チャーリー・クリスチャン (ギター) 

Charlie Christian  (Guitar)

チャーリー・クリスチャン フルネーム:チャールス・ヘンリー・クリスチャン Charles Henry Christian
1919年テキサス州ダラス生まれ。昔のレコードや人名事典にはこう記載されている。
2015年4月時点でEncyclopedia of jazz musiciansによれば1916年7月29日テキサス州ボンハムで生まれたとしている。
1942年3月2日肺結核のためニューヨークのステイトン・アイランド病院にて死去。
Encyclopedia of jazz musiciansでは、月日は同じだがニューヨークのベルヴュー病院にて死去となっている。

故粟村政昭氏は、彼こそチャーリー・パーカーと並ぶビ・バップ革命の推進者と評価している。
幼い時にオクラホマ・シティに引っ越し、そこで育った。父親から音楽の手ほどきを受け最初はベースを手にしたが、後にギターに転向した。アル・トレント楽団ではベース、オクラホマ近郊で活動していたコンボではギターを弾き、セントルイスのジタ―・ピラーズ楽団でもプレイしていたという。そしてジョン・ハモンドに発見され、彼の推薦で1939年ベニー・グッドマンのコンボに参加し目覚ましい活躍をする。
1939年10月2日BGセクステットで吹きこんだ『フライング・ホーム』、『ローズ・ルーム』、『スターダスト』が初吹き込みとされる。それから1年8か月後の1941年6月11日がBG楽団におけるラスト・セッションである。肺結核が悪化して、ニューヨークのステイトン・アイランド病院(あるいはベルヴュー病院)に入院したが、翌1942年3月2日にこの世を去っている。
それまでのジャズ界のギター奏法に革命を起こした。クリスチャンが出現するまで、ソロ楽器としてのギターがバンドの中で果たす役割は極めて限られたものにしか過ぎなかった。クリスチャン以前のギタリストの中にも、名を成した巨匠は幾人かはいたけれども、何といっても音量的な意味で、ブラスやサックスと対等に張り合うことは出来なかったからである。そうしたハンディを解消する有効な手段として、30年代後半のギタリストたちは、次第にエレクトリックギターに着目するようになったが、それでもなおクリスチャンが現われるまで、ジャズ・ギターの解放者と目される破格の才能に恵まれたインプロヴァイザーはジャズ界に見当たらなかった。電気ギターによるシングル・トーンによるソロは彼によって初めてジャズ界にもたらされた。そして彼のアドリブはビ・バップの誕生に重要な示唆を与えたとされる。
粟村政昭氏によれば、ジャズマンとしてのクリスチャンのルーツは、ブルースにあったことは衆目一致するところであったが、現実の演奏に当たってまずものを言ったのは、彼が持っていた無限の泉のごときリフ・メイカーとしての才能であったという。クリスチャンは自在に引き出したリフの連続によって、たくまずしてテンションを作り出し、続くメロディー・ラインによってそのテンションを持続させ、或いは緩解させ、ソロ・コーラスを常に印象的な起伏あるものとしたという。
クリスチャンがいかに易々として魅力あるリフ・フレーズを創作していったかのという事例は41年の3月に偶然にも録音されていた“Waitin’ for Benny”の一節からも明らかであるという。こうした表現法を巧みに駆使することによって、クリスチャンもまたレスター同様、お決まりの長さのフレーズでソロ・コーラスを分割するという、いささかの単調さから逃れ得たのであるという。
同時に彼はスタッカートよりもレガートを重視し、あたかもサックスを思わせる独自のフレージングによって、従来のギター・ソロに対する概念を塗り替えたが、等価八分音符の連続する長いフレーズは、後にパーカーによって確立されたビートの細分化に通ずる先駆的感覚としても注目を集めたという。クリスチャンのフレージングはこの意味で、確かに<レスターに発し、パーカーに至る>過程の、ジャズ・インプロヴィゼイションを代表するものと言えたという。
「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」BOXジャケット こうしたメロディーの面から見たユニークなコンセプションもあるが、クリスチャンをして「スイングからモダンへの過渡期に現れた、最初の強力な指導者」たらしめた最大の因は、ハーモニーとリズムの両面における、時代に先駆けた新しい感覚にあった。もちろん、クリスチャンが残した限られた数の録音を耳にして、典型的なバップの作品との間に明らかな距離を指摘することは容易であろうが、それでもクリスチャン以前の独奏者でパッシング・コードに基づくアドリブを試みた人がいなかったということを知り、BGセクステットの“Blues in B”や“Airmail special”に聴かれる明瞭なオフ・ビート・アクセントの効果を認め、更には“Seven come eleven”に聴かれるバッピッシュなフレーズが、39年11月に録音されたという驚異を素直に評価するならば、ミントンズにおける有意義なジャム・セッションが始まる以前に、既にモダン・エイジへの重い扉がチャーリー・クリスチャンによって少しづつ開かれていたという事実を認めざるを得まいという。この当時クリスチャンを傘下に置いていたBGが果たしていかなる感触を持ってこれらのアドリブに耳を傾けていたかは知る由もないが、おそらくは彼もまた忍び寄る新しい時代の足音を、無言の裡に感じ取っていたのではあるまいかという。
※“Waitin’ for Benny” 、“Blues in B”、 “Airmail special”、 “Seven come eleven”は「チャーリー・クリスチャン・メモリアル・アルバム」(3枚組編集盤 CBS 56AP 674〜6)に収録されている。
グッドマンのバンドに雇われながら、夜に仕事が履けるとハーレムのミントンズ・プレイ・ハウスに現れてジャム・セッションに参加、そこからビ・バップが生まれ、さらにはモダン・ジャズにまでつながっていった。
彼の用いたコード・チェンジやフレッシュなメロディー・ラインはそのままビ・バップに受け継がれることとなった。 ジミー・ブラントンとともに40年代初期最もその死が惜しまれたジャズマンである。

レコード・CD

「チャーリー・クリスチャン/アット・ミントンズ」Columbia SL-5001-EV
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95レコード)
「チャーリー・クリスチャン・アット・ザ・カーネギー・ホール・1939・ウィズ・ベニー・グッドマン」“Charlie Christian at the Carnegie hall 1939 with Benny Goodman”(ELEC KV-106)