スピーグル・ウィルコックス (トロンボーン)

Spiegle Wilcox (Trombone)

スピーグル・ウィルコックス

本名:ニュウェル・ウィルコックス Newell Willcox
1903年5月2日ニュー・ヨーク州シャーバンの生まれ
1999年8月25日ニュー・ヨーク州コートランドにて死去

『ジャズ人名辞典』未収録
父親はアマチュア・ミュージシャン兼バンド・リーダーで、その指導の下若い時からバルブトロンボーンを学んだ。
マンリアス陸軍士官学校に入り、ブラス・バンドに加わており、そこで“Spiegle”というニックネームが付いたといわれる。
10代後半スライドトロンボーンに切り替え、ニュー・ヨーク州シラキュースの近くにあるThe BigFourというグループに加わっている時に
意欲的な若いバンド・リーダー、ポール・ホワイトマンの知己を得、そのバンドに加わり、1923年にニュー・ヨーク進出を果たした。
ホワイトマンの楽団に3年間在団しその期間にレコーディングも経験した。
1925年にホワイトマンのバンドを辞めカリフォルニア・ランブラーズでプレイした後、当時人気のあったジーン・ゴールドケット・オーケストラ、
そしてその後トミー・ドーシーの楽団に加わった。
そしてその後まもなく、コルネット奏者のビックス・バイダーベックとサックス奏者のフランキー・トランバウアーもバンドに加わった。
しかし1927年音楽界を辞し、父親の石炭事業を引き継いだ。しかし地元シラキュース地域で週末に地元でアマチュア・グループを率いて音楽は続けた。
1975年カーネギー・ホールでのゴールドケット・バンドの再会コンサートに招待され、そこでヴァイオリニストのジョー・ヴェヌーティとの知り合い、
その説得を受け音楽シーンに復帰した。
その後国内やヨーロッパなどで演奏活動を行い1994年91歳の時アムステルダムでオランダのミュージシャンとレコーディングを行った。
1995年アメリカジャズ協会連盟のベニー・カーター賞を受賞。
カリフォルニア・ランブラーズの1925年の録音に名前が見える。

レコード・CD

The California Ramblers 1925(BYG Archive of jazz Vol.39 529089)
『ビックス・バイダーベック物語』(CBS SOPB 55017〜19)
“An introduction to Bix Beiderbecke 1924-1930”(Best of jazz 4012)