チック・ウェッブ (ドラムス&バンド・リーダー)

Chick Webb (Drums & Bandleader)

チック・ウェッブ

本名:ウィリアム・ヘンリー・“チック”・ウェッブ William Henry “Chick” Webb
1907(他1905、1909説あり)年2月10日メリーランド州ボルチモア生まれ。
1939年6月16日生地メリーランド州ボルチモアにて死去。

チックのプロフィールで、エピソードによく出てくるのが、ニューヨークはハーレムのサヴォイ・ボールルームではしばしばバンド合戦が行われた。そこには無敗の合戦狂であるバンド・リーダーが率いる強力なハウス・バンドがいて、挑んでくるバンドをいつも悉く打ち破っていた…。そのバンドを率いるリーダーこそがチック・ウェッブであったと。そしてそのチックは背むしの小男だったと聞けば誰しもこの男に興味が湧いてくるであろう。
さて、チックは生まれながらの背むしであったが、3歳の時には早くもリズムにおいて天与の才を示していたという。9歳の時、新聞売りをして稼いだ金でドラム・セットを買い、11歳でローカル少年バンドに加わった。
1925年頃ニューヨークに出、エドガー・ドゥエル楽団に加入、26年には5人編成のバンドを組織した。生年については色々説があるが、もし1907年生まれだとすると、19歳の時である。
この時のメンバーには、ジョニー・ホッジス、ボビー・スターク、ジミー・ハリソン、ベニー・カーターなどそうそうたるメンバーが揃っていた。
その後次第にメンバーの数が増え、サヴォイ・ボールルームやローズランド、コットン・クラブなどニューヨークの一流クラブに次々と出演した。
32年にはルイ・アームストロングの伴奏楽団となった。
35年エラ・フィッツジェラルドを見出し専属歌手とした。
この頃からバンドの名声は上がり偉大なるスイング・バンドとしてエキサイティングな演奏を行ったという。冒頭の合戦狂のエピソードはこの頃に創られたものだと思われる。粟村政昭氏は、彼のバンドがバンド合戦で常勝を誇ったとしても、それは背むしの彼が豪快無比なドラム・ソロによって相手を一蹴するという可能性は、肉体的条件から言ってまずなかったといってよいとし、それどころか現在入手可能なこのバンドのアルバムを聴いても、ウェッブ自身の存在は時に消えいらんばかりのつつましさでリズム・セクション全体の中に埋没している。つまり彼のバンドは、カウント・ベイシーのリズム・セクション同様4者一体となってスイングに鼓舞されて、バンド全体が猛烈にスイングしたのであろう。
彼はスイング時代のあらゆるドラマーに影響を与えた。シドニー・カトレット、コージ―・コール、ジーン・クルーパ、ライオネル・ハンプトン、ジョー・ジョーンズ、ディヴ・タフなど皆そうである。
また、エラ・フィッツジェラルドの最初の夫君としても有名である。

レコード・CD

「チック・ウェッブ/伝説」(SDL 10344)
「メズ・メズロウとトミー・ラドニア」(Victor RA-5324)
"Chick Webb/Bronzeville stomp"(Jazz archives JA-33)
"Chick Webb and his Orchestra/featuring Ella Fitzgerald 1936"(Jazz anthology JA 5199)
"Chick Webb with Ella Fitzgerald / Princess of the Savoy"(MCA-1348)
"Chick Webb / Ella swings the band 1936-39"(MCA-1327)
"Ella Fitzgerald with Chick Webb's band"(Ace of Hearts AH-36)
"Chick Webb / Cab - Ella & Chick"(Bandstand records 7125)
「MCAジャズの歴史」(VIM-17〜19)
"The Duke"(History 204140 302〜204159 302)
"Cootie Williams and his rug cutters 1934/40"(TAX m-8011)