ビル・ジョンソン (バンジョー&ベース)

Bill Johnson  (Banjo)

Bill Johnson

フル・ネーム:ウィリアム・マニュエル・ジョンソン William Manuel Johnson
1874年8月10日アラバマ州タラデガ生まれ。(1872年という記載もある)。
1972年死去

ジェリー・ロール・モートンの義兄弟だという。
『ジャズ人名辞典』には未収録だが、二つの面からジャズ史上大変に重要な人物である。
一つ目はベース奏法の開拓者という点です。
現代でもジャズ・ベース奏法の基本はピチカート奏法ですが、彼は1911年に既にストリング・ベースをピチカート奏法で弾いていたというのです。このことは彼の後を継ぐポップス・フォスター、ウエルマン・ブラウド、ジョン・リンゼイなどに大きな影響を与えますが、それが次代次代へと引き継がれ現代にまで続いているのです。そして彼は1928年7月6日、“Bull fiddle blues”においてレコード史上初のピチカートによるベース・ソロを記録している(ジョニー・ドッズのウォッシュボード・バンドでのRCA録音Vintageシリーズ)。
しかし時にはバンジョーを演奏することもあり、20年代の初期にKing Oliver's Creole Jazz Bandの録音では、バンジョーを演奏していた。
そして二つ目は、バンド運営と初めて広範囲にニュー・オリンズ・ジャズのツアーを行ったという点です。
彼自身はアラバマ州の出身ですが、上記のように1911年にはニュー・オリンズにいて、バンド活動を行っていました。そしてその年にカリフォルニアへ移住するのですが、そこにフレディ・ケパードを呼び寄せるのです。ケパードは当時ニュー・オリンズでオリンピア・オーケストラのリーダーを務めていたのですが、それをそのままカリフォルニアへ連れて来るように言ったと云われます。ケパードたちがカリフォルニアに着いたのは1913年ごろだったと云います。
そして彼らとバンド「ザ・オリジナル・クレオール・オーケストラ」を結成するのです。このバンドは、1913〜17年にかけて北部を中心に(南部を避けて…シュラー氏)アメリカ中をツアーして回るのです。各地の若いミュージシャンは、このツアーを聴くことでジャズの原型とも言うべき音楽を聴き、影響を受けたといいます。
このツアー中1916年ニュー・ヨークに赴いた時の出来事が拙HP「原初のジャズ1」で触れた「ジャズ初レコーディング」のエピソードです。この時リーダー格のフレディ・ケパードが断ってしまったせいで「史上初のジャズ・レコーディング」の栄誉を逃してしまいます。
さて結局このバンドは、ツアーに明け暮れる生活に疲れたメンバーが次々と辞めていき、1918年頃にはこのバンドは解散状態となってしまいますが、仕事は続けていました。資料によって若干記載にずれがありますが、ジョンソン自身も18年頃(20年という記載あり)にはシカゴに落ち着きます。しかしこの頃ケパードも辞めてしまったので、ジョンソンはその代役としてニュー・オリンズからジョー・キング・オリヴァーを呼び寄せるのです。
オリヴァーはニュー・オリンズでケパードたちが抜けた後オリンピア・オーケストラのリーダーを務めていました。その意図はなかったにしてもジョンソンは、結果的にオリンピア・オーケストラを潰しにかかっているようなものですね。当時はそれほど大したことでもなかったのかな?
ともかくオリヴァーの加わった「オリジナル・クレオール・オーケストラ」はリーダーをオリヴァーが引き継ぐことになり、1921年にバンド名を「キング・オリヴァーズ・クレオール・ジャズ・バンド(King Oliver's Creole Jazz Band)」に改名します。
残念なことにケパードが断ったことから「オリジナル・クレオール・オーケストラ」の録音はありません。また「キング・オリヴァーズ・クレオール・ジャズ・バンド」の録音は1923年になってからのことだが、そこではバンジョーを担当しており、ベースは弾いていない。

レコード・CD

”King Oliver's creole jazz band/The complete set”(RTR 79007)
”Johnny Dodds/Vintage series”(RCA LPV-558)