ベニー・グッドマン (クラリネット、バンド・リーダー)

Benny Goodman (Clarinet & Band leader)

ベニー・グッドマン

本名:ベンジャミン・ディヴィッド・グッドマン Benjamin David Goodman
1909年5月30日イリノイ州シカゴ生まれ。
1986年6月13日ニュー・ヨークのマンハッタンアパートにて心筋梗塞にて死去。

30年代から約半世紀スイング王(King of swing)の名を欲しいままにする。最も成功したジャズマンともいわれる。
スイング時代はベニー・グッドマンと共に始まったといわれる。人種差別が激しい時代に初めて白人バンド・リーダーが黒人を雇った人物として称賛される反面バンド内での差別は厳しかった、演奏よりも自分の名声が大事な人物として描かれるなどなど昨今では名声と共に裏面も暴かれるようになったが、ジャズ史上の重要人物であることには変わりはない。
僕はスイングも聴いて楽しいので好きなのだが、よくニュー・オリンズ・スタイル・ジャズ〜スイングという流れで言われるこの変換期がよく分からないのである。この辺りを知るにはベニー・グッドマンが重要な位置づけにあると思う。
ベニー・グッドマン 12歳 縫製職人の家の九男として、シカゴに生まれる。貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に育ち、教育は「ハル・ハウス」という福祉施設で受けた。無料で音楽が学べる地元の音楽教室にて、10歳の頃からシカゴ音楽大学の元教師・フランツシェップの下でクラリネットを習得し11歳(一説では12歳)のときにデビューする。16歳の時当時一流のダンス・バンドだったベン・ポラックにその才能を見出され26〜28年の間彼のバンドで仕事をした。

オースチン・ハイスクール・ギャングとエディー・コンドン
フランク・テッシュメーカー この辺りの事で油井正一氏や野口久光氏など評論家の方々がなぜか触れていないが重要な事柄があると思われる。それは「オースチン・ハイスクール・ギャング」との関係である。
「オースチン・ハイスクール・ギャング」を詳しく述べる知識も資料もないが、1920年代ニューオリンズを出た黒人のジャズマンは当初シカゴを目指し続々移住して来、シカゴはジャズの一大メッカとなる。そんな黒人たちのジャズの演奏に触れたオースチン・ハイスクールの学生たちはジャズの魅力に取りつかれ、自分たちも演奏したいと思うようになった。彼らは人種差別の激しい時代に黒人の演奏するジャズに芸術性を認め、学びそして実際に演奏を行うようになる。これらの学生たちをオースチン・ハイスクール・ギャング」と呼ぶ。
メンバーが決まっていて名簿というものがあるわけでもなく、この辺はよく分からないのだが、初めはオースチン・ハイスクールの学生が中心だったのが次第に彼らに共鳴する演奏家たちを呼ぶようになったのではないかと思われる。その主なメンバーとして挙げられるのは、
Tp…ジミー・マクパートランド
Bj…ディック・マクパートランド(ジミーの兄)
Dr…デイヴ・タフ
As…フランク・テッシュメーカー
Cs,Ts…バド・フリーマン
Tb…ジャック・ティーガーデン、トミー・ドーシー
Cl…ピー・ウィー・ラッセル
エディー・コンドン などで場合によってはビックス・バイダーベック、BGの名が上がることもある。そして彼らの演奏スタイルを「シカゴ・スタイル」と呼ぶようになるのである。
BGはこのビックスとフランク・テッシュメーカーからの影響を強く受けたことは明白で油井正一氏によれば1928年1月録音の「ジャズ・ホリデイ」ではビックスのフレーズをそのままクラリネット吹き、同年8月録音の「マスクラット・ランブル」ではテッシュメーカーのスタイルそのままで演奏しているという。
またここである大物についても触れなければならない。エディー・コンドン(ギター)である。彼はオースチン・ハイスクール・ギャングの少年たちと知り合い意気投合、一緒に演奏した他騎手のレッド・マッケンジーとよしみを厚くして「マッケンジーとコンドンのシカゴアンズ」の名義で数々の歴史的に重要な傑作を吹き込んでいく。演奏者としては色々疑問があるものの、プロモーターとして大物に成長していく。
しかしこのコンドンとBGの接点が見当たらないのである。
BGはたぶん純粋なオースチン・ハイスクール・ギャングではなかったのだろうと思う。何故かと言えば経済的理由もあったと思うが11歳、遅くとも12歳でクラリネットで稼ぎ出しており、まともに高校には行っていないと思う。しかしティーガーデン、マクパートランドとは仲がよく何度も録音を共にしているし、テッシュメーカーからは多大な影響を受けているのである。
ベン・ポラック楽団 1928年 一方コンドンの1927年12月9日に行われたシカゴアンズの第1回録音には、同じくマクパートランド、テッシュメーカー、バド・フリーマンらが参加しているのである。このような状況からBGとコンドンが一緒にレコーディングを行っても何ら不思議ではないと思われるのだが、僕の知る限り二人のレコード上の共演はない。BGはプロモーターとしてはコンドンではなく、ジョン・ハモンドと緊密な関係になっていく。そしてついには妹を細君に迎え親族関係となるのである。BGとコンドンは仲が悪かったのだろうか?誰か教えていただきたい。
ちょっと「シカゴ・スタイル」とBGについて考えると、そもそも「シカゴ・スタイル」とは特別な形式があるわけではなく、いわゆるディキシーランド・ジャズと変わりはない。粟村政昭氏によれば、「このニューオリンズ・ジャズの精神を白人の知性を通じて昇華し、できるだけ数少ない音符によってこれを表現しようとしたもの」ということである。
この「出来るだけ数少ない音符」が重要なのではないかと僕は思っている。ご存じのようにディキシーランド・ジャズは2ビートに乗って常に音が鳴りっぱなしである。この音数を減らして行ったらどうなるか?限りなく4ビートに近づくのではないかと思う。この辺りがディキシーランド・ジャズ⇒グッドマン風スイングへの移行のきっかけの一つではないかと推定するがもちろんかなりの検証が必要である。
ここで「グッドマン風スイング」という言葉を使ったのは、グッドマン出現以前にも、ジャズに根差した強力なバンド・カラーを持った黒人のダンス・バンドは存在した。例えばビッグ・バンドの編成、編曲スタイルの基礎を作ったフレッチャー・ヘンダーソンのバンドや、独創的な自作曲をオーケストラの力量、個性を活かしてユニークなジャズ・サウンドに作り上げ、ヨーロッパの知識人たちからも注目されていたデューク・エリントンのオーケストラ、さらにはドン・レッドマン、チック・ウェッブ、ジミー・ランスフォードなど優れたジャズ・オーケストラはあったが、限られた演奏の場や当時の白人社会における黒人差別意識が厚い壁となって一般人からはその音楽性も正当に評価されていなかった。
そうした時期にBGはビッグ・バンド・ジャズの偉大な先駆者フレッチャー・ヘンダーソンの編曲、演奏に注目、自己のバンド結成と共にヘンダーソン・アレンジの提供を受け、その編曲手法を基礎にして独自のバンド・スタイルを作り上げた。それは単純にヘンダーソン・スタイルの物真似ではなく、BG自身の感覚を巧みに注入してBGその人のカラー、サウンドを作り出したと「The RCA years」解説で野口久光氏は述べている。
そのBG独自のカラー、サウンドの源となったのが「シカゴ・スタイル」なのではないかと現段階では想像しているが、それにはもちろん詳しい検証が必要である。
その後フリーとなり不況時代にあっても数多くのレコーディングやラジオ、映画音楽などの仕事をしていた。一方29年〜31年にかけてはレッド・ニコルスのバンドでも働いた。33年にジョン・ハモンドの企画によりグッドマン・オーケストラの名前でレコーディング、ベッシ―・スミスのラスト・レコーディングやビリー・ホリディの初吹き込みにも参加した。
34年には不定期ではあるものの自身のオーケストラを結成、12月からはNBCのラジオ番組に出演し、黒人バンド・リーダーであるフレッチャー・ヘンダーソンの編曲を用いて全米を沸かせる人気を得た。
35年にはオーケストラとは別にテディ・ウィルソン、ジーン・クルーパを加えたトリオを結成、37年にはライオネル・ハンプトンを加えたカルテットとなり、スイング時代の王座に君臨した。
38年1月16日クラシックの殿堂ニュー・ヨークのカーネギー・ホールで開いた初めてのジャズ・コンサートは、ジャズ史上最も重要なコンサートである。
39年秋からはチャーリー・クリスチャンを加えたセクステットで名演を残しているがスイング時代のスターをフューチャーしたこれらのセッションはジャズ史上最も魅力的なものの一つとして今日なお愛聴されている。
40年代後半にはバップに傾倒し、モダンな吹込みも行っている。57年、64年に来日している。60年代後半はステージに立つことは少なくなり70年代には単身渡英し現地編成の楽団と共演コンサートを開き好評であったと伝えられる。

レコード・CD

「ベニー・グッドマン秘蔵名演集」(BMG RDTD-1046)
"Benny Goodman/Giants of jazz"(Time Life STL-105)
"The young Benny Goodman"(Timeless CBC 1-088)
"Red Nchols and his five pennies"(Ace of Hearts AH-63)
「レッド・ニコルス物語」(MCA-3012)
"Benny Goodman and the giants of swing"(Prestige 7644)
"Jack Teagarden/King of the blues trombone"(Epic JSN 6044)
"Bessie Smith The collection"(Columbia CK44441)
「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMG BVCJ-7030)
「ザ・キング・オブ・スイング」(CBS 36AP 1416-7) 「ビリー・ホリディ物語 第1集」(CBS SONY SOPH 61-62)
「ビリー・ホリディ物語 第2集」(CBS SONY SOPH 63-64)
「ザ・テディ・ウィルソン」(CBS SONY SONP 50332)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第17巻/スイングからバップへ」(RA96〜100)
「フロム・スピリチュアルス・トゥ・スイング」(LAX-3076-7)
「フロム・スピリチュアルス・トゥ・スイング」(King Record KICJ 2051/2)
"From Spirituals to Swing - the legendary 1938&1939 Carnegie hall concerts produced by John Hammond"(Vanguard -169/71-2)
"From Spirituals to Swing complete legendary 1938-1939 Carnegie hall concert"(Definitive records DRCD 11182)
「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)
"Benny Goodman & Glenn Miller live at the Carnegie Hall 6 October 1939"(FLYRIGHT Records EBCD2103-2)
「チャーリー・クリスチャン・アット・ザ・カーネギー・ホール・1939・ウィズ・ベニー・グッドマン」(ELEC KV-106)
"Mildred Bailey/Her greatest Performances"(Columbia JC3L-22)
"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"