ポール・ホワイトマン (バンドリーダー)

Paul Whiteman (Bandleader)

ポール・ホワイトマン

フルネーム ポール・サミュエル・ホワイトマン Paul Samuel Whiteman
1890年3月28日コロラド州デンヴァー生まれ。
1967年12月29日ペンシルヴァニア州ドイルスタウンにて死去。

生前「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれたが、この人くらい現在ジャズ界で評価を受けていない人もいないだろう。
それは偏に彼の音楽はジャズではないという評価の故と思われる。しかし彼が最も活躍した1920年代、白人たちにとっては彼こそがジャズだったのである。
僕は名前は昔から知っていた。どのくらい昔かと言えば高校生になってジャズを聴き始めた1960年代末からである。
そして今日(2016年)に至るまで「キング・オブ・ジャズ」とまで呼ばれながら、ほとんどレコード、CDの類をショップで見たことがない。
またジャズに関する本などで書かれることは、「彼の音楽はジャズではない」ということばかりだ。
実に不思議な人物ではある。
初めはヴァイオリンを習い、ヴァイオリン奏者(ヴィオラ奏者だったという記述あり)としてデンヴァー・シンフォニー、サンフランシスコ・シンフォニーに籍を置いた。
しかしまもなくジャズに興味を持つようになり、1918年サンフランシスコでダンス・バンドを組織してポピュラー界に転じた。
20年にニューヨークに進出し、アトランティック・シティのアンバサダー・ホテルに出演する。そして1920年8月9日の間にヴィクター・トーキング・マシンに5回レコーディングを行う。このうち4曲が年間ヒット曲100にランク・インしている。
20年11月3日バンド名を”Paul Whiteman and his Orchestra”と名乗る。
やがて20年代を通じてポップ・ダンス・バンドの指揮者としてアメリカで最高の人気を獲得するようにまでなり、
24年にエオリアン・ホール、25年カーネギー・ホールでコンサートを行い大成功を収めた。
また、1924年2月24日にはジョージ・ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を初演してこれも大成功を収めた。
これらの成功の陰には参謀格のファーディ・グローフェの存在が大きいという。
ファーディ・グローフェとは、本名ファーディナンド・ルドルフ・フォン・グローフェ(Ferdinand Rudolph von Grofe)という
作曲家兼編曲家兼ピアニストで1920年から1933年まで、ポール・ホワイトマン・オーケストラでアレンジの仕事を行った。
特に有名なのが、ジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』のオーケストレーションである。
当時はクラシックのポピュラー化とその当時の流行歌を主とした大衆受けするレパートリーを、ストリングス入りで甘く演奏して人気を博したのである。
これらのコンサートの成功に気をよくした彼は、バンドをスター・プレイヤーを擁する大編成化に着手し、クラシックとジャズの手法を折衷したスタイルを編み出して
「シンフォニック・ジャズ」と称した。
こうした時流に乗ったハッタリと商人の感覚が成功の要因であると、RCA「ザ・サウンズ・オブ・ジャズ」ボックス・レコード・セットの解説で斉木克己氏は厳しい評価を下している。
しかしビックス・ベイダーベックやレッド・ニコルス、フランキー・トラウンバウアー、レッド・ノーヴォ、ドーシー・ブラザーズ、
エディー・ラング、ジョー・ヴェヌーティー、ビング・クロスビー、ミルドレッド・ベイリーを世に送り出した功績は大きいものの、
彼らが参加していても、バンド自体の演奏はジャズ的内容の薄いものだった。
25年に再びカーネギー・ホールでガーシュインのジャズ・オペラ「135番街」を演奏し、後にグローフェの「大峡谷組曲」を紹介するなどした。
これらは当時シンフォニック・ジャズと呼ばれ話題となった。
30年に映画「キング・オブ・ジャズ」に主演してから同名のニック・ネームを得ることとなった。
30年代以降は、ニューヨークのABC放送局の音楽ディレクターとして活躍し、ラジオやTVにしばしば登場した。
以後62年にラスヴェガスで短期間、自楽団で演奏した後は晩年は引退し、悠々自適の生活を送った。
アメリカ・ポピュラー音楽史上のある種象徴的存在であった。

レコード・CD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ 第11巻」レコード9A面(RVCRA-68)
「Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order/rare studio cuts」
『ビックス・バイダーベック物語』(CBS SOPB 55017〜19)
“An introduction to Bix Beiderbecke 1924-1930”(Best of jazz 4012)