ブラインド・ブレイク(ギター&ヴォーカル)

Blind Blake (Guitar)

ブラインド・ブレイク

本名:アーサー・フェルプソ Arthur Phelpso
生まれ 詳細不明:1880年代中期生まれとする説、もっと下って1896年生まれとする説があり、生地についてもジョージア州アタランタ付近の生まれという説とフロリダ州ジャクソンヴィル生まれ説などがある。
1934年12月1日ミルウォーキーにて死去。

ブルース及びラグタイムギタリストで、"The King of Ragtime Guitar"と称される。
1926〜1932年までにおよそ80トラックをパラマウント・レコードに録音した。 クラシック・ブルースの草分けの一人。
声があまりよくないがギターのテクニックは秀でており、同時代の他にギタリストと比べ最も洗練された完成度が高いといわれる。
(僕は彼の声が良くないとは思わないがどうもそういう評判だったようだ。しかし自身ヴォーカルを取った録音が何枚も出ているので後付けの評判であろう)
また彼はブルースばかりではなく、カントリーやミンストレル・ソングも演奏し、ブルース以前の音楽の香りも残していると言われる。
最初の録音は1926年7月、シカゴにてヴォードヴィル・シンガーのLeona B. Wilsonのバックで弾いている。
翌月の8月には自分名義での初録音を行った"Early Morning Blues":"West Coast Blues"(Pm12387)がある。
1928年クラリネットのジョニー・ドッズを迎えて録音も行った
。 彼の最後の録音は1932年6月、ウィスコンシン州グラフトンでの録音で"Champagne Charlie Is My Name" (L-1475):
"Depression's Gone From Me Blues"(L-1476)の2曲が知られている。また現在では音源の行方がわからない幻のレコードも
2曲のカップリングで発売されていたことが明らかになっている("Miss Emma Liza" (L-1272-1 ): "Dissatisfied Blues" (L-1267-1,2))。
その後は大恐慌に伴う同年のパラマウント・レコードの録音停止(1935年に倒産し、1948年に復興)に伴い、彼の足跡は途絶えた。
現存する写真が一枚しかないなど彼の生涯に関してはこれまで不明な部分が多く、本名はアーサー・フェルプスという記述もあった。
パラマウントの1927年発行されたプロモーショナル・ブックには「太陽の光が燦々と降り注ぐFloridaはJacksonvilleにて生まれた」とある。
またここではブレイクがブラインドの呼び名通り盲目であったことも記述されていた。
しかし、2011年になって死亡診断書が発見され、生年・出身地および家族構成、晩年に妻と共にミルウォーキーへ移住したが、
肺結核のために死去したことなどが判明し、墓地も発見された。

レコード・CD

”Blind Blake/Remastered”(JSP 7714A〜E)