エドモンド・ホール (クラリネット) 

Edmond Hall (Clarinet)

エドモンド・ホール

1901年5月15日ニューオリンズ生まれ(ルイジアナ州リザーヴ生まれという記述あり。
1967年2月2日マサチューセッツ州ボストンにて死去(1967年2月11日という記述もある)。
「メモラブル・セッションズ/チャーリー・クリスチャンとエドモンド・ホール」(ブルーノート NR-8101)」日本盤油井正一氏の解説によると、
1967年2月12日自宅付近の路上で買い物帰りに心臓発作を起こし65歳の生涯を終えたという記述がある。
しかし「ブルーノートSP時代」CDボックスの大和明氏の解説によると、1967年2月11日自宅前で雪掻きをしている時に心臓発作を起こしてなくなったという。

『ジャズ人名辞典』には、17歳の頃よりクラリネットを吹き、28年ニューヨークに出た本格的にプロとしての生活を始めたとあるが、
上記油井氏によれば、16歳の時にはニューオリンズでリー・コリンズ(Tp)と共に働き、その後1923年までバディ・プチ(Buddy Petit)のバンドでClとAsを吹いていたという。
さらに油井氏は、そのまま終わればニューオリンズ・クラリネット奏者の一人に過ぎなかったが、彼は大望を抱いてフロリダを旅し、
旧友クーティー・ウィリアムスと共にアロンゾ・ロス楽団に入り、1927年The Ross de luxe syncopatersの名でヴィクターに数曲の吹込みを行っているが、
これは天下の希少盤と言われていると記述している。
しかしこの楽団はニューヨークに進出して解散する。クーティーはエリントン楽団に招かれたので、袂を分かち1930年自身はチャーリー・スキーツ楽団に加入した。
そしてリーダーのスキーツがクビになり、団員に適任者がいなかったので、外部からクロード・ホプキンス(P)が迎えられ、これがハーレムの人気バンド、
クロード・ホプキンス楽団として永続することになった。そこでは主にバリトン・サックスを吹いていたが数枚のレコードでクラリネット・ソロも吹いているという。
30年にクロード・ホプキンスの楽団には35年まで在団したと『人名事典』にはあるが、油井氏は37年に退団したとする。
その後について
『人名事典』では
36年にはラッキー・ミリンダー、37〜38年にかけてはビリー・ヒックス、39年にはズッティ・シングルトンとジョー・サリヴァンの楽団で仕事をしていた。
ニュー・オリンズの伝統を守りながらより洗練された中間派スタイルを生み出したと評価される。
40年代初めにかけてはレッド・アレン、42〜44年にかけてはテディ・ウィルソンのコンボでプレイし、44〜48年にかけては自分の楽団を持った。
油井正一氏
37年クロード・ホプキンスの楽団を退団、ラッキー・ミリンダ―楽団を経て、ビリー・ヒックスとシズリング・シックスというコンボに入ったところを
ジョン・ハモンド氏に見いだされ、ミルドレッド・ベイリー、ビリー・ホリディのレコーディング・セッションに起用された。
その後彼は、ビッグ・バンドとは完全に縁を切り、デューク・エリントンに招かれた時も断っているほどだという。
さらにハモンド氏の口利きで、「カフェ・ソサエティ」のハウス・クラリネット奏者となった。最初はジョー・サリヴァン(P)、次いでレッド・アレン(Tp)、
やがてテディ・ウィルソン(P)がリーダーとなったが、ついにはホール自身がリーダー・シップを取るようになったという。
50年代に入ってからはエディ・コンドンのグループやヴァンガードに吹き込んだ一連の中間派セッションでその声価を高めた。
60年代はエディ・コンドンやジミー・マクパートランドなどと活動、たびたび欧州にも楽旅を行った。64年に来日している。
プレイに関して粟村政昭氏は「生粋のニューオリンズ出身のクラリネット奏者でありながら、彼のプレイにはいわゆる『ニューオリンズ臭』が極めて希薄であった」と書いている。
さらに柔軟性と甘さに欠けた彼のクラリネットは、ディキシー・アンサンブルの中にあって不思議と浮き上がって聴こえることが多かったと書いている。
ダーティー・トーンを駆使してトランぺッターのような鋭角的なフレーズを吹くホールのプレイは、そもそもどのグループに加わっても光彩を放つといったたぐいの
融合性に富んだものではなかったとしている。大和氏も一聴してホールと分かる鋭角的で個性的なサウンドは、日本人的な表現を用いれば
「鳴いて血をはくホトトギス」という感じであると述べている。
僕が聴いても鋭角的で一聴してエドモンド・ホールだと分かるくらい個性的なプレイヤーである。

レコード・CD

「ビリー・ホリディ物語 第2集」(CBS SOPH 63-64)
「チャーリー・クリスチャン&エドモンド・ホール/メモラブル・セッションズ」 Blue Note NR-8101
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)
「MCAジャズの歴史」VIMI-17
"Mildred Bailey/Her greatest performances 1929−46"(Columbia JC3L-22)
「ブルーノートSP時代」(TOCJ-5234-38)
「スイング・セッション・ウィズ・エドモンド・ホール」(日本ビクター RANK-5027)
「コールマン・ホーキンス&チュー・ベリー」(キング・レコード K23P-6614)
"Bill Coleman/A tale of two cities"(TFD5.010)