ジャズ・ディスク・ノート

第226回2017年9月17日

ビックス・バイダーベック 入門第9回 1929年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

9月16日土曜日から18日まで嬉しい、嬉しい3連休となります。

僕の住む辺りではまだまだ百日紅(サルスベリ)が満開になっています。それだけ暖かいのでしょう。
昨日土曜日は昼前からポツリポツリと雨が降り出しました。大型で強い勢力の台風18号が来ていますが、この辺りの雨は台風によるものではなく、台風に刺激された秋雨前線によるものだそうです。
原因はともかく僕にとってはテニスが出来なかったのが痛い!とても痛いです。1週間の内一度くらい思い切り体を動かすスポーツをしないと、体が鈍りきってしまいます。

右は先週散歩中に見かけた花壇の花の寄せ植えです。そういえば、今回の写真は全て先週の土曜日のものです。今週は天気の悪化のため撮影は諦めました。
巻頭の緑あふれる森、そして派手やかに咲く花々正に平和の象徴です。僕はこの世で一番大切なものは「平和」だと思っています。平和でなければ、楽しいテニスもできず、ジャズに聴き入ることもできません。それどころか子供たちの命さえ危うくなります。
昨日9月8日また北朝鮮がミサイルを実験発射しました。そしてそれ以上に気になるのは、9月4日に行われた水爆実験です。これはいけません。絶対にいけません。
北朝鮮の金正恩は戦争がしたくて仕方が無いようにしか思えません。全人類への愚かな挑戦です。戦争などやっても何もいいことなど一つもないことがなぜわからないのでしょうか?度重なる挑発行動をとっていますが、怖いのはどこかの時点で何らかの暴発事故が起こることです。そうなれば全面戦争に突入する可能性があります。くれぐれも両者とも自重してはして欲しいものです。

第226 Bix Beiderbecke Vol.9 1929

「ビックス・バイダーベック物語」レコード・ボックス

『ビックス・バイダーベック物語』(The Bix Beiderbecke story) CBS SOPB 55017〜19

前回第207回で僕持っているビックスの1928年最後の録音、10月5日トランバウアー名義の録音を取り上げた。そこで僕は、「ビックス・バイダーベック物語」解説の油井正一氏は、1928〜29年は参加したポール・ホワイトマン楽団がコマーシャル化への道を歩んでいく中で、苦悩したビックスは深酒によって健康を害していくと書いている。1928年10月の録音までは、その兆候は見られない。これからのビックスはどうなっていたのか?大変興味深いところであると書いていると。
その興味深い1929年である。
当時ビックスが在団してポール・ホワイトマン楽団は1929年からヴィクターからコロンビアへ移籍する。当時のフォックスのムービートーン・ニュースは深夜12時を回る時計の針を映し、ホワイトマンがヴィクターからコロンビアに移籍したことをニュースにしたというから、大変なスターぶりである。
しかし油井氏によれば、コロンビア入りしてからのホワイトマン楽団は、絶えざるメンバーの入れ替えもあって、音楽的には意外と振るわない時代を迎えるという。次々と新しいアレンジが与えられ、初見(楽譜を見てすぐに演奏すること)に弱いビックスは、さらなる新しい悩みに直面することとなった。そうしてビックスは深酒に陥るようになり、ついにはアルコール中毒にまでなってしまった。
そして、1928年暮れついにホワイトマンはビックスに対し、給料は前の通り支払うから十分に静養するように言い渡し、イリノイ州のドワイトの病院に入院させた。破格の厚遇である。そしてその間ビックスの後釜には、ビックスの模倣者アンディ・セクレストを雇って補充した。
ビックスは1929年2月末、約3か月間の入院生活を終えてホワイトマン楽団に復帰する。しかしホワイトマンは、セクレストを気に入り、セクレストをそのままバンドに留め第3トランペットの座を与えたのであった。
そして吹き込まれたのが1929年4月17日の「家に帰らないかい」である。この録音では2本のコルネット奏者がいるのだが、ラストの数小節に至るまで2本のコルネットは同時に奏しない。そしてどちらがビックスかをはっきり断定できる人いないという。
しかしこの録音はトランバウアー名義である。この辺りの事情はよく分からないが、ホワイトマンの名義を使った方がよいと判断された場合は「ホワイトマン名義」、使わない方がよいと判断した場合はトランバウアー名義だったりしたのだろう。

「ビックス・バイダーベック物語」Vol.3レコード・ジャケット

<Contents>…1929年4月17日 ニューヨークにて録音

Record Vol3 A-6.家へ帰らないか?Baby won’t you please come home ?

<Personnel>…フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Frank Trumbauer and his orchestra)

Band leader & C melody sax & Vocalフランク・トランバウアーFrank Trumbauer
Cornetビックス・バイダーベックBix Beiderbeckeアンディ・セクレストAndy Secrest
Tromboneビル・ランクBill Rank
Clarinetイッジー・フリードマンIzzy Friedman
Alto saxチャールズ(ハロルド)・ストリックファドンCharles Strickfaden
Pianoレニー・ヘイトンLennie Hayton
Violinマッティ・マルネックMatty Malneck
Guitarエディー・ラングEddie Lang
Bass saxミン・ライブルックMin Leibrook
Drumsスタン・キングStan King

パーソネルは、『ビックス・バイダーベック物語』に記載されたもので、ディスコグラフィーとは食い違う点がある。ディスコグラフィーではAsはチェスター・ヘイズレットかチャールス・ストリックファドンとなっており、Pはヘイトンではなく、ロイ・バーギィ、Gtはエディ・ラングではなく、”スヌーザー”・クインとなっている。油井氏自身Gtはラングではないような気がすると書いているのでディスコグラフィーの方が当たっているかもしれない。まぁいずれにしろ、油井氏は、ラングを除いてはどちらでも大勢に影響なしと言っているので、どちらでもよいのだろう。
なお、メンバーの「イッジ―・フリードマン」の「イッジ―」は愛称で、フルで表記すると「Irving "Izzy" Friedman」であり、ディスコグラフィーでは「Irving Friedman」と表記されることが多いようだ。またこのレコードで度々登場する「ハロルド・ストリックファドン」も本来は「Charles Greyson Strickfaden」で、「Harold」は別名のようだ。どうしてこのような別名を使う必要があったのかはわからないが、アメリカ版のディスコグラフィーなどでは「Charles Strickfaden」と書かれることが多いようだ。
さて油井氏によれば、このレコードはビックス研究家にとってよく話題にされるものだという。すなわち2本のコルネットのうちどちらがビックスで、どちらが模倣者アンディ・セクレストかというのである。この時期ビックスは健康上も、プレイの面でも下降線にあり、一方はセクレストは、ビックス模倣の第一人者であるという。その模倣者との違いが分からないというのだから、ビックスも落ちたものであると油井氏は書く。
アメリカの評論家ジョージ・アヴァギャンはトランバウアーのヴォーカル2小節目から入るミュートがビックスで、その後のミュート・ソロ(16小節)もビックス、最初のオープン・ソロ(16小節)と、ラストのアンサンブルは、ビックスの加わる8小節を除いてセクレストであるとしているが、油井氏も全く同感であるという。
何も知らないで聴く限り、この演奏はTpがなかなか良い味を出しているなと思う。僕はレコードを聴くとき最初に解説をあまり読まないので、そう思っていた。しかし実態はどれがビックスで、どれが偽者セクレストかという論争があったというのは却って驚きである。これを聴く限りアンディ・セクレストもなかなか良いTp奏者と思うが以後の活躍を聞かないし、『ジャズ人名事典』にも載っていない。真似をする相手がいてこその物まね師であったということだろうか?

映画「キング・オブ・ジャズ」ポスター?

その後、ホワイトマン楽団はユニヴァーサル映画「キング・オブ・ジャズ」への出演のため、ハリウッドに向かうのだが、その前に5月にも何度かセッションを行い録音を行った。それが以下の2曲である。

<Contents>…両曲ともニューヨークにて録音

1929年5月3日Record Vol3 B-4.チャイナ・ボーイChina boy
1929年5月4日Record Vol3 B-6.オー、ミス・ハンナOh , Miss Hannah

<Personnel B-4>…ポール・ホワイトマンと彼のオーケストラ(Paul Whiteman & his orchestra)

Band leaderポール・ホワイトマンPaul Whiteman
Cornetビックス・バイダーベックBix Beiderbeckeアンディ・セクレストAndy Secrest
Trumpetチャーリー・マーギュリスCharlie margulis
Tromboneビル・ランクBill Rank
Clarinet & Tenor saxイッジー・フリードマンIzzy Friedman
C melody sax & Vocalフランク・トランバウアーFrank Trumbauer
Alto saxチェスター・ヘイズレットChester Hazlettバーニー・デイリーBernie Daly
Tenor saxチャールス・ストリックファドンCharles Strickfaden
Tubaミン・ライブルックMin Leibrook
Pianoロイ・バーギィRoy Bargy
Banjoマイク・ピンギトーレMike Pingitore
String bassマイク・トラフィカンテMike Trafficante
Violinクルト・ディーターレKurt Dieterleミーシャ・ラッセルMischa Russellチャールズ・ゲイロードCharles Gaylord
Drumsジョージ・マーシュGeorge Marsh
チャイナ・ボーイ

油井氏の解説はシンプルで、編曲はレニー・ヘイトン、フリードマンのクラリネット・ソロとビックスのソロが聴かれるというが、トランバウアーのソロも聴かれる。全体の印象は「古き良き時代の映画音楽」みたいな曲で、ビックスのソロは特に印象に残らない。

「ビックス・バイダーベック物語」Vol.3B面ラベル
オー、ミス・ハンナ

「チャイナ・ボーイ」の翌日の録音ではあるが、メンバーにかなり追加がある。前日は何かの都合で参加できずこの日は参加できたということであろうか?追加されたメンバーだけを以下記すと
Trumpet…ハリー・ゴールドフィールド(Harry Goldfield)
Trombone…ボイス・カレン(Boyce Cullen)、ウィルバー・ホール(Wilbur Hall)、ジャック・フルトン(Jack Fulton)
Reeds…ロイ・メイア―(Roy Maier)
Celesta…レニー・ヘイトン(Lennie Hayton)
Violin…ジョン・ボウマン(John Bouman)
そしてヴォーカルのビング・クロスビー(Bing Crosby)である。
この録音が、年代順にみて『ビックス・バイダーベック物語』3枚組に収録された最後の録音となる。
油井氏によれば、この録音で分かるように1929年に入ってからのビックスの出来は前年とは格段の開きがあるとし、ビング・クロスビーの後に出るビックスのソロなど昔日の面影はほとんどない。そしてそれにもまして、ビル・チャリスの編曲の「たるみ方」に驚くと書いている。しかし一般大衆は、こういうホワイトマン楽団、「キング・オブ・ジャズ」の称号にふさわしいと考えていたのであるという。
ビックスはここでも16小節ミュートでソロを取っているが確かにさえない印象である。

この後5月16日の録音の後、ビックスを加えたホワイトマンの録音も中断される。理由は、先ほど書いたようにホワイトマン楽団が揃って映画「キング・オブ・ジャズ」出演のためハリウッドに向かったためである。ニューヨークに戻っての録音は再開は9月になってからだが、僕は持っておらず、僕が持っているのは翌1930年に行われたものとなる。

ビックス・バイダーベックは1931年8月6日28歳の若さでこの世を去る。ディスコグラフィーによれば最終年1931年にレコード録音はされておらず、次回1930年が、記録(record)に残る最後の活動の年となる。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第225回2017年9月8日

シカゴ・スタイル・ジャズ第4回 1929年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

本日取り上げるのは小ネタである。「小ネタ」というのは、そのミュージシャンに対して大変失礼なことである。僕が言う意味は、「質」ではなく「量」ということでご理解いただきたい。
なにせ2曲、2面分である。本来は月曜日9月4日にアップする予定であった。ほとんど出来上がっていた。しかし4日は少し遅くなり、明日の仕事と睡眠時間を考え翌9月4日の月曜日にアップすることにしたのだった。それがここまで延びたのは、またまた「残業」のせいである。これを書いている木曜日まで連日の残業であった。
最近健全な社会生活の敵「残業」、げに恐ろしき敵である。

9月4日日曜日、少し蒸し暑く、友人から教えてもらっていた「冷やし中華」のおいしい店に初めて行ってみようとカミサンと出かけました。ところがその店はなんと「不動産屋」さんに変わってしまっていたのです。
ではどこで昼食を取ろうかということになり、ふと以前から看板だけは見ていた写真の煮干しとんこつラーメンの店「六郷」に入ってみることにしました。僕のカミサンは「煮干し」大好きなので以前から気になっていたとのこと。

ところが、実は僕は余り煮干しが好きではないのです。「豚骨煮干し」なので、「とんこつ」もあるかなと思って入ったのですが、ありませんでした。…残念!
写真は僕の頼んだ「特製煮干しとんこつラーメン」980円です。カミサンは「煮干し100%ラーメン」を食していました。
もっとシンプルなラーメンにしたかったのですが、券売機の表示が分かりづらく、気付いたら最も効果のものを買ってしまっていました。
食した結果は…もう二度と行かないと思います。といってもそれは僕が先ほども書いたように「煮干し」がそれほど好きではないからです。しかし煮干し好きには堪らない至福の一杯かもしれません。

No.225“Chicago style jazz” Vol.4 1929

「シカゴ・スタイル・ジャズ」の4回目。1929年の録音を聴いていこう。と言っても僕の持っている音源は2曲だけである。前回取り上げた録音は、ジョー・“ウィンギー”・マノンが率いるクラブ・ロイヤル楽団の1928年12月17日 の録音であった。
リーダーのエルマー・ショーベルについてはこのレコードで初めて知った。プロフィールにも書いたがスイングジャーナル社『ジャズ人名事典』にも記載がないが、名門N.O.R.K.のピアニストで、BG、スパニア、テッシュメーカーにジャズの初歩を教えた人物として重要であるという。そんな関係でここで取り上げられたのだろう。

「ザ・シカゴアンズ・ザ・オースティン・ハイ・ギャング(1928年−1930年)」“The Chicagoans 1928-1930”デッカSDL-10361

<Personnel>…エルマー・ショーベル・フライアーズ・ソサエティ・オーケストラ (Elmer Shoebel and his friars' society orchestra)

Band leader & Pianoエルマー・ショーベルElmer Shoebel
Cornetディック・フィージーDick Feigie
Trombone & Vocalジャック・リードJack Read
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxフロイド・タウンFloyd Towne
Guitarチャーリー・バーガーCharlie Barger
Tubaジョン・クーンJohn Kuhn
Drumsジョージ・ウェットリングGeorge Wettling

<Contents> … 1929年10月18日 にて録音

B面4曲目コペンハーゲンCopenhagen
B面5曲目プリンス・オブ・ウエールズPrince of Wails
B-4.コペンハーゲン

この曲は一度取り上げたことがある。1924年録音のルイ・アームストロング在団時のフレッチャー・ヘンダーソン楽団による録音である。この録音はそれから5年後ということになる。冒頭のアンサンブルの後にフューチャーされるルイの自信に満ちたソロが短いが見事な聴き応えのあるものであった。その後は短いTb、Clのソロを挟みながらほとんどアンサンブルに終始するのだが、アンサンブルはいいからもっとルイを聴かせてくれと思ったものだった(編曲はドン・レッドマン)。
さてこちらの演奏は、グッとアンサンブルの割合は減り、Cl、Ts、Tpのリードするアンサンブル、Gt、Tpの短いソロが続く。解説の飯塚氏によると、テッシュメーカーとフィージーのTpソロが見事とし、フィージーは強くバイダーベックの影響を受けているとする。
僕は二人に劣らず、フロイド・タウンのテナーも、バーガーのギターも素晴らしいと思う。

B-5.プリンス・オブ・ウエールズ

ショーベル自身の作。テッシュメーカーがフューチャーされている。飯塚氏も一番聴き応えがあるとする。しかし前曲同様タウンのテナーはレスター・ヤングを先取りするような柔らかな音色の滑らかなプレイで魅了するし、バーガーはどちらでもソロを取るが、特にこの曲ではコードによるソロで当時としては斬新なものではないかと思う。

この辺りのレコードは最初は資料として聴いていたが、何度も聴いていくうちに次第に素晴らしさが分かってくる。コツは、当時はSP盤時代だったということに敬意を払い、アルバムとして流して聴くのではなく1曲ずつ区切って1曲を聴き込むことである。何を偉そうに!と自分でも思ってしまいました。スイマセン!

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第224回2017年9月3日

ファッツ・ウォーラー入門 第4回 1929年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


この週末はスピードの遅い台風15号の影響で大荒れの天気が予想されていました。実際金曜日の夜から雨が強まり、土曜日(9/2)の明け方から朝にかけては、強い雨が降り風も鳴っていました。
ところが雨は朝8時頃には止み、風も治まってきました。午前10時半過ぎにテニス仲間からメールが届き、「コートが使える、テニスやるぞ!」というのです。まだパジャマでウダウダと過ごしていた僕は、慌てて顔を洗い、着替えてテニスコートに向かいました。この日は13時までしかコートの予約が出来ていなかったので、僕がプレイできたのは1時間半程度でしたが、出来たのと出来なかったのとでは、体調に大きな違いがあります。できて本当に良かった!

テニスと言えば、全米オープン。男子では、期待の杉田祐一選手は2回戦で格下に敗れ、ダニエル太郎選手も2回戦第1シードラファエル・ナダルに第1セットを取る健闘を見せましたが、結局1対3で敗れました。女子では、昨年の優勝者ケルパーを破った大坂ナオミ選手も再開戦で敗退。これで日本選手はいなくなりました。
日本人選手が第2週目もコートを駆け巡る姿を見たいと思うのは僕だけではないでしょう。ガンバレ!日本のテニス・プレイヤー達!



No.224 Fats Waller Vol.4 1929

前々回ブギー・ウギーを取り上げたので、今回はストライド・ピアノをと思ったのだが、僕の持っているジェイムズ・P・ジョンソンのレコードに1929年の録音は収録されていない。ということで今回は弟子筋にあたるファッツ・ウォーラーを聴いていこう。ウォーラーは、ジェイムズ・P・ジョンソンの正当な継承者と言われるが、意外とレコードとしてはオルガンが多く、これまでのところ重要なピアニストという感じがしない。今回の録音は全てピアノものなので期待して聴いていこう。

「ジ・インディスペンサブル/ファッツ・ウォーラー」レコード2枚組

“The Indispensable Fats Waller”RCA PM 43686 made in France

<Contents>…1929年3月1日 ニューヨークにて録音

レコードA面7.ハンドフル・オブ・キーズHandful of keys
レコードA面8.ザ・マイナー・ドラッグThe minor drag
レコードB面1.ハーレム・ファスHarlem fuss

<Personnel>…A-7[ハンドフル・オブ・キーズ]

Piano soloファッツ・ウォーラーFats Waller

ウォーラーのピアノ・ソロは初めての登場である。ウォーラー自身の作でかなりアップ・テンポの曲である。これをものすごいテクニックで弾いて行く。ストライド奏法の流れを受け継いだ弾むような素晴らしいテクニックに先ず圧倒される。これで僕もウォーラーがすごいピアニストであることが初めて分かった。

<Personnel>…ファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・バディーズ(Fats Waller and his buddies)

Piano & Band leaderファッツ・ウォーラーFats Waller
Trumpetチャーリー・ゲインズCharlie Gains
Tromboneチャーリー・アーヴィスCharlie Irvis
Clarinet , Alto & Tenor saxアーヴィル・ハリスArville Harris
Banjoエディ・コンドンEddie Condon
「ジ・インディスペンサブル/ファッツ・ウォーラー」レコード1 B面

A-8、B-1ともウォーラーの作。A-8[ザ・マイナー・ドラッグ]はアップ・テンポの曲。ハリスのCl、ゲインズのミュートTp、アーヴィスのTb、ウォーラーのストライド・ピアノと短いソロが続く顔見世的なナンバー。自身あるいはシカゴアンズ名義だと聴こえないコンドンのバンジョーがちゃんとリズムを刻んでいる。
B-1[ハーレム・ファス]はA-8と同一セッションだと思うが、ここからB面に移る。幾分ゆっくり目のテンポでそれぞれ合奏の部分があるが、ディキシーランドからは少し離れたプレイになっているところに時代を感じる。

<Contents>…1929年8月2日 キャムデンにて録音

レコードB面2.グラディスGladyse
レコードB面3.ヴァレンタイン・ストンプValentine stomp

<Personnel>

Piano soloファッツ・ウォーラーFats Waller

キャムデンでの録音だがオルガンではなくピアノを弾いている。2曲ともウォーラーの作。B-2[グラディス]はミディアム・アップの曲、B-3[ヴァレンタイン・ストンプ]は少し早めのB-2と同じ曲の変奏のように聴こえるのは僕の耳がおかしいのか?

<Contents>…1929年9月30日 ニューヨークにて録音

レコードB面4.ルッキン・グッド・バット・フィーリン・バッドLookin’ good but feelin’ bad

<Personnel>…ファッツ・ウォーラー・アンド・ヒズ・バディーズ(Fats Waller and his buddies)

Piano & Band leaderファッツ・ウォーラーFats Waller
Trumpetチャーリー・ゲインズCharlie Gains 、ヘンリー・“レッド”・アレンHenry “red” AllenCharlie Gains
Trombone& Vibraphoneジャック・ティーガーデンJack Teagarden
Clarinet , Alto saxアルバート・ニコラスAlbert Nicholas
Alto saxオットー・ハードウィックOtto Hardwick
Tenor saxラリー・ビニヨンLarry Binyon
Banjoエディ・コンドンEddie Condon
Bassアル・モーガンAl morgan
Banjoジーン・クルーパGene Krupa
Vocalザ・フォー・ワンダラーズThe four wanderers

これもウォーラーの作でどこかで聴いたことのあるメロディーを含む覚えやすい良い曲である。”The four wanderers”なるグループのコーラスが入る。”The four wanderers”はチャーリー・クリンクスケイルズ(Charlie Clinkscales)、ハーマン・ヒューズ(Herman Hughes)、メイシオ・ジョンソン(Maceo Johnson)、オリヴァー・チャイルズ(Oliver Childs)の4人からなるコーラス・グループ。コーラスの後に元気よく飛び出してくるTp、そしてティーガーデンのソロが聴き応えがある。ティーガーデンはヴァイブも叩いているというが最後に一音だけではないかと思うがどうだろう。

今回は素晴らしいピアノを弾くファッツ・ウォーラーを楽しむことができた。やはり素晴らしいアーティストである。これから先の演奏ではオルガンは控えてもらいたいなぁと勝手なことを願ってしまうのたり庵です。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。

お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第223回2017年8月27日

レッド・ニコルス 入門第3回 1929年
「レッド・ニコルス物語/レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ」

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

一時期梅雨のような天気が続いていました。そして気温もあまり上がっていませんでした。ところが最近は真夏に戻ったような猛暑が続いています。そんな影響もあってか鉢植えのハイビスカスがまた真紅の花を咲かせてくれました。
秋から冬、そして春にかけてと手入れが悪かったので、去年何輪か咲いた月下美人は今年は咲きそうにもありません。今年は夏の花は無しかなと思っていたら、どっこい、オイラがいるよとばかりに咲いてくれました。…って去年はどうだったんだろう?

この週末夏休み最後の土・日ということで、行楽地に出かける方たちで高速道路も混雑しているようです。こういう混雑がある程度予想されている中、行動するのは多分小さな子供のいるご家族が中心でしょう。僕などはもう卒業ですが、僕たち夫婦も若く、子供も小さい時には無理をして出かけたものです。

今となってみれば、そういう順番になっているのでしょう。かつて子育てで大変だった世代が子育てを終え、子供が独立した新しい家庭を持てば、後は<余生>というものです。余生を送る者は、世の中でひしめき合うところとは無縁に、静かに過ごしたいものです。
ところで、右は近所の神社です。8月初めには自治会主催の盆踊りがありました。場所が無いので神社の脇の空き地で行われるため、何となく神社のお祭りと勘違いしてしまいますが、神社本来の例大祭はこの土・日に行われます。
夏休み最後の土・日、近所の神社のお祭りに出かけるのも良いものです。何せ近いし。
夏休みが終わると、毎朝の通勤電車が一気に混み始めます。僕はそれが一番憂鬱です。

第223回 Red Nichols Vol.3 1929
“The Red Nichols story / Red Nchols and his five pennies”

1928年は、レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズを取り上げ、ブギー・ウギーで締めた。「締めた」というほどには締まらなかった気もするが…。振り返ってみれば1928年は、デューク・エリントンが大躍進し、何故か大御所フレッチャー・ヘンダーソンがやる気をなくし、ルイ・アームストロングが世紀の名演を記録した年であるが、シカゴでは白人のシカゴアンズが活躍し、スイング王として一時代を創るベニー・グッドマン、現代も変わらぬ人気を誇るグレン・ミラーも活動を本格化する一方より黒人らしい、ブルースの一つの発展形ブギー・ウギーの初録音が行われる。そしてレッド・ニコルスは将来有望な若者を起用して録音を行いジャズの発展に寄与している。そんなレッド・ニコルスの1929年の録音を聴いていこう。と言っても僕はレコードは「レッド・ニコルス物語」しか持っておらず、ここに収録された1929年の録音は2曲だけである。ここでも有望な若者を多く起用している。

『レッド・ニコルス物語』(The Red Nichols story) MCA-3012

<Personnel>…Red Nchols and his five pennies

Trumpet & Band leaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetレオ・マッコンヴィルLeo McConvilleマニー・クラインManny Klein
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Millerビル・トロンBill Trone或いはハーブ・テイラーHerb Taylor 
Clarinet , Alto & Baritone sax ベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto sax不明Unknown
Tenor sax ベイブ・ラッシンBabe Russin
Pianoアーサー・シャットArthur Shutt
Guitarカール・クレスCarl Kress
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

シカゴ生まれのベニー・グッドマンは、1929年はその活躍の舞台をニューヨークに移していた。1月22日ニューヨークでベン・ポラックの“Ben’s bad boys”という7重奏団の録音にグレン・ミラーと共に参加している。そして次の録音も2月8日にニューヨークで行われたジャック・ぺティスのオーケストラの録音に参加している。ここではティーガーデンと一緒である。そして本録音があり、5月には録音場所は不明だがハーブ・ゴードンの録音に参加している。
シカゴアンズの一人ジーン・クルーパも1928年の暮れにレッド・マッケンジ―とともにニューヨークに登った。そのまま居続けたのかどうかは不明。ともかくBG、ティーガーデン、ミラー、クルーパを従えた録音は豪華と思うのは現代人の感覚で、当時としてはまだまだ売り出し中の若者だった。

<Contents> …1929年4月18日 ニューヨークにて録音

A面4曲目.インディアナ(Indiana)
A面5曲目.ダイナ (Dinah)
A面4曲目.インディアナ(Indiana)

解説の大和明氏によると、編曲はグレン・ミラーでスッキリとまとめ上げられており、ファイヴ・ぺニーズの代表曲となったという。ソロはBG⇒ニコルス⇒ティーガーデンと続く。若さと真剣さに溢れるBGと既に完成の域にあるティーガーデンのソロが対照的であるとする。ともかくBG、ティーガーデンのソロは聴き応えがある。

A面5曲目.ダイナ (Dinah)

何年か前この録音を初めて聴いた時、これはディック・ミネのヒット曲ではなかったか。「ダイナ、私のこいびーと〜」というメロディははっきり覚えている。僕のたり庵の父親がディック・ミネのファンだったので何度かテレビで聴いたことがあった。
大和氏は、悠揚迫らざるティーガーデンのソロに始まり、ラッシン、BGとソロが続くが、このBGのソロが軽快で躍動感に満ちているという。僕はやはりティーガーデンがすでに貫禄溢れるプレイぶりが素晴らしい。
4ビートの頭にビートを置くという珍しいリズムである。

この1929年の録音を聴くとかなり完成度は高くなっていると感じる。やはり起用したメンバーが”当たり”であったのだろうか。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第222回2017年8月26日

ブギ・ウギ―入門 第2回 1929年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
ここのところ梅雨明けの真夏を迎えようとしているような、湿度の高い曇り時々晴れ、しかし夕方には雷雨の恐れもあるという何とも言えないスッキリしない天気が続いています。

僕はこの土・日にテニスが出来るかどうかが気になって仕方ないのですが、毎日天気予報がコロコロ変わるので少しばかり困っています。多分気象予報官もハッキリ言えないようなそんな気象状況なのでしょう。
テニスと言えば来週8月28日から一年で最後のグランド・スラム「全米オープン」が開催されます。昨年は錦織選手が準々決勝でNo.1シードのアンディ・マレイを破るという大活躍を見せ、次戦は割と分が良いスタン・ワウリンカとの準決勝ということで、決勝進出間違いなしあわよくば優勝という夢を持たせてくれましたが、結果的には準決勝でワウリンカに第1セットを取りながら逆転で敗退。こういっては何ですが、大方の予想を裏切ってそのままワウリンカが決勝でジョコヴィッチを破り初優勝を遂げました。ワウリンカ、正にグランド・スラムに強い男です。
今年は先日発表されたように錦織選手は出場しません。日本人最高ランクで出場するのは杉田祐一選手ということになります。一体どこまで食らいついていけるでしょうか?敗れるとしても、何とか初戦は突破し、絶対自分より高ランクの選手と死闘を演じて敗れて欲しいものです。
逆転と言えば、贔屓の横浜ベイスターズが、強者広島を相手に3試合連続の逆転サヨナラ勝利。何を起こすか分からないのがベイスターズの魅力、元気が出るなぁ!広島の皆さんゴメンナサイ!!

第222回 The way to Boogie Woogie vol.2

ブギー・ウギー・ピアノとはどういうものか一言でいえば、ピアノによるブルース演奏の一形式ということになろう。そのプレイの特徴はというと、僕はやはり左手による、つまりは低音部の強力なリズム・パターンにあると思う。
油井正一氏は、『生きているジャズ史』においてジャズ評論家ルディ・ブレッシ氏の説を紹介している。少々長いが紹介しよう。
ブレッシ氏曰く「ブギー・ウギーの基礎となるのは、低音部の打楽器的ベース、高音部のメロディック・ヴァリエーションで、ブルースの内では、最も半音階的奏法である。この源は、ドラム奏法で歌われるアフリカの合唱に発している。メロディーもハーモニーもブルースからとられている。
ブギーの発生そのものは、ブルースの発生と同様に、今日でもよく分かっていないが、バンジョーまたはギター奏法にヒントを得たものに相違なく、演奏者の放浪性のためにどこが発生地であるか不明である。但し、ニューオリンズで創始されたものではないようだ。
私(ブレッシ氏)自身、1913年オクラホマ・シティでブギー奏法を聴いたことがある。ソロではなく、ベース、ギター、マンドリン、カズーで演奏されていた。もっともこの演奏法に、ブギー・ウギーと名付けたのは、パイントップ・スミスである。1910年代、シカゴで行われたレント・パーティーは、ブギー・ウギー・プレイヤーの良い稼ぎ場所であったため、シカゴの黒人街が発祥地のように思われているが、同じころ中西部、南部にも名もなきブギー・ピアノ奏者が相当いいたことは確かである。」

さて、1929年はブギー・ウギー・ピアノを世界に大いに広めることになるミード・ルクス・ルイスが、ブギー・ウギーの代表曲である「ホンキー・トンク・トレイン・ブルース」を吹き込んだ年である。この逸話を油井正一氏は詳しく紹介している。
後のコンビを組んで有名になるミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズは、もとは同じ会社に勤めるブギー好きのタクシーの運転手。それは後の話で、ミードが子供の頃、彼の父親は寝台列車のボーイをしていた。そんな関係からか一時鉄道のそばに住んでいた。そして1日に何十回か列車が通るたびに、家は大揺れに揺れた。この経験が、ミードに記者に対する異常な関心を持たせることになる。これをきっかけとしてミードは有名な「汽車のブルース」を作曲することになる。
ある晩のパーティーで客の一人が面白がって尋ねる。
「面白い曲だ。なんていう曲だい?」
ミードが答える。「ただの汽車のブルースですよ」
その男はこう言う。「じゃ、俺が名前を付けてやろう。ここはパーティーとは言うがまるで居酒屋(ホンキー・トンク)だ。『居酒屋の汽車のブルース』(Honky tonk train blues)」てのはどうだい?」
そしてこの年(1929年)ミードは、パラマウントという潰れかけたレコード会社にこの曲を吹き込む。パラマウント・レコードは、その通りその2年後潰れてしまう。レコードはほんの数枚テスト盤が出ただけで発売されずオクラ入りとなってしまう。このテスト盤のいくつかが拙HPでは何度も登場したジャズ愛好家ジョン・ハモンドの手に偶然入ることになる。ハモンドはこのレコードに非常に感心し、新聞広告や、聞き込みなどあらゆる手を尽くしてこのミードを探し回る。そしてついにシカゴのサウス・サイドのとあるガレージで車を洗っている黒人がミード・ルクス・ルイス自身であることを見出す。はにかむミードを連れてきて、数日間練習させた後、ヴィクターに推薦してレコードを吹き込ませるこの1935年録音のナンバーは、1936−37年のベスト・セラー盤となったという。
この1929年の「ホンキー・トンク・トライン・ブルース」の初吹込み版は、昔は貴重と言われていたが、残念なことに今はYoutubeで簡単に聴くことができる。そして今回の音源の素のレコードには第2回の1935年の録音が収録されている。

『The Boogie Woogie masters』輸入盤 AFS 1005 (made in United Kingdom)

<Contents>…1929年1月15日 シカゴにて録音

A面5.ジャンプ・ステディ・ブルースJump steady blues

<Personnel>

Piano & Vocalクラレンス・パイントップ・スミスClarence “Pine top” Smith

「ブギー・ウギー」の生みの親パイントップの1929年の録音。プロフィールでも触れたが、パイントップは1929年6曲の吹込みを行ったが、その少し後の3月14日に流れ弾に当たってこの世を去った。とても24歳には見えないが、享年24歳。若すぎる死である。
コテコテのブギー・ウギーであり、アイディア満載のフレーズが楽しい。始めと終わりに会話のやり取りがあるが、誰と何をはしているか分からないのが悲しい。

<Contents>…1929年4月23日 シカゴにて録音

A面6.> デトロイト・ロックスDetroit rocks

<Personnel>

Pianoアーサー・“モンタナ”・テイラーArthur “Montana” Taylor

モンタナ州出身のブギー・ウギー・ピアニスト、アーサー・テイラーの演奏。ブギー・ウギーの聴き方は、左手は各プレイヤーそう変わらないプレイ・スタイルなので、右手がどんなフレーズを繰り出すかということに尽きるのであろう。

<Contents>…1929年9月14日 メンフィスにて録音

A面7.ザ・ダーティー・ダズンThe dirty dozen

<Personnel>

Piano & Vocalルーファス・“スペックルド・レッド”・ぺリーマンRufus “Speckled red” Perryman

初めて聴いた時イントロは聴いたことのあるフレーズで驚いた。何か?クロスビー、スティルス&ナッシュの「青い目のジュディ」である。ブルース・ナンバーではないがこんな風にいろいろとブギのフレーズは活用されている。

僕はそれほど数を持っていないが、当時はかなりの数のブギー・ウギーのレコードが出されていたのではないかとおもう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第221回2017年8月20日

ブラインド・ブレイク入門 その4 1929年
ブルース入門 その7

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

ずーっと毎日毎日晴れ間のない曇り空、そして一時的に雨が降るという梅雨のような天気がまだ続いています。8月19日土曜日は午前中は曇り、午後は晴れました。久しぶりに見る青空です。そして夜、早い時間に激しい雷雨となりました。
右の写真はこの日咲いたハイビスカスです。鉢植えで秋・冬・春は家の中に、夏暑くなってくると戸外に出します。今年も一輪真っ赤な花を咲かせました。情熱の赤です。
午後はテニスに出かけました。天気予報は雨だったので、テニスは出来ないかもしれないと思っていたのですが、晴れ間の多い良い天気となりウキウキとコートに向かいました。
右の写真は空を飛ぶテニス・ボールです。飛んでいるボールを取るのは難しいと言われていますが、トライしてみました。

何度か失敗した後たまたまボールを高く打ち上げる(いわゆるロビング)プレイがあったので、シャッターを切ったらこんな形で撮れていました。
テニスと言えば今アメリカで行われているウエスタン&サザン・オープン。優勝すれば1,000ポイント獲得できるマスターズ・トーナメントです。この大会を錦織選手はケガのため欠場し、日本人として唯一参戦していたのが僕が応援する杉田祐一選手です。日本でのテレビ中継は深夜で、僕は2回戦しか見ていません。ポルトガルのジョアン・ソウザに逆転した試合です。
次のカチャノフ戦も逆転勝利で、杉田選手自身初のマスターズ・ベスト8入りを果たしました。ランキングも43位まで上がり日本人歴代2位となりました。ディミトロフ選手には一方的な展開で敗れたようでとても残念です。錦織選手がケガのため長期療養に入ることが発表されました。これもとても残念なニュースですが、何とか杉田選手には日本のテニス界を盛り上げて欲しいものです。

第221回Blind Blake Vol.4 1929
The way to blues No.7

さて今回からは1929年の録音を聴いて行こう。何から行こうかと考えたが前回ブギー・ウギーからの流れで、ブルースを聴いていこう。
ところでふとあることに気が付いた。それはどうもこの「ブラインド・ブレイク」という名前をブルース方面ではあまり聞かないということである。驚異的なギターテクニックと言えば、まず「悪魔に魂を売った男」ロバート・ジョンソンが出てくる。ブレイクではない。しかしジョンソンは1911年生まれで、その脅威のテクニックを吹き込むのは30年代に入ってからである。もちろんその前にテクニックを身に付け評判になっていたからレコーディングの話も舞い込んだのだろうが。
『ブルースの名盤50選』などという本を立ち読みしても「ブラインド・ブレイク」のレコードは選ばれていないようだ。なぜだろう?ともかく彼の歌とギターを聴きながら考えよう。
1929年の彼の録音は、5枚組CDボックスの4枚目(D)と5枚目(E)に渡り合計25曲収録されている。他ジャズメンと比べても結構多いと言えるだろう。

「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 4枚目

Blind Blake “Remastered” JSP Records PO Box 1584(JSP 7714A〜E)

<Contents> … 1929年6月20日 リッチモンドにて録音

CD-D.1ポーカー・ウーマン・ブルースPoker woman blues
CD-D.2ドーイング・ア・ストレッチDoing a stretch
CD-D.3ファイティン・ザ・ジャグFightin’ the jug
CD-D.4ホームワーク・ブルースHomework blues
CD-D.5スリッパーリー・ラグSlippery rag

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake
Pianoアレックス・ロビンソンAlex Robinson

<Contents> … 1929年8月17日 リッチモンドにて録音

CD-D.6ヘイスティングス・ストリートHastings St
CD-D.7ディドル・ワー・ディドルDiddle wah diddle
CD-D.8ディドル・ワー・ディドルDiddle wah diddle
CD-D.9ツー・タイト・ブルース・ナンバー2Too tight blues No.2
CD-D.10チャンプマン・ブルースChump man blues
CD-D.11アイス・マン・ブルースIce man blues
CD-D.12ポリス・ドッグ・ブルースPolice dog blues
CD-D.13アイ・ウォズ・アフレイド・オブ・ザット・パート2I was afraid of that : part2
CD-D.14ジョージア・バウンドGeorgia bound
「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 4枚目

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake
Piano(perhaps on 6)チャーリー・スパンドCharlie Spand
Piano(perhaps on 13)アレックス・ロビンソンAlex Robinson

<Contents> … 1929年8月 シカゴにて録音

CD-D.15キープ・イット・ホームKeep it home
CD-D.16キープ・イット・ホームKeep it home
CD-D.17スイート・ジャイヴィン・ママSweet jivin’ Mama

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake


「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 5枚目

<Contents> … 1929年9月 シカゴにて録音

CD-D.18ロンサム・クリスマス・ブルースLonesome Christmas blues
CD-D.19サード・ディグリー・ブルースThird degree blues

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake
Pianoタイニー・パーハムTiny Parhamorアレサ・ディッカーソンAretha Dickerson

<Contents> … 1929年9月 シカゴにて録音

CD-E.1ギター・チャイムスGuitar chimes
CD-E.2ブラインド・アーサーズ・ブレークダウンBlind Arthur’s breakdown

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake


「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 5枚目

<Contents> … 1929年10月 ウィスコンシン州グラフトンにて録音

CD-E.3ベイビー・ルー・ブルースBaby Lou blues
CD-E.4コールド・ラヴ・ブルースCold love blues

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake

<Contents> … 1929年10月 ウィスコンシン州グラフトンにて録音

CD-E.5パパ・チャーリー・アンド・ブラインド・ブレイク・トーク・アバウト・イット・パート1Papa Charlie and blind Blake talk about it Part1
CD-E.6パパ・チャーリー・アンド・ブラインド・ブレイク・トーク・アバウト・イット・パート2Papa Charlie and blind Blake talk about it Part2

<Personnel>

Guitar , vocal & speechブラインド・ブレイクBlind Blake
Banjo , vocal & speechパパ・チャーリー・ジャクソンPapa Charlie Jackson

取り合えずブラインド・ブレイクの1929年の録音25曲を列挙してみた。特に注意を引く録音にだけ触れて行こう。
先ずは、CD-D.6「ヘイスティングス・ストリート(Hastings St)」。この曲ではチャーリー・スパンドの弾くピアノとブギー・ウギーを奏している。これまでもブギー・ウギー風の演奏はあったがこれの曲は完全にブギー・ウギー化しようとしている。そしてヴォーカルにおいても”Boogie Woogie”という言葉を連発している。シカゴの根城に活動していたブレイクがブギー・ウギーの人気ぶりを知らないはずはなく、第217回で取り上げたようにパイントップ・スミスがこのテの音楽を「ブギー・ウギー」と名付けたことにより、ブレイクも「ブギー・ウギー」と歌うことができるようになったのだろう。
次に注目されるのは、CD-D.12「ポリス・ドッグ・ブルース(Police dog blues)」。ここでブレイクはボトルネック奏法やハーモニクス奏法などあらゆるギター・テクニックを駆使するものすごい演奏を繰り広げる。当時最高のギタリストだったことがうなずける作品である。

そして次に注目されるのは、バンジョーのパパ・チャーリー・ジャクソン(Papa Charlie Jackson)との共演CD-E.5,6「パパ・チャーリー・アンド・ブラインド・ブレイク・トーク・アバウト・イット・パート1と2」(Papa Charlie and blind Blake talk about it Part1&2」である。そもそもでは「パパ・チャーリー・ジャクソン」とはどんな人物か?『ジャズ人名事典』にも載っていない。CD解説に拠ると英語なので正確かどうかわからないが、1924年からレコーディング活動を開始した、最初に成功したブルース・アーティストとある。ジャクソンは真のブルース・アーティストではない、彼はミンストレル・ショウでより寛ぐことができるヴォードヴィリアンであるとするシリアスなブルース評論家(commentator)達にとっては、この解説は問題かもしれない。この後の英文が分からない。英語が得意な方のため、以下全文をそのまま掲載する。訳せたら教えてね!
”Papa Charlie Jacksonn began recording in 1924 , and is often credit with being the first successful male blues artist . This description is problematic for the more serious blues commentators who argue that Jackson was not a true blues artist , but avaudevillian who would have been more at home in a minstrel show . Fine distincctions aside , it's fairly obvious that Blind Blake (who himself may have had non=blues antecedents) found Jackson more than acceptable company .”
多分このパパ・チャーリー・ジャクソンは、ヴォードヴィリアン(芸人)であり、真のブルース・マンではなかったとブルース評論家たちは評価しているのであろう。

ロバート・パーマー著『ディープ・ブルース』

著書『ディープ・ブルース』においてロバート・パーマーはこの辺り事情を簡潔に書いている。簡潔な記述をさらに抜粋すると、前にも触れたことだがマミー・スミスがジャズ・バンドと共に吹き込んだ数曲の中の<クレイジー・ブルース>が数万枚のセールスを記録するヒットとなったことで、レコード会社の経営者たちの未開拓の市場への注目を喚起することになった。このヒットを追いかけるように当初は女性による録音がほとんどであったが、次第に正統的な田舎風のブルース歌手にもレコーディングの道が開かれるようになった。南東部のブルース=ラグタイム・ギタリストであるシルヴェスター・ウィーヴァーによる1923年の録音を皮切りに、1924年にはダディ・ストーヴパイプやパパ・チャーリー・ジャクソンといった黒人ミンストレル・ショウの芸人たちが、そして1925年にはついにブラインド・レモン・ジェファーソンの最初のレコーディングが行われた。
そして1926年9月パラマウント社は、フロリダ出身の品のある歌手であり、ブルースとラグタイムの驚異的なギタリストでもあったアーサー・フェルプスという金鉱を掘り当てた。 彼も盲目で<ブラインド・ブレイク>という名前で録音を行った。

5枚組CD解説は、シリアスなブルース評論家は、ギター1本を抱え渡り歩くブルース放浪者を真のブルース・マンとしてヴォードヴィル出身の芸人を差別する傾向があるという指摘をしているような気がする。一方『ディープ・ブルース』のロバート・パーマー氏はこう述べる。「初期のブルースのスターたちの音楽様式は雑多なものだった」。パーマー氏は、本物か偽物かではなく様式が多様なのだと述べているようだ。
考え方としてはパーマー氏に与するがともかくもっともっと学習しないと…。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールまでお送りください。


お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第1回〜第10回はこちらをご覧ください。
第11回〜第20回はこちらをご覧ください。
第21回〜第31回はこちらをご覧ください。
第31回〜第40回はこちらをご覧ください。
第41回〜第50回はこちらをご覧ください。
第51回〜第60回はこちらをご覧ください。
第61回〜第70回はこちらをご覧ください。
第71回〜第80回はこちらをご覧ください。
第81回〜第90回はこちらをご覧ください。
第91回〜第100回はこちらをご覧ください。
第101回〜第110回はこちらをご覧ください。
第111回〜第120回はこちらをご覧ください。
第121回〜第130回はこちらをご覧ください。
第131回〜第140回はこちらをご覧ください。
第141回〜第150回はこちらをご覧ください。
第151回〜第160回はこちらをご覧ください。
第161回〜第170回はこちらをご覧ください。
第171回〜第180回はこちらをご覧ください。
第181回〜第190回はこちらをご覧ください。
第191回〜第200回はこちらをご覧ください。
第201回〜第210回はこちらをご覧ください。
第211回〜第220回はこちらをご覧ください。