ヘンリー・レッド・アレン (トランペット&ヴォーカル) 

Henry “Red” Allen (Trumpet & Vocal)

ヘンリー・レッド・アレン

フルネーム:ヘンリー・ジェイムス・”レッド”・アレン Henry James "Red" Allen
1908年1月7日ニューオリンズ生まれ。
1967年4月17日ニューヨークにて死去。

先ず粟村師の彼の表を紹介しよう。
ヘンリー・レッド・アレンがジャズ・トランペット史上の重要人物であることは僕(粟村師)も認めるのだが、正直言って僕アレンという人のプレイをあまり高く買っていなかった。それというのも、時としてサッチモに似すぎる感のある彼のプレイが、前後の脈絡にかけたフレージング、調子に乗った時の何とも言えない軽佻浮薄ぶりと相俟って、鋭いアタック、奔放なスイング感、隔絶したヴァイタリティといった並々ならぬ長所を少しバ回上回って聴こえてからである。
ベーレント氏も言う如く、アレンは同時代の他のプレイヤーに比してスタッカートよりもレガートを多く用いた。
しかしそれによって彼のプレイは確かに流麗の度を加えたたが、同時にコンストラクションの面で問題が多かった彼のソロが一層「タレナガシ」の感を強めたこともまた否めまい。

父親はニューオリンズの有名なブラス・バンドのリーダーで、幼児より父親のバンドに入って演奏していたという。
『ジャズ人名辞典』によれば、27年4月セントルイスでキング・オリヴァーのバンドに入り、間もなくニューヨーク入りした。
28〜29年にかけてフェイト・マラブルのリヴァ―ボート・バンドに加わって演奏していたが、自己名義のレコーディングを行うためニューヨークに戻ったとあるが、
粟村政昭師『ジャズ・レコード・ブック』によれば、
1929年21歳の時ニューヨークに出たキング・オリヴァーとともにレコーディングを行った。その一部は「オリヴァー・イン・ニューヨーク」(Victor VRA-5016未聴)の中に収められているが、若々しいアレンのプレイが当時すでに老境に入っていたオリヴァーのそれを凌駕している感さえあるという。
29年夏から31年にかけて、キング・オリヴァーのバンドを引き継いだルイ・ラッセルのバンドに加入32年暮れまでプレイした。
当時ルイ・ラッセルのバンドはベスト・バンドに一つであり、その看板スターとして、エネルギッシュで戦闘的なプレイによって文字通りリード・オフ・マンの名に恥じない快演を記録した。
その後チャーリー・ジョンソン、フレッチャー・ヘンダーソン、ミルス・ブルーリズムで演奏する一方数多くのレコーディングにも参加した。
37年3月から40年9月まではルイ・アームストロングの傘下で霞んでいたが(『ジャズ人名辞典』)、以後ニューヨーク、シカゴ、ボストンを中心に幅広い演奏活動を続けた。

レコード

"Fletcher Henderson/A study in frustration "(Essential・JAZZ・Classics EJC55511)
「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)
「Classic jazz archive / Fletcher Henderson 1897-1952」(Membran 221998-306)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」(RCA RA-47)
”Luis Russell and his orchestra 1926-1929”(The chronological 588)
"The Indispensable Fats Waller"(RCA PM 43686)
"Don Redman 1931-33"(The chronological 543)
「ビリー・ホリディ物語 第2集」(CBS SOPH 63)
「RCAジャズ・クラシックス/ジェリー・ロール・モートン」(RCA RA-9〜12)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95レコード)
“The chronogical/Louis Armstrong 1938-1939”(Classics 523)
「ストライド・ピアノの父/ジェイムス・P・ジョンソン」(CBS 20AP-1474)
「MCAジャズの歴史」VIMI-17
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」RCA RA-64
「Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order」
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第16巻 ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)