ジャボ・スミス (コルネット&トランペット)

Jabbo Smith (Cornet & trumpet)

ジャボ・スミス

本名:クラディス・スミス Cladys Smith
1908年12月24日ジョージア州ペンブルック生まれ。
1991年1月16日ニューヨークにて死去。

若いころは、ルイ・アームストロングの唯一のライヴァルと目されていた卓抜たるテクニックを持ったトランぺッター。
彼のテクニックに惹かれてブランズウィック・レコード会社がルイ・アームストロングのベスト・セラー・レコードに対抗する企画を
立て6か月間集中して録音を行ったことがあったというが、売れ行きは悲惨でこの企画は散々な結果に終わったという。
サウス・カロライナ州の有名なジェンキンス孤児院のチャールストン・バンドの一員であったが、この組織は当時沢山の注目すべき才能を生み出した音楽組織だったという。
彼は1924年16歳の時この孤児院を逃げ出し、フィラデルフィアでプロとしての演奏活動を開始した。
20年代セシル・スコット楽団、チャーリー・ジョンソンのパラダイス・バンドを経て25年ニューヨークに出る。
27年デューク・エリントンの楽団に参加、そのレコーディングが評判を取る。
28年ジェームス・P・ジョンソン、ファッツ・ウォラーのルイジアナ・シュガー・ベイブズと共演4面分の録音を行う。
その後シカゴに移り、ブランズウィックの求めに応じ、彼のリズム・エイセズを結成、1929年1月から8月にかけて20面分の録音を行った。
しかしこれは冒頭に述べたように悲惨な結果に終わった。
この原因について、評論家のガンサー・シュラー氏は次のように述べる。
「ブランズウィックの録音全てに、ジャボの超人的な技巧、途方もないエネルギー、模範的な音楽性を聴き取ることができる。
彼は驚異的なまでに破綻のない奏者、音楽家だった―音楽家の中の音楽家だった。私は、彼が大きな大衆的成功を得られなかった理由もそこにあると思う。
彼の芸の一つ一つに、余りに革新的であるか洗練され過ぎているために、俗受けしない偉大な技巧家、知的な芸術家の手本が詰め込まれているのだが、
他方大衆との伝達に不可欠な個性的な成分が含まれていないのだ。」
その後、アール・ハインズ、アースキン・テイト、キャロル・ディッカーソン、チャーリー・エルガーなど数多くのバンドを渡り歩き、
36年クロウド・ホプキンス、39年シドニー・ベシエ楽団などで活躍した。
40年代後期には、自己のバンドを率いて地方のダンス・ホールなどに出演していた。
61年ミルウォーキー・ジャズ・ソサエティ・コンサートに出演し元気なところを見せた。
66年にはミルウォーキーのラウンジでバルブ・トロンボーンとピアノを演奏していたという。
70年代にはミルウォーキーでレンタカー会社「ナショナル・カー・レンタル・カンパニー」の従業員だったという。

レコード・CD

"Duke Ellington/The Duke" History
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・イーラ」第4巻“チャーリー・ジョンソンズ・パラダイス・オーケストラ”
“The indispensable Fats Waller Vol.1”(PM 43686)