ジャズ・ディスク・ノート

第267回2018年6月17日

ビル・エヴァンス Bill Evans入門5 1956年
ジョージ・ラッセル “The jazz workshop”Vol.2

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

僕の住む辺りは梅雨入りして、ここのところ鬱陶しい日が続いています。梅雨だから仕方ないのかもしれませんが。でも先週木曜日から土曜日までは異常なくらい気温の低い日が続きました。特に金曜と土曜日は20℃に届かないくらいです。つい先日30℃を越して、今年一番の高い気温を記録したばかりなのに今度はこの寒さです。これでは体調もおかしくなります。
さて僕は金曜日の朝はまだ雨が降っていなかったのでいつものように自転車で出かけ、自転車を駅前の駐輪場に預けて、電車で会社に向かいました。しかし帰りはシャツだけでは寒いくらいの冷たい雨が降ったので、自転車を駐輪場に預けたままバスで帰宅しました。
しかし16日土曜日はテニスに行くため、自転車が必要です。でも土曜日の朝はまだ雨が完全には上がっておらず、テニスが出来るかどうかかなり微妙な天気です。

色々迷ったのですが、天気は回復基調にあると判断しまずは自転車を取りに出かけました。家から駅までは約30分です。家を8時30分ころ出かけ、駅前の「ジョナサン」で朝食を取りました。僕が頼んだのは、右のハム・チーズトースト。ドリンク・バー付き税込みで431円です。ドリンク・バーはスープ、野菜ジュースコーヒー、紅茶が飲み放題。それほど飲めるわけではないですがかなりお得感があります。さらに各テーブルには新聞(読売新聞)が置いてあり持ち帰り自由です。んー、良いサーヴィスです。

残り39週

来週6月18日からは完全引退まで残り39週目となります。残り3クールです。この残り期間を意識して、僕は先週初めて上部消化器の内視鏡検査を受けました。いわゆる「胃カメラ」というやつです。昨年12月に受けた会社の健康チェックで、「胃にポリープの疑いあり」とあったので受診することにしました。今まで時間がかかったのは、持ち前の気の小ささでビビっていたためです。
結果は良好、食道、胃、十二指腸とも何の問題もないということでした。「ヤッター!」これなら早く受けておけばよかったなぁ、結構眠れない夜とかあったんだよね…。
というわけで今回は第267回ビル・エヴァンス入門の5回目「ジョージ・ラッセル/ザ・ジャズワークショップです。

No.267 Bill Evans Vol.5
“The Jazz workshop/George Russell”

ビル・エヴァンスの録音を年代順に追って聴いてみる。このジョージ・ラッセルの処女録音は以前第190回で取り上げているが、それから約半年以上の間を開けて2回目のセッションが行われるのである。なぜこれほど間を開けたのかは分からない。ジョージ・ラッセルは彼自身凄いアーチストなのでエヴァンスの素材で取り上げるのは恐縮ではある。
ともかくこのエヴァンスの1956年の録音を振り返ってみよう。

日付参加アルバム録音ナンバー拙HP
3月31日ジョージ・ラッセル「ジャズワークショップ」4曲第190回
7月2、3、5、6日トニー・スコット「ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット」全12曲第220回
9月18、27日ビル・エヴァンス「ニュー・ジャズ・コンセプション」(初リーダーアルバム)全11曲第21回
10月17日ジョージ・ラッセル「ジャズワークショップ」4曲第267回(今回)

CD…RCA Victor LPM-1372

<Personnel>

Chromatic drums & Arranger & Band leaderジョージ・ラッセルGeorge Russell
Trumpetアート・ファーマーArt Farmer
Alto saxハル・マクシックHal McKusick
Pianoビル・エヴァンスBill Evans
Guitarバリー・ガルブレイスBarry Galbraith
Bassミルト・ヒントン> Milt Hinton
Drumsポール・モチアンPaul Motian

<Contents>…1956年10月17日 ニューヨークにて録音

5.ナイト・サウンドNight sound
6.ラウンド・ジョニー・ロンドRound Johnny Rondo
8.ウィッチ・ハントWitch hunt
12.コンチェルト・フォー・ビリー・ザ・キッドConcerto for Billy the kid
14.コンチェルト・フォー・ビリー・ザ・キッドConcerto for Billy the kid

パーソネルでの変更は、ドラムがジョー・ハリスからポール・モチアンに変わっただけである。しかしこのメンバー移動は重要である。ラッセルは3月時のセッションと全く同じメンバーを、ドラムスにはバップ草創期から活躍している実績あるジョー・ハリスを起用したかったのかもしれない。しかしハリスはこの年の夏にトランペットのロルフ・エリクソンとスウェーデンへ楽旅に出かけたことがトリガーとなり、しばらくしてスウェーデンに移住してしまったので、もしかするとこの時期はアメリカにいなかった可能性がある。こうしてこの時点ではまだ新人の部類に属していたポール・モチアンに声がかかった可能性がある。そしてモチアンはしばらくの間エヴァンスと組み、エヴァンスのトリオに参加することになる。

エヴァンスのソロはまず「ナイト・サウンド」(Night sound)で聴かれる。この曲はCD解説に拠ればブルースだというが、全く気付かなかった。「夜のサウンド」というタイトル通りと言っていいのか割とおとなしい曲で、短いエヴァンスのソロとマクシックのソロの他はアンサンブルが中心で、後半のアンサンブルはTpがリードする。
6曲目「ラウンド・ジョニー・ロンド」はこのアルバムを象徴するような、ゴジラのテーマのような不安をかきたてるような曲である。CDには解説があるが英語が苦手で、さらに音楽用語ばかりという状態で全く手が出ない。
土日録音は1曲飛ばして8曲目「ウィッチ・ハント」(Witch hunt)は「魔女狩り」という意味。この曲も不思議なアンサンブルを持っている。ソロはまずマクシック(As)⇒エヴァンス⇒ファーマー(Tp)。このアルバムでアート・ファーマーはトランペットとなっているが、音的には柔らかくフリューゲル・ホーンのような気がする。
そしてこの日の収録の白眉、CD全体での白眉「コンチェルト・フォー・ビリー・ザ・キッド」(ビリー・ザ・キッドに捧げる協奏曲)。CD解説でも活力あふれるビル・エヴァンスのソロに注目とあるが、中山康樹氏も「エヴァンスを聴け!」において、この曲に圧倒されるとし、エヴァンスが本質的に持っているサディスティックなまでの音楽的探究が極限状態で表現されているとし、マスターテイクのCD-12でも別テイクのCD-14でもほとんど変わらないのがさらに恐ろしいと書いている。しかもCD-14では、演奏終了後直後にエヴァンスらしき人物の笑い声まで聞こえる。それは鍵盤を相手に闘いを挑み、勝利した後の「してやったり」とも聞こえる。ラッセルは全ての曲でエヴァンスの可能性を絞り出すつもりだったのだろうと書いている。
確かに熱のこもった快演で、時にはラテン風のアプローチをしたりとその高いテクニックを縦横に用いてピアノと格闘している。それはマスターと別テイクでは違うフレーズを紡ぎだしていることからもエヴァンス自身やる気を出しまくったトラックなのだろう。そしてそういった挑戦をすること自体楽しくて仕方ないという雰囲気が漂ってくる。根っからのピアノマンなのであろう。

ジョージ・ラッセルはこの日の録音だけでは満足せず、自身の処女作を満たすためにもう一日録音日を設定する。2か月後の12月21日である。そしてその2か月間の間にエヴァンスはもう一度トニー・スコットとの録音に加わるのである。

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第266回2018年6月11日

レッド・ニコルス 入門第5回 1930・31年
「レッド・ニコルス/レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ」

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

僕の住んでいる辺りは、6月9日土曜日から6月10日日曜日にかけての深夜、一時非常に強い雨が叩きつけるように降りました。雨はその後いったん上がり、降ったり止んだりを繰り返し、日曜日に13時ころからは、しっかりと降り続いています。
雨模様の風景もどうかと思い、土曜日に撮影した森の散歩道の風景を左のメインとしました。
僕は、日曜日の降ったり止んだりの中、約2時間半ほどテニスをしました。天気予報を見て、今週は無理かとあきらめていたのですが、時間は短くても大好きなテニスが出来たのでまぁまぁ満足な週末となりました。

でもこの気温の上下は異常です。土曜日は最高気温が30度を越し32度にまで上がったそうですが、日曜日は一転して最高気温が21度。10度以上の差があります。暑い日には、暑い国の食べ物を食べ乗り切ろうと土曜日は、行きつけのタイ料理屋さんでランチをしました。

僕は初めて<カオソーイ>という麺料理をいただきました。この料理はチェンマイの方の料理だそうで、ココナツ・ミルクを使った甘辛いスープにきしめんのような幅広いフォーのような麺を使っています。麺を食べ終えた後は、インディカ米のごはんを入れて、いただきました。大満腹です。余りガッついて食べ料理の写真を撮るのをまたもや忘れてしまいました。

残40週

勝手に拙HPで完全引退までのカウント・ダウンをすることにしました。完全引退まで残り40週です。
今週は、世界的に大きな動きがある週です。最大のものは初の日朝会談です。その他日本の登場は来週となりますが、サッカーのワールド・カップも開幕します。まぁ、僕はテニスが出来て、ジャズが聴ければいいんですけどね。

No.266 Red Nichols Vol.5 1930-31
“The Red Nichols and his five pennies”

本来この回を第265回にする予定でしたが、〜29年までの未収録の録音を発見し1週遅れとなりました。また本来1931年録音のものは別項目を立てるべきですが、僕の持っている31年の録音は1曲だけですのでここで取り上げることとします。

<Contents>…1930年2月3日 ニューヨークにて録音

AH-B面3曲目アイム・ジャスト・ワイルド・アバウト・ハリーI’m just wild about Harry

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

 
Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetマニー・クラインMannie Kleinトミー・タネンTommy Thunen
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Miller
Alto sax & Clarinetジミー・ドーシーJimmy Dorsey
Tenor saxベイブ・ラッシンBabe Russin
Bass saxエイドリアン・ロリーニAdrian Rollini
Pianoジャック・ラッシンJack Russin
Guitarトミー・フェラインTommy Feline
Tubaジャック・ハンセンJack Hansen
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

僕の持っている1929年最後の録音は6月12日だったので、8か月くらい後の録音である。しかし僕が持っていないだけでニコルスはこの間にも複数回のレコーディングをこなしていたようだ。前録音からメンバーがだいぶ変わっているが、いずれもファイヴ・ぺニーズゆかりのメンバーで意外な顔ぶれではない。
テンポはミディアム、まずAsソロが入り、P、ティーガーデンと思われるTbソロが聴かれる。そのテンポが倍になり変わった吹き方のもう一度Asのソロとなる。この録音で一番驚くことは、ディキシー色が一掃されていることである。BassがTubaに変わるということは、流れ的には逆行であり、またディキシー色が強くなるかと思えば、全く逆の展開になっている。

次の録音は5か月後の7月2日と3日に行われたセッションからとなる。AH盤には1曲収録されているが、これはMCA盤と被る(チャイナ・ボーイ)。

<Contents>…1930年7月2、3日 ニューヨークにて録音

AH-B面4曲目チャイナ・ボーイChina Boy1930年7月2日
MCAA面6曲目チャイナ・ボーイChina Boy1930年7月2日
MCAB面1曲目アラビアの酋長The shiek of Araby1930年7月3日
MCAA面3曲目シム・ミ・シャ・ウォブルShim-Me-Sha-Wabble1930年7月3日

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

 
Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetルビー・ウェインシュタインRuby Weinsteinチャーリー・ティーガーデンCharlie Teagarden
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Miller
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto saxシド・ストーンバーンSid Stoneburn
Tenor saxベイブ・ラッシンBabe Russin
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjoトレグ・ブラウンTreg Brown
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

どちらの版にも取り上げられている「チャイナ・ボーイ」はグレン・ミラーの編曲によるファイヴ・ぺニーズの代表作という。ティーガーデン、ニコルス、BGに続くサリヴァンの2コーラスに渡るソロが圧巻である。
「アラビアの酋長」について大和明氏は、この演奏後ティーガーデンの十八番となったとし、以下詳しく解説している。「バンジョーのトレグ・ブラウンがストレート・メロディーで『俺らはアラビアの酋長だ』と歌い出すと、すぐ横からティーガーデンがそれを抑え、大胆にメロディーを崩してジャジーな感覚を出す。そしてグレン・ミラーのトロンボーンがストレート・メロディーで美しく流していくのに対して、ティーガーデンの奔放なアドリブが絡んでいくところなど実に素晴らしい。以後ティーガーデンは常にこの形式でこの曲を演奏することにしたという。続いてBG、ニコルスとソロがリレーされ再びティーガーデンのヴォーカルで締めくくる。
「シム・ミ・シャ・ウォブル」について、大和氏は「かつてミフ・モールの名演があったとし、ここでは大型コンボによる各自のソロが楽しめるとする。ソロ・オーダーは、ベイブ・ラッシン、BG、ジャック・ティーガーデン、サリヴァンそしてニコルスによるアンサンブル・リードからラスト・コーラスへと引き継がれる。

<Contents>…1930年10月23日 ニューヨークにて録音

AH-B面5曲目アイ・ガット・リズムI got rhythm

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetルビー・ウェインシュタインRuby Weinsteinチャーリー・ティーガーデンCharlie Teagarden
Tromboneグレン・ミラーGlenn Millerジョージ・ステルGeorge Stell
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto saxシド・ストーンバーンSid Stoneburn
Flute & Tenor saxラリー・ヴィニョンLarry Binyon
Pianoジャック・ラッシンJack Russin
Banjoトレグ・ブラウンTreg Brown
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalディック・ロバートソンDick Robertson

ご存知ジョージ・ガーシュイン作曲アイラ・ガーシュイン作詞のスインギーなナンバーで出版されたのは1930年というから最も初期の演奏の一つであろう。元々は1928年の”Treasure girl”というブロードウェイ・ミュージカルのために作られたが、後にテンポを速めて”Girl crazy”で使われたのだという。完全にスイング時代に突入した演奏である。

<Contents>…> 1931年1月16日 ニューヨークにて録音

AH-B面6曲目スィート・アンド・ホットSweet and hot

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetルビー・ウェインシュタインRuby Weinsteinチャーリー・ティーガーデンCharlie Teagarden
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Millerジョージ・ステルGeorge Stell
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto saxシド・ストーンバーンSid Stoneburn
Flute & Tenor saxラリー・ヴィニョンLarry Binyon
Pianoジャック・ラッシンJack Russin
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalハロルド・アーレンHarold Arlen

楽曲を提供しヴォーカルも担当しているのは若きハロルド・アーレンである。ハロルド・アーレンは、「虹の彼方に(Over the rainbow)」でつとに有名な作曲家であるが、元はミンストレル・ショウで歌っていた歌手でもあった。前年”Get happy”で注目されるようになる。レッド・ニコルスはファイヴ・ぺニーズで”Get happy”も録音しているので、それも聴いてみたい感じがするが残念ながら収録されていない。
曲はハッピーな曲調である。古き良きアメリカという雰囲気で、アーレンのヴォーカルも堂に行っている。

AH盤B-5「アイ・ガット・リズム」及びB-6「スィート・アンド・ホット」などは完全にディキシーではなくスイングである。これまでディキシー⇒スイングの移行についてガーシュインやアーレンのような作曲家の貢献はあまり言及されてこなかった感じがするが、検討に値する課題だと思う。

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第265回2018年6月9日

レッド・ニコルス 入門第4回 1926〜29年(補)
「レッド・ニコルス/レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ」

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

ついに僕の住む関東地方も梅雨入りし、毎日湿度の高い鬱陶しい日が続いています。梅雨と言えばアジサイですが、我が家にアジサイはなく、くちなしが甘い香りを漂わせています。くちなしはその香りが強く蜂や毛虫が多く集まるということで嫌われる傾向もあるようです。僕の家では植えて花を咲かせた年には確かに、チャドクガの幼虫(いわゆる毛虫の一種)やスズメバチなどがたくさん押し寄せましたが、ここ数年全くといいほど何もやってきません。どういう具合なのでしょうか?ありがたいことはありがたいのですが…。
テニスで錦織選手の試合あり、それを見るために前日アップを行いました。今回は少しばかり理由があって次回を直ぐアップしたいために土曜アップです。
因みに右下は、久しぶりに食べに行ったステーキハウス「ひろ」の特選サーロイン・ステーキです。サラダ、ライス、コーヒー付きで2500円、柔らかで、しかもお肉の味がしっかりしていて最高でした。

錦織選手と言えば全仏オープン、残念ながらベスト8ならず、ティエム選手に敗れてしまいました。完全に実力負けだと思います。少し気になることはありました。錦織選手は、「誰とやっても勝てそうな気がする」、「彼(ティエム)のバック・ハンドは大好きだ」などいつになく自信をのぞかせ、相手を茶化すような発言もしていました。慢心というわけではないのでしょうが、僕はそんなに余裕カマシて大丈夫かと思っていました。
僕には錦織選手は、ティエム選手に勝利する作戦を持って臨んだようには見えませんでした。錦織選手は、過去対ティエム戦2戦2勝で自身があったのかもしれませんが、それは1年以上も前のことです。その後のティエムは進境著しく、今年唯一クレー・コートで王者ナダルを破っている選手です。僕は冷静に考えれば、病み上がりの錦織選手は不利だろうと思っていました。もし勝機があるとすれば、ティエムが錦織に対して苦手意識を持っていてプレイに力が入り過ぎ、良いショットが打てないかもしれないと期待していたのですが、結果は…。ティエム選手は、錦織選手の揺さぶりにも全く動ぜず横綱相撲で、押し切ったという感じです。そして彼は準決勝も勝ち上がり、決勝でナダルと相見えます。楽しみな一戦ですが、テレビ放映がありません(泣)。
そんな中で素晴らしい快挙が継続中です。女子ダブルスで、穂積選手と二宮選手のペアが日本人とした初の決勝進出を果たしました。これも見たい!何とか見たい!でもこれもTV放映予定はないようです。(シクシク)。

No.265 Red Nichols Vol.4 1926-29
“The Red Nichols and his five pennies”

今更ではあるが、少しばかり所有しているレコードを整理していて、1926年〜1929年にかけて全く取り上げてこなかった音源を収録したレコードを見つけてしまった。レッド・ニコルスのAceofHearts盤である。本当に今更であるが、彼らの取り上げなかった録音をここで触れておこう。

“Red Nchols and his five pennies” Ace of Hearts AH-63

<Contents>…1926年12月8日 ニューヨークにて録音

AH-A面1曲目ウォッシュボード・ブルースWashboard blues
AH-A面2曲目ザッツ・ノー・バーゲンThat’s no bargain

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

Cornet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Clarinet and Alto saxジミー・ドーシーJimmy Dorsey
Pianoアーサー・シャットArthur Shutt
Drumsヴィック・バートンVic Berton

これまで取り上げたMCA盤「レッド・ニコルス物語」の最も古い収録曲は、1926年12月20日である。レコード解説の大和明氏は、「ザ・ファイヴ・ぺニーズ」を名乗って初のレコーディングを行ったのが1926年12月8日のこと」としている。ということは。このAceofHearts盤の最初の2曲が、彼らの初レコーディングとみて間違いないであろう。
大和氏や粟村師によると”The five pennies”というバンド名には偽りがあり、常にそれ以上のメンバーがいたというが、ここでは4人である。レコード裏面のディスコグラフィーには上記の4名が記載されているが、実際に音を聴くと明らかにギターの音が聴こえる。ソロも取っている。これは多分エディ・ラングであろうと思う。
A-1「ウォッシュボード・ブルース」は、前々回取り上げたホーギー・カーマイケルの曲。イントロにギターが入っているので、まず驚く。さらにソロまである。短いが各人のソロを聴くことができる。
A-2「ザッツ・ノー・バーゲン」はアップ・テンポのナンバー。ここでジミー・ドーシーはまずサックスで、次いでクラリネットでソロを取る。2曲とも何故かデキシーランド風の雰囲気が漂う。

<Contents>…1926年12月20日 ニューヨークにて録音

AH-A面3曲目バディーズ・ハビッツBuddy’s habits

同日の録音から、MCA盤には「ボニヤード・シャッフル」が収録されていた。パーソネルは、AH盤は、12月8日の4人にトロンボーンのミフ・モールが加わったとしているが、MCA盤にはエディ・ラング(Gt)を加えた6人が記載されている。音を聴く限りMCA盤の6人が正しいと思う。
曲のタイトルは、「バディーの習慣」ということだろうか?グッとデキシー色が強くなる。同日録音の”Boneyard Blues”に対する大和氏評は、「わずか6人にもかかわらず、ソロに対するアンサンブルや各楽器の絡み方、またソロとソロの交替の部分など如何に緻密に構成されていたかがよく分かる。こういう所にファイヴ・ぺニーズの真価を見出すことができる」とベタ誉めだった。確かにこの録音を聴いても同様に思う。

録音順に見て行くと、MCA盤では次に収録されているのは、1927年1月12日録音の「ビューグル・コール・ラグ」だったが、AH盤には同日の録音は収録がない。AH盤での次の録音は1927年3月3日になるが、MCA盤にはこの日の録音は収録されていない。

 

<Contents>…1927年3月3日 ニューヨークにて録音

AH-A面4曲目バック・ビーツBack beats

パーソネルは1月12日と同じで、6人にヴァイオリンのジョー・ヴェヌーティが加わり7人となっている。実に楽し気な曲でドーシーのアルト・ソロが聴き処である。ヴェヌーティのソロも聴かれる。

AH盤の次曲5曲目は「フィーリン・ノー・ペイン」で、これはMCA盤と同じなので割愛するが、以前この録音を取り上げた時に同日計4面分の録音を行ったが、この曲のみTpが2人抜け、Clピー・ウィー・ラッセルが入りソロを取ったことを書いた。AH盤ではこの曲しか収録していないので、この録音データを見ただけではこの曲だけ編成が変わっていることは分からない。

次のレコーディングの日付は、年が変わって1928年2月25日と27日に録音を行っている。その内「アヴァロン」「恋人が無いとね」の2曲がMCA盤に収録されているが、同日の録音はAH盤には収録されていない。
そして続く5月29日の録音はMCA盤には収録されていない。パーソネルは、1928年2月の録音から変わっているので、フルに書いておこう。

<Contents>…1928年5月29日ニューヨークにて録音

AH-A面6曲目ゼアル・カム・ア・タイムThere’ll come a time

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

 
Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetレオ・マッコンヴィルLeo McConvilleマニー・クラインMannie Klein
Tromboneミフ・モールMiff Mole
Clarinet and Tenor saxファド・リヴィングストンFud Livingston
Mellophoneダドリー・フォスディックDudley Fosdick
Violinマレイ・ケルナーMurray Kellner
Pianoアーサー・シャットArthur Shutt
Guitarカール・クレスCarl Kress
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsヴィック・バートンVic Berton

これもディキシー色が濃いが、こういう大人数でディキシーというのは珍しい。モールとリヴィングストンのソロの掛け合いが楽しい。<メロフォーン>という楽器はフレンチ・ホルンの代わりなどに使われたらしいが、僕は聴いていてどの音がそうか分からない。

AH盤における次の録音は、1929年4月18日録音のB面「イン・インディアナ」であるが、これはMCA盤の「インディアナ」と同じなので割愛する。

<Contents>…1929年6月12日 ニューヨークにて録音

AH-B面2曲目ワシントン広場のバラRose of Washington square

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

 
Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetレオ・マッコンヴィルLeo McConvilleマニー・クラインMannie Klein
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Miller不明Unknown
Clarinetピー・ウィー・ラッセルPee Wee Russell
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Banjoトミー・フェラインTommy Feline
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsデイヴ・タフDave Tough

サウンド的にはディキシーランドとスイングのちょうど中間のような気がする。ディキシー臭くしているのは、チャンチャカチャンチャカと奏でられるバンジョだと思う。Tb〜Cl〜Ts〜Pと受け継がれるソロは、聴き応え十分で確かに腕達者を集めたセッションであることが分かる。

粟村師などがこの時期ファイヴ・ぺニーズはどんどんメンバーが増えているというのは、不況で仕事のない若いミュージシャンを次々と呼んで上げているからではないかという気がする。そしてBGも証言しているように、レッド・ニコルスに呼ばれれば断れなかった。断るということは次のチャンスの芽を摘んでしまうということになってしまうからであろう。そんな事情も反映してこの時代、ニコルスのファイヴ・ぺニーズは当代一流のバンドの座を維持したのであろう。

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第264回2018年6月2日

キャブ・キャロウェイ 1930年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

市の花 アジサイ

もう梅雨入りしたところもあるようですが、関東地方は今のところ梅雨入り宣言は出されていません。6月最初の日、金曜日は湿気が高くムシムシしていましたが、時折陽光も差す穏やかな陽気でした。
そして土曜日は強烈が日差しが照り付け、気温もグングン上がりました。本日僕は、午前中はいつものコートにテニスをしに出掛けました。本来土曜日の午前はプレイを避けているのですが、梅雨入りが近いと予想される今日この頃です。いつ梅雨の長雨に見舞われ、プレイが出来なくなるか分かりません。出来る時にやっておかないと…、そんな切迫した気持ちです。
また、今フランスではテニスのグランドスラム大会の一つ、全仏オープンが開催されています。僕が一番期待していた大坂ナオミ選手は残念ながら3回戦でアメリカのマディソン・キーズに敗れてしまいましたが、まだ男子の錦織選手が残っています。

市の花 アジサイ2

錦織選手は、1回戦ジャンビエ、2回戦ペール、3回戦シモンと地元フランス勢の3連続攻撃を撃破、4年連続のベスト16入りを果たしています。そして僕は、今回は珍しく土曜日に拙HPを書いています。それは明日錦織選手がベスト入りをかけてオーストリアのドミニク・ティエムと4回戦を戦うからです。ネットにはまだ時間が載っていませんが、これは見ないと、見て応援しないと…。ということで珍しく土曜日アップです。
ガンバレ錦織!!
ということで、完全引退まで残り41週となったオジサンは、相変わらず能天気に過ごしています。

No.264 Cab Calloway
”The King of Hi=De-Ho”

前々回ジミー・ランスフォードで1930年は大体取り上げたかなと思っていたら、もう一音源保有していた。キャブ・キャロウェイの「エース・オブ・ハーツ」盤に1930年の録音が収録されていたのである。
キャブ・キャロウェイは、拙HP第245回で取り上げたように「ザ・ミズーリアンズ」から、バンドを引き継ぐ形でバンド・リーダーとなった。「ザ・ミズーリアンズ」の音源を収録した「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ ザ・ビッグ・バンド・エラ」の解説池上悌三氏によれば、「ザ・ミズーリアンズ」は、決して悪いバンドではなかった。サヴォイの呼び物だったバンド合戦の常連で、南北対抗では、北のデューク・エリントンを容易に打ち負かしたし、左右に分かれたサックスとブラスが交互に立ち上がって速いパッセージを熱狂的に応答する“タイガー・ラグ”は他のバンドの脅威だった。ミズーリアンズはホット・ジャズの新しいスタイルの先駆だった。このことは厳しい評価を下すことで有名なガンサー・シュラー氏も認めるところである。
しかし、大恐慌、そして不景気の時代に入ると、バンドの生存競争は激しくなった。宣伝とニュー・スタイルの時代となり、リーダー、歌手、エンターティナーが必要となってきた。強力なパーソナリティを持たないミズーリアンズは、サヴォイの常勝者、ミュージシャンのバンドであったが、大衆的な人気はまだ得られてはいなかった。この頃アラバミアンズというバンドがサヴォイに出た時、シカゴの出身の新進歌手キャブ・キャロウェイを指揮者兼歌手として使った結果、キャブの歌が注目された。アラバミアンズがサヴォイを辞める時、ミズーリアンズは前にも使ったことのあるキャブを引き抜いてリーダーとしたが、これがうまく当たってバンドの名前もキャブ・キャロウェイ楽団と改めたのである。
1931年にエリントン楽団が5年に渡るハウス・バンド連続出演をしていたコットン・クラブから巡業に出ると、キャブ・キャロウェイ楽団が変わってハウス・バンドとして入り、その後3年のレギュラー出演することになる。その間にバンドは大衆の人気者となった。レコードも出て全国的に有名となり、一流プレイヤーをどんどん補強したが、その優れた音楽はキャブの歌に占領されることが多くなった。
1931年1月29日にミズーリアンズが「ニュー・アルバート・オーデトリーム」に出演する告知広告では、バンド名が「キャブ・キャロウェイと彼のミズーリアンズ」という名称になっている。

Cab Calloway"The king of Hi-de-ho" Ace of hearts AH-106 MONO(輸入盤)

<A面Contents>

 
1.セント・ルイス・ブルースSt. Louis blues1930年7月24日録音
2.サム・オブ・ディーズ・デイズSome of these days1930年12月23日録音
3.ノーボディーズ・スイートハートNobody’s sweetheart1930年12月23日

<Personnel>…

 
Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
TrumpetR.Q.ディッカーソンR.Q. Dickersonラマー・ライトLammar Wrightリューベン・リーヴスReuben Reeves
Tromboneデ・プリースト・ホィーラーDe Priest Wheelerハリー・ホワイトHarry White
Clarinet & Alto Saxウィリアム・ブルーWilliam Blue
Alto Saxアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor Saxウォルター・トーマスWalter “Fut” Thomas
Pianoアーレス・プリンスEarres Prince
Banjoチャーリー・スタンプスCharley Stamps
Tubaジミー・スミスJimmy Smith
Drumsルロイ・マキシーLeroy Maxey

初めてザ・ミズーリアンズを取り上げた前第245回は、1929年から1930年2月17日までの録音を取り上げた。「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ ザ・ビッグ・バンド・エラ」では、「ザ・ミズーリアンズ」となっているが、前回の告知広告でのバンド名「キャブ・キャロウェイと彼のミズーリアンズ」という名称が1931年1月に使われていることから、このアルバムの名称「キャブ・キャロウェイ・アンド・ヒズ・オーケストラ」は、後から実態を考慮して付けられた可能性がある。ともかくバンドとしては過渡期であったことは間違いない。
パーソネルも、繰り返しで申し訳ないが、RCAでのセットではディスコグラフィーが付いておらず、拾える名前だけ拾った。今回は約7か月後の録音であるが、変動がない可能性がある。ただ僕には決め手がないので、レコードに記載されているパーソネルが上記である。
さて、楽曲であるが3曲ともキャブのヴォーカル入りである。キャブのヴォーカルというのは、ユーモアというかオチャラケというか、変に音を伸ばしたり、早口になったりでじっくりと聴かせるというよりもウケ狙いのショーマンシップに徹したものである。所々前ミズーリアンズで聴かれたエリントン楽団張りのミュート奏法によるソロが聴かれるが、あくまでも中心はキャブのヴォーカルである。
つまりここでバンド・カラーが一変したのである。ニューヨークの他のどのバンドもおそらく対抗できない、あるいは対抗することを望まない単純で元気溢れるドライヴ感のある玄人好みのバンドから、キャブのエンターテイメント重視のヴォーカルを前面に立て、しかし演奏力はどこにも引けを取らないというバンドに生まれ変わったのである。この甲斐あって、1931年エリントン楽団の後を襲ってコットンクラブのハウス・バンドという位置に就くのであろう。

僕はこのキャブ・キャロウェイのAceofHearts盤を高校か大学初級の辺りに購入した。聴いてみたくて堪らなかったレコードの一つである。それは初演の大ヒット曲”Minnie the moocher”が入っているからだが、なぜ僕はそれを知ったのだろう?てっきり粟村師の『ジャズ・レコード・ブック』かと思っていたが、同著にキャブ・キャロウェイという項目はないのである。

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第263回2018年5月27日

ホーギー・カーマイケルのレコード

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

5月25日 東京丸の内

今日5月27日日曜日は、まだ5月というのに真夏のような暑い日となりました。昨日は今にも雨が降りそうで湿度が高くまるで梅雨入りしたようです。どうも過ごしにくい日々が続きます。これまで5月と言えばさわやかな陽気というイメージでしたが、本当にそういうこれまでのイメージというのは当てはまらない気象状況になって来たのかもしれません。僕の住む辺りは、昨日の土曜日は運動会を行う小・中学校が多くありました。この蒸し暑さでは運動会は大変だったろうなぁ。
写真右上は東京・丸の内仲通りの金曜日の風景です。通りに面したところに新たなカフェが出来ました。写真では分かりにくいと思いますが、通りの中央に緑に囲まれたスペースがあります。この緑に囲まれた中には、天井だけがあるような簡易テントが設置され、日差しを避けてコーヒーなどが楽しめるようになっています。とても良いアイディアとは思いますが、歩行者専用タイムが終わるごとに片づけなければならず、従業員の方は大変だろうなぁ。

伊豆で買ってきた銘酒

右下の写真は、ゴールデン・ウィークに伊豆に出かけた時に自分用のおみやげです。と言ってもこれを書いている5月27日時点でどれも中身はありません。そうです、呑兵衛なのであります。どれもおいしかったですが、真ん中の「酒」ではなく「池」という純米酒が実にクセがなくおいしかった。今度伊豆に行く機会があったらまた買おう。
ところで鬼が笑うかもしれませんが、僕は来年3月に65歳になり再雇用期間も終了し、完全フリーとなります。それまで残すところあと42週間です。今のところこれまでと特段の変化もなくサラリーマン生活を続けています。これから日々を重ねていくと心境にも何か変化が表れるのでしょうか?そんなこともこれから少し書いていきたいと思っています。

No.263 Hoagy Carmichael

なぜここでホーギー・カーマイケル?と思う方もいるだろう。ホーギーは1930年以降も活躍する。それも作曲家としては勿論、歌手、エンターテイナー、俳優としても活躍している。しかし彼が直接あるいは間接的にジャズに深くかかわってきたのは、大雑把に言ってこの時期辺りではないかと思うので、ここで彼自身の作品集を聴いてみようと思う。

<ホーギー・カーマイケルのレコードについて>

彼自身については、彼のプロフィールに書いたが、いずれ今回のページと合わせて統一しようと思う。
決して裕福とは言えない家庭に育った彼は、彼は18歳のときからピアノで稼ぎ始める。インディアナ大学に入学後もピアノで学費を稼ぎ1925年卒業するが、この大学生時代、ウォルヴェリンズというバンドにいたビックス・バイダーベックと知り合ったことが大きな転機となるのである。学生生活のかたわら、ビックス・バイダーベックのバンドで演奏し、ビックスから即興演奏およびクラシック音楽について学んだという。そして作曲を始めた彼は、1924年に「リバーボード・シャッフル」(Riverboat Shuffle)を作曲し、レコード化される。
MCA盤の田川律氏のレコード解説によると、「ホーギーはウォルヴェリンズのために「フリー・ホィーリン」という曲を書きこれがのちに「リヴァーボート・シャッフル」と改名された」という。この「後に」が分からない。書いてから2日後なのか10年後なのか?ともかく1924年ビックスを擁するウォルヴェリンズは「リヴァーボート・シャッフル」を録音する。この演奏については第183回ビックスの第1回1924年で取り上げた。しかしCDによれば作者は“Carmichael-Voynow-Mills”となっている。“Voynow”はDick Voynowでウォルヴェリンズのピアニスト、Millsはやはり“Irving Mills”である。
パシフィック盤の岩波洋三氏の解説によれば、ホーギーは1925年インディアナ州リッチモンドでGennett社に初めてレコード吹込みを行ったという。そのことは、他のWeb記事にも載っているが詳細は不明。
1926年、一端マイアミ州で弁護士の仕事につき、インディアナ州に戻っても続けるが、1927年に弁護士業務をやめて音楽業界での活躍に専念する。

ジネット社「スターダスト」ラベル盤

そして1927年、ジャズのスタンダード・ナンバーで知られる「スターダスト」を作曲する。インディアナ州リッチモンドの Gennett 社より、作曲者カーマイケルのピアノ演奏でレコード録音されたものがヒットする。それから4年後の1931年、この曲には、ミッチェル・パリッシュによって歌詞がつけられることによって、全世界中に知られることになり、幅広い分野でカヴァーされるようになるのである。日本でも広く聴かれ第11回NHK紅白歌合戦(1960年度)の歌唱曲にもなった。ザ・ピーナッツらにカヴァーされてTV放映されたものを本人が聴いて感激したエピソードは有名である。
この曲の初レコーディングは、田川氏によれば1927年10月31日に、彼自身によって行われた。発売は1928年1月。ホーギーはピアノを担当、他のメンバーは、バイロン・スマート(Tp)、オスカー・ロスバーグ(Tb)、ジーン・ウッドとディック・ケント(As)、モーリス・ベネット(Ts)、ドン・キンメル(Gt)、ポール・ブラウン(B)、クリフ・ウィリアムズ(Ds)というメンバーだったという。田川氏がこのレコードの解説を担当することを知った評論家の青木啓氏がこのテープを届けてくれたという。「シャーシャーという音とともに50年の過去を運んでくれる。27年の演奏だからバンド演奏のみで歌詞はない。歌詞は31年ミッチェル・パリッシュがつけた。冒頭には華麗なイントロもない。このイントロも歌詞の「哀愁」に合わせて後につけられたものだろう」という。しかしWeb版のディスコグラフィーでは、Hoagy Carmaichael and his pals名義(パーソネルは載っていない)。しかしいまではYoutubeで簡単にこの音源は聴くことができる。

パシフィック盤の解説を担当した岩波洋三氏は、LPレコード化されたホーギーのレコードを10枚ほども紹介しているが、僕の持っているレコードは2枚で、いずれも日本盤である。現在の日本で割とたやすく入手できるのはこの2枚ではないかと思う。内容は双方異なるが、タイトルは同じ「ホーギー・シングス・カーマイケル」で、双方ともモノラル録音である。1枚はキングレコードから発売されたもので、原盤はパシフィック・ジャズで1956年9月の録音。”With the pacific jazzmen , arranged & conducted by Johnny Mandel”という長い副題がついている。そしてもう一枚はビクター音楽産業から出されたもので原盤はMCA、「玄人好歌手音盤集」中の1枚として発売された。解説の田川氏によると、この録音の演奏についての録音日やパーソネルは分からないという。
僕は、何年か前先ずパシフィック盤を購入したのだが、大好きな「スターダスト」が収録されていないのが不満だった。そうしたら程なく「スターダスト」の入ったMCA盤を見つけ購入した。双方とも中古で割と安かったと記憶している。

「ホーギー・シングス・カーマイケル・ウィズ・ザ・パシフィック・ジャズメン」
”Hoagy sings CarmichaelWith the pacific jazzmen , arranged & conducted by Johnny Mandel” Pacific Jazz 1223(モノラル)キングレコードからの再発盤

<Contents> … 1956年9月10・11・13日録音 ロスアンゼルスにて録音

A面
B面
1.ジョージア・オン・マイ・マインド(Georgia on my mind) 1.トゥー・スリーピー・ピープル(Two sleepy people)
2.ウィンター・ムーン(Winter moon) 2.ボルチモア・オリオール(Baltimore Oriole)
3.ニュー・オリンズ(New Orleans) 3.ロッキン・チェア―(Rockin’ chair)
4.メンフィス・イン・ジューン(Memphis in June) 4.バラード・イン・ブルー(Ballad in blue)
5.スカイラーク(Skylark) 5.レイジー・リヴァー(Lazy river)

<Personnel> … 9月10日 A-1,3、B-2

Vocalホーギー・カーマイケルHoagy Carmichael
Trumpetハリー・エディソンHarry Edisonコンラッド・ゴゾーConrad Gozzoジミー・ジトーJimmy Zito
Flute & Alto Saxハリー・クリーHarry Klee
Alto Saxアート・ペッパーArt Pepper
Tenor Saxモート・フリードマンMort Friedman
Baritone Saxマーティー・バーマンMarty Berman
Pianoジミー・ロウルズJimmy Roweles
Guitarアル・ヘンドリクソンAl Hendrickson
Bassジョー・モンドラゴンJoe Mondragon
Drumsアーヴ・コットラ―Irv Cottler

<Personnel> … 9月11日 A-4、B-1,5

Bass以外同上
Bassジョー・モンドラゴンラルフ・ペナRalph Pena

<Personnel> … 9月13日 A-2、5、B-3,,4

Trumpet、Drums以外同上
Trumpetハリー・エディソンコンラッド・ゴゾードン・ファガーキストDon Fagerquistレイ・リンRay Linn
Drumsアーヴ・コットラ―ニック・ファツールNick Fatool

1956年の録音ということもあり、一言で申せば、功成り名を遂げたビッグ・アーティストが実力ミュージシャンを従えて趣味のよいジャズを奏でているという一言に尽きよう。僕には初めてお耳にかかる曲もあるのだが、聴きこなしてきたファンには多分よく知られている曲であり、アレンジと指揮はジョニー・マンデルを起用し、今回はこう演奏してみました的な感じである。
興味を引くところは、Tpにハリー・エディソンというスイング時代に活躍した大物を配し、Asにアート・ペッパーというモダン派を起用するという時代を反映するようなパーソネルが組まれているところであろう。実際この時期のペッパーは「モダン・アート」を吹き込む前で初期のプレイに属する。リリカルなプレイが瑞々しい。
僕には、このアルバムは、いわゆる「ジャズ・ヴォーカル」ものというよりは、「エンタテイメント」ものという感じがする。最近は余り見られないが、昔日本でもTV放映されていた「アンディ・ウィリアムズ・ショウ」とか「ディーン・マーティン・ショウ」のホーギー・カーマイケル版で、少し強めにジャズ風味を効かせてみましたということであろう。と言ってラスヴェガスのショウ的ではない。ホーギーのヴォーカルというのはテクニカルなものではないしどちらかと言えば朴訥な感じである。

「ホーギー・シングス・カーマイケル」
”Hoagy sings Carmichael” MCA-3163(モノラル)ビクター音楽産業からの再発盤

<Contents> … 1956年9月10・11・13日録音 ロスアンゼルスにて録音

A面
B面
1.オールド・ミュージック・マスター(The old music master) 1.レイジー・リヴァー(Lazy river)
2.ホンコン・ブルース(Hong Kong blues) 2.ジュディー(Judy)
3.メンフィス・イン・ジューン(Memphis in June) 3.スターダスト(Stardust)
4.オールド・バターミルク・スカイ(Ole buttermilk sky) 4.イン・ザ・クール・クール・クール・オブ・ジ・イヴニング(In the cool , cool , cool of the evening)
5.マイ・レジスタンス・イズ・ロウ(My resistance is low) 5.ムーン・カントリー(Moon Country)
6.ロッキン・チェア―(Rockin’ chair) 6.ボルチモア・オリオール(Baltimore Oriole)
7.リヴァーボート・シャッフル(Riverboat shuffle) 7.リトル・オールド・レディ(Little old lady)
8.ジョージア・オン・マイ・マインド(Georgia on my mind) 8.ウォッシュボード・ブルース(Washboad blues)

<Personnel>

ヴォーカルのホーギー・カーマイケル以外不明。
双方に収録されている楽曲は、「わが心のジョージア」、「ロッキン’・チェア」、「メンフィス・イン・ジューン」、「ボルチモア・オリオール」、「レイジー・リヴァー」の5曲。B-7のみバックにカサロマ・オーケストラが付いているという。

こちらMCA盤は、Pacific盤に僕が最も好きなスタンダード・ナンバー「スターダスト」が入っていないので、「スターダスト」が収録されているこのアルバムを見つけ後に買うことにした。作者自身のヴォーカルでこの名曲を聴いてみたかったのである。と思い入れたっぷりで買って聴いてみると意外とあっさりとした仕上げである。しかし聴けば聴くほど味が出てくる。やはり名曲だ。口笛が効いている。
こちらの盤は、パシフィック盤と違いジャズ集は希薄で、通常のポップス・ヴォーカル風、映画主題歌風である。声を聞いた限りパシフィック盤より若々しい感じがするが、どちらが先の録音かは不明である。A-5「マイ・レジスタンス・イズ・ロウ」は、女性シンガーのヴォーカルも入っているが、これも誰かは不明である。そもそもピアノを弾いているのもホーギー自身かどうかわからない。理由はないが何となくホーギーではないような気がする。

ジャズ・ファンにはパシフィック盤の方が好まれると思われるが、曲を楽しむなら、ホーギーのヴォーカルを楽しむならMCA盤の方が良いと思う。

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第262回2018年5月21日

20・30年代ビッグ・バンド入門 その8
ジミー・ランスフォード 1930年

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映画「デトロイト」パンフレット

5月14日からの週の前半は夏到来を思わせる汗ばむような陽気となりました。この間まで「寒い、寒い」と言っていたのが嘘のようです。僕の勤務先の丸の内・仲通りは日中歩行者専用となり、椅子・テーブルを並べ自由にランチやお茶が楽しめるようになっています。この季節は外で木漏れ日を浴びながらコーヒー・ブレイクと洒落込みたいところですが、余りに勤め先に近いとなかなかできないものです。

映画「デトロイト」を観ました

またまたゴールデン・ウィーク中のことになりますが、映画「デトロイト」を観に行きました。観に行ったのは、第258回でご紹介した厚木にある「アミューあつぎ」です。「私が殺したリー・モーガン」を観に行った際に次はこの映画がかかることを知ったのです。もともと日本では本年の1月に封切られ話題となりましたが、愚図な僕は観に行こうと思いながらもグズグズしていたら、封切館での上映は終了していて、ああまた見逃したかと思っていたら、近くで上映されることを知ったという次第です。

この映画は

1967年夏にデトロイトで実際に起こった黒人たちの暴動の中で起こった黒人射殺事件を扱った映画です。監督は2010年「ハート・ロッカー」で女性として初めてアカデミー賞監督賞を受賞したキャスリン・ビグロー氏です。チラシには「本年度アカデミー賞最有力候補」と大きく謳っていましたが、結果的にはノミネートにも至りませんでした。

テンプテーションズ「マイ・ガール」シングル盤

実際のところは僕などには分かりませんが、次のような憶測も飛び交ったようです。
ことは2016年にさかのぼります。2年連続でアカデミー賞のノミネートが全て白人に占められ黒人がいなかったことから、黒人映画監督スパイク・リーがアカデミー賞のボイコットを表明すると、次々と俳優など黒人映画関係者がボイコットを表明しました。いわゆる「アカデミー賞ボイコット事件」です。そしてそのガス抜きのために2017年度は大方の予想「ラ・ラ・ランド」を覆し、黒人バリー・ジェンキンス氏が監督した「ムーンライト」が作品賞を受賞したというのです。そしてその煽りを喰らい黒人暴動を扱ったこの「デトロイト」は忌避されたというのです。穿ち過ぎの見方のようにも思えますが、完全に否定することもできないような気もします。

ストーリー

映画は先ず、黒人たちが南部を離れ北部に至る経緯など時代背景を実に手際よく、アニメーションで伝え、一気に暴動のきっかけとなった黒人のベトナムからの帰還を祝うパーティーの場面となります。このパーティーで最初に流れるバックのダンス・ナンバーは、モータウンの大スター・グループ、テンプテーションズの「イッツ・グローイン」で、さすがモータウンのお膝元デトロイトだなぁと思わせます。このお祝いのパーティーに突然警察が押し入ってきます。パーティーが行われている店が無許可営業の酒場というのです。それで警官隊は、強引にパーティーを中止させ、抵抗する者を次々と逮捕していくのです。この横暴な取り締まりに対し、地元住民と警察の小競り合いが起こります。そしてこれをきっかけに一部の市民が暴徒化し、商店の破壊、略奪、放火へと発展してしまうのです。
そんな暴動でデビューのチャンスを逸したヴォーカル・グループ「ザ・ドラマティックス」のリード・ヴォーカルのラリーと親友が、暴動と取り締まる警察、州兵たちが入り乱れる中真っすぐ家には帰れず、比較的平静な地区にある「アルジェ・モーテル」にチェック・インします。しかしこれが大変なことに繋がっていきます。

ジェイムス・ブラウン自伝「俺がJBだ!」(文芸春秋)

先にこのモーテルにチェック・インしていたある黒人青年が悪ふざけで、競技用のピストルを窓から撃って警察を驚かすのですが、これは悪ノリが過ぎました。このモーテルに狙撃者がいると思い込んだ警察が、突入してくるのです。そして黒人たちを拘束し、誰が撃ったのか、拳銃はどこに隠したかを問い詰め、暴力の限りを尽くし、ついには3人の無抵抗の黒人を殺害してしまうのです。
やがて暴動も静まり、暴動の後始末となっていきます。警察内部の調査で、現場で捜査に当たった警察官は明らかに行き過ぎで殺害する必要のない人間を殺害したのではないかということで起訴されます。もちろん現場に居合わせた黒人たち、そして少数の白人も警察の暴力を糾弾しますが、結果的には無罪となってしまいます。この不条理さ…。かの国ではいったい何が正義なのか?監督のビグロー氏は冷酷なまでに突き付けてきます。
ストーリーには、「?」と思う個所もあるのですが、「実際はそうだったのだ!」と言われれば納得するしかありません。そもそもこの映画何らかのメッセージを伝えるために、ストーリーを考え、演出するというものではなく、メッセージを伝えるために事実を忠実に再現するという珍しいスタイルの映画だと思います。

デトロイトそして黒人暴動

この事件が勃発した1967年、1954年生まれの僕は13歳でした。中学2年生だったはずです。僕は、「アルジェ・モーテル」事件は当然のこととして、この「デトロイト暴動」事態も全く知りませんでした。田舎の中学生が知るほど報道されなかったのでしょうか?それとも僕が迂闊だったのでしょうか?迂闊だったのは事実です。僕は中学時代は、軟式テニスの部活動に熱中し、社会的な動きなどにはほとんど関心も持っていませんでした。

ミッチ・ライダーとデトロイト・ホィールズ「悪魔とモリー」シングル盤

僕は、小学4年生か5年生の時ビートルズを聴き、欧米にポップス、ロックにのめり込みます。そしてべンチャーズの大ブームに乗り、自分もTV番組「勝ち抜きエレキ合戦」に出場しようと友達と語り合っていました。しかし僕は1966年に発売され日本でも大ヒットとなった右下のレコード、ミッチ・ライダーとデトロイト・ホィールズの「悪魔とモリー」を聴き、一気に志向が黒いものに移っていきます。バンド名は「デトロイト・ホィールズ」です。アップしたのはこのバンドのテーマ・フォトともいうべき写真が使われています。よく分からないかもしれませんが、みんな黒っぽいもの=車のタイヤに乗っかているのです。そう、これがデトロイトのイメージです。
「黒っぽいもの」に惹かれた僕が行きついた処は、ジェイムス・ブラウンです。「悪魔とモリー」の「黒さ」に惹かれた僕は、翌年ヒットしたジェイムス・ブラウン「ビート天国(Let yourself go)」で、決定的に黒い世界に入り込むことになります。そして僕が中学時代は自分もR&Bに惹かれまくりますが、日本全体にもR&Bブームが吹き荒れます。その頃はシュープリームス、テンプテイションズ、スティーヴィー・ワンダーなどを擁するモータウンとオーティス・レディング、サム&デイブ、アレサ・フランクリンなどを擁するアトランティック系と人気を2分して盛り上がります。因みに僕はどちらも大好きでした。でも、モータウンのお膝元デトロイトであれほどの事件が起こっていることは知りませんでした。
どうもアメリカでは、この1967年に何かが起こることは予想できたと言います。”ゴッドファーザー・オブ・ソウル”ジェイムス・ブラウンもその自伝「俺がJBだ!」でこの年の前後のアメリカの状況を黒人の、成功した側にいる黒人としての思いを述べています。「この年に何かが起こる。これは、俺だけではなく多くの人々が感じていたことだった」と。実際1964年ハーレム、フィラデルフィア、65年カリフォルニア州ワッツ、66年クリーヴランド、オマハ、67年はデトロイトの他ニューアーク、プレインフィールドその後もシカゴ、ワシントンD.C.で暴動が起こりました。僕が日本で能天気にリズム&ブルースに浮かれている時にその源アメリカの黒人は、虐げられた境遇に対し抵抗の火花を燃やしていたのです。
ジャズの歴史をたどる時、人種差別問題を避けて通ることは出来ません。そしてこの種の暴動とまでいかなくても小競り合いは今日でも起こっています。そこに「人種差別」が行われている限り、抵抗の暴動或いは小競り合いが無くなることはないでしょう。

No.262 Study in 1920,30th The Big Band Era
”Jimmy Lunceford”Vol.1”

さて、今回から 「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1週」で解説を担当するのは、僕の最も信頼する評論家粟村政昭氏である。
ジミー・ランスフォード・オーケストラはスイング時代に台頭した数あるビッグバンドの内でもエリントンやカウント・ベイシーと並び称される第一級のフル・バンドであったという。但し彼のバンドが本当の意味でのマチュリティーを獲得したのは、バンドの契約がヴィクターからデッカに移り、サイ・オリヴァーが縦横にアレンジの腕を揮うようになった30年代中期以降のことであって、それに先立って吹き込まれた、本アルバムの諸作品は、いわゆる「ランスフォード・スタイル」と呼ぶにはやや生硬な、時にメカニカルな響きさえ混じった、個性薄のものが大半を占めていた。
したがって、このアルバムの鑑賞に当たっては、あくまでもこれをジミー・ランスフォード楽団の傑作集とせず、スイング時代に名を成した偉大な黒人バンドの、成熟途上の姿を記録したものとして聴く必要がある。もちろん後年アレンジャーとして重きをなしたエル・ウィルコックスは、発足当時から在籍していたし、33年以来、サイ・オリヴァーもスタッフに加わってはいたが、彼ら自身もまた、自らの才能を伸ばすべき形成期にあったことを納得せねばならない。
何と正直なレコード解説なのだろう。さすがわが師である。何でもかんでも傑作とは言わないのである。これだから粟村師は信頼できるのである。

ジミー・ランスフォードは、1902年6月6日、ミズーリ州フルトンに生まれ、47年7月13日オレゴン州シーサイドに巡業中突然心臓発作に見舞われてこの世を去った。当時、ランスフォード楽団は、メンバーの移動が激しく、バンドとしては必ずしも往時の水準を維持しているとは言い難かったが、それでも享年いまだ45歳という若さは、前途になお多くの可能性を残すものであった。
ランスフォード楽団の前身は、メンフィスにあったマナッサ・ハイ・スクールのスクール・バンドであった。
ランスフォードは、黒人としては中流以上の恵まれた家庭に育ち、早くから各種のリード楽器やアレンジを手掛けていたが、フィスク・ユニヴァーシティを卒業後ニューヨークのシティ・カレッジに学び、その後体育並びに音楽の教師として、上記メネッサ・ハイ・スクールに赴任してきた。大学時代より、すでにランスフォードは、各地のプロのバンドに加わって演奏経験を積んでいたが、教員となってからも、ジャズに対する情熱醒め難く、やがて学内にバンドを作って、その指揮を取ることになった。これがいうなればランスフォードが率いた最初のバンドで、この時選ばれて参加した生徒の中に、ドラムのジミー・クロフォードやベースのモーゼズ・アレンがいた。そして間もなく、フィスク大学の後輩であったウィリー・スミスやエド・ウィルコックスらもこれに加わってついに1929年、彼らは正式にプロのバンドとして、メンフィスのダンス・ホールでデビューしたのであった。
これより先の27年12月に、ランスフォードはバンドを連れてテキサスのダラスに赴き、“Chickasaw Syncopators”のバンド名で2曲ほど録音をしているが、これがランスフォード楽団としては実質上の初吹込みとなった。そして30年6月に、彼らはメンフィスで第2回目の録音(ランスフォードの名を冠した最初の吹込み)を行い、このあと31年から楽旅に出て一路ジャズ史に残る名バンドへの道を歩み始めたのである。



ジミー・ランスフォード・アンド・ヒズ・オーケストラ Jimmy Lunceford and his Orchestra
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」レコード6枚目 RA-50

<Contents> … 1930年6月6日 メンフィスにて録音

Record6/A面1曲目イン・ダット・モーニンIn dat mornin’
Record6/A面2曲目スィート・リズムSweet rhythm

<Personnel> … Jimmy Lunceford and his Orchestra

< /tr>
Band leader & Alto saxジミー・ランスフォードJimmy Lunceford
Trumpetチャーリー・ダグラスCharlie Douglas
Clarinet & Alto Saxウィリー・スミスWillie Smith
Tenor Saxジョー・トーマスJoe Thomas
Pianoエド・ウィルコックスEd Wilcox
Bass & Vocalモーゼズ・アレンMoses Allen

何度も繰り返しで申し訳ないが、上記パーソネルは一部である。このヴィクターの企画編集盤は素晴らしい内容を持ちながら、やってはいけないところで経費を節減した結果実に情けないものになってしまった。粟村氏自身が解説本文中に次のように記している。「本アルバムの録音が採られた当時のランスフォード楽団のサイドメンについて紹介しておくが―。別掲のディスコグラフィーにて明らかなごとく…(後略)」と。ところが別の箇所にディスコグラフィーはないのである。この組み物に収容されている他のバンド、ベニー・モーテンやチャーリー・ジョンソンなどのように色々調べたが、この時期のランスフォード楽団のパーソネルはよく分からなかった。そこで粟村師の解説に出てくる人物だけを取り上げたのが、上記パーソネルである。

Record6/A面1曲目イン・ダット・モーニン

ランスフォード自身の作編曲になるもので、ジミー・ランスフォードの名を冠した最初の吹込みに当たる。モーゼズ・アレンの唄―というよりはプリーチングが聞かれる。プリーチングとは、多分「Preachin'」で、いわゆる教会で牧師が説教することである。確かに唄ではないし単なる語りではない。牧師が教会で教えを垂れる口調をまねたものであろう。ソロはチャーリー・ダグラスのTpとウィリー・スミスのAs。スミスのプレイに、ジョニー・ホッジスの影響が聞かれる辺りが興味の中心となろうと粟村師は解説している。
ある解説では、これがモーゼズ・アレンの最もよく知られたプレイであると書いてある。多分演奏ではなく唄―プリーチングのことかもしれない。


Record6/A面2曲目スイート・リズム

前曲と同日に同じくメンフィスでの録音。作編曲は終止リーダーと行動を共にしたエド・ウィルコックスの手になるのだが、後年サイ・オリヴァーと共にランスフォード楽団の屋台骨を支えたウィルコックスの才能も、この初期作品においては、いまだ十分に開花していないという印象を受ける。ここでのウィリー・スミスのソロにも、ジョニー・ホッジスからの影響が感じられるという。ウィルコックスも短いソロを取るが、ストライドともラグタイムとも異なる独自性を感じる。

ここのところ20年代から30年代にかけてのビッグ・バンドを取り上げることが多いが、というかこの時代がそういったビッグ・バンドがジャズの中心の担い手であったのだろうが、このランスフォード楽団は他のヘンダーソンやモーテン、エリントンとも異なる全く独自のサウンドを持っているように感じる。

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第261回2018年5月12日

20年代ビッグ・バンド入門 その7
ベニー・モーテン 1930年

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大室山

楽しかったゴールデン・ウィークも終わり、今週5月7日月曜日からお仕事に復帰されている方も多いと思います。各言うワタクシのたり庵も仕事復帰です。本来余りゴールデン・ウィーク期間中に旅行等はしたくないというのが、のたり庵の本音ですが、カミサンの執拗な攻めに会い一泊だけ温泉に旅行しました。「いまさらゴールデン・ウィークかい?」と叱られそうですが、お許しください。
出かけたのは5月2日水曜日、この日は祝日でも休日でもなく平日なので、それほど混雑していないのではないかと思い、我々の住んでいる地域からはそれほど遠くない伊豆高原に一泊で出かけました。クルマで出かけたのですが、予想は的中し、一般道、西湘バイパス、真鶴道路、135号線と渋滞はなく、目的地の東伊豆・伊豆高原に到着しました。写真左は同地の観光スポット「一碧湖」です。写真が拙くよくお分かりならないと思いますが、水面に映る新緑が実に美しく、ゆったりと散歩するにはうってつけの場所です。ただ、車で行かれると駐車場が分かりにくいとは思います。我々は閉鎖されている美術館の駐車場に停めました。

鯵丼

天候は、5月2日は晴れて汗ばむような陽気でしたが、夕方から曇り始め夜半から翌朝までは宿泊したホテルの窓を強い雨が打ち付け、風はビュービューと唸るような大荒れの天候となりました。ところが、5月3日(木・憲法記念日)の朝食を済ませたころから、天気はグングンと回復し、チェックアウトするころには晴れ間も見えるようになりました。
どうも最近の転向の変化は急激で、崩れるのも早いが回復するのも早いような気がします。日本の天気元々こんなだったでしょうか?
そんなことで一転して観光日和となったので、東伊豆のもう一つの観光スポット「大室山」に行ってみることにしました。大室山にはずいぶん以前子供たちが小さいころに来たことがあります。その時はロープウェイで頂上まではいかず、麓の「さくらの里」でお弁当を食べました。子供たちがロープウェイに乗るにはまだ幼いと思ったからですが、今回は幼いどころか十分に薹が立った熟年夫婦です。頂上までロープウェイで登り約1キロの外輪をゆっくりと歩いて回りました。右上の写真はロープウェイの役のちょうど反対側から写したものです。
さて、伊豆の名物食べ物です。

キンメダイの煮付け

写真右中は「鯵丼」。右下は伊豆と言えば「キンメダイ」、その煮付けです。写真は5月2日伊東市の135号線沿いの食堂「旬蔵」さんでいただいたものです。
「鯵丼」アジフライ付きで約1900円、キンメ半身煮付け定食約2000円とちょっと値は張りましたが、鯵は実に新鮮でおいしく、アジフライも大判で身が厚く食べ応えがあります。キンメの煮付けも甘辛い味付けが絶妙で、夫婦で取り換え引き換えしておいしくいただきました。観光地の観光客向けの飲食店というと値段は高いがそれほどおいしくもなく、店員の態度も横柄というのが相場ですが、このお店は店員さんも明るく親切で、とても居心地よくおいしい食事が出来ました。観光地に出向くのである程度の高額な食事は覚悟していますが、地のものを活かしたおいしくいただけ、店員さんも感じのよいこういうお店に出会うと本当に旅は楽しくなります。

第261回Study in 1920th The Big Band Era
”ベニー・モーテン Bennie Moten’s Kansas City Orchestra”Vol.5

さて、本篇です。カンサス・シティ・ジャズの雄ベニー・モーテン楽団の第3回、1930年の録音を聴いていきましょう。です。

ベニー・モーテン率いるカンサス・シティ・オーケストラの1930年の録音は、10月27日から10月31日にかけて集中的に行われたようである。幾つかのディスコグラフィーを見ても、同バンドの1930年の録音はこの時期しかない。
そしてこの録音から、ヴォーカルのジミーラッシングとトランペットのホット・リップス・ペイジが加わった。
ブルース歌手として有名なジミーであるが、この時点では時にはブルースを歌うバラード・シンガーだったという。そしてリップス・ペイジは第3トランペットとして加わった。しかしこのバンドの再構築を開始したのはアレンジを担当するエディ・ダーハムだった。ガンサー・シュラー氏によれば、ダーハムの最初の狙いは、ヘンダーソン=レッドマン=カーターの路線のスタイルを模倣するところにあったという。この路線の楽想は、Record8/B面3曲目「オー・エディ」、Record9/A面6曲目「サムボディ・スト−ル・マイ・ギャル」などの曲に一貫して登場するという。ビートは、4/4の楽想をより濃厚に伝える方向に傾いているという。


ベニー・モーテン Bennie Moten’s Kansas City Orchestra
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」レコード8枚目 RA-52 & 9枚目 RA-53

<Personnel> … Bennie Moten's Kansas City Orchestra

Band leader & arrangerベニー・モーテンBennie Moten
Trumpetエド・ルイスEd Lewisホット・リップス・ペイジOran "Hot Lips Pageブッカー・ワシントンBooker Washington
Tromboneサモン・ヘイズThamon Hayes
V-Trombone 、Guitar & Arrangeエディー・ダーハムEddie Durham
Alto Sax & Clarinetハーラン・レナードHarlan Leonard
Clarinet & Tenor Saxウッディー・ウォルダーWoody Walder
Alto Sax & Baritone saxジャック・ワシントンJack Washington
Piano & Accordionバスター・モーテンBuster Moten
Pianoカウント・ベイシーCount Basie
Banjoルロイ・ベリーLeroy Berry
Tubaヴァ―ノン・ペイジVernon Page
Drumsウィリー・マックワシントンWillie McWashington




<Contents>…1930年10月27日〜31日 カンサス・シティにて録音

Record8/B面1曲目ウォント・ユー・ビー・マイ・ベイビーWon’t you be my baby ?1929年10月27日
Record8/B面2曲目アイ・ウィッシュ・アイ・クド・ビー・ブルーI wish I could be blue1929年10月28日
Record8/B面3曲目オー・エディOh ! Eddie1929年10月28日
Record8/B面4曲目ザット・トゥ・ドゥThat too , do1929年10月28日
Record8/B面5曲目マックズ・リズムMack’s rhythm1929年10月28日
Record8/B面6曲目ユー・メイド・ミー・ハッピーYou made me happy1929年10月28日
Record8/B面7曲目ヒア・カムズ・マージョリーHere comes Marjorie1929年10月28日
Record8/B面8曲目ザ・カウントThe count1929年10月28日
Record8/B面9曲目ライザ・リーLiza Lee1929年10月29日
Record9/A面1曲目ゲット・ゴーインGet goin’(Get ready to love)1929年10月30日
Record9/A面2曲目プロフェッサー・ホット・スタッフProfessor hot stuff1929年10月30日
Record9/A面3曲目ホエン・アイム・アローンWhen I’m alone1929年10月30日
Record9/A面4曲目ニュー・モーテン・ストンプNew Moten stomp1929年10月30日
Record9/A面5曲目アズ・ロング・アズ・アイ・ラヴ・ユーAs long as I love you1929年10月30日
Record9/A面6曲目サムボディ・スト−ル・マイ・ギャルSomebody stole my gal1929年10月31日
Record9/A面7曲目ナウ・ザット・アイ・ニード・ユーNow that I need you1929年10月31日
Record9/A面8曲目バウンシン・ラウンドBouncin’ round1929年10月31日



Record8/B面1曲目「ウォント・ユー・ビー・マイ・ベイビー」
ジミー・ラッシングの作。僕は、後年の彼即ちベイシー楽団での彼を聴いて彼を知ったので、意外と思うが解説の瀬川氏によると、この頃ラッシングはもっぱらバラードを歌っていたので、彼としては珍しい力強いナンバーで、バックの不断に4ビートを送っているリズムとともに、モーテンならではの演奏という。でも僕は力強さというよりこの時代らしいポップなナンバーという感じがする。バンドとしてのアンサンブルは厚みを増したように感じる。
Record8/B面2曲目「アイ・ウィッシュ・アイ・クド・ビー・ブルー」
瀬川氏は、サックスとブラスの合奏ハーモニーも分厚く近代的になった。リズムも4ビートのスイングで、全体を合奏で通しても飽きさせない良いムードになっているという。僕はこの曲も悪くはないが、前曲の方が合奏のサウンドは素晴らしいと思う。
Record8/B面3曲目「オー・エディ」
曲名通りエディ・ダーハムのオリジナル。演奏スタイルは古いモーテン・バンドの感覚。ベイシーのピアノ、バスター・モーテンのアコーディオンのブラスと絡み合ったプレイが聴かれる。アンサンブルも素晴らしいと思う。
Record8/B面4曲目「ザット・トゥ・ドゥ」
ジミー・ラッシングがモーテン・バンドと吹き込んだ唯一のブルース・ナンバーでダーハムのギター伴奏が素晴らしい。後のベイシー・バンドでのラッシングのブルース唱法が既に聴かれる。エド・ルイスの輝かしいTpとバンドとが応答形式で掛け合っている、とは瀬川氏の解説。
Record8/B面5曲目「マックズ・リズム」
瀬川氏は、「マックというのはおそらくドラムのウィリー・マクワシントンのことで、彼のリードするモーテン・バンドの新鮮なリズム・セクションの迫力をフューチャーした作品であろう。この頃からモダンなリズムに脱皮しつつあったモーテンの、カンサス・シティ・リズムの変貌がよく看取できる」と述べている。
しかしこの演奏を聴いてマクワシントン、リズム・セクションの技量を感じろというのは所詮無理な話だと思う。この曲は、短いが数少ないドラム・ソロが入る、つまりマクワシントンをフューチャーしたというぐらいのことではないだろうか?
Record8/B面6曲目「ユー・メイド・ミー・ハッピー」
瀬川氏は、ノヴェルティ的なダンス音楽で、合奏、Tb,Cl合奏、アコーディオンと演奏技術は確かに向上していると述べている。僕はいかにもこの時代の音楽だなぁと思うくらいである。
Record8/B面7曲目「ヒア・カムズ・マージョリー」
サックス・セクションの合奏におけるよく揃ったハーモニーが美しく、合奏編曲技術の向上は顕著なものがあるというが、合奏技術はこのレコーディング集中期間の初めから感じることである。
Record8/B面8曲目「ザ・カウント」
アップ・テンポのブラスとサックスのリフの応答形式に迫力がある。ソロ・プレイはアコーディオンとTpだけだが、リフの面白さで聴かせているとするが、リフをこれでもかというくらいに繰り返し重ねていくことで迫力が出るのである。
Record8/B面9曲目「ライザ・リー」
エド・ルイスのコルネット、ハーラン・レナードのアルトとソプラノサックスのソロとラッシングの楽し気なヴォーカルが聴きものである。レナードはソロイストとしてあまり高く評価されていないが、1931年までのモーテン・バンドにける数多くのプレイは、同時代の奏法としては傑出していたという。
ここでレコードは最終9枚目に移る。

Record9/A面1曲目「ゲット・ゴーイン」
全体に大変メロディアスな甘い演奏で、アンサンブル、アコーディオン、P、アコーディオンとテーマを奏し、ラッシングのヴォーカルに引き継がれる。ポップな路線のナンバー。
Record9/A面2曲目「プロフェッサー・ホット・スタッフ」
アップ・テンポの合奏の次にギターの長いソロがある。ミュートTpとテナー・サックスのホットなプレイが優れている。次いでアコーディオンとPというソロの配列が変わっているというが、短いソロが入り乱れる感じである。
Record9/A面3曲目「ホエン・アイム・アローン」
ジミー・ラッシングのバラード歌手としてのうまさを充分に発揮した曲である。そしてこのようなバラードの伴奏をする時でも、スイング期の4ビートのリズムを既に使用して、近代的感覚を創り出しているところに、1930年代に入ってからのモーテン・バンドの進歩がうかがわれると瀬川氏は書くが、この曲を聴いてバラード・ナンバーと思う人はかなり稀有なのではないだろうか?瀬川氏はラストのブラス合奏が、いかにもフレッシュな感じに溢れているという。僕はオープンのTpソロが素晴らしいと思う。
Record9/A面4曲目「ニュー・モーテン・ストンプ」
1927年の「モーテン・ストンプ」は、バンド出演の度にリクエストされるほど大ヒットしたが、この新しいヴァージョンはバンドのリズミックな新しさを充分に誇示した野心的な作品という。いずれにしろアンサンブルが見事な出来映えである。
Record9/A面5曲目「アズ・ロング・アズ・アイ・ラヴ・ユー」
ジミー・ラッシングの歌は。クルーナー式なバラード唱法で、ミュートTp(ホット・リップス・ペイジ)のメロディアスでセンチメンタルなプレイにぴったりのムードだという。さすがに「クルーナー式」というのがよく分からない。年代の違いだろう。しかしこの曲が「センチメンタル」だろうか?僕の感性がおかしいのだろうか?
Record9/A面6曲目「サムボディ・スト−ル・マイ・ギャル」
珍しいことにベイシーのスキャット・ヴォーカルが入っているので有名な曲である。ベイシーの歌のバックで応答しているのは、アルトのハーラン・レナード。ベイシーのPも非常に楽し気であり、ブラスの合奏が、後のベイシー楽団のリフの到来を既に暗示している。Bs、Tp、Tsのソロによるジャングル・ジャイヴと呼ばれたスタイルの効果も面白いとは瀬川氏。しかし「ソロによるジャングル・ジャイヴと呼ばれたスタイル」というのが分からない。それぞれのソロが並ぶのにスタイルがあるのだろうか?それよりも冒頭の部分のアンサンブルの音使いが「ジャングル・スタイル」を感じさせる音の響きだと思う。
Record9/A面7曲目「ナウ・ザット・アイ・ニード・ユー」
瀬川氏は、「アップ・テンポだが、ラッシングのヴォーカルは、流行りのクルーナー調。ミュートTpが合奏の上をハイ・トーンで吹き、ラストの合奏をホットに盛り上げる」と解説する。
Record9/A面8曲目「バウンシン・ラウンド」
瀬川氏は、「ブラスとサックスの厚みのある合奏が印象的。ミュートTpのソロはリップス・ペイジか?」と解説する。

1930年10月27日から31日にかけて一挙に17曲が録音された。ほぼLPレコード1枚表裏に該当するような感じだ。そう思って一気に聴くと少々飽きる。このバンドの演奏は全体的に明るい感じがする。そしてもちろん多少の速い遅いはあるが、テンポがほぼ同じなのである。アップ・テンポと言ってもそれほど速くなく、バラードと言ってもスローではない。要はメリハリがないのである。それぞれ曲ごとにメモを取って聴くと上記のような曲感想となるのだが、ただただ聴くと飽きてしまうのである。

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