ビル・チャリス(編曲)

Bill Challis (Arrangement)

ビル・チャリス

フルネーム:フルネーム:ウィリアム・H・チャリス William H Challis
1904年7月8日ペンシルヴァニア州ウィルカスバーレ(Wilkes-Barre)生まれ。
1994年10月4日生地ウィルカスバーレにて死去。90歳と長命であった。

子供のころからピアノや笛がうまく学際がなかったわけではないが、高校3年生の時、Cメロディ・サックスを手に入れたのがきっかけとなって、
初めて音楽を真剣に勉強するようになったという。
まず手始めにダンス・パーティーに出るようなローカル・コンボを作ったが、彼が熱を入れたのが編曲であった。
全く何の知識もない彼が書いた編曲の実験に使われたが後このコンボであった。
1921年9月バックネル大学に入り、表面上は経済と哲学を専攻したが、音楽に対する情熱は断ちがたく、学生バンドに専念していたという。
1925年6月一応大学は卒業したが、再び法学部を志望して入学、学費を作るためにプロの音楽の世界に入り、デイヴ・ハーモン楽団に加入した。
この楽団は、「シンデレラ・ボールルーム」でビックス・バイダーベックの「ウォルヴェリンズ」のチェンジ・バンドをやったこともあるという。
チャリスはますます編曲に熱中し、ゴールドケット楽団に編曲のサンプルを提出したが、ビックスとフランキー・トランバウアーが加入前の
ゴールドケット楽団では満足な音が出なかったという。
しかし1926年ゴールドケット楽団の編成が強化されるや、ビル・チャリスは正式にアレンジャーとして加わり、ゴールドケットからポール・ホワイトマン楽団を通じて、
ジャズ史上最も初期の白人名編曲者として名を残すこととなった。
後にはフレッチャー・ヘンダーソン、ドーシー兄弟、カサロマ・オーケストラやアーティー・ショウなど様々なバンドの編曲を提供した。
また30年代には自己の楽団を率いたこともあったようである。

レコード・CD

『ビックス・バイダーベック物語』(CBS SOPB 55017〜19)
“Bix Beiderbecke/His best recordings 1924-1930”( Best of jazz 4012)