ジーン・ゴールドケット(ピアノ&バンドリーダー)

Jean Goldkette (Piano & Bandleader)

ジーン・ゴールドケット

フルネーム:ジョン・ジーン・ゴールドケット John Jean Goldkette
1893年3月18日フランス・ヴァランシエンヌ生まれ。
1962年3月24日アメリカ・カリフォルニア州サンタ・バーバラにて死去。

デンマーク出身でサーカス芸人の母アンゲラ・ゴールドケットの姓を受け継いだ。彼の父親はよく分からないという。
彼は少年時代をギリシャで過ごし、以後ロシアに移ってモスクワの音楽院で7年間学んだ。
そして家族とともに1911年(1921年という記載あり)アメリカ合衆国へやってくる。
「シカゴでクラシックの楽団に入るが、後にエドガー・ベンソンのダンス楽団へ加わった」という記載と
「デトロイトで自身のバンドを結成する傍ら、マッキニーズ・コットン・ピッカーズ、オリジナル・カサ・ロマ・オーケストラの
結成に尽力した」という異なる記載がある。
「その後さまざまなダンス・ホールのバンドを率いた」という記載と「彼自身はジャズマンではなく、ジョー・ヴェヌーティ、
エディ・ラング、ビックス・バイダーベック、フランキー・トランバウアー、ジミー・マクパートランド、ドーシー兄弟などを
傘下に収めるエージェントとして大成功した」という記載がある。
40年代以降は編曲の面で活躍し、45年、47年にはふたたび自己のバンドを持った。
晩年はクラシックのコンサート・ピアニストとして活躍していたが、1961年カリフォルニアのサンタ・バーバラへ転居。
彼自身がタクシーを呼び病院に向かう途中心臓麻痺のため死去した。
ヴィクターのビックス・バイダーベックのレコードで6曲ほど彼の演奏が聴けるという。

レコード・CD

『ビックス・バイダーベック物語』(CBS SOPB 55017〜19)
“Bix Beiderbecke/His best recordings 1924-1930”( Best of jazz 4012)