エラ・フィッツジェラルド (ヴォーカル) 

Ella Fitzgerald (Vocal)

エラ・フィッツジェラルド

1918年4月25日ヴァージニア州ニューポート・ニューズ生まれ。
1996年6月15日カリフォルニア州ビヴァリー・ヒルズで死去。

いろいろな意味を込めて最もジャズ・シンガーらしい歌手だと思う。
生れはヴァージニア州ニュー・ポートだが、ニューヨーク州ヨンカーズで成長した。
内縁の関係であった両親は彼女の誕生後間もなく関係を解消している。母はエラを連れて別の男性とニューヨークへ出た後、妹をもうける傍ら、彼女を孤児院に預けた時期もあった。さらに14歳の時には母が心臓発作で死亡し彼女は孤児となった。
このような境遇の中、学業への関心は薄れ、やがて売春宿やマフィアの下働きをするようになる。警察による補導や少年院送りを繰り返しながら、ホームレス生活をし、人生の辛酸をなめつくして育った。
1934年11月21日に17歳のエラは初めて聴衆の前にデビューした。ニューヨークのハーレムに存在したアポロ・シアターにおけるアマチュア・ナイツでダンスを披露する予定だったエラは、自分の前に出演した地元のダンス・デュオの演技に圧倒され、予定を変更し自分のアイドルであるコニー・ボズウェルのスタイルを真似て歌を披露した。
その夜のコンテストに勝利した彼女は名ドラマー、チック・ウェブのBardu Aliに見出され、バンドへの誘いを受けた。
翌1935年からエラはハーレムのサヴォイ・ボールルームでチック・ウェブズ・バンドの専属歌手として活動を開始した。初吹き込みは35年6月にチックのバンドで録音した「ラヴ・アンド・キッセズ」である。
1938年当時病気で療養中であったチック・ウェブの為にヴァン・アレクサンダーと共に吹き込んだ一曲『ア・ティスケット・ア・タスケット』が17週間にわたりチャート・トップを記録し、アルバムは100万枚のセールスをあげ一躍スターの座に就いた。
1939年にウェブが死亡すると、バンドは名称を"Ella Fitzgerald and Her Famous Orchestra"へと変更しツアーなどの活動を継続した。
1941年からはソロでの活動を開始した。
1946年からはノーマン・グランツの傘下に入り、J.A.T.P.のツアーに加わるようになった。55年デッカとの契約が切れ、ノーマン・グランツの興したレコード会社ヴァーヴ・レコードに所属した。エラはダイナミックな歌唱が持ち味と思われがちだがもともとは可憐なスタイルだったという。
946年プロモーターのノーマン・グランツと契約し、一大コンサート・ツアーJ.A.T.P.に参加するようになった。この頃から唱法に変化が現れ、声を張って歌うエキサイティングな歌い方も見せるようになったという。
また40年代の初めにはビ・バップが起こり、シンガーたちも40年代の終わりにはバップの影響を受けるようになった。エラもバップ・スキャット的唱法を見せるようになったという。
エラは1946年にグランツとプロモーション契約は結んだもののデッカとのレコーディング契約は残っていた。
55年に契約切れと同時にグランツの持つレーベルであるヴァーヴと契約したがグランツは「待ってました」とばかり矢継ぎ早にレコーディングを行い、新境地を開拓していった。
何人かのエラの知人は彼女の人生の皮肉さについて言及している。彼女の歌ではしばしば”完璧なロマンス”が取り上げられたが、実際のエラの生活は1930年代から数十年に亘り、ツアーとレコーディングに明け暮れるロマンスとはほど遠いものであった。
エラは2度の結婚を経験している。1度目は1941年にベニー・コーネゲイと結婚したが、彼は麻薬の密売と詐欺で有罪を宣告され、結婚も早々に解消された。
1947年には著名なダブル・ベース奏者であったレイ・ブラウンと再婚した。2人はエラの義理の姉妹の子を養子にとり、レイ・ブラウン・Jrと名付け養育した。1952年に2人は離婚した。
1957年7月にはロイターにより、エラがオスロ生まれのノルウェー人 Thor Einar Larsen と結婚する予定であると報じられたが、彼が以前に結婚詐欺を犯していたことが判明、婚約も解消された。
1958年8月に編曲家でElla Fitzgerald Sings the Irving Berlin Songbookのレコードの指揮者でもあったポール・ウェストンにパテック・フィリップの腕時計Ref.2452(当時家一軒分の値段)を贈った。
晩年のエラは糖尿病により盲目となり、1993年には手術で両足を切断、表舞台から距離を置く。
1996年6月15日、カリフォルニア州ビヴァリー・ヒルズで死去。亡骸はロサンゼルスにある、イングルウッドの墓地に埋葬された。
後の研究の為にエラに関する個人文書および財産の一部がスミソニアン学術協会およびボストン大学図書館、アメリカ議会図書館に保管されている。

レコード・CD

「Like someone in love」日本ポリドール 23MJ-3168
「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMGヴィクター BVCJ-7030)
“Chick Webb and his Orchestra / featuring Ella Fitzgerald 1936”Jazz anthology JA 5199(輸入盤)
“Chick Webb/Cab - Ella & Chick”"Bandstand records 7125
"Chick Webb with Ella Fitzgerald / Princess of the Savoy" MCA-1348
""Chick Webb / Ella swings the band 1936-39" MCA-1327
"Ella Fitzgerald with Chick Webb's band" Ace of Hearts AH-36