ジョージ・ルイス (クラリネット)

George Lewis (Clarinet)

George Lewis

フル・ネーム:ジョゼフ・ルイス・フランソワーズ・ゼノン(Joseph Louis Francois Zenon)
1900年7月13日ルイジアナ州ニューオリンズの生まれ。
1968年12月31日生地にて死去。

フランス系のクォーターつまりはクレオールとして生まれる。
7歳の時におもちゃの笛を買い、それで遊んでいたという。
16歳でクラリネットを買い、独学でマスターしたというが楽譜は読めなかった。
17歳の夏、初めてポンチャートレン湖の向こう岸にあるマンデヴィルでブラック・イーグル・バンドで仕事をした。
1919年トランペットのレオナード・パーカーやトロンボーンのダン・ムーディらと小さな仕事をした。
1920年オーケストラに加わったが、その後このバンドは解散したという。
1923年自分のバンドを結成する。メンバーはTp、アーネスト・ケリー(Tb)、ダッドのバンジョー、アーサー・ミッチェル(B)、
ファッツ・マーティン(Ds)というメンバーだった。
1924年リー・コリンズと幻のレコーディングを行う。メンバーはコリンズのTp、ティンク・バプティスト(P)、
アレックス・スコット(B)、ロイ・エヴァンス(Ds)というものだが、どのレコード会社にどんな曲を録音したのか分からないという。
サミュエル・チャーターズはおそらくOKレコードではないかと言っているという。
その後もパンチ・ミラー、クリス・ケリー、キッド・レネ等のバンドで働いていた。
またブラス・バンドの仕事では、23年からユーレカ・ブラス・バンドで、そして28〜32年まではオランピア・ブラス・バンドでEフラットのクラリネットを吹いていた。
32年にはルイジアナ州レインでエヴァン・トーマスのバンド(バンク・ジョンソンも参加していた)でも演奏したが、トーマスはステージ上で殺されるという事件が起こりバンドは解散を余儀なくされる。
バンドが解散したため、ニュー・オリンズに戻りたまにユーレカ・ブラス・バンドで演奏する程度で、波止場人夫として働いていた。
しかし時にはBjのロウレンス・マレロやベースのスロウドラッグ・パパジョー、ドラムスのロイ・エヴァンズ等と仕事はしていたようである。
42年にジャズマン・レーベルに録音するためにニュー・オリンズに来ていたバンク・ジョンソンに初レコーディング呼ばれて、折からのニュー・オリンズ・リヴァイヴァル運動の波に乗り一躍脚光を浴びることになった。
バンク・ジョンソンはクラリネットには、ビッグ・アイ・ネルソンを起用しようと思っていたが、彼が病気だったために誰かクラリネットを探さねばならなかった。そのときバンクはエヴァン・トーマスの楽団で一緒だったルイスを思い出したという。
そしてジャズ史上に残る重要録音に参加した後ジャズ・インフォーメイション、クライマックス、アメリカン・ミュージックなどの吹込みを続け、
45年にはバンク・ジョンソン(Bunk Johnson)とともにニューヨークに進出、スタイヴサント・カジノに出演し有名になって行った。
ルイスは、翌年にはニュー・オリンズに戻り以前のように小さなグループで演奏を行っていた。たまにはTpのエルマー・タルバート、Tbにジム・ロビンソンを加えたセッションなども行っていた。
しかしエルマー・タルバートは1950年に死亡し、パーシー・ハンフリーが加わった。さらに52年にはキッド・ハワードが加わり、有名な巡業が始まる。
57年に渡英、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演、59年再度渡欧、63〜65年は毎年来日し、全国を楽旅して親しまれた。

レコード・CD

”George Lewis ragtime jazz band/Jazzology”(HUP-1)
「初期のバンク・ジョンソン“Early Bunk”」(VC-4020)
「バンク・ジョンソン・メモリアル・シーン」“Bunk Johnson memorial scene”
「ジョージ・ルイス・アット・ホーム」“George Lewis at home”(Dan VC-7021)
“George Lewis 1943〜1945”(Storyville 670 201)