
Bbルドルフ“スーディー”レイナードRudolph “Sudie” Reynaud
Drumsバート・グリーンBert Greeneorアンドリュー・ヒラリーAndrew Hilaire

<Contents> … 1926年7月10日 シカゴにて録音

CD-13ヒア・カムズ・ザ・ホット・タマレ・マンHere comes the hot Tamale man
CD-14ブラウン・シュガーBrown sugar
CD-15ハイ・フィーヴァーHigh Fever
CD-16スパニッシュ・ママSpanish Mama

<Personnel>…クックズ・ドリームランド・オーケストラ (Cook’s dreamland orchestra)

下記以外7月10日と同じ
Cornetフレディ・ケパードFreddie Keppardジョージ・ミッチェルGeorge Mitchell
Pianoケネス・アンダーソンKenneth Andersonジェローム・キャリントンJerome Carrington

<Contents> … 1926年12月2日 シカゴにて録音

CD-16サイドウォーク・ブルースSidewalk blues

CD-13〜16までの演奏もあまり面白くはない。そもそもジャズという感じではない。

正直言うと、今回取り上げた録音は面白くない。ケパード、ヌーンの貴重な参加吹込みということが無ければ、一度聞いて終わりだと思う。とはいうものの「ヌーンは音色が美しい」という文章を読んでいるので、演奏はつまらなくても、それを聴こうとしているのだが、それでいいのかな?とも思う。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第212回2017年7月16日

シカゴ・スタイル・ジャズ第3回 1928年その2

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

暑い日が続いています。テレビのニュースでは連日真夏の暑さと報じています。7月中盤に差し掛かった今は真夏ではないのでしょうか?
「土用の丑の日」にはまだ早いですが、ちょっとしたことがあり「ここはがっちり体力つけなくちゃ」と思い奮発してウナギを食べに行きました。
向かったお店は本店が横浜にあるウナギの名店「八十八(やそはち)」の町田店です。このお店のことは山口瞳さんの本で以前から知っていましたが、訪問したのは初めてです。そもそも「八十八」の支店が町田にあることは全く知りませんでした。どうして町田に支店があることが分かったかというと、ネット検索です。このすぐ近くにはディスクユニオン町田店がありよく行くところですが、これまで全く気付かずにいました。今更ですが、ネット検索は便利だな。
横浜の本店は、山本周五郎先生が贔屓にしていたとのこと、いずれ一度は伺ってみたいものです。

さて僕たちがいただいたのは右、上から2番目の写真「好日(平日昼間数量限定)」¥2,960です。これにサービス料10%と消費税が加算され、支払いは1人¥3,520ほどとなりました。この値段が高いか安いかは難しいところです。もともと我が家が贔屓(と言っても行くのはせいぜい年1回程度)にしていたのは相模原の「甚太」というウナギ屋さんです。ここはおいしいことは天下一品ですが、何せ鰻重のお値段が「¥5,500〜」であり、それに比べれば安価と言えます。
しかしウナギは高くなりました。絶滅が危惧される希少生物なので已むを得ませんが。ともかく僕の経済情勢から言えば、昼食としてはかなり無理をしたものであることは間違いありません。ただし理由は書けませんが、この日はちょっと特別な事情があり良しとしましょう。
おっと、大事なことを忘れていました。お味は期待に反せず実においしいものでした。ウナギはふっくらと関東風に蒸し上げられ、少し塩気が強いかなとも思いましたが、甘みを抑えたたれがさっぱりしていてあっという間に完食してしまいました。お店の方も明るく気さくでとても良い感じです。老舗にもかかわらず気取ったところがなく、「また伺いたいな」と思わせるお店です。

No.212“Chicago style jazz” Vol.3 1928-2

「シカゴ・スタイル・ジャズ」の3回目。1928年の録音で前回取り上げきれなかった録音を聴いていこう。しかしその前に少し「シカゴ・スタイル・ジャズ」について書いてみる。

What' "Chicago style jazz"?

師粟村政明氏は、エディ・コンドンの項で「シカゴ・ジャズなる言葉もいつの間にやらコンドン一家の演じるディキシーランド・ジャズの代名詞みたいになってしまったが、これも言ってみれば、リーダー或いはプロモーターとしての彼の勢力のしからしめるところであったろう。コンドンは、メズロウ、テッシュメーカー、フリーマン、クルーパといったシカゴのジャズ青年たちを率いて歴史に残る何曲かの名演を残した後、次第に商業主義との結びつきを深めてコンドン・ジャズとでも称すべき味もそっけもない安手のディキシーランド・ジャズの乱造を始めた。」
また、師はテッシュメーカーの項で、「シカゴ・スタイルなる言葉は、現在では死後とかしてしまった感があるが、ニューオリンズ・ジャズの精神を白人の知性を通じて昇華し、出来るだけ数少ない音符によってこれを表現せんとした彼らの努力は―テッシュメーカー自身のソロも含めて―稚拙さと模倣という点に問題があろうともジャズ史に特筆されてよい貴重な価値があった。こうしたアマチュア精神の権化のごとき演奏スタイルが崩れ去って『普通のディキシーランド・ジャズ』化していく過程は誠にはかないが、テッシュ自身はこうした変遷と不況のさなかに思わぬ自動車事故で昇天してしまい、この事実が逆に後世のテッシュメーカーの名を神の座に近づけることともなったのである。」
前にも述べたが「シカゴ・スタイル」とはフランスのジャズ評論家ユーグ・パナシェ氏らによって名付けられた名前で、本質的にはディキシーランド・ジャズと変わったところはないという。これは10インチ盤「シカゴ・スタイル・ジャズ」の裏面で解説の石原康行氏が書いているところである。
しかしここで僕は感じることもある。第189回で書いたことだが、黒人たちが演奏するいわゆる「ディキシーランド・ジャズ」とはどこかが違う。それは粟村師が言うように「ニューオリンズ・ジャズの精神を白人の知性を通じて昇華し、出来るだけ数少ない音符によってこれを表現せん」としたところなのかもしれない。

さて、4月28日マッケンジーとコンドンズ楽団の次にくる録音は、7月に行われたトロンボーンの鬼才ミフ・モールによるものである。

“Chicago style jazz”Columbia ZL-1091

<Personnel>…ミフ・モールと彼のリトル・モーラーズ (Miff Mole and his little Molers)

Band leader & Tromboneミフ・モールMiff Mole
Cornetレッド・ニコルスRed Nichols
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年7月6日 シカゴにて録音

A面4曲目ワン・ステップ・トゥ・ヘヴン(ウィンディ・シティ・ストンプ)One step to heaven(Windy city stomp)
B面1曲目シム・ミイ・シャ・ワープルShim-me-Sha-Wabble

この2曲はミフ・モール(Tb)がリーダーを務めるバンドの演奏で、そもそも日本ではミフ・モールのレコード発売自体が極めて少なく貴重だという。

A-4[ワン・ステップ・トゥ・ヘヴン]

これはシカゴ・スタイルと言いながらニューヨークで録音されたもの。当時のレッド・ニコルスの演奏が聴ける貴重なものだという。イントロからCl、Tp、Tbがみごとなアンサンブルを奏し、テッシュメーカー、ビックス張りのニコルスのソロが快適であるとは解説の石原氏。僕にはまだまだ<ビックス張り>のと言われてもピンと来ないのが残念だ。

B-1[シム・ミイ・シャ・ワープル]

スペンサー・ウィリアムスが1917年に書いたナンバー。石原氏のレコード解説によると、この作品はミフ・モールの代表作として、たくさんの批評家が最高評価を与えているという。軽快なサリヴァンのピアノのイントロに始まり、シカゴ・スタイルのデリケートな演奏が聴かれる。石原氏は、特に後半のミフのアンサンブルとホット・ソロが素晴らしい作品としているが、ソロがちょっと短すぎないか。も少し聴きたいところだ。しかし白人Tb奏者の興味深いレコードとしてコレクションには欠かせない1作と石原氏は述べている。

<Personnel>…エディー・コンドン・カルテット (Eddie Condon Quartet)

Band leader & Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年7月28日 ニューヨークにて録音

A面3曲目オー・ベイビーOh Baby
B面2曲目インディアナIndiana

ニューヨークに進出しての録音で、カルテットによる演奏というのがまず珍しい。こういう小編成のバンドでは個々の音がよく聴こえるので、コンドン氏はよくやる気になったなとも思う。実際に聴いてみると、バンジョかギターのコード・ストロークが聴こえるような聴こえないような微妙な感じだが…。
なお、この録音においてクルーパは初めてドラム・セットをフルに活用するチャンスが与えられたという。ハリキリ過ぎてちょっとうるさいと思うところもあるが、まぁそれが若さというと言うこともできる。
また、この2曲の録音日について、レコード解説の石原氏の記述は混乱している。A-3[オー・ベイビー]の項では28年1月28日とし、B-2[インディアナ]の解説には、この2曲は同日1928年7月28日の録音とある。「1」と「7」を見間違えたか?他のディスコグラフィーにはどちらも7月28日の録音とあるので、両曲とも7月28日の録音とした。

A-3[オー・ベイビー]

これもアメリカでは発売されず、オーストラリア、英国のパーロフォンで出され好評を博していたためコレクターの間で話題になっていたという。テッシュメーカーは最初短くクラリネットでソロを取るが出来としてはそれほど感心しない。却って後半のアルト・ソロの方が良いと思う。

B-2[インディアナ]

バラード・マクドナルドとジェイムス・F・ハンレイの共作で1917年に書かれたディキシーランドのスタンダード・ナンバー。O.D.J.B.も1917年にコロンビアに吹き込んでいる
クルーパのシンバルによるイントロ、テッシュメーカーがアルトでメロディーを奏し、サリヴァンが軽快でスムースなスイング時代を先取りするようなソロを取る。そしてクラリネットに持ち替えたテッシュメーカーの力のこもった堂々たるソロを経由してエンディングに入る。Clの2コーラス目盛り上げる部分で珍しくコンドンのバンジョーの音が明確に聴こえる。クルーパが思い切りドラムを叩いた記念すべき傑作。

さて、日付がコンドン・カルテットの次に来る録音は、デッカの12インチ盤のウィンギー・マノン率いるバンドの録音となる。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」

“The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

<Personnel>…ジョー・“ウィンギー”・マノンとクラブ・ロイヤル楽団 (Joe“Wingy”Mannone and his club Royal orchestra)

Band leader ,Trumpet & Vocalジョー・“ウィンギー”・マノンJoe “Wingy” Mannone
Clarinetウェイド・フォスターWade Foster
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoジャック・ガードナーJack Gardner
Guitarレイ・ビオンディRay Biondi
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

<Contents> … 1928年9月4日 ニューヨークにて録音

A面7曲目ダウンライト・ディスガステッドDownright disgusted
B面1曲目フェア・ジー・ウェルFare the well

ウィンギー・マノンの率いるクラブ・ロイヤル・オーケストラによる録音。「ロイヤル・クラブ」とは1920年代後半シカゴの北クラーク街にあったクラブで、そこにマノンが出演していたためこのバンド名となったという。オーケストラと言ってもメンバーはマノンを入れて6人しかいない。ウィンギーマノンは拙HP2度目の登場。前回はいつかというと第110回ベニー・グッドマンの1928年の項だった。この時マノンはBG率いる”Benny Goodman's boys”の一員として、1928年8月11日の2面分の録音に参加している。この録音でBGは人気を博しつつあったコンドン率いるシカゴ・スタイル・ジャズを意識してかディキシーランド・ジャズを演奏している。ウィンギー・マノンは片腕のTp奏者で歌も歌い、当時「白いサッチモ」的なエンターティナーだったらしい。
この2曲はマノンがテキサス州東部へ行って入手してきたものというが、その意味合いはよく分からない。
クラリネットはテッシュメーカーそっくりだが、イリノイ州出身のウエイド・フォスター、またマノンのヴォーカルも光っているというが、僕には素人っぽさが目立ち素晴らしいものとは思えない。B-1[フェア・ジー・ウェル]のエンディングはスイング時代を彷彿させるようなリフが聴かれる。

次の録音は10月30日に行われたエディ・コンドンと彼のフット・ウォーマーズによるもので、名手ティーガーデンの若き日の録音として大変貴重だという。

“Chicago style jazz”Columbia ZL-1091

<Personnel>…エディ・コンドンと彼のフット・ウォーマーズ (Eddie Condon and his Footwarmers)

Band leader & Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Cornetジミー・マクパートランドJimmy McPartland
Trombone & Vocalジャック・ティーガーデンJack Teagarden
Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Bassアーティ・ミラーArtie Miller
Drumsジョニー・ボウェルJohnny Bowell

<Contents> … 1928年10月30日 にて録音

B面3曲目メイキン・フレンズMakin' friends

曲はティーガーデンとコンドン、そしてTpのマクパートランドの共作という。サリヴァンのスインギーなプレイに先導され、ティーガーデン、メズロウの短いソロそしてティーガーデンの味のあるヴォーカルが入る。コンドンのバンジョーによるコード・プレイもしっかり聴こえる。解説の石原氏は、ここで聴かれるメズロウのソロとテッシュメーカーのソロを比べるとシカゴ・スタイルのフレーズなり約束された形式が理解できるというが、残念ながら僕はその境地には達していない。

次の録音は12月17日に行われたウィンギー・マノン率いるクラブ・ロイヤル・オーケストラによる録音だが、3か月前の9月の録音時とはメンバーに若干移動があるが6人編成であることは同じである。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」

“The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

<Personnel>…ジョー・“ウィンギー”・マノンとクラブ・ロイヤル楽団 (Joe“Wingy”Mannone and his club Royal orchestra)

Band leader ,Trumpet & Vocalジョー・“ウィンギー”・マノンJoe “Wingy” Mannone
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxジョージ・スナーパスGeorge Snurpus
Pianoアート・ホーズArt Hodes
Guitarレイ・ビオンディRay Biondi
Drumsオーギー・シュレンジAugie Schellange

<Contents> … 1928年12月17日 にて録音

B面2曲目トライング・トゥ・ストップ・マイ・クライングTrying to step my crying
B面3曲目イズント・ゼア・ア・リトル・ラヴIsn’t there a little love ?

飯塚氏の解説に拠ると、ドラムのクルーパとテナーのバド・フリーマンはレッド・、マッケンジーとニューヨーク入りしていたため珍しい顔合わせとなったという。ピアノのアート・ホーズの初吹込み盤としてマニアに珍重されているという。
両曲とも途中怪しいところもあるがテッシュメーカーのソロが聴き応えがある。彼がメイン・ソロイストとして機能していたことが分かる。はっきり言って申し訳ないが、この録音でもマノンのヴォーカルはいただけないと思う。

たまたまなのか、彼らオースティン・ハイスクール・ギャングの面々はソロイストとして素晴らしいのである。粟村師は「シカゴ・スタイル」はコンドン興行師のおかげで、後に毒にも薬にもならぬディキシーランド・ジャズとかしていったとされるが、ここから排出された、マグシー・スパニアやティーガーデン、テッシュメーカーやクルーパといった次の時代に大活躍するアーティストの出自をたどる時必ず「オースティン・ハイスクール・ギャング」の名が出ることになり、そのことによって「シカゴ・スタイル」が敬意を評される対象となったことは否めないであろう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第211回2017年7月11日

シカゴ・スタイル・ジャズ第2回 1928年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

未だ梅雨が明けてはいないはずですが、僕の住む辺りはここ2、3日は晴れて猛暑日が続いています。7月8日は今年一番の高温を記録しました。
一方九州地方では記録的な大雨とそれに伴い甚大な災害に見舞われています。被害に遭われた方々のご無事と一日も早い復興を祈念いたします。

先週金曜日、この定年オジサンは性懲りもなく残業で帰りが遅くなっていました。そしていつもの田園都市線に乗って帰途についていました。そしてこれもいつものように電車の座席で眠りこけてしまったのですが、かなり寝てしまったなと思って目を覚ましても未だ渋谷にもついていません。「発煙騒ぎがあった」という他詳しい状況説明もなく、電車を降ろされました。確かに時節柄「テロ」という可能性もあり、由々しき事態です。ともかく運転再開の目途が立たないというので、迂回して帰ることにしました。迂回して無事帰宅できたのですが、帰宅は時間は23時を回っていました。
帰宅してビールの栓を開けて一杯口に運び、テレビをつけると丁度ウィンブルドン錦織選手の3回戦第3セットをNHKで中継していました。このセットは何とかものにしましたが、次第4セットでべルダスコにあっけなく敗れてしまいます。色々と事情はあるのでしょうが、僕の見た部分だけを言うとかなり情けないプレイだったとしか言えません。ミスを連発して勝手に自滅して行くといういつもの悪いパターンです。
そしてスポーツ・ニュースを見ると贔屓のチーム、セ・リーグ「横浜」、パの「楽天」も敗れています。「楽天」はシーズン初めから守ってきた首位の座から陥落です。
どうも7月7日七夕の日は、田園都市線の運転中止、錦織選手敗退、横浜、楽天の敗退と僕にとって大殺界の日だったようです。
まだ大丈夫、ガンバレ、横浜、楽天、杉田祐一選手!!

No.211“Chicago style jazz” Vol.2 1928

第189回で取り上げた「シカゴ・スタイル・ジャズ」の2回目です。当初第189回は「エディ・コンドン入門」としていましたが、よく考えてみれば「エディ・コンドン」を聴いていこうということではなく、「シカゴ・スタイル・ジャズ」を学んでいこうというと思っていたので、タイトルを変更しました。第189回も同様に「シカゴ・スタイル・ジャズ入門 第1回」と変更しました。

ということで第189回で、1927年12月にマッケンジー・コンドン・シカゴアンズは華々しくデビューしたことを書きました。そんな彼らの1928年を追ってみましょう。
そこでまず音源です。僕が“シカゴアンズ”関連で持っているレコードは2枚。先般ご紹介した高校時代の修学旅行の際京都で買った10インチ盤と割と最近入手した12インチ盤である。10インチ盤は前回紹介したので、今回12インチ盤について少し触れておこう。
このレコードのタイトルは「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」(デッカSDL-10361)。日本編集盤ではなくアメリカで発売されたものを日本用にしたものであろう。原題は[The Chicagoans “The Austin high gang” 1928-1930 Frank Teschemacher , his influence on” ……]で、[……]の部分は6つのバンド名が記載されている。要はフランク・テッシュメーカーの影響を受けたバンドたちということであろう。
師粟村政昭氏はその著『ジャズ・レコード・ブック』のテッシュメーカーの項でこのレコードについて触れ、以下のように述べている。
「テッシュメーカーの名演は『Jazz Odyssey vol.2』(Columbia C3L-32)並びに『ザ・シカゴアンズ』(Decca SDL-10361)の中に聴くことができるが、同時にこれらはシカゴ・ジャズの数少ない実例とされている貴重な録音でもある。」
このレコードを見つけてよかった!どこで見つけたのか忘れたけれど。
しかし細かいことを言うようだが、このアルバムのタイトルには疑問が残る。つまり「シカゴアンズ」=「テッシュメーカーの影響を受けたミュージシャン達」としてしまってよいかということである。更にこちらデッカ盤解説は飯塚経世氏が担当しているが、氏は「シカゴ・スタイル」という明確なスタイルがあるような書きっぷりをしている。しかしコロンビア盤10インチ盤解説の石原康行氏のライナーノートによると、「シカゴ・スタイル」とはフランスのジャズ評論家、ユーグ・パナシェやその他の人々によって名付けられた名前で、本質的にはディキシーランド・ジャズと変わったところはないという。いわばシカゴに移住してきた黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズに感銘を受け、自らもその演奏を研究し、演奏するようになった若きシカゴの白人たちの演奏するジャズをそう呼んだという。つまり明確な「スタイル」というものはなく、その黒人たちに学ぼうという精神というか態度が「シカゴ・スタイル」なのだという。しかし僕は1927年に録音された2つの録音を聴いて、「なんか黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズとは感じが少し違う気がする」と感じた。その「違い」が「シカゴ・スタイル」ということなのであろうと思う。
ともかく聴いていこう。数少ない「シカゴアンズ」の貴重な吹込みを集めたものであることは粟村師の折り紙付きなのだ。そして録音順に並べるのがいいかどうかはよく分からないが、いつものようにそれぞれの音源を録音順に聴いていこう。そこでもしかすると「こういうところが黒人の奏するデキシーランドとは違う」ということが明らかにできるかもしれない。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」 “The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

まず最初の音源は、「マッケンジー・アンド・コンドンズ・シカゴアンズ」によるシカゴ・スタイル・ジャズの初録音から約1か月ほど後にシカゴで行われた「ハスク・オハーレとフット・ウォーマーズ」というバンドの録音で、デッカ盤「シカゴアンズ」の冒頭を飾っている。

<Contents> … 1928年1月10日シカゴにて録音

A面1曲目ミレンバーグ・ジョイスMilenberg joys
A面2曲目マイ・ダディ・ロックス・ミーMy daddy rocks me

<Personnel>…ハスク・オハーレとフット・ウォーマーズ (Husk O’Hare Footwarmers)

Cornetモエ・ファーガソンMoe Ferguson
Tromboneシーザー・ペトリロCaesar Petrillo
Clarinet & Saxノーマン・ジャケスNorman Jaques
Clarinet & Sax or Baritone saxモーリー・ヒックスMaurie Hicks
Pianoジョー或いはウォルター・ルドルフJoe or Walter Rudolph
Banjoルイス・ブラックLouis Black
Tubaドク・スレイターDoc Slater
Drumsビル・マーシパンBill Marcipan

まず知った名前が一つもないのに驚かされる。一人も「ジャズ人名事典」にその名が見当たらず、ジャズを勉強中である僕が言うのもなんだが、多分ジャズ史上でここでだけ登場する名前ではないかと思う。そしてこれだけ知らない人物ばかりの上に、このパーソネルは正確には不明で、レコード収集家ジョン・ステイナーシという人の推定だという踏んだり蹴ったりの録音である。
レコード解説の飯塚経世氏によると、と言ってもほとんど元の米盤の翻訳だと思われるが、1928年1月シカゴの録音でまずオーストラリアで発売され後にアメリカに逆輸入されたという珍しいレコードであるという。そしてリーダーであるハスク・オハーレという人は、シカゴの白人ジャズ・メンをWHT 放送(ラジオか?)やボールルームなどに出演する際に口利きをしたMCA(Music Corporation of America)の支配人で、当時の若いジャズ・メンたちの激しい意欲がうかがえると日本語にならない解説をしている。
粟村師に楯突くわけではないが、なぜこれが「数少ないシカゴ・ジャズ」の一つと言えるのかフランク・テッシュメーカーの肝入りと言えるのかがどうもわからない。しかし逆にこういう演奏が「シカゴ・スタイル・ジャズ」なのだと思って聴くしかないのだろう。
と文句を並べたてたが、演奏は立派なものである。まずアンサンブルに工夫がある。Tpがメロディーを吹き、Clがヒョロヒョロと上へ下へと自由に動き回り、Tbが低音部のアクセントをつけるというありきたりのディキシーランド・ジャズではない。こういうことが「シカゴ・スタイル」というものであろうか。いや今となってはそう思うしかあるまい。
A-1[ミレンバーグ・ジョイス]は、ニュー・オリンズ・ジャズの名曲で、歌っているのはダーク・サヴェイジという人だという。A-2[ マイ・ダディ・ロックス・ミー]はJ・バーニー・バーバーの作ったブルースで、これも歌入り。解説の飯塚氏は、コルネット、バリトン・サックスなどシカゴ・スタイルの原型であるとしている。

録音順でいうと次に当たるのが、約3か月後の録音となる「ザ・シカゴ・リズム・キングス」によるものである。このバンド名もニューオリンズの名門No.O.R.K.(ニューオリンズ・リズム・キングス)に因むものであろう。パーソネルも、Tpがジミー・マクパートランドからマグシー・スパニアに、Tsがバド・フリーマンからメズ・メズロウに代わっているくらいで、ほぼ”McKenzie and Condon's Chicagoan”と同じである。なぜかレッド・マッケンジ―も参加しているが。
ともかくこの3曲はルイ・アームストロング1927年の傑作「バーベキュー料理で踊ろう」にも匹敵するような素晴らしい出来を示している。各自のソロも比較的長く聴き応えがある。

<Personnel>…ザ・シカゴ・リズム・キングス (The Chicago Rhythm kings)

Cornetマグシー・スパニアMuggsy Spanier
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjo & Vocal A-5エディ・コンドンEddie Condon
Bassジム・ラニガンJim Lanigan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocal A-3,4 レッド・マッケンジ―Red McKenzie

<Contents> … 1928年4月6日と5月2日シカゴにて録音

A面3曲目ゼアール・ビー・サム・チェンジィズ・メイドThere’ll be some changes made
A面4曲目アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビーI’ve found a new baby
A面5曲目家に帰っておくれBaby , won’t you please come home
A-3[ゼアール・ビー・サム・チェンジィズ・メイド]

1923年にW・ベントン・オーヴァーストリートという人が作ったスインギーなヒット曲という。シカゴ・リズム・キングスの傑作の一つ。第1コーラスはスパニアがリードするアンサンブル、そしてマッケンジーのヴォーカルが続き、その後のテッシュメーカーのクラリネット・ソロが何といっても素晴らしい。そしてラストも名手スパニアがリードするアンサンブルで締める。

A-4[アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー]

1928年ジャック・パルマーとスペンサー・ウィリアムスの作曲したとされるが、実際はもっと昔からディキシーランド・ジャズ・ナンバーとして演奏されており、これほど広く親しまれた曲も珍しいという。解説では元は歌曲というが、意外にヴォーカルは入っていない。ソロ・ワークはテッシュメーカー、サリヴァンのP、メズロウのTs、スパニアのCorいずれも聴き応え十分である。

[家に帰っておくれ]

1919年チャールス・ウァーフィールド作詞、これもクラレンス・ウィリアムス作曲の歌もの。ここもスパニアのリードによるアンサンブル、テッシュメーカーのCl、コンドンの歌、スパニアとテッシュメーカーの絡みと見事でシカゴ・スタイルの代表作というのもうなづける。

<Personnel>…マッケンジーとコンドン楽団 (McKenzie and Condon’s boys , direction of Mr. Tesch)

Clarinet & Alto saxフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Alto saxロッド・クレスRod Cless
Tenor saxメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjo & Vocal A-5エディ・コンドンEddie Condon
Bassジム・ラニガンJim Lanigan
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalレッド・マッケンジ―Red McKenzie

<Contents> … 1928年4月28日 シカゴにて録音

A面6曲目ジャズ・ミー・ブルースJazz me blues

久しぶりマッケンジーとコンドン名義の録音。Corなしという珍しいセッション。アレンジはテッシュメーカーで自身のソロも素晴らしい。しかし素晴らしいのは一人テッシュメーカーだけではない。ロッド・クレスのAs、メズロウのTs、サリヴァンのPなど聴き処の多い作品である。

今回は思わずアップが遅れてしまった。連日の猛暑と残業、PCの勝手なアップデートなどで動かなくなるなどいろいろなことが重なってのことであった。本当に最近はツキが無い。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第1回〜第10回はこちらをご覧ください。
第11回〜第20回はこちらをご覧ください。
第21回〜第31回はこちらをご覧ください。
第31回〜第40回はこちらをご覧ください。
第41回〜第50回はこちらをご覧ください。
第51回〜第60回はこちらをご覧ください。
第61回〜第70回はこちらをご覧ください。
第71回〜第80回はこちらをご覧ください。
第81回〜第90回はこちらをご覧ください。
第91回〜第100回はこちらをご覧ください。
第101回〜第110回はこちらをご覧ください。
第111回〜第120回はこちらをご覧ください。
第121回〜第130回はこちらをご覧ください。
第131回〜第140回はこちらをご覧ください。
第141回〜第150回はこちらをご覧ください。
第151回〜第160回はこちらをご覧ください。
第161回〜第170回はこちらをご覧ください。
第171回〜第180回はこちらをご覧ください。
第181回〜第190回はこちらをご覧ください。
第191回〜第200回はこちらをご覧ください。
第201回〜第210回はこちらをご覧ください。