メズ・メズロウ (クラリネット&テナー・サックス) 

Mezz Mezzrow (Cralinet)

メズ・メズロウ

本名 ミルトン・メジロウ Milton Mesirow
1899年11月9日イリノイ州シカゴ生まれ。
1972年8月5日ニューヨークにて死去。

1917年から演奏活動を行い、23年ごろにはシカゴの様々なスモール・バンドに参加していた。
そしてそこに移ってきた黒人ジャズメンの演奏に触れて大いに惹かれ、白人でありながら自ら「特別志願黒人」と
称するほど熱心なニューオリンズ・ジャズの信奉者となった。
粟村政昭氏によれば、「麻薬の密売で検挙され臭い飯を食ったり、「特別志願黒人」と自称したり、
少しメンドクサイ人のように思われるが、彼のクラリネット・プレイを僕(粟村師)は大変に好きである。
彼のプレイはどことなく素人臭い。かといって素人名人会風の稚拙なものでは決してなく、
いわばプロの技術の上にアマの精神が宿っているといった感じものなのだ。」 20年代後半はオースチン・ハイ・スクール・ギャングたちと演奏を共にしていたが、28年ニューヨークに出て、
トミー・ラドニア、シドニー・ベシエなど黒人プレイヤーらとしばしば録音を行った。
彼はまた、ジャズ評論のパイオニアの一人フランスのユーグ・パナシェから絶賛され有名となった。
50年代以降はもっぱらヨーロッパに住みつきバック・クレイトンらと楽旅を行っていたが70年代にニューヨークに戻った。
彼は白人・黒人混合編成のレコーディングに力を入れた人間としても重要な存在である。
粟村師は次のようにも述べている。
「1945年にメズロウ自身が設立したキング・ジャズ・レーベルにベシエと共演して吹き込んだ膨大な録音は
イタリアのキング・ジャズから計8枚のLPに編集されて出ているが(KJIT-1001〜8)、
「Gone away blues」や「Out of the Gallion」はサッチモの往年の傑作にさえ比肩するといわれるほどの名演であった。」

レコード・CD

“Chicago style jazz”(Columbia ZL-1091)
「メズ・メズロウとトミー・ラドニア」(RCA RA-5324)
「ベニー・カーター1933/39」(Philips 15PJ-4(M))
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第5巻/ファッツ・ウォーラー」(RCA RA-23〜27)
"The indispensable Fats Waller"(PM43686)
「パナシェ・セッション」(Victor VRS-5015)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)
「MCAブルースの古典」(Victor VIM-21)