トミー・ドーシー (トロンボーン)

Tommy Dorsey (Trombone)

トミー・ドーシー

フルネーム:トーマス・フランシス・“トミー”・ドーシー・ジュニア Thomas Francis “Tommy” Dorsey Jr.
1905年11月19日ペンシルヴァニア州シェナンドゥの生まれ。
1956年11月26日コネティカット州グリーンウッチにて死去。食事後突然体調に変調をきたし死に至ったという記載と睡眠薬の過剰摂取という説がある。

ジャズ史上最も美しい音でトロンボーンを吹き、また最初のヒット曲に因んで『センチメンタル・ジェントルマン』という愛称で親しまれた。
Cl、サックス奏者のジミー・ドーシーは実兄に当たる。
生地シェナンドゥは炭鉱の町で、彼らの父親も炭鉱夫だった。父は音楽好きで、吹奏楽器を一通りこなし、音楽を人に教えたり、町の行事になくてはならないブラス・バンドのリーダーでもあった。
トミー、兄のジミーとも幼いころからトランペットを習い始めたが、兄はサックスやクラリネットに、トミーは27年にトランペットの吹込みも経験したが次第にトロンボ−ンに専念するようになった。
ハイスクール時代は兄弟それぞれ別に学生バンドを作り、それぞれ人気者だったという。ハイスクールを卒業すると、ジミーは炭鉱で働き、トミーは配達夫として働きだしたが、
父親の助言で二人ともプロとなることにし、二人とも仲良く24年デトロイトの有名バンド、ジーン・ゴールドケットの楽団に加入し、
次第にジャズ・ミュージシャンとして認められるようになっていった。27年にはビックス・バイダーベック畢生のソロを聴くことのできる名作「シンギング・ザ・ブルース」のパーソネルに兄ジミーの名前が見える。
この録音のTbは名人ミフ・モール。
1927年、当時アメリカ一の人気を誇っていたポール・ホワイトマンの楽団に二人とも迎えられた。1927年9月のゴールドケット楽団の吹込みに二人の名前がないことから、
その前にホワイトマン楽団に移ったのであろう。
トミーは、ホワイトマン楽団によく年まで在団した後、ロジャー・ウルフ・カーン、ルディ・ヴァリー、ヴィンセント・ロペスなどのバンドで活躍、
吹込みや放送などで大活躍し売れっ子の仲間入りを果たした。
28年兄のジミーと組んで、ドーシー・ブラザーズ・オーケストラの名前で初吹込みを行う。さらに同年ストリングを加えた大編成で、指揮者にユージン・オーマンディを
迎えたコンサート・ジャズ風のレコードを作成した。
34年(35年という記載あり)にこのドーシー兄弟のオーケストラは、ダンス・バンドとしてレギュラー活動を行うことになる。35年春「グレン・アイランド・カジノ」に出演中、
アレンジの演奏テンポについて兄と揉め、バンドを飛び出す。次にどうするかは全く未定だったようだが、折よく旧友のピアニスト、ジョー・ヘイムズがバンドをたたもうとしていることを聞き、メンバーをそっくりそのまま引き継いで自身のバンドを持った。
自身のバンドを持つと早速リハーサルに臨み、トミー自身のアイディア、自身の目指すサウンドづくりをはじめ、メンバーを一部増強して秋には、
ホテル・リンカーンのブルー・ルームにデビュ―出演した。
その年にRCAヴィクターと専属契約を行い、以来13年間1947年まで、実に560曲の吹込みを行った。RCA以外を含めると生涯700曲もの吹込みを行ったという。
その中には彼のテーマソングである"I'm Getting Sentimental Over You"(センチになって)の他、"On the Sunny Side of the Street"、
"T. D.'s Boogie Woogie"、"Well, Git 'It"、"Opus One"、"Manhattan Serenade"などがある。
さらに合計で17回シングルで1位を獲得、
"I'll Never Smile Again"は1940年に売上1位を12週連続、
1943年には"In the Blue of Evening"でポップ・シングル・チャート1位を3週連続達成した。
ビルボード・チャートには合計137回もチャート・インヒットしたという。
彼は自己のバンドにおいて、自己のスイートなソロと並んで一流のジャズマンを起用したことが彼のレコーディングの価値を高めている。
例えばバニー・ベリガン、ピー・ウィー・アーウィン、ジギー・エルマン、チャーリー・シェイバース、バディ・デ・フランコ、バド・フリーマンなどであり、
他方一流の歌手フランク・シナトラ、ジョー・スタッフォード、さらに編曲にはサイ・オリヴァー、ポール・ウエストン、などを擁した。
53年兄ジミーと一緒にブラザーズ・オーケストラを再結成し、人気を集めTVやホテルなどの演奏で人気を集めたが、56年急死した。
彼はダウンビート誌トロンボーン部門において36〜39年、メトロノーム誌で39〜46年にかけて首位を獲得した。

レコード・CD

「Archive of Jazz/The California Rumblers 1925」(BYG529089)
”The young Benny Goodman”(Timeless CBC 1-088)
「ベニー・グッドマン/新たなる宝庫」(Columbia CSM890〜891)
「ベニー・グッドマン秘蔵名演集」(PDTD-1046)
『レッド・ニコルス物語』(MCA-3012)
“Red Nchols and his five pennies”(Ace of Hearts AH-63)
「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)
「MCAジャズの歴史/Decca-MCA History of jazz」(MCA VIM-17〜19)
"The Dorsey brothers/1935"(Circle records CLP-20)
「オリジナル・トミー・ドーシー・ベスト・セレクション」RCA-9007-08
「ジャズ・ヒストリカル・レコーディング・シリーズ/トミー・ドーシー」(コロンビアHR-125−JK)
「コンプリート・ベニー・グッドマン/Benny Goodman The RCA years」BVCJ-7041
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第17巻/スイングからバップへ」RA96〜100
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA-60〜62)
「トミー・ドーシー」(HR-125-JK)