クラレンス・ホリディ  (バンジョー&ギター) 

Clarence Holiday (Guitar & Banjo)

<h1>写真見当たらず

1898年7月23日メリーランド州ボルチモア生まれ。
1937年3月1日テキサス州ダラスにて死去。

ビリー・ホリディの父親としてあまりにも有名だが、『ジャズ人名事典』には未収録。プレイヤーとしてはそれほど評価すべきことはなかったということであろう。

生地ボルチモアで同じくバンジョー奏者のエルマー・スノウデンと共にバンジョーを演奏していたという。
16歳で13歳のサディー・ハリスと結婚し、ビリー・ホリディの一時の父親となった。この子がのちにビリー・ホリディという不世出のジャズ・シンガーとなる。
父親とはなったもののツアーに明け暮れるミュージシャンで、各地で女を作り、妻、子供を顧みない典型的な自称ミュージシャンかと思っていたら、フレッチャー・ヘンダーソン楽団に参加した時の録音が残っている。
テキサス州ダラスを巡演中風邪から肺炎を併発、南部でも最も人種差別の激しい地域の一つだった地域だったため、治療受けるために回った幾つもの病院で診療を拒否され、それが死亡にまでつながった。
このことについてビリーは次のように綴っている。「肺炎が父を殺したのではない。テキサス州ダラスが父を殺したのだ。」
このことがビリーの劇的な絶唱「奇妙な果実(Strange fruit)」につながっていく。

レコード・CD

"Fletcher Henderson /A Study in frustration"