ジミー・ランスフォード (アルト・サックス&バンドリーダー) 

Jimmy Lunceford (Alto sax & Bandleader)

ジミー・ランスフォード

フルネーム:ジェイムス・メルヴィン・ランスフォード James Melvin Lunceford
1902年6月6日モンタナ州フルトン生まれ。
1947年7月13日オレゴン州シーサイドにて死去。

フィスク大学、ニューヨーク市立大学で音楽を専攻。リード楽器のすべてをこなして、エルマー・スノゥデンその他のバンドで演奏した。
27年に自己のバンドを結成、30年からバッファローで名声を得、シンコペイターズの名前でヴィクターに吹込みを行った。
34年デッカに移ったころから続々と素晴らしい演奏を放ち42年に至るまで独特の黒人スイング・バンドとしてゆるぎない名声を保持した。
絶頂期のバンドには、Tpのポール・ウェブスター、エディ・トムキンス、Tbのトラミー・ヤング、Asのテッド・バクナー、ウィリー・スミス、
Tsのジョー・トーマス、Dsのジミー・クロフォード等のスター奏者が長年定着し、エディ・ウィルコックス、サイ・オリヴァー、ビリー・ムーア、
エディ・ダーハム等の才能あるアレンジャーを擁しユニークなランスフォード・スタイルを確立した。
ランスフォードは指揮しか行わなかったが、バンド全体の規律、整然としかも粘りある完璧なセクション・ワーク、バウンスするリズミックなアンサンブル、
2ビートのスイングするリズム、トラミー・ヤングを始めとするヴォーカル・コーラスの魅力、効果的なアドリブ、ソロ等々楽団の特色ある演奏スタイルは、
同時代及び後期の他のバンド、すなわちトミー・ドーシーやグレン・ミラーにまで大きな影響を及ぼした。
42年以降バンドマンの移動が激しくなり、次第に人気も下降、ランスフォード自らサックスを吹かねばならぬ羽目に陥った。
そして楽旅中に病で倒れ帰らぬ人となった。

レコード及びCD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第9巻 ザ・ビッグ・バンド・エラ 第1集」(RA-50)
「ランスフォード・スペシャル」(CBS 20AP 1818)
「MCAジャズの歴史/」(VIM-17〜19)
"Jimmy Lunceford/Harlem shout"(History 20.1913-HI) 「ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジミー・ランスフォード」(MCA WMC5-328)