マグシー・スパニア (コルネット&トランペット)

Muggsy Spanier (Cornet & Trumpet)

マグシー・スパニア

フルネーム:フランシス・ジョゼフ・ジュリアン・スパニア Francis Joseph Julian “Muggsy” Spanier
「イリノイ州シカゴ生まれ」は同じだが、「1906年11月9日生まれ」という記述と1901年11月9日生まれ」という記述がある。
1967年2月12日カリフォルニア州ソウサリトで死去。

1920年代初めにプロとして活動を開始、シカゴを中心に様々なバンドでプレイした。
この間バックタウン・ファイヴやジャングル・キングスにおいて初期の名演を記録した。
粟村政昭氏は、その著『ジャズ・レコード・ブック』において、「いわゆるディキシー系の白人トランぺッターでは一番好きだ」と記し、
さらに「最も影響を受けたのはルイ・アームストロングであるが、かつて共演したフランク・テッシュメーカーが
ジミー・ヌーンのフレーズを真似たことに腹を立て思わず小節数を間違えたという硬骨漢であったから、
次第にルイの影響を脱して、中音域を生かしたシンプルでソウルフルな独自のスタイルを作り上げることに成功した」と述べている。
29年〜36年まではテッド・ルイス楽団に在籍、その後ベン・ポラック楽団に参加したが病気のため38年初めに退団した。
しかし39年春にラグタイム・バンドと名付けたコンボを率いて再起し、このバンドで吹きこんだアルバム“Great 16”は彼の最高作といわれる。
粟村氏は「瀕死の病床からカムバックして吹きこんだだけに、全篇これ歓喜に満ちた極上のジャズ・ムードにあふれている」と激賞し、
他の評論家の諸氏も「全曲名演という珍しいアルバム」と賛辞を贈っている。
さらに40年代は自分のバンドを率いた他に、アート・ホーディスやミフ・モール、50年代にはアール・ハインズらと共演するなど幅広く活躍した。

レコード・CD

「シカゴ・スタイル・ジャズ」(Columbia ZL-1091)
「ザ・シカゴアンズ/1928-1930」(Decca SDL-10361)
"Muggsy Spanier/Hesitatin’ blues"(Affinity AFS 1030)
"Muggsy Spanier/The great 16"(RCA Victor LPM-1295)
"Bobby & Muggsy/Horn a plenty"
"Muggsy Spanier / Pee Wee speaks"(History 20.30051-HI)
"Eddie Condon/That's a serious thing" History 20.3008-HI
"Giants of Jazz/Benny Goodman"(Time-Life)