パイントップ・スミス(ピアノ、ヴォーカル) 

Pinetop Smith (Piano &Vocal)

パイントップ・スミス

本名:クラレンス・スミス Clarence Smith
1904年6月11日アラバマ州トロイ生まれ。
1929年3月14日シカゴにて死去。

16歳の時からピッツバーグのナイト・クラブや劇場でピアニスト、コメディアン、タップ・ダンサーとして働いた。
その後マ・レイニーやバタービーンズ・アンド・スージーなどの伴奏者として巡業していた。
1928年その才能を認められて12月からシカゴでレコーディングなどを行うようになった。
1928年暮にソロ・ピアノで吹き込んだ「パイントップス・ブギー・ウギー」が大ヒットし、以後このスタイルを「ブギー・ウギ」と名付けることになったという最初の作品である。
油井正一氏によれば、1928年12月に2曲(上記「パイントップス・ブギー・ウギー」を含む)、翌29年春に6曲吹込みを行った後の3月14日突然の死を遂げた。享年25歳であった。
死因については、女出入りが災いしたとか喧嘩の巻き添えを食ったとかいろいろな噂がダウンビート誌なのにも掲載されたことがあったという。
真相はパーティーで談笑中のスミスに、どこからともなく飛んできた一発の流れ弾が命中し、すぐに病院に担ぎ込まれたが数時間の後死亡したという(喧嘩の巻き添えと言えなくもない)。
彼の死後、未亡人と二人の子供が残された(彼は16歳の時に結婚している)。
彼の項を油井氏は以下のように締めている。
「未亡人の思い出話によると、スミスはいよいよレコードを吹き込むという人てもはしゃいで、近所に吹聴したり、友人に電話で知らせたり、天下でも取ったように喜んでいた。
そのせいか彼の残した8曲では、どれもみな必ずしゃべったり歌ったりしていますが、この天真爛漫さは、悲劇的な死の僅か前だっただけに、聴くものに深い印象を与えずにはおきません。」

レコード・CD

”The Boogie Woogie masters”(AFS 1005)