ミルドレッド・ベイリー (ヴォーカル)

Mildred Bailey (Vocal)

ミルドレッド・ベイリー

本名:ミルドレッド・エリノア・リンカー(Mildred Eleanor Rinker)
1907年2月27日ワシントン州テコアの生まれ。
1951年12月12日ニュー・ヨーク州ポキプシーにて死去。

「スイングの女王」、「ロッキング・チェア・レディ」、「ミセス・スイング」と呼ばれる。
ザ・リズム・ボーイズのアル・リンカーは弟である。
1929年ポール・ホワイトマン楽団の専属歌手としてキャリアをスタートさせた。ホワイトマンにベイリーを紹介したのは、ビング・クロスビーだったという。
ホワイトマンは当時オールド・ゴールド・シガレットのラジオ番組を持っており、その1929年8月6日の放送で、彼女の歌う”Moanin' Low”が放送された。
レコーディング・デビューはエディ・ラング・オーケストラによる1929年の吹込みでホーギー・カーマイケル作の”What Kind o' Man Is You?”を
名前クレジットなしで吹き込んだもので、さらにこのレコードはイギリスでのみの発売だったという。
次の吹込みは1930年5月8日フランキー・トランバウアーの楽団で録音された”I Like to Do Things for You”であったという。
ホワイトマンと初めてレコーディングを行ったのは、1931年10月6日録音の”My Goodbye to You”であり、同じ1931年にはカーサ・ロマ・オーケストラと
4面分をブランズウィックに吹き込んだという。
しかし1931年1月12日シカゴでジミー・ヌーンの楽団で2曲(”He's not worth your tears”、”Travelin' all alone”)の吹込みがあることが確認されている。
1933年にはレーベルのためにドーシー・ブラザーズをサポート・ミュージシャンとして録音した。
その後ヴァイブラフォン奏者のレッド・ノーヴォと結婚、そのグループで歌っていた。当時の彼女は白人ジャズ・ヴォーカリストとして最高の人気を誇り、
CBSラジオでは自分のショウ番組を持っていたほどであった。
大きな体に似合わずやさしい甘い声の持ち主で、特にブルースやバラードでは情感豊かな味わいを持っていたという。
彼女のことも少しずつ書き足して行こうと思う。

レコード・CD

”The recordings of Jimmie Noone” Vol.3(JSP 926C)
“Mildred Bailey/Her greatest performances 1929−46”Columbia JC3L-22
「ミルドレッド・ベイリー/ザ・ロッキン・チェア・レイディー」(MCA -3050)
"Chu Berry 1937・40"(Everybody's 1002)