ジーン・クルーパ (ドラムス)

Gene Krupa(Drums)

ジーン・クルーパ

本名:Eugene Bertram Krupa
1909年1月15日イリノイ州シカゴ生まれ。
1973年10月16日白血病のためニュー・ヨークにて死去。

まず手厳しい、それもドラマーには殊更手厳しい粟村政昭氏のクルーパ紹介文から、ちょっと長くなるが
「その大車輪のドラム・ソロと人懐っこい風貌からいかにもステージ向きのエンターテイナーといった印象を人に与え勝ちだが、
彼の真価はそんな底の浅いものでは決してない。昔のレコーディングが証明するように彼は最良のディキシー・ドラマーの一人であり、
ベニー・グッドマン(以下BGと略)・コンボとの数多くのセッションによっても分かるごとくバンドにおけるドラマーの役割というものを
完全に理解した名人の一人であった。」
彼の評価について付け加えることはないであろう。
夏と言えばヴェンチャーズのドラマー、メル・テイラーやヴァニラ・ファッジのカーマイン・アピス、ハード・ロックの雄レッド・ツェッペリンの
ジョン・ボーナムらの憧れの的だったといわれる。
幼いころから黒人ジャズにあこがれてドラムを独習、1927年マッケンジー=コンドン・シカゴアンズと初吹き込みを行った。
シカゴ及びニュー・ヨークの種々の楽団で修業し、29〜30年レッド・ニコルス、35年BG楽団に参加以来スター・プレイヤーとして活躍した。
スイング黄金時代の最も重要なドラマーとして名声を馳せた。38〜43年は自己の楽団を率いていたが、43年にBGの楽団に再参加、43〜44年トミー・ドーシー、
44〜51年自己の楽団、51〜53年J.A.T.P.と楽旅を行い、その他自己のトリオ、54年にはコージー・コールとドラム学校を設立したりと幅広く活躍した。
60年代にはTVその他に出演健在ぶりを示した。
我が国には52年、64年と2度来日した。

レコード・CD

「シカゴ・スタイル・ジャズ」(Columbia ZL-1091)
「ザ・シカゴアンズ/1928-1930」(Decca SDL-10361)
"Mildred Bailey/Her greatest performances"(Columbia JC3L-22)
「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン/The protean Mr. Goodman」CSM890/91
"Red Nchols and his five pennies"(Ace of Hearts AH-63)
「レッド・ニコルス物語」(MCA-3012)
"Giants of Jazz/Benny Goodman"(Time-Life)
"Benny Goodman and the giants of swing"(Prestige 7644)
「ザ・テディ・ウィルソン」(CBS SONY SONP 50332-3)
"Muggsy Spanier/Hesitatin’ blues"(Affinity AFS 1030)
"The Indispensable Fats Waller"(RCA PM 43686)
「ビリー・ホリディ物語 第1集」(CBS SOPH 61-62)
「コンプリート・ベニー・グッドマン/Benny Goodman The RCA years」BVCJ-7030
「ベニー・グッドマン/カーネギー・ホール・ジャズ・コンサート」(CBS SOPB 55007〜08)
「ベニー・グッドマン・ライヴ・アット・カーネギー・ホール-1938(完全版)」(SME RECORDS SRCS 9610〜1)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)
「アニタ・オディ・シングス・ウィズ・ジーン・クルーパ(Anita O'Day sings with Gene Krupa)」(CBS 20AP 1439)