ジャズ・ディスク・ノート

第91回2015年3月22日

チュー・ベリー 入門その2 1938・39年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


1週間に1回のアップを目標にしてきましたが、先週はアップできませんでした。誰も待ってはいないとは知りつつも、勝手に自分でルールを作って取り組んできたので、申し訳ない気分です(誰も待ってないって!)。
今回のアップ遅れは、私事ながら(このサイト自身が私事ですが)、人生で重要なことがったためです。
3月14日の土曜日に長女の結婚式があったのです。長女は既に一昨年夏に結婚しており、式は挙げないかもしれないと言っていたのですが、やはり人生一度のことだからと昨年後半急きょ結婚式を上げることを決めました。ノンビリこんなサイトを作っていましたが、いろいろと忙しくもありました。
式は横浜のさる教会で行いました。兎に角初めてのことで、新婦の父親というのは挨拶を述べるわけでもなく特段することもないので、ノンビリできるはずと思っていたのですが、挙式までの1週間は何となく落ち着かずただただウロウロするばかりでした。
写真は式が夕方だったのでその日は近くのホテルに一泊し、翌日帰りに駅に向かう途中にある横浜スタジアムのある横浜公園を通った時に取りました。娘の結婚式にも、ジャズにも不似合いなものですが、プロ野球オープン戦真っ盛りので、この日も対日ハム戦が行われる予定で、「ああ、球春だなぁ」と思いシャッターを切りました。





ホテルから見たヨコハママラソン ホテルの前の道路が横浜マラソンのコースになっており、レース中は道を横切れません。また特に何をしたわけでもないのにもの凄い疲労感で朝起きれず、部屋からレースを覗いてみました。







横浜公園のマンサクの花 横浜公園内に咲いていた「マンサク」の花です。「マンサク」という名は、春になると真っ先に咲く「先ず咲く」からきていると言われます。14、15日は肌寒い日でしたが、間違いなく季節は春に向かって一歩一歩進んでいます。







さて、今回しつこく「チュー・ベリー」入門第2回です。

第91回 Chu Berry 1938・39”


前回に引き続き今回は1938〜1939年についてみて行こう。前回1937年12月10日キャブ・キャロウェイにおける録音が僕の持っている1937年最後の録音だった。まずは今回取り上げる曲をまず最初に列記しちゃいましょう。
No.曲名録音日バンド名録音場所アルバムアルバム収録
1”Thanks for the memory ”1938年1月10日Mildred Bailey and her orchestra不明Chu Berry 1937-40A-4
2”Lover come back to me ”1938年1月10日Mildred Bailey and her orchestra不明Chu Berry 1937-40A-5
3”Rustle of swing ”1938年1月26日Cab Calloway and his orchestra不明Penguin swingCD-3
4”Three swings and ou ”1938年1月26日Cab Calloway and his orchestra不明Penguin swingCD-4
5”Penguin swing ”1938年2月10日Cab Calloway and his orchestra不明Penguin swingCD-1
6”At the clambake carnival ”1938年3月23日Cab Calloway and his orchestraNewYorkChuB-2
7”Jive (page"1"of the hepster's dictionary) ”1938年8月30日Cab Calloway and his orchestraNewYorkChuB-3
8”The Ghost of smoky Joe ”1939年3月28日Cab Calloway and his orchestraNewYorkBoog-itA-1
9”One look at you ”1939年3月28日Cab Calloway and his orchestraNewYorkBoog-itA-2
10”Shepard blues ”1939年4月18日Ollie Shepard and his Kentucky boys不明Chu Berry 1937-40A-6
11”Outdoors blues ”1939年4月18日Ollie Shepard and his Kentucky boys不明Chu Berry 1937-40A-7
12”Sugar woman blues ”1939年4月18日Ollie Shepard and his Kentucky boys不明Chu Berry 1937-40A-8
13”My dripping blood blues ”1939年4月18日Ollie Shepard and his Kentucky boys不明Chu Berry 1937-40B-1
14”Trylon swing ”1939年7月17日Cab Calloway and his orchestra不明Penguin swingCD-5
15”Pluckin’ the bass ”1939年11月20日Cab Calloway and his orchestra不明Chu Berry 1937-40B-2

ということで録音順に取り上げたいと思います。

「チュー・ベリー/1937-40」レコード・ジャケット
僕が持っているチュー・ベリー音源の中で1938年最初の録音はアルバム“Chu Berry 1937-40”A面4曲目、5曲目のミルドレッド・ベイリーとオーケストラ名義の録音である。オーケストラと言ってもミルドレッドを除けばTp、Tb、Ts、Cl、P、B、Drの7重奏団で、日付は1938年1月10日となっている。
ミルドレッド・ベイリーは史上初のジャズ・シンガーと言われる女性歌手。僕のカミサンは写真を見て「あ、マツコ(・デラックス)だ!」と言った。確かに似ている。3人目の夫君はヴァイブラフォン奏者の能坊ことレッド・ノーヴォである(結婚期間は36年〜39年)。能坊は拙HPでリーダー・アルバム“Move”で紹介済。またミルドレッド自身はビリー・ホリディの項で、夫君ノーヴォがホリディを誉めたら夫君に平手打ちを食らわせ立ち去った人物として登場している。彼女については改めて項を設けたいと思っているが、見た目とは違いその歌唱は“キュート”という言葉がピッタリする往年の大スターであった。
ここに収録されている2曲は彼女が30歳を過ぎたあたりの録音で正に脂がのった傑作である。チューは1935年にも録音に参加している。
ミルドレッド・ベイリー

<Contents>

A-4.サンクス・フォー・ザ・メモリー (Thanks for the memory)1938年1月10日
A-5.恋人よ、我に帰れ (Lover come back to me)1938年1月10日

< Personnel>…ミルドレッド・ベイリー・アンド・ハー・オーケストラ (Mildred Bailey and her orchestra)

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
ジミー・ブレイクJimmy BlakeTrumpet
ハンク・ダミコHank d’AmicoClarinet
チュー・ベリーChu BerryTenor sax
テディ・ウィルソンTeddy WilsonPiano
アラン・ローイスAllan ReussGuitar
ピート・ピ−ターソンPete PetersonBass
デイヴ・タフDave ToughDrums

A-4.サンクス・フォー・ザ・メモリー (Thanks for the memory)
チューのクールな16小節のソロが聴ける。僕はもちろんそれほどミルドレッドのレコードを持っているわけではないが、コロンビアから出ている”Mildred Bailey : Her greatest performances 1929-1946 ”にも同曲が収録されておりシリアルNo.は、vocalion 3931(mx 22266-2)であり、この”Chu Berry 1937-40 ”は(mx 22266-1)となっているので別ヴァージョンであろう。聴いた感じもチューのソロが少し違う。”Chu Berry 1937-40 ”は<The rarest>と謳っている通り貴重な録音が多い。
ミルドレッドのキュートなヴォーカルとチューのクールなソロ、ビリー・ホリディ=レスター・ヤングの有名なコラボレーションを思い起こさせる。

A-5.恋人よ、我に帰れ (Lover come back to me)
ジグムンド・ロンバーグの不朽の名作。ミルドレッドの当たり曲でこの後1941年と46年と合わせて3度録音している。故油井正一氏はこの曲はミルドレッドほどうまく歌う歌手はいないと太鼓判を押している。本当に素晴らしい歌唱である。ソロは先ずクラリネットのハンク・ダミコが8小節、そしてチューが8小節取りヴォーカルに戻る。僕は現在のところ持っているハンク・ダミコのソロが聴ける唯一の録音である。
今考えるとピアノのテディ・ウィルソンといい実に豪華なメンバーである。


「キャブ・キャロウェイ/ペンギン・スウイング」CD 続いては1月26日、2月10日のキャブ・キャロウェイの楽団での吹込み3曲が右の「ペンギン・スイング」に収録されている。前回取り上げた1937年12月の録音が僕の持っているチューがキャブのバンドに参加した初めての録音でこの録音はその1か月半後の録音に当たる。メンバーは1937年12月の時から移動はない。ただこのCDも”Chu Berry & Cab Calloway & his orchestra ”というタイトルになっており、録音は他にもあるが、チューがソロを取っているものだけを集めたのかもしれない。

<Contents>

CD-3 ラッスル・オブ・スイング (Rustle of swing)1938年1月26日録音
CD-4 スリー・スイング・アンド・アウト (Three swings and out)1938年1月26日録音
CD-1 ペンギン・スイング(Penguin swing)1938年2月10日録音

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetシャド・コリンズShad Collinsアーヴィング・ランドルフIrving Randolphラマー・ライトLammar Wright
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jonesケグ・ジョンソンKeg Johnsonドプリースト・ウィーラーDePriest Wheeler
Alto sax & Clarinetガーヴィン・ブッシェルGarvin Bushellアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…ルロイ・マキシーLeroy Maxey


では曲に移ろう。
CD-3 ラッスル・オブ・スイング (Rustle of swing)
いかにもスイング時代の曲という感じがする。ミディアム・テンポの曲でアンサンブルの後Tp、チュー、Tbと短いソロが続く。

CD-4 スリー・スイング・アンド・アウト (Three swings and out)
この曲もいかにもスイング時代の曲という感じだ。Tpの後チューのソロは落ち着いたクールな感じで、アンサンブルとの掛け合いでもいい味を出している。

CD-1 ペンギン・スイング(Penguin swing)
キャブのヴォーカル入り。どこかで聴いたことのあるメロディーではあるが思い出せない。古いアメリカのアニメの曲に似ている気がするのだが…。
この時代の曲はアレンジが実に複雑だ。

「チュー・ベリー/チュー」レコード・ジャケット 次の録音は38年8月まで少し間が空く。同じキャロウェイのオーケストラだが、若干メンバーの移動がある。Tpのシャド・コリンズがドク・チータムに、ClとAsのガーヴィン・ブッシェルがチャウンシー・ホートンに、Gtのダニー・バーカーに替わってモーリス・ホワイトが入っているが、Gtのモーリスの場合は次の39年3月の録音ではダニー・バーカーに戻っているので一時的なものだろう。

<Contents>

B-2 アット・ザ・クラムベイク・カーニヴァル (At the clambake carnival)1938年3月23日録音
B-3 ジャイヴ (Jive)1938年8月30日録音

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetドク・チータムDoc Cheathamアーヴィング・ランドルフIrving Randolphラマー・ライトLammar Wright
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jonesケグ・ジョンソンKeg Johnsonドプリースト・ウィーラーDePriest Wheeler
Alto sax & Clarinetチャウンシー・ホートンChauncey Houghtonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Guitarモーリス・ホワイトMorris WhitePiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…ルロイ・マキシーLeroy Maxey
では曲を聴いていこう。
B-2 アット・ザ・クラムベイク・カーニヴァル (At the clambake carnival)
チューのテナー・ソロでスタートする。続いてTb、ヴァイブラフォン、Clと短いソロが続き、リフ主体のアンサンブルとなって終わる。CDにもレコードにもヴァイブラフォン奏者のクレジットがないが誰が叩いているのであろうか?

B-3 ジャイヴ (Jive)
キャブのヴォーカル・ナンバー。ヴォーカルの後にTsのソロが入りアンサンブルとなる。

38年の録音はここまでで39年に移る。

「キャブ・キャロウェイ/ブーグ・イット」レコード・ジャケット 1939年の最初の録音は、同じくキャブ・キャロウェイ楽団での録音で収録アルバムは、「ブーグ・イット(”Boog-it ”)」となる。
前録音とのメンバーの移動はギターのモーリス・ホワイトがダニー・バーカーに戻り、ドラムのルロイ・マキシーがコージー・コールに替わっている。

<Contents>

A-1 ザ・ゴースト・オブ・スモーキー・ジョー(The Ghost of smoky Joe)1939年3月28日録音
A-2 ワン・ルック・アット・ユー(One look at you)1939年3月28日録音

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetシャド・コリンズShad Collinsアーヴィング・ランドルフIrving Randolphラマー・ライトLammar Wright
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jonesケグ・ジョンソンKeg Johnsonドプリースト・ウィーラーDePriest Wheeler
Alto sax & Clarinetチャウンシー・ホートンChauncey Houghtonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…コージー・コールCozy Cole
では曲を聴いていこう。
A-1 ザ・ゴースト・オブ・スモーキー・ジョー(The Ghost of smoky Joe)
キャブのトレード・マーク”Hi-de-ho ”節が聴ける。そもそも”Boog-it ”は特にチューに焦点を当てたアルバムではないので、ソロが聴けなくても文句は言えない。

A-2 ワン・ルック・アット・ユー(One look at you)
A-1とは少し変わり、一皮剥けたような柔かなアンサンブルが聴ける。ジャケット裏面にヴォーカルは不明(unknown)となっている。キャブをさしおいて歌うとは珍しい。確かに声が違うようである。これもチューのソロはなし。


「チュー・ベリー/1937-40」レコード・ジャケット
続いてはキャブ・キャロウェイを離れての録音となる。オリー・シェパードとケンタッキー・ボーイズとの吹込みで、オリー・シェパードはジャズというよりリズム&ブルース系の歌手のようだ。この4曲はオリー自身の作で全てブルースである。

<Contents>

A-6.シェパード・ブルース (Shepard blues)1939年4月18日録音
A-7.アウトドア−ズ・ブルース (Outdoors blues)1939年4月18日録音
A-8.シュガー・ウーマン・ブルース (Sugar woman blues)1939年4月18日録音
B-1.マイ・ドロッピング・ブラッド・ブルース (My dripping blood blues)1939年4月18日録音

< Personnel>…オリー・シェパード・アンド・ヒズ・ケンタッキー・ボーイズ(Ollie Shepard and his Kentucky boys)

オリー・シェパードOllie ShepardVocal
チュー・ベリーChu BerryTenor sax
サム・プライスSam PricePiano
不明Drums他
PとDrの伴奏でブルースを独唱していき、それにチューがオブリガードを付けるという構成である。そもそもこういう録音というのは珍しいような気がするのだが、どうなのだろう?ブルース業界のことも詳しくないのでよく分からないのだが…

A-7.アウトドア−ズ・ブルース (Outdoors blues)には、ギターも入っているようだが、クレジットはない。


「キャブ・キャロウェイ/ペンギン・スウイング」CD 次は少し飛んで39年7月17日の録音となる。楽団はキャブ・キャロウェイにおけるもの。収録は“Penguin swing”。
メンバーの移動に関してはTpのシャド・コリンズがマリオ・バウザに替わっている。

<Contents>

CD-5 トリロン・スイング (Trylon swing)1939年7月17日録音

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetマリオ・バウザMario Bauzaアーヴィング・ランドルフIrving Randolphラマー・ライトLammar Wright
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jonesケグ・ジョンソンKeg Johnsonドプリースト・ウィーラーDePriest Wheeler
Alto sax & Clarinetチャウンシー・ホートンChauncey Houghtonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…コージー・コールCozy Cole
CD-5 トリロン・スイング (Trylon swing)
バウザはキューバ出身で自国において正式な音楽教育を受け若き天才と謳われたアーティストで、アメリカに初めてラテン音楽を持ち込んだ人物で長きに渡ってのジャズ=ラテン界に大きな影響を及ぼした。彼は14歳の時に既にレコーディングを経験しているがそれはどうもクラシック畑での録音だったらしい。とすればこれがジャズのファースト・レコーディングか或いはそれに近いものだったのではないだろうか?しかし曲にラテン・フレーヴァ―はなくバウザのソロもない。
アンサンブルの後Tb、Clの短いソロ、また短いアンサンブルがありこれまた短いTsソロ、そしてアンサンブルとなりエンディングとなる。


「チュー・ベリー/1937-40」レコード・ジャケット

<Contents>

そして1939年の所有録音最後は39年11月20日に行われたもので、注目されるのは何と言っても新加入のディジー・ガレスピーである。キャブはTpは3管制を考えていたようで、ディズはアーヴィング・ランドルフに替わっての入団であり、キャロウエィ楽団においてはチューとの初共演となっている。他にアルトとバリトン・サックス及びクラリネットも吹くジェリー・ブレイクなる人物も交替ではなく新規加入している。
B-2.プラッキン・ザ・ベース (Pluckin’ the bass)1939年11月20日録音

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetマリオ・バウザMario Bauzaディジー・ガレスピーDizzy Gillespieラマー・ライト
Tromboneクロード・ジョーンズClaude Jonesケグ・ジョンソンKeg Johnsonドプリースト・ウィーラーDePriest Wheeler
Alto sax & Clarinetチャウンシー・ホートンChauncey Houghtonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Clarinet ,Alto sax & Baritone saxジェリー・ブレイクJerry Blake
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…コージー・コールCozy Cole
B-2.プラッキン・ザ・ベース (Pluckin’ the bass)
ヒントンのベースとコールのドラムによるイントロで始まりところどころブラスとホーンがアクセント付けるような展開で一挙に垢抜けたモダンさを感じさせるアレンジである。アレンジャーはエドガー・バトル(Edgar Battle 1907/10/3〜1977/2/6)。エドガーはトランペット、トロンボーン、あらゆるサックス、ピアノもこなすマルチ・プレイヤーで他に作曲・編曲でも才を奮った人物。姉のブランシェ・キャロウェイ(Blanche Calloway)のバンドにも関わっていた。
ソロ・スペースはまずTp、これはディズではないかと思うのだが確証はない。続いてTsが続くがこれはチューであろう。グッとモダンさを感じさせるソロである。

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第92回2015年3月29日

チュー・ベリー 入門その3 1940・41年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


写真は昨日3月28日土曜日の森の様子です。テニスに行く途中に撮りました。3月29日日曜日の天気予報は午後から雨(実際は15時前に降り出した)です。この時期そうなると3月29日日曜日午前は散歩には行けません。なぜこの時期は行けないのかと言いますと、春先の鉢植えなどの植え替えシーズンというか植え替えギリギリのタイミングです。午後は雨という予報なので午前中にやらなければなりません。
先週の日曜日に6鉢ほど植え替えました。そして今日も6鉢ほど植え替えました。腰が痛い!夕方行きつけの整骨医院へ行って腰を揉んでもらいました。日曜日も営業しているのでありがたいです。
ところで写真はモードをまた間違えたようです。落葉樹に少し緑が萌え出しています。これからの森は1年で一番美しい時期を迎えます。















訃報 オリン・キープニュース氏…3月1日逝去

オリン・キープニュース氏 3月3日新聞を整理していて毎日新聞掲載の小さな記事を見つけ驚きました。「リヴァーサイド」レーベル創設者のオリン・キープニュース氏が3月1日に亡くなられたという報です。1923年3月2日生まれとのことで92歳の誕生日の前日に亡くなられたことになります。
1953年友人とともに設立したリヴァーサイドはブルーノート、プレスティッジと並び三大ジャズ・レーベルと呼ばれます。僕はレーベルのことなどに全く知識がありませんが、アルフレッド・ライオンのブルーノート、キープニュースのリヴァーサイド、ボブ・ワインストックのプレスティッジくらいの知識はありました。これは裏付けのない完全に勝手なイメージですが、ブルーノートは計算高く、プレスティッジは少々荒っぽく、最も中庸を行く音楽本位の作品を出すレコード会社というイメージがありました。どうしてそんなイメージを持つに至ったかを書くと長くなるので項を改めます。
ともかく彼のような情熱を傾けてジャズのレコードを創ろうという人がいたからこそジャズは世界に広まり、我々にも届いたのだと思います。ご冥福をお祈りします。







訃報 クラーク・テリー氏…3月1日逝去

クラーク・テリー氏 キープニュース氏逝去の新聞の記事は短いものなので、新聞のお悔やみ欄を検索していたら、何とそれに先立つ2月21日にトランペット奏者のクラーク・テリー氏が亡くなったという記事を見つけました。テリー氏は1920年12月生まれの94歳、死因は公表されていないとのことです。
テリー氏はマイルスがセントルイス時代に影響を受けた人物というから実に長いキャリアを持つ人物で僕も何枚かレコードを持っています。彼のこともいずれちゃんと取り上げようと思っています。







訃報 ルー・ソロフ氏…3月1日逝去

ルー・ソロフ氏 やはり寒い季節は年齢を召した方が亡くなることが多いのだろうか?などと思っていたら何と今度は同じトランペット奏者のルー・ソロフ氏が3月8日に心臓発作のため亡くなられたという。1944年2月20日生まれなので71歳になったばかり。僕は名前だけ知っていて聴いたことが無かった「マンハッタン・ジャズ・クインテット」のレコードを最近始めて買ったばかり。買ったきっかけは寺島靖国氏の本でした。これからじっくりと聴いていこうと思った矢先でした。







ジャズ・マンが亡くなるのはとても寂しいです。ご冥福を祈ります。合掌。

さて、今回しつこく「チュー・ベリー」入門第3回です。

第92回 Chu Berry 1940・41”

チュー・ベリー
前回に引き続き今回は1940〜1941年についてみて行こう。チュー・ベリーは1941年10月30日(31日という記載もある)に不意の事故で亡くなっているので、最後までということになる。そしてそれらの録音は僕の持っているものはキャブ・キャロウェイのバンドに在団中の録音のものだ。また前年1939年11月録音からはキャロウェイのバンドにディジー・ガレスピーが入団してくる。つまりキャロウェイ時代のディズを取り上げた第87回あたりとほとんど被ってしまうが、改めてチューに注目しながら聴いていこう。先ずは前回同様まずは今回取り上げる曲をまず最初に列記しちゃいましょう。
No.曲名録音日編曲者録音場所アルバム
”Chop,chop,Charlie Chan”1940年3月8日不明ChicagoBoog-it
”Boog-it”1940年3月8日不明ChicagoBoog-it
”The lone ranger (arranger?)”1940年5月15日or18日Benny CarterNew YorkPengiun swing & Chu Berry 1937-40
”The lone ranger (arranger?)”alternate track1940年5月15日or18日Benny CarterNew YorkChu Berry 1937-40
”Topsy turvy(Hard times)”1940年5月18日Edger BattleNew YorkChu
”Calling all blues”1940年5月18日Benny CarterNew YorkPengiun swing
”Who’s Yehoodi ?”1940年5月18日Benny CarterNew YorkPengiun swing
”Come on with the “Come on”1940年6月27日Andy GibsonChicagoChu
”(I don’t stand)a ghost of a chance (with you)”1940年6月27日Andy GibsonChicagoChu
”(I don’t stand)a ghost of a chance (with you)” alternate track1940年6月27日Andy GibsonChicagoChu Berry 1937-40
”Bye bye blues”1940年6月27日Benny CarterChicagoPengiun swing
12”Sunset”1940年8月5日Benny CarterNew YorkPengiun swing
13”Papa's in bed with his britches on”1940年8月5日不明New YorkChu Berry 1937-40
14”Cupid’s nightmare”1940年8月28日Don RedmanNew YorkPengiun swing
15”Hot air”1940年8月28日Don RedmanNew YorkPengiun swing
16”Lonesome nights”1940年8月28日Benny CarterNew YorkChu & Chu Berry 1937-40
17”Lonesome nights” Alternate track1940年8月28日Benny CarterNew YorkChu Berry 1937-40
この間トランペットがマリオ・バウザからジョナ・ジョーンズに替わる。
18”Says who ? says you , says I”1940年9月10日Buster HardingNew YorkBoog-it
19”Hep cats love song”1941年3月5日Andy GibsonNew YorkPengiun swing
20”Jonah joins the Cab”1941年3月5日Andy GibsonNew YorkPengiun swing
21”Geechie Joe”1941年3月5日Andy GibsonNew YorkPengiun swing
22”Special delivery”1941年3月5日Andy GibsonNew YorkPengiun swing
23”Take the “A” train”1941年7月3日不明New YorkChu
24”Blues in the night”1941年9月10日Buster HardingNew YorkBoog-it

ということで録音順に取り上げたいと思います。

「キャブ・キャロウェイ/ブーグ・イット」レコード・ジャケット そして1939年の所有録音最後は39年11月20日に行われたものだった。そして所有する40年最初の録音は1940年3月8日録音の2曲である。
この間にメンバーの移動が結構ある。トロンボーンの2人クロード・ジョーンズ、ド・プリースト・ウィーラーがタイリー・グレン、クエンティン・ジャクソンに、サックスのチャウンシー・ホートンがヒルトン・ジェファーソンに替わっている。そこで先ずはパーソネル、基本的には1940年9月にトランペットのマリオ・バウザがジョナ・ジョーンズに替わるまで変更はない。

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

ミルト・ヒントン
Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetマリオ・バウザMario Bauzaディジー・ガレスピーDizzy Gillespieラマー・ライトLammar Wright
Tromboneタイリー・グレンTyree Glennクエンティン・ジャクソンQuentin Jacksonケグ・ジョンソンKeg Johnson
Alto sax & Clarinetヒルトン・ジェファーソンHilton Jeffersonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Clarinet ,Alto sax & Baritone saxジェリー・ブレイクJerry Blake
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…コージー・コールCozy Cole

.船腑奪廖▲船腑奪廖▲船磧璽蝓次Ε船礇鵝 Chop,chop,Charlie Chan)と▲屐璽亜Εぅ奪函 Boog-it)
は1940年3月8日の録音。ヴォーカルがほとんどで以前取り上げた第77回に特に付け加えるコメントはない。

「チュー・ベリー/1937-40」レコード・ジャケット
〜Г1940年5月15日或いは18日の録音。
〜い離供Ε蹇璽鵝Ε▲譽鵐献磧次The lone arranger )かザ・ローン・アレンジャー(The lone arranger)は、この2つ録音についてはチューにとって重要な録音とも思えず第89回に付け加えることはない。

ゥ肇廛掘次Ε拭璽凜ー(ハード・タイムス)”Topsy turvy(Hard times)
先述したがこの曲には“Hard times”という副題がついている。このソロが誰かレコードに記載はないが、ディズが吹いていて当時評判だったという曲と思われる。確かにこの曲は他に比べると歌部分が短くソロが少しだけ長い。吹いているのはディズとチュウーか?どちらかと言えばチューの方が吹けている感じがする。
この曲もアレンジはとてもモダンな編曲で斬新だった39年11月20日録音の”Pluckin' the bass ”と同じエドガー・バトルである。そこでもソロはディズとチューと思われるのでここでもその可能性は高い。
一つ苦言を、この曲は日本再発CDにも収録されている。解説の原田和典氏は名前の由来などに字数を費やし、内容にはあまり触れていない。直接チューのプレイはそれほど注目すべきものはないのかもわからないが、偉大なトランぺッター、ディジー・ガレスピーの評判のソロが聴けるトラックなのである。そのことも紹介した方がファンにも親切だし、CDも売れるのではないかと思う。
Ε魁璽螢鵐亜Εール・ブルース(Calling all blues)とД奸璽此ΕぅД奸璽妊?(Who’s Yehoodi ?)に関しては特にГ魯凜ーカル中心で第83回に付け加えることはない。

─銑は1940年6月27日の録音。 ┘ム・オン・ウィズ・ザ・カム・オン (Come on with the “Come on”)
ディズの第77回で取り上げたないように特に付け加えることはなし。

〜ア・ゴースト・オブ・ア・チャンス {(I don’t stand)a ghost of a chance (with you)}
これはチューの得意のナンバーで代表的名演として有名なもの。歌はなく全篇チューのテナーがフューチャーされる。は「チュー・ベリー/1937-40」収録。「チュー」の別ヴァージョン。ちょっと珍しいかもしれない。
細かいことだが、”Chu ”では、タイトルが”A ghost of a chance ”と”A "が付いていて(WC 3163-1)というナンバーが付いているのに対して、本アルバムでは、”A "が付いておらず(WC 3163-B)というナンバーが付されている。ほとんど全篇チューのソロだが、若干ソロが異なっているので、同一録音の別ヴァージョン。
「チュー・ベリー/チュー」レコード・ジャケット 日本再発CD解説の原田和典氏には苦言を呈したい。氏はCDの解説でこの曲にも全く触れていない。氏はこの後に紹介する「チュー・ベリー・ジャム」、「ロンサム・ナイツ」を圧巻とするのである。氏がそう聴いたのならそう書くことに何の問題もないと思うが、以前から名演の誉れ高いこの演奏について、「かつて非常に高く高く評価された演奏である」くらいの紹介はすべきではないかと思う。
バイ・バイ・ブルース (Bye bye blues)
第83回ディズ入門第4回で取り上げており、特に付け加えることはない。

〜は1940年8月5日の録音。
サンセット (Sunset)
パパズ・イン・ベッド・ウィズ・ヒズ・ブリッチェズ・オン (Papa's in bed with his britches on)
に短いテナー・ソロが入るが、これもディズで取り上げた第83回に加えることはなく、についてもほとんどヴォーカル・ナンバーである。

〜韻1940年8月28日の録音。マリオ・バウザが加わった最後の録音である。
キューピッズ・ナイトメア (Cupid’s nightmare)
第83回でも書いたが、キャロウェイ時代でディズのソロが有名なナンバー。ドン・レッドマンのアレンジというのも注目される。

ホット・エア (Hot air)
これも第83回に加えることは特にない。

哀蹈鵐汽燹Ε淵ぅ帖 Lonesome nights)は、「チュー・ベリー/チュー」に収録されておりOKヴァージョンで、「チュー・ベリー/1937-40」収録の韻別ヴァージョン。
これも全篇チューのテナーがフューチャーされ名演に数えられたもの。サックスを中心としたアンサンブルも素晴らしい。アレンジはベニー・カーターで日本再発CD解説の前出原田氏も「バラードの傑作」と評価している。


次回の録音は前回から約2週間後の9月10日になるが、ここでメンバーの交替がある。トランペットのマリオ・バウザが抜け、ジョナ・ジョーンズに替わっている。ジョナは20年代末から活躍をしている実績あるTpプレイヤーであり、この入団は疑問には思わないが、抜けるバウザも実力者である。バウザはこの後ラテンのジャズに持ち込んだ人物として影響力を発揮することになるが、このキャロウェイのバンドでは自分の持ち味であるラテン・フレーヴァ―を発揮できないと考えたのであろうか?
念のためにメンバーを記しておこう。 「キャブ・キャロウェイ/ペンギン・スウイング」CD

< Personnel>…Cab Calloway and his orchestra

Band leader & Vocalキャブ・キャロウェイCab Calloway
Trumpetジョナ・ジョーンズMario Bauzaディジー・ガレスピーDizzy Gillespieラマー・ライトLammar Wright
Tromboneタイリー・グレンTyree Glennクエンティン・ジャクソンQuentin Jacksonケグ・ジョンソンKeg Johnson
Alto sax & Clarinetヒルトン・ジェファーソンHilton Jeffersonアンドリュー・ブラウンAndrew Brown
Tenor saxチュー・ベリーChu Berryウォルター・トーマスWalter Thomas
Clarinet ,Alto sax & Baritone saxジェリー・ブレイクJerry Blake
Guitarダニー・バーカーDanny BarkerPiano…ベニー・ペインBenny Paine
Bassミルト・ヒントンMilt HintonDrums…コージー・コールCozy Cole

殴札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ (Says who ? says you , says I)
1940年9月10日の録音でキャブの歌物。

さて、レコードの表記では1941年9月10日となっているので上記の一覧表では<24>(21以降は丸文字が無いのでこう表現します)としたブルース・イン・ザ・ナイト (Blues in the night)についてである。
「キャブ・キャロウェイ/ブーグ・イット」A面6曲目に押屮札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ」が1940年9月10日録音と記されているが、その前の5曲目に「ブルース・イン・ザ・ナイト」という曲が収録され、突然1941年9月10日録音と1年違いの日付が記載されている。確証はないが、「ブルース・イン・ザ・ナイト」の記載が1940年9月10日の誤りか或いは押屮札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ」の記載が1941年9月10日録音の誤りなのかもしれない。どちらかと言えば押屮札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ」が1941年9月10日録音なのではないだろうか?その理由は
「1」このアルバムはA面1曲目からB面7曲目に向かって年代順に並べられていること…ここにだけ1年後の録音を挟む理由がない。もし押屮札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ」が1941年9月10日録音だとしても順番に狂いはない。
「2」両曲は同じパーソネルであること。
「3」両曲ともバスター・ハーディングがアレンジを担当していること。バスター・ハーディングがアレンジを担当しているのは今回取り上げている3枚のレコード、1枚のCDでこの2曲だけであること。
「4」翌1941年3月5日録音に「ジョナ・ジョインズ・ザ・キャブ」という曲がある。これは「ジョナ(・ジョーンズ)がキャブのバンドに入ったよ」という挨拶、紹介のナンバーであろう。もしそうであれば押屮札ぅ此Ε奸次セイズ・ユー、セイズ・アイ」にはジョナの名がクレジットされており、1940年9月10日にジョナの初レコーディングは済んでいることになる。入団半年後に入団挨拶曲を録音するだろうか?タイミングが遅いような気がする。 である。
しかしもし本当に1941年9月10日録音であるならば僕の所有する中では、チューの最も最後の録音であるので簡単には決められない。とはいうもののどちらもB-8セイズ・フー?セイズ・ユー、セイズ・アイ (Says who ? says you , says I)B-7ブルース・イン・ザ・ナイト (Blues in the night)どちらもキャブの歌物なので重要な作品とは言えないと思うので先に行こう。

<19>〜<22>は翌1941年3月5日の録音。
<19>へプ・キャッツ・ラヴ・ソング (Hep cats love song)
<20>ジョナ・ジョインズ・ザ・キャブ (Jonah joins the Cab)
<21>ギーチー・ジョー (Geechie Joe)
<22>スペシャル・デリヴァリー (Special delivery)
<19>、<20>、<21>はキャブの歌物であり、チューのソロはない。<22>のテナー・ソロはチューであろう。スムースに流れるようなソロである。

<23>A列車で行こう (Take the “A” train)
言わずと知れたストレイホーン作エリントン楽団のオープニング曲。ジョナのTpソロの後でチューの短いソロを聞くことができる。

3回シリーズで僕の持っているチュー・ベリーの1936年以降のレコード、CDを取り上げてみた。「チュー」日本再発CD(考えてみればこれが唯一の国内盤)のライナー・ノートで原田和典氏は2007年に”Classic Chu Berry Columbia and Victor sessions”という7枚組のCDが多分アメリカで発表され、世界のチュー・ベリー研究も一段落した感がるという。僕は今のところこのCDセットを見たことが無いが、今のところ積極的に探し回る気持ちにはなっていない。国内のショップで適度な値段で販売していたら購入するという感じである。

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第93回2015年4月5日

マイルス・ディヴィス 入門その9 1946年その5
「レア・マイルス」CD3枚組

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


僕も一応区切りとして4月を拙ホームページの新年度スタートと位置付けています。つまり今回が2015年度第1回目となります。拙ホームページはスタートが2013年5月1日、3年目を迎えます。何とかがんばって1年50回のアップ、年度末には100回を目指していましたが、昨年ほぼ1か月間手に付かなかった時期もあり、2014年度100回まで到達することができませんでした。まぁ、のたりのたりの<のたり庵>の運営するサイトですので、ノンビリ行きましょう。本年度目標は145回に到達としましょう。


さて、僕が住む辺りは桜が満開です。今日5日日曜日は朝から小雨がパラつく肌寒い1日でした。昨日が桜の花見の最後のタイミングでしょう。テニス・コートが2時間しか取れなかったので、終わった後みんなでお花見をしました。

桜のアップ 昨日も外は肌寒く1時間半くらい桜の木の下でシートを敷き宴会を催しましたが、余りに寒くて近くに住んでいる方のお宅に移動して、宴会継続です。















年金請求必要書類 僕は3月生まれで先月61歳となりました。「ねんきん定期便」を見て61歳の誕生日が過ぎたら請求の手続きをしなければならないと思っていました。請求書の用紙も届いていました。そこでたまたま3月20日(金曜日)会社が休みだったので絶好のタイミングと用紙に記入し、送られてきた手引きにしたがい必要書類を準備して地域の年金事務所に向かいました。
そこで分かったことは、61歳の誕生日が過ぎたら手続きができるということで、過ぎたからといってすぐにする必要はないということです。ただ5年間請求を行わないと時効が成立し、請求できなくなるということのようです。のたりのたりとしている割には慌て者であります。
そして添付書類に2つほど漏れがあったため、書類を揃え翌週半日休暇を取り手続きを完了しました。上で書いたように直ぐでなくても良いのですが、住民票、戸籍謄本は発行して6か月以内のものでなくてはならず別の機会にすると怠惰な僕はドンドン後回しにしそうなので、一挙にケリをつけることにしました。
年金事務所の方は丁寧にやさしく教えてくれるので助かりました。そこで聞いたのですが、年金機構から送られてくる請求書の説明は分かり難く1回で必要生類を揃えて来られる方は極めて少ないそうです。僕だけじゃないんだと少し安心しました。必要書類のリストです、ご参考まで。









「ジャズの巨人」創刊新聞広告 3月31日マイルス・ディヴィスの写真が大きく新聞に出ていたのでビックリしました。今度は小学館からジャズのCD付定期刊行物が創刊されるようです。以前にも拙HPでブルーノートかどこかのCD付ブックが出ることを取り上げたような気がしますが、よく出るなぁという感じです。
こういうものは入門者向きに発行されると思いますが、売れているのでしょうか?ジャズが盛んだから出るのでしょうか?どうもそうではないような気がします。では出版の意図は「日本でジャズを盛んにしよう」ということでしょうか?よく分かりません。

でもこの手の出版物の第1回は必ずといっていいほど「マイルス・ディヴィス」ですよね、帝王マイルスはやはり「ジャズの顔」なのでしょう。














さて、今回実に久しぶりのマイルス・ディヴィス入門です。

第93回 Miles Davis "Rare Miles"

Miles Davis“ Rare Miles” FURTHER ALONG FAP-001/002/003
「レア・マイルス」CDセット 実はマイルス・ディヴィスの軌跡を追いたいというのが僕のHPの大きな目的の一つである。そう思いながらマイルスを取り上げるのは何と昨年7月以来のことになってしまった。前回(第61回2014年7月27日)から大分期間が空いてしまいました。マイルス・ディヴィス入門その9です。

< Contents >

1ジャスト・ユー・ジャスト・ミー(Just you , just me)7分59秒
2ドント・ブレイム・ミー(Don’t blame me)8分58秒
3スィート・ジョージア・ブラウン(Sweat Georgia Brown)7分30秒

< Personnel>…Benny Carter Orchestra

Band leader & Alto saxベニー・カーターBenny Carter
Trumpetマイルス・ディヴィスMiles Davisハワード・マギーHoward McGhee
Tromboneアル・グレイAl Greyブリット・ウッドマンBritt Woodman
Tenor saxヒューバート・“バンプス”・マイヤーズHubert“Bumps”Myers
Guitarジェイムス・キャナディJames Cannady
Pianoソニー・ホワイトSonny White
Bassトーマス・モールトリーThomas Moultrie
Drumsパーシー・ブライスPercy Brice
1946年3月31日 ロス・アンゼルス パリ・ストリート にてラジオ用録音
訳が間違っているかもしれないので原文は
Street of Paris Los Angeles unknown radio broadcast

前回は1946年ベニー・カーターのバンドに参加してロサンゼルスに行っていた時に、現地で親しくなったチャールス・ミンガスとのレコーディングをとりあげたものだった。今回ご紹介するのはそのロサンゼルス滞在時にベニー・カーターのバンドでの演奏である。
“Rare Miles”というCDに収録されている。このCDは多分海賊盤だろうが、中々鋭いところを抑えている。このCDは故中山康樹氏の「マイルスを聴け!」にも載っていない。僕ももちろん知らなかったのだが、しばらく前にヤフオクで確か500円という金額が提示されており、誰とも競り合わず無競争で手に入れた。みんな胡散臭いCDと思ったのだろう。実は僕自身もまだその疑いはぬぐい切れていないのだが、疑い出したら何事も怪しいのでここは素直に信じよう。大体メジャーのレコード会社の発売するCDにだって誤りはあるではないか。といってもこのCDには曲名、パーソネル、録音日しか記載されていない。パーソネルなどは後で記載するとして今回取り上げる3曲は1946年3月31日ラジオ放送の録音という。
僕は前回の音源を収録した“Charles Mingus / The young rebel”は非常にアバウトで46年か47年の3月か8月と記載されていた。今回よりも後の録音の可能性が高い。なぜ前後してしまったかというとディスコグラフィーである。僕がディスコグラフィーを読み間違えたというか、早合点してしまったのだ。
ディスコグラフィーにはBaron Mingus presents his symphonic airs(前回)の後にBenny Carter And His Orchestraの1946年5月か6月の録音として次の3曲の記載が載っている。

< Contents >

1ジャスト・ユー・ジャスト・ミー(Just you , just me)
2ジャンプ・コール(Jump call)
3アンタイトルド・オリジナル(Untitled original)

< Personnel>…Benny Carter And his Orchestra

 
ベニー・カーターBand leader & Alto sax
マイルス・ディヴィスMiles Davistrumpet
アル・グレイAl Greytrombone
キャンディー・ロスCandy Rosstrombone
ヒューバート・“バンプス”・マイヤーズHubert "Bumps" Meyerstenor saxophone
ライル・パーカーLyle ParkerTenor saxophone
ジミー・キャナディJimmy Cannady
ソニー・ホワイトSonny WhitePiano
トーマス・モールトリーThomas MoultrieBass
パーシー・ブライスPercy BriceDrums
Spotlite (E) SPJ 147 Various Artists - Jazz Off The Air, Vol. 3
これと勘違いしてしまったのである。
この“Rare Miles”収録と同じ3曲ということ、そのうち1曲が「ジャスト・ユー・ジャスト・ミー」ということもあったのだろう。もちろん同じ録音かもしれないが、パーソネルが違うし、ディスコグラフィーにはラジオ録音とは書いていない。ディスコグラフィー記載のSpotlite盤は持っていないので、確かめようがないのだが。でももし別物としたらディスコグラフィーの漏れということにはなる。

「レア・マイルス」3枚組CD 少し空いてしまったので、マイルスのロサンゼルス時代について簡単におさらいしよう。
マイルスがベニーのバンドと共にロサンゼルスに着くと、すぐにオーフューム劇場の仕事が待っていた。しかしそれが終わると次の仕事までバンドはいったん解散した。ベニーはマイルス、トロンボーンのアル・グレイと他何人か(マイルスは確かバンプス・メイヤーズというやつもいたような気がするという)でバンドを作った。ロサンゼルス周辺の小さなクラブに出て、ラジオ放送もした。
しかし、マイルスはそのバンドでやっている音楽が好きになれなかった。ベニーはよい奴で彼の演奏は気に入っていたというが、他のメンバーのレベルが低すぎたのと古臭い曲と古臭いアレンジばかりだったからだという。
マイルスは、ロサンゼルスでベニーのところに世話になっていたから勝手に辞めるのは気が引けた。マイルスがベニーのところに下宿するのはマイルスの母親がロサンゼルス行きを認める条件だったから仕方なかったのだ。
春になりマイルスは本気でベニー・カーター楽団を辞めるうまい方法はないかと考え始めた。そしてラッキー・トンプソンに愚痴をこぼしたという。そしたらラッキーは辞めてこっちでやれというが、ここは若干不思議だ。というのはラッキーもベニーのバンドのこの録音に参加しているからである。ラッキーはもしかするとバンドのメンバーではなく録音だけの参加なのかもしれない。
因みにラッキーはマイルスとはニューヨークで既に出会っており、マイルスは素晴らしいサックス吹きだと語っている。ラッキーはもともとロサンゼルス出身でこっちに戻って来ていた。ニューヨークでは何度か泊めてやったこともあるが今度はマイルスが泊めてもらうことになったという。
しかしマイルスの退団は意外に突然にやってきた。ベニーは「金が要るのか?」と訊いてきたという。それはマイルスが不満を持っていることを誰からか聞いたのだろう。マイルスは「要らないよ。辞めたいだけなんだ」と本音を答えてしまったという。カリフォルニアまで連れてきてくれて、頼りにしてもらっていることを思うと彼を傷つけたみたいで気分が重かった。こんなふうにバンドを辞めたのは初めてだったという。週145ドルくらい稼いでいたが、それでもベニーのバンドで演奏するのは苦しかったという。
ベニーのバンドを辞めてしまうと途端に金が無くなってしまったという。それはそうだろう。それでラッキーのところに転がり込んで、それからハワード・マギーと住み始めた。1946年初めの頃で、妻のアイリーンは二人目の子供を身ごもってセントルイスに帰っていた。マイルスは家族を食わせるために稼ぐことを真剣に考えなければならなかった。
直接関係ないが興味深い話がマイルス自叙伝に載っている。「だれもが知っているように、ベニーは素晴らしいミュージシャンだが、あの頃は自分自身に自信が無くて、よく『バードみたいに聞こえるか?』って聞いたりしてきた。で、俺が『いや、ベニー・カーターみたいだ』と答えると、にっこり笑うんだ」あのベニー・カーターでさえ自分に自信が無くなった時期があるんだなぁと感慨深い。
ともかくハワード・マギーとはすぐに仲良くなった。マギーはマイルスのトランペットと音楽理論の知識を習いたがったという。これも余談だが、その頃マギーはまるで映画スターみたいにきれいなドロシーという白人女と住んでいたという。彼女のおかげでマギーはいつも新車に乗り、きれいな服を着て、金回りも良かったという。

そして1946年3月28日ロス・ラッセルが設立した「ダイアル・レコード」にバードと歴史的吹込みに参加することになる。これが大雑把なマイルスのロス時代1946年3月までの概況である。
いつマイルスがベニーの楽団を辞めたのか具体的な月日『自叙伝』、『マイルス・デイヴィスの生涯』にも明記されていない。しかし印象としてはベニーの楽団を辞めてから3月28日のバードとの録音に参加したように読める。しかしCDに記載されている録音日は3月31日である。そうだとしたらバードとの録音の3日後である。本当にそうなのだろうか?
普通に考えれば、CD収録の3曲及び所有していないがディスコグラフィー記載のSpotliteはロスについて間もないころの「次の仕事までバンドはいったん解散し、マイルス、トロンボーンのアル・グレイと他何人か(マイルスは確かバンプス・メイヤーズというやつもいたような気がするという)でバンドを作った。ロサンゼルス周辺の小さなクラブに出て、ラジオ放送もした」時のものではないかという気がする。いずれにしても僕に決定する材料はないので保留として曲を聴いていくことにしよう。片面3分のSP盤の時代に10分近い演奏時間はとても貴重。音質は悪いが内容は充実している。
聴いてみて全体的に感じることはマイルスの言うほどレベルの低い連中ではないと思う。聴き応え十分の演奏である。全く名前が知られていないがTsのマイヤーズはホーキンス派と思われる男性的で素晴らしいソロを取るし、Gtのキャナディーもクールで生かした単音でのソロを聞かせるし、ベースもカッコいいウォーキングをビシビシ弾いている。
CD-1.ジャスト・ユー・ジャスト・ミー(Just you , just me)
ジェシー・グリアー作曲レイモンド・クラッグス作詞で映画「マリアンヌ」の挿入歌という。ジャズのスタンダードとしてレッド・ノーヴォ、オスカー・ピーターソン、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンスなどが知られる。CD英文ライナー・ノートには7分59秒とあるが再生すると8分20秒ある。記載ミスか僕のCDプレイヤーが故障しているのか?
アルト・サックスがリードするアンサンブルで始まる。MCが入るのでソロは解りやすい。まず最初はソロはヒューバート・“バンプス”・マイヤーズのTs、マイルス、Gtのジェイムス、Asと続くが途中で切れる。そしてTbのソロがフェイド・インで再び始まるがこれが誰かよく聞き取れない。そして2拍子っぽいソニー・ホワイトのPソロがありコレクティヴ・インプロヴィゼイション的なアンサンブルのテーマに移る。

CD-2.ドント・ブレイム・ミー(Don’t blame me)
「”Don’t blame me”in B♭」というMCが入り笑い声でスタートする。MCがわざと知ったかぶりをし「in B♭」と言って見せて笑いを取ったという感じ。CD英文ライナー・ノートには8分58秒と記載されているが再生すると9分15秒ある。
スロー・ナンバーでカーターの流麗なアルトで始まる。途中で切れるがTb、P、Ts、Tp、As、Gtとソロが続く。
Tbはちょっとたどたどしいところはあるがアイディアに満ちたソロ、Pも緩急を交えた素晴らしいソロを展開する。Tsもよく歌っており実力が高いことがうかがわれる。続くTpは僕はマイルスではないかと思うがちょっと不安定で吹き切れていない感じだ。続くソロはカーターのAsと思うが、さすがにエモーショナルで聴き応えがある。続くGtも間を活かしたリリカルなプレイだ。

CD-3.スィート・ジョージア・ブラウン(Sweat Georgia Brown)
これも有名なスタンダード・ナンバー、ミディアム・アップテンポで演奏される。この曲はライナー記載が7分30秒だが再生では7分20秒で切れる。Pのイントロに続きTpが主旋が吹くテーマがあり、As、Tb、Ts、Bと続くがBソロの途中がカットされ短いGtソロ、続いてTpソロに入るがこれはハワード・マギーではないだろうか?Tpソロ途中からMCが入り放送(演奏)は終わる。
Ts、Tpのソロのバック時は「Come on , come on」のかけ声がかかり大いに盛り上がる。

ラジオ放送用なので途中で切れるところが多いが演奏自体は決して悪くないと思うのだが…。あるいはこれはマイルスの嫌ったベニー・カーター・オーケストラ本来のメンバーによる演奏ではなくピックアップ・メンバーなのかもしれない。ただ僕などは時代的にベニー・カーター本来の素晴らしさというのをまだ味わっていないのである。色々勉強しなければならないことはたくさんある。

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第94回2015年4月12日

ビル・エヴァンス 入門その2 「ヴェリー・アーリー・ヴォリューム1」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。


先週は寒い日が続き、僕の住む辺りでも4月8日の水曜日には霙が降りました。今年の4月は今までのところ日照時間が短い記録更新中だそうです。水曜、木曜、金曜と雨で土曜日も昼ごろまで雨が降り楽しみにしていたテニスはお預けです。


今日日曜日は一転して晴れ、暖かい1日となりました。ちょっと山間に行けばまだ桜も咲いているのではないかとドライヴに行きました。ついつい山中湖まで足を延ばしたのですが、車を降りてもコートは要らないくらいの暖かさ、たくさんの人たちがカメラを向けていました。とはいっても周辺の木々はまだまだ芽吹いてなくところどころ雪が残っています。やはり寒いんですねぇ。



紅と白が混じった花が咲く木 山中湖から帰る途中に見かけた紅と白の花が混じって咲く木です。ドライヴの途中何本か見かけました。何の木でしょうか?梅ではよく聞きますが、もう梅の季節は過ぎているはずです。桜の種類なのかな?













咲き始めたパンジー これもドライヴ中に見かけた風景。この辺りはちょっと高地なので、桜は咲き始めましたが山の木々はまだまだ芽吹いていません。

以前一緒にバンドをやったこともある友人が拙ホームページを見てくれたらしく、先日「のたり庵」ってなに?と訊かれました。第1回に書いたのですが、自分でも余りいいペット・ネームとは思っていないので説明するのはちょっと恥ずかしいものがあります。
かいつまんで書くと、HPを解説したのは2013年5月1日ですが、着手したのは前年の12月なかなか進まなかったのですが、何とか目途が着き来週か再来週には解説できそうになったある日、手引書に「ペット・ネームを付けるべし」とあるのを見つけました。確かに本名を名乗るつもりはなかったので「なるほど!」と思い考えたのですが、これまたなかなか良いのが思いつきません。そしてやっと思いついたのが「のたり庵」というものです。
第1回には、僕は春、春風が好きで、与謝蕪村の句をもじり「春風や吹いてひねもすのたり哉」、そんな風に過ごしていきたいなぁということで「のたり庵」としたと書きました。それはその通りですが、もう一つ事情があります。
半年前からホームページに取り組んでいるんだけど<のたりのたり>と進まないなぁ、<脳が足りない>のかな?そういえば最近余り聞かないけど昔<ノータリン>という悪口があったなぁ、これをフランス語っぽく言うと「ノターリアン」(タにアクセント)かなぁ(そんなことはない)、着手したのは冬の初めだったけど、今は春だなぁ(3・4月が特に煮詰まっていた)、春になってしまったなぁ、<のたり>の季節だなぁと云った辺りでペットネームとしました。
分かったような分からん話ですいません。

ということで、今回実に久しぶりのビル・エヴァンス入門です。

第94回 Bill Evans "Very early  volume1"


「ビル・エヴァンス/ヴェリー・アーリー」CDジャケット CD…E3 Records これはどういうCDか?ズバリかのビル・エヴァンスの素人時代というかデビュー前というか14歳から20歳までの録音を集めたものである。集めて編集したのは誰かというと息子のエヴァン・エヴァンスである。
例えばビル・エヴァンスの研究者、マニアにとっては必須の貴重な音源ということになろう。ところが正直言うと僕はあまりこの手のものは好まないのである。どうしてかというと堅いことを言うようだが、「買ってどうする?」と思ってしまう。1度か2度聴いてお蔵入りがせいぜいである。絶対に愛聴盤にはならない。僕にはビル・エヴァンスの好きなアルバムというのが何枚かある、それを越えるということはありえないのである。
では、なぜ買ったか?まずこのCDの存在は知っていた。故中山康樹氏の「新・エヴェンスを聴け!」という本を買って読んでいたからである。でもこのCDに関しては全く探す気もなかったし、実際に探しはしなかった。ところがある時、大体週1回程度は近くのディスク・ユニオンに会社帰りに寄っているのだが、その時セールのジャズCDがまとめて置いてある中に見つけてしまったのだ。買うかどうか正直迷った。でも結局購入したのは安かったからである。と言っても本来幾らぐらいで売られているのかは知らないのだが、割と新品に近くて1,000円代前半だったと思う。「結局、安けりゃ買うのか?」というポリシーの無さを暴露するようなエピソードなのだが。
特に入手に情熱は持っていないが、“Fingers”と呼ばれた天才少年のプレイを聴いてみたいという気持ちもあったので、まぁ1,000円ならいいかと思ってしまったのである。
しかし考えてみるとこういうデビュー前の未発表音源が発掘され発売されるというのはとても珍しいことではないかと思う。最も古い録音は1943年ということは1929年8月16年生まれのビルは13歳ということになる。日本で言えば中学1年とか3年と云った辺りだろう。その辺りの録音ということは日本で言えば、中学校の学芸会、或いはピアノ教室の発表会ということになるのだが、アメリカの場合、ビル・エヴァンスの場合はどうだったのだろう。ともかくプロの、それも一流の、一派を成した(本人にそういう自覚があるかないかは別といて)人間の中学時代の発表会が公になるということはまずないのではないか?ではどうしてそういうことが可能となったかと言えば、偏にこのCDの編集・発行人ビルの息子エヴァンの意志ということになるが、どうしてエヴァンはこの辺りの習作を発表する気になったのだろう。それはエヴァンに聴いてみるしかないのだが…。

< Contents & Personnel >

ビル・エヴァンスBill EvansPiano
1.ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト (The way you look tonight) 録音日不明
 ジョージ・バッシュ(George Bache)…Tenor sax、コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass、フランク・フルッフィー・ローベル(Frank “Fluffy “ Wrobel)…Drums

2.シー・ジャム・ブルース(C-Jam blues) 1943年録音
 ジョージ・バッシュ(George Bache)…Tenor sax、コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass、フランク・フルッフィー・ローベル(Frank“Fluffy“ Wrobel)…Drums

3.ザ・マン・アイ・ラヴ(The man I love) 1943年録音
 ジョージ・バッシュ(George Bache)…Tenor sax、ウォルト・ケイ・カワイスキ(Walt"Kaye" Kawaiski)…Bass、フランク・フルッフィー・ローベル(Frank“Fluffy“ Wrobel)…Drums

4.レディース・アンド・ジェントルマン(Ladies and gentleman) 1943年5月18日録音
 アルビィー・ディールマン(Alby Dielman)…Tenor sax、ウォルト・ケイ・カワイスキ(Walt"Kaye" Kawaiski)…Bass、ジョージ・バッシュ(George Bache)…Drums

5.インプロヴァィジング(Improvising)1943年5月18日録音
 ジョージ・バッシュ(George Bache)…Tenor sax、ウォルト・ケイ・カワイスキ(Walt"Kaye" Kawaiski)…Bass、アルビィー・ディールマン(Alby Dielman)…Drums

6.エムブレイスブル・ユー(Embraceble you) 1946年録音
 ドゥッティー・ドゥリュース(Dottie Drews)…Vocal

7.ボディー・アンド・ソウル(Body and soul) 1947年録音
 コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass

8.ザ・ベスト・マン(The best man)1947年録音 
 コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass、フランク・フルッフィー・ローベル(Frank“Fluffy“ Wrobel)…Drums

9.アイ・メイ・ビー・ロング(I may be wrong) 1947年8月25日録音
 ラス・ロカンドロ(Russ Locandro)…Clarinet、コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass

10.アラモ(Alamo)1947年8月25日録音
 ラス・ロカンドロ(Russ Locandro)…Clarinet、コニー・アトキンソン(Connie Atkinson)…Bass

11.イッツ・ラヴ・イッツ・クリスマス(It’s love , it’s christmas) 1949年4月録音
 アート・ハモンド(Art Hammond)…Vocal

12.ボディー・アンド・スモーク・メドレー(Body and soul & Smoke gets in your eyes) 1949年4月録音

13.トッカータ (Toccata Khatchaturian) 1949年4月録音

14.ムーンライト・メドレー(Moonlight Medley: I love you , Moonlight in Vermont , No name , Laura) 1949年4月録音

ビル・エヴァンス 1946年 15.ジャスト・ユー・ジャスト・ミー(Just you , just me) 1949年4月録音

1944年第二次世界大戦が終結する前年の冬、エヴァンスはコニー・アトキンソン・シニアなる人物が率いるダンス・バンドの臨時メンバーとなった。時にエヴァンス15歳のことである。バンドのレギュラー・メンバーの大半が兵役に就いていたためである。
このバンドには、アトキンソンの息子コニー・アトキンソン・ジュニアがベーシストとして参加していた。その他のメンバーは17歳になったばかりのテナー・サックス奏者ジョージ・バシェ、戦傷を負って戦地から帰ってきたばかりのドラマー、フランク・ロベル(24歳)などがいた。ロベルはジュリアード音楽院で打楽器を学んだことのある本格派として一目置かれていた。リーダーのアトキンソン・シニアはギターを弾き、息子のジュニアはベースのみならずトロンボーンやチューバまでこなす多彩な才能の持ち主だったという。
このアトキンソンのバンドでの仕事が終わるころ、ビルとコニーは友人となり、互いの家に通ってはジャム・セッションに興じるようになった。2人が演奏していたのはスタンダード・ナンバーやビバップだった。
その後2人はダンス・バンドのレギュラー・メンバーに昇格し、翌1945年の夏には、学校の休みを利用してペンシルヴァニア州ミルフォードのキャンプ地で演奏する。その間も2人のジャム・セッションは続き、やがてジョージ・バシェとフランクロベルが加わり、ここにカルテットの結成となる。このカルテットによる演奏が1曲目の「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」である。
CD-1. ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト (The way you look tonight)
スタンダード・ナンバーである。評論家の故中山康樹氏はその著「新・エヴァンスを聴け!」において、「この1曲目から激しく感動する。地元のラジオ番組に出演した時の演奏なのだろう、司会者が“ウィリー・フィンガーズ・エヴァンス”と紹介している。録音順からいけば3曲目か4曲目あたりに収録されるのが順当だが、息子で編集を行ったエヴァンは解説で、司会者が“フィンガーズ”と紹介していることを重視あえて1曲目においたとしている。見識というべきだろう」と述べている。
英語力の無い僕は何度聴いてもどこに“ウィリー・フィンガーズ・エヴァンス”という紹介があるのかわからないでいるのだが。

CD-2. Cジャム・ブルース (C-Jam blues)
CD-3. ザ・マン・アイ・ラヴ (The man I love)
ということで、2曲目の「Cジャム・ブルース」と「ザ・マン・アイ・ラヴ」が現存するエヴァンス最古の録音ということになるという。1943年、エヴァンスは何と14歳である。中山氏の言うとおり「Cジャム・ブルース」をブギ・ウギ・スタイルで弾くエヴァンスが若々しく初々しい。最初に全員の「メリー・クリスマス、ハリー!Cジャムだよ。モダン・ジャズでいくよ!」というメッセージが入っているという。これは戦地に行っている兄のハリーへのプレゼントとして送るために、2年後にオーヴァー・ダビングしたものという。
「Cジャム・ブルース」は著名なエリントン・ナンバーであり、「ザ・マン・アイ・ラヴ」も定番のスタンダード・ナンバー。
中山氏は最も成熟しているのは、テナー・サックスのジョージ・バシェで、レスター・ヤングのコピーだがそれにしても音色が大人びていると書いている。
確かにこの録音時1943年にはバシェはまだ16歳のはずで(エヴァンスは13歳か14歳)確かに年齢にふさわしくない大人びた音で大人っぽいフレーズを吹いている。

CD-4.レディース・アンド・ジェントルマン“Ladies and gentleman”
CD-5.インプロヴァィジング “Improvising”
この2曲も「トゥー・ハリー・フロム・ファミリー(To Harry from family)」とあり、戦地にいるハリ―に送ったレコードで、SideA、Bとついているのは、A面、B面ということだろう。CD-1、2、3、5で達者なテナー・サックスを聴かせるバシェがCD-4ではドラムに廻っている。CD-4でテナーを吹いているアルビィー・ディールマンはCD-5ではドラムに廻る。いかにも仲間内による録音という感じで微笑ましい。
テナーとドラムスのアルビィー・ディールマンとベースのベースのウォルト・ケイ・カワイスキについて詳しいことは「エヴァンスを聴け」にも「いくつかの事情」にも紹介がない。
CD-4 “Ladies and gentleman”ではまたもやブギ・ウギっぽいピアノを弾いている。CDの解説でエヴァンは、このトラックを取り入れたのはドラム・ソロの時父ビルが笑い出す声が聞こえるからだと書いている。

  CD-6.エムブレイスブル・ユー (Embraceble you)
中山氏は、エヴァンスのキャリアの中で歌手との共演が多いことも注目されるとする。その先駆けが、この1946年ドゥッティ・ドリュースという女性歌手とプライヴェートに行ったデモ・テープ録音。しかもドリュースとは録音だけではなく、クラブやダンス・パーティーなどでも共演を重ねていた。因みにドリュースはプレインフィールド周辺で活動していた歌手であり、エヴァンスは彼女の歌唱スタイルを気に入っていたという。この時エヴァンス17歳であるがドリュース何歳くらいだったのであろうか。彼女の歌も大分びて聴こえるのだが。

エヴァンス−ピアノ、アトキンソン−ベース、ロベル−ドラムス 1947年 CD-7.ボディー・アンド・ソウル (Body and soul)
CD-8.ザ・ベスト・マン (The best man)
スタンダード・ナンバー「ボディー・アンド・ソウル」はベースとのデュエットで、アトキンソンのソロも聞こえる。「ザ・ベスト・マン」は僕は全く知らない曲でトリオによる演奏。アトキンソン、ロベルのソロも入る。この3人はよくジャムっていたという。

CD-9.アイ・メイ・ビー・ロング (I may be wrong)
CD-10.アラモ (Alamo)
この「ヴェリー・アーリー」には明らかにレコードという形に記録することを前提とした録音が収録されている。それがこの1947年8月25日に行われたセッションで、この2曲こそエヴァンスの初録音として認定されるべきものと思われると中山氏は言う。エヴァンス以外のメンバーはクラリネット奏者のラス・ロカンドロ、ベースのコニー・アトキンソン、録音はニュー・ジャージー州ポイント・プレザントにある[アイドル・アワー・カフェ]の開店前の店内を借り切り、エヴァンスとコニーが夏休みを利用してプレインフィールドに帰省している時に行われた。両面収録のレコードのレコードを想定したものだったという。CDの記載では『アイ・メイ・ビー・ロング』においてロカンドロはクラリネットと記載しているが、僕にはアルトかテナー・サックスに聞こえるのだが。
録音に際しては、ロカンドロの叔父が所有していたウェブスター社製の新しいワイヤー式録音機が使用され、A面に『アイ・メイ・ビー・ロング』、B面に『アラモ』が収録されたのか、あるいはアセテート盤をつく多だけで終わったかは不明であるが、これこそがエヴァンスの【初録音】であることは明らかであるという(中山氏)。

CD-11.イッツ・ラヴ・イッツ・クリスマス (It’s love , it’s christmas)
エヴァンスはドリュースとの録音から3年後の1949年4月、共演相手の歌手が歌う曲を書き、作詞まで手掛けた上で自主録音に取り組む。それがこの「イッツ・ラヴ、イッツ・クリスマス」。作詞作曲によるオリジナル曲を書いて臨んだという事実は、先のドゥッティ・ドリュースとの共演がスタンダード・ナンバーであったことを思えば、歌手との共演に対する関心がさらに深いものになっていたことを示唆している。なお、この「イッツ・ラヴ、イッツ・クリスマス」が、ビル・エヴァンスが初めて完成させたオリジナル曲とされる。因みにこのアート・ハモンドなる人物は後に俳優となり、『キスメット』などブロードウェイのショウに出演しているという。

CD-12.ボディー・アンド・スモーク・メドレー (Body and soul & Smoke gets in your eyes)
CD-13.トッカータ (Toccata Khatchaturian)
CD-14.ムーンライト・メドレー (Moonlight Medley: I love you , Moonlight in Vermont , No name , Laura)
CD-15.ジャスト・ユー・ジャスト・ミー (Just you , just me)
この4曲は1949年4月19歳の録音でピアノ・ソロ。多分カレッジがイースターの休暇の時ニュー・ジャージーのプレインフィールド家に帰郷していた時の録音という。
ハチャトリアンの「トッカータ」は僕にはクラシックの知識がないが(ジャズもないが)きっと難曲なのであろう。エヴァンによると父ビルのクラシックの録音は非常に少ないので、貴重な録音だという。
2つのメドレーと「ジャスト・ユー・ジャスト・ミー」におけるタッチと大胆なフレーズの斬り方は「なにかの始まり」を強烈に感じさせると中山氏はいう。

最初に書いたことだが、ジャズマンの、それも功成り名を遂げ一派を築いたアーティストの少年時代の録音というのは大変に珍しい、というか僕はこれしか知りません。そしてこのビル・エヴァンスこそは僕のお気に入りでナンチャッテ・コンプリートの対象アーティストでもあります。例えばある1か月をビル・エヴァンス月として30枚くらいを選び年代順に毎日1枚ずつ聴いていくなどということをするのも面白いかなと、今回久しぶりにこのアルバムを聴いて思いました。普通そんなことやってるだろって?失礼しました、僕は今回まで気づきませんでした。その際先ず最初には当然このアルバムから始めることになるのでしょう。

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第95回2015年4月19日

ミルドレッド・ベイリー入門その1
「オール・オブ・ミー」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

写真は昨日4月18日、新緑がとても美しい森の様子です。この時期が1年で最も美しいと思います。いつまでいても飽きません。
しばらく前、知り合いから<のたり庵>って何だ?という質問があり先週の回で改めてペットネームの大したことない由来を書きました。その知り合いからはもう一つ質問を受けているので今回はそれにお応えしたいと思います。尋ねられて、そういえばこのことに触れたことが無かったことに気づきました。
曰く「ジャズのサイトのトップの写真がどうして森なの?」
それは会社員としてのキャリアと関係があります。僕はもともと営業職で外回りが多かったのですが、8年くらい前に移動となり、仕事は営業なのですが親会社に駐在して受注・業務を進行させるような仕事になりました。ほとんど外回りをしなくなりました。
外回りの時は移動中に昼食をとることが多かったのですが、内勤となりほとんど外出が無くなるとそれはそれで昼食をどうするかということが問題となります。そして昼休みは親会社に合わせることが求められます。メーカーの親会社は東京のど真ん中にあり、そして昼休みが45分と短いのです。
初めのうちは会社の外のお店に食べに出ていたのですが、昼食時は大変に混み合い入れるお店を見つけるのが大変で、食べ切る前に昼休みが終わるようなことも何度もありました。これはマズイということで会社でまとめて取っている給食に切り替えのですが、これは味が不味い。でも安いし確実に食べられるので現在も続けています。



終わりかけの枝垂れ桜 話が長くなりましたが、僕を含めて周りには、たぶん僕と同じ理由で給食を食べている人が多いのですが、皆一様に自分の机のPCで思い思いのサイトを見ながら食べています。僕は最近はジャズ関連のサイトを見ることが多いのですが、初めのころはそのことに気付かず他のサイトを見ていました。どんなサイトかというと森や山の緑の美しい風景が載っているサイトです。PCであってもかなり癒されるのです。そして「いいなぁ、今度の休みにはまた森へ行こう」と思っていました。
そんなことがあって、トップ画面は美しい自然、できれば緑が美しい森の風景と決めていました。僕の作るホームページは内容が乏しいことは承知しています。しかしもしご覧になった方が「あのサイトは内容は乏しいが、トップの森の風景は美しいよね」と言ってくれたら、本当にうれしいです。でも森は美しいのですが、写真の腕によりあまり美しく見えないこともあるかもしれません。ご容赦ください。






春の花 近所の森の空き地などに咲く花。昨年も取り上げ確か「小判草」というのではないかなと書きましたが、どうも違うようだ。「オオアラセイトウ」という花のようです。僕が小さいころ仙台で見かけたことはない花です。

僕の住む辺りは4月19日日曜日は曇りで時折雨がパラつく天気、4月18日はいい天気でしたがとても風が強く2週間ぶりでテニスは出来ましたが、ボールが流されまともなプレイは出来ませんでした。今週はどんな週になるでしょうか?









第95回Mildred Bailey ”All of me ”

  「ミルドレッド・ベイリー/オール・オブ・ミー」レコード・ジャケット

<Contents>

A面
B面
1.アイヴ・ゴット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング  (I’ve got the world on a string) 1.ヒーザー・オン・ザ・ヒル (Heather on the hill)
2.サマータイム (Summertime) 2.恋人よ、我に帰れ (Lover , come back to me)
3、キャント・ヘルプ・ラヴィン・ザット・マン (Can’t help lovin’ that man) 3.アット・サンダウン (At sundown)
4.イッツ・ネヴァー・ツー・レイト・トゥ・プレイ (It’s never too late to pray) 4.ドント・ウォーリー・バウト・ストレンジャーズ (Don’t worry ‘bout strangers)
5.私の彼氏 (The man I love) 5.ペントハウス・セレナーデ (Penthouse serenade)
6.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー (I’m glad there is you) 6.ミー・アンド・ザ・ブルース (Me and the blues)
7.ジプシー・イン・マイ・ソウル (Gypsy in my soul) 7.ア・ウーマンズ・プリロゲイティヴ (A woman’s prerogative)
8.ジーズ・フーリッシュ・シングス (These foolish things) 8.オール・オブ・ミー (All of me)
レコード…Monmouth Evergreen MES/6814 輸入盤(国内盤は出ていないと思う)

先般第91回でチュー・ベリー1938・39年その2において、チューの参加吹込みミルドレッド・ベイリーの1938年1月10日の2曲“Thanks for the memory”と“Lover come back to me”があった。その際故油井正一氏の「“Lover come back to me”を彼女ほどうまく歌う歌手を知らない」という言葉もご紹介した。確かに素晴らしいのだ。あれから“Thanks for the memory”と“Lover come back to me”が頭から離れないのである。ということで今回はミルドレッド・ベイリーにしよう。

僕がミルドレッドに興味を持ったのは古く約45年前高校生の頃であるが、そのきっかけはやはり粟村政昭氏『ジャズ・レコード・ブック』である。粟村氏はこう書いている。
「スイング・ジャズの全盛時代、多くのビッグ・バンドはコマーシャルな意味合いも含めて女性の専属歌手を起用する機会が多かったが、その中で真にジャズ・ファンの耳を満足させ得た人となると、白人ではミルドレッド・ベイリーに次いで、わずかにリー・ワイリーとペギー・リーの名を挙げ得るにすぎない。
ベイリーが、ホワイトマンの許を去ってレッド・ノーヴォとバンドを組織したのは、36年のことだったが、ノーヴォの趣味のよいザイロフォンのソロと繊細な彼女の声が見事にマッチして、都会的センスに満ちたユニークな傑作が次々に誕生した。」

「ミルドレッド・ベイリー/ハー・グレイテスト・パフォーマンシス」レコード 現在は便利な時代でAmazonなどで検索すれば彼女のCDやレコードが簡単に入手できるが、僕が高校生の時はそんなものもなくレコードを入手にはレコード屋さんに行くしかなかった。そして当時僕が住んでいたのは仙台ということもあってか彼女のレコードを見かけたことは一度もなかったのである。
そんな僕が高校時代に彼女のアルバムを見かけたのは、ただ1回、修学旅行先の京都のお店であった。むろん購入した。それが今日ご紹介するマンモス・エヴァーグリーン・レコードから発売されていた“All of me”である。
粟村氏は彼女のレコードを具体的には1組(3枚組)しか紹介していない。多分SP盤なので1枚ずつ購入していくのはかなり困難を伴うと思ってのことだろう。氏はこう書いている。「彼女がコロンビア系のレーベルに残した数多くの名唱は、今日『Her greatest performances』(Columbia C3l-22)として集大成されている」。その何度目かの再発盤が右のボックスであろう(レコードナンバーはColumbia JC3L-22)。このセットは3、4年前にディスク・ユニオンで見つけ購入した。いくらか忘れたが安かったと思う。我がカミサンがジャケットを見て「あっ!マツコ(・デラックス)だ!」と言ったジャケットである。確かに似ている。

因みに僕はジャズに復帰したここ10年くらいでも彼女のレコードを見かけたことは2度しかない。もちろん2度とも購入した。あまり高くないのである。こう言っては失礼だが美人ジャズ歌手が増えたなか、彼女の人気が高いとは思えない。


「ミルドレッド・ベイリー/ザ・ロッキング・チェア・レディ―」レコード 因みに僕の購入したもう一枚は日本盤の『ロッキン・チェア・レディー』(MCA-3050 写真左)である。日本盤なので出谷啓氏のライナー・ノートが貴重だ。またこちらはMCAなのでコロンビアの3枚組セットとは重複がないのがうれしい。
そしてこの出谷啓氏のライナー・ノートによると、彼女は元々はジャズ・シンガーになることが望みではなかったという。彼女の希望は大衆から愛される歌手、いわゆるポップ・シンガーであったのだという。油井氏は「恋人よ我に帰れ」の歌唱を評価するが、一般大衆でのヒット曲としては「ロッキング・チェア」だけだったという。彼女自身はもっとヒットを飛ばしたかったのだという。そのヒットしない原因を伴奏が悪いと思い込んだ彼女は編成を大きくしたりコーラスを雇ったりしたが、結局どれもうまく行かなかったという。
ミルドレッド自身、失敗の原因を自分の容姿の醜さのせいにもしていた。確かに大食からくる肥満体に短い脚がくっついているという醜い容姿だったと出谷氏は容赦ない。それが生涯のコンプレックスとなり性格までも気性の激しい歪んだものになっていったという。夫君のノーヴォは彼女の天才を堅く信じていたが、彼女の気性の激しさがその結婚を不幸な結果に終わらせたという。これを読むとビリー・ホリディの項で取り上げた「ノーヴォがビリーに拍手したら、ミルドレッドはノーヴォに平手打ちを食らわせ出て行った」というエピソードがよく分かる。
そして出谷氏はこう結論付ける。ミルドレッドの失敗の本当の原因は、彼女が余りにもジャズが好きであり、ジャズ歌手であり過ぎたためではなかろうかという。マイルス・ディヴィスの「カインド・オブ・ブルー」などをテオ・マセロと共にプロデュースしたことで有名なアーヴィング・タウンゼント氏は「彼女はスイングしないジャズとジャズを解しない大衆を憎悪した」と回想しているという。その憎悪した大衆に受けようとしたことに悲劇はあったのだと。そして彼女はコマーシャルな成功をおさめなかったからこそ終生ジャズを歌わねばならなかったのだという。

さて、では今回の“All of me”を聴いていこう。このアルバムに収められた全16曲は、コロンビアの3枚組セットとは、2曲しか重複がない。重複はB面2曲目の「恋人よ我に帰れ」と6曲目「ミー・アンド・ザ・ブルース」である。“All of me”には、パーソネル、録音日等のデータが全く記されていないので、これらが分かるのはこの2曲だけということになる。

まずミルドレッドの歌はどこがいいのかというと、とても素直、ストレートなのである。斜めからではなく正面から堂々と歌っていくのだが、全く嫌味がないでのである。歌のメロディーが素直に入ってくる。比較しては悪いが例えばカーメン・マクレーなどの歌唱はとてもテクニカルで一聴して何の曲かわからないことがある。しかしミルドレッドの場合知っている曲は必ずわかる。主旋律をこねくり回さないのだ。

では曲を聴いていこう。と云ってもそれぞれ録音のデータなどはないのでザックリと行こう。
まずA面。僕はまだまだ入門者で知らない曲が多いのだが、収録曲に1曲でも知っている曲があるとうれしい。A面には全8曲中知っている曲が3曲ある。
ミルドレッド・ベイリーとレッド・ノーヴォ(右端) 1曲目は知らない曲。アンニュイな感じなイントロで始まる。レッド・ノーヴォと思われるヴァイブラフォンのソロが入る。
2曲目「サマータイム」はご存じガーシュイン兄弟作ミュージカル『ポーギーとベス』挿入歌で、僕も知っている超有名なスタンダード・ナンバー。ミルドレッドは実に淡々と歌うがそれが却ってこれから始まる哀しいドラマを物語るようだ。数ある同曲のベスト・パフォーマンスの一つだと思う。
3曲目「キャント・ヘルプ・ラヴィン・ザット・マン」は知らない曲。これもヴァイブラフォンが聞こえるのでノーヴォ楽団であろう。リリカルなエンディングが心に滲みる。
4曲目「イッツ・ネヴァー・ツー・レイト・トゥ・プレイ」も知らない曲。「祈るのに遅すぎるということはない」ということかな。スィンギーなナンバー。
5曲目「私の彼氏」も僕でも知っている有名なスタンダード・ナンバー。かつてコールマン・ホーキンスの力強い演奏を取り上げたことがあった(『第31回クラシック・テナーズ』)。恋を夢見る切ない乙女心が伝わってくるような歌唱である。
6曲目「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー」も知らない曲。実にしっとりした曲でミルドレッドにピッタリだ。テナーのソロもいい味を出している。
7曲目「ジプシー・イン・マイ・ソウル」も知らない曲。ノーヴォらしきヴァイブ・ソロ、ピアノ、トランペットの短いソロが入る。
8曲目「ジーズ・フーリッシュ・シングス」は僕も知っている曲。こういうしっとりした曲がミルドレッドにはよく合う。ソロをクラリネットが取るのも相性が合っていると思う。
A面はソロは取らなくてもヴァイブの音が聞こえるのでレッドノーヴォの楽団との録音と思う。

B面に行こう。B面には知っている曲は2曲。入門者の僕には十分というかこんなものであろう。
1曲目「ヒーザー・オン・ザ・ヒル」知らない曲。オーケストラのバックということはもしかするとバックはポール・ホワイトマンか?スローなナンバーをしっとりとした歌唱が生きている。
2曲目「恋人よ、我に帰れ」と6曲目「ミー・アンド・ザ・ブルース」はコロンビアの3枚組に収録されているものと同じ。念のため録音データを上げると

<Personnel>

Mildred Bailey Ellis Larkin conducting
ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
アーヴィング・ランドルフIrving RandolphTrumpet
ヘンダーソン・チェンバースHenderson ChambersTrombone
ハンク・ダミコHank D’AmicoClarinet
バリー・ガルブレイスBarry GalbraithGuitar
エリス・ラーキンスEllis LarkinPiano
ビヴァリー・ピアBeverley PeerBass
ジミー・クロフォードJimmy CrawfordDrums
1946年10月18日録音

2曲目「恋人よ、我に帰れ」は、以前第91回チュー・ベリーで取り上げたものとは別ヴァージョン。チューとの録音は1938年1月10日の録音で、ちょっとだけ紹介した日本盤「ザ・ロッキング・チェア・レディ―」には1941年6月録音の同曲が収録されている。これが同曲の最期の録音である。僕はチューとの録音が一番出来が良いと思っている。それでも 得意の持ち歌なのでノッて歌っている感じがよく伝わってくる。
メンバーでは、ハンク・ダミコが両録音に参加している。トロンボーンのヘンダーソン・チェンバース、ドラムのジミー・クロフォードが拙HPには初登場。トランペットのアーヴィング・ランドルフはチュー・ベリーのストンピー・ステヴドアーズの第2期メンバー、ギターのガルブレイスは「ヘレン・メリル」、ベースのピアはクリス・コナーの「クリス」で登場している。
6曲目「ミー・アンド・ザ・ブルース」はこのレコードで初めて聞いた曲。ブルースそのものではないが、ブルージーな雰囲気を持ったナンバー。
3曲目「アット・サンダウン」は初めて聴く曲。これもスローなナンバー。
4曲目「ドント・ウォーリー・バウト・ストレンジャーズ」これも初めて聴く。スインギーなブルースで、このアルバムでは初めてのブルースもの。
5曲目「ペントハウス・セレナーデ」これも初めて聴く曲。スロー・ナンバー、イントロはコンボをバックに始まり途中からオーケストラがバックになる。
7曲目「ア・ウーマンズ・プリロゲイティヴ」初めて聴く曲。「プリロゲイティヴ(prerogative)という単語も初めて聞いた。英和辞典によると「特権」とか「特典」という意味らしい。英語の歌詞が分からないのが残念だが多分ユーモラスな曲と思われる。
8曲目「オール・オブ・ミー」は僕でも知っているスタンダード・ナンバー。切ない女心をしみじみと謳い込むが、感情過多にならないところが素晴らしいと思う。

多分アーティスト、特に歌手には相性というものがあると思う。そして僕はミルドレッドと相性がいいと思う。
作家村上春樹氏は『ポートレイト・イン・ジャズ』においてビリー・ホリデイの”When you are smiling”(君微笑めば)を取り上げ以下の様に記す。
彼女(ビリー・ホリディ)は歌う、
「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」(When you are smiling , the whole world smiles with you)
そして世界は微笑む。信じてもらえないかもしれないけれど、本当ににっこりほほ笑むのだ。

僕はこう記したい。
ミルドレッド・ベイリーは歌う、
「空は天高く青かった」(The sky was blue and high above)
そして空は晴れる。信じてもらえないかもしれないけれど、本当に空が天高く晴れ渡るのだ。

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第96回2015年4月26日

ミルドレッド・ベイリー 入門その2
1929〜1934年年

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

写真は4月26日、新緑が溢れるばかりとても美しい森の様子です。この日は久しぶりにのんびりと散歩できました。
私<のたり庵>の2大趣味は「ジャズ」は「テニス」です。「ジャズ」はともかく最近「テニス」は全くツイていません。
先週土曜4月18日はテニスができることはできたのですが、非常な強風でクレー・コート(土のコート)だったので、砂埃が舞い上がり目は開けていられないし、ボールは流されるしでまともなテニスができませんでした。また先々週4月11日は雨でテニスはお預けでした。
僕住んでいる辺りの天気は、木曜、金曜、そして今日日曜と晴れてうららかな春の陽気でしたが、土曜それも午前中は晴れて暖か陽気だったので、「今日こそは!」と意気込んでコートへ向かいました。準備体操を終えた辺りから空は次第に暗転し、5分ほど乱打をするとポツリ、ポツリと降り始め、さらには雷まで鳴り出し、結局は中止!
修まらない我らオジサンテニス族は仲間のお宅にお邪魔し痛飲したのでありました。土曜日晴れてくれないと本当に体に悪い。
今月曜午前2時半。バルセロナ・オープンで錦織圭選手が2連覇を達成!!!すごいです。ちょっとやられたかなと思うところもあったのですが、やはり底力が違う。錦織は強い。
こういう素晴らしい試合を見ると興奮して眠れない。ああ、明日は仕事なのに…。でもうれしい!





終わりかけていた枝垂れ桜は完全には桜に 先週終わりかけていた枝垂れ桜のところに行ってみました。ご覧の通り花は終わり完全に葉桜になっています。これからは木の下で敷物を敷いて憩う人々の柔らかな日陰を提供してくれる日傘となってくれます。







行きつけのコーヒー屋さん 行きつけのコーヒー屋さんです。このお店には何種類かのブレンドがあるのですが、2種類のブレンドを豆のまま200グラムずつ買い、その日によって自分で改めてブレンドして豆を挽き淹れています。僕はコーヒーが大好きで、物ぐさでは人後に落ちない僕ですが、コーヒーだけは飲むたび毎に豆を挽いて淹れるので、知らなかった人には驚かれます。不思議なものでコーヒーを淹れることはちっとも面倒とは思わないのです。
南蛮屋のコーヒーとコーヒー・ミル いつも使っているコーヒー・ミルと南蛮屋さんのコーヒー。コーヒー豆を手動のミルに入れゆっくりゆっくり挽いていきます。僕はコーヒーを飲むとはこういうことだと思っているので、面倒とは思わないのですが妻などは待ってられずインスタント・コーヒーを淹れてしまいます。なんだかなぁ〜。








さて今回は前の続きミルドレッド・ベイリーの入門第2回です。

第96回Mildred Bailey Vol.2 1929-34

  「ミルドレッド・ベイリー/ハー・グレーテスト・パフォーマンシズ」3枚組レコード・ジャケット
ということでもう少しミルドレッド・ベイリーを聴いてみよう。
僕が持っているミルドレッド名義のレコードは前回書いた様に3種類。前回取り上げた”All of me ”は僕が初めて購入した彼女のアルバムで僕にとっての入門盤だった。
残り2種“ Her greatest performances 1929-1946 ”(3枚組)収録48曲と”The rockin' chair lady ”収録14曲を吹込み順に、今回は1929年〜34年を取り上げよう。まずこの期間の録音は“ Her greatest performances 1929-1946 ”(3枚組)に収録されている。
まず、このアルバムは少々不親切で録音順に収録されていない。別に年代順に並べなくてもいいのだが、もとがSP盤時代でLPレコードを想定していないはずである。LPレコードとして発売することを前提とした場合は、そのアルバムは一つの独立した「作品」として捉えるべきと僕は思っていて、その場合制作趣旨、全体の流れなどから録音順に関係なく曲順を決めるというのは当然の行為と思うが、SP盤発売の場合1面、1面が一つの区切りであるので、年代順に並べてもいいのではないかと思うがどうだろう?
SP盤音源をLPレコードに再編する場合やはりプロデューサーなりディレクターが全体の流れを見て曲順を決めるのだろうが、僕自身は後からプロデューサーなりディレクターの思惑を反映するよりストレートに録音順とした方が良いのではないかと思うのだが…。

「ミルドレッド・ベイリー/「ハー・グレイテスト・パフォーマンシス」レコード裏面 次に感じることは、この3枚組(レコード番号…Columbia JC3L-22)は、粟村氏が聴いた3枚組(Columbia C3L-22)の単純再発売盤かどうかは分からないが、多分そうだとすると(Columbia C3L-22)はどういう作りだったのだろう。粟村氏が『ジャズ・レコード・ブック』を書いたのは遅くても1968年より前のはずで、その時代彼女はどう捉えられていたのだろう。もちろん僕にはそれを知るすべはない。しかし2015年の現在彼女が高く評価されているとは思えないし、もっと決定的には「売れる」歌手とは思われていないのではないかとは想像できる。何故そう想像できるかというとレコードの杜撰ともいえる作りである。裏面の録音データが載っているのは良いとして、印刷がひどいのだ。ある箇所は文字が太り判読するのが大変なのである。と文句ばかり言ってもしようがないので内容にいこう。

1929年

1929年の録音は1曲しか収録されていない。ネット等の情報によるとミルドレッドの初レコーディングは「1929年エディ・ラングと〜」とある。解説によるとこの録音がミルドレッドの初レコーディングである。
また感じることはリーダーのエディ・ラングである。僕はこの人を本作まで知らなかった。しかしアメリカのジャズ百科事典的なウェブ・サイトを見ると「ジャズ・ギターの父」などと呼ばれ重要人物として扱われている。ところが日本ではあまり知られていないのではないだろうか。油井正一氏などのジャズの歴史等の本にも全く登場していない気がする。これはどう云うことなのだろうか?アメリカ本国では評価が高いが日本ではイマイチということは確かによくあるが、本当はどういう人なのだろうか?また勉強することが増えた。
さらにホーギー・カーマイケルの参加が興味深い。『スターダスト』や『我が心のジョージア』などの作曲家として夙に有名で、弾き語りのレコードも出しているが、バンドに加わっての録音は現在の僕の所有する唯一の録音である。

<Contents>…Eddie Lang’s orchestra

Record1 A面7曲目“What kind of man is you ?”1929年10月5日録音
Parlophone R840mx.W 403031-A

<Personnel>

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
アンディ―・セクレストAndy SecrestTrumpet
チャーリー・マーギュリスCharlie MargulisTrumpet
ビル・ランクBill RankTrombone
バーニー・ベイリーBernie BaileyAlto sax
イジ―・フリードマンIzzy FriedmanTenor sax & Clarinet
アンディ・ホワイトマンAndy WhitemanViolin
エディ・ラングEddie LangGuitar&Band leader
ホーギー・カーマイケルHoagy CarmichaelPiano&Arrange
マイク・トラフィカンテMike TrafficanteBass
ジョージ・マーシュGeorge MarshDrums
繰り返しになるが、記念すべき処女録音かもしれないものが7曲目収録というのはいかにも解せない処ではある。アンサンブル主体で歌のは短い。ちょっとデキシー・フレイヴァ―を感じさせるのは時代のせいか?またこころなしか緊張した歌声のように聞こえる。

ミルドレッド・ベイリー/「ハー・グレイテスト・パフォーマンシス」3枚組

1933年

次の収録吹込みは1933年のドーシー兄弟との吹込みで、約3年半の空きがある。この間吹込みが行われていないはずはないと思うのだが、どうだったのであろうか?兄のジミーと弟のトミーのドーシー兄弟はアメリカでは当時絶大なる人気を誇った由だが、現在の日本ではほぼ忘れられた存在ではないだろうか?
メンバーでは当時ドーシー・バンドに在団していたスイング時代最高のトランぺッター(油井正一氏評)バニー・ベリガンの参加が注目される。

<Personnel>…Accompanied by the Dorsey Brothers

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
バニー・ベリガンBunny BeriganTrumpet
トミー・ドーシーTommy DorseyTrombone
ジミー・ドーシーJimmy DorseyClarinet
ラリー・ビニヨンLarry BinyonTenor sax
アンディ・ホワイトマンAndy WhitemanViolin
ディック・マクダフDick McDonoughGuitar
フルトン・マグラスFulton McGrathPiano
アーティー・バーンスタインArtie BernsteinBass
スタン・キングStan KingDrums
収録5曲とも同じメンバー。

<Contents>

Record1 Record1 A面2曲目“Harlem lullaby”4月8日録音Brunswick 6558 mxB13209-A
Record1 Record1 A面6曲目“Is that religion?”4月8日録音Brunswick 6558 mxB13208-A
Record1 Record1 A面5曲目“There’s a cabin in the pines”6月6日録音Brunswick mxB 11427-A
Record1 Record1 A面4曲目“Shoutin’ in that Amen”9月5日録音Brunswick 6655 mxB13955-A
Record1 Record1 A面3曲目“Give me,liberty or give me love”10月17日録音Brunswick6680 mxB14159-A
“Harlem lullaby”はブルージーな1曲。トミー(Tb)のオブリガード、ジミー(Cl)のオブリガード、ソロが聴ける。トミーのTbプレイの音は柔らかいなぁ。最初の歌詞に”Hi-de-hi-de-ho"とあるが、これはキャブ・キャロウェイのことであろうか?
同日録音の“Is that religion?”はバニー・ベリガンの吹くイントロで始まる。
“There’s a cabin in the pines”スローなナンバー。ジミーのClソロが入る。
“Shoutin’ in that Amen”はアップ・テンポで始まるが途中で半テンポに落としソロ・スペースからアップに戻している。
“Give me,liberty or give me love” エンディングの鼻歌風のスキャットが珍しい。
ともかくこの年の録音はさすがに声が若々しい。

ミルドレッド・ベイリー/「ハー・グレイテスト・パフォーマンシス」ラベル

1934年

この年の録音はベニー・グッドマンとの吹込みである。ベニー・グッドマンの歌伴と言えばこの録音の少し前1933年12月18日に行われたビリー・ホリディの初吹き込みが思い出される。その当時BGはレギュラー・バンドを持っていなかったが、それから2か月半後のこの録音はどうであろうか?資料を持っていないのではっきりしたことは言えないが多分レギュラー・バンドではないように思える。大物コールマン・ホーキンスの参加が際立っている。ホーキンスは1934年3月にフレッチャー・ヘンダーソンのバンドを退団渡欧するので、渡欧前最後の録音に近いであろう。

<Personnel>…Benny Goodman and his orchestra

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
マニー・クラインManny KleinTrumpet
チャーリー・マーギュリスCharlie MargulisTrumpet
ソニー・リーSonny LeeTrombone
ベニー・グッドマンBenny GoodmanClarinet
コールマン・ホーキンスColeman HawkinsTenor sax
ディック・マクダフDick McDonoughGuitar
アーサー・シャッツArthur SchuttPiano
アーティー・バーンスタインArtie BernsteinBass
ジーン・クルーパGene KrupaDrums

<Contents>

Record1A面8曲目“Junk man”2月2日録音Columbia 2892-D mx W 152702-3
Record1B面1曲目“Ol' pappy”2月2日録音Columbia 2892-D mx W 152703-2
Record1B面2曲目“Emaline”2月2日録音Columbia 2907-D mx W 152704-2
“Junk man”はブルース・ナンバー。他2曲とも全般的にホーキンスがソロ、オブリガードなどでフューチャーされているようだ。

ミルドレッドはなどスイング時代の歌手は一見豪華なバックを従えているように見えるが実は逆で、有力なビッグ・バンドが歌手を雇っているのだという。なるほどそういう見方をすればまた違って聴こえてくるかもしれない。楽しみ方は色々だ。

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第97回2015年5月3日

チャーリー・クリスチャン 入門その1
「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

写真は5月1日、新緑が溢れる森の様子です。GW(ゴールデン・ウィーク)真只中、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?我が家は特に遠出はせず、家でノンビリです。GW期間中は、道路は混むし、行楽地の店は混雑し、料金も高い。遠出するなら、GWを避けた方が良いのは分かっているのですが、平日に会社を休めないサラリーマン、子供が学校に通っている家庭などでは、まとまった休みを取れる期間はどうしても限られます。我が家もそうでした。子供が成人しやっとGW遠出から解放されました。年収が少なくなったことも大きな原因の一つですが。
久しぶりに一眼レフ・カメラを取り出して森を歩きました。途中ツツジなどが満開できれいな花を咲かせていましたが、やはり僕は木々の若葉、黄緑色の新緑の美しさに一番魅かれます。



梢を通して光のシャワー

僕住んでいる辺りは、今のところ晴天に恵まれ最高気温が25度を超える夏日となっています。昨日5月2日は久しぶりにテニスもできました。今年初めての短パンでのプレイできました。年を取ってくると週1回でも毎週出来た方が体に疲れを感じません。雨などで2週間くらいできず、やっと晴れてラケットを握ると次の日非常に体の疲れを感じます。続けないとダメです。














【about & around】

Crosby,Stills&Nash 3月6日 国際フォーラム

昨年体調を崩し公演がすべて中止となったポール・マッカートニーの来日公演が今年は予定通り行われました。4月29日、30日辺りのニュースはそのニュースが報道されましたが、その際昨年中止になったことを聞いたファンの反応もテレビに映し出されていました。公演中止を怒る人はなく、「ポールの体調が心配」という方ばかりです。報道に当たってそういう反応をした人の映像だけ選んだのかもしれませんが、このような善良なファンばかりであれば、ミュージシャンにとってはまさに「ニッポン良いとこ」であるに違いありません。そのことにも驚いたのですが、何といっても4月28日の武道館公演のチケットがB席で4万円、アリーナでは10万円というチケット代の高さには驚きました。
多分それまでの武道館公演で最も高かったのは、今から30年前1985年フランク・シナトラで25,000円だったと思います。当時その高さが話題になった記憶があります。「まぁ、大物だし、マフィアだし(噂です)仕方がないか」というのが大方の反応だったような気がします。それに比べると今回は値段の高さよりも「また絶対来るよ」と言っていたポールが約束通り来てくれたということの方が話題の中心でした。
日本でライブのチケット、最低4万円というのは普通なのでしょうか?全てSOLD OUTということで売れているのだから問題はないのでしょうが…。ビートルズで、ロックでこの値段はどうも不似合いな感じがします。でも、ポールはロックなのでしょうか?
話は飛びますが、3月6日に東京・国際フォーラムにCSN(Crosby,Stills&Nash)の公演を見に行きました。今や会場内での撮影はデジカメはさすがにNGですが、スマホでの撮影は特に禁止はされていないようです。禁止しても防ぎきれないので仕方ないといったところでしょうか?
こちらはS席1万3000円。20年ぶりの来日ということで、一緒にCSNのレパートリーに挑戦したこともあるバンド仲間に誘われ、「行く!」と即答してから値段が気になり出しました。正直失敗したという気がしました。やはり1万3000円という金額は現役世代にはそれほど問題ではないかもしれませんが、定年世代には少々キツイものがあります。今後は下手にコンサートも行けません。寂しいなぁ。





さて今回はチャーリー・クリスチャンの入門第1回です。ビ・バップ入門といってもいいかもしれません。

第97回”Charlie Christian at Minton ”

  「チャーリー・クリスチャン/アット・ミントンズ」レコード・ジャケット ジャズ界にはいくつかの都市伝説のようなものがある。その一つ「歴史的名盤は聴いては面白くない」。つまりジャズのプレイ・スタイルなどの変換期を記録し歴史的には重要なのだが、一つの作品として聴くとあまり面白いものではないということである。今回取り上げるこのアルバムもそうしたものの中に位置付ける人が多いような気がする。まずジャズが好きで自身でレコードやCDを購入して聴いている人でこのアルバムを知らない人はいないであろうと思うが、意外に持っていないという人も多いような気がする。と言ってもこれは僕の狭い周りのことなので日本とか世界という視点で見ればそんなことはないのかもしれない。
僕自身もこのアルバムの名声に魅かれ高校生の時に購入した。しかし、その時の気持ちというのも「歴史的名盤だから買って聴かねばならないだろうがきっとつまらないのだろう」というものだったことを思い出す。しかし実際に買って家に帰りターンテーブルに乗せ、針を置きスピーカーから音が流れると「つまらないだろう」という負の予想は完全に吹き飛ばされた。実に聞き応え十分で歴史的背景などを無視して鑑賞に堪える傑作アルバムなのである。入門者の僕が言うのも気が引けるが「このアルバムは買って絶対に損はありません」。
と、このアルバムが歴史的価値の非常に高い名盤であることを書いてきたが、その価値とは一体どんなものであろうか。
師粟村政昭氏はその著『モダン・ジャズの歴史』の中でこう語っている。
「ビ・バップは、ミントンズ・プレイハウスを中心とするアフター・アワーのジャム・セッションの中から生まれた」。そしてその「ミントンズ・プレイハウス(以下ミントンズと略)におけるアフター・アワーのジャム・セッション」をヴィヴィットに捉えた数少ない音源の記録が収録されているのである。
また粟村氏はその著『ジャズ・レコード・ブック』の中でこうも語っている。
ジャズ史上最大のギタリスト、チャーリー・クリスチャンの偉大さについては余りにもしばしば語られているが、もしもジェリー・ニューマン氏によって録音された「ミントン・ハウスのクリスチャン」(本盤)という貴重なLPが世に出なかったとしたら、今日彼の評価はどうなっていただろうか。彼がジャズ・ギター史上の巨人であったことを否定する人はいなくても、モダン・ジャズのパイオニアとしての彼の名は伝説の中にのみ留まることになったに違いない。あくまでもシンプルなプレイに終始しながら、疑うことなくモダンの香りを一杯にたたえたこれら一連の演奏を聴くとき、ギターという楽器を初めてソロ楽器として全面的に採り上げたばかりでなく、一歩進んでジャズ界全体をリードするに至ったクリスチャンの偉業に改めて敬意を表さずにはいられない。

<Contents>

A面
B面
1.スイング・トゥ・バップ (Swing to bop) 1.スターダスト 1 (Stardust 1)
2.サヴォイでストンプ (Stompin’ at the Savoy) 2.ケルアック (Kerouac)
3.アップ・オン・テディーズ・ヒル (Up on the Teddy’s hill) 3.スターダスト 2 (Stardust 2)
4.ガイズ・ゴット・トゥ・ゴー (Guy’s got to go)
5.リップス・フリップス (Lips flips)
コロンビア・レコード Columbia SL-5001-EV

このレコードの内容に触れる前に少し背景などに触れておこう。

<ミントンズ・プレイハウスについて>

ミントンズの前で−モンク〜ハワード・マギー〜ロイ・エルドリッジ〜テディ・ヒル(左から右)

ニューヨークのパークアヴェニューを北に突き切るとそこが有名な110丁目、さらにそのまま上がった118丁目を左に曲がった左側に「ホテル・セシル」があった。ホテルの玄関を入ると右がロビー、左がバーになっていて、「ミントンズ・プレイハウス」はそのロビーの行き止まったところにあったという。同店は60年代に衰退し1974年閉店した。30年以上シャッターが閉じられたままだったが、2006年5月29日「ミントンズ・プレイハウス・アップタウン・ラウンジ」の名前で装いも新たに再開したが、2010年に再び閉鎖されたという。2015年4月現在も閉鎖中のようだ。
「ミントンズ・プレイハウス」もオーナーはヘンリー・ミントンといい、現在ネット調べても、「ミントンズ・プレイハウス」を開設した人くらいの情報しか見当たらないが、かつては黒人として初めて「アメリカン・ミュージシャンズ・ユニオン・ニューヨーク支部」(Local 802)の代表に選ばれた人物で、サキソフォン奏者だったという。彼は1938年、前記ホテル・セシルの一部であったみすぼらしいダイニング・ルームを手に入れ、1940年秋(10月と言われる)に古い友人たちのための一種の溜り場のようなクラブに改装した。クラブの名はオーナーの名を取り、「ミントンズ・プレイハウス」と呼ばれ、テナー・サックス奏者のハッピー・コールドウエルをリーダーとする小バンドが、ハウス・バンドとして穏やかな音楽を提供していたという。ロス・ラッセル著『バードは生きている』によると、この場所はホテルの食堂として機能していたが、音楽に関してはまったく無方針だったという。店は寂れる一方で、とうとうミントンは新しいマネージャーを雇わなくてはならなくなったのだという。そして白羽の矢を立てたのが生真面目な顔をした信頼のおける人物テディ・ヒルだったという。という経緯でテディ・ヒルがマネージャーとなり、かつてのサイドマンであったケニー・クラークをハウス・バンドのリーダーに据えたころから、クラブの体質はガラッと変わり始めたという。
ここで既出の名前が2つも出てきた。先ずはテディ・ヒルである。【第76回ディジー・ガレスピー入門その2】でガレスピーが初レコーディング及び初ソロ・レコーディングを行ったのは、このテディ・ヒルのバンドにおいてであった。ヒルは前にも触れたように30年代後半、ロイ・エルドリッジ、チュー・ベリー、フランキー・ニュートン、ディジー・ガレスピー、ディッキー・ウエルズと云った腕利きを傘下に収めた一流バンドのリーダーであったが、1940年ワールド・フェアへの出演料を巡ってブッキング・オフィスとトラブルを起こし、やむなくバンドを解散せざるを得なくなり、ミントンズに身を寄せたのだという。ロス・ラッセル著『バードは生きている』によるとテディ・ヒルという人物は結局何をしても大した成功を収めるには至らなかったが、芸能界には顔が広く知恵も働く人物だったという。ヒルはミントンに向かってこういった。「お抱えバンドを入れて、ジャム・セッション歓迎ってことにしたらいいじゃありませんか。それから月曜の夜、アポロのステージ・ショウに出ている芸人たちに食事をおごるんですよ。劇場の掲示板に張り紙して、出演者は皆招待するんです」と。月曜の夜と言えば芸能界の日曜日だ。芸能人はヒマなのだった。
このヒルの提案するミントンズの「セレブリティ・ナイト」は間もなく全米の芸能人に知れ渡った。そしてミントンズのビュッフェ・スタイルの食事には黒人芸能人たちが子供のころ親しみ、巡業に出たら滅多に味わうことが出来なくなるあらゆる種類の食事が取り揃えられた。本物のクレオール料理などであった。つまりソウル・フードの専門店を開いたようなものだったという。40年代初頭、この店は月曜の夜に訪れるべき場所に変わっていた。そしてラッセルはこういう。「ヒルは、かつて一緒に仕事をしたオリヴァーやサッチモらが演奏する20年代のジャズはもう古くなり、スイングもすでに袋小路に入り込んでいるということを知っていた。また新しい考え方、新しい声、そして自分の楽器を知り尽くし、そこから自在な音を引き出してくる若い世代が台頭しつつあることもしっていた。そしてそのような新しいプレイヤーたちを有名なスターたちと同時にミントンズに集めたいと考えた」と。もしそうなら、ヒルはジャズの真っただ中にいながら、後から歴史を振り返るように的確にジャズに何が起こりつつあるかを捉えていたことになる。物凄い冷静さ、洞察力である。

ケニー・クラーク

ホンマかいな?とも思うが、実際にヒルが打った手を見ると彼の状況分析力、企画力、実践力がズバ抜けていると思わざるを得ない。彼はカンサス・シティのクラブ経営に倣い、店にリズム・セクションと管1本だけを抱え、ジャム・セッションの場として開放したのである。
そしてそのリズム・セクションと管1本というハウス・バンドのリーダーには、なんと1年足らず前に「テンポを崩し過ぎる」という理由で自己のバンドをクビにしたドラムのケニー・クラークを呼んだのであった。このクラークが既出の2人目(【第30回セロニアス・モンク入門その1】)である。ヒルがクラークを呼んだ真意は測りがたいと粟村氏も書くが、一番ビックリしたのは、当のクラーク自身だったようだ。クラークは後にこう語っている。「連絡を受けて、私は少々驚いた。しばらくヒルと話し合って、私は彼の狙いを理解した」と。
クラーク以外のメンバーは、ピアノにセロニアス・モンク、ベースにニック・フェントン、管1本はトランペットのジョー・ガイであった。粟村氏によれば当時フェントンはレスター・ヤングのコンボのレギュラー・メンバーであった可能性が高く、毎夜10時のファースト・ステージに欠かさず顔を連ねていたかどうかは疑問であり、モンクも9時に顔を出して10時にはいなくなるというマイペース人間だったこともあり、ケニー・クラーク・カルテットはハウス・バンドと言いながら、実際には流動性のある編成であったのだろうとしている。
マネージャーとしてのヒルは、クラブで演奏される音楽の内容については一切口出ししなかった。これがミントンズにおけるアフター・アワーのジャム・セッションの隆盛を招き、引いてはビ・バップの発生につながる実験的な場を、数多の新人たちに提供することになったのであったと、粟村氏は書いている。
ただ粟村氏の記述とロス・ラッセル『バードは生きている』の記述は若干ニュアンスが異なる。
粟村氏によれば一連のジャム・セッションには新旧取り混ぜて様々なタイプのミュージシャンが参加した。その中には当時すでに確たる名声を維持しているプレイヤーもいたとしてドン・バイアス、アール・ハインズ、レスター・ヤング、チャーリー・クリスチャンたちがあり、キング・オブ・スイングのベニー・グッドマンも時折姿を見せ絶大な敬意を持って迎えられたと書いてある。そして少し遅れてガレスピー、バード、バド・パウエル、タッド・ダメロン、オスカー・ペティフォードらも姿を現すようになったと書いている。そして次第にここでのジャム・セッションは従来のスイング・ジャズの表現に飽き足らぬ人々にとって、またとない実験と研鑽の場に変容していったという。
対してラッセルは「ミントンズはジャズの他流試合の一騎打ちの場として出発し、ついには泥まみれの戦場と化していった」と書いてある。41年春のセッションでは旧世代の一流オーケストラで無敵を誇った、サキソフォンではコールマン・ホーキンス、ベン・ウエブスターの他ジョニー・ホッジス、ベニー・カーター、ウィリー・スミスの三大アルト、トランペットではクーティー・ウィリアムス、ハリー・ジェイムス、ロイ・エルドリッジなどピアノではテディ・ウィルソン、ジェス・ステイシーが参戦した。そして一流バンドのリーダーたちデューク・エリントン、アンディ・カーク、カウント・ベイシー、アーティー・ショウらも腕を競い合ったと書いている。クラリネットのショウが参加したのも意外だが、僕が最も意外なのはエリントンである。いったいどんな感じだったのであろうか?またそこではBGも単なるプレイヤーとして勝負をしなくてはならない存在で敬意を払われたとは書いていない。
もちろん実際はどうであったかなど僕に知る由もないが、友好的な温和なセッションが行われた晩もあれば、負ければ楽器をしまい尻尾を巻いて帰らなくてはない戦場と化した晩もあったのだろう。
しかしともかくこのような熱い坩堝の中で1941年〜44年にかけてスイングは新しいジャズのスタイル、ビ・バップへと変わっていったのであるとラッセル氏は書いている。
このミントンズがどんな雰囲気でどんなふうだったかは、実際にミントンズにデビューした人間に聴いてみるのが良いだろう。誰かって?マイルス・ディヴィスである。彼は自叙伝の中でかなり詳しくミントンズについて触れている。と云ってもマイルスがニューヨークに出てきたのは1944年9月のことだからミントンズも黎明期ではなく大分ミントンズ・スタイルが定着していたのだろうが。
マイルスは言う。「ミントンズもホテル・セシルもどちらも特徴のある一流の場所だった。ここに来ていたのはハーレム黒人社会の中心人物たちだった。みんなヒップでカッコ良かった。俺に言わせればミントンズこそあの時代のミュージシャンの夢だった。今頃は「ザ・ストリート」(52丁目)が夢だったなんて言う奴がいるが、それは間違いだ。ミントンズで本気で腕試しをしてそれから52丁目に行ったものなんだ。ミントンズの試練に比べたら、52丁目の演奏なんて軽いものだった。ミュージシャン仲間で評判をとるにはミントンズに行かなきゃならなかった。たくさんの若いミュージシャンがあそこで多くを学び、育って行った」と。続けて「ミントンズではダメな連中が入ってこないようにみんなすごい演奏をしていた。並みの演奏しかできないやつは皆に無視されたり、ブーイングを浴び恥をかくだけだった。それだけで済まないこともあった。ダメなやつは、本当に蹴飛ばされたりもした。あそこでは凄い演奏をするか、静かに聴くかのどちらかで、中間はあり得なかった」

<チャーリー・クリスチャンについて>

レスター・ヤング

ビ・バップの最大の立役者はバードことチャーリー・パーカーということに対して異論を唱える人はまずいないであろう。そしてバードに次ぐ第2の立役者というと一般的にはディズことディジー・ガレスピーを上げることが多いと思われる。確かにバードの天才は群を抜いたものであったろうが、彼と対等に渡り合う存在があってこそ彼の天才が華を開いたということもあったのかもしれないと思う。このことについては僕の今後の主要な学習テーマである。
しかし、評論家の中には少し異なった意見を唱える人もいる。例えば大和明氏などはバードに次ぐバップの立役者としてはバド・パウエルを挙げているようだし、師粟村氏はチャーリー・クリスチャンを挙げているように思える。では粟村氏はどういった点からクリスチャンをバップの第二の貢献者として評価しているのであろうか。
まず粟村氏は次の有名な論を展開している。すなわち
「モダン・ジャズの歴史は、レスター・ヤングの音楽とともに始まった」
この意味するところはレスター・ヤングの項で改めて取り上げたいと思うが、氏によれば30年代末期におけるレスター・ヤングの出現は、メロディーの面において、従来のジャズの表現の枠を大幅に打ち破ったが、不幸にしてレスターは、ハーモニーとリズムに対する革新性をほとんどと言っていいくらいに欠いていた。そのため彼自身が中心となって新しいジャズのスタイルを創造することは全く出来なかったのだという。
だが、幸いにしてレスターの持っていた時代に先駆けた創造の才は、チャーリー・クリスチャンという後輩によって完全に理解され、彼が抱いていたより新しいコンセプションを通して、時代のジャズ界に確実に受け継がれたという。クリスチャンがミントンズのジャム・セッションをリードした期間はわずかに6か月そこそこの短いものであったが、彼はその間にBGセクステットの一員として記録したいくつかのアイディアをさらに発展させ、ガレスピー、モンク、クラークと云った未開化のモダニストたちを啓蒙しつつ、スイングからビ・バップに至る難路を「論理的に」切り拓いたのだという。古いスイングの殻を脱ぎ捨てたジャズマン達が、いかなるセンスを持って次の局面に立ち向かうべきかを示した点において、クリスチャンの存在は、まさしくモダン前史における一里塚とでもいうべき役割を担ったのであった。
チャーリー・クリスチャンは、オクラホマの名もない小バンドで演奏中、ジョン・ハモンド氏に認められ、ハリー・ジェイムスやジーン・クルーパらが去った後のBG楽団に新しい魅力を持ったスターとして迎えられた。1940年7月に、BGが坐骨神経痛の手術のためにバンドを一時解散した時にも、クリスチャンはジギー・エルマンやライオネル・ハンプトンとともに、サラリーをもらいながらリーダーの復帰を待つという破格の好待遇に浴したと言われている。
40年10月に病の癒えたBGは再びフルバンドを組織して第一線に返り咲いたが、ちょうどそのころ、ハーレムの一角にミントンズ・プレイハウスがオープンしたのであった。ペンシルヴァニア・ホテルにおける定期の仕事を終えたクリスチャンが、そのまま愛用のギターを抱えてアップタウンに向かう姿が見られるようになった。ケニー・クラークの思い出話によれば、クリスチャンは常にギター・アンプをミントンズに置きっ放しいつでも使えるようにしていたという。とはいえクリスチャンは41年6月には病に倒れているので、もしミントンズのオープンが40年10月のことであるとすれば、クリスチャンのミントンズでの活躍期間はたった半年余りということになる。
粟村氏の熱心なクリスチャン評価は傾聴に値するのはもちろんだが、僕が少しばかり首を傾げざるを得ないのはこれほど強力な影響を及ぼしたクリスチャンについてロス・ラッセルもマイルス・ディヴィスもほとんど言及することがないということである。クリスチャンを知らなかったか知っていたけれどもそれほど大した影響を及ぼしたとは思っていないかのどちらかであろう。しかし知らなかったということはありえないと思われる。そういえば彼らはバド・パウエルにもあまり言及していない。言及はしているがあくまでパーカーとの共演者という目でしか見ていない感じである。

<本アルバムについて>

ではまずこのレコードの概要について触れておくと、「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」というアルバム・タイトルだが、全吹込みにチャーリー・クリスチャンが参加しているわけではないし、録音場所が全てミントンズであるわけでもない。
この録音が行われた時代は未だテープ・レコーダーの無い時代で、この貴重な音源は若いアマチュアの技師であったジェリー・ニューマンという人物がシェラックのディスクにスタイラス(針)で刻み付けていくディスク・レコーダーを用いて録音したものだという。録音場所はニューヨークのハーレム118丁目にあった「ミントンズ」と西133丁目にあった「クラーク・モンローのアップタウン・ハウス」の2カ所で行われた。
まずA面はケニー・クラークをリーダーとするミントンズのハウス・バンドにチャーリー・クリスチャンが加わって繰り広げたジャム・セッションが収められている。ミントンズのハウス・バンドについては後述する。B面の1曲目から3曲目にはクリスチャンは加わっていない。メンバーについては後に述べるがディジー・ガレスピーをフューチャーした録音である。B面4曲目と5曲目のメンバーについてははっきりとは分かっていない。
最初にこの音源はSP時代にクラシック専門のVOX社から『スイング・トゥ・バップ(SPでは「チャーリーズ・チョイス」というタイトルになっていたという)』と『ストンピン・アット・ザ・サヴォイ』が3枚組セットで出たことがあるという。その後ジェリー・ニューマン自身がエソテリック社(Esoteric)というレコード会社を設立し、25センチ盤2枚にほぼ全容を収めて発売した。その2枚とは
“Charlie Christian / Jazz immortal”(ESJ-1)
“Dizzy Gillespie / Charlie Christian 1941”(ESJ-4)
であった。
その後エソテリック社は原盤の全てをエヴェレスト社に売却した。そのため以前エヴェレスト社と契約があった日本ヴィクターから1964年に発売されたことがあるという。僕の持っているのは1969年に装い新たに日本コロンビアから発売されたLP盤である。

A面

<Contents>

1.スイング・トゥ・バップ (Swing to bop)
2.サヴォイでストンプ (Stompin’ at the Savoy)
3.アップ・オン・テディーズ・ヒル (Up on the Teddy’s hill)

<Personnel>

チャーリー・クリスチャンCharlie ChristianGuitar
ジョー・ガイJoe GuyTrumpet
セロニアス・モンクThelonious MonkPiano
ニック・フェントンNick FentonBass
ケニー・クラークKenny ClarkeDrums

クリスチャンは、その独創的なアイディアの片鱗をBGコンボの幾つかのレコード中に散発的に留めてはいたが、やがてアマチュア技師ジェリー・ニューマン氏の手に寄って録音されたミントンズにおけるジャムセッションの模様がレコード化(本盤)された時、余人は改めて、モダン・エイジの先覚者としてのクリスチャンの偉大さに対して目を見張ることとなった。
しかもこれらの演奏を通じて、ある意味でソロの内容以上に注目されて良いと思えるのは、クリスチャン〜モンク〜フェントン〜クラークの4人からなるリズム・セクションが、ユニットとして演じて見せた新しいリズム・セクションの在り方であって、ベースがステディな4ビートをキープすることによって、ドラムは従来の四分の4拍子の足かせを解かれ、一方ギターは完全な自由の下に、ソロとリズムの両面に渡って最も理想的な形で演奏全体をリードしているという点であった。モンクのピアノは、この時点ではいまだにテディ・ウィルソン風のスイング・スタイルを脱してはいないが、それでもフロント・ラインのソロに付けるフィル・イン・コードの効果に当時の彼の関心の一端を覗かせている。
またミントンズにおけるジェリー・ニューマン氏の録音は、クリスチャンの最もモダンな演奏を記録すると同時に、今一人の巨人ケニー・クラークの極めて興味深い初期のドラミングをも紹介している。1914年生まれのクラークは、この録音が行われた当時、クリスチャンに2歳先立つ青年であったが、クリスチャンの場合とは対照的にこの時のプレイが、モダン・ドラマーとしての彼を評価するべきおそらくは最初の作品となった。
クラークは1937年にエドガー・ヘイスのビッグ・バンドに加わり、そこで間もなく初めてのレコーディングを経験している。僕はヘイス楽団の録音を聴いていないが、粟村氏によると後年のプレイに通ずる奔放さはほとんどと言っていいくらい認められないという。従ってクラークが新しいドラム奏法の可能性に思い当たったのは、そのためにクビになったという前記テディ・ヒル時代(39年)のことと考えて間違いないようだ。但しクラーク自身の言によれば、彼のドラミングが本当にそれらしきものになったのは、その後ロイ・エルドリッジのバンドに採用されてからのことであって、基本リズムを刻む役割をベース・ドラムからトップ・シンバルに移し、ベース・ドラムのオフ・ビート・アクセントから生まれる刺激によって、予測出来ないリズミック・ラインを作り出そうという彼のアイディアは、ロイの積極的な指示のもとに初めて実践可能なものとなったのだという。いずれにしてもこうした苦難時代を経て確立された彼のドラム奏法は、40年代初めという時期にあっては、<完成された時点のビ・バップに最も近いもの>という意味において、一、二を争うほどモダンなものではなかったかと考えられる
。 一方、クラークとともに夜毎ミントンズのステージに上がっていたモンクは、この当時より既に彼自身の手になる新しいコードの創作に専念しており、数年後にバッパーたちが盛んにやったような、既成のコードに新しいメロディーをつけるという仕事には、全くと言っていいほど関心がなかった。従って、従来のハーモニーに依存しないという一点において、彼はまさしく重要な方向を指し示していたにもかかわらず、バップがジャズの新しい語り口として完成された時、本質的にバッパーとは言えなかったモンクは、いともあっさりと時流の外に取り残されてしまった。50年代の後半に至ってようやくモンクは彼の業績に対する時ならぬ再認識ブームを享受することができたが、40年代の初めに特異であった彼の音楽概念が、40年代の後期においても依然として特異であったというところに、商業ベースから眺めた場合の、長い年月にわたる彼の不運があったものと言える。
もう一人ジョー・ガイは、かつてテディ・ヒルのバンドにおいて、ガレスピーと席を並べたこともある有能なトランぺッターで、モンクやクラークと共にミントンズのハウス・バンドの一員として、アフター・アワーのセッションには常に加わることのできる有利な立場にあった。しかも今でこそガイは、モダン初期に活躍した一寸腕の立つトランぺッターで、スタイルとしてはロイ・エルドリッジの亜流くらいの評価しか受けていないが、クリスチャンの在世当時には、トランぺッターとしての総合点において、明らかにガレスピーを抑える存在であった。なぜならその頃のガレスピーは、新しいハーモニーの習得に熱中するあまり、楽器を十分に鳴らすという能力については難点があり、しかもスタイル的にもジョー・ガイ同様未だロイ・エルドリッジの殻を背中にくっつけたようなフレージングで吹いていたからである。 しかしジョー・ガイはいち早く新しいジャズの息吹に触れはしたものの、結局はそれ以上の域には進むことが無く、いつしかビリー・ホリデイの夫君であったという事実によってのみ記憶されるような、ささやかな存在となってジャズ界から消えていった。
そしてベースのニック・フェントンについては油井正一氏によるレコード解説、粟村氏の著作などにおいても全く言及されていない。
1.スイング・トゥ・バップ (Swing to bop)
演奏の途中で始まり、途中で終わるのはディスク・レコーダーの機能の限界を示すものだが、音は良くないがSP盤の3分前後を前提とした演奏ではなく、9分近い演奏(途中であるが)を捉えている点で極めて貴重といえる。
もともと”Swing to bap ”という曲があるわけではなく、後からニューマン氏が付けたと思われる。しかしニューマン氏に敬意を表してかカウント・ベイシー作の“Topsy”のコード進行に基づいていると書かれることが多いが、油井氏ははっきり“Topsy”そのものであると述べている。
まずクリスチャンのギター・ソロの途中から録音は始まる。これが今聴いても全く古臭さなど感じさせないモダンでクールなソロである。8分音符のシングル・トーンが中心だが時折16分音符3連符、トリル、ダブル・トーン、チョーキングなども交え極めてエモーショナルでありながら抑えの利いたソロを展開する。
つづくジョー・ガイのTpソロはスイング臭がプンプンする。レコード解説油井氏は続くモンクのソロをテディ・ウィルソンやクライド・ハート的だと評している。後年の独特の<間>を活かしたプレイではない。最後にもう一度クリスチャンのソロが出てくるが、一番聴きどころが多いのはクリスチャンのソロということを改めて感じる。

2.サヴォイでストンプ (Stompin’ at the Savoy)
チック・ウエッブ、ベニー・グッドマンなどスイング時代のビッグ・バンドが得意としたスタンダードなジャンプ・ナンバー。ここでもモンク、ガイのスイング時代を抜けきらないソロに対してモダンなクリスチャンのソロが際立っている。

3.アップ・オン・テディーズ・ヒル (Up on the Teddy’s hill)
ミントンズのマネージャー、テディ・ヒル氏に因んだ曲名だが、油井氏によればこれも後からジェリー・ニューマンが勝手につけたものではないかと書いている。ハウス・バンドの4人にテナー・サックスともう一人のトランペットがアンサンブルに参加している。油井氏はテナーはB面に出てくるドン・バイアスに似ていると思うが、ジョージ・ホーファー氏はカーミット・スコットだと言っているそうである。

今回は余りにも長くなったので2回に分割したい。次回B面5曲を中心に取り上げよう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。
お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。

第98回2015年5月6日

チャーリー・クリスチャン 入門その2
「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今日5月6日は暦の上では<立夏>。昨日まで夏が立ち上がったような天気が続いていましたが、今日は風もあり少し過ごしやすいようなお天気でした。




写真は5月2日午前中にテニスに向かうときに撮影しました。正に五月晴れ、日向は日差しが強く紫外線が気になりますが、森の中は実に快適です。
相模川にかかる鯉のぼり 5月3日はカミサンとちょっとドライヴ。4月29日から5月5日まで水郷田名・高田橋付近の相模川には、たくさんの鯉のぼりが空を泳ぎます。約1200匹も群泳しているそうです。写真は車中からなので橋の手すりが写ってしまいます。周りは渋滞しておりとてもクルマを止められません。

「なんつッ亭」 「なんつッ亭スペシャル」 大型連休特に行くところもないしかし少しは出かけたい、という時に我ら夫婦は大好きなラーメン屋さん巡りをします。
今回向かったのは、「うまいぜ、ベイビー」でおなじみの神奈川県秦野にある「なんつッ亭」本店です。最近あまり見かけませんが、少し前はよくオーナーの古谷一郎氏がテレビに登場していました。食べに行くのは初めてです。
我が家からは車で約2時間かかり到着したのは13時15分頃。さすがにお客さんが並んでいて、店外で40分ほど待ちました。
いただいたのは「なんつッ亭 スペシャル」1050円です。中太のストレート麺に濃厚な豚骨スープ、黒マー油が香ばしい。かなりヴォリュームがありますが、胃もたれしないところはさすがです。満足・満腹の一杯でした。




さて今回は前回書き切れなかったチャーリー・クリスチャンの入門第2回です。ビ・バップ入門はまた別途取り上げることにしましょう。

第98回”Charlie Christian at Minton ”Vol.2

  「チャーリー・クリスチャン/アット・ミントンズ」レコード・ジャケット

前回長くなりすぎるのでということで「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」を分割しました。よく「紙数の関係で〜」という理由で省略したり、分割することがありますがこの拙ホームページは僕が勝手運営しているもので1回の長さが決まっているわけでもなくいくら長くなっても構わないのですが、要は「週1回」のアップということに勝手に拘ってしまい、分量が多くなったので分割してしまいました。
ではなぜ分量が多くなったのかというと、自分でこの作品について正に「スイング・トゥ・バップ」に位置する重要な作品だが、スイング〜バップへの1側面を捉えたドキュメンタリーと思い込んでいました。スイング〜バップの本筋はチャーリー・パーカーの一連の作品にあると思い込んでいました。ところがこの作品を取り上げるに当たって久しぶりに粟村政昭氏の『モダン・ジャズの歴史』を読み返してみると、氏の主張するところは全く違うことに気付きました。一体何を読んでいたのでしょう!迂闊にもほどがあります。そこで「えっ!そうなの」という感じで氏の著作をドンドン引用しまくってしまいました。
要はビ・バップの変革はレスター・ヤング〜チャーリー・パーカーではなく、レスター〜クリスチャン〜パーカーという流れなのだというのです。
これから粟村氏の主張に従い僕なりに学習していこうと思います。

「チャーリー・クリスチャン/アット・ミントンズ」別ジャケット

因みにこの「ミントンハウスのチャーリークリスチャン」は日本発売のレコードには2種類のジャケットのレコードがあります。右のジャケットですが、バックがピンクではなく黒もあるようです。僕は1種類しかもっていなのですが、レコードはどうも内容は同じのようです。ところがCDは若干違っているようです。ご紹介しているレコードは両面合わせて8曲収録されていますが、25センチLP盤2枚にはもう1曲”Down on the Teddy's hill”という曲が収録されているようです。これはA面3曲目”Up on the Teddy's hill”にかけた曲と思われますが、この曲がCDには収録されているようです。ということでこれから買われる方には日本版CDを購入されることをお勧めします。
ともかくA面だけというのは気持ちが悪いので、今回B面について取り上げ、ムーヴメント「スイング・トゥ・バップ」については項を改めて学習して行こうと思います。

<Contents>

A面
B面
1.スイング・トゥ・バップ (Swing to bop) 1.スターダスト 1 (Stardust 1)
2.サヴォイでストンプ (Stompin’ at the Savoy) 2.ケルアック (Kerouac)
3.アップ・オン・テディーズ・ヒル (Up on the Teddy’s hill) 3.スターダスト 2 (Stardust 2)
4.ガイズ・ゴット・トゥ・ゴー (Guy’s got to go)
5.リップス・フリップス (Lips flips)
コロンビア・レコード Columbia SL-5001-EV

ということでB面です。

B-1.スターダスト 1 (Stardust 1)

油井正一氏のレコード解説によるとパーソネルはA面とはすべて違うようだとし、さらにはっきりとは分からないという。レナード・フェザー氏及びイエプセンのディスコグラフィーによれば、録音場所はミントンズでパーソネルは以下の通りである。

<Personnel>

ディジー・ガレスピーDizzy GillespieTrumpet
ドン・バイアスDon ByasTenor sax
ハロルド・ドク・ウエストHarold Doc WestDrums

アンサンブルにはもう一人ずつトランぺッター、トロンボーン、テナー・サックス奏者がいるという。
ホーギー・カーマイケルの不朽の名作。前回取り上げたようにロス・ラッセル氏は『バードは生きている』で、「ミントンズはスイング・ジャズに飽き足らないミュージシャンたちの実験と研鑽の場」と書いている。ジャム・セッションでバラードはいけないということはないのだが、僕にはそれにはふさわしくない曲のようにも思えるのだが。演奏もスイングそのもので、朗々たる吹奏ぶりは聴き応えがあるのだが、これでいいの?と思ってしまう。
僕はこの時代のドン・バイアスを聴いたことが無いので、これがそうだと言われればそう思うしかない。確かにホーキンス派と言われればそうかなと思う。同じくホーキンス派と言われるチュー・ベリーに似ているかなと思う。

B-2. ケルアック (Kerouac)

「ケルアック」とは、ビート・ジェネレーションの代表的作家ジャック・ケルアックのことという。曲名は後に録音者ジェリー・ニューマンが好みで勝手につけたものという。
油井正一氏によると演奏はカルテットによるもので、分かっているパーソネルは以下の通り。

<Personnel>

ディジー・ガレスピーDizzy GillespieTrumpet
ケニー・カーセイKenny KerseyPiano
ニック・フェントンNick FentonBass

当時もっとも新しい感覚の持ち主と言われたケニー・カーセイのピアノとガレスピーをフューチャーしたものという。ベースはA面と同じニック・フェントン。ドラマーは誰か解らないそうで、レコード解説の油井正一氏によると、プレイ内容は他と比べるとガタ落ち、飛び入りの無名の人物であろうとしている。これも「?」と思う。というのは前回ご紹介したマイルス・ディヴィスの証言によると、「下らない演奏をするとステージから引きずりおろされた」とのことで、なぜこのドラマーは引きずりおろされなかったのだろう?この時期はそこまで厳しくはなかったのだろうか。
この演奏のディズは、エルドリッジの影響がはっきり残っていて、ディズの初期のスタイル時最も引用される録音だという。しかし僕はこれぞエルドリッジという演奏もよく知らないのである。
コード進行は「エキザクトリー・ライク・ユー」と同じというが僕は知識がなくこの曲を知らない。

B-3. スターダスト 2 (Stardust 2)

B-2と同じカルテットによる録音。

B-4.ガイズ・ゴット・トゥ・ゴー (Guy’s got to go)
B-5. リップス・フリップス (Lips flips)

まず録音場所はミントンズではなくモンローズ・アップタウン・ハウスで行われたもの。パーソネルはレコードには以下のようになっている。なぜかミントンズのハウス・バンドのメンバーがそろっている。B-1〜3には、クリスチャンは加わってなく、この2曲に加わっている。まずパーソネルは以下の通り。

<Personnel>

チャーリー・クリスチャンCharlie ChristianGuitar
ジョー・ガイJoe GuyTrumpet
カーミット・スコットKermitt ScottTenor sax
セロニアス・モンクThelonious MonkPiano
ニック・フェントンNick FentonBass
ケニー・クラークKenny ClarkeDrums

トランペットとテナー・サックスにもう一人ずつ加わっているようだが、誰かはわからないという。
B-4はクリスチャンのソロとリフが中心で短いTpソロが入る。
B-5はTs〜Tp〜Gtとソロをつなぐ。

ディズがエルドリッジを彷彿とさせる、ドン・バイアスがホーキンス派と言われてもエルドリッジの代表作、バイアスのこの時期の録音というのを聴いていないのでぴんと来ない。ビ・バップを学習にはその前のスイングの知識がないと分からないような気がする。勉強することが多いなぁ。

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第99回2015年5月10日

ミルドレッド・ベイリー 入門その3
1935・1936年

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僕の住む辺りは日中は半袖で十分なくらい暑い日となりました。夕方近く雲が出て涼しくなったので森に行ってみました。森はもう初夏の装いです。
今日は「母の日」です。クルマのラジオを聴いていたら、どの局も「母の日」にまつわる話題です。アメリカ、オーストラリアそして日本などは5月第2日曜日を「母の日」としていますが、スペインでは5月第1日曜、スウェーデンでは5月最後の日曜と国によっては月日が異なるそうです。日本では1949年頃から5月の第2日曜を「母の日」とするようになったと言います。「母の日」にはカーネーションを贈るのが一般的です。日本の習慣はアメリカからの影響でしょうが、そもそもなぜ「母の日」は「カーネーション」なのでしょうか?


バラも満開

妻の友人のお宅のバラを見に行きました。写真は赤と黄色の2種類だけですが、たくさんの種類を丹精込めて育てられていて皆きれいに咲いています。他の種類も撮影させていただきましたが、どうしても建物が写ってしまうのでアップするのはこれだけにします。我が家は庭も狭く日当たりも悪いのでバラを育てようとは思わないというかバラが育つとは思えないのですが、きれいに咲かせるのは難しいだろうなぁと思います。









さて今回は前々回の続きミルドレッド・ベイリーの入門第3回です。

第99回Mildred Bailey 1935・36

  「ミルドレッド・ベイリー/ハー・グレーテスト・パフォーマンシズ」3枚組レコード・ジャケット

ということでもう少しミルドレッド・ベイリーを聴いてみよう。1935年の録音から。
1935年は9月20日と12月と後半の2録音が収録されている。9月20日の録音は2曲、3枚組レコードの1枚目に入っているが、A面の1曲目とB面の3曲目という配置がよく分からない。曲調によるのだろうか?

1935年

<Contents>

Record1 A面1曲目“When day is done”>1935年9月20日録音Vocalion 3057mx 18093-1
Record1 B面3曲目“Someday sweetheart”>1935年9月20日録音Vocalion 3057mx 18092-1

<Personnel>…Mildred Bailey and her swing band

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
レッド・ノーヴォRed NorvoXylophone
ゴードン・グリフィンGordon GriffinTrumpet
チュー・ベリーChu BerryTenor sax
ディック・マクダノフDick McDonoughGuitar
テディ・ウィルソンTeddy WilsonPiano
アーティー・バーンシュタインArtie BernsteinBass
エディー・ドーハ―ティEddie DoughertyDrums

夫君となるレッド・ノーヴォとの僕の持っているうちでは最も早いレコーディングである。ノーヴォはシロフォン(Xylophone)をプレイしている。シロフォン(Xylophone)とは「木琴」のことで、後にノーヴォがプレイし、ミルト・ジャクソンなどで有名なヴァイブラフォン(Vibraphone)は「鉄琴」である。他に注目は「チュー・ベリー」の項で紹介したチュー・ベリー、テディ・ウィルソンなどが注目される。
A面1曲目ホエン・デイ・イズ・ダン(When day is done)
何といっても3枚組のトップを飾る曲である。”When day is done”「1日が終わって」というような意味だろう。気を使って、熟慮に熟慮を重ねて選曲されたと思う。アップ・テンポのスインギーなナンバーで結論から言うと、実にキュートな歌声が魅力的である。
イントロはトランペットが取っている。間奏でテディのピアノ、ディックのギター、チューのテナー、トランペットの短いソロが入る。2度目の間奏はデキシー風のコレクティヴとなり、もう一度歌が入って終わる。

B面3曲目サムディ・スィートハート(Someday sweetheart)
これはミドル・テンポの曲で、イントロはTp、チューが随所にオブリガードを吹く。間奏のソロはまずテディ・ウィルソン。間奏後のオブリガードはTpが取る。、

ビートルズ・デビュー・アルバム「プリーズ、プリーズ、ミー」レコード・ジャケット

1935年次の収録は12月(日付分からず)の4曲。収録曲の半数以上を手掛けたジョン・ハモンド氏は、ビッグ・バンドがバックを務めるものは商業的成功につながりやすいが、スモール・コンボがバックを務めた作品が好きだとし、出来る限りメンバーを減らしたこのパーロフォンの録音を「極めて記憶に残る」録音としている。
パーロフォン(Parlophone)というレーベルはイギリスのレーベルで一般的にはビートルズがデビューしたレーベルとして名高い。ビートルズをイギリスのメジャー・レーベル”EMI ”に売り込みに行ったブライアン・エプスタインは、”EMI ”でのデビューがかなわず傘下のマイナー・レーベル”Parlophone ”からのデビューになってしまったエピソードは有名である。
ミルドレッドがメジャーのEMIではなく傘下の”Parlophone ”に吹込みをしたというのは、当時はまだ売れていなかったThe Beatlesと同じ扱いというのが面白い。後にThe Beatlesはご存じのように20世紀を代表するアーティストになっていくところが大いに異なるが…。
話をミルドレッドに戻すと、この4曲はドラム・レスのカルテット、Tpバニー・ベリガン、Asジョニー・ホッジス、Pにテディ・ウィルソンというこれ以上はないような布陣である。Bのグラチャンも名を聞いたことがありそうだが、それは息子のグラチャン・モンカー・契い有名なためで、父親のレコードは僕は現在のところこれしか持っていない。
また、こんなスーパーな伴奏メンバーを”alley cats ”(通りをウロつく野良猫)と名付けブルースなどをやるというのも、意外である。

Parlophone

<Contents>

Record1 B面4曲目“Honeysuckle rose”>1935年12月録音Parlophone R2201mx60202-A
Record1 B面5曲目“Willow tree”>1935年12月録音Parlophone R2201mx60201-A
Record1 B面6曲目“Squeeze me”>1935年12月録音Parlophone R2257mx60203-A
Record1 B面7曲目“Downhearted blues”>1935年12月録音Parlophone R2257mx60204-A

<Personnel>…Mildred Bailey and her alley cats

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
バニー・ベリガンBunny BeriganTrumpet
ジョニー・ホッジスJohnny HodgesAlto sax
テディ・ウィルソンTeddy WilsonPiano
グラチャン・モンカーGrachan MoncurBass

B面4曲目ハニー・サックルローズ(Honeysuckle rose)
有名なファッツ・ウォーラーの曲。第10回「ジス・イズ・アニタ」でアニタ・オディも歌っていたが、もちろんこちらが先の録音。間奏はホッジス、ベリガンという豪華リレー。

B面5曲目ウィロー・トゥリー(Willow tree)
これもウォーラー作。間奏はテディとベリガン。ちょっと形の変わったブルースかな?

B面6曲目スクイーズ・ミー(Squeeze me)
これもウォーラー作。間奏はテディだが、わざと古めかしく弾いている気がするのだがどうなのだろう?

B面7曲目ダウンハーテッド・ブルース(Downhearted blues)
これもベリガン、ホッジスという豪華オブリガード陣。間奏でのブギ・ウギ風に弾くテディ・ウィルソンが面白い。

1936年

<Contents>

Record1B面8曲目“‘long about midnight”>1936年11月9日録音Vocalion 3378mx20219-1

<Personnel>…Mildred Bailey and her orchestra

ミルドレッド・ベイリーMildred BaileyVocal
ジギー・エルマンZiggy ElmanTrumpet
アーティー・ショウArtie ShawClarinet
フランシス・ラヴFrancis LoveTenor sax
デイヴ・バーバーDave BarbourGuitar
テディ・ウィルソンTeddy WilsonPiano
ジョン・カービーJohn KirbyBass
コージー・コールCozy ColeDrums

そして1936年からは1曲だけ収録されている。オーケストラとは云うが7重奏団である。BGのバンドで活躍しているメンバーが目立つが、それはBGのバンドがそれなりのメンバーを揃えていたということだろう。ところが肝心のクラリネットはライバル的存在のアーティー・ショウというのが面白い。しかしここでのショウはアンサンブルに参加しているだけでソロは取っていない。珍しいミルドレッドのスキャット(鼻歌風)が聴かれるがちょっとヤケ気味に聞こえるのは僕だけか?

ジョン・ハモンド氏は好きなジャズ史上の3大歌手はベッシー・スミス、ビリー・ホリディとこのミルドレッド・ベイリーだと述べている。確かにこの3人は理屈だけではない人を引き付ける魅力を持っているのであろう。

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第100回2015年5月17日

ジョン・コルトレーン 入門その3
「トレーンズ・ファースト・ライド 1951 Vol.1」

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今日は午前中に約1時間余り森を散歩しました。本当に汗ばむ陽気で、今年初めてTシャツ1枚、キャップを被って出かけました。写真はその時撮影しました。



エゴノキの花も満開

森を歩いていると小さな白い花が至る所に落ちています。はてこれはもしかしてエゴノキの花?そうです、エゴノキの可憐な花が満開を迎えていました。僕の大好きな花です。でも僕の記憶では、6月が満開の時期です。今年は春を過ぎてから暑いくらいの日が続いたので早目に開花したのか、それとも僕の記憶違いか?結論は…僕の記憶違いでした。2年前の5月19日アップの第5回の本HPで取り上げていました。これはボケなのかなぁ?
そしてバラの花も満開です。
僕の住んでいる地域は、金曜日は晴れで暑い日、そして今日日曜日も晴れて日差しの強い晴れ。しかし昨日の土曜は朝方まで雨、一日中重たい曇がかかり時折雨が落ちてくるという天気で金曜日の天気予報「曇り 夜早めに一部地域で弱い雨の可能性」が全く外れる結果となりました。狙い撃ちで土曜日に雨が降っている感じです。またテニスができませんでした…。






散歩途中で見かけたバラの花

金曜日の夜はイタリアン・オープン・テニス準々決勝錦織圭対ノバク・ジョコヴィッチ戦を見ました。ネット、新聞などは「錦織選手は善戦したが、惜しくも敗戦。しかし王者ジョコヴィッチとの距離は確実に縮まった」という記事が多く掲載された。日本人てなんていい人たちなんだろう。僕には全くそう見えなかった。
第1セットをミスで簡単に落とし、第2セット本来の力を発揮して取り返す。そして勝負の第3セット、ブレークを狙ったショットは力が入りすぎたのかミスとなり、ブレークできず。そしてその後はキレて一方的にミスをしまくりあっさり負ける。これは昨年のATPツアー・ファイナルと同じ展開である。これでジョコヴィッチは錦織に対する勝ち方を知ってしまったのである。ジョコヴィッチは錦織に対して多分やり難さを感じていたと思う。やり難さというか勝ち方をはっきり分かっていなかったと思う。しかし2戦続けて同じ展開で勝つことができ、彼ははっきりイメージを持ったと思う。「確かに錦織は何を打ってくるかわからない読めない相手だ。しかし終盤勝負をかけてきたところ抑えつければ勝手に沈んでいく」と。これは痛い。ジョコヴィッチほどの選手になると勝ち方を知ってしまえば、今後は対戦中に焦らなくなる。自分の見つけた方法を冷徹に実行してくるだろう。距離は開いたと思う。これを覆すには、これまでのようにキレず、1球1球繰り返し繰り返し、最高のボールを打ち続けるしかない。期待してます。


さて今回はとても久々となってしまったジョン・コルトレーン入門第3回です。

第100回John Coltrane 
“Trane’s first ride 1951 Vol.1”

  レコード…OBERON 5100 「ジョン・コルトレーン/「トレーンズ・ファースト・ライド 1951 Vol.1」レコード・ジャケット

とても期間が空いてしまったが、ジョン・コルトレーン入門の第3回です。前回が2013年8月10日第17回でしたので大分空いてしまいました。
僕が最も信頼するジャズ評論家故粟村政昭氏はジョン・コルトレーンの項で「マイルスのクインテットに参加したころのコルトレーンは誠に下手なテナー・マンであったそうだ。初期の吹込みレコードもこの事実を裏書きしている」と書いている。そして「しかしトレーンは今では伝説的となった猛練習によって隠されていた自己の資質を十二分に開花させたのであった」と書いている。
かたや反論となるわけではないが、評論家の原田和典氏は『コルトレーンを聴け』において、「コルトレーンの前人未到の歩みは1955年、マイルス・ディヴィス・クインテットに参加した時から始まると言われる。しかし、それまでに彼は10年ものプロ・ミュージシャン歴を持っていた」と。そんな下手なテナー・マンが10年もの間プロで食っていけるわけはないではないかといいたげである。はてさて実態はどうなのであろう。今回からは年代を追って聴いていきこの耳で確かめて行こう。
ということで僕の持っている最も初期のアルバムです。

ディスコグラフィーによれば、今のところコルトレーンの最初のレコーディングは1945年ジミー・ジョンソンのビッグ・バンドに加入していた時のものだが、原田和典氏著『新・コルトレーンを聴け!』および藤岡靖博氏『コルトレーン』ではそれほど重要視されていないようだ。
その後兵役に就き1946年8月11日に除隊することを記念して7月13日に録音したレコード78回転SP盤4枚計8曲は重要である。藤岡靖博氏『コルトレーン』によれば、そのレコードは巡り巡って数か月後マイルス・ディヴィスの耳に届く。マイルスはこのコルトレーンの演奏にいたく感銘を受けたというのだ。その記憶からマイルスは1949年、ハーレムの「オーデュボン・ボールルーム」でのダンス・ギグにコルトレーンを誘い、更には55年初代マイルスのクインテットに抜擢されることにつながっていく。現在この音源は“First giant steps “(RLR 88619)というCDになっているというが、僕はこのCDは持っておらず聴いたことが無い。聴いてみたいと思っているのだが、現在のところディスク・ユニオン等のレコード・CDショップ、偶に見に行くネット通販、オークションでも見かけたことが無い。今後見つければ(余り値段が高くなければ)買いたいと思っている。
それから後も1949年のダイナ・ワシントン、ビリー・ヴァレンタインの伴奏者として、またディジー・ガレスピー楽団の一員としてレコーディングに参加しているがこれらはほぼコレクターズ・アイテムとして一般のファンには入手しづらいものではないだろうか?
そして僕の持っている最も初期の録音が本日取り上げる「トレーンズ・ファースト・ライド 1951」である。しかしこの「トレーンズ・ファースト・ライド 1951」にはVol.1とVol.2があるが、僕が持っているのは今のところVol.1だけである。ひところ、今から6年か7年くらいまでこのアルバムをよく中古レコード・ショップ見かけたような記憶があるが最近さっぱり見かけなくなった。とても残念なことだ。このVol.2も見かけたら買おうと思っている。
「ジョン・コルトレーン/「トレーンズ・ファースト・ライド 1951 Vol.1」レコード・ジャケット黄色版 実はお恥ずかしいことだが、ご覧のようにVol.1は2枚持っているのである。何故か、ブルーがVol.1、黄色がVol.2と覚えており、ブルーVol.1を持っている僕は、黄色のジャケットを見てVol.2と早合点し購入したのでした。家に帰ってターンテーブルにセットし、針を落として音が出るのを待つ…あれ!?聴いたことがあるなぁと思い、よく見たらVol.1だったのです。グヤジー!
とまぁ必要のないことを書きましたが、今回はコルトレーン入門第3回“Trane’s first ride 1951”僕の持つ最も初期のコルトレーンです。

<Contents> … Vol.1

A面
B面
1.コンゴ・ブルース (Congo Blues) 1.グッド・ベイト(Good bait)
2.ナイト・イン・チュニジア (Night in Tunisia) 2.言い出しかねて(I Can’t get started)
3.イエスターディズ (Yesterdays) 3.バークス・ワークス(Birk’s works  air check2)
4.バークス・ワークス(Birk’s works) 4.ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シド(Jumping with symphony Syd)

<Personnel> … Dizzy Gillespie Sextet

A-1、2、3…1951年1月6日 at Birdland
B-1…1951年1月13日 at Birdland
ディジー・ガレスピーDizzy GillespieTrumpet
ジョン・コルトレーンJohn ColtraneTenor sax
ミルト・ジャクソンMilt JacksonVibraphone
ビリー・テイラーBilly TaylorPiano
パーシー・ヒースPercy HeathBass
アート・ブレイキーArt BlakeyDrums

<Personnel> … Dizzy Gillespie Septet

A-4、B-2、4…1951年2月3日 at Birdland
B-3…1951年3月17日 at Birdland
上記パーソネルにトロンボーンのジェイ・ジェイ・ジョンソンが加わる。
ジェイ・ジェイ・ジョンソンJ.J.JohnsonTrombone

因みにVol.2についてみてみよう。

<Contents> … Vol.2

1.グッド・グルーヴ (Good groove)
2.ティン・ティン・デオ (Tin tin deo)
3.バークス・ワークス(Birk’s works)
4.グル―ヴィン・ハイ(Groovin’ high)
5.チュニジアの夜(A night in Tunisia)
6.グッド・ベイト(Good bait)
7.ティン・ティン・デオ (Tin tin deo)
8.ザ・チャンプ/ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シド(The champ/Jumping with symphony Syd)

<Personnel> … Dizzy Gillespie Sextet

1、2、3、4、5…1951年1月13日 at Birdland
Vol.1 Dizzy Gillespie Sextetと同一。
6…1951年2月3日、7、8…1951年3月17日 at Birdland
Vol.1 Dizzy Gillespie Septetと同一。
「ジョン・コルトレーン/「トレーンズ・ファースト・ライド 1951 Vol.1」レコード・ラベル

Vol.2の<Contents>、<Personnel>は原田氏の『コルトレーンを聴け』から引いた。僕の持っているVol.1はレコードだが、原田氏の表記を見るとCDが出ているのだろうか?ともかくディジー・ガレスピー・セクステットに加わっての3日間のバードランドでのギグを日付順に分けたのではなく、それぞれの日の録音を2枚に分けたことが分かる。これはありがたい。日付順に分けられるとVol.1しか持っていない人には、日付後のVol.2の内容が全く想像がつかないが、こういうふうに収録してくれると3日間の雰囲気が想像できるからだ。
まずこのアルバムは1951年に行われたバードランドにおけるディジー・ガレスピー・バンドのライヴ録音をおさめたブートレッグ(海賊盤)である。先ずメンバーがすごい。モダン・ジャズ初期を飾った名プレイヤー・オールスターズである。この時のガレスピーというのは本当にすごかったんだなぁということが分かる。
ベースのパーシー・ヒースを除いて後にそれぞれ一家を成す大物揃いで、今回までプロフィールを紹介していないのはミルト・ジャクソンのみというメンバーである。思い返してみればディズとバードは、袂を分かって以来バードはTpにマイルス・ディヴィスを起用し、ディズはジョン・コルトレーンを起用したことになる。それぞれさすがの慧眼と言わざるを得ない。

では曲を聴いていこう。
A-1.コンゴ・ブルース (Congo Blues)
レッド・ノーヴォの作。「コンゴ(Congo)」はアフリカの国名の「コンゴ」というよりは、ジャズ発祥の地ニューオリンズで中心であった「コンゴ広場」のことであろう。
ノーヴォは進歩的なミュージシャンとして定評があったが、バップ・ムーヴメントの中心にいたわけではない。しかし何を思ったか現在のところ僕には資料もなく不明なのだが、1945年5月11日に「レッド・ノーヴォ選抜六重奏団(Red Norvo and his selected sextet)」なるバンドを率いて4曲ほど録音を行っている。そのうちの1曲である。
その六重奏団(ノーヴォを加えれば七重奏団)の時のメンバーは
 Dizzy Gillespie … Trumpet
 Charlie Parker … Alto sax
 Flip Phillips … Tenor sax
 Red Norvo … Vibraphone
 Teddy Wilson … Piano
 Slam Stewart … Bass
 Specs Powell(J.C. Heardという記載あり) … Drums
というまさにスイングとバップの混合メンバーであった。
またなぜこの曲をディズが取り上げたのかも不明であるが、こういう構図にはなるであろう。
 Trumpet  : Dizzy Gillespie ⇒ Dizzy Gillespie
 Sax    : Bird & Phillips ⇒ John Coltrane
 Vibraphone : Red Norvo    ⇒ Milt Jackson
 Piano   : Teddy Wilson   ⇒ Billy Taylor
 Bass    : Slam Stewart  ⇒ Percy Heath
 Drum    : Specs Powell  ⇒ Art Blakey
いわゆるオリジナルがスイング・バップ折衷だったのに対して、バップの徹底化である。コルトレーンから見ればバードの代わりに抜擢されたともいえる。
ノーヴォの録音を聴いてみるとはっきりしたテーマというのは見当たらなく、強いて言えばスラムがアルコで弾く不気味な低層部がテーマのようだ。これをバックに12小節、ブレーク4小節、オン・ビートで24小節速いテンポでソロを取る。ソロの順番はディズ⇒バード⇒テディ⇒フィリップス⇒ノーヴォ⇒スチュワート(アルコ)⇒ホーン合奏リフで終わる。
それに対してこちらの演奏はドラムのイントロで始まるのは同じ、先ずディズがソロを取るがアルコの低層がない分さらにテーマが分かりづらい。続いてコルトレーン、テイラーと続きホーン合奏からエンディングに移るのはノーヴォと同じ。コルトレーンのソロも速いテンポに乗って自信を持って吹いているようだ。

A-2.ナイト・イン・チュニジア (Night in Tunisia)
バップ期を代表するディズ作のナンバー。「(このレコードでは)この演奏が白眉か。ここではパーカーが担当していたパートをコルトレーンが吹いている。コルトレーンにとって一つ夢がかなった瞬間と言える」とは原田氏。
先ずソロを取るのはコルトレーンで、テーマの後ブレークして出るトレーンのソロは熱い。ブレイキーのドラムもこのころはまだ後のアフロ・キューバン的ではない叩き方なのが興味深い。

A-3.イエスターディズ (Yesterdays)
ジェローム・カーン作の不朽の名作。ミルト・ジャクソンのヴァイブをフューチャーしており、コルトレーンのソロはない。しかしここでのミルトのソロはエモーショナルで聴き応え十分である。

A-4.バークス・ワークス(Birk’s works)
ディズ作のディズの楽団のテーマ曲ともいうべきナンバー。テンポが速めなのはライブだからか?
ソロ・オーダーはミルト⇒コルトレーン⇒ディズ⇒テイラー。ここでのコルトレーンのプレイも素晴らしく、ソロが盛り上がってくると、すかさずディズが背後で声をかけていると原田氏は言う。僕には「声をかけている」のが分からない。それとも原田氏が言っているのはVol.2の同曲かな?記載がないので分かりづらい。

B-1.グッド・ベイト(Good bait)
タッド・ダメロンとカウント・ベイシーの共作のバップ時代を代表するナンバー。コルトレーンは後に初期の代表的アルバムの一つと言われる“Soul train”でも取り上げている。原田氏は『コルトレーンを聴け』で、正に「若きコルトレーンを聴け!」的1曲。自信にあふれるプレイをしていると書いているが、確かに短いが自信に満ち溢れたソロであることには同感だ。
最初にテーマを吹くのはコルトレーン。ソロはディズ⇒ミルト⇒トレーン⇒テイラー⇒ヒース。ディズのソロも早いパッセージを織り込みながら素晴らしいソロを聴かせる。

B-2.言い出しかねて(I Can’t get started)
ヴァ―ノン・デューク作曲のスタンダード。ここでは御大のディズがフューチャーされる。ディズは自己のバラード・フューチャー・ナンバーとしてよくこの曲を取り上げている。
トレーンはバッキングのみ。

3.バークス・ワークス(Birk’s works  air check2)
こちらはイントロ付で奏される。
全般的にミルトのソロが聞こえにくい。海賊版の宿命か。
ソロ・オーダーはA面と同じでミルト⇒コルトレーン⇒ディズ⇒ジョンソン。ここでのコルトレーンのプレイはグッと落ち着いた感じで揺るぎない自信を感じる。原田氏が素晴らしいというのはこちらか?記載がないので分かりづらい。こちらはテイラーのソロがなくJ.J.がソロを取る。
4.ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シド(Jumping with symphony Syd)
レスター・ヤングとバディ・フェインという人の作。”Symphony Syd”とは、当時人気だったジャズのディスク・ジョッキー。本名はシド・トーリン(Sid Torin)。他の記載では”Sid ”が普通だが、レコードでは”Syd ”になっている。単なる間違いか?よくテーマ曲に使われるナンバー。
ソロはミルト(ディズの盛り上げる声がこれはよく聞こえる)⇒ディズ⇒テイラー。そしてテーマに戻る。コルトレーンのソロはなし。

本レコードを聴く限りコルトレーンは「誠に下手くそ」とは思えないのだが。このレコードは1970年の発表とのことなので、もしかすると粟村氏は『ジャズ・レコード・ブック』著述前には聞いていないと思われる。まぁ僕のコルトレーン探究も未だ緒に就いたばかりだ。これから聴くべきレコードは山ほどある。楽しみである。

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