テディ・ヒル (テナー・サックス&バンド・リーダー) 

Teddy Hill (Tenor Sax & Band leader)

テディ・ヒル

フルネーム:セオドア・”テディ”・ヒル Theodore "Teddy" Hill
1909年12月7日アラバマ州バーミンガムの生まれ。
1978年5月19日オハイオ州クリ―ヴランドにて死去。

初めはドラムやトランペットを習っていたが、やがてクラリネットとサックスに専念するようになった。
1926年から翌年にかけては、ホイットニー・シスターズのショウと共に巡業を行い、
それが解散すると27年ニューヨークで働くようになり、最初はジョージ・ホウのバンドに加わった。
1929年〜31年(1928〜30年という記載あり))にかけてルイ・ラッセル楽団でテナーを吹いていたが、
やがてマネージャー的な仕事もするようになった。
32年には一時ジェームズ・P・ジョンソンと共演したが、当時は主にニューヨークのラファイエット劇場の
ビット・オーケストラ(劇場のステージ前に設置されたバンド・ボックスの中で演奏するオーケストラ)の一員であった。
34年自己のバンドを結成し、主にハーレムの「サヴォイ・ボールルーム」で活躍するようになった。
このバンドで初吹込みを1935年2月に行っている。
結成当初の主なメンバーは、ベニー・カーター楽団からビル・ティラード、ビル・コールマン、ディッキー・ウエルズ、
チャーリー・ジョンソンのスター・プレイヤー、ロイ・エルドリッジ、チュー・ベリーなどで、ヒルは両楽団の出身者で自身のバンドを固めて行ったといえる。
そして「サヴォイ・ボールルーム」の常連バンドになり、40年まで多数の有能なソロイストを抱えて、ワイルドで迫力あるスイング・ジャズを演奏した。
スイング時代の名バンドの一つであり、1937年にイギリスやフランスに楽旅し、39年にはニューヨークで開かれた万国博覧会にも出演した。
ディジー・ガレスピーがエルドリッジの後任(フランキー・ニュートン経由)として入団し、初レコーディングを行ったことは有名である。
ヒル自身は40年以後バンドを解散してミントンズ・プレイハウスの経営者となりビ・バップの勃興に貢献した。
実はこのテディ・ヒルという人物は不思議な人物である。彼の初期のキャリアであるルイ・ラッセルのバンドは
、 ルイ・ラッセルがジョー・キング・オリヴァーから引き継いだものと言われる。そしてそのバンドを引き継いだのがテディ・ヒルであるという記載がある。
もしそうだとすればジャズのメインストリームを歩いてきたことになり、ガレスピーとの経緯を見ると先見の名のある人だと思われる。
しかし、では彼のプレイはどうだったのかというと、ソロの聴ける録音というのはほとんどないという(油井正一氏)。
そもそも彼の写真を見つけることさえ困難なのである。
彼の名前はジャズ史上に永遠に残ると思われるが、彼自身何を考え、何をやろうとしていたかとなると皆目わからない。
僕自身としては、興味魅かれる人物である。
1930年ルイ・ラッセル楽団在団時にルイ・アームストロングが客演した録音に名前が見える。

レコード・CD

「黄金時代のルイ・アームストロング」(TOCJ-5221〜28)
"Luis Russell and his orchestra 1926-1929"(The chronological 588)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ10/ザ・ビッグ・バンド・イーラ《第2集》」(RCA RA-54〜59)
「ヴィンテージ・シリーズ/ディジー・ガレスピー」(Victor VRA-5011)