ジャズ・ディスク・ノート

第257回2018年4月15日

ジェリー・ロール・モートン 入門13 1930年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

前回、前々回と春を満喫した久しぶりの旅行について書いている間に、僕の生活圏もすっかり春になっていました。
左は、4月8日相模川の河川敷に芝桜を見に行った時に写したものです。だったら芝桜を出せって?実は写したのです。何枚か撮りました。しかし家に帰って見るとどの写真も散々の出来で、なぜこんな風景を撮ったのだろうと思うようなものばかりで、とても他人にお見せできません。
でもこの風景は<春>よりも<夏>を感じさせます。この日は天気はとても良かったのですが、空気がひんやりとする気候でした。

右は職場近くの東京・丸の内のランチ・タイムの中通りの様子です。緑がとても鮮やかな清々しい気候になりました。ワタクシも先月64歳になり、いよいよ再雇用定年による完全引退まで残り1年となりました。そんなことを書こうとしていた時、ふと新聞を読んでいて驚きました。

訃報 セシル・テイラー死去

4月12日の日経新聞の社会面に小さく「ジャズ・ピアノの巨匠 セシル・テイラー氏死去」の記事が出ていました。日経新聞は家で取っているわけではなく会社で少し読む程度です。家で取っている新聞にも載っていたと思うのですが、気付かなかったなぁ。4月5日ニューヨーク・ブルックリンの自宅で死亡しているのが発見されたとのことで、死因は不明と書いてあります。Wikipediaによるとテイラー氏は、1929年3月25日生まれの89歳だったとのことです。因みにスイングジャーナル社発行『ジャズ人名事典』には、1933年3月15日と記載があり、かなり食い違っていますが。いずれにしろ89歳というのは男性にしては長寿にあたり、アメリカでは何というか分かりませんが、大往生であったと言えるでしょう。
右はテイラーの代表作の一つ「ザ・ワールド・オブ・セシル・テイラー」キャンディド盤です。僕が初めて買ったセシルのレコードです。もちろんリイッシューの日本盤です。
僕は高校生の時、来日した彼のコンサートを聴きに行っています。僕の故郷の仙台まで来てくれたのです。その時初めてげんこつでピアノの鍵盤を叩いたり、肘で叩いたりというかなりアグレッシヴな彼のプレイに接しました。田舎の少年の僕は、そんなプレイを始めてみたのでかなり驚いたことを覚えています。
僕はそもそも前衛ジャズというのがあまり好きではありません。正直セシル・テイラーも好みではありません。ただたまに新聞等で伝えられる記事などを読むと、常に新しい境地に挑戦し続ける真摯な芸術家だったのだとは思います。安らかなご冥福をお祈りします…合掌。

第257回Jelly Roll Morton Vol.13 1930

さて今回は、ジェリー・ロール・モートンの1930年の録音を取り上げよう。僕の保有しているものとしては、前回第235回の1929年12月以来の吹込みである。
ボックスの解説に拠ると、1929年10月勃発した大恐慌により、人々はジャズを楽しむどころではなくなっていたという。その割に録音は結構行われていたようであるが、ともかくモートンのバンドも行き詰まり、メンバーも一人、二人と辞めていくようになった。そんな中で、モートンの派手な生活ぶりや化粧品の事業に手を出し失敗したこともあって、モートンは破産状態に陥ってしまったといわれる。
しかしヴィクターとの契約もあり彼の録音は、1930年10月までは続けられたという。

「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」レコードボックス

「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」
“Jazz classics of Jelly-Roll Morton” RCA RA-9〜12 国内編集盤4枚組LP

<Personnel> … ジェリー・ロール・モートン・アンド・ヒズ・レッド・ホット・ペッパーズ(Jelly Roll Morton and his Red Hot Peppers)

Piano & band leaderジェリー・ロール・モートンJelly Roll Morton
Trumpetウォード・ピンケットWard Pinkettババー・マイレイBubber Miley
Tromboneウィルバー・ド・パリスWilbur de Paris
Clarinetアーニー・ビュロック?Ernie Bullock?
Banjo不明Unknown
Guitarバーナード・アディソンBernard Addison
Tubaビル・ベンフォードBill Benford
Drumsトミー・ベンフォートTommy Benfort

<Contents>レコードA面 … 1930年3月19、20日ニューヨークにて録音

RecordA面5曲目リトル・ローレンスLittle Lawrence
RecordA面6曲目ポンチャトレイン・ブルースPonchatrain blues

この2曲に関して、クラリネット奏者に関して諸説あるが、19日と20日では奏者が異なるという説が有力であるという。
2曲ともモートンの作。ここではババー・マイレィの参加が注目されるところかと思っていたが、レコード解説およびガンサー・シュラー氏も殊更言及しておらず、それほど異色、異例というわけではないのだろう。因みにシュラー氏は、この2曲は、ソロイストたちの個性的な才能が光る音楽となっているという。中でもババー・マイレィの2つのソロなどがその代表であるとする。
RecordA面5曲目リトル・ローレンス
レコード解説氏は、モートン作の曲もよく、スイング時代の雰囲気を早くも感じさせる演奏。Cl、Gt、P、マイレィのミュートTpとソロが続くが、Gtソロの時のPとの絡みが実によい雰囲気を生み出していて、ピンケットのTpも艶のある音色の立派なプレイだとする。そしてトランペット2本によるアンサンブル・リードもしっかりとした骨組みを作り、張りのある素晴らしい雰囲気をもたらしていると記している。
RecordA面6曲目ポンチャトレイン・ブルース
レコード解説氏は、風格のある優れたスロー・ブルースであるとし、Tp(ピンケット)、Cl、Tp(マイレィ)、Gt(ここでもPの絡みが雰囲気を充分にとらえている)と続くソロもブルース・フィーリングを横溢させるものであり、ラスト・コ―ラスのアンサンブルも熱っぽい雰囲気を盛り上げているとする。
この2曲に関して、シュラー氏は、モートンがポリフォニー的な楽想をほとんど放棄して、ソロを次から次へと繰り出す楽想へと転換したと書いている。確かに曲の構造はその通りで、そしてそれはモダン・ビッグ・バンドの演奏形態と近い感じがする。だから聴きやすいというか聴いていて違和感がない。そしてこの2曲の場合、ソロイストが素晴らしい演奏をしたことによって聴き応えのある仕上がりになっていると思う。

「ジェリー・ロール・モートン/I thought I hear Buddy Bolden say

“I thought I heard Buddy Bolden say” RCA LPV-559(輸入盤)

<Personnel> … ウィルトン・クロゥリー・アンド・ヒズ・ザ・ウォッシュボード・リズム・キングス(Wilton Crawley and the washboard rhythm kings)

Band leader , Clarinet & Vocalウィルトン・クロゥリーWilton Crawley
Trumpetヘンリー・レッド・アレンHenry “Red” Allen
Alto Saxチャーリー・ホルムズCharlie Holmes
Pianoジェリー・ロール・モートンJelly Roll Morton
Guitarテディ・バンTeddy Bunn

<Contents>レコードA面 … 1930年6月3日ニューヨークにて録音

A面5曲目ビッグ・タイム・ウーマンBig time woman
A面6曲目ニュー・クロゥリー・ブルースNew crawley blues

「ジェリー・ロール・モートン/I thought I hear Buddy Bolden say」A面

僕の保有しているモートンの次の録音は、自身名義ではなく、クラリネット奏者であり歌手でもあるウィルトン・クロゥリーという人物の録音に参加したものである。この録音にモートンが乞われて参加したのか自主的に参加したのかは分からない。メンバーを見るとクロゥリー以外はよく知られる名前が並ぶ。因みにクロゥリーは『ジャズ人名事典』などには載っていないが、生粋のヴォードヴィリアンであったという。
パーソネルには記載がないが明らかにチューバが入っている。A-5「ビッグ・タイム・ウーマン」は、ヴォーカルの後にクロゥリーのおふざけClソロが入る、A-6「ニュー・クロゥリー・ブルース」はまずテディ・バンのブルース・フィーリング溢れるソロの後、クロゥリーもまともなソロがあり、アレンも最初は最初のコーラスは普通に吹くがその後クロゥリーとの絡みでは、「泣きのTp−笑うCl」という対比で聴かせる。僕は少しO.D.J.B.の馬のいななきTpプレイを思い出した。

「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」4枚目ジャケット表面

「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」
“Jazz classics of Jelly-Roll Morton” RCA RA-9〜12 国内編集盤4枚組LP

<Personnel>

Piano & band leaderジェリー・ロール・モートンJelly Roll Morton
Trumpetウォード・ピンケットWard Pinkett
Tromboneギーチー・フィールズGeechie Fields
Clarinetアルバート・ニコラスAlbert Nicholas
Guitarハワード・ヒルHoward Hill
Tubaピート・ビッグスPete Biggs
Drumsトミー・ベンフォートTommy Benfort

<Contents>レコードA面 … 1930年7月14日ニューヨークにて録音

RecordA面7曲目ロゥ・グレイヴィーLow Gravy
RecordA面8曲目ブルー・ブラッド・ブルースBlue blood blues

共にモートンの自作である。上記パーソネルに関して、チューバは「ビリー・テイラー」、ドラムは「ビル・ビーソン」ではないかという異説もあるという。それぞれの演奏に関してはレコード解説氏が詳述している。特に付け加えることも無いのでそれを紹介するに留めよう。但し両曲とものたり庵から見ても、クオリティーの高い聴き応えのある素晴らしい出来だと思う。
RecordA面7曲目ロゥ・グレイヴィー
冒頭からピンケットがサッチモ張りの力強い圧巻のプレイを行う。Tb、Cl続くPソロにアンサンブルがアクセントをつけるが、最初はユニゾン、次はコレクティヴ・インプロヴィゼイションにするというあたりにモートンらしい工夫が感じられる。ラスト近くでサブ・トーンによるソロを取ったClがアンサンブル・パートに入ると高音で絡んでいくというアイディアもバランスの取れたものになっている。
RecordA面8曲目ブルー・ブラッド・ブルース
一方この演奏では仕掛けらしいものは何もないが、サブ・トーンから出て2コーラス目に入るや高音域に持ち込んでいくニコラスのClソロが感動的な名ソロである。続いてTb、Gtそしてここでもサッチモ張りのピンケットのTpも素晴らしく、Pソロを経てからのラスト・アンサンブルも力強さとバランスを示した絶妙のものである。各プレイヤーの聴かせ処を充分に備えた名演と言えよう。

レコード・ボックスの解説、およびガンサー・シュラー氏によればによれば、このあと10月9日のセッションを以て約4年間続いたヴィクターにおけるセッションは終了する。その10月での録音が端緒となって以降9年間のモートンの録音が中断されることにあったのだという。シュラー氏は続けて述べる。「絶頂期の『ブラック・ボトム・ストンプ』と30年10月の『フィックル・フェイ・クリープ』(未聴)までのほとんど一直線の下降は、スタイルの急速な変貌と20年代後半に生じたジャズの中心地のニューヨークへの移動という背景を考慮して初め理解できる」と。現状ジャズの中心地がニューヨークに移動したこととモートンの下降がどのように関係しているのか僕には現状全く理解できていない。

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第256回2018年4月8日

ジャック・ティーガーデンとシカゴアンズ 1930年

「春の海 ひねもす のたりのたりかな」by与謝蕪村
ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

前回に引き続き、伊豆への春の旅のネタを続けます。左はワタクシ「のたり庵」の名前の素の一つ「のたりのたり」という感じではないですが、うららかな春の海です。
今回の旅の一番の目的は、暖かな気候の土地でノンビリしよう。温泉に入ってうまい魚で一杯飲もうというものでしたが、一つどうしても体験したいと思うことがありました。それが右の写真「堂ヶ島の洞窟巡りクルーズ」で「天窓窟」、よくイタリア・ナポリにある名称に模して「日本の青の洞窟」と言われる洞窟に海から入ってみたいということでした。右の写真は観光協会からの借りものです。船に乗っていてこの写真は撮れません。
4月1日日曜日、宿でたっぷりとおいしい朝食をいただき、松崎のバス・ターミナルから堂ヶ島に向かいました。バスの料金は260円、乗車時間は10分ほどで松崎と堂ヶ島がこんなに近いとは思いませんでした。
ところがこの日は風が強く、波が立ち遊覧船は終日欠航となっていました。仕方なく「洞窟巡りクルーズ」は明日改めて挑戦することとし、遊歩道などを散策し松崎に戻りました。

松崎に戻って、街をぶらりぶらりと歩いたり「長八美術館」などを見学しました。松崎という町は、左官の神様と言われる入江長吉の生まれた町としてつとに有名です。入江長八は、漆喰鏝絵を編み出した人物で、長八の「漆喰鏝絵」は西洋のフレスコ画に勝るとも劣らない壁画技術として芸術界でも高く評価されているそうです。「長八美術館」はその長八の代表的な作品約50点を集めた美術館です。

また今回お世話になった宿「山光荘」は「長八の宿」の宿ともいわれ、築200年という歴史ある旅館です。泊めていただいたのは「長八の間」と言われる部屋で、たまたまネットで空き状況を見たら空いていたので、2日間宿泊させていただきました。
「長八の間」は、外を漆喰と「なまこ壁」で作られた蔵を改装した部屋で、窓の外には長八の作品「白虎」(写真)や「青竜」などの作品が作られた時のままの姿で見ることができます。
また漫画家の「つげ義春」氏が、この部屋に宿泊し、「長八の宿」という作品に書いたことでも有名になりました。
我々のようなものが、このような由緒ある部屋の宿泊して良いのだろうかと少しばかり不安に思いながら、訪れたのですが、旅館の大女将はじめ皆さんとても気さくで優しい方ばかりでとても心地よく過ごすことが出来ました。
さらにこの宿は料理が絶品で、夕食は魚三昧でお酒がどんどん進みます。そして朝食が素晴らしい。メニューは、だし巻き卵やアジの干物、以下の刺身その他ヒジキなどと目新しいものではないのですが、一品一品が吟味され実においしく、そしてご飯がつやつやして粒立っており、普段朝食はあまり箸が進まないのですが、この日ばかりはご飯を3膳も食べ、お櫃が空になりました。
旅行から帰って食べ物について改めて思うことは、豪華なもの、目新しいもの、珍しいものというよりも普段見慣れたものが吟味されていて、すごいクオリティを持っているということが本当に凄いことなのではないかということです。そんなことに気付かされた良い春の旅でした。
カミサンは、ここのごはんのおかげで体重が2疏え、しばらく前から始めたダイエットが台無しだと嘆いておりますが…。

Jack Teagarden & Chicagoans 1930

さて今回はトロンボーンの名手ジャック・ティーガーデンを中心に、シカゴアン達の1930年の演奏を取り上げよう。

The Chicagoans The Austin high Gyang 1928-1930 Decca SDL-10361

<Contents>…1930年1月24日 シカゴにて録音

レコードB面7曲目バレルハウス・ストンプBarrel house stomp

<Personnel>…ザ・セラー・ボーイズ (The Cellar boys)

Trumpetジョー・“ウィンギー”・マノンJoe “Wingy” Mannone
Clarinetフランク・テッシュメーカーFrank Teschemacher
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoフランク・メルローズFrank Melrose
Accordion不明Unknown
Drumsジョージ・ウェットリングGeorge Wettling

ザ・セラー・ボーイズという名義のセクステットによる演奏。解説の飯塚氏は「各自のソロが印象的で、スイングの移行を暗示した秀作と言える」と少しばかり分かりにくい表現で解説している。確かにマノンのTpはルイ・アームストロングの影響を強く感じさせるニューオリンズ風であり、フリーマンのTsはコールマン・ホーキンスのタンギング奏法を思い起こさせる。最も滑らかでモダンなソロを取るのはここでもテッシュメーカーである。確かにニューオリンズからスイングに至る過渡期の演奏のように思われる。なお、このナンバーを以てLP「The Chicagoans」収録曲は最後となる。

“King of the blues trombone”Epic JSN 6044 輸入盤

<Contents>…1930年5月22日 ニューヨークにて録音

Record1B面3.ダンシング・ウィズ・ティアーズ・イン・マイ・アイズDancing with tears in my eyes

<Personnel>…ジョー・ヴェヌーティ・アンド・ヒズ・ニュー・ヨーカーズ (Joe Venuti and his New Yorkers)

Violin & Bandleaderジョー・ヴェヌーティJoe Venuti
Trumpetレイ・ロドウィッグRayLodwigマニー・クラインMannie Klein
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagarden
Alto saxアーノルド・ブリルハートArnold Brilhartバーニー・デリィ(?)Bernie Dely(?)
Tenor sax & Clarinetアーヴィング・“イジー”・フリードマンIrving Friedman
Piano & Celestaレニー・ヘイトンLennie Hayton
Guitarエディ・ラングEddie Lang
Bass saxミン・ライブルックMin Leibrook
Drumsハーブ・クィグリーHerb Quigley

ジャズ・ヴァイオリンの草分け的奏者ジョー・ヴェヌーティ率いるスタジオ・ビッグ・バンドにティーガーデンが加わった作品。何となく映画音楽を思わせるような作品で、先ずヴェヌーティが短いソロを取り、続いてティーガーデンのこれも短いソロが入る。その後ヘイトンのソロなども入るがいずれも短く聴き応えはない。

<Contents>…1930年6月23日 ニューヨークにて録音

Record1B面4.イフ・アイ・クド・ビー・ウィズ・ユー・ワン・アワー・トゥナイトIf I could be with you one hour tonight

<Personnel>…ベン・ポラック・アンド・ヒズ・オーケストラ (Ben Pollack and his orchestra)

Bandleaderベン・ポラックBen Pollack
Trumpetルビー・ワインシュタインRuby Weinsteinorチャーリー・スピヴァクCharlie Spivakチャーリー・ティーガーデンCharlie Teagarden
Trombone & Vocalジャック・ティーガーデンJack Teagarden
Alto saxギル・ロディンGil Rodin
Alto sax & Clarinetマッティ・マットロックMatty Matlock
Tenor saxベイブ・ラッシンBabe Russin
Violinアレックス・ベラーAlex Beller
Pianoヴィック・ブリーディスVic Briedis
Banjoディック・モーガンDick Morgan
Tubaハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsレイ・ボーダックRay Bauduc

こちらはN.O.R.K.出身のドラマー、ベン・ポラック率いるビッグ・バンドに加わっての録音。この頃になるとポラックはドラムを叩くのを辞めてもっぱら指揮に専念しているようだ。この曲でインストのソロはTpソロのみで、ジャックはヴォーカルを取っている。ジャックのヴォーカルを前面に押し出した作品。それだけ彼のヴォーカルは高く評価されていたのだろう。

レッド・ニコルス物語 レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ “The Red Nichols story / Red Nchols and his five pennies” MCA-3012

<Contents>…1930年7月2、3日 ニューヨークにて録音

A面6曲目チャイナ・ボーイChina boy
B面1曲目アラビアの酋長The shiek of Araby
A面3曲目シム・ミ・シャ・ウォブルShim-Me-Sha-Wabble

<Personnel>…レッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズ(Red Nichols & Five Pennies)

Trumpet & Bandleaderレッド・ニコルスRed Nichols
Trumpetルビー・ワインシュタインRuby Weinsteinチャーリー・ティーガーデンCharlie Teagarden
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenグレン・ミラーGlenn Miller
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto saxシド・ストーンバーンSid Stoneburn
Tenor saxベイブ・ラッシンBabe Russin
Pianoジョー・サリヴァンJoe Sullivan
Guitarトレグ・ブラウンTreg Brown
Bassアーティー・ミラーArtie Miller
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

A-6チャイナ・ボーイ
3曲がこの2日間にわたる同じメンバーによる同一セッションである。その内この曲だけが7月2日の演奏である。解説の大和明氏によれば、編曲はグレン・ミラーで、ファイヴ・ぺニーズの代表的な演奏であるという。
イントロとエンディングのソロがジャックで、ソロ・スペースに入ってからはニコルス、BGと続き、次のサリヴァンによる2コーラスのPソロが圧巻であるという。確かにこのPソロはこの時代余り聴いたことのない力のこもったエモーショナルなプレイである。ミラーは自分でアレンジしながらソロはジャックに委ねるなど大人の対応を見せる。
B-1アラビアの酋長
この曲と次曲が7月3日の録音である。この吹込み以降この曲はジャック・ティーガーデンの十八番となったナンバーであるという。
以下大和氏の解説。「トレグ・ブラウンがストレイト・メロディで「俺らはアラビアの酋長だ」と歌い出すと、すぐ後からジャック・ティーガーデンがそれを抑え、大胆にメロディーを崩してジャジーな感覚を出す。そしてグレン・ミラーのTbがストレイト・メロディーで美しく流していくのに対し、ティーガーデンの奔放なアドリブが絡んでいくところなど実に素晴らしい。これ以降常にティーガーデンはこの方式によってこの曲を演奏することにした。続いてBG、そしてニコルスとソロがリレーされ、再びティーガーデンのヴォーカルで締めくくる。」
曲の構成は前述大和氏の解説通りで、ジャックがミラーのTbをアンサンブルのバックのように従えてプレイする有様は、大和氏が「素晴らしい」と記述するがジャックの立ち位置がかなり上だったことをうかがわせる。Tbソロに続くBGのCl、ニコルスのTpのソロも上々の出来で聴き応えがある。
続くA-3「シム・ミ・シャ・ウォブル」はベニー・グッドマンの1930年録音を取り上げた第113回で触れたことがある。
大和氏は、この曲にはかつてミフ・モールの素晴らしい演奏があったとし、この大型コンボ編成での録音での聴き処は各人のソロのリレーであるとする。ソロ・オーダーは、ベイブ・ラッシン(Ts)⇒BG(Cl)⇒ジャック(Tb)⇒サリヴァン(P)⇒ニコルス(Tp)によるアンサンブル・リードからラスト・コーラスへと引き継がれる。僕は前にも記したが、このラストアンサンブルが「フライング・ホーム」を思わせるスイング時代の典型的なリフのように聴こえる。

日本では、ジャック・ティーガーデンのファンというのをほとんど聞いたことがないが、レッド・ニコルスの録音などを見ると最も重きを置かれていたのは、実はこのジャック・ティーガーデンだったのではないかとさえ思える。

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第255回2018年4月2日

ピアニスト 1930年

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

実に春らしい陽気となりました。ワタクシのたり庵は、3月31日の土曜日から伊豆へ旅に出かけました。
左の写真は伊豆スカイラインから見た富士山です。31日の土曜日としては異例に早起きし(と言っても6時起き)、小田原厚木道路を通り、小田原から箱根新道を経由して伊豆スカイラインをドライヴしました。早起きした甲斐もあって道路はさほど混んでおらず快適です。天気は快晴、正に春らしい陽気で車窓から見る木々も少しずつ芽吹いてきていることを感じさせます。
春が訪れた里山と遠くに浮かぶ頭に雪を頂いた富士山、今年もちゃんと春が来たなぁ、ホッとする風景です。今回旅で向かった先は、西伊豆と言っていいのか、南伊豆と言っていいのか…、「松崎」という温泉地です。
気候温暖な伊豆でも南に位置する「松崎」、一足先に春を満喫しようと思って出かけたのですが、ここのところの全国的な気温の高さで、桜は盛りを過ぎ葉桜になっている木々も多く見かけました。

松崎という町は今回初めて訪れました。僕の記憶は当てになりませんが、確か漫画家の東海林さだおさんが、陽光降り注ぐのんびりした町で、とてもいい町と書いているのを見て一度行ってみたいと思っていました。
僕が一番ビックリしたのは、町中の至るところでウグイスが鳴いていることです。僕の認識では、ウグイスは藪の中に生息していて、鳴く声は聴けても姿を見ることはまずないということです。
僕の住んでいる辺りでも、散歩すればこの時期ウグイスの鳴き声は、よく聴くことができます。しかしそれは藪の中から聞こえることで、姿を見ることはありません。
それがどうでしょう。この松崎では至るところでウグイスが鳴きまくり簡単にその姿を見ることができるのです。写真右下は、桜並木を歩いていると、そこかしこでウグイスが鳴いていて、その内の一羽を写したものです。写真はボヤけていますが、この鳥が「ホーホケキョ」を連発していました。僕は物心がついてからウグイス、それも鳴くところを見たのは初めてのような気がします。僕の泊った宿もウグイスが大きな声で鳴き、ウグイスの声で目覚めるという稀有な体験をしました。
しかしこれを稀有のことと思うのは、一応都会に住んでいるからで、松崎の人たちからみれば普通のことなのかもしれません。

Pianist in 1930

さてこの回をアップするのは、4月2日です。僕は誰も気にしていないと思いますが、一応けじめとしてこのHPの期としては、4月スタート3月締めとしています。本編のほとんどは3月中に、2017年度の最後の回というつもりで書いてきましたが、旅行に行っている間に次年度、つまり2018年度に入ってしまいました。まぁ、あまり細かいことは気にせずに大雑把に行きましょう。2017年度であろうと、2018年度であろうと第255回ということは間違いありません。

今回は1930年に吹き込まれたピアニストのレコードをまとめたい。取り上げるピアニストは、
アール・ハインズ
ジェイムス・P・ジョンソン
スペックル・レッド・ぺリーマン
ファッツ・ウォーラー
である。錚々たる顔ぶれだが、大恐慌のおかげでレコーディングが少なかったせいなのかもしれないが、僕の持っているのはそれぞれ1〜2曲程度なのでそれぞれ1項目立てるより、「ピアニストin1930」としてまとめた方がよいかなと思ったのである。
ということで早速聴いていこう。

アール・ハインズ 1930年

<Contents>…1929年2月25日 シカゴにて録音

レコードA面1曲目グラッド・ラグ・ドールGlad rag doll
レコードA面2曲目グラッド・ラグ・ドールGlad rag doll

<Personnel>

Pianoアール・ハインズEarl Hines

1930年のピアノ・プレイヤーを聴いていこうと言いながら、初っ端から1929年の忘れ物です。アール・”ファーザー”・ハインズの1929年のソロ・ピアノが「クラシック・ジャズ・ピアノの精髄」に収録されていました。
ハインズは、1928年ルイ・アームストロングの数々の名盤に参加しながら、同年ニューヨークに赴いてソロ・アルバム (『ジャズ人名事典』)を吹込み、シカゴに戻って、グランド・テラス・オーケストラという自己の率いるバンドを結成するという文字通り八面六臂の活躍をする。ディスコグラフィーを見ると、ハインズは28年12月8日ニューヨークで、ソロ・ピアノ一挙に8曲ほど吹き込んでいる。これを見るとアルバムと言いたくなるかもしれないが、この時代に全8曲を収容するLPなどはないので「アルバム」という表現は勇み足だろう。と言いながら、僕自身としてはこの8曲を聴いてみたいと思いつつ、この録音を収容したレコード、CDを見たことがない。今後遭遇したら購入するかもしれない。
そしてシカゴに戻って1929年2月には、グランド・テラス・オーケストラのレコーディングを行う。僕はこれを収録したレコード、CDも見たことがない。これは欲しい、聴いてみたい。
それはともかくそんな多忙な中を縫って、彼は突然2月にこのソロ・ピアノを録音する。その後はオマー・シメオンとのトリオそしてビッグ・バンドでの録音が続く。いったい彼はどういう経緯で突然このレコーディングを行ったのであろう。全く経緯不明である。
ところでこの曲は以前にも一度登場した。それは第45回で取り上げたダイアナ・クラールのCDアルバム「グラッド・ラグ・ドール」のタイトル曲としてである。そこでも触れたがこの曲は1928年に作られた当時の流行歌だったらしい。クラールはギター1本の伴奏でいかにもラグタイムらしくない歌唱を披露しているが、このハインズのピアノ・ソロは、実にラグタイムらしい。ハインズとクラールを続けて聴いて同曲と分かる人は皆無ではないかと思う。
ともかくここでのハインズのピアノは、彼を表現する時によく使われる「力強さ」に満ちている。音が明快な実に力強いラグタイムなのだ。

<Contents>…1930年1月31日 ニューヨークにて録音

A面8曲目ハウ・クド・アイ・ビー・ブルーHow could I be blue ?

<Personnel>

Piano Duoジェイムス・P・ジョンソンJam es P Johnsonクラレンス・ウィリアムスClaren ce Williams

ピアノ・デュオである。名人二人によるピアノ・デュオで、途中で二人の会話が入る。この時代ピアノ・デュオ録音というのは珍しいのではないか?これまで古い録音順に一応取り上げてきたつもりだが、ピアノ・デュオは初めて登場したと思う。
ピアノ演奏のどちらがジョンソンでどちらがウィリアムスか聴き分ける耳がなく、会話を理解する英語力もない。ということでイマイチ楽しむということにならない。当時の人は、ここがジョンソン、あそこがウィリアムスなどと聴き分けて楽しんだのだろうか?





<Contents>…1930年4月8日 シカゴにて録音

A面8曲目ザ・ライト・ストリング・バット・ザ・ロング・ヨー・ヨーThe right string but the wrong Yo Yo

<Personnel>

Piano & Vocalスペックルド・レッドSpeckled Red

「ブギー・ウギー・マスターズ」に収録されたスペックルド・レッドの弾き語りである。ただどうもブギー・ウギー色は強くないと思う・。そう感じさせるのは左手の「ダンガダンガダガダガ」という後にロックン・ロールのベースパターンとなった強烈な低音部がないためであろう。クリシェ・ダウン風の左手はそれはそれで魅力的であり、心地よい。しかしこれをブギー・ウギーの代表作としてふさわしいかどうかと言われると「?」というのが正直な感想である。






<Contents>…1930年3月31日 ニューヨークにて録音

レコードB面3曲目セントルイス・ブルースSt. Louis blues
レコードB面4曲目君去りし後After you've gone

<Personnel>

Piano Duoファッツ・ウォーラーFats Wallerベニー・ペインBennie Paine

最初に取り上げたアール・ハインズの裏面に収録されている2曲である。ベニー・ペインという人はなじみがない。ジャズ界ではほとんど評価されていない人物であろう。プロフィールを見てもヴォードヴィルで活躍した、ミュージシャンというよりは<芸人>なのだろう。しかし相手方を務めるファッツ・ウォーラーも芸人気質と言っていいかどうか分からないが、その素養は十分に持っている人物である。
まずレコードB面「セントルイス・ブルース」であるが、わざと大げさに、大上段に構えて始めていると思うのだが、この辺りはよく分からない。
レコードB面4曲目「君去りし後」は、29年のルイ・アームストロングの録音を以前紹介した。とても良い曲でルイのナンバーは僕のお気に入りである。ここでは原曲のメロディーを活かしながらも、芸人二人も掛け合いで進行するが、そもそもこういう掛け合いが必要なのだろうか?奏者が二人いるのだからと言って一人以上の表現になっているとは限らないというのが、芸術というものであろう。

今回は、4人のピアノ・プレイヤーの1930年(1929年のもあるが)を取り上げた。これは彼らの録音がこれしかないということではなく、僕が持っているのはこれしかないということである。そしてそれぞれ1項目を立てるというほど語る知識もないためまとめさせていただいたことは申し上げておこう。

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第254回2018年3月25日

ルイ・アームストロング入門 その22 1930年 その2

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今回も春らしい写真から。
左は3月24日土曜日の森の様子。写真では分かりにくいかもしれませんが、ほんの少しずつ芽吹いています。これが来週には、完全に芽吹くのだろうなぁ。
今週は、春どころか初夏を思わせるような気温の後、一転して雪が降ったりと、目まぐるしく、それも温度が上下しました。春分の日に雪が降ったことに驚くようなコメントがテレビでも聞かれましたが、それほど異常なことでしょうか?僕の記憶では、本来東京周辺では真冬よりも春先の日前後に雪が降ることが多かったような覚えがあります。、いわゆる「春の雪」です。雪は、ここ2、3年は1月か2月に降っているような記憶もありますが、本来は春の雪がこの辺りの季節の特徴のように思います。
ところで右の写真は、森の中の枝垂桜です。開花までもう少し、枝全体が心なしかピンクに色づき始めた気がします。

公園で満開の連翹。これは僕「のたり庵」が植えました。もう15年くらい前のことです。よくぞ根付いてくれました。
僕は春を先取りして咲く「連翹」が好きで、もともとは自宅の庭に植えたのですが、余りに日当たりが悪いので枯れそうになってしまいました。このまま枯らせては申し訳ないと思って近所の公園の日当たりのよい場所に植え替えました。
自分で植えた以上気になるので、毎年恐る恐る見に行くのですが、今年はいつも以上に見事に咲いてくれました。花が咲くってうれしいですね。


訃報 ノーキー・エドワーズ

先週3月14日会社から帰宅後、何気なく無料で配布されるフリー・ペーパー「ショッパー」を見ていたら、右の広告が目につきました。今年度のベンチャーズのジャパン・ツアーの公演の告知広告です。公演日は8月11日土曜日だそうで、「夏だ!エレキだ!ベンチャーズだ!」はまだまだ続くんだなぁと思って、次に新聞ー読売新聞3月14日付朝刊―を見ると、何とそこにはノーキー・エドワーズ氏の訃報が掲載されていました。
ノーキー・エドワーズ氏はご存知ベンチャーズのリード・ギタリストです。新聞によりますと、3月12日に手術後の感染症で亡くなられたとのことで、享年82歳だったそうです。
ノーキー・エドワーズはその風貌から、つまりちょっと頭が後退し、顔がふくよかそうで、体格もゆったりしているところから「のんきなエドワーズ⇒ノンキー・エドワーズ」と言われたこともありましたが、そのギター・プレイは素晴らしいものがありました。

さて、ではノーキー・エドワーズのギター・プレイで最高作は何でしょうか?これはファンによっていろいろと見方が異なると思いますが、僕は断然「キャラヴァン」だと思います。「キャラヴァン」はこれも超有名なデューク・エリントン楽団のナンバー。作者はヴァルヴ・トロンボーンのファン・ティゾールです。ティゾールはこの曲ともう1曲「パーディド」の作者として知られていますが、彼はこの2曲の著作権だけでかなり裕福な老後を過ごせたそうです。
うらやましい〜!持つべきものはやはり才能ですねぇ。
ちょっと話が逸れました。ベンチャーズの「キャラヴァン」のレコード版は、ノーキーの圧倒的なギター・プレイに圧倒されます。とにかく悪魔のようなトリルが素晴らしいです。そしてギターだけではなく、メル・テイラーのドラム・ソロもちょっと聴くと拍の分からないすごいものです。この「キャラヴァン」は名演で、キャラヴァン名演集というアルバムを作るとしたら絶対に外せない演奏だと思います。

さて、そんなノーキーですが、ベンチャーズの結成当時はリード・ギターではなくベース担当でした。それは左の「キャラヴァン」を収録したEP盤でも分かりますが、右の初期の写真を見ればなお判然とします。これは同じくEP盤のレコード・ジャケットから取ったものですが、ドラムのホウィー・ジョンソン以外がオリジナル・メンバーです。因みに左からホウィー・ジョンソン(Dr)、リズム・ギターのドン・ウィルソン、ベースのノーキー・エドワーズ、リード・ギターのボブ・ボーグルです。右の写真を借用したEP盤には僕がいつ買ったかの記述があり、1967年月日とあるので、この写真の撮影はそれよりだいぶ前のこととなります。リード・ギターからベースの転向して素晴らしいプレイを行った人物としてポール・マッカートニーがいますが、ベースからギターに転向して超絶プレイを行ったのはノーキーぐらいではないかと思います。素早いプレイ⇒ゆったりプレイは割と転向しやすいですが、ゆったり⇒素早いは難しいと思うのです。
ベンチャーズといっても最近の若い方はピンと来ないでしょうが、僕が小学生の頃の人気は大変なもので、ビートルズかベンチャーズかというくらいに人気がありました。彼らがこんなに人気があるのはどうも日本だけみたいですけどね。
今オリジナル・メンバーで存命中なのはドン・ウィルソンだけで、2015年以降日本ツアーには帯同していないようです。では今はどんなメンバーなのでしょうか?
ジャズの世界では、オリジナル・メンバーのいない名門バンドとして、カウント・ベイシー・オーケストラやデューク・エリントンの楽団などがありますが、ロックの世界でオリジナル・メンバーが一人もいなくて、ツアーを続けているというのはこのベンチャーズだけなのではないでしょうか?

No.254 Louis Armstrong Vol.22 1930-2

さて今回はルイ・アームストロングの1930年の後半、カリフォルニア時代を聴いていこう。まず左はクロノジカル1930-31のCDに掲載されているルイの写真です。この写真はもう少し若く見えますがこのCDに掲載されているということは、この時期の写真のような気がします。1901年生まれのルイはこの時29歳という男盛り、写真下部に”Just a gigolo”という文字が見えます。”Just a gigolo”は翌1931年3月に吹き込んだ曲なので、31年の可能性が大きいと思われます。まぁ、この時期のルイは怖いもの知らずという感じだったのではないでしょうか?
ともかくルイはカリフォルニアで、フランク・セバスチャンの経営する“ニュー・コットン・クラブ”に7月からソロイストとして出演した。当時このクラブに専属出演していたレオン・エルキンスのバンド(30年秋からレス・ハイトが率いる)と共演したが、このバンドはスティール・ギターやチューバの入ったジャズ的要素の希薄なローカル・バンドといってよかった。ただ、その中には注目すべき存在として、後年スター・ソロイストとなるローレンス・ブラウン(Tb)やライオネル・ハンプトン(Vib、Dr)が在団していた。

<Contents>…1930年7月21日 ロスアンゼルスにて録音

CD5-5.アイム・ディン・ドン・ダディI’m ding dong daddy
CD5-6.アイム・イン・ザ・マーケット・フォー・ユーI’m in the market for you

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ニュー・セバスチャン・コットン・クラブ・オーケストラ(Louis Armstrong & his new Sebastian cotton club orchestra )

Trumpet & Vocalルイ・アームストロングLouis Armstrong
Trumpet & Condactorレオン・エルキンスLeon Elkins
Tromboneローレンス・ブラウンLawrence Brown
Alto saxレオン・ヘリフォードLeon Herrifordウィリー・スタークWillie Stark
Tenor saxウィリアム・フランツWilliam Franz
PianoL.Z.クーパーL.Z.Cooperorハーヴェイ・ブルックスHarvey Brooks
Banjo & Steel Guitarシール・バークCeele Burke
Tubaレジー・ジョーンズReggie Jones
Drums & Vibraphoneライオネル・ハンプトンLionel Hampton
CD5-5.アイム・ディン・ドン・ダディ

当時のルイの傑作の一つに数えられるナンバー。最初のコーラスに出るTbはもちろんローレンス・ブラウン。ルイはヴォーカルの途中で「わしゃ歌詞を忘れたよ」と堂々と言い放ち、スキャットに入る演出を試みている。歌の後のテナー・ソロはタンギングを用いた古めかしいスタイルでどうしようもないが、それだけにルイのソロの素晴らしさが映える。このソロはミュージシャンの間で評判になったルイのソロの一つで、力強く、しかも淀みなく歌心があふれ出た名ソロである。
イギリスの自身ピアニストでもあり評論家でもあるブライアン・プリーストリー氏はその著『ジャズ・レコード全歴史』において、ディジー・ガレスピーの「ソルト・ピーナッツ」のメロディーは、ラッキー・ミリンダ楽団の「リトル・ジョン・スペシャル」として使われていたものだが、その元は、この「ディン・ドン・ダディ」でのルイのフレーズに基づいている。「ディン・ドン・ダディ」のブレイクのタイミングを反転させた3連符によって続けられている」と指摘している。確かに似ている感じはするが、そう言われて聴けばである。
一方何につけ手厳しいガンサー・シュラー氏は、「ルイの後15年間に登場したいずれのTp奏者も『ディン・ドン・ダディ』その他の曲のルイの奏する「本物の音」と深みを持ちえなかった。さらにこの曲で聴かれるルイのスキャット唱法の素晴らしさに関しては言わずもがなである。ただこの曲は、ルイが演奏している個所しか聴くところがない代物であるが」と、ともかくルイは素晴らしいことを認めている。シュラーさん、ローレンス・ブラウンもダメなの?
CD5-6.アイム・イン・ザ・マーケット・フォー・ユー
大和氏よれば、30年に作られた映画の主題歌であり、甘いメロディーを持ったポピュラー・ソングで、ここではルイのソロより、ヴォーカルの後に出るブラウンのTbソロが聴きものとなっているという。確かにブラウンのTbソロは短いが優しい音色で彼の特徴がよく表れた素晴らしいもの。続くギター・ソロは余りスティール・ギターの特徴であるスライド・プレイを多用していないが、いかにもそれらしい響きも聴かれる。その後のルイのオープンによるソロも歌心溢れて素晴らしいと思う。

<Contents>…1930年8月19日 ロスアンゼルスにて録音

CD5-7.コンフェッシン(I’m)confessin’ (that I love you )
CD5-8.今宵ひとときIf I could be with you one hours tonaight

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ニュー・セバスチャン・コットン・クラブ・オーケストラ(Louis Armstrong & his new Sebastian cotton club orchestra )

7月21日と同じ。

次の録音は約1か月後8月19日に行われた。この録音に関して大和明氏は、2曲ともスロー・テンポのノスタルジックな演奏で、当時の不況時代を反映しているとみられると書いている。不況だと、元気のよい闊達な曲よりゆったりとした昔を懐かしむような曲が好まれるということであろうか?
CD5-7コンフェッシン
スティール・ギターによるイントロで、ムード満点の演出が施されている。ルイの歌のバックに、流れる甘美なサックス・ソリとスティール・ギターの響きがいかにもこのバンドらしいサウンドを奏でるが、やはりスティール・ギターはちょっと?と思う。それに対してブラウンとルイのソロはさすがに筋が通っている。しかしテナー・ソロは陳腐でいただけない。
CD5-8今宵ひととき
全体的にセンチメンタルなムードが横溢しているが、ルイのソロは甘さに寄りかからないバラード表現で迫ってくるとは、大和氏。

<Contents>…1930年10月9日 ロスアンゼルスにて録音

CD5-9.身も心もBody and soul

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・セバスチャン・ニュー・コットン・クラブ・オーケストラ(Louis Armstrong & his Sebastian cotton new club orchestra )

Trumpet & Vocalルイ・アームストロングLouis Armstrong
Trumpetジョージ・オレンドルフGeorge Orendorffハロルド・スコットHarold Scott
Tromboneルーサー・グレイヴンLuther Graven
Alto , Baritone sax & conductレス・ハイトLes Hite
Alto saxマーヴィン・ジョンソンMarvin Johnson
Clarinet & Tenor saxチャーリー・ジョーンズCharlie Jones
Pianoヘンリー・プリンスHenry Prince
Banjo & Guitarビル・パーキンスBill Perkins
Bass & Tubaジョー・ベイリーJoe Bailey
Drums & Vibraphoneライオネル・ハンプトンLionel Hampton

前録音から2か月弱一体何があったのだろう?リーダーが変わり、メンバーが一新されている。このメンバーの方がルイのバックにはふさわしいジャズ的センスを持ったバンドに変貌している。大和明氏が監修のCD解説では、前録音までのレオン・エルキンス率いるバンド名を”Louis Armstrong and his NEW Sebastian cotton club orchestra”とし、このレス・ハイト率いる新しいバンドを”Louis Armstrong and his Sebastian NEW cotton club orchestra”と”NEW”の位置を変えている。但しThe Chronogicalでは、どちらも”Louis Armstrong and his Sebastian NEW cotton club orchestra”と表記している。
さらに上記のパーソネルはCD解説のもので、そこではジョージ・オレンドルフ、ハロルド・スコット、ルーサー・グレイヴンの3人がTbとなっているが、The Chronogicalではオレンドルフとハロルド・スコットはTpでルーサーだけがTbとなっている。音を聴いてもこれはThe Chronogicalが正しいように思う。
ともかく新しくリーダーになったのは、当時ロスでは一応名の知られていたアルト・サックス奏者のレス・ハイトで、彼は、スティール・ギターやチューバのリズムを排し、メンバーも充実させた。残念ながらローレンス・ブラウンは去ったが、ハンプトンは残りこれまで通りに歯切れのよいリズムを繰り出している。

このバンドでの初録音は、後にジャズ・プレイヤーなら一度は必ず演ると言われる「身も心も」で、ルイはミュートで歌うがごとき暖かいソロと心の通ったヴォーカルで、いかにも人間味あふれるルイの人柄がにじみ出た仕上がりとなっているとは大和氏。

<Contents>…1930年10月16日 ロスアンゼルスにて録音

CD5-10.メモリーズ・オブ・ユーMemories of you
CD5-11.ユーアー・ラッキー・トゥ・ミーYou’re lucky to me

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・セバスチャン・ニュー・コットン・クラブ・オーケストラ(Louis Armstrong & his Sebastian cotton new club orchestra )

10月9日と同じ。

CD5-10メモリーズ・オブ・ユー
大和氏は次のように解説している。「この曲は、ライオネル・ハンプトンにとって思い出深い録音となった。彼はこれまでのも時々このレス・ハイト楽団でヴァイブを手にしていたが、たまたまこの時スタジオの隅で遊びがてらヴァイブを叩いていたところ、それに目を付けたルイが演奏に使うように勧めたので、ここに初めてヴァイブ奏者としてのハンプトンの録音が実現したのである。イントロからハンプは単なる効果音を超えた実に雰囲気のある美しいサウンドで、夢見るようなこの曲のムードを設定している。」
この曲は後に、ハンプトンが加わったベニー・グッドマンの重要な曲となる。BGはこの演奏を知っていて自己のナンバーとして取り入れたのかもしれない。
CD5-11ユーアー・ラッキー・トゥ・ミー
ルイの歌の後に珍しいレス・ハイトのバリトン・ソロを聴くことができる。ラストのルイのソロは高音域での盛り上がりを狙ったもの。なお、この日に録音した2曲とも多くのディスコグラフィーには別テイクがあるように記載されているが、おそらくオリジナル・テイクの回転数を速めたもので、同じテイクではないかという。

<Contents>…1930年12月23日 ロスアンゼルスにて録音

CD5-12.スィートハーツ・オン・パレードSweethearts on parade
CD5-13.ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジーYou’re driving me crazy
CD5-14.ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジーYou’re driving me crazy
CD5-15.南京豆売りThe peanut vendor

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・セバスチャン・ニュー・コットン・クラブ・オーケストラ(Louis Armstrong & his Sebastian cotton new club orchestra )

10月16日と同じ。

約1か月半後に行われた1930年最後の録音。この日は3曲録音されたが、その1曲は2つのテイクが発売された。
CD5-12スィートハーツ・オン・パレード
オーケーによるビッグ・バンド時代の演奏の中で、<シャイン>、<アイム・ディン・ドン・ダディ>などと並ぶ最良の演奏の一つであろうと大和氏は述べる。ここではルイの歌も味わいがあり、その前のミュート・ソロでの人の心をそそるような優しい歌心、そして歌の後に出るトランペット・ソロにおける創造に富んだ展開の見事さといい、この時期の名演の一つといえよう。
CD5-13、14ユーアー・ドライヴィング・ミー・クレイジー
2つのテイクが並んでいるが、CD5-14は稀少視されていたもので、心持ちCD5-13よりもテンポが速い。両テイクにソロの構成に違いはないが、ヴァリエイションの端々に違いが見られる。
語りでやり取りをしているのは、ルイとハンプトンである。
CD5-15南京豆売り

後にスタン・ケントン楽団の十八番となった曲。この年欧米のボールルームなどで、これまでにない独特のノンビリしたルンバによるラテン・ナンバーとして、その目新しさが大衆に大いに受けたという。全体的にはコマーシャルな狙いを持った演奏だが、ここでは中心となっているルイのヴォーカルが結構ジャズ的センスを発揮している。

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第253回2018年3月18日

ルイ・アームストロング入門 その21 1930年 その1

ご覧いただきありがとうございます。
定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

先ずは春らしい写真を2枚。
左は3月15日木曜日、確定申告で医療費控除の申請を出しに行く途中で写しました。何とはなしに光が柔らかく、春になったんだなぁという気がします。
右はまたまた桜にメジロです。

久しぶりに1週間空いてしまいました。誠に残念です。私事で恐縮ですが、というかこのHP自体が私事なのですが、少しばかり立て込む事情があり更新することができませんでした。とてもうれしい私事なので、更新が遅れたことは残念ですが、顔はニコニコです。
娘夫婦に孫が生まれたのです。二人目の孫です。一人目は「男」ですが、こんどは「女」です。
先週3月9日金曜日の夜、さぁHP更新の追い込みだぞと思っていたら、第2子が生まれそうでこれから病院に向かうので長男を預かってくれという旨連絡が入りました。そして娘のご主人が長男を連れて来ました。出産は順調で3月11日と日付が変わったころ、無事に女の子を主産したという連絡が入りました。母子ともに順調ということで一安心です。
そのため第一孫を、3月11日の日曜日まで預かることになりました。土曜・日曜と孫と遊んで過ごし、楽しくてパソコンに近寄る暇もありませんでした。

64歳になったら

ところで、3月14日は僕のたり庵の誕生日です。満64歳になりました。
64歳になって初めてかけたレコードは、モチのロンビートルズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」です。実に久しぶりに聴きました。何故、ビートルズ?このレコードにこんな曲が入っています。”When I'm sixty-four”(僕が64歳になったら)です。これは64歳になった時の歌ではありません。歌詞はこんな風に始まります。
”When I get older losing my hair , many years from now”(歳をとって髪の毛が薄くなったら、もちろんずっと後の話さ)。これはビートルズが1967年に発表した上記「サージャント」のB面2曲目に入っています。この曲を歌ったときポールは24歳か25歳です。
因みにこのアルバムは僕が中学生の時に日本で発売され、一度見たら忘れられない奇抜なジャケットとともに大いに話題となったアルバムです。僕は中学生の頃はR&Bに夢中だったため余り気にしていなかったのですが、熱心なビートルズ・ファンの友人から勧められて聴き、その素晴らしさに圧倒されました。
このアルバムで当初から話題になっていたのは、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」でこれは略すと「L.S.D.」になるなどといろいろな方が深読みをして解説をバラまいていました。そんな中でこの”When I'm sixty-four”は最も地味な曲といえるかもしれません。

この曲は、そもそもは求愛のラヴ・ソングです。僕と一緒になって(結婚して)、こんなほんわかとした楽しい家庭を築こうよというものです。ポールがこの曲を作ったのは若いころだった(24・5歳でも十分若いですが)そうです。何でも自分の父親が64歳になったのを機に思い出し、完成させたといいます。もしかするとポールは本当にこの歌詞のようなほのぼのとした将来を夢見ていたのかもしれません。
何とはなしに、僕は64歳になったら、この歌詞のようになっていたらいいなと思っていました。歌詞の一部にこんな一文があります。”Grandchildren on your knee Vera , Chuck & Dave”(孫たちが君の膝に乗るんだ、孫の名前はそうだなぁ、ヴェラとかチャックとかディヴとかという名前でさ)。
僕は初めて聴いた時からこの”Vera , Chuck & Dave”という歌詞が耳に残っていました。子供ではなく、孫というのがほのぼのとした感じを醸し出すのは日本も英国も同じなのでしょうか?
ともかく「のたり庵」64歳、孫が二人になりました。

No.253 Louis Armstrong Vol.21 1930-1

1930年は、大恐慌の影響で録音が激減したと言われるがルイ・アームストロングの録音はどう見ても減っているようには見えない。さて、先ずは30年のルイの動きから見て行こう。
1929年ルイはキャロル・ディッカーソンを音楽監督して、自身がリーダーとなりニューヨークに進出、“コニーズ・イン”などに出演するとともに、翌30年初めまでオール黒人キャストによるレヴュー“ホット・チョコレート”に出演した。その直後ルイ・ラッセル楽団のゲストとしてワシントンD.C.に向かい、帰って来てからも自分のバンドやザ・ココナッツ・グローブ・オーケストラに加わって演奏するなどしている。さらに30年にはシカゴに戻ったり、初めてカリフォルニアに行き8か月間に渡り滞在したという。
このカリフォルニアでは、フランク・セバスチャンの経営する“ニュー・コットン・クラブ”に7月からソロイストとして出演した。当時このクラブに専属出演していたレオン・エルキンスのバンド(30年秋からレス・ハイトが率いる)と共演したが、そこにはローレンス・ブラウンやライオネル・ハンプトンが在団していた。
1930年のルイのレコーディングを見ていくと、5月まではニューヨークで行われ、7月からはカリフォルニアのロスアンゼルスで行われている。今回はニューヨーク時代を、そして次回はロスアンゼルスでの録音を取り上げて聴いていこうと思う。

<Contents>…1930年1月24日 ニューヨークにて録音

CD4-17.ソング・オブ・ザ・アイランドSong of the island

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong & his orchestra )

Band leader , Trumpet & Vocalルイ・アームストロングLouis Armstrong
Trumpetヘンリー・レッド・アレン> Henry Red Allenオーティス・ジョンソンOtis Johnson
TromboneJ.C.ヒギンボッサムJ.C. Higginbotham
Clarinet & Alto saxアルバート・ニコラスAlbert Nicholasチャーリー・ホームズCharlie Homes
Clarinet & Tenor saxテディ・ヒルTeddy Hill
3Violin不明Unknown
Pianoルイ・ラッセルLuis Russell
Guitarウィル・ジョンソンWill Johnson
Bassポップス・フォスターPops Foster
Vibraphoneポール・バーバリンPaul Barbarin
Drumsバンド・ボーイThe band’s valet

1930年最初の録音は、1月24日に行われた。前回1929年12月の録音との変更点は、ホーギー・カーマイケルが抜け、ヴァイオリン奏者が3人加わり、ポール・バーバリンはヴァイブラフォンのみ演奏し、ドラムはバンド・ボーイが叩いたという。
解説の大和明氏によると、1936年に本物のハワイアン・バンドを起用してデッカに採録したナンバーで、ここではハワイアン・バンドの代わりに、劇場オーケストラから3人の白人ヴァイオリン奏者を借りて冒頭に配するなど、かなりコマーシャルな線を狙っているという。ハワイアンのムードを出したいからといってヴァイオリンを入れるというのもよく分からないが、ドラムを叩いたバンド・ボーイといい不思議な人員配置ではある。
そもそも何故ハワイアン?と思わざるを得ないが、まぁ僕などが小さいころは、日本でも大スターと言われるような人は、「〇〇、ハワイアンに挑戦!」とか「カントリー・ウェスタンに挑戦!」、「時代劇に挑戦!」のような企画ものがあったような気がするので、多分それに近いものだったのかもしれない。それはそうと、この頃には「ハワイアン」という音楽スタイルが一般的に知られていたというのは興味深い。メロディーは確かに「ハワイアン」を思わせるものがある。
大和明氏は、こういった企画でもさすがにルイは立派なTpソロを披露していると追記している。ルイのヴォーカルはスキャットのみで歌詞はない。

<Contents>…1930年2月1日 ニューヨークにて録音

CD4-18.ベッシー・クドント・ヘルプ・イットBessie couldn’t help it
CD4-19.ブルー・ターニング・グレイ・オーヴァー・ユーBlue turning grey over you

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong & his orchestra )

Drumsポール・バーバリンPaul Barbarin
3Violin抜ける
Clarinet & Alto saxアルバート・ニコラスAlbert Nicholasウィリアム・ブルーWilliam Blue

前録音の1週間後の録音。企画もので参加したヴァイオリンが当然のように抜け、バーバリンがドラムに戻る。クラリネットとアルト・サックスを担当していたアルバート・ニコラスが抜け、ウィリアム・ブルーが加わる。ウィリアム・ブルーはミズーリアンズのメンバーとして1929年の録音に参加している(第245回参照)。
CD4-18 [ベッシー・クドント・ヘルプ・イット]
ルイ以外に短いが2か所あるヒギンボッサムの個性豊かな、おおらかで奔放なTbプレイも注目に値する。
CD4-19[ブルー・ターニング・グレイ・オーヴァー・ユー]
大和明氏は、僕にはそれがどこか分からないが、最初の1コーラスのルイのソロには一か所ミスがあるという。ちょっと変な音が入る箇所があるが録音の問題のような気がする。ともかくそのミスを帳消しにするだけの美しい繊細な味をたたえたミュート・プレイが素晴らしいとし、またヴォーカルの後に続くこれも大らかな味のあるTbソロを経て、今度はオープンで吹くルイのTpはエモーショナルで素晴らしいプレイだと思う。

1930年2月、ルイはニューヨークで根城としていた「コニーズ・イン」での契約を終えるとキャロル・ディッカーソン楽団を解散し、「ココナッツ・グローヴ」で働き始めた。ここのバンドはウィリー・リンチをリーダーとし、<ココナッツ・グローヴ・オーケストラ>と名乗っていた。ルイはこのバンドに加わると、4月には共にボルチモアへ巡業に出ている。なおこのバンドは1931年デューク・エリントン楽団のマネージャーを務めていたアーヴィング・ミルズがマネージャーになってから次第に売り出し、その名もミルズ・ブルー・リズム・バンドと名称を変え、ハーレムの実力バンドに変身していったという。

なぜルイはディッカーソンの楽団を解散し、ウィリー・リンチの楽団に入ったのかは記載がない。そしてレコーディングはたぶんボルチモア巡業へ出る前と思われる4月5日に行われたが、この日録音は2つのセッションに分かれる。
1つ目は、当時ピアノ、歌、ダンス、トランペットもこなし、“バック・アンド・バブルス”というチームで人気があった芸人のバック・ワシントンとのデュオで演奏した1曲。それと上記の<ココナッツ・グローヴ・オーケストラ>に加わっての2曲である。解説の通りだとすれば、ルイは既存のビッグ・バンドに客演したものであるが、バンド名は「ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ」となっており、その名称でレコード発売されたようだ。この経緯は僕の推測だが、やはり既にスターダムにのし上がりつつあったルイの名前を使った方がレコード販売に効果的という判断があったものと思われる。

<Contents>…1930年4月5日 ニューヨークにて録音

CD4-20.ディア・オールド・サウスランドDear old southland

<Personnel>…ルイ・アームストロング(Louis Armstrong )

Trumpet & Speechルイ・アームストロングLouis Armstrong
Pianoバック・ワシントンBuck Washington

この曲は、黒人霊歌の“ディープ・リヴァー”を下敷きとして書かれたものだという。このようにTpとPの対話のような演奏は極めて珍しいのではないだろうか?大和氏は、ルイは1928年ピアノのアール・ハインズとのデュオで見事なインタープレイを示したが、ここでもまた別の面で素晴らしいデュオ演奏を披露する。ハインズとのデュオは対等の音楽的交流という感じであったが、ここではルイがあくまでもリードし、時折セントルイス・ブルースの旋律を用いながら、心を込めてノスタルジックに吹いた名演である。

<Contents>…1930年4月5日 ニューヨークにて録音

CD4-21.マイ・スィートMy sweet
CD4-22.恋とは思えないI can’t believe that you’re in love with me

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong & his orchestra )

Band leader , Trumpet & Vocalルイ・アームストロングLouis Armstrong
Trumpetエド・アンダーソンEd Anderson
Tromboneヘンリー・ヒックスHenry Hicks
Clarinet & Alto saxボビー・ホームズBobby Homes
Alto saxセオドア・マッコードTheodore McCord
Clarinet & Tenor saxキャスター・マッコードCastor McCord
Pianoジョー・ターナーJoe Turnerバック・ワシントンBuck Washington
Guitarバーナード・アディソンBernard Addison
Tubaラヴァ―ト・ハッチンソンLavert Hutchinson
Drumsウィリー・リンチWillie Lynch

パーソネルについて、上記はCDに付属の解説から拾ったもので、これは”The Chronogical Louis Armstrong 1930-1931”(Classics 547)記載のパーソネルと一致する。しかしちょっと<?>なのは、アルトのセオドア・マッコードとテナーのキャスター・マッコードである。上記のように書くと別人のはずであるが、Web等で検索すると”Theodore McCord”という人物は殆ど出てこず、”Castor McCord”を検索するとフルネーム”Theodore Castor McCord”という人物が登場する。アルトのセオドア・マッコードとテナーのキャスター・マッコードは同一人物であろうか?それなら別項を設けず、
Clarinet , Alto sax & Tenor sax … Theodore Castor McCord
と記載するはずである。それとも音の高い方ClとAsは”Theodore”で低い方のTsは”Castor”名義でプレイすることにしているのであろうか?どうにも分からん。
CD4-21[マイ・スィート]
フランスの著名なジャズ評論家ユーグ・パナシェは、録音されたルイの演奏の中で最上のトランペット・ソロの一つかもしれぬと絶賛しているという。大和氏も確かに良い出来であると書いている。一方ガンサー・シュラー氏は、ルイはソロの高い方の音の音域をe♭まで広げた。素材がどんなに安っぽい曲であろうとも、彼の音は安定し、旧式な技術の録音でも白熱的な特質を帯びて煌めいている。当時彼の楽想は、型にはまり大半がホット・ファイヴ時代の反復であったが、確実に表現されたと誉めているのかいないのか分からぬ解説をしている。
なおこの曲だけピアノは2人で弾いている。僕にはヴァイブラフォンも入っているように聴こえるのだが、これはピアノの高音かもしれない。
CD4-22[恋とは思えない]
ラスト・コーラスにおけるルイのソロも、パナシェ氏はもう一つの、素晴らしいソロだと称賛している。またルイのヴォーカルのバックを付けるバーナード・アディソンによる生ギターも実に美しいオブリガードを弾いているし、マッコードのテナー・ソロ、ヒックスのトロンボーン・ソロもいい味を出している。

さて、ルイは1か月後の5月に<ココナッツ・グローヴ・オーケストラ>との最後の吹込みを行う。CDも4枚目から5枚目に移る。ルイが加わった期間は実に短期間であるが、これはたまたまそうなったのかもともとそういう計画だったのかは分からない。
この時は4曲録音されたが、1曲目[インディアン・クレイドル・ソング](インディアンの子守歌)を除いてよく知られたスタンダード曲とディキシー・ナンバーが録音された。いなくなるのだから置き土産を置いていくということなのだろうか。

<Contents>…1930年5月4日 ニューヨークにて録音

CD5-1.インディアン・クレイドル・ソングIndian cradle song
CD5-2.イグザクトリー・ライク・ユー Exactly like you
CD5-3.ダイナDinah
CD5-4.タイガー・ラグTiger rag

<Personnel>…ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong & his orchestra )

4月5日と同じメンバー。

ここからCDは5枚目となる。
CD5-1[インディアン・クレイドル・ソング]
大和氏も、余り知られていない曲を取り上げたのは、ルイの好みであろうかと疑問に思っている様子である。ルイのヴォーカルのバックを飾るアディソンのギターが軽妙な味を出す。また歌の前にソロを取るキャスト―ル・マッコードのTsもコールマン・ホーキンス風のよい味を出していると大和氏は評している。
CD5-2[イグザクトリー・ライク・ユー]
冒頭からルイのミュートは、抜群の歌心を示し、ヴォーカルも味が出てきていると大和氏は書くが、僕はルイのTp及びヴォーカルは1929年の「捧げるは愛のみ」辺りから抜群の味わいがあると思っている。
CD5-3[ダイナ]
この曲は、昔日本でもディック・ミネの歌でヒットした曲。のたり庵の父親もよく口ずさんでいたので知っている。
ここでは、ラスト3コーラスをそれぞれに工夫を凝らしたフレイズを駆使して吹き分けるルイのソロが圧巻である。また歌の前に出るマッコードのTsソロは、20年代半ばのホーキンスを思わせる。歌の後に出るヘンリー・ヒックスのTbソロも好演である。
CD5-4[タイガー・ラグ]
この曲に対しては、「当時のヒット曲だが、いわゆる高音ヒットを放つルイのテクニックのすごさをひけらかすための演出がなされた曲」と大和氏は述べる。後半の無意味な高音連発をトレード・マークとする、ルイにとっては泥沼の深みにはまったような録音が次第に多くなり、マンネリ化の時期を迎えたことを意味すると手厳しい。だがそういった中にもいくつかの注目すべき作品を残したことも事実であり、そういった録音ではルイの実力をまざまざと見せつけている。
なお、ロイ・エルドリッジはちょうどこういう時期のルイのテクニックやトーン、そして数々のアイディアに示唆を受け、スイング時代最高のトランぺッターへの道へと突き進んでいったと大和氏は付け加えている。

大恐慌の影響が深刻になり始めたこの時代、なぜルイの録音は減らなかったのであろうか?やはり売れていたのであろう?もしかするとこのような時代を背景にしてルイは、売れる音楽を演らなくては…と思い詰めていたのかもしれない。

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第252回2018年3月4日

フレッチャー・ヘンダーソン入門 その9 1930年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

河津桜にメジロ

僕の住む南関東は、先週木曜日は明け方にかけて土砂降りの雨が降り、風も強く吹きましたが、それが今年の春一番だったそうです。春一番が吹いたと思ったら、一挙に暖かくなりこの土・日は春本番の陽気になりました。
左の写真は、少し分かりにくいかもしれませんが、春の陽気に誘われて散歩に出た3月4日日曜日、森の空き地で満開になっている梅の木を撮ったものです。

そして右上は3月3日土曜日テニスコートの近くで満開になった河津桜の蜜を吸いに来たメジロです。1本の木に7、8羽もやってきて蜜を吸っていました。写真を撮ろうと静かに近寄るのですが、動きは素早く中々とらえきれません。


河津桜にヒヨドリ

そして右下は、同じ河津桜にやって来たヒヨドリです。ヒヨドリも花の蜜を吸うのですねぇ。ヒヨドリは果物が好きと言いますから、甘いもの好きなのかもしれません。
僕は見た感じで、ヒヨドリだと思ったのですが、他の方は「ツグミ」だと言っていました。どちらが正解なのかはよく分かりません。もしツグミだとすれば、これからシベリアへ帰る前の栄養補給というところでしょうか?

ところで、フィギュア・スケートで2回連続金メダルを獲得した羽生結弦選手への国民栄誉賞授与が検討されているそうです。もし授与が決まれば仙台市出身者で初の受賞となります。同じく仙台市出身ののたり庵としては、是非授与して欲しいと思います。まぁ、僕の同郷ということはどうでもいいとして、羽生選手は、東日本大震災で練習場所を奪われますが、挫けず努力を重ね世界でも66年ぶりとなる、金メダル2連勝を成し遂げました。彼はそれだけではなく、一貫して被災地を巡るなど支援を続けていて、何もできない僕などは、ただただ頭が下がるのみです。彼の復興への貢献は並外れてすばらしいものだと思います。

第252回Fletcher Henderson Vol.9 1930
“A study in frustration” Vol.4

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」

1930年のフレッチャー・ヘンダーソンも、前年からの気力減退と及び大恐慌の影響からか4曲しかレコーディングはない。その4曲に触れる前に重要なことに気づいたので、書いておきたい。
最初にフレッチャー・ヘンダーソンを取り上げた第71回において“The Fletcher Henderson story / A study in frustration”(Essential・JAZZ・Classics EJC55511)CD3枚組をヘンダーソンの基本音源とするが、これはかつてレコードで出ていた「スタディ・イン・フラストレイション」(4枚組)と同じかどうかわからないと書いた。何と迂闊なのだろう。CDボックスをよく見ると、ボックスにちゃんと次のように書いてあるではないか。これを僕は最近発見した。
“The edition presents the complete original Columbia 4-LP set <The Fletcher Henderson story / A study in frustration>”つまりコロンビアから出ていた4枚組の「スタディ・イン・フラストレイション」の完全復刻版であることそしてこの他に重要と思われる録音をボーナスとして加えてあると書いてあるのである。
そしてその後僕は、マッキニーズ・コットン・ピッカーズやミズーリアンズなどの貴重な音源を収録した「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」を入手する。この9枚組には、フレッチャー・ヘンダーソンの録音も収録されている。ここからが僕のとんでもない迂闊話である。僕はこのレコードのヘンダーソンの録音も、CD3枚組「スタディ・イン・フラストレイション」に収録されていると思い込んでいたのである。しかしよく考えれば、コロンビアとRCAヴィクターはライヴァル同士である。違う音源ではないかと今になって気付いたのだった。
さてヴィクターの「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」には、フレッチャー・ヘンダーソン楽団の録音がLP2面分34曲が収められている。そしてこちらの解説は油井正一氏が担当している。氏は次のように述べる、「このアルバムは、ヴィクターに吹き込まれたヘンダーソンの全曲から、ベイビー・ローズマリーと彼女の楽団として出た完全な歌伴奏2曲を除外したもので、ヴィクターのヘンダーソン・コレクションとしては完璧」であり、別の処で全て録音順に収録したとあるので、しつこく言うがこのセットは録音データを全く掲載していないので、こういう情報はありがたい。
そして収録曲をディスコグラフィーなどと照らし合わせてみると、LP第1面1曲目シャッフリング・セイディー(Shuffling Sadie)は1927年3月11日録音、2曲目セントルイス・シャッフル(St.Louis shuffle)と3曲目ヴァラエティ・ストンプ(Variety stomp)は1927年4月27日録音であり、4曲目シュガー・フット・ストンプ(Sugar foot stomp)は1931年4月31日の録音である。録音順に並べたという油井氏が書いているので、5曲目は31年以降の録音となる。つまり第1面の3曲が1930年より以前の録音である。これはここではなくヘンダーソン楽団の1927年の録音を取り上げた第169回に追記することとしたい。

「ア・スタディ・イン・フラストレイション/フレッチャー・ヘンダーソン」CD3枚組 CD2ジャケット

Essential・JAZZ・Classics EJC55511 CD3枚組 made in EU

<Contents>…1930年 ニューヨークにて録音

CD2-14.チャイナタウン、マイ・チャイナタウンChinatown , my Chinatown1930年10月16日録音
CD2-15.サムバディ・ラヴズ・ミーSomebody loves me1930年10月16日録音
CD2-16.キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウルKeep a song in your soul1930年12月2日録音

<Personnel> …フレッチャー・ヘンダーソン・アンド・ヒズ・オーケストラ (Fletcher Henderson and his orchestra)

Band reader& Pianoフレッチャー・ヘンダーソンFletcher Henderson
Trumpetボビー・スタークBobby Stark ラッセル・スミスRussell Smith
Cornetレックス・スチュワートRex Stewart
Tromboneジミー・ハリソンJimmy Harrisonクロード・ジョーンズClaude Jones
Clarinetバスター・ベイリ―Buster Bailey
Alto saxハーヴェイ・ブーンHarvey Booneベニー・カーターBenny Carter
Tenor saxコールマン・ホーキンスColeman Hawkins
Banjoクラレンス・ホリディClarence Holiday
Tubaジョン・カービーJohn Kirby
Drumsウォルター・ジョンソンWalter Johnson
<Personnel> … 1929年5月16日から変わったところ
替わったパーソネル
Tromboneチャーリー・グリーンクロード・ジョーンズClaude Jones
追加のパーソネル
ベニー・カーターがAlto saxに復帰

「ア・スタディ・イン・フラストレイション/フレッチャー・ヘンダーソン」CD3枚組 CD2

ガンサー・シュラー氏は、この1930年の録音に関して次のように発言する

「このフレッチャー・ヘンダーソンのバンドは、1930年の末に再び上昇の機運を迎える。この楽団にはコールマン・ホーキンス、ボビー・スターク、レックス・スチュワートだけが居残っていた(とシュラー氏は書くが、1929年のバンドとそれほどメンバーは変わらない)。トロンボーンには革新的なスタイルを奏するクロード・ジョーンズが加わった。しかし最も重要な変化はリズム・セクションにあったと言えるかもしれない。ドラムには、その長所と歴史的意義がジャズ史家たちに過小評価されてきたウォルター・ジョンソンであったし、ジョン・カービーも加わった」と。しかしジョン・カービー、ウォルター・ジョンソンが加わったのは1929年であり、その録音も前回取り上げている。
続けてシュラー氏は、「この楽団の新たな自信は、1930年の再結成後の最初の録音に反映されている」と書くが、この「再結成」がよく分からない。一度解散したのだろうか?氏は1928年と29年の間に重大な変更が発生したと書き、低迷期を迎えたと書くが「解散した」とは書いていない。「再結成」とは「低迷期」を脱出したという意味であろうか?
ともかく氏は続けて、「カーターはいくつかのまとまりのある編曲を提供したが、これは後年のスイングのスタイルを先取りしたものである」と高く評価している。1929年ではボロクソに言っていたが、1年で素晴らしく成長したらしい。続けて「ガーシュイン作の”サムバディ・ラヴズ・ミー”や”キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウル”は、リズム・セクションの4ビートへの転向を明示するもので、カービーのベースの足取りが軽快である。面白いことに、前者の場合、リズム・セクションは、ホーン楽器群がまだ対処できないやり方で、スイングしているのだが、2か月後の”キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウル”では、リズムの基本的な志向がホーン楽器群にも理解されるようになっている。この非凡な演奏について賞賛すべき点は多々ある。というのは”ヘンダーソン・スタイル”の最終的な秘訣が初めて明快な確信を込めて提示されているからである。カーターが、長い(?)試行錯誤の過程を経て、セクションをスイングさせる解決策をとうとう探り当てたことは明らかである」と。
そして次からが難しいことを述べる。「この解答は、シンコペーションにあった。サッチモやジェリー・ロール・モートンのようなモダンな奏者たちはリズム上の自由を獲得するカギが1小節4ビート(2ビートではない)に基づくシンコペーションにあることを本能的に察知していた。奏者がいったん4ビートを明示する役割を離れて、ビートの「内部」に入り込むことができるとすれば、リズムを自由に扱える膨大な地平が見えてくる。多分、ソロイストたちは、リズム・セクションが4/4ビートを扱えるまで待たなくてはならなかったのだ。ソロイストたちが4/4ビートを明示する負担から解放されたとき、彼らはさらに重要な課題に取り組めるようになった。その課題とは、多彩な旋律の提示であり、或いは多彩なリズムを用いてそうした旋律の事実上は自己批評となるものの提示である」と。正直僕のたり庵には難しすぎてよく分からない。

そしてシュラー氏は上記のことを理解してもらうために譜例を上げて解説している。
「カーターは、”キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウル”の中で、この原理をセクションの書法に応用し、ヘンダーソンのレパートリーの偉大な編曲の一つを創り上げた。我々は、この曲の旋律を例に、ジャズのアンサンブルによって演奏されたある楽句が歳月の中でどのように変化したかを明らかにすることができる。


1923年では、それは右上のように演奏されたであろう。 そして1927年か1928年までには、右の真ん中のようにほぐされて演奏されたかもしれない。



しかし1930年のカーターの編曲では、この楽句は4ビートの箍(たが)から全面的に解放されて右下のように演奏される。



バンドによる変奏

シュラー氏は、右の3つの譜例を合奏で行われる場合を左の譜例で表している。その例としては同じ録音の後の方の、トランペットがリードする全セクションの演奏を上げている。この「同じ録音の後の方」とは、同録音はテイク1とテイク2があり、テイク2という意味だが、CDには片方しか収録されておらず、収録されているのがテイク1か2かの記載がない。

シュラー氏はさらにソロにも言及する。「”キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウル”には、3つの注目すべきソロ、それ自体としてもそうなのだが、時代を考慮すると一層注目に値するソロが含まれている。その3つとは、クロード・ジョーンズの大変モダンなビートを外したトロンボーン・ソロ(その背後のジョンソンの繊細で刺激的なシンバル奏法)、カーターのアルペジオが基本のフォーマットであるのに何とか巧みにスイングしているアルト・サックス・ソロ、そして最も驚異的なのが、最後のコーラスのブリッジにおけるスタークの短いトランペットソロである。」(譜例左下)

トランペット・ソロ

シュラー氏は、次のように述べる。「またもや譜面ではその全貌を、とりわけ最初の数小節を伝えられないことになるのだが、これは1930年において、その15年後のディジー・ガレスピーとそっくりな響きをする個所である。この発言を信用していただくには聴いてもらうしかない。最後に付言すると、ジョー・スミスのリード・トランペットの輝かしい響き、高音のd音を含めてそのすべてに注目しなければならない。カービーの深々としたベース音とスミスの大きな音のリードによって、8声部の和声がジャズにおいて聴かれたことが無い次元を獲得しているからである」と。ここでシュラー氏は、Tp奏者をジョー・スミスと考えていることは明らかである。しかしCDの解説でも、Web版のディスコグラフィーでもTpはボビー・スタークとラッセル・スミスであり、コルネットにレックス・スチュワートということで一致している。Web版を見ているとどうもソロはレックスのような気もするが…。

シュラー氏は、「チャイナタウン、マイ・チャイナタウン」にも触れ、次のように述べる。「1906年に作られた懐かしいスタンダード・ナンバーで、扇動的で興味深い演奏である。マッキニーズ・コットン・ピッカーズのアレンジャー兼Tp奏者ジョン・ネスビットが編曲したもので、テンポが四分音符=290というとてつもない速度に設定され、30年代前半としては全てのビッグ・バンドが身に付けた超人的技巧を披露するような類の曲であった。素早いサックスの動き、きびきびしたブラスのリフ、ホットで電光石火の速さの8分音符のソロ、容赦なく攻め込むリズムセクション(たった3分間で768のビートを刻む)、これらがその主要な成分であって、30年代の有名なビッグ・バンドはどれも、他のバンドとのカッティング・コンテスト(バンドの優劣を客の拍手で決めるバンド合戦)向けにこうした曲をレパートリーに持つ必要があった」と。

折角ガンサー・シュラー氏が詳細な解説を書いているので、ほぼ全文を紹介したが、最後に僕の感想を書いておこう。その前にCDではジョン・カービーはチューバとなっているが、音を聴く限りストリング・ベースを弾いていると思う。
「チャイナタウン、マイ・チャイナタウン」は、突っ走るタンタカタンタカというシャッフル・ビートに乗ったアンサンブルが素晴らしいし、途中から4ビートに変わりTp、Cl、Tsソロも素晴らしい。そして後半は明らかにロクン・ロールのリズムパターンで攻めまくる。聴き応えがある。
「サムバディ・ラヴズ・ミー」は、シュラー氏の解説では分かりにくいが、ガーシュインの作。サックス・アンサンブルの譜形も面白いし見事。途中からコーラスが入るがハーモニーが効いていて楽しい。誰が歌っているのだろうか?楽団員とは思えないが…。
「キープ・ア・ソング・イン・ユア・ソウル」はファッツ・ウォーラーの作。テーマを聴けばシュラー氏の言う譜例がよく分かる。確かにTb、Asソロは素晴らしく合間に入るアンサンブルも見事だと思う。後半ガレスピー云々のTpソロは、そう言われて聴けばそういう感じもする。この辺りのシュラー氏の指摘はさすがと思う。

最後にシュラー氏によれば、ヘンダーソン楽団は1930年は回復基調にあったということになる。そうすると録音が少ないのは、やはり大恐慌のせいなのだろうか?

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第251回2018年2月28日

ブラインド・ブレイク入門 その5 1930年
ブルース入門 その8

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

まだまだ殺風景な森の休憩所です。写真は少し前2月18日のものですが、1週間後の2月25日でも変わりませんでした。どちらかと言えばこちらの方が、明るく撮れたのでこちらを使用しましょう。
さて、右の写真は、これまで何度かご紹介した東京・丸の内の仲通りの夕方6時くらいの写真です。日付は2月22日。ライト・アップが終わっています。東京駅の工事と同じで、気付いたらライト・アップが終わっていました。そして時刻は午後6時くらいですが、空が真っ暗ではありません。ほんの少しばかり明るさが残っています。少しずつ日が長くなってきています。

そして右の写真は、2月24日土曜日近所を少しばかり散歩した時に、写しました。このお宅の枝垂れ梅は毎年見事な花を咲かせてくれるので、咲くのを楽しみにしています。

2月24日の土曜日は日差しもある暖かな日和で、大分花が咲き始めました。一応まだ現役で仕事をしている僕が見に行けるのは、ド・日に限られます。今度の土或いは日に行ったら終わっていたというのは避けてもらいたいところですが、花は人の気持ちを忖度してくれないので致し方ありません。

それはそうと2月25日、2018年冬季オリンピックが閉幕しました。開幕直前は北朝鮮の突然の参加表明があったり、スポーツに政治がグイグイと押し込んでくるような嫌な感じがありましたが、大会が進むにつれて日本選手の活躍もあり、毎日楽しみに拝見させていただきました。それぞれの選手がここを目指して血のにじむような練習を積み、精神的にも修練を重ねてきているのです。一市民としては汚らわしい、打算だらけの政治に関与して欲しくないと思うのですが、それぞれの選手も大会が終わって、それぞれの国に戻れば否応なしに、その取り巻く環境下に身を置かざるを得なくなります。そういった意味では、オリンピックというのは、我々のような観戦者にとってもつかの間の夢の舞台だったのだなぁと思います。
そして今度は、あまり注目を浴びないパラリンピックが始まります。大会を支える運営者の方々、ヴォランティアの方々、お疲れ様ですが、もうひと頑張りして、なにとぞ良い大会になるようにお願いいたします。

第251回Blind Blake Vol.5 1930
The way to blues No.8

「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス

さて、拙HPは、5年前4月にスタートし年回50回のアップを目標に運営してきた。つまり今年4月に250回のアップを目標としてきた。それを前回で達成することができた。このことは改めて期の代わりの折にでも書こうと思う。ということで今回第251回からは1930年の録音を聴いて行こう。

ところで、僕はブラインド・ブレイクを取り上げた前回第221回で少しばかり気になることがあった。それは1929年9月録音のナンバーがシカゴの録音なのに対して、1929年10月の録音がウィスコンシン州グラフトンとなっていることである。「グラフトン」てどこ?
ロバート・パーマー氏は前回紹介したように、その著『ディープ・ブルース』で、「1926年9月パラマウント社はブラインド・ブレイクという金鉱を掘り当てた」と書いているように、ブレイクの録音は1926年以降はパラマウント社で行われた。
それは、パラマウントの社の録音が行われた場所がシカゴからグラフトンに移ったということを意味する。グラフトンのあるウィスコンシン州の州都は「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー」とビールで有名なミルウォーキーで、グラフトンそのものは現在人口約1万人の小さなハッキリ言って田舎町である。そこで録音が行われるようになったのだ。ただ地図で見るとミシガン湖沿いに少し北へ行ったところがミルウォーキーであり、グラフトンはそのミルウォーキーからまた少しばかり北に行ったところで、ミルウォーキー、シカゴとという大都市とそれほど離れた土地ではない。このことに関連する記述を見つけたので以下紹介しよう。

「ジャズ・レコード全歴史」ブライアン・プリーストリー著晶文社

ブライアン・プリーストリー著『ジャズ・レコード全歴史』(後藤誠訳 晶文社)によれば、1920年代の2大レコード会社と言えば、「コロンビア」と「ヴィクター」だった。そしてレコードの普及に欠かせないのは、「蓄音機」である。そして当時「蓄音機」は家具の一種と考えられ、レコードも雑貨屋や家具店で売られていたという。そもそも「コロンビア」と「ヴィクター」は蓄音機を売っており、レコードは買ってくれた人へのオマケ的な存在であったというのである。そして「コロンビア」と「ヴィクター」は、蓄音機で再生するレコードの供給は、蓄音機を販売する自分たちが行うべきであると考えていたという。その関連からか1920年代のジャズ・ブームに貢献した、ジェネットとパラマウントというレコード会社は家具会社の子会社であったという。
そこでこのパラマウント・レコードの親会社というのが、ウィスコンシン・チェア・カンパニーというから椅子の製造を手掛ける会社で、その工場がこのグラフトンにあったのである。つまり椅子の製造工場の大きな建物の中にレコード盤のプレス工場があったのだという。そして同社は1929年に工場の敷地内に録音スタジオを建設、自社での録音事業を開始した。そのために1929年以降有名なアーティストたちが、録音のために続々とこの地を訪れるようになり、その一人がブラインド・ブレイクだったということになります。つまりブレイクの1929年9月までの録音は、リッチモンドやシカゴで録音されグラフトンでレコード化されていたのだが、1929年10月以降は新たに建設されたグラフトンのスタジオで録音、隣のプレス工場でレコード化されたということになる。
椅子を製造する家具屋さんがレコードを製造というのは意外な感じだが、家具店に出入りしているコロンビアやヴィクターが蓄音機と一緒にレコードを売っているのを見、そしてそれが大いに売れているのを見て、「よっしゃ、我々もレコードを作って一儲けしよう」ということになったのであろうか?それはともかく、ブレイクの録音日付を見て、10月に新スタジアムを完成させて、これから自前でどんどんレコーディングするぞ!と意気込んだところに「大恐慌」が勃発したのである。正にパラマウント社から見れば、青天の霹靂である。
そして翌1930年は大恐慌の影響で不況が深刻化してくる。その影響を最も厳しく受けたのが音楽業界と言われ、レコーディング数が激減したと言われる。確かにこのブラインド・ブレイクの吹込みを見ても、1929年は25曲であるのに対して30年は10曲と半分以下に減っているが、まだ10面分の録音ができているのである。
ただブレイクの場合は、弾き語りなので、レコーディングにかかる制作費が安く済むという利点がある。それほど整った設備がないスタジオでも録音できるし、人件費もかからない。これで大ヒットでも生み出してくれれば、もう云うことはない。この辺りが録音数は減っても無くさない、ということだったのかもしれない。おっと、これは僕の勝手な想像です。

「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 5枚目

Blind Blake “Remastered” JSP Records PO Box 1584(JSP 7714A〜E)

<Contents> … 1930年5月26、28日 ウィスコンシン州グラフトンにて録音

CD-E.7ステインガレー・マン・ブルースStingaree man blues
CD-E.8アイチング・ヒールItching heel
CD-E.9ユーヴ・ガット・ホワット・アイ・ウォントYou’ve Got what I want
CD-E.10チェリー・ヒル・ブルースCherry hill blues

<Personnel>

Guitar & Speechブラインド・ブレイクBlind Blake
Vocal”チョコレイト・ブラウン”・アイリーン・スクラッグス‘Chocolate brown’ Irene Scruggs

ブレイクの1930年最初の録音は、5月末に女性ブルース・シンガー、アイリーン・スクラッグスと共演というかギター伴奏という形で行われた。音源はSP盤を再生したものを録音したもので、音質は極めて悪い。パラマウント社は後に倒産したが、倒産後はマスター・テープなどは完全に散逸したそうなので致し方ないのであろう。
このスクラッグスという名前も初めて聞く。この女性ブルース・シンガーは『ジャズ人名事典』にも載っておらず謎の部分が多いが、この時代1920年代は本当にたくさんの女性ブルース・シンガーがいたのだなぁと改めて思ってしまう。歌いっぷりは堂々としていて、ブレイクのテクニック抜群のギター伴奏と相俟って聴き応えがある作品に仕上がっている。

「ブラインド・ブレイク」5枚組CDボックス 5枚目

<Personnel>

Guitar & Vocalブラインド・ブレイクBlind Blake

<Contents> … 1930年5月30日 ウィスコンシン州グラフトンにて録音

CD-E.11ディドル・ワー・ディドル・No.2Diddle Wah diddle No.2
CD-E.12ハード・プッシン・パパHard pushin’ Papa
CD-E.13ホワット・ア・ロウダウン・プレイス・ザ・ジェイルハウス・イズWhat a lowdown place the jailhouse is
CD-E.14エイント・ゴナ・ドゥ・ザット・ノー・モアAin't gonna do that no more

<Contents> … 1930年10月 ウィスコンシン州グラフトンにて録音

CD-E.15プレイング・ポリシー・ブルースPlaying policy blues
CD-E.16ライチャス・ブルースRighteous blues

この6曲はブレイクの弾き語りとなる。こちらも音はひどく、特にCD-E.13、14はひどくよく聞き取れないくらいだが、やはりここはよくぞ音源を探し出し収録してくれたと感謝すべきなのだろう。
演奏はどうせ朴訥素朴なブルースだろうと思うなかれ、音こそ悪いがかなり洗練されたブルースである。ブレイクのヴォーカルは、訥々として決してシャウトなどしない、それを物足りなく思う人もいるかもしれないが、それこそがこの人の個性なのだろう。ブルース形式は現代のブルースと変わりない。もうこの時代には完成されつつあったのだと思う。

ブルースを聴いていつも思う。歌詞が分かり、スラングが分かったらもっともっと楽しいだろうなぁ!

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