ライオネル・ハンプトン(ヴァイブラフォン、ドラムス、ピアノ、ヴォーカル)

Lionel Hampton (Vib、Ds、P、Vo)

ライオネル・ハンプトン

1909年4月12日(1908年4月20日という説あり)ケンタッキー州ルイスヴィル生まれ。
2002年8月31日死去。

父親のチャールズ・ハンプトンは歌手でピアニストだったというが第一次世界大戦に従軍し戦死したため、母型の祖父母に育てられたという。
祖父はライオネルの教育、環境を考慮し、シカゴに移り、さらに祖母の考えでウィスコンシン州の聖母院の付属小学校に入れられ、ビューグル・バンドのドラマーとなった。
次いでシカゴの聖モニカ・・スクールに転校させられ、シカゴの黒人紙<シカゴ・ディフェンダーズ>の売り子たちのバンドに加わり正式なドラム奏法を習い、
コンサート・オーケストラのティンパニー奏者に選ばれたという。
聖エリザベス・ハイスクールに入ったころから完全にジャズに魅せられ、ヴァンドーム劇場に出演していたアースキン・テイトの楽団に夢中になっていたという。
因みにこのがくだんにはルイ・アームストロングが加わっていたことでも有名である。そのルイとも共演歴のあるジミー・バートランドのアクロバティックなプレイに惹かれていたという。
14歳の時祖父母からドラム・セットをプレゼントされ音楽に道に進むことを決意した。
ジミー・バートランドからザイロフォンの手ほどきを受け、スナッグス・ジョーンズからドラムを習い、機会があるごとにバンドbに加わりドラムを叩いていたという。
その後同地の幾つかのバンドを経て、28年にカリフォルニアへ移り、ポール・ハワード楽団に加入、翌年同楽団と初めてのレコーディングを経験した。
30年にはレス・ハイト楽団に加入、楽団は西海岸にやって来たルイ・アームストロングの録音の際、そのバックを務めた。
そこでルイと知り合ったハンプトンは、ルイの9か月に及ぶ西海岸滞在の間常に一緒にいて多くを学び、親交を深めた。
ヴィブラフォンを演奏するようになったのは、スタジオに置いてあったヴィブラフォンを弾いてみるようにアームストロングから言われたのがきっかけという。
そうしたある日生涯の伴侶となる、グラディス・リドルという再奉仕と知り合う。
ルイとも親しいグラディスは、ハンプトンに小型のヴァイブラフォンをプレゼントした。家でも練習できるようにという気づかいだった。
さらにグラディスは、ハンプトンに正式な音楽の勉強をすることを勧め、素直なハンプトンは南カリフォルニア大学の聴講生となり、ハーモニーやコードについて学んだという。
レス・ハイト楽団は西海岸で人気も上昇し、評判も高く当時勃興していたハリウッドの映画の初期トーキー映画によく駆り出された。
ヴォードヴィリアン的要素も持っているハンプトンはよく映画に引っぱり出されたという。1934年のアカデミー受賞作"Cavalcade"にも出演していたという。
34年独立し、ロスで自己の楽団を結成したが、これを聴いたベニー・グッドマンに認められて、1936〜40年ヴィブラフォン奏者としてベニー・グッドマンのバンドに参加する。
これはジャズ楽器としてのヴィブラフォンの存在を広く知らしめただけでなく、人種の壁が厚かった時代に白人の人気バンドに黒人のミュージシャンが参加したという点でも画期的な出来事であった。
このBG楽団在籍時にはたくさんの吹込みにも参加した。
ハンプトンのジャズマンとしての才能そして人柄にほれ込んだグッドマンは、遠征先のホテルでは、いつも自分の部屋の隣室を取るよう計らったという。
BG楽団を退団翌月ニュー・ヨークからカリフォルニアへ戻り、念願のビッグ・バンドを結成テナー奏者のイリノイ・ジャケーをフューチャーした「フライング・ホーム」は大ヒットになった。
この楽団における荒まじいまでのドライヴ感トビーとの協調は鮮烈であった。
その後もハンプトンは自身のリーダーバンドを率いて精力的に活動し、バンドからは多数の有名ジャズ・ミュージシャンを輩出した。
ヴァイブをジャズのソロ楽器として確立させた最大の功労者で、ドラム奏者としてもチック・ウエップ直系のリズミックなプレイが素晴らしく、
ヴォーカルでも軽妙洒脱な独特の捨てがたい味を持っている。
1995年に心臓発作で倒れライブ活動を引退。2002年8月、94歳で逝去。

レコード・CD

"Benny Goodman/The king of swing"(36AP 1416-7)
「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)
「コンプリート・ベニー・グッドマン」(BMGヴィクター BVCJ-7030)
「ベニー・グッドマン/カーネギー・ホール・ジャズ・コンサート」(CBS SOPB 55007〜08)
「ベニー・グッドマン・ライヴ・アット・カーネギー・ホール-1938(完全版)」(SME RECORDS SRCS 9610〜1)
「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(Nostalgia records CSM 890-891)
「ザ・テディ・ウィルソン」(CBS SONP 50332-3)
"Eddie Condon/That's a serious thing"(History 20.3008-HI)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)
"Benny Goodman & Glenn Miller live at the Carnegie Hall 6 October 1939"(FLYRIGHT Records EBCD2103-2)
「チャーリー・クリスチャン・アット・ザ・カーネギー・ホール・1939・ウィズ・ベニー・グッドマン」(ELEC KV-106)
「MCAジャズの歴史/ライオネル・ハンプトン」(MCA VIM-19)
「フロム・スピリチュアルス・トゥ・スイング」(LAX-3076-7)
「フロム・スピリチュアルス・トゥ・スイング」(King Record KICJ 2051/2)
"From Spirituals to Swing - the legendary 1938&1939 Carnegie hall concerts produced by John Hammond"(Vanguard -169/71-2)
"From Spirituals to Swing complete legendary 1938-1939 Carnegie hall concert"(Definitive records DRCD 11182)
「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)
"Giants of Jazz/Benny Goodman"(Time-Life)
「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)