フレディ―・ケパード(コルネット)

Freddy Keppard (Cornet)

フレディ―・ケパード

1889年2月15日(2月27日という記載あり)ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。
1933年7月15日イリノイ州シカゴにて死去。

「フレディ―」はよく聴く名前であるが、“Freddie”でも“Freddy”でも構わないらしい。 ジェリー・ロール・モートンはコルネット奏者としては最も評価していたというが、同じクレオールだからかもしれない。
2代目ジャズ王になり損ねた人物というあまり芳しくない評判がある。初代はもちろんバディ・ボールデン(1977年9月6日〜1931年11月4日)。
第66回O.D.J.B.が初のジャズのレコーディングを行なった逸話に関して登場した人物。2代目ジャズ王とも目されていたため、
大手レコード会社Victorがレコーディングの依頼に行くが、法外な吹込み料を要求されたため諦めてO.D.J.B.に吹込みを依頼したエピソードは有名。
ケパードはお金が欲しかったのか(大のギャンブル好きだったという)技を盗まれるのを危惧したのかは今となっては不明ではある。
最初は母の希望でヴァイオリンを習っていたという。後にヴァイオリンに加えてマンドリンやアコーディオンも演奏したという。
コルネットを習い始めたのは16歳と意外に遅く、コルネットを吹き出した1905年アルフォンゾ・ピクー(クラリネット)らと
オリンピア・バンド(オリンピア・オーケストラという表記あり)を結成し、名を知られるようになった。
1913年(1911年、12年という表記あり)オリジナル・クレオール・バンド(オリジナル・クレオール・オーケストラという表記あり)とロスアンゼルス、
翌年ニューヨークに楽旅した。これはニューオリンズのジャズが外に出て行った最初と言われる。
そして1917年最初のレコーディングの機会が訪れれるが、O.D.J.B.に持って行かれた逸話は記載の通りである。
1917年後等からシカゴに留まり、ドク・クック、オリー・パワース、アースキン・テイト楽団などで働いたが、酒で体を壊し死に至ったと言われる。

レコード・CD

"The chronogical/Jimmie Noone 1923-28"(Classocs records 604)
Freddy Keppard ”Archives of jazz”(BYG 529 075- Vol.25)