ジーン・ギフォード (バンジョー、ギター&編曲)

Gene Gifford  (Banjo , Guitar & Arrangement)

ジーン・ギフォード

1908年5月31日ジョージア州アメリカス生まれ。
1970年11月12日テネシー州メンフィスにて死去。

生まれたのはジョージアだが育ったのはテネシー州メンフィスだったという。
1929年ジーン・ゴールドケットのオレンジ・ブロッサム楽団の編曲者となり、1930年以降グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラと改称後も引き続き主要作品多数を手掛けた。
カサ・ロマ・オーケストラ初期の“Black jazz”、”White jazz”、“Blue jazz”、”Casa Loma stomp”等はスイング期以前の白人のホット・ジャズとして非常にヒットした。
カサ・ロマ・オーケストラ後期の“Smoke rings”など他のスイートなものも彼の編曲である。
彼はまた、フレッチャー・ヘンダーソンなど他にも作品を提供していた。
1935年ベニー・ベリガンを含む事故の楽団を組織して吹込みも行った。
40年以降にはグレン・グレイと組んで往年のヒット曲の再吹込みなどをしたが、1969年にはメンフィスに移り音楽の教師をしていたという。
粟村師は次のように述べ最大の賛辞を送っている。
「カサ・ロマ・オーケストラのソロイストは、いずれも二流のミュージシャンであり、バンドの売り物は何といってもジーン・ギフォードの複雑巧緻なアレンジメントにあった。彼の編曲手法は余りにもメカニカルに過ぎるという難点は確かにあったが、物凄いスピードに乗って展開されるブラスとサックスの応答と一糸乱れぬ完璧なアンサンブルは、当時の水準をはるかに上回る高度なものであった。
ただいまだに解明されていない謎はこうしたユニークな演奏スタイルがどこにその範を求めたものであったかという点で、あまりにも整然とし過ぎた合奏効果のゆえにか、これといった模倣者もないままに消えて行った事実とともに、今後残された研究課題であると申せよう。」

レコード・CD

”Casa Loma Orchestra/Maniac’ball”(HEP CD 1051)