ジョー・ナントン (トロンボーン)

Joe Nanton (Trombone)

ジョー”トリッキー・サム”ナントン(Joe “ Tricky Sam “ Nanton)と呼ばれる。
1904年2月1日ニューヨーク生まれ。
1946年7月(6月説あり)20日サンフランシスコにて死去。

1921年クリフ・ジャクソンと仕事をしたのがプロに入って最初の仕事といわれる。
23年〜24年はアール・フレージャーのハーモニー・ファイヴ、25年にクリフ・ジャクソンのウェスターナーズ、エルマー・スノーデンを経て、
26年にエリントンの楽団に参加した。1945年発作に苦しむようになり退団した。
ババー・マイレーと同様にグロウル、プランジャー、ワウワウ・ミュート奏法の達人で、初期エリントン楽団のバンド・カラーをマイレイと共に作った立役者。
同楽団のジャングル・スタイルの中核をなした。
初めてエリントンを聴いて驚いたのは、先ずナントンのトロンボーンである。肉声かと思った。ミュートを使うのは分かるが、どうやってこういう音を出すのだろう。
まさに“トリッキー”である。
ガンサー・シュラー氏は、彼のスタイルにはマイレイと同様に古典的なまでの単純さがあったとし、マイレイが小ぎれいで、滑らかになる傾向があったのに対して、
ナントンは表現の奥行きがはるかに深く荒々しい感触の響きを持っていた。彼のワウワウ・ミュートの音は、悲しい場合も、陽気な場合もしばしば特有な人間的特質を帯びる。
ミュートなしの演奏もまた、暗さや落ち着きから軽快さや朴訥に及ぶまで表現する。
しかし何を表現する場合でも、独特なヴィブラートの大きな音によって、彼の演奏には、はち切れんばかりの強度と内的な美が付与されており、
それらが全てのナントンのソロを忘れがたいものにする。
旋律的、及び和声的に見れば、マイレイほど革新的ではなかったが、彼がエリントンの楽団で20年もの間に、無数の美しいソロを作り出す妨げとはならなかった。
それらのソロの大半は、1928年の”Jubilee stomp”、”Yellow dog blues”、1927年の”The blues I love to sing”のように、まことに独創的な旋律線の屈曲を
特徴とするもので、その単純さゆえに忘れがたい。実際ナントンのソロ演奏は、全体として独創的で謎めいてもいる。
この演奏家のソロは1オクターヴの音域を越えることはめったにないし、演奏技術の点でも、ジミー・ハリソンのような別格の達人と比べると、
いくつかの限界を抱えていることも確かである。基本的には同一の着想を繰り返し演奏しているだけである。それでいながら、何か年金術のような魔法によって、
どんなソロをも新しく、奇跡的な体験にまで作り変えてしまうのである。

レコード・CD

"The Duke"(History 204140-302)
"Cootie Williams and his rug cutters 1934/40"(TAX m-8011)
「ザ・デュークス・メン」(Epic EICP 602)
「デューク・エリントン楽団 1929〜1943」(DVD JLD-410)
"The Duke"(COL 517687-2)
"Duke Ellington presents Ivie Anderson"(Columbia KG 32064)
"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"(LDB01〜LDB22)