アーサー・ウェッツェル (トランペット)

Arthur Whetsel (Trumpet)

本名:アーサー・パーカー・ウェッツェル (Arthur Parker Whetsel)
1905年2月22日フロリダ州パンタ・ゴーダ生まれ。
1940年1月5日(5月1日という記載あり)ニューヨークにて死去。

先ずこの名前に悩む。
History版CD40枚セットの解説では“Whetsel”(ウェッツェル)と“Whetsol”(ウェッツォル)が混在しており、Web版ディスコグラフィーEllingtoniaでは“Whetsel”(ウェッツェル)となっている。
本でも、『A列車で行こう/デューク・エリントン自伝』では“Whetsol”(ウェッツォル)、しかし『デューク・エリントン』(柴田浩一著)では“Whetsel”(ウェッツェル)となっており表記が分かれる。まぁそれほど大問題というわけではないが、気になって仕方がない。
本来余り頼ってはいけない“Wikipedia”を見るとさらに悩むことになる。
Birth nameは、Arthur Parker Whetselとし、一方“Also known as  Arthur Whetsol”と書いてある。
要は、生まれた時の名前は「アーサー・パーカー・ウェッツェル」だが、「アーサー・ウェッツォル Arthur Whetsol」としても知られているというのである。
つまりどっちでもよいという感じだ。それはおかしいやろ??
育ったのは首都ワシントンでデューク・エリントンとは少年時代から友人であり、エリントンと共に青雲の志を抱きニューヨークへ上った。
20年から短期間エリントンと一緒に仕事をしていたが、その後間もなくクロード・ホプキンスのバンドの地方巡演に参加した。
23年短期間エリントンのバンドに戻ったが、後ワシントンに戻り、ハワード大学で医学を学んだ。なおこの期間での録音は残されていない。
28年初頭再びエリントンの楽団に参加し、37年10月に病気で退団するまで同楽団で優れたリード・トランぺッターとして手堅いプレイを披露した。
控え目ながら明るい音色の持ち主で、スイート系のプレイを行った。
エリントっは自伝の中で、「甘美だが、甘すぎることも無く。感傷的でもシュールリアリスティックでもなく、卓越した超感覚的領域を持っていた。」とした上で、
「37年病気のために引退を余儀なくされるまで、常にバンドには彼のための席が空けてあった」としている。その信頼度が分かる。

レコード・CD

”The Duke”(History 204141-302)
「デューク・エリントン楽団 1929〜1943」(DVD JLD-410)
"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"(LDB01〜LDB22)
"Duke Ellington presents Ivie Anderson"(Columbia KG 32064)
"The Duke"(COL 517687-2)