ジェイ・シー・ヒギンボサム (トロンボーン) 

J.C.Higginbotham (Trombone)

ジェイ・シー・ヒギンボサム

本名:ジェイシー・ヒギンボサム Jay C(Jack)Higginbotham
1906年5月11日ジョージア州アトランタ生まれ。
1973年5月26日ニューヨークにて死去。

粟村師によれば、今日ではほぼ忘れられたような存在であるが、かつては豪放な幅広いトーンと息の長い独自のフレージングによって話題を集めたジャズ・トロンボーン市場の革命児の一人だった。
元々はローカル・バンドでプレイしていたが1928年9月ニューヨークに進出、ルイ・ラッセルのバンドに加入し31年まで在団した。ヒギンボサムの代表作もヘンリー・レッド・アレンと同様、全盛時代のルイ・ラッセル楽団の演奏に求めることができる。八方破れのアレンのソロに比べて構成力豊かなヒギンボサムのプレイは、豪快な印象とは裏腹に彼が如何に極めて知性に富んだジャズマンだったかを物語っている。
その後一時チック・ウエップの楽団に加入、30年代前半はフレッチャー・ヘンダーソン楽団やベニー・カーター楽団でプレイした。その後ミルス・ブルー・リズム・バンドを経て37年初めにフレッチャー・ヘンダーソン楽団に再加入、その後40年11月までルイ・アームストロングのビッグ・バンドに参加し、ここでも数々の名演を残した。
その後47年2月までは、長年の盟友ヘンリー・レッド・アレンと6重奏団を率いて人気を集めた。
40年代後半から50年代にかけてはニューヨーク、ボストン、クリ―ヴランドなどで数多くの中間派ジャズメンと交流したが、56〜60年にはニューヨークのメトロポール・カフェに腰を据え、変わらぬ健在ぶりが話題となったという。
63年ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル、64年のサッチモとの活動、58、63、65年の欧州巡演など活気に満ちた活動を行った。

レコード・CD

”King Oliver's Dixie Syncopators 1926-1928”(MCA-1309)
「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)
Luis Russell and his orchestra 1926-1929 The chronological 588(CD)
「RCAジャズ・クラシックス/ジェリー・ロール・モートン」(RCA RA-9〜12)
"A study in frustration / Fletcher Henderson"(Essential・JAZZ・Classics EJC55511)
"Classic jazz archive / Fletcher Henderson 1897-1952"(Membran 221998-306)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)
「ブルーノートSP時代 1939−1952」(TOCJ-5231〜38)
"The complete recordings of the port of harlem jazzmen"(Mosaic MR1-108)
「コールマン・ホウキンス/ボディ・アンド・ソウル」(VRA-5012)
「コールマン・ホウキンス/ボディ・アンド・ソウル」(BVCJ-37155)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」RCA RA-64
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第17巻/スイングからバップへ」(RA96〜100)
「Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order」
「メズ・メズロウとトミー・ラドニア」(RCA RA-5324)
「ストライド・ピアノの父/ジェイムス・P・ジョンソン」(CBS 20AP-1474)
"Louis Armstrong/1938-1939 The chronogical"(Classics 523)