レイ・ノーブル(バンド・リーダー&作編曲)

Ray Noble (Band leader)

レイ・ノーブル

フルネーム:レイモンド・スタンリー・ノーブル Raymond Stanley Noble
1907年(1903年という記載あり)12月3日イギリス・ブライトン生まれ。
1974年4月3日イギリス・ロンドンにて死去。

1926年から29年までジャック・ペイン楽団の主人編曲者として活躍したが、1929年HMVレコード(ヴィクターの前身)から招かれ、
音楽監督兼ハウスバンドのリーダーとして活躍した。
このハウスバンドは、ノーブルが就任と同時に「ニュー・メイフェア・オーケストラ」と改名した。
このバンドは、HMVに数多くの佳演を残し、バート・アンブローズ、ジャック・ヒルトンと並び英国三大バンドの一つに数えられた。
ノーブル自身が書いて吹き込んだ“The very thought of you”や“Love locked out”がアメリカでもヒットしたため、
この優れたスイート・バンドのリーダーをアメリカのステージにも迎えたいという機運が盛り上がった。
そこで1934年9月ノーブルは僚友のビル・ハーティ(Bill Hartly)とアル・ボウリィ(Al Bowlly)を伴って渡米し、
1935年1月グレン・ミラーの協力を得て、アメリカでの自楽団を結成した。
このバンドは、ロックフェラー・センターのレインボウ・ルームを根城にし、ラジオの定期番組「コティ・アワー」に起用され順調なスタートを切った。
このバンドには、グレン・ミラーを始め、ウィル・ブラッドレイ、ピー・ウィー・アーウィン、バド・フリーマン、
クロウド・ソーンヒル、ジョニー・ミンスなどの腕っこきや時代を担う人材が在籍したために、全体としてはコマーシャルなダンス・バンドではあったが、
ジャズとして聴いてもかなりの内容を持った演奏を残すことができたといわれる。
この強力な陣容を持つバンドは当時「オールスター・アメリカン・バンド」と呼ばれ、ミラーの編曲によるホットな演奏、
スイートナンバーで冴えるノーブルのアレンジなど硬軟自在に使い分ける妙味は後世まで語り継がれたという。
しかし彼の名が今日にも残る最大の理由は、チャーリー・パーカーが愛奏し、他数多くのジャズ・マンが取り上げた
スタンダード・ナンバー「チェロキー」の作曲者としてであろう。
このナンバーは1938年に出版され、ノーブル自身も1938年3月に吹き込んだが、全く評判にならなかった。
そして1年後に吹き込んだチャーリー・バーネット楽団のレコードが大ヒットとなり多くの人々に知られることとなった。

レコード・CD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA-68)