ニック・ラロッカ (コルネット)

Nick RaLloca (Cornet)

ニック・ラロッカ

フルネーム:ドミニク・ジェイムズ・”ニック”・ラロッカ (Dominic James “Nick” LaRocca)
1898年4月11日ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。
1961年2月22日同地にて死去。

貧乏なイタリア系(シチリア)移民の息子として生まれる。父はサラパルータ村のジローラモ・ラロッカ、母はポジオレアーレ村のヴィタ・デ・ニーナ。幼いころは古いフランス・オペラの軽い音楽やスーザの行進曲などを聴いて育ったという。
父は立派な職業についてほしいと思ったが、幼いニックは街のブラス・バンドに夢中で、ひそかにコルネットを独学した。はじめは電気技師として働き、演奏は副職だった。しかし10代の少年としての彼の最初の「職業として」の仕事は意外なことにブラス・バンドではなく、地元の1本か2本のヴァイオリン、ギター、弦ベースなどが中心となるグループだったという。
彼の最初のバンド(1908)は、ニューオリンズで既に主流を占めていた小編成のグループで、コルネット、クラリネット、トロンボーン、リズムからなる。このバンドが演奏したのはもちろんラグタイムだった。
ラロッカは当時パート・タイムの音楽家で、「即興演奏」はやれたが譜面が読めなかった。その後数年して初めて熟達した音楽家となって、ブラウンズ・ミリタリー・バンドのようないくつかの大きなブラス・バンドに参加し、1910〜1916年はパパ・ジャック・レイン(Papa Jack Laine)のバンドの構成員だった(1914年に加入説あり)。巨匠級のプレーヤーではなかったが、強いくちびるでソリッドなソロ演奏をしたので大規模なパレードに参加し、一日に何件もギグを掛け持ちしていた。
1916年ジョニー・ステイン(Johnny Stein)のバンドになんとか入れてもらって、当時のあこがれの大都市シカゴで演奏することになる。このバンドがオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass band 略してO.D.J.B.)となり、歴史上初の商業的ジャズ録音をニューヨークで1917年に行いヒットし彼らはセレブとなった。
1917年ニューヨークのライゼンウェーバーズに出演して大成功をおさめ、同年2月史上初めてのジャズの録音を行った。
O.D.J.B.は1919年4月に渡英20年7月に帰米した。その後神経衰弱となり、ニューオリンズに帰郷し建設契約業を始めた。
1936年ラロッカはバンドを再結成し、ツアーと録音で成功したが、翌37年内輪もめでバンドは解散、故郷のニューオリンズに戻っていた。

レコード・CD

「白人草創期ジャズ音楽 ディキシーランド」(APCD-6001)
”ODJB & Louisiana five”(Fountain records FJ101)
「ODJB歴史的名演集」(COLUMBIA ZL-1071:10インチレコード)