ジャズ・ディスク・ノート

第31回2013年11月24日
コールマン・ホーキンス&レスター・ヤング「クラシック・テナーズ」

11月18日伊勢神宮 五十鈴川

ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今年で正社員生活が終わります。今勤務している会社でこれまで有給休暇というものをまとめて取得したことがありません。病気をした時も足の手術をした時も2日間が連続取得の最高記録です。まあそれだけ丈夫だったということで喜ばしいことでしょう。
実は29年前のこの時期結婚しました。29年前新婚旅行でハワイに行き、30年後定年したらまた同じところを廻ろうとカミサンと言っていました。しかし年金支給が延び60歳で定年などしている場合ではなくなりました。来年は再雇用契約を結ぶことになっていますが、有給休暇は年間で12日と減り、しかも有給充当日の休暇が5日決まっているため自由にとれる有給休暇は7日間となります。そこで有給休暇に余裕のある今年二人で旅行することにしました。当初の予定はハワイでしたが、今年はとても物入りで経済的余裕がなくなりました。そこでぐっと規模を縮小し国内旅行、それも僕にとっては初めて旅行会社企画のツアーに参加して2泊3日で式年遷宮で話題の伊勢、古都の奈良、京都を廻りました。今日は第1日目伊勢神宮です。

旧正宮 トップの写真は内宮の中の五十鈴川です。御手洗場で撮影しました。右の写真は式年遷宮で遷る前の正宮です。遷宮された新しい正宮は撮影禁止ですが、旧の方はもうご祖神天照大神が遷られた後なのでもういいよという感じで撮影自由でした。事前申し込みをすれば中に入ることも可能なようです。これは入ってみたかった。旧とはいえ正宮に入れるのは取り壊す前のこのわずかな期間だけです。こういう案内は是非事前に教えてもらいたいものです。

赤福本店 参拝が終わってお決まりの「おはらい町」を散策です。有名な「赤福」の本店です。最近有名ホテルでの食事メニュー詐称が次々に明るみに出て話題になっていますが、赤福も6年前売れ残り商品を餡と餅に分け再利用していたことが農水省の立ち入り検査で発覚し大変な騒ぎとなりました。赤福は消費期限を冬季でも3日間とし、消費者にも消費期限を守るよう包装や販売員が伝えることで有名だったが、実は生産者側が製造日を偽装していたということは大変なショッキングな出来事でした。これを重く見た三重県が無期限の営業停止処分を言い渡したことで一時は経営が危ぶまれもしましたが、現在ではすっかり立ち直ったようで、大変な人だかりでした。そんなことを思い出しながらもお土産として買ってしまうと帰宅するまで消費期限が切れること、また持ち運びにくいことから期日指定で送ってもらうことにしました。

第31回 Coleman Hawkins & Lester Young“Classic Tenors”

CONTACT CM-3

「クラシック・テナーズ」レコード・ジャケット コンタクト盤ラベル

Contents

Contents

Contents

1.ザ・マン・アイ・ラヴ(The man I love)…A1 1.ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャンHow deep is the ocean)…A5 1.ハロー・ベイブ(Hello babe)…B1
2.スィート・ロレイン(Sweet Lorraine)…A2 2.ヴードゥ(Voodte)…A6 2.リンガー・アホワイル(Linger awhile)…B2
3.ゲット・ハッピー(Get happy)…A3 3.ホウキンズ・バレル・ハウス(Hawkin’s barrel house)…B5 3.アイ・ガット・リズム(I got rhythm)…B3
4.クレィジー・リズム(Crazy rhythm)…A4 4.スタンピー(Stumpy)…B6 4.アイム・ファー・イット・トゥー(I’m fer it too)…B4

SessionA

SessionB

SessionC

Coleman Hawkins’ swing four1943年12月23日録音 Coleman Hawkins & his orchestra1943年12月8日録音 Dickie Wells & his orchestra1943年12月21日録音

Personnel

Personnel

Personnel

コールマン・ホーキンスColeman HawkinsTenor sax ビル・コールマンBill ColemanTrumpet ビル・コールマンBill ColemanTrumpet
エディー・ヘイウッドEddie Heywoodpiano コールマン・ホーキンスColeman HawkinsTenor sax ディッキー・ウエルズDickie WellsTrombone
オスカー・ペティフォードOscar Pettifordbass アンディ―・フィッツジェラルドAndy FitzgeraldClarinet レスター・ヤングLester YoungTenor sax
シェリー・マンShelly Mannedrums エリス・ラーキンEllis Larkinspiano エリス・ラーキンEllis Larkinspiano
アル・ケイシーAl CaseyGuiter フレディ―・グリーンFreddie GreeneGuiter
オスカー・ペティフォードOscar Pettifordbass アル・ホールAl Hallbass
シェリー・マンShelly Mannedrums ジョー・ジョーンズJo Jonesdrums


「「クラシック・テナーズ」日本盤レコード・ジャケット ジャズ史上屈指の名盤である。どのくらい名盤かというと僕のような入門者が本来語るのは恐れ多いくらいの代物なのである。こう問う人がいるかもしれない「このレコードは、モダンですか?スイングですか?バップですか?」。これはジャズの名盤です。時代を、ジャンルを超越した名盤だと思う。素人の僕が言うのもどうかと思うが、まずジャズ・ファンを自称するならこれは何としても聴くべき名盤だ。
僕が最初に購入したのは、トップに掲げたレコードでCONTACTというレーベルのもの。粟村氏も「ジャズ・レコード・ブック」でレコード会社はCONTACTとしていた。ラベルをよく見ると”Made in Italy”とある。しかし解説が全くないので、日本盤を買い直した。まずこのレコードを購入するなら、絶対に日本盤がよいと思う。大和明氏による懇切丁寧な解説が貴重である。僕は単純に原盤はsignatureで、それをCONTACTというマイナー・レーベルがいわゆるLPレコード化し、さらにFlying Dutchmanが権利を買い取ったんだなぁくらいにしか思っていなかった。しかし、買い直した日本盤の解説を読み直して、signatureというレーベルは、ボブ・シールが起こしたレーベルだということを知った。因みにFlying Dutchmanの社長もボブ・シールだ。
Impuls!というレーベルでジョン・コルトレーンやアリス・コルトレーン、ファラオ・サンダースの前衛的なアルバムを制作したりしている、まあ前衛寄りの人という認識しかなかったが、実は彼のジャズ・ビジネスは実に古く、極めて早熟なジャズ・ビジネスマンであることを最近知った。

「クラシック・テナーズ」日本盤レコード・ジャケット このレコーディングの状況を整理してみよう。1939年若干17歳日本なら高校生で、ボブ・シールはSignatureレーベルを設立している。このレコーディング当時は21歳、大学生でもおかしくない。このレコーディングは3つのセッションによって成り立っている。最も古いセッションは1943年12月8日のセッションBである。当時プロデューサーのボブ・シール21歳、トランペットのビル・コールマン39歳、ピアノのエリス・ラーキンス22歳、アル・ケイシー28歳、ベースのオスカー・ペティフォード21歳、シェリー・マン23歳、御大コールマン・ホーキンス39歳、アンディ・フィッツジェラルドは分からない。ビル・コールマンは名手とはいえそれほどのビッグ・ネイムとはいえなかったろう。しかしコールマン・ホーキンスは違う、1920年代に当時の花形バンド、フレッチャー・ヘンダーソンの楽団に所属し、ジャズ界でテナー・サックスの確固たる位置づけを行い「テナー・サックスの父」と呼ばれた大御所である。よくこんな20歳そこそこの若造の会社のレコーディングに付き合ったものだと思う。確かにレコーディング・スト明けで録音に窮していたのかもしれない。しかし、彼ほどの大物なら、逆にレコーディングの機会は増えていると思う。ジャズ・ファンはみんな新しい録音を心待ちにしていたのである(そういえば、ヨーロッパから復帰後のホークはなぜかマイナー・レーベルへの録音が多い)。
そう考えると、約2週間後のディッキー・ウエルズ、コールマン・ホーキンス2回目のセッションもそうである。ジャズ好きな、しかし将来有望そうな若造に付き合ってやるか、ということだったのだろうか?それにしてもここでの、というかそれだからこそなのか、どの録音もそれぞれのプレイヤーが手抜きなど全くなしに、持ち味を発揮する全力投球の素晴らしい演奏を披露している。ホークなど生涯に残る名演の一つに数えられるほどのパフォーマンスを記録している。まずこういったレコーディングが成立したこと自体一つの奇跡だろう。

ということでセッションごとに曲を聴いていこう。
録音はセッションB、次いでセッションC、そしてセッションAの順である。順を追って聴いてみるのも一興と思う。 なぜ時系列ではなくセッションAをA面の最初に持ってきたのかというと、大名演として当時も評判になった”The man I love”でガッチリつかもうということだろう。


<セッションA>
セッションAの4曲は1943年12月23日に行われた。シグネィチュアは、当時沿岸警備隊に勤務しながら自分の好みのメンバーを集めて録音をしていたボブ・シール氏が主宰するレコード会社。今となっては豪華極まりないメンバーだが、シール氏は、ホーキンスにどういうメンバーを配するかを考え、当時花形ピアニストであり、自分のバンド結成したばかりで張り切っていたエディ・ヘイウッド、チャビー・ジャクソンとトゥー・ベース・ティームを組んで話題を呼んでいた21歳の新鋭オスカー・ペティフォード、当時の同僚だった23歳のシェリー・マンを参加させたのである。粟村氏はここでのエディー・ヘイウッドのプレイに触れ、新人のヘイウッドが全く聞き劣りしないと評価している。

A面―1 ザ・マン・アイ・ラヴ The man I love
  ガーシュイン作のスタンダード・ナンバーで、本来ラヴ・バラードとしてスロー・テンポで演奏されるのが常だったが、ホークの指示によりミディアム・ファースト・テンポで奏されることになったという。意表を突いたドラムによるスインギーなイントロに始まり、ヘイウッドが実に軽快に華麗に1コーラス半のソロを取る。その後を受けたペティフォードの半コーラスのソロこそは入魂のプレイであり、息詰まるようなブレスの音とともにその雰囲気が見事に録音されており迫力満点である。ラストを受け持つホークの2コーラスに渡るソロも彼のベストに上げられるもので、1コーラス目は比較的ソフトなトーンで、シンプルで流麗なアドリブを取るが、2コーラス目に入ると強弱のビートを生かしながらグイグイと怒涛の如く迫ってくる。マンのブラッシュ・ワークも鮮やかで、見事である。
この名演が発表されるや、当時あちこちのクラブで同じようなテンポでこの曲が演奏されるようになったという。この演奏がいかに多くのミュージシャンを刺激したのかが分かる。

A面−2 スィート・ロレイン Sweet Lorraine
心地よい洗練された味わいの中にも、一種独特の粘り濃さを感じさせるヘイウッドのソロに始まる。続くホークの2コーラスのソロは何気ないようなフレーズの中にも心がこもったフィーリングを感じさせる。バラード・プレイの手本と言われる。

A面―3 ゲット・ハッピー Get happy
テナーとピアノのユニゾンでテーマが提示され、ヘイウッドのピアノ・ソロへと受け継がれる。ここでのヘイウッドは興に乗り唸り声を上げながら実に快適なプレイを行う。続くホークも相変わらず好調で、いささかの淀みも感じさせないスムーズなソロを取るが、2コーラス目に入るや奔放とも思える力強さを一段と強調し、幅と変化のあるトーンでグロールしながら吹きまくる。この演奏も同曲のアンソロジーとして他のテナー奏者に受け継がれた。

A面―4 クレィジー・リズム Crazy rhythm
まずホークがアップ・テンポでテーマを吹き、続いてヘイウッドが軽やかに1コーラスソロを取る。続くペティフォードの1コーラスのソロが終わるのが待ちきれないかのようにベース・ソロの最後の1拍を食いながらホークはアドリブを開始する。そして2コーラスを、豪快に吹きまくる。この日のほかの3曲に比べ変化が乏しく強引さが目立つという意見もあったようだが、何よりもこの日のホークの覇気に満ちた迫力の漲ったプレイはやはり当時一頭地抜けた存在であったことを物語っている。


セッションB録音風景 <セッションB>
このセッションBは、レコーディング・スト開け後のホーク名義による初めてのセッションである。この日の録音は、リズム・セクションにギターを加え、フロント・ラインにもトランペットとクラリネットを加えたセプテットである。
A面―5 ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン (How deep is the ocean)
39年の大ヒット“Bodey&soul” と並ぶホークのバラード演奏の極致を示した稀に見る名演といわれている。その演奏形式は、ピアノのイントロに始まり最初の1コーラスはリズム隊だけをバックにアドリブし、2コーラス目に入るとホーン群のアンサンブルを付け加えることによって一層ホークのソロを浮かび上がらせ、最後はカデンツア的に幕を閉じるところに至るまですべて”Body&soul”に倣ったものだという。全篇ホークをフィーチャーしたバラード吹奏の傑作である。大和氏いわく「”Body&soul”に比べ、一段と豪快な音で終始吹いており、その流麗なキー・ワークとともに自信と貫禄にあふれた絶妙なバラード・プレイで、フル・トーンでバラード演奏を行っても決して繊細な美しさを失わない、実に見事としか言いようがない」と絶賛している。

A面―6 ヴードゥ Voodte
ホークの自作。フィッツジェラルドとコールマンがほんの短いソロを取るほかは全篇ホークのソロをフューチャーした作品。ホークのソロは、男性的なビッグ・トーンの連続で、激しい怒涛の寄り身ともいうべき豪快なアタックで圧倒する。

B面―5 ホウキンズ・バレル・ハウス Hawkin’s barrel house
これもホークの作品。ペティフォードの力強いベースのイントロ、ラーキンスのブギー・ビートを使ったスインギーなソロで始まる。続いてアル・ケイシーの生ギターの歯切れの良いソロ、フィッツジェラルドのクラリネット、ビル・コールマンのトランペットと続き、ホークは同じフレイズを重ねながら盛り上げていき、ラストはニュー・オリンズ風のコレクティヴ・インプロヴィゼイション、そして再びベースの短いソロで終わる。

B面―6 スタンピー Stumpy
これもホークの作品。ラーキンスの味のあるソロで始まり、ホークは出だしからハイ・テンションをキープ、重量感のあるソロを展開する。再びラーキンスのソロを挟み、コールマンもセンシティヴで優雅なミュート・プレイを披露する。そしてさらにちょっとエキセントリックな出だしのホークのソロに戻り、そこからテーマに戻る。


このアルバムは、“Classic tenors” として、2大スタイルを築き上げた2人の巨人コールマン・ホーキンスとレスター・ヤングの名演集という体裁を取っているので、セッションCはレスターを中心に語られることになるが、実際にはトロンボーンのディッキー・ウエルズの名義の録音である。ジャズ評論家のデイヴ・ゲリー氏は、このセッションについて「レスターは、昔のベイシー時代の仲間たちと一緒だということで、優美さが自然に出て相違に満ちたソロを展開している」と評価している。


<セッションC>
このアルバムは、“Classic tenors” として、2大スタイルを築き上げた2人の巨人コールマン・ホーキンスとレスター・ヤングの名演集という体裁を取っているので、セッションCはレスターを中心に語られることになるが、実際にはトロンボーンのディッキー・ウエルズの名義の録音である。ジャズ評論家のデイヴ・ゲリー氏は、このセッションについて「レスターは、昔のベイシー時代の仲間たちと一緒だということで、優美さが自然に出て相違に満ちたソロを展開している」と評価している。
このセッションは、ビル・コールマン、エリス・ラーキンス、アル・ホール以外は、ウエルズが在団していたカウント・ベイシーのメンバーである。 B面―1 ハロー・ベイブ (Hello babe) 
ウエルズの作。ウエルズの短いソロを挟んだラーキンスのソロで始まる。ラーキンスのソロはテディ・ウィルソンの系統を引き継いだスイング・ピアノの味わいを十分に披露する。レスターのメロディック・ラインの美しさは特筆ものだ。コールマンの明快なソロ、リリカルなラーキンスのソロに戻り、ラスト・アンサンブルに入る。

B面―2 リンガー・アホワイル (Linger awhile)
  まずはコールマン、ラーキンスの秀逸なソロから始まる。C-1でほとんどソロを取ら無かったウエルズは、ここでそのロマンティシズムを発揮する素晴らしいソロを取る。人声を思わせる独特のヴィブラートをつけた音色で上品ささえ感じさせるアドリブで、レスターに引き継ぐ。レスターもウエルズの優雅な流れを引き継ぎ、典雅な味わいにあふれたソロを展開する。大和明氏は「特にブリッジ部分のフレイズは素晴らしく、ブリッジを終えた直後の息継ぎによる間の取り方など、レスターの面目躍如たる部分だ。こういったところに彼一流の“くつろぎ”が生まれるのである」と絶賛している。ラストはコールマンのリードするニュー・オリンズ風のコレクティヴ・インプロヴィゼイションで終わる。

B面―3 アイ・ガット・リズム I got rhythm
このトラックは、アップ・テンポにおけるレスターとウエルズのプレイの典型を示している。この曲はレスターの18番であり、彼が大幅にフューチャーされ、本領を発揮している。
ソロはコールマンからスタートし、コールマン1コーラス、レスター1コーラス、ウエルズ2コーラス、そして再びレスターとなるがこの4コーラスに渡るソロこそが圧巻の出来なのである。
解説の大和明氏は、32小節×4コーラス=トータル128小節を8小節づつに分け、詳細な解説を行っている。大和氏によると、レスターはわざとアンバランスな感を与えながらスリルを作り出し、最終的には実にバランス感のとれた構成美を生み出すというアドリブ芸術の至芸が聴かれる名演中の名演としている。
大和氏の解説を読みながら、このトラックを繰り返し聞く―これ以上のジャズの勉強はないと思う。

B面―4 アイム・ファー・イット・トゥー I’m fer it too
ウエルズのオリジナル・ブルース。注目はギターのフレディ―・グリーンで、彼はリズム・ギターの第1人者としてリズムプレイしか行わないことで有名だが、ここでメロディ・ラインを弾いている。彼がメロディーを引いたのは、38年ビリー・ホリディ楽団“On a sentimental side “のイントロ、39年グレン・ハードマンのハモンド・ファイヴにおける”Why ? “でのソロなど数えるしかない。
グリーンのイントロの後最初にソロを取るのはウエルズで、2コーラスブルースの香りは薄いが風雅な香り漂う落ち着いたソロを取る。ウエルズのソロの後、ジョーのドラムでテンポが一転、ミディアム・アップのブルースとなる。レスターのメロディアスでスムーズなよく乗ったソロ、コールマンの軽快で華麗なソロ、ラーキンスがブギー・ビートを生かしたリズミカルなソロを取り、ウエルズが再び登場するがラフなプレイでジョーとフォー・ヴァースの交換を行い、ラスト・アンサンブルに入っていく。

最近ジャズに興味を持った人などは、本などによってテナー・サックスの巨人としてコールマン・ホーキンス、レスター・ヤングという名前は聞くかもしれない。しかし一体どのレコードを聴いたらいいのだろうと迷うのではないかと思う。また最近はこういった本当の巨人たちのアルバムというのは実は入手しにくくなっているような気もする。スタイルの違う2人の巨人の名演を収めたこのアルバムはジャズの入門アルバムとしてもってこいのものだと思うのだ。

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第32回2013年12月8日

ジューン・クリスティ 「サムシング・クール」

ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
誰も見ないサイトではありますが、1週間で更新を心がけてきましたが今回アップまで2週間かかってしまいました。ほとんど12月1日にできており、12月2日か3日にはアップできると思っていたら、12月2日から結構な残業の毎日で着手することができませんでした。

紅葉の東大寺 前回は11月18日の伊勢神宮で撮影したものを中心にご覧いただきました。今日は翌11月19日の奈良の紅葉です。奈良は非常に寒く、ツアーのコース長谷寺から室生寺に向かう途中雪が降り、道路にも白いものが残るほどでした。晴れ間がのぞくかと思うと移転して雨が降るという感じで天気が変わりやすく、日が射すと暑く日が陰ると寒いくらいで、雪まで舞いました。右の写真は超有名な<東大寺>です。



今日の近所の森 一挙に紅葉
12月1日の日曜日は僕の住む辺りは快晴、暖か日和でした。そこで久しぶりに森に散歩に行くと、一気に紅葉が進み葉を落としている木もありました。こういうのを”小春日和”というのでしょうか。僕は最近忙しく毎日毎日残業の日々です。僕の勤め先は東京で通勤時間が片道2時間です。通勤だけで疲れます。こんな良い環境のところは都心からは遠いということです。






第32回June Christy “Something cool”

レコード…モノラル…ECJ-50060(日本盤)、ステレオ盤…ST516


「サムシング・クール」モノラル盤レコード・ジャケット

<モノラル盤>…ピート・ルゴロと彼の楽団

ジューン・クリスティ June Christy Vocal
ピート・ルゴロ Pete Rugolo Arranger、Conductor
A-1 Something cool … 1953年8月14日ロス・アンゼルス録音
Maynard Ferguson、Conrad Gozzo、shorty Rogers、Jimmy Zito … Tp
Milt Bernhart、Herbie Harper、Tommy Pederson、George Roberts … Tb
Gus Bivona、Bud Shank … As、Bob Cooper、Ted Nash … Ts、Chuck Gentry … Bs
Jeff Clarkson … P、Barney Kessel … Gt、Joe Mondragon … B、Frank Carlson … Dr

B-1Midnight sun … 1953年12月27日ロス・アンゼルス録音
Linn、Ray Triscali、Van Rassey … Tp
Nick Dimaio、Dick Noel、Tommy Pederson、Dick Reynolds … Tb
Skeets Herfurt、Willie Schwartz … As、Fred Fallensby、Ted Nash … Ts、Chuck Gentry … Bs
Paul Smith … P、Tony Rizzi … Gt、Joe Mondragon … B、Al Stoller … Dr




「サムシング・クール」ステレオ盤レコード・ジャケット A-3、B-4、A-2、B-3、B-2 … 1954年1月18、19日ロス・アンゼルス録音
Maynard Ferguson、Conrad Gozzo、shorty Rogers … Tp
Milt Bernhart、Harry Betts、Tommy Pederson … Tb Harry Klee、Bud Shunk… As、Bob Cooper、Ted Nash … Ts、Chuck Gentry … Bs
Russ Freeman … P、Howard Roberts … Gt、Joe Mondragon … B、Shelly Manne … Dr
B-5 … 1954年12月29日ロス・アンゼルス録音
Conte Candoli、Conrad Gozzo、shorty Rogers … Tp
Milt Bernhart、Bob Fitzpatrick、Herbie Harper … Tb
Bud Shunk… As、Bob Cooper、Jimmy Guiffre … Ts、Bob Gordon … Bs
Claude Williamson … P、Howard Roberts … Gt、Joe Mondragon … B、Shelly Manne … Dr
B-6、A-5、A-4 … 1955年5月9日ロス・アンゼルス録音
ピート・ルゴロと彼の楽団
Conte Candoli、Buddy Childers、Conrad Gozzo、shorty Rogers、Jimmy Zito … Tp
Milt Bernhart、Harry Betts、John Halluburton、Herbie Harper、George Roberts … Tb
Harry Klee、Bud Shunk… As、Bill Holman、Jack Montrose … Ts、Jimmy Guiffre … Bs
Pete Rugolo … P、Laurindo Almeida … Gt、Joe Mondragon … B、Shelly Manne … Dr

<ステレオ盤Personnel>…ピート・ルゴロと彼の楽団

<Personnel>
詳細不明

<Contents>

A面
B面
1.サムシング・クール (Something cool) 1.ミッドナイト・サン (Midnight sun)
2.イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー (It could happen to you) 2.アイル・テイク・ロマンス (I’ll take romance)
3.ロンリー・ハウス (Lonely house) 3.ブルースという見知らぬ人 (A stranger called the blues)
4.今こそ夢のかなう時 (This time the dreams on me) 4.アイ・シュド・ケア (I should care)
5.夜に生きる (The night we called it a day) 5.朝日のようにさわやかに (Softly , as in a morning sunrise)
6. 6.心のときめき (I’m thrilled)

このアルバムは実に珍しいアルバムで、僕の知っている限りジャズ界では唯一なのではないだろうか。それはこのアルバムは2種類あるのである。モノクロのジャケットとカラーのジャケットである。因みに僕が最初に買ったのはカラー盤である。これも高校生の修学旅行の時に京都で購入した。ジューン・クリスティの最高傑作と言われる[サムシング・クール]といえば当然これだと思っていたのだ。ところが2種類というのである。2種類とはモノクロ・ジャケットとモノクロ・ジャケットである。僕はずっとその違いはモノクロ=モノラル、カラー=ステレオぐらいにしか思っていなかった。ところがこの2種類は全く別物なのだ。
ステレオ盤ラベル 師粟村政昭氏はクリスティについてこう書いている。「ケントン楽団を離れてソロ・シンガーとして出発してからのジューンのLPが日米とも軒並み廃盤にされてしまったのは痛いが、独立後の彼女の最高傑作“Something cool”(Capitol T-516)が残されているのは不幸中の幸いといってよい」。そして僕が京都で購入した“Something cool”は輸入盤でレコード番号はCapitol ST516だ。番号の違いは”S“が入るか入らないかの違いである。迂闊な高校生は(今も迂闊だが)同じものだろうと思って疑わなかった。
その後何年かたってジャズを再び聞くようになって僕が知ったことは、2つのレコードはそもそも違うということで、モノクロ・ジャケット=モノラル盤は1950年代というクリスティがまだ若いころの録音、カラー・ジャケット=ステレオ盤は1960年代に再び吹き込まれたものだということである。僕の読んだある記事ではこのことに好意的で、「この2種類の録音の基本的なバックの演奏は同じである。しかし歌手は年齢を重ねることによって声が変わり、歌い回しも変わってくる。その違いを楽しむ極めて珍しいレコード。君はどちらのクリスティ・ファンになる?」的な内容だった。当時の僕はモノラル盤を持っていなかったがなるほどそういうことか、それは是非モノラル盤も聴いてみたいなぁと思っていたのであった。しかし日本の東芝EMIから再発売されたモノラル盤を買って解説を読むとそう微笑ましいことばかりでは無いようである。
解説の悠雅彦氏によると、このモノラル盤が初めて日本で発売になったのは1958年の6月ことだったという。その後廃盤になったり再発売を繰り返していたようだ。イギリスのジャズ専門誌がステレオ盤とモノラル盤とではクリスティの伴奏が異なるという記事を掲載したことにより、このレコードに関するいろいろな憶測が飛び交うことになったという。そして伴奏ばかりではなく、クリスティの歌そのものが異なり、ステレオ盤の方は1960年に吹き込みし直したものだということが英国のジャズ研究家アラン・モーガン氏によって明らかにされたというのである。???。
ということはキャピトル社は1960年に吹き込み直したということを隠してステレオ盤を売っていたことになる。何故そんなことをしたのだろう?全く訳が分からない。1950年代に吹き込まれたモノラル盤はベスト・セラーを記録した人気盤だったというが、それなら7年経って改めて新たな境地でクリスティが再挑戦しました、と言えばファンはどちらも聴いてみたくなるのではないだろうか?どうも全く理解できない。アラン・モーガン氏の指摘が何年のことだったのか記載がないが、僕がいったんジャズを離れて戻ってきた時には、先ほど書いたモノクロ=モノラル、カラー=ステレオ、ステレオは新しい境地で再挑戦したもの、という認識が行き渡っていたような気がする。いくら新境地といっても全く同じ曲を同じ伴奏で吹き込み直すというのは極めてというか他にない珍しいケースだが。
しかし、ファンの間でステレオ盤とモノラル盤では伴奏が違うようだということが話題になるのだから相当似せて作ったのだろう。実際似ているというか僕などにはほとんど見分けというか聴き分けが付かない。しかしファンの間ではオリジナルの吹込みの方が優れているという評価になっているようだ。これは今になってみるとキャピトルの戦略ミスであると思う、というかどういう戦略だったのかさえ皆目想像がつかないが。騙してステレオ録音盤を売るから、購入者は騙されたと思うのである。ファンは騙されてステレオ盤を買わされてはたまらないと思うのである。逆にオープンに「あの名作“Something cool”をジューン・クリスティが新しい境地での吹込みにチャレンジしました」と言って売れば、「どれどれ聴いてみよう」という気になるのである。因みにモノラル盤解説の悠氏は、アメリカのレコード会社が少なからぬ製作費をつぎ込んでまで、こうした愚挙に走ったのは、このアルバムが発売当時ベスト・セラーを記録したヒット作であり、かつ内容が傑出した名盤という理由もさることながら、ステレオ録音が大きな注目を集めていた当時のアメリカの社会状況に負うところが大きかったという事実を考慮に入れておく必要があるとしながらも、ステレオ盤を聴いていないことを告白している。

このアルバムは最初は1954年に10インチアルバムとして発売、その後の録音を追加して1955年彼女の初の12インチアルバムとして発売された。
[2in1CD]裏面とこのアルバムの成り立ちについて書いてきたのは、それは僕がジューン・クリスティという歌手が気に入っているからと思われるかもしれない。しかし実際はあまり気に入っていなかった。ただし今に振り返ってみると、それは僕にとっての“Something cool”は京都で買ったステレオ盤だったからかもしれない。高校生の時アニタ・オディのレコードを先に買って聴いていてヴォーカルも好きだった。その後のことになるがケントン・ガールズ、アニタ〜ジューン〜クリス・コナーという流れの中でアニタとクリスは好きだったがジューンはそれほど好きになれなかった。どうしてジューン・クリスティに心惹かれなかったかというと、ジューンは何か堅いのである。女性教師の歌を聴いているような感じがしたのだ。しかしモノラル盤を聴くと声の質がやはりアニタ、クリスと近いハスキー・ヴォイスという感じで、悪くない。やはりモノラル〜ステレオの7年間で声が衰えたのだろうか?僕はその辺はよく分からないが、声の質は変わった感じはする。

さて、本題の曲に行こう。という前にどちらを基準にするかだが、ブッチャケ僕もモノラル盤の方が、ステレオ盤より良いような気がする。僕の場合は単に声が好きだ。今ではモノラルとステレオを1枚のCDに収めたいわゆる[2in 1]アルバムも発売されており、これを買えばどちらも味わえる。現代は、今まで眉を吊り上げてモノラル盤とステレオ盤は単に方式の違いかそれとも内容が違うのかといった議論が飛び交ったことなど忘れさられたようなアッケラカンとした時代ではある。
まあともかく曲を聴いていこう。

A-1サムシング・クール (Something cool)
ビル・バーンズが彼女のために書き下ろした野心作。このアルバム、ひいてはこの時代を象徴するオリジナル作品であると悠氏は書いている。曲の構成は、各8小節のAA’BA’A’’形式40小節。<Personel>に記載はないが、Sax奏者はフルートを吹いていると思われる。フルート、アルト・サックス、ミュート・トランペットで構成する高音部を生かしたイントロのオーケストラのヴォイシングはルゴロ独特の高音部を生かしたもの。後に続くジューンのクールな性質のヴォーカルはジャケットの冷えたカクテルを思い起こさせる。ホーン群をバックにしてテンポはルバートで歌いだす冒頭のAからドラマティックに展開していく1コーラス、またバーニー・ケッセルのGtと対話するインタールードを経たのち、情熱的に盛り上げて感銘を呼ぶ後半といい、彼女のクールな感覚情熱的な表現が見事に結実して傑作。

A-2イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー (It could happen to you)
映画“And the angels sing”に挿入されたジミー・ヴァン・ヒューゼン作曲、ジョニー・バーク詞の1944年の作品。コード進行の美しい曲として知られていてバラードして歌われることが多いが、ここでは快適なスインギーなナンバーに仕立てられている。悠氏はAB形式32小節で全2コーラスの構成で、殊に大胆にフェイクし、巧みにテンション・ノートを織り交ぜて展開していく2コーラス目が息をのむほどにすばらしいとしている。

A-3ロンリー・ハウス (Lonely house)
「三文オペラ」で知られるクルト・ワイルが46年に作曲し、47年にラングストン・ヒューズの詞を得てミュージカル“Street scene”に挿入されたAA’BA’’形式32小節の作品で、冒頭の16小節はおそらくヴァースだろうと悠氏はいうこれもジューンならではの交渉で、この渋い難曲を彼女はブリッジをテンポ・ルバートに落とし変化を出しながら、曲の性格を巧みにつかんだ仕上げを披露するとしている。

A-4今こそ夢のかなう時 (This time the dreams on me)
ジョニー・マーサー(詞)、ハロルド・アレン(曲)の名コンビが映画“Blues in the night”のために作ったAA’BA’’形式32小節の作品。A-2同様ミディアムの4ビートに乗って全1コーラス半を一気に歌い上げる。後半の半コーラスはA’を転調したり、エンディングにバックと絡みを作るなど工夫を凝らした演出が見事と悠氏。

A-5夜に生きる (The night we called it a day)
シンガー・ソングライターの草分けの一人マット・デニスの1941年の作品(詞はトム・エイディア)。これも渋い選曲だがジューンのモダンな唱法に寄ってクールな抒情をたたえる名唱となったといわれる。ここでもフルートを生かしたサウンドが聴かれる。これもAA’BA’’形式32小節の作品で、バド・シャンクのソロをちりばめた構成が光る。サビからの再唱は大胆な転調を行い最後のハミングで夜のしじまに溶け込んでいく。


B-1ミッドナイト・サン (Midnight sun)
ライオネル・ハンプトンの作という(ソニー・バークとの共作、詞はジョニー・マーサー)。AA’BA’’形式だが、Aが14小節、Bが8小節という変わった構成の曲という。

B-2アイル・テイク・ロマンス (I’ll take romance)
オスカー・ハマースタイン2世(詞)とベン・オークランド(曲)による37年の作品で同名の映画に挿入された。AA’BA’’形式32小節の作品で、イントロはハワード・ロバーツのギターとの静かな対話形式だが、途中からパンチの効いたアンサンブルとともに弾んだような4ビートとなる。1コーラス目を歌い終えた後のブリッジはテンポ・ルバートで、またコーダも付けて変化をつけ、ドライヴ感豊に盛り上げている。

B-3ブルースという見知らぬ人 (A stranger called the blues)
白人男性シンガー目ル・トーメの作った佳曲。バド・シャンクのブルージーなAsをフューチャーしたAA’BA’’形式の作品。Bが8小節に対してAは16小節で構成されている。ジューンはバドのオブリガードを受け、軽いコーダを付けた1コーラスを熱っぽく歌い上げる。

B-4アイ・シュド・ケア (I should care)
1945年にサミー・カーン、アクセル・ストーダル、ポール・ウエストンが共作した映画“Thrill of a romance”の主題歌。AB形式32小節の美しいバラード。1コーラスの歌唱の後にアンサンブル8小節が挿入され、ジューンが8小節謡コーダに移るがここでリットしてしてコーダへ滑り込むときのフレー人にうまさが印象的だと解説の悠氏は書いている。

B-5朝日のようにさわやかに (Softly , as in a morning sunrise)
これもオスカー・ハマースタインとシグムント・ロンバーグのコンビによる名曲で28年のオペレッタ“New moon”の挿入歌。AA’BA’’形式34小節(Bのみ10小節)の作品。以前拙サイトでもウィントン・ケリーの名演を取り上げたことがある。悠氏はヴォーカルではこのジューンの名唱を上げなければならないとしている。ブラスのメタリックでクールな音色を生かしたルゴロのアレンジに支えられて、ジューンのモダンなフレージングとハスキーなヴォイスが生きている。

B-6心のときめき (I’m thrilled)
初々しい恋のときめきを歌ったシドニー・リップマンのAA’BA’’形式の作品。ジューンはゆったりと歌いだし、ここでもフルートを使った独特のルゴロ・サウンド中で淡々と歌い恋の機微を表現している。ここでもブリッジはテンポ・ルバートに落とし表現に幅を持たせている。悠氏はコーダも短7度から5度の音で終わるフレージングいかにも新鮮でモダンな味が醸し出されているとしている。

僕が音楽を聴きはじめた時には既に主流は12インチLP盤になっていた。そして初めてのコンセプト・アルバムと言われたビートルズのレコード「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発売されたのが1967年、僕が12歳中学1年の時だ。だから高校からジャズを聴きはじめた僕はどうしても、LPには何らかのコンセプトがあって制作されたものという意識がある。もちろん僕が高校の時でもそうでもないLPはあったのだが、それは単にヒット曲を集めたものだったり、1曲か2曲のヒット曲を基に適当に曲を収録したものでレコードの品位というか格は落ちるという感じだった。だから何となくこの“Something cool”というタイトルから、”Cool“を意識したトータル・アルバム、コンセプトのあるアルバムと思ってしまう。実際はどうなのかというと多分世界に先駆けてのトータル・アルバムではなかったかとさえ思う。どうも不思議なのはこのアルバムの収録曲はいくつかシングル盤として発売されたものもあるが、このアルバム前が初出なものも多い。ということはこのアルバムを作成することをある程度意識して録音作業を続けていたのだろうか。その割に7年後のステレオ偽装は杜撰である。ここでお金をかけていてなぜ7年後に偽装するのかが分からない。

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第33回2013年12月15日

ジェイ・マクシャン・オーケストラ 「アーリー・バード」

ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
本来は11月20日の京都の紅葉をご覧いただこうと計画していましたが、更新スピードが遅くなり、今更感が強くなりましたので取りやめて近所の森にしました。まだ初冬か晩秋という景色です。師走と言いますが<師>でもないのになのか<師>ではないこそか分かりませんが忙しくてたまりません。相変わらず残業の毎日です。

ジム・ホール 今週は悲しいニュースがありました。ジャズ・ギターの巨匠ジム・ホール氏が83歳で12月10日逝去されました。拙サイトでも彼の参加作品「東経2度西経3度」を取り上げています。僕はいけませんでしたが昨年2012年6月に81歳で来日しライヴを行っています。その評を読み返すと「スタンダードを演奏しながら元のメロディーの断片も消えてしまうような奔放かつ大胆極まりない異世界に旅立ってしまう。しかし奔放といっても歯止めを失くした世界ではない」という前衛ジャズ・マンかと思われるような演奏だったようです。ジャズ界の革命児ではありませんが、巨人には間違いありません。



京都・南禅寺‐天授庵
でも折角なので、1枚だけ。京都・南禅寺/天授庵の石庭。もみじの紅葉も素晴らしいですが、苔が美しいです。このような庭がある家に住んだらどんな気持ちで毎日を過ごすのでしょう。手を入れない森(実はかなり入っているのですが)そして洗練の極みともいえる石庭。どちらも美しくやはりこういう自然を見ながら生きていきたいと切実に思います。







第33回Jay McShann Orchestra “Early Bird”

レコード…東芝EMI ITJ-70069(日本盤)


「アーリー・バード」日本盤レコード・ジャケット

<Personnel>

A-1、2 … 1940年11月30日 カンサス州ウィチタ Station KFBI
Bernard “Buddy” Anderson、Orville Minor …Trumpet
Bob Gould…Trombone、Charlie Parker、…Alto sax、William J Scott…Tenor sax
Jay McShann、…Piano、Gene Ramey、…Bass、Gus Johnson… Drums
A-3〜7 … 1940年12月2日 カンサス州ウィチタ Station KFBI
Bernard “Buddy” Anderson、Orville Minor …Trumpet
Bob Gould…Trombone&Violin、Charlie Parker、…Alto sax、Bob Mabane…Tenor sax
Jay McShann、…Piano、Gene Ramey、…Bass、Gus Johnson… Drums
A-8 … 1942年 Clark Monroe’s uptown house録音
Charlie Parker、…Alto sax、Al Tinney…PianoEbenezer Paul…Bass他 … Charlie Parker … Alto sax以外詳細不明

B面

<Personnel>

不明

<Contents>

A面
B面
1.アイ・ファウンド・アニュー・ベイビー (I found a new baby) 1.You say forward , I’ll march
2.身も心も (Body and soul) 2.Lonely boy blues
3.モーテン・スイング (Moten swing) 3.Vine street boogie
4.コケット (Coqutte) 4.Jump the blues
5.レディ・ビー・グッド (Lady be good) 5.One o’clock jump
6.ブルース (Blues) 6.Bottle it
7.ハニーサックル・ローズ (Honeysuckle rose) 7.Sweet Georgia brown
8.チェロキー (Cherokee) 8.Wrap your troubles in dreams
9.One o’clock jump

さて突然だが、僕はマイルスに対してと同様にチャーリー・パーカーという稀代の天才についても腰を据えて勉強していこうと思っている。何故というとアーティスト・リンクのページにも記載したが、マイルス・ディヴィスによるとジャズの歴史上その偉大さではルイ・アームストロングと肩を並べるTOP2なのであるが、正直に言ってその偉大さがいまいちピンと来ないのである。
僕はモダン・ジャズ全盛期というか爛熟から廃れ気味の時にジャズを聴きはじめたと思うのだが、その時期というのは世の中のサックスプレーヤーというのは、バードの影響は受けましたが、そのままではあきまへん、それを乗り越えて自分の個性を発揮したプレイをしないと仕事にはありつけまへんで!というような時代だったのであり、バードが革命児だとすれば、その前の時代を知らないと何をどう変えたのかが分からないのである。バップ時代の前と言えばスイング時代、その時代の3大アルト奏者と言えば、ベニー・カーター、ウィリー・スミス、ジョニー・ホッジスであるが、ホッジスは極めて独特なので聴けば大体わかるが、カーターとスミスの違いというのは僕にはよく分からない。粟村氏によればホッジスの艶麗なプレイ、カーターの端正なソロに対してスミスはより力強く華やかとまとめているが、カーター、スミスのプレイというのはなじみが薄い。これもよく勉強しなければならない。
話がそれたが、要は[バード]は大きな波だったがすでにその影響は行き渡っておりスタンダード化し、さらには昇華されたと思われた、或いは言われた時代にジャズを聴きはじめたからである。それと音楽的に絶対音感などとは皆目縁のない人間なので、よく解説本などに♭5thの革命的な音使いとか言われてもどの音が♭5thに当たるのかなどが分からないのである。
これも確かマイルス・ディヴィスだと思うが、「チャーリー・パーカーの偉大さをあの神業的な早吹きだけでしか理解できない連中がいるが、それはそれでいいんじゃないの。だってそれだけでもものすごいことなんだから。あれだけの速さであのフレーズをクリアーな音で吹ける奴なんか他にいないぜ!」と言っている。それを聞いた時は正直「グヤジー!」(古)と思った。僕はそういうすごさしか分からなかったからである。そしてちゃんとチャーリー・パーカーを聴いていこうと思ったのである。
「アーリー・バード」日本盤ラベル さて、今回取り上げたアルバムは、現在比較的入手可能な“バード”ことチャーリー・パーカーの最初期の録音が聴ける貴重なアルバム。まずB面の9曲はバードとは全く無関係な録音である。バードのマクシャン時代の録音を集め1枚のLPを作る場合どうしても片面分くらいしか音源が残っていない。そのため後の1943年くらいのマクシャンの録音を集めてB面に収め1枚のLPとしたというくらいの意味あいだろう。レコードの解説(悠雅彦氏)もB面にはあまり触れていない。B面の価値は、第二次世界大戦中の放送録音ということで、場所はニューヨークらしいが、カウント・ベイシーの出身地でもあるカンサス・シティでベイシー・バンドがニューヨークに出てから一、二を争う人気バンドになったマクシャン・バンドのストレイトな泥臭くブルース臭い演奏が聴けるという点であろう。大戦中に日本とは違いこういう曲がラジオなどで流されていたのである。文化の違いなのか国力の違いなのか?
さて、ディスコグラフィーによると現在判明しているバードの初録音は、1940年5月11日にカンサス・シティで録音された2曲(Honeysuckle rose、Body and soul…未聴)、同じ40年8月9日に録音された2曲(Jumpin’ at the woodside、I got rhythm…未聴)とのことであるが、1972年10月末に出版された「チャーリー・パーカーの伝説」(晶文社)付属の大和明氏の「生涯と遺産」にも記載されていないし、本アルバムの悠氏の解説(1976年1月)にも出ていないのでその後に発見されたのだろう。
バードは1938年初めジェイ・マクシャンの楽団に加入したが、毎晩遅刻したりしたため、3、4か月でクビになる。その後シカゴへ出たり、ニューヨークに出たりしていたが、1940年マクシャンに頼み込み再度入団する。そしてマクシャンに再入団を許可されカンサス・シティに戻り、主に近郊のカンサス、ミズーリ、テキサスなどを巡業してまわっている。マクシャンの楽団がたまたまカンサス州のウィチタに来ていた時に珍しく仕事のない週末を迎えた。そこでマクシャンは旧知のラジオ局KFBIのプロデューサーであるフレッド・ヒギンスンから放送用の録音を頼まれる。これは1940年のこととしては、異例のことだったという。放送用に録音を行ったバンドなど数を数えるほどしかなく、それも名もない地方の1バンドが録音するなど空前の出来事だったのだという。
ともかくこのようにして実現した1940年11月30日の演奏が残されていることは大変幸運なことである。
まあともかく曲を聴いていこう。

A-1 アイ・ファウンド・ア・ニューベイビー (I found a new baby)
ディスコグラフィーでは、“I’ve found a new baby”と過去完了形となっている。AA’BA’’32小節1コーラス形式のスタンダード・ナンバー。ソロはマクシャン、アンダーソン、パーカー、グールド、スコットと1コーラスずつリレーされていく。パーカーのソロは内容に乏しいが素早い指使いが注目されると悠氏。

A-2 身も心も (Body and soul)
これもAA’BA’’32小節1コーラス形式のスタンダード・ナンバー。パーカーがテーマを吹いている。この吹奏はコード進行にフレージングもリズムも従順であると悠氏。マイナー(Tp)1コーラスのソロの後、マクシャン8小節のエンディングで終わる。

A-3 モーテン・スイング (Moten swing)
ここから2日後の12月2日に行われた録音になる。合奏のテーマAA’BA’’32小節1コーラスの後にパーカーが先発のソロを取る。なめらかなフレージングでレスター・ヤングを彷彿とさせる。つづくアンダーソンのTpも注目でコンセプションは既にリズムやバッキングをはみ出していると悠氏。大和氏によるとディジー・ガレスピーはたびたびカンサス・シティを訪れアンダーソンと共に練習していたという。『バードは生きている』のロス・ラッセル氏によると、アンダーソンのヴィブラートはきわめて軽く、フレージングは余裕たっぷりである。柔らかい音は陰影に富み、それまで誰も吹いたことのないレガートとスタッカートの見事に溶け合った滑らかな動きを聴かせる。アンダーソンのプレイは、やがてビバップ時代に花開くスタイル、ファッツ・ナヴァロ、ディジー・ガレスピーの演奏を予示するものがあるという。

A-4 コケット (Coqutte)
これもAA’BA’’32小節1コーラス形式の取るに足らぬ当時のティン・パン・アレイ(流行歌)で、パーカーのテーマ吹奏はロマンティックで濃密なニュアンスに彩られていると悠氏。当時アメリカのダンスホールで夜ごとに演奏されていたポピュラー音楽そのままのスタイルで演奏されているという。チャーリーはこの曲から、ティン・パン・アレーの作曲職人たちがたっぷりと盛り込んだ哀愁を最後の一滴まで絞り出してみせる。チャーリーの「コケット」は今にも本物のスイングとなって繚乱たる展開を見せる気配をはらんでいる(ロス・ラッセル著『バードは生きている』)。アンダーソンのTp、グールドのTbソロも聴きどころが多い。

A-5 レディ・ビー・グッド (Lady be good)
レスター・ヤングの18番の一つだという。パーカーはカウント・ベイシー楽団におけるレスターのソロを徹底的にコピーした。パーカーがいかにレスターをなぞったかが分かるという。短い音に大胆に対比させる長い音、サウンドの作り方、高音域のかすれ、変則的な指使いから生まれる音の陰影、メロディーの起伏、それにさりげない余裕のあるスイング感、3連符を使ったフレージングなどレスターの生き写しだという。
テーマはテナーのマベイン、続いてパーカー、アンダーソン、マクシャンとソロが続く。

A-6 ブルース (Blues)
12小節のブルース。パーカーはソロを取っていない。2コーラス目のグールドに絡むアンサンブルが古い時代のゴスペル風讃美歌を思わせて面白いと悠氏。

A-7 ハニーサックル・ローズ (Honeysuckle rose)
これもAA’BA’’32小節1コーラス形式の有名なスタンダード・ナンバー。 イントロが面白い。ボブ・グールドのヴァイオリンがテーマを奏でる。ソロはマクシャン、アンダーソン、パーカー、ジーン・レイミー&ガス・ジョンソン。Tpのソロを従来オービル・マイナーと言われているが、悠氏はアンダーソンではないかとしている。しかしソロの圧巻はパーカーで、悠氏によれば♭13thをパッシング・ノートに織り込み、ダブル・タイムの感じを出すなど後年のパーカー節の萌芽を強く感じさせる貴重な録音としている。終わりに出てくるパーカーの吹奏はずっと後の絶頂期のソロを思わせる。ほぼ完成に近い感じがする。

A-8.チェロキー (Cherokee)
マクシャン楽団は1942年1月第2週金曜日にニューヨークのサヴォイ・ボールルームに初登場し、同年夏ごろ同地を去るまで数々の演奏を披露した。この演奏はこの期間に録音されたものであるが、正式なものではなく彼らが夜ごと深夜営業のクラブへ行ってジャム・セッションを行っているところを録られたもの。そのため正確にはいつどこで録音されたものかは実際には分からない。 パーカーは1939年12月のジャム・セッションでこの曲を演奏している時にそれまで頭では考えられたが表現できなかったやり方を見出したといわれる。それから約1年後の演奏であり、それからここまで何回も吹奏してきたと思われる。ここでパーカーのソロは2コーラスに渡って収録されているが、レスターの影響を克服した力強い吹奏。
さてこのA面のうちA1〜7は1968か69年頃ジェイ・マクシャン自身によって発掘された(それまでこのテープはコレクターの間を往来していていたという)という。そしてA-8は熱狂的なジャズ・ファン、ジェリー・ニューマンのコレクションから発見されたという。しかしニューマン自身はパーカーの演奏を好んでいなかったため、録音した人物は別人であろうと言われる。ともかくこうした録音が残されていることは実にありがたこととしか言えない。


全体として見た場合、僕のようにバードをちゃんと知りたいという人には欠かせないアルバムだと思う。悠氏の言うようにA-3以降はバードらしいフレージングが出てくる。「あぁ、バードだなぁ」と思う。しかしかなりレスター・ヤングの影響が顕著だとするとレスターの勉強をしなきゃ!とも思う。あぁジャズはちゃんと聴こうとすると勉強の連続だなぁ!

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第34回2013年12月22日
トミー・フラナガン「ザ・キャッツ」

12月22日葉も落ち冬景色の森 ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
寒い日が続いています。北の方では雪が積もっているようですが、僕の住んでいるところではやっと森の葉が落ち、冬らしくなってきました。今日も寒い一日でした。

森の中のクリスマス・リース 森の中のクリスマス・リースのアップ 森の中を散歩中、休憩場所の近くの期にクリスマス・リースがかけられている木がありました。クリスマスですねぇ。でも誰がかけたのでしょうか。写真だけではわかりにくいかもしれませんが、結構高いところについています。









彼岸花9月23日 彼岸花9月23日 第23回の時鉢で栽培されている彼岸花を見つけ、話題にしました。彼岸花は花が枯れると、晩秋に長さ30 - 50cmくらいの線形の細い葉を地表に並べるように生やします。その葉は深緑でつやがあるといいます。葉は冬が終わり春が迎えるまで生えていますが春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えていない、実際はどうなるか冬になったらどうなるか見に行こうと書きました。ふとそのことを思い出し、見に行きました。左が9月23日、右が12月22日です。




第34回 Tommy Flanagan “The cats”

日本盤 MJ-7092 (Pres-7039)

「ザ・キャッツ」ジャケット

<Personnel>

トミー・フラナガンTommy Flanaganpiano
アイドリース・シュリーマンIdrees SuliemanTrumpet
ジョン・コルトレーンJohn ColtraneTenor sax
ケニー・バレルKenny BurrellGuitar
ダグ・ワトキンスDoug Watkinsbass
ルイ・ヘイズLouis Hayesdrums

<Contents>

A面
B面
1.いつからこうなったの (How long has this been going on) 1.ソラシウム (Solacium)
2.マイナー・ミスハップ (Minor mishap) 2.トミーズ・タイム (Tommy's time)
3.エクリプソ (Eclypso)

1957年4月18日録音

大昔、僕がジャズを聴きはじめた高校生の頃、ある別の目的(何かは訊かないように)で今は無き「平凡パンチ」という雑誌を買った。その中に活版ページだったと記憶するが「今、ジャズの”幻の名盤”ブーム!」なる記事があった。ジャズを聴きはじめた僕が”幻の名盤”なるものがあることを知った最初である。やはり専門誌だけではなく幅広い読書は大事である(?)。
トミー・フラナガン「オーヴァーシーズ」レコード どうもその記事が書かれたきっかけというのは、あるレコードがとてつもなく高い値段で売買されているということなのだそうだ。そのアルバムとは以前アート・ファーマーの「アート」でピアノを弾いていた名盤請負人と言われるトミー・フラナガンの「オーヴァー・シーズ」というアルバムである。でもその記事を読んだときには、トミー・フラナガンという人を知らなかった。最初の印象は右のレコード・ジャケットが掲載されていたが、活版ページで画像が荒くモノクロだったせいか、「容貌魁偉の人」という感じで確かに只者ではないという感じがした。
そのレコードはどのくらい高価だったかというと僕の記憶では何と7万円もするというのである。しかしその後再発売された際そのライナー・ノーツを担当された油井正一氏は「何よりもその希少性から日本ジャズ・レコード史上空前の高値を読んだアルバムである。言い伝えられるところでは1万5千円で取引されたという。これは筆者(油井氏)が耳にした限りジャズLPの最高値であった」と書いている。僕の記憶の7万円と油井氏の言う1万5千円ではかなりの開きがあるが、そもそも油井氏の書かれている時期と僕が件の記事を読んだ時期が同じかどうかわからない。多分違うと思う。僕は結構このことに関しての記憶には自信がある。それはその記事には、他のアルバムも記載されていており、もっと高額なLPもありその額も覚えているからである。ただし僕はその取引をしているところを実際に目にしたわけではないので、本当にその値段で取引されていたかどうかは分からない。
今では、オリジナル盤などの人気盤はもっと高額で取引されているLPはたくさんあるが、その記事には「オリジナル盤の場合」などという注釈はなかった。これは記者にそういう知識がなかったのかもしれないし、一般読者には「オリジナル盤の場合」などの注釈をつけるよりも、「なんと!1枚7万円で取引。幻の名盤」と銘打った方が注目を集めるという計算からわざと記載しなかったのかもしれない。
「何だ、7万円か」と高をくくるなかれ。当時1970年の大卒の初任給はデータによると4万円くらいだったのである。その約2倍である。現在大学の新卒の一流企業の会社員の初任給はたぶん20万円くらいだろう。単純に大卒初任給で比べれば現在では40万円以上という金額である。確かに高い。あまりにも高価になりすぎたためこれも僕の記憶では専門雑誌「スイングジャーナル」で「トミー・フラナガン/オーヴァー・シーズの高額取引について」という異例な記事が掲載された。そしてこの記事を書いたのは粟村政昭氏だったと記憶している。
粟村氏の記事の内容は「巷ではこのLPが異常な高値を呼んでいるという」と書き始め、先ずはこのLPの位置づけから解いている。曰く「このアルバムの価値は、日頃リリカルなともすれば女性的とさえ思われるプレイが身上のフラナガンがエルヴィン・ジョーンズのサポートを得て、挑戦的とさえ思える激しいプレイをしているところにある。いわばこのアルバムはフラナガンにとっては異色の作である」とし、「つまりこのアルバムを聴かなければ、フラナガンは分からないという類のものではない」、「フラナガンは極めて平均点の高いプレイヤーで他に彼の本来のリリカルさが発揮されたアルバムはたくさんある」、「つまりこれだけの高額を払ってまで入手しなければならないアルバムではない」とし、最後に「ジャズ・ファンでもないのに投機的な目的でこのアルバムを入手するのはおやめなさい。このアルバムが聴きたいジャズ・ファンにとっては迷惑であるし、そもそも再発売されたらその値段はあっという間に暴落するよ」と結んでいる。
とにかくこの記事を読んだ僕は当時仙台の主だったレコード店を自転車で走り廻った。もちろん「オーヴァー・シーズ」を探すためである。もしかしたら田舎のレコード店の片隅に埋もれてあるかもしれないと思ったのである。結果はもちろんどこにもなかった。そして「では他のトミー・フラナガンの他のアルバムを聴いてみよう」と思い直したが、そもそも田舎のレコード店にはそもそもトミー・フラナガンのアルバム自体(名を冠したリーダー作)が見当たらないのである。そしてやっと見つけたのが今日ご紹介する「ザ・キャッツ」である。
雑誌の記事で「オーヴァー・シーズ」がピアノ・トリオであることは知っていた。しかしこの「ザ・キャッツ」はセックステット、六重奏団である。本当はフラナガンのピアノ・トリオが聴きたかったので、かなり迷った。やっと決心して購入したがそのきっかけはジョン・コルトレーンが入っているということだったように思う。正直あまり期待せずにターンテーブルに乗せて聴いてみた最初の感想は「なかなかいいじゃない!」というものだった。なんか上からだがあまり期待していなかったので予想に反してという感じだったのだ。
因みに話題の「オーヴァー・シーズ」はどうしたかというとかなり後になって初めはCDを購入した。つまりすでにCD時代になってからである。「オーヴァー・シーズ」は希少だという観念があり、おいそれとは入手できないと思っていた。ジャズから遠のいていたある時銀座の山野楽器でジャズ以外の分野のCDを探している時にふと「そういえばトミー・フラナガンの『オーヴァー・シーズ』という入手困難なレコードがあったなぁ」と思い返しながら久しぶりにジャズのCDコーナーへ行きふと「トミー・フラナガン」のコーナーを見ると普通に並んでいた。正直びっくりした。「え?!あるの?」という感じだった。そして他の人に買われて無くなってしまう前にと思って、少々無理をして定価で購入した。さらに時間がたちジャズに復帰して、ディスク・ユニオンなどを見るとゴロゴロと日本盤の中古が安価で売っているのである。どうも僕がジャズから離れてまもなく、再発売されたようだ。時代は変わるなぁ、あの時7万円という大金を出して勝った人はどう思っているんだろうなどと思ったが、これと類することをその後も目の当たりにすることになる。

さて、このアルバム・タイトルの”Cat”とは「猫」のことだが、ジャズの世界ではジャズ・マンのことを指す。そういえば、ボブ・クロスビーのバンドは”ボブキャッツ(Bobcats)”といったが、これはアメリカヤマネコのボブキャッツとボブのジャズ・メンという意味を重ねているのだろうし、日本にもジャズ・バンドからコメディーに進出した”Crazy Cats”というバンドがあった。
ところでこのアルバムはトミー・フラナガン名義になっているが、ディスコグラフィーを見ると”The prestige all stars”名義として吹き込まれたもののようだ。”The prestige all stars”についてはまだ勉強不足で確かなことは言えないが、当時50年代中盤から60年代にかけてPrestige社に契約している人々を集めて、ジャム・セッション風に録音されてレコード化された連作シリーズのようだ。なので特定のメンバーが存在するというわけではない。またレーベルは”NEW JAZZ”となっている。これはPrestige社の中のレーベルの様で、当時で言えば新しい音楽ビ・バップ、モダーンなどはこのレーベルで発売されたようである。これも勉強が必要だ。
このアルバムが、トミー・フラナガン名義のレコードとして発売されたのかどうかはイマイチ分からないところもあるいが、全5曲中4曲はフラナガンの作でもあるので首肯できるところもある。ただ当人のフラナガンは4か月後に吹き込まれた件の「オーヴァーシーズ」を自分の最初のリーダー・アルバムと言っているので、このアルバムが自分のリーダー作とは思っていないようである。
そのフラナガンはデトロイト出身で、地元のジャズ・バンドで活躍していたが1956年2月に進出しマイルス・ディヴィスを初め様々なセッション、レコーディングに参加し腕を磨いてきた。
フロントのシュリーマン、コルトレーンを除く4人はデトロイト出身者というところは注目に値すると解説の油井氏は指摘している。メンバー各自の経歴はリンクからご覧いただきたいが、最年長はシュリーマンの34歳で、派手な経歴ではないがベイシー、ハンプトン、ガレスピーといったビッグ・バンドで鍛え上げられた実力者ではあるが、この吹込みの4年後の61年にはヨーロッパへ移住している。
コルトレーンは言わずと知れたビッグ・ネームだがこの時実は大きな転機を迎えていた。55年マイルス・ディヴィスのバンドに採用されたコルトレーンは、初めこそ評判は芳しくなかったが、ハードな練習をこなしめきめきと腕を上げていた。そして有名なマラソン・セッションにも参加し、同時並行で進んでいたコロンビアでのマイルスの移籍第1作「ランド・アバウト・ミッドナイト」(1956年録音)にも参加している。そしてそのアルバムを引っ提げ、マイルス・バンドはニューヨークのカフェ・ボヘミアに出演、その初日の1957年4月5日コロンビアは多くの批評家、マスコミ関係者たちを招待し大々的なキャンペーンを行った。そしてその演奏内容は大好評を博し、マイルス・バンドの名はそのメンバーも含めて誰も知るようになる。一流バンドの仲間入りである。しかしこの時期コルトレーンはドラムのフィリー・ジョーと共に麻薬と深酒により満足にステージに立てないような状態に陥っていた。そしてついにはマイルスの怒りを買い、パンチとボディー・ブローを浴びクビになってしまうのである。それは57年4月のことと言われる。しかしコルトレーンはマイルス・バンドをクビになる数日前にプレスティッジと契約にこぎつけていたのである。コルトレーンの1957年の録音状況を見ると、このプレスティッジ・オール・スターズのメンバーとして数多くの録音に参加している。4月5日にはマイルス・バンドのメンバーとしてカフェ・ボヘミアに出演していたはずであるが、翌日の4月6日はジョニー・グリフィンのブルー・ノートへの吹込みに参加し、4月16日にはセロニアス・モンクとリヴァーサイドに録音を行う。そして18日にはプレスティッジ・オール・スターズのメンバーとして本作に参加を果たしている。そしてその後は19日、20日とプレスティッジへの録音が続くが、その後は5月17日まで録音がない。コルトレーンが4月のどの時点でマイルスバンドをクビなったかは、分からないがこの時期は麻薬と深酒でボロボロの状態だった時期のはずである。しかしことこのアルバムに関しては素晴らしいプレイに終始している。


ということで曲を聴いていこう。

A-1 いつからこうなったの (How long has this been going on)
  アイラ、ジョージ・ガーシュイン兄弟が1928年にミュージカル「ファニー・フェイス」のために書いた曲だが、このミュージカルでは使われず、同年のミュージカル「ロザリー」で初めて紹介され、さらに「ファニー・フェイス」が映画化されたときに挿入されたという。この曲のみピアノ・トリオでの演奏で、ヴァースから終始リリカルなプレイに徹している。僕は最初このアルバムがセックステットによるものであることにガッカリしたが、意を決して購入し家に帰って解説を読まずにまず1曲目に針を落としたら、トリオだったのでビックリした覚えがある。そのころフラナガンを知らなかったがリリカルな演奏が身上とは聞いていたので、なるほどそうだなぁと思ったものだった。

A-2 マイナー・ミスハップ (Minor mishap)
フラナガン作のバップ調、それもハード・バップという感じの曲。マイナーの曲調で覚えやすくカッコいいメロディーを持っている。テーマの後、コルトレーン、バレル、シュリーマン、そしてフラナガンとソロを受渡し、ドラムのヘイズとのフォー・ヴァースを行い、テーマに戻る。

A-3 エクリプソ (Eclypso)
フラナガンが参加したソニー・ロリンズのセント・トーマスを思い起こさせるようなカリプソ調のメロディーでフラナガンは後々まで何度か録音していて、アルバムのタイトルにまでしている。これも覚えやすく親しみやすいメロディーで、前曲のことも考えるとフラナガンの作曲能力というのは並々ならぬものだなぁと思う。テーマはカリプソ調でアドリブは4ビートにバウンス、フラナガン、シュリーマン、コルトレーン、バレルとリラックスした感じの素晴らしいソロが楽しめる。

B-1 ソラシウム (Solacium)
これもA-2同様マイナー調の作品。テーマは32小節でシュリーマンとコルトレーンのユニゾンで始まるが、何となくバップ調だと感じるがバップど真ん中という感じでもない。ソロはまずフラナガンで、ベサメ・ムーチョやショパンの幻想即興曲のパッセージが出てきたりという機知にとんだプレイの後に、シュリーマン、コルトレーンバレルのソロが入りテーマに戻る。エンディングが何となくダサい感じがしてしまう。

B-2 トミーズ・タイム (Tommy's time)
フラナガンのイントロで始まるリフ・ブルース。フラナガンのシングル・トーンによるソロは軽妙な中にも味がある。続いてバレル、シュリーマン、コルトレーン、ワトキンスとソロが続くがいずれも見事で、アルバム中のハイライトと解説の藤井肇市は評している。


主にフロント・ラインのシュリーマン、コルトレーン、バレル辺りを中心に書いてきたが、実はリズム陣ワトキンス、ヘイズも素晴らしい演奏を展開している。地味な印象のあるアルバムで名演中の名演というトラックは見当たらないかもしれないが、実力のある者同士が和気藹々とプレイしたという雰囲気が伝わってくる。僕自身は解説の藤井氏とは違って、A-2、3が曲もよくこういうメロディのしっかりとした曲をどうアドリブで展開するかという辺りに興味がある。

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第35回2013年12月30日
チャールス・ミンガス「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」

丹沢連峰にも雪が…
ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
北日本、日本海側では大雪になっているようです。僕の住む辺りも今シーズン最も冷え込み真冬の寒さです。北海道や東北にお住まい方から見れば積もっている内に入らないかもしれませんが、我が家からも雪を頂いた峰々が見えるようになりました。

葉が落ちたいつもの森 いよいよ年の瀬です。皆さん今年はどんな年でしたでしょうか?僕は家系なのか腰が悪く「椎間板ヘルニア」の持ち主です。時々非常に痛むことがありますが、歩けないほどではなく何とかごまかしながら生活しているという感じです。困るのは「椎間板ヘルニア」の影響で坐骨神経痛を起こすことがありそうなると足がしびれて動くことがつらくなります。ところがこの年末にはカミサンも腰を痛めました。こちらはかなり重症で初日は起き上がることもできないくらいでした。年末でもう休みに入られた病院も多く困りましたが、何とかネットで開院している病院を探し出し診てもらうことができました。しかし直ぐ良くなるわけではなく、年末年始の予定を変えざるを得なくなりました。これから夫婦とも歳を取るばかり、こういうことが増えてくるのでしょう。






さて今回は前回の「幻の名盤」ネタの続きです。
バッド・パウエル「ロンリー・ワン」CDジャケット 秋吉敏子「TOSHIKO」再発レコード さて、前回は男性週刊誌の記事に取り上げられていたトミー・フラナガンの「オーヴァーシーズ」から派生して、トミー・フラナガンの「ザ・キャッツ」ことを書きました。では「オーヴァーシーズ」以外にどんなアルバムが取り上げられていたかというと、全てを覚えているわけではありませんが、楽器別で言うとピアノが多く、バッド・パウエル、秋吉敏子が取り上げられていた記憶がありますがいくらで取引されていたかは記憶にありません。記載がなかったのかもしれません。

ジョージ・ルイス「ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン」再発レコード チャーリー・パーカー「バラード・アンド・バードランド」再発レコード ピアニスト以外ではチャールス・ミンガスの「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」、そして「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」を制作発売したCandid(キャンディド)レーベルは会社が経ちいかなくなって閉鎖されたため発売されたレコードが全て廃盤となっており、全て貴重だとありました。最も高額で取引されていると書いてあったのは、ジョージ・ルイスの「ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン」で何と30万円、ジャズ評論家マーク・ガードナー氏がプライヴェイト録音し私家盤として100枚だけプレスし関係者に配ったというチャーリー・パーカーの「バラード・アンド・バードランド」はそもそも市場に出ないがもし出たらいくらの値がつくか想像さえできないとありました。




第35回 Charles Mingus “Mingus presents Mingus”

日本盤 SOPC 57001 (CBS・ソニーレコード)

「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」ジャケット

<Personnel>

テッド・カーソンTed CursonTrumpet
エリック・ドルフィーEric DolphyAlto sax & Bass clarinet
チャールス・ミンガスCharles Mingusbass
ダニー・リッチモンドDanny Richmonddrums

<Contents>

A面
B面
1.フォーク・フォームズ No.1 (Folk forms , No.1) 1.ホワット・ラヴ (What love)
2.フォーバス知事の寓話 (Original Faubus fables) 2.汝の母、もし、フロイトの妻なりせば (All the things you could be by now if Sigmund Freud’s wife was your mother)

1960年10月20日録音

フランス盤「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」レコード 多分海賊盤 当時ジャズのレコードは20枚程度しか持っていないくせにこのような希少盤に興味を持ってしまった。中でもなぜかチャールス・ミンガスの「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」は聴いてみたくなったのだ。どうしてだろう?今考えるとタイトルのせいかもしれない。「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」とはどんな意味だろうか?僕は英語が苦手で、さらに日本語の表現力もありませんのでうまく言えないのだが、[ミンガスがミンガスをご提供します]というような意味と、[ミンガス作品をプレゼンスします]つまりは自作を演奏しますといった意味だろうか。当時高校生の僕は「プレゼント」を「贈り物をする」ということかと思っており、「ミンガスがミンガスをプレゼントします」という意味に思っていた。ともかくなんという変わったタイトルだろう。こんなタイトル他には聞いたことがない。なんか自信満々という感じで、強烈な自己顕示力を感じさせるではないか。

日本盤再発レコードに付いていた帯 僕がこのルバムを最初に入手したのは、右の写真のレコードでフランスのレコード会社が発売したものだった。これは当時スイングジャーナル誌上に「あの幻の名盤“Mingus present Mingus”復活!!」的な広告が載り、例の週刊誌でジャケットについては知っていて違うなぁと思いつつも通信販売で購入した。値段は忘れてしまったが、意外に高かった記憶がある。そのアルバムが届いてしばらく後何とCBSソニーからCandid盤が復活されることになり、その第1弾として本作が発売されたのだ。昭和45年(1970年)11月のことである。貧乏学生が同じコンテンツを2つ持つということに正直抵抗があったが、何となくフランス盤はまがい物臭く、中身が本当に「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」かどうか本物を聴いたことが無い僕には分かりかねるということがあり意を決して購入することにしたという思い出がある。そのフランス盤は何度か引っ越しを重ねるうちにどこかに紛失してしまった。
さて、このアルバムは僕にとって初めてのミンガス作品である。最初に感じた事はこのミンガスという人は何とアクの強い人かということであり、その思いは今でも変わっていない。ミンガスのプロフィールにやや詳しく記載したので重複は避けるが、師粟村氏の選ぶミンガスの第1級作品8作品の内の一つでありさらに、またこのCBSの復活盤の解説において粟村氏はミンガス作品のベスト3に入ると記載している。僕は粟村氏の選択に従ってまず8作品を聴き、さらにもう少しアルバムを購入し聴いているが、数あるミンガス作品の中で僕が最も好きなアルバムである。
師の解説によるとこの録音が行われた1960年10月、ミンガスはこのレギュラー・グループを率いてニュー・ヨーク、グリニッジ・ヴィレッジにある「ショー・プレイス」というクラブに出演していたという。そしてこの録音に当たっては常日頃のクラブの雰囲気を出すために照明を暗くし、ミンガスがメンバーや作品の紹介をするという演出法が取られたという。「この演出法がどこまでいい方に作用したかはわからないが、アルト、クラリネット、バスーン、オーボエ、フルート、まだあったかな?」とドルフィーを紹介している辺りのご機嫌ぶりを聞けば、まずは成功ということになろう」と記しているように実にミンガスは気分がノッていたように思える。

ということで曲を聴いていこう。

A-1 フォーク・フォームズ No.1 (Folk forms , No.1)
  No.2があるかどうかは寡聞にして判らないが、僕の所有盤(40枚程度だが)の中には見当たらない。最初に聴いた時には、上記のようにミンガスの語り、メンバー紹介から入るので、驚くというか「へぇー、ジャズのレコードにはこういう入り方もあるんだなぁ」と思ったがライヴ・アルバム以外他にこういう入り方のアルバムは聴いたことが無い。
僕は、このアルバムの中で最も好きな演奏である。大柄で物凄い力でベースを弾くといわれるミンガスの力のこもったイントロから入る。
テーマらしきものをドルフィーが吹き、カーソンがミュートで絡むように進む。そしてリッチモンドのドラムが入り、ミンガスのベースとフォー・ビートを繰り出す時、さらにカーソン、ミンガス、ドルフィー、リッチモンドの正にソロの後合奏に入った時のグルーヴ感、ドライヴ感は最高である。こういうビートは日本人には作り出せないなぁと思ってしまう。
ドルフィーの鋭角的なアルト・ソロも素晴らしいが、カーソンのソロも素晴らしい。ドルフィーの「馬のいななき」も十二分に味わえる。2人の素晴らしいアドリヴが絡み合い、ミンガスとリッチモンドが煽りに煽る。リッチモンドのドラムはノリに任せているようできっちりとコントロールが聴いておりビートも強烈で素晴らしい。ミンガスが手放さないわけだ。

チャールス・ミンガス「Ah Um」 A-2 フォーバス知事の寓話 (Original Faubus fables)
本録音はこの曲の2回目のレコーディングである。1回目は59年5月5日録音の「ミンガス・アー・アム」(“Mingus Ah Um”)であるが、こちらは本作と比べるとコロンビアというメジャー・レーベルへの吹込みだったためか若干大人しい感じだ。ここではナット・ヘントフという先鋭的なジャズ評論家が主催したマイナー・レーベルへの吹込みのためか思いの丈を痛烈に表現している。
フォーバスとはアーカンサス州のオーヴァル・フォーバス知事のことで、1957年9月黒人に対する人種差別をきっかけに起こったリトルロック事件で悪名を売った。彼は当時大審院で可決された白人、黒人の高校共学化を拒否、共学化を義務付けられた3校を閉校させるなど徹底的に共学化に抵抗した。共学化された高校に登校した黒人学生が数では圧倒的に有利な白人学生にリンチされそうになり、それを知った黒人市民が怒って暴徒化するなど大きな事件となった。
ミンガスはこのフォーバスを「滑稽な奴だよな、ダニー?」と誘い掛け全員がそれに和して強烈に痛罵している。
強烈なメッセージ性で有名な曲だが、それだけではない。ここでもカーソンは素晴らしいソロを取るし、ドルフィーも負けてはいない。テンポが急激に変化したりするが4人が自由にプレイしながらまとまっているという、聴きどころ満載の前衛的なパフォーマンスを展開する。
たとえが悪いかもしれないが、こういうプレイこそが前衛的演奏というのではないかと思う。オーネット・コールマンの前衛とは各自が勝手にプレイし出来映えはその時の運次第というのはそもそも音楽ではないと思う。

B-1 ホワット・ラヴ (What love)
日本の雅楽を思わせる変わった響きを持つアンサンブルで始まる。ミンガスのベースとドルフィーのバス・クラリネットは、退団を決意したドルフィーとそれを質すミンガスとの対話だといわれている。ドルフィーとミンガスだけではなくカーソン=ミンガスという対話の部分もあるが、確かに圧倒的に大きな部分を占めるのは、ドルフィー=ミンガスの対話である。
ところで、この曲のドルフィーのようにバス・クラを吹きまくったプレイヤーはかつて存在したのだろうか。

B-2 汝の母、もし、フロイトの妻なりせば (All the things you could be by now if Sigmund Freud’s wife was your mother)
恐ろしく長い、しかも難解な題名だが本アルバム中最も気楽に聴ける作品で、急速調のテンポに載って繰り広げられるドルフィーのアルト・ソロは、彼にとってのベスト・パフォーマンスの一つを記録していると粟村氏は書いている。カーソンもストレンジャー・イン・パラダイスや競馬のバックなどに使われるフレーズを挿入しながら存在感あるソロを展開する。


師粟村氏はミンガスのベスト・スリーとして、「直立猿人」と「道化師」と本作を選ぶとしている。そして最もまとまりに欠け、しかしもっともミンガスらしい演奏が聴けるのが本作としている。僕はこのアルバムには「攻撃性」のようなものを感じてきた。それは「フォーバス知事の寓話」が入っているからということではなく、なんといってもエリック・ドルフィーのまろやかさなどとは一切無縁のギスギスした刺々しいプレイによるものだと思う。僕はこの後ミンガス同様ドルフィーにも魅かれて行くようになる。

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第36回2014年1月3日
ジョージ・ルイス・ラグタイム・ジャズ・バンド「ジャズオロジー」

元旦の町田天満宮
明けましておめでとうございます。
そしてご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
僕が住んでいる辺りは元旦、2日は3月中旬から下旬の暖かさでした。今日3日は平年通りの寒さに戻りましたが、暖かい日が続いたせいかことのほか寒く感じてしまいます。例年は初詣には寒川神社というへ出かけていましたが、今年はカミサンが腰を痛め、人ごみを敬遠したいというので町田天満宮へ行ってみました。結果は大失敗。物凄い人ごみで、参拝する人々の列に並んでから参拝まで優に1時間かかりました。

町田天満宮 さて今回は前回の「幻の名盤」ネタの続きです。
「幻の名盤」の記事を読んでもう1枚探しにいったレコードがあります。これもトミー・フラナガン「オーヴァー・シーズ」同様田舎には売れ残っているかもしれないと思ったものです。それが前回ちょっとだけご紹介したジョージ・ルイスの「ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン」です。もちろん見つかりませんでした。そこでトミー・フラナガンの時と同様にジョージ・ルイスの他のアルバムを買ってみようと思ったのです。しかしその頃はジョージ・ルイスがどんな音楽を演り、何の楽器を演奏するのかさえ知りませんでした。この基本的な知識がないとレコード探しは時間がかかるのです。ジャズ・レコードのコーナーをすべて見なければなりません。そして購入したのが今回ご紹介するアルバムです。その時ジョージ・ルイスの名を冠したアルバムが他にもあったのかどうかは全く記憶にありません。」

第36回 George Lewis Ragtime Jazz Band “Jazzology”

輸入盤 

ジョージ・ルイス「ジャズオロジー」ジャケット

<Personnel>

ジョージ・ルイスGeorge Lewisclarinet
パーシー・ハンフリーズPercy Humphreycornet
ジム・ロビンソンJim RobinsonTrombone
アルトン・パーネルAlton PurnellPiano
ローレンス・マレロLawrence MarreroBanjo
スロー・ドラッグ・パヴァジョウSlow drag Pavageaubass
ジョー・ワトキンスJoe Watkinsdrums
アルバート・ウォルターズB面のみ加わる。Albert Walterscornet

<Contents>

A面…1951年コンサート
B面…1952年コンサート
1.パナマ・ラグ (Panama Rag) 1.クライマックス・ラグ (Climax Rag)
2.ランニン・ワイルド (Runnin’ wild) 2.バッグル・コール・ラグ (Bugle call rag)
3.ジャスト・ア・リトル・ホワイル(Just alittle while) 3.ジャスト・ア・リトル・ホワイル(Just alittle while)
4.ヒービー・ジービーズ (Heebie Jeebies) 4.バーガンディー・ストリート・ブルース(Burgundy St. Blues)
5.シーク・オブ・アラビー (Shiek of Araby) 5.ホンキー・トンク・タウン (Honky tonk town)


ジャケットに貼られたシール
このレコードは輸入盤で、日本語での解説がないどころか英語でも解説がない。そうなるとこのアルバムのことが分からないのである。何とか曲名とメンバーは表面にシールが貼ってあるので分かる程度である。しかし左上に「Jazzology」の文字が金で箔押しされている。これは印刷工程としては高価な手法である。それにもかかわらずレコーディングに関する情報はシールである。このレコード会社は同様のジャケットを大量に印刷し、中身によってシールを貼り分けたのであろうか?
中に入っていたオーダー・シート レコード会社も「HUP RECORDS」とあるので、ハプ(HUP)という生のレコード会社が発売したものだろうが、中にセールス・シートが入っておりそこには「GHB RECORDS」とあるのである。どうなっているのだろう?ネットで検索すると「HUP RECORDS」も現在でも存在するようだが、余りジャズのレコードの情報は載っていない。「GHB RECORDS」で検索するとサイトがあり、「Jazzology」レーベルのことが載っている。今でもトラディショナルのジャズ・レコードを扱っているようだ。これは今だからわかることで、今から約43、44年前の田舎の高校生には全く分からなかった。といって「HUP」と「GHB」の関係が分かったわけではない。色々と勉強していくことが多い。
そもそもヨコシマな考えから購入したものだったが、その後このレコードは意外に聴くことが多かったのである。なぜかそれは圧倒的に魅力的な1曲が入っていたからである。思わず身佇まいを正したくなる曲である。
盤面のラベル このレコードはライヴ録音で、ルイジアナ州ニュー・オリンズのマニシパル・オーディトリアム(コンゴ・スクエア)となっているが、どちらなのであろうか。地図を見るとマニシパル・オーディトリアム(Municipal Auditorium)とコンゴ・スクエア(Congo Square)は隣り合っているようだが、コンゴ・スクエアの中にマニシパル・オーディトリアムがあるのだろうか?こういったことも知識が無くはっきりしたことが言えない。
ともかくA面が1951年でB面は1952年に行われた。HUPにしてもGHBにしてもレコード会社としてはマイナーであり、整った録音機材を用意した正式なライヴ録音というよりも、簡易的な録音装置を抱えて行われた素人録音に近いものだろう。音のばらつきが目立つ。ニュー・オリンズ・ジャズとしては依然1944年頃の録音のキッド・オリーの“Tail Gate !”を紹介したが音質は“Tail Gate !”が勝っている。
またこの表面に張られたシールには記載ミスがある。CornetのPercy Humpriesは誤りでPercy Humphreyが正しく、またジョー・ワトキンス(Joe Watkins)をベースとしているが、ドラムスの誤りだと思う。


ということで曲を聴いていこう。

A-1 パナマ・ラグ (Panama Rag)
  キッド・オリーの“Tail Gate !”でも演奏されていた曲。ニュー・オリンズ・ジャズではスタンダードなのだろうか。

A-4 ヒービー・ジービーズ (Heebie Jeebies)
ルイ・アームストロングが1926年2月26日の録音で史上初めてスキャット・ヴォーカルを披露した非常に有名な曲。ここでもヴォーカルが入っているが、マイクのセッティングがヴォーカルむきになっておらず良く聞き取れない。スキャットの様には聞こえない。シールにVoが誰か記載されていないが誰が歌っているのだろうか。

A-5 シーク・オブ・アラビー (Shiek of Araby)
テッド・シュナイダー(Ted Snyder)が1921年作曲した曲で、ルドルフ・ヴァレンティノ主演の1926年の映画“The Sheik”で使われ有名になった。かのビートルズがデビュー前大手レコード会社デッカを受けた時にこの曲を録音したが、見事不合格となったことでも有名。


B-4 バーガンディー・ストリート・ブルース(Burgundy St. Blues)
この曲にはびっくりした。全くニュー・オリンズ・ジャズは知らなかったが、イメージとして2拍子でブンチャブンチャというリズムにトランペットがメロディーを吹き、トロンボーンがブーブ、バーブとスライドし、クラリネットがヒョロヒョロと動き回るというイメージしかなかった。
この曲は唯一のジョージ・ルイスのオリジナルだという。生涯1曲でもいいからこういう曲を作れれば思い残すことはないと勝手に思ってしまう。実に美しいメロディ、1度聴けば覚えられるが何度聴いても飽きないという曲。

はっきり言って音質はよくない。突然音圧が上がったり下がったりする。僕にとってこのアルバムの存在感は1曲「バーガンディー・ストリート・ブルース」である。

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第37回2014年1月5日
バスター・スミス「幻のバスター・スミス」

遠く丹沢連峰を望む
ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
近所のスーパーの駐車場のから望む丹沢連邦です。北国の方から見れば寒そうでもないかもしれませんが、僕の住む近隣では大山や丹沢連邦に雪が積もれば本格的な冬将軍の到来を感じます。1年で最も寒い季節に入りました。

鴨かな? 名も知らない水鳥 鷺 昨年末カミサンは腰を痛め歩くのも苦労していましたが、接骨医院の先生から「歩いて腰の筋肉を動かし柔らげた方が良い」と言われ昨日、今日と歩いています。ただ一人で歩くのは不安の様で僕がお供です。
1月2日も3月中旬から下旬の暖かさだったので、町田市の境川沿いの道を歩きました。そこで見かけた鳥の写真です。
左が鷺、右が大笑いする鴨だと思いますが、真ん中の黒い鳥が分かりません。水かきがあるので水鳥だとは思いますが…。

第37回 Buster Smith “The legendary”

Atlantic 1323 (ジャズ・ベスト・セレクション1000シリーズの1枚として再発CD WPCR-27172)

バスター・スミス「幻のバスター・スミス」CD

<Personnel>

バスター・スミス…6のみギターBuster SmithAlto sax
チャールズ・ジラム…2、3、4、5、7Charle GillumTrumpet
クリントン・スミスClinton Smitn…2、3、4、5、7Trombone
エディー・ケイデルEddie Cadell…2、3、4、5、7Tenor sax
ルロイ・クーパーReloy CooperBaritone sax
ハーマン・フラワーズHerman Flowers…1、2、3、4、5、7Piano
ボストン・スミスBoston Smith…6Piano
ジョシー・スミスJosea SmithBass
ロバート・コブスRobert CobbsDrums
1959年6月7日録音 テキサス州フォートワースにて録音。


<Contents>

1.バスターズ・チューン (Buster’s tune)
2.E フラット・ブギ (E flat boogie)
3.セプテンバー・ソング (September song)
4.キング・アルコール (King alcohol)
5.カンザス・シティ・リフズ (Kansas city riffs)
6.レイト・レイト (Late late)
7.オルガン・グラインダーズ・スウイング (Organ grinder’s swing)

チャーリー・パーカーの伝記などを読んだ人には夙に有名なプレイヤーがこのバスター・スミスである。かのチャーリー・パーカーが師と慕った割にはジャズ史などには全く登場しないのである。
ロバート・ジョージ・ライズナー著「チャーリー・パーカーの伝説」には非常によくよくまとまった大和明氏のバイオグラフィーが載っている。それによると、
「11歳の時に母に中古のアルト・サックスを買ってもらったが、この頃後にパーカーのアイドルになったバスター・スミス(ベニー・モーテン楽団)を知り、次第に彼のプレイに熱中するようになったという。パーカーのバスター・スミスに対する関心はついにバスターを「プロフェッサー」と呼んで私淑するまでになった。」(「プロフェッサー」というあだ名はバスターが眼鏡をかけていたから付いたもので、バードだけが呼んでいたわけではない。)
「パーカーは以前から尊敬し少なからぬ影響を受けていたバスター・スミスの率いるアトランタ―ズというバンドに参加し、“ルシールのバンド・ボックス”でしばらくの間働いたが、この期間にもパーカーはスミスからいろいろ手ほどきを受け、一層そのプレイに磨きがかかっていた。しかしこのバンドは9月にバスター・スミスがニューヨークに行くためにカンサス・シティを去ったことによって解散してしまう。」
「パーカーは恩師バスター・スミスのことが忘れられず、39年の春一時後を追ってニューヨークに行った可能性がある。もしこの時ニューヨークに行っていたとしたら、おそらくこの時はスミスの消息を知ることができず、間もなくカンサス・シティに戻ってきているはずだという。
そしてパーカーはその直後に再びニューヨークに向かった。そしてついにバスター・スミスの居所を探し出し、彼のアパートに転がり込んだ。」
と記載している。このように事実を淡々と述べた後次のような考察を行っている。
「ここで少しパーカーがスミスから受けた影響について考えてみよう。 バスター・スミスのレコーディングはごくわずかしかない。 「バスター・スミスのレコーディングの当時のものとして比較的容易に聴けるものにピート・ジョンソンのブギー・ウギ―・ボーイズによる「チェリー・レッド」、「ベイビー、ルック・アット・ユー」(39年6月30日録音)、エディー・ダーハム楽団による「モーテン・スイング」(40年11月11日録音)などがあるが、現在聴くことのできる最も初期のパーカーの幾つかと比較してもその影響具合をはっきり示せるものはほとんどない。せいぜいヴィブラートの少ない透明な音色やアタックが似ているかなと思える程度である。後年パーカーが死んだ後、バスター・スミスが再発見されて吹き込まれたLP“The Legendary of Buster Smith”(59年6月7日録音)でも同じことであって、ここでのスミスのプレイは当時の彼の演奏活動を反映したリズム&ブルースの色彩が強く出たプレイになっている。いずれにしろスミスとパーカーはコンセプションの点で全く違う道を歩んでいったと言えよう。」
CDについている帯 ここで、大和氏が記載する「ピート・ジョンソンのブギー・ウギ―・ボーイズによる「チェリー・レッド」、「ベイビー、ルック・アット・ユー」(39年6月30日録音)、エディー・ダーハム楽団による「モーテン・スイング」(40年11月11日録音)」などは現在ではそうそう入手が簡単ではない。大和氏のこの文章は1971年か72年に書かれたものであり、既に40年以上も経っている。しかし日本という国は恐ろしい国でこの再発見後の吹きこまれた自身唯一のリーダーアルバムが「ジャズ・ベスト・コレクション1000」の内の1枚として2012年にCD化され発売されたのである。これこそ容易に聴けるものと言える。
僕自身もこのアルバムに何を期待したかというと多くの方がそうであると思うが、チャーリー・パーカーに多大な影響及ぼした人物のプレイを聴いてみたいということであった。そして結論から言うとバスター・スミス⇔チャーリー・パーカーの繋がりというのは全く分からないということで、大和氏のように慎重に言うならば「スミスとパーカーはコンセプションの点で全く違う道を歩んでいったと言えよう。」ということになる。そもそも演っている音楽が違うのである。そもそもこのアルバムはチャーリー・パーカーが1955年3月に死去した4年後に吹き込まれたものだが、レコード会社アトランティックにしても「チャーリー・パーカー因縁作」ということで売ろうとしたのではないかと思ったのだが、CDの解説を読むとあながちそうとも決めつけられないようだ。
まずプロデューサーがガンサー・シュラーというのは大いに意外だが、CD解説の岡崎正通氏によると、シュラーはこの前年にダラスを訪れた際にスミスのプレイを聴き大きな感銘を受けていた。そしてアトランティックのネスヒ・アーティガン氏にバスターのことを話しレコーディングの約束を取り付けたという。ガンサー・シュラーと言えばクラシックの音楽家で作曲家であり、ホルン奏者でありながら、ジャズに造詣が深く「第三の流れ」を提唱しMJQなど獲れレコーディングも行っている人物である。
しかし僕にはいくつか不思議な点がある。

このレコーディングの実現は偏にシュラー氏の熱意によるものと言えるが、そもそもシュラーはスミスのどこにそんなに感銘を受けたのだろう?まさかバスターが一時期チャーリー・パーカーが師と仰いだ人物ということを知らなかったわけではあるまい。
このレコーディングが実現することになり、早速地元で活躍している強力メンバーが集められたと記載されているがそれも?である。それほど入れ込んだレコーディングなら地元でなく全米中から人選してもよさそうなものだ。どう見ても力が入っていないのである。
ベースのジョシーと1曲ピアノを弾いているボストン・スミスはバスターの兄弟だという。本当に地元でもこれ以上のメンバーはいなかったのであろうか?
メンバーでジャズ人名事典に載っている人物はバスター以外いないが、バスターが「バリサクにはみんながびっくりするような大物を連れて行く」と言って連れてきた<大物>が「ルロイ・クーパー」である。一般的なジャズ・ファンで(僕は一般以下で申し訳ない)この人物を知っている人は少ないだろう。「レイ・チャールズのバンドで吹いている」という人物である。この時点でバスターが意図していたこの1959年のレコーディングはジャズではなくR&Bということが分かるのである。確かにこのバリサクは大活躍で達者ぶりを発揮している。
そしてその出来栄えは、やはりローカル色漂うR&Bインストルメンタル録音となっている。もともと泥臭いR&Bを聴きたくてこのCDを買ったのなら、それはそれで「狙った通り」ではあるだろう。しかしそもそもそういう意図でこのCDを買う人はどのくらいいるのだろうか?
僕は、R&Bが悪いと言いたいわけではない。しかしジャズ・ファンがR&Bを下に見る傾向があるのは事実である。不勉強な僕はそもそもジャズとR&Bは聴いてみて何となく違うとは思いながらどこが違うのか説明しろと言われたらできない。 例えばこのアルバム。テーマをホーン人で奏し、ホーン陣やピアノでソロ回しをするのはジャズもR&Bも変わりはない。ちょっと聞いて一番最初に違いを感じるのはリズムというかドラムの叩き方なのだが、ではコード進行が同じ曲でバックがジャズっぽく演奏していたらジャズに聞こえるのだろうか?ではR&Bとは何なのだろうか?ジャズとは決定的に何が違うのか?R&Bはジャズの一部なのか?など考えさせられることが多い。そしてかえすがえすも思うのはガンサー・シュラー氏は何をしたかったんだろうということである。

このアルバムの存在を知れば、チャーリー・パーカーに興味がある人は聴いてみたくなるに違いない。そんなアルバムが実に入手しやすい状況で提供されているということは喜ばしいことだと思う。

追悼 大瀧詠一氏

大瀧詠一氏 昨年12月31日車で走行中にニュースを聞いた。「シンガー・ソング・ライター大瀧詠一氏 死去」ビックリした。65歳だったという。大瀧氏は自宅で林檎をのどに詰まらせて亡くなったという。ラジオではなぜか後年のヒット曲「幸せな結末」が流している。
僕は高校生時代ジャズを聴きはじめたが、4、5年でまたロックに戻ってしまった。もうすぐ60歳になる僕はジャズを聴きはじめたのが高校一年15歳で1969年ごろだった。何故ロックに戻ったかははっきり覚えていないところもあるが、高校三年時代友人たちとのバンドを作ろうということがきっかけになったような気がする。
その時に聴いて大きな衝撃を受けたのが今では伝説のバンドはっぴいえんどの「風街ロマン」であった。現在60歳以上でバンドをやったことのある人間にとってこのアルバムは特別の意味があるアルバムだと思う。物凄いアイディアが満載で日本にこんなバンドがあるのか、日本人がこんなアルバムを作れるのか…と思ったものである。。
ご存じのようにはっぴいえんどはフォークの神様「岡林信康」のバック・バンドとして名を知られるようになった。この辺りは詳しくない。1965年ニューポート・フォーク・フェスティヴァルに登場したボブ・ディランがエレキ・ギターを持って登場しロックを演奏したことで大ブーイングを受けた。岡林は1969年プロテスタント・フォーク歌手のレッテルに嫌気がさしたのか出奔し、70年にロックバンドの「はっぴいえんど」を引き連れ戻ってくるが、その活動期間は短く約1年で岡林は音楽から姿を消す。この辺りも詳しくない。

はっぴいえんど「風街ロマン」ジャケット とにかく1度音を聴いて欲しい。素晴らしい楽曲を緻密が演奏・録音で記録している素晴らしいアルバムで日本ロック史上の金字塔と言っていいと思う。
それまで日本のロックというのは生真面目で、リラックスした雰囲気を出そうとすると取ってつけたようで馴染んでおらず、いかにも無理にふざけてみましたという感じであり、ともすれば「おふざけ」と捉えかねなかった。ところがこのアルバムはそんな日本のロックの歴史をいとも簡単に書き換えたのである。
大瀧氏の楽曲に注目すると1曲目「抱きしめたい」。大したことではないように思えるかもしれないが、バック・コーラスにサウンド・エフェクトをかける展開、歌詞「僕は、タバコをくわえ〜 一服すると」の後2拍ボーカル休止の部分に「ふう」という一服の音を入れるなどというのはそれまでに全く聞いたことがない。全篇綿密だがあくまでも雰囲気はリラックスした感じを出している。
2曲目「空色のくれよん」では、エンディングにヨーデル風のスキャットとも本編ともつかない歌い上げを行う。こんなのも前代未聞だろう。そしてA面ラストを飾る「はいからはくち」ハードなロックとエンディングの「はいから・びゅーちふる」のおふざけ。これも全く嫌味が無く決まっている。現代全く知らない若者に聴かせても受けを取れる。
大瀧詠一「ナイアガラCM[スペシャル Vol.1」ジャケット B面の「颱風」。「日本語をロックに乗せる」ということを標榜してことを次のように実験してみせる。「あたりはに/わかにか/きくもり/まどのす/だれを/つめたいかぜは〜」と始まり一瞬何のことかと思わせるが、漢字で書くと「辺りは俄かにかき曇り、窓の簾を冷たい風は〜」であり、意味で言葉を切らず完全に音節のみでメロディーに乗せるという試みを行っている。またここでも「地面にピシピシ飛び跳ねる〜」の「ピシピシ」は歌詞というより擬音として歌っており極め斬新だ。
ジャケットは4人のメンバーをコラージュしたイラストであり、見開きのジャケットの内側にはドラマー兼作詞家の松本隆の詩「風狂い」が載っており、なんか七面倒くさいアルバムを予想させるが、中身は小難しい歌詞はあるもののサウンドはきれいで非常に洗練されている。日本のロック界で初めてスタジオ・ワークというものを用い、「音作り」というものに注力した作品だろう。僕の持っているレコードの帯には「1900円」というシールが貼られているが、発売当時は1500円だったと記憶している。洋盤と比べて極めて安い値付けだが内容は極めて濃い。
この「風街ろまん」発表以後はほぼ解散状態となっており、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」同様以降は抜け殻状態を思わせる。このような大作を作り上げると次の目標には行けないものなのだろうか。
その後センスの良さを生かしコマーシャル・ソングの世界で活躍していた。CMソングばかりを集めたアルバムが2枚ほどある。これも大変珍しいことだと思う。

大瀧詠一「A long vacation」ジャケット そして大ヒットとなった「A long vacation」を1981年発表。このアルバムは第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞を受賞するとともに、日本最初の市販CDアルバムとなったことでも有名である。因みに僕はレコードで保有している。
Niagara song book このアルバムはヒットした。ヒットとは売れた枚数のことだけではない。聴衆の中心である若者たちに対する影響の大きさである。このアルバムに因んだ写真のような本まで出た。この本は「A long vacation」のジャケットのイラストを書いた永井博氏のイラストと大瀧氏の楽曲の楽譜で成り立っている。今なら当然CD付きで出るところだ。ここまで来ると単なるヒットというよりは一つの「文化」だろう。日本はまだまだ経済成長を続けていた時だ。
これはまだこのアルバムはよく聴いた。カセット・テープに録音し繰り返し聴いた。しかしここでの「大瀧詠一」はポップス・ソングライター・シンガーとしての「大瀧詠一」が中心である。ロック・バンドでデビューしたシンガー・ソング・ライターの「大瀧詠一」はロッカーではなくポップスの大物となった。僕はこれを悪いと思っているのではない。とてもいいことだと思っている。昨年末来日した元ビートルズのポール・マッカートニーは今やポップス、ロックを超越したエンターティナーとなっている。もし日本にそんな歌手が生まれるとしたらそれは「大瀧詠一」しかいなかったような気もする。
僕は「大瀧詠一」が大好きでファンの一人のつもりだが、世の中にはマニアという人種がいるし、実際に交友した人々がいる。そんな人々に比べたら僕の知っていることなんか足元にも及ばない。亡くなられたからいろいろな書き込みなどをネットで見ているが意外にロッカーとしての「大瀧詠一」に言及するものが少ない。では例えば「A long vacation」にロッカー大瀧詠一は居るか?居る!「我が心のピンボール」の大瀧詠一はロッカー以外の何物でもないと思う。
多くの人が追悼の言葉を語っているが、かつて共にはっぴいえんどを引っ張っていた細野晴臣氏は、手伝うから新作を録音するように盛んに勧めていたという。このことは叶わなかったがもし実現していたらどんなアルバムだったのだろう?僕はロッカー「大瀧詠一」のアルバムだったらと期待していたのだが。

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第38回2014年1月12日
アーマッド・ジャマル「ザ・ピアノ・シーン・オブ・アーマッド・ジャマル」

1月9日真冬の散歩道

ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

有給休暇は有り余っていますが、取得することができる正社員の日々は残りわずかです。昨年10月に行われた会社の成人病検診での眼底検査でちょっとした異常が「結果通知表」に記載されていました。「左眼…視神経乳頭陥凹拡大、右眼…網膜神経線維層欠損(疑)」というもので、専門医に至急診てもらうよう記載されていました。実は昨年1月から飛蚊症を患っていたのでそのことかなと思い、有休を使えるうちにと思い事前に予約を入れ、1月9日眼科の医院で精密検査を受けました。その結果飛蚊症は加齢が原因なので心配することはないという診断でしたが、実は「緑内障」に罹っていることが分かりました。

自転車走行中に見つけた花 「緑内障」はご存じのように治らない病気と言われています。これから薬(目薬)を毎日点眼し、症状が現在の状況より進まないようにすることが今後の対処法となります。正直ショックでした。右の写真は診察が終わって、まっすぐ家に帰る気になれず自転車で少しばかり散歩した時に見つけたものです。冬真っ最中でまだまだ寒さはこれからが本番というこの時期淡いピンク色で開花している花を見つけました。

木の名前を記すプレート 木の名前を記すプレートには「ジュウガツザクラ」とあります。初めて聞く名前です。これは正常な開花なのでしょうか?1月に咲いたのに「10月桜」というのはやはり違和感があります。
僕はこれまでサラリーマン人生で幸運にも重い病気に罹ったことがありません。不摂生な生活をしてきたのに正に幸運としか言いようがありません。人生50歳を超え60歳近くなるといろいろ体にガタが出てきます。「緑内障」が重い病気かそれほどでもないのか判断が難しいですが、死ぬまで付き合わなければならないようです。
年初から景気の悪い話になって申し訳ありません。本題に行きましょう。

第38回 Ahmad Jaml“The piano scene of Ahmad Jamal”

輸入盤 Epic LN3631

レコード・ジャケット

<Contents>

A面
B面
1.オールド・デヴィル・ムーン (Old devil moon) 1.クレイジー・ヒー・コールズ・ミー (Crazy he calls me)
2.アーマッズ・ブルース (Ahmad’s blues) 2.ザ・サリー・ウィズ・ザ・フリンジ・オン・トップ (The surrey with the fringe on top)
3.ポインシアーナ (Poinciana) 3.Aki and Ukthay(読み方?)副題“Brother and sister”
4.ビリー・ボーイ (Billy Boy) 4.10番街の殺人 (Slaughter on 10th avenue)
5.ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン (Will you still be mine) 5.ア・ギャル・イン・キャリコ (A gal in calico)
6.パヴァナ (Pavanne) 6.イッツ・イージー・トウ・リメンバー (It’s easy to remember)





<Personnel>

A-5、B-2 … 1951年10月25日シカゴにて録音、 A-2,4、B-3,5 … 1952年5月5日シカゴにて録音
アーマッド・ジャマルAhmad JamalPiano
レイ・クロフォード Ray CrawfordGuitar
エディー・カルホウンEddie Calhounbass
A-1,3,6、B-1,4,6 …1955年10月ニューヨークにて録音
アーマッド・ジャマルAhmad JamalPiano
レイ・クロフォード Ray CrawfordBass
ウォルター・パーキンスWalter PerkinsDrums

僕がレコードを購入するホームタウン(一番頻繁に通うお店)は東京都町田市にあるディスク・ユニオン(以下DUと略)町田店である。なぜかというと家から一番近いし通勤途中にあるからだ。因みにその前はDU淵野辺店だったが、2年前くらいに閉鎖になってしまった。DU町田店はジャズのコーナーが広くないというか狭い。でもそれほどレコードなどを保有していない僕には「欲しいものがない」と感じることはない。
大体週に1度行って、1回あたりの購入額は3,000円程度である。3,000円を超えることもあるが4,000円を超えることはしない。もっともっと買いたいのだが、ビンボー人の僕には資金がない。そして年に2〜3度臨時収入が入った時に渋谷のDUに1万5,000円前後の予算でレコードを買いに行くことを非常に楽しみにしている。もちろんDUの新宿ジャズ館、お茶の水のジャズ・東京にも行ったことがあるが、余りにも数が多くあれもこれも欲しくなる、しかしお金はない、ということで悔しい思いで帰らなくてはならないからだ。僕の夢は、DU町田には欲しいものが無くなり、渋谷を拠点にしながら、月1くらいで新宿ジャズ館、ジャズ・東京に進出するというものだ…んー、夢が実に小さい!
そんあことで昨年末久しぶりに渋谷DUに行き物色した結果聴いてみたかった2枚のアルバムを見つけたのである。因みにその日購入したのは15枚1万6,000円ほどだった。その見つけた2枚というのがアーマッド・ジャマルのレコード2枚でそのうちの1枚を今回ご紹介したい。
なぜこのアルバムが欲しかったかというと、第1回でご紹介した僕が最初に買ったジャズのアルバムマイルス・ディヴィスの”The beginning”の項をご覧いただきたいが、評論家中山康樹氏がパクッたとしている2曲が収録されているからである。
ところでこのアルバムは、不親切でそれともアメリカではこれが普通なのかな、パーソネルなどレコーディング・データが全く載っていない。そこでレコーディングに関するデータは”Ahmad Jamal .net”を参考にした。それによると3回のセッションからピック・アップして1枚のアルバムに収録しているようで、レコード会社は”Epic”である。1回目、2回目のトリオのメンバーは同じだが、3回目の1955年セッションでは、P、B、Drという布陣に変わったとディスコグラフィーには出ているが、誤りではないかと思うが取りあえず上記<Personnel>はディスコグラフィーに沿って記載した。

ということで2曲を中心に聴いていこう。
先ずレコードには録音に関するデータは全く載っていない。聴き終って「?」と思うのは、全くドラムが入っていないということで全篇P、G、Bのトリオとしか聞き取れない。しかしディスコグラフィーでは全12曲中1955年録音の6曲はP、B、Dのという編成のトリオのはずだということである。どうしてもディスコグラフィーの誤りとしか思えない。僕の推定はジャマル以外は、レイ・クロフォードのギター他の6曲とプレイが近い。ベースはイスラエル・クロスビー(Israel Crosby)ではないかと思う。
全体的な聴後感(読書で読み終わった後に感じることを読後感というならレコードを聴き終った後に感じることは聴後感と言っていいのでは?)は、ジャズのピアノ・トリオを堪能したという感じがしない。
レコードの裏にナット・ヘントフ氏が解説を書いているが、そこでキャノンボール・アダレイの「私はジャマルを『カクテル・ピアニスト』と呼ぶことは適切ではないと思う」という言葉を紹介している。ということは一般的には『カクテル・ピアニスト』と呼ばれていたのだろう。何となくわかる。それはどう聴いてもストレートなジャズではないからだ。それが良くないというわけではない。ストレートなジャズとは何か?それはまずテーマを演奏しアドリブに入るが、そのアドリブにこそ命を懸けるというプレイ・スタイルだろう。しかしジャマルはまずストレートにテーマを奏することが無い。少なからずアレンジされている、というか崩されている。そしてそのアレンジがジャズっぽくないのである。多分そこが日本でイマイチ人気を得ることが無いところだろうと思う。これは僕の勝手な想像だが、ジャマルはいわゆるミュージシャンズ・ミュージシャンだと思う。一般的なジャズはまずストレートにテーマを奏する、そこに注力はしないのである。しかしジャマルはここに手を加えるのである。そこが普通とは違うところであり、他のミュージシャンが注目するところなのではないかと思う。しかし正直にいうと僕はジャマルの手の加え方は好きではない。「手を加える」というより「いじくりまわす」という感じがする。
さらにこのテーマ・イジクリのため合奏部が長くなる。日本ではヴェンチャーズで有名なB-4 10番街の殺人など、ほとんど譜面があるのではないかと思う。譜面がないのはジャマルのアドリブの部分だけではないか? そこで気になるA-5 ウィル・ユー・スティル・ビー・マインとB-5 ア・ギャル・イン・キャリコ (A gal in calico)の2曲である。
この2曲は評論家中山康樹氏はその著「マイルスを聴け!」の『ミュージングス・オブ・マイルス』の紹介のページで「ジャマルが4年も前に録音したものではないか」と指摘している。まず中山氏は『枯葉』のイントロをジャマルからパクッたとし、それと同列の扱いでこの指摘をしている。しかし<パクリ>と言われるほど似ているだろうか?この曲を演奏すること自体はジャマルの影響かもしれないが、手法はまるで違う。マイルスはストレートに演奏している。
多分もっとも有名なナンバーはA-3 ポインシアーナ (Poinciana)であろう。
ナット・サイモン(Nat Simon)曲、バディ・バーニア(詞)で1936年にキューバのフォーク・ソングを元に作られたらしい。「木の歌」(The song of the tree)という副題がついている。1958年に吹き込んだ”But not for me”が大ヒットとなり、108週間に渡って売り上げベスト10に入っていたという。このアルバムからシングル・カットされた「ポインシアナ」(”Poinciana”)は彼の代名詞となった。その初録音である。この曲の他にもギターがウンポコウンポコとリズムを叩きだすがどうしてもC調に聞こえてしまう。
また、A-6 パヴァナ (Pavanne)は、クラシック畑のモートン・グールドの作曲で、ジョン・コルトーレーンの「インプレッションズ」の元曲といわれるが、そう意識して聴くと似ているフレーズはある。そしてコルトレーンがこの曲を知るきっかけになったのは、マイルスがジャマルをよく聴き影響されていたからだというが、だからといってコルトレーンに対するジャマルの影響云々という話の展開は無理があろう。この曲を劇的に新しい展開でジャマルが演奏しているわけではないので、コルトレーンが曲作りの時ジャマルが演奏していたこの曲の一部が浮かんだということだと思う。

よくジャマルの評価として「間を生かす」、「弾きすぎない」ということが言われるようだが、僕は余りそうは感じない。話が飛んで恐縮だが、粟村政昭氏は「ジャズ・レコード・ブック」のカウント・ベイシーの項で10インチ・アルバム『Basie at the piano』中の1曲”How long how long blues”を「ベイシーが最小の音符を使って最大の効果を上げ絶妙な<間の芸術>を聞かせる。」と絶賛しているが、同様のレベルではないと言わざるを得ないのである。

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第39回2014年2月1日

ルイ・アームストロング・アンド・ザ・オール・スターズ 「ベイズン・ストリート・ブルース」

ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
ちょっと間が空いてしまいました。会社での仕事が忙しく毎日残業の連続で飲みに行ったわけでもなく仕事で午前様でした。本当に体力が衰えました。
1月13日の森散歩 その2
でもうれしいこともありました。1月18日土曜日昨年結婚した長女に子供が生まれました。初めての孫です。初めてのお産は遅れることが多いといいます。長女も予定日は1月17日だったもののその兆候がなかったのですが、翌18日午後にお腹が痛くなり、病院に行ったところ即入院となり19時近くに無事出産しました。母子ともに元気で誠にありがたいことです。

今週のお題は長女の出産の予定もあり、複雑なものはやめようと先々週から準備をしていたのですが、取り組んでみるとそう簡単なものではありませんでした。

第39回Louis Armstrong and the all stars“Basin street blues”

 DECCA DE-243 SP盤 1954年3月19日ニューヨークにて録音


 「ベイジン・ストリート・ブルース」SPレコード

<Contents>

A面
B面
ベイジン・ストリート・ブルース パート1 (Basin street blues part1) ベイジン・ストリート・ブルース パート2 (Basin street blues part2)

<Personnel>…レコード・ラベルに記載されている

ルイ・アームストロングLouis ArmstrongTrumpet
トラミー・ヤングTrummy YoungTrombone&Vocal
バーニー・ビガードBarney BigardClarinet
バド・フリーマンBud FreemanTenor sax
ビリー・カイルBilly KylePiano
アーヴェル・ショウArvell ShawBass
ケニー・ジョンKenny JohnDrums

具体的には何かと言われると答えられないのだが、昨年ジャズの革命児であったチャーリー・パーカー再評価のような動きがあったような気がする。是非そういうところに参加していろいろ教わりたい。大変結構なことだが、もう一人の革命児サッチモことルイ・アームストロングに対しても再評価という動きが欲しいものだと思う。こう書くと、僕は分かっているけど知らない人が多いのでその人のためにやって欲しいという上からの発言のように思われてしまうかもしれないが、全く違う。
僕なんかがジャズを聴きはじめた60年代末期には、ルイ・アームストロングはダミ声で歌うオジサン・エンターティナー的な存在になってしまっていて、現役バリバリのジャズ・マンではなく、昔はすごかったんだよ的な話は雑誌などでも読んではいたがいまいちピンとこなかったのである。
そんな僕がこれはマジすごいのでは?と思うきっかけがあった。それでサッチモを聴くようになったのだ。そのきっかけは全く偶然に起こったことだが、そんな偶然に出会えるというのはまたしても僕はジャズにはツイていると思うのだ。この偶然が無ければ僕はサッチモを聴いていたかというとまったく自信がない。
さて、その偶然とは何かというと、僕が高校何年生だったか忘れたけど、多分年初めに田舎最大のレコード・ショップYAMAHAでレコードのバーゲン・セールが行われていた。高校生の僕は当然お金が無く1枚か2枚を買って帰るのだが、ふと片隅でSP盤のセールが行われているのを発見したのである。その当時の蓄音機のプレーヤーにはまだ78回転機能が付いていて、SP盤が聴けた。1枚幾らで売られていたかは忘れてしまったが4枚ほど買ったのだ。そのココロは、将来値上がりするかもしれないというヨコシマなものだったのが残念だが。そうやって購入した4枚の中にルイ・アームストロングの「ベイズン・ストリート・ブルース」があった。
家に帰って早速聴いてみた時のことは忘れられない。圧倒された。物凄い演奏なのだ。5人の音が一塊になって迫ってくる。「これはモダン・ジャズだ!」思わず叫んでいた。モダンどころではない、未来のジャズだ、もしジャズの理想のプレイがコレクティヴ・インプロヴィゼイションならこれこそジャズの理想形だ。やっぱりサッチモすごかったんだ、こんな昔にこんなすごいことを演っていたと入れ込んだのであった。
前置きの部分に忙しくあまり時間が取れないので、このレコードを選んだが失敗だったというのは、記憶ではホット・ファイヴの演奏なので、メンバーは5人、SP盤表裏で1曲ということで記載が楽だと思っていた。ところがこれはよく分からないレコードなのである。
そもそもこのレコードはSP盤なのでしばらくの間約40年間僕には聴ける装置が無かった。僕のレコード・プレイヤーには78回転のスピード・セレクターが付いていない。多分大学生以来聴いていなかった。それでその頃の記憶としてホット・ファイヴによる演奏だと思い込んでいたのである。ところが最近ちょっとしたことから78回転のSP盤の再生可能な装置が手に入ったのだ。 この装置はよく新聞広告などで見かけるが、レコード⇒CDという変換が可能な極めて便利なツールである。難を言えばカートリッジが良くないので、音質はよろしくないが。ともかく久しぶりに、40年ぶりくらいにこのレコードを見て僕の記憶はいかにデタラメだったかが分かり愕然とした。
 「ベイジン・ストリート・ブルース」SPレコード・ラベル

<Personnel>

1953年6月ロス・アンゼルス録音
1954年3月19日ニュー・ヨーク録音
Louis Armstrong…Trumpet&Vocal Louis Armstrong…Trumpet&Vocal
Trummy Young…Trombone Trummy Young…Trombone
Joe Yuki…Trombone
Barney Bigard…Clarinet Barney Bigard…Clarinet
Babe Russin…Tenor sax Bud Freeman…Tenor sax
Marty Napoleon…Piano Billy Kyle…Piano
Arvell Shaw…Bass Arvell Shaw…Bass
Cozy Cole…Drums Kenny John…Drums
Gene Krupa…Drums


それは、そもそもホット・ファイヴではないこと。レコード会社はDeccaで輸入盤だと思っていたがよく見ると淵を巡るように”MADE BY TEICHIKU RECORDS CO.LTD.JAPAN LICENSED BY DECCA RECORDS.INC.NEW YORK”と書いてある。それどころかタイトル”BASIN STREET BLUES PART 1”の下に小さく(ベイジン・ストリート・ブルース)とカタカナで書いてあるではないか。日本盤なのか!さらにユニヴァーサル映画「グレン・ミラー物語」挿入と書いてある。「グレン・ミラー物語」は前にも書いたが1953年度の作品。ということはこの録音も1953年か52年の吹込みではないか。道理で新しい感じがしたはずだ。今となって聴くとニューオリンズ・ジャズというよりスイング・ジャズという感じがする。
ところでこの録音は第3回でご紹介した「グレン・ミラー物語」の挿入曲ということだが、映画の中ではミラーがニューヨークにやってきた新妻を連れてクラブのようなところに行く。するとそこにはルイ・アームストロングが出演していて客としてやって来ていたジーン・クルーパ、ベイブ・ラッシン、グレン・ミラーをステージに上げ、ジャム・セッション風に「ベイジン・ストリート・ブルース」を演奏するというクダリのところだろう。
構成は似ているが演奏内容が少し違う。でもそういうことはよくあることだ。洋画でも邦画でも映画を見て、いい曲だなぁと思ってサウンドトラック盤を買って聴くと映画のものとは若干違っていたりする。そこでルイ・アームストロングのディスコグラフィーを調べてみると次のようなことが分かった。
映画のサウンドトラックは1953年6月にロス・アンゼルスで録音されており、このSP盤は1954年3月19日ニュー・ヨークで録音されていてロス録音とはメンバーも違う。
ではこのSP盤はどうして「グレン・ミラー物語」挿入曲しているのだろうか?確かに曲は挿入されているのだが、そういう意味なのであろうか?この疑問を解くカギはドラマーのケニー・ジョンに関するサイトの中にあった。そこにはこうある、「映画ではジーン・クルーパがドラムを叩いたが、フォロー・アップのレコーディングではケニー・ジョンがドラムの椅子に座った」と。フォロー・アップ(follow-up)とはどういうものなのだろうか?何故フォロー・アップが必要だったのだろうか?正直分からない。
ともかく映画「グレン・ミラー物語」とこのレコーディングの”Basin street blues”を聴くを比較すると、映画ではグレン・ミラーの時代を表現するためかいかにもスイング時代という演奏がなされている。特にクルーパのドラムなどはそうだ。”Sing , sing ,sing”などと同じ叩き方である。ところがこのレコードでの叩き方は違う。それはそうだろう、既にバップの時代が始まって10年を経とうとしているのである。かなり当時としては斬新なドラミングだったのではないだろうか。そんな彼が飲酒癖でクビになったというのも何となくバップ的な感じがしてしまう。
 「アームストロング傑作集」LPレコード・ジャケット すごく速いテンポの記憶があったが、40年経って聴くと遅めのミディアムテンポで、4小節のピアノのイントロの後、トランペットがリードするテーマが1コーラス(AABA32小節形式)、サッチモのヴォーカル16小節、ピアノ・ソロの後テンポが変わりドラム・ソロ、ニュー・オリンズ・ジャズらしく集団即興、Cl、Ts、B、Tp、Tbと短いソロの後Tpがリードする集団即興、ドラムのソロ、再び集団即興で終わるがこのドラム・ソロはスイングらしくない、当時としては斬新なものだろう。
話は戻るが、このスイングを通り越しバップ〜モダンに至る時期の録音をSP盤ゆえにサッチモ初期の作品と勘違いし「斬新だ!」と勘違いした僕は、「ルイ・アームストロングを聴かなければ!」と決心したのだった。そして師粟村氏は何と言っているかというと、わが国で出た計4枚の『アームストロング傑作集』こそ永久にファンの座右に置かれるべき名盤であり、(中略)年代順に続けて聴くならば巨人サッチモのの歩んだ道−彼自身よりの脱皮とニュー・オリンズ・ジャズの枠内よりの脱出が手に取るように再現されるはずだと述べている。つまりニュー・オリンズ・ジャズが次の時代にジャズに脱皮していく姿を捉えているというのである。初期のジャズはサッチモ以前と以後に大きく分けられるともいう。そして現代のジャズの原型は元はと言えばサッチモが開拓した路線上にあるものだともいう。もともと勘違いから始まったものだが、そんな偉人の歩みを、ジャズ創生の道筋を聴かなければと思わせてくれた貴重なきっかけになった1枚である。



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第40回2014年2月12日

キング・オリヴァーズ・クレオール・ジャズ・バンド 「ザ・コンプリート・セット」 その1



ご覧いただきありがとうございます。定年間近オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。
この週末は強烈な寒波と台風並みの低気圧のため関東地方は20年ぶりの大雪に見舞われました。僕の住む辺りも30冂度の雪が積もっています。豪雪地帯の方は東京あたりの人間はちょっとした雪で騒ぎすぎるといいます。確かに北海道や東北の積雪状況に比べれば他愛ない積雪の量ですが、慣れていない僕などは年甲斐もなくうろたえてしまいます。通勤のことを考えるとこの雪が休日の土曜日で本当に良かったと思います。

2月2日散歩の途中で見つけた紅梅 先週は春を思わせる陽気で、梅の花もほころび出していました。近くの神社に咲いていた紅梅。大きな木ではありませんが、微かに梅の香りがしました。梅の香はいいものです。春先に咲く花なので、この香りをかぐといよいよ春だな、冬を乗り切ったのだなとうれしくなります。早く春本番になって欲しいものです。

2月2日散歩の途中で見つけた梅 一口で梅といってもいろいろな種類があるようです。白い花の梅もほころびだしていたのですが、この雪で凍ってしまったのではないかと心配です。











聴き意地を張る…

僕はいわゆる「意地っ張り」ではないと思っていますが、「食い意地が張っている」とは思います。僕は大食漢ではなく、ましてや美食家ではさらさらありませんが、例えば業界のパーティーなど(最近はめったに開かれませんが)に出席すると、あれもこれもと出された料理全て食べてみたくなります。量は要らないのですが、いろいろなものを試してみたいという気持ちが強いようです。そうこうしながら「俺って食い意地が張っているなぁ」と少し恥ずかしくもなります。
これと同じような症状を起こすのがジャズに対してです。僕は審美耳(審美眼ではなく)を持っているわけでもなく評論家でもありませんが、とにかくいろいろなレコード、CDを聴いてみたくて仕方がありません。聴いてどうするのだ?と問われても答えられないのですが、「食い意地が張っている」のと同様「聴き意地が張っている」としか言いようがありません。
例えば、前回「ルイ・アームストロングを聴くぞ!」となるといろいろなもの、ありとあらゆるものを聴いてみたくなります。特に初録音は是非とも聴いてみたいと思ってしまいます。聴いてみてもどうなるものでもないのですが、なにせ「聴き意地が張っている」もので…。

第40回King Oliver's creole jazz band “The complete set” Vol.1

Retrieval RTR 79007 CD盤 1923年4月5日、6日 シカゴにて録音


 「ザ・コンプリート・セット」CDジャケット

<Contents>

1923年4月5日録音
1.ジャスト・ゴーン (Just gone)
2.キャナル・ストリート・ブルース (Canal street blues)
3.マンディ・リー・ブルース (Monday Lee blues)
4.アイム・ゴーイング・アウェイ・トゥ・ウェア・ユー・オフ・マイ・マインド (I’m going away to wear to wear you off my mind)
5.チャイムス・ブルース (Chimes blues)
1923年4月6日録音
6.ウェザー・バード・ラグ (Weather bird rag)
7.ディッパ―・マウス・ブルース (Dipper mouth blues)
8.フロッギー・ムーア (Froggie Moore)
9.スネイク・ラグ (Snake rag)



<Personnel>

ジョー・キング・オリヴァーJoe “King” OliverCornet
ルイ・アームストロングLouis ArmstrongCornet
オノレ・デュトレーHonore DutreyTrombone
ジョニー・ドッズJohnny DoddsClarinet
リリアン・ハーディンLillian HardinPiano
ビル・ジョンソンBill JohnsonBanjo
ウォーレン・ベビー・ドッズWarren “Baby” DoddsDrums

今回ご紹介するのは、バディ・ボールデンに次ぐ2代目ジャズ王と呼ばれたジョー・”キング”・オリヴァーがニュー・オリンズからシカゴに移って結成したバンド「クレオール・ジャズ・バンド」のレコーディングの集大成版であり、オリヴァーそしてジャズに大きな変革をもたらしたといわれる天才サッチモことルイ・アームストロングの初レコーディングを収録している。クレオール・ジャズ・バンドの録音として本当にコンプリート(完全)か或いは漏れがあるかどうかは僕には分からないが、歴史的に大変重要な録音集であることは間違いない。粟村氏もその著『ジャズ・レコード・ブック』において、「若き日のサッチモが加わっていた頃のオリヴァー・バンドの名演は『Creole Jazz Band』(British Riverside RLP-8805 廃盤)、『オリヴァー傑作集』(Odeon OR-8068)の2枚にほぼ完全に収録されている。もちろん音は悪いが、ジャズを語らんとする人はまずこれを仕入れておかぬことには話になるまい」としている。
そもそもジャズは19世紀末から20世紀初めにかけてアメリカ南部、ミシシッピ川河口の港町ニュー・オリンズもしくはその周辺の地域で生まれたとされている。そしてそのジャズの2代目のキングジョー・オリヴァーもニュー・オリンズ近郊のプランテーションの出身である。その他のメンバーもニュー・オリンズ出身或いは南部の出身である。そういったメンバーによるジャズの録音が何故にニューオリンズではなく中北部の都市シカゴに移ってから行われたのであろうか(最初の録音はインディアナ州リッチモンドで行われた)。
このことを理解するには初期のジャズの歴史を紐解く必要がある。ニュー・オリンズの黒人ミュージシャンの多くは、本業を持つかたわら、夜になると歓楽街であるストーリーヴィルやその周辺に立ち並ぶ売春宿や酒場、ダンス・ホール、キャバレーなどに雇われ演奏していた。また時には昼間にもパレードなどに駆り出され、ブラス・バンドの一因として演奏していた(大和明氏著『ジャズの黄金時代とアメリカの世紀』)。そこで1910年代最大の出来事「第一次世界大戦」が勃発、アメリカは1917年に参戦を表明する。そしてニュー・オリンズは海外派兵の軍港となったことにより、衛星と規律上の理由で軍隊からの要請で歓楽街ストーリーヴィルは閉鎖されてしまう。このため周辺のカフェやダンス・ホールも衰微しジャズ・マンの仕事場が失われていった。
そこでミュージシャンたちは、これまでのような片手間の仕事ではなく正規の職業ミュージシャンとして活動できる場を求め中北部の大都会シカゴへと向かっていくのである。何故にシカゴかというと、大戦中にシカゴを中心とする北部諸都市では、それまで以上に工業が急速に発展し、安い賃金労働者である南部の黒人たちを大量に必要としていたこと。また一方黒人側も、南部でのプランテーションを中心とする厳しい労働環境と人種差別に喘いでいた黒人たちは比較的差別の緩やかな地域への移住を望んでいたという条件が重なり、シカゴは多数の黒人労働者が存在していた。それにシカゴはミシシッピー川を北上し、セントルイスを経由すれば故郷ニュー・オリンズとも近かった。このような事情からジャズの本流は20年代にシカゴに移り、シカゴがジャズの第二の故郷となっていった。このような事情から、1918年キングと呼ばれたジョー・オリヴァーもシカゴへ向かうのである。
シカゴに落ち着いたオリヴァーは、20年にクレオール・ジャズ・バンドを編成し一時カリフォルニアなどへ巡業を行ったが、22年シカゴへ戻りニュー・オリンズよりルイ・アームストロングを呼び寄せ、ロイヤル・ガーデンズ(後にリンカーン・ガーデンズと改名)に出演し、一大センセーションを巻き起こしたといわれる。しかしどうしてこのバンドがシカゴで大評判を取ったのかは、まだ勉強不足で分からない。単純にアームストロングが加入したからというわけでもないだろう。まだアームストロングも無名の一コルネット奏者だったのだから。ともかくそうした大評判となったことでこのレコーディングは行われることになったのだろう。
最初の録音の地はインディアナ州リッチモンドであるが、この地にはガネット・レコーズのスタジオがあり、初期のジャズ音楽のレコーディングが行われたことから、「レコード・ジャズの発祥地」と呼ばれているらしい。ともかくこのガネット・レコーズのスタジオで1923年4月5日と6日の2日間歴史に残る録音が行われたのであった。
しかし変わった楽器編成ではある。僕はコルネットが2つというバンドを他に知らない。ビッグ・バンドでもないのに”キング”とも呼ばれたプレイヤーが、いかにニュー・オリンズで評判をとりつつあった自分の弟子とはいえバンドに加えたのにはどんなサウンド上の狙いがあったのだろうか?

『初期のジャズ』ガンサー・シュラー著湯川 新訳 『初期のジャズ』ガンサー・シュラー著 原書 さて、曲へと行きたいところですが、聴き分けられる能力がないので、参考文献を参照しましょう。参考文献は自身クラシックの音楽家(ホルン奏者、ニューイングランド音楽院の院長も務めた)でありジャズにも造詣の深いガンサー・シュラー(Gunther Schuller)氏の大著「初期のジャズ‐その根源と音楽的発展」(湯川 新訳 法政大学出版局)です。

ちょっと話がそれます。この本には自分だけのちょっとしたエピソードがあります。僕がまだ高校生でジャズを聴きはじめたころ、毎月スイング・ジャーナル誌を購読していました。その質問コーナーにあるジャズ好きな学生の方が英語の勉強をしながらジャズの知識も得たいので良い洋書を紹介してくださいという質問が寄せられました。それに対してどなたか忘れましたが評論家の方が、”Early Jazz - its roots and musical development/Gunther Schuller”つまりこの原書を紹介されていたのです。そこで僕もこれに乗りこの本を取り寄せました。それが左の本です。確か当時のお金で5,000円くらいかかったと思います。もちろんそんなお金はないので、何の本かは内緒で英語を原書で勉強したいと嘘をつき、親にお金を出してもらいました。このことは今でも心が痛みます。騙してお金を出させたことではなく、1ページほど訳した時点でこれは無理と諦めてしまったことです。それから40年以上この本は僕の本棚に並んでおり、そして見るたびに後ろめたさを感じています。そんな折約5年前くらいだったと思いますが、日本訳が出たことを知ります。湯川新氏の翻訳本です。これで完全に”Early Jazz - its roots and musical development/Gunther Schuller”を訳して読む可能性は無くなりました。

ところで僕は本来本当にそのジャズを味わうならば、現地で実際に演奏されている現場で聴くのが一番だと思っている。しかしキング・オリヴァーのような初期のジャズに関しては完全に無理な相談である。次に良いのはこれらが最初にリリースされた状態のレコード、この場合前回のようなSP盤を78回転で回して聴くのが良いと思う。僕はSP盤市場というのがどうなっているのかについて全く知識を持ち合わせないのだが、今回取り上げた演奏を収録したSP盤というのは現在でも入手可能なのだろうか。想像するだけでもかなり難易度が高いような気がする。さらに次には粟村氏が挙げたようなレコードで聴くのが続く。紹介CDとして選んでおきながらなんだが、このような集大成CDというのは、僕の場合聴くときに余り身が入らないのである。そういって最初のSP盤、British riverside盤などを求めてもいつ手に入るかわからない。そうなると集大成CDを聴くか諦めるかということになるのだが、聴き意地の張っている僕としてはCDを購入することになるのである。

さてシュラーは先ずニュー・オリンズの赤線地区、ストーリーヴィルのビッグ25におけるキング・オリヴァーの初期の演奏とシカゴに赴き人気の絶頂期を迎えたころの演奏はまるで違っていたという1897年生まれでギター、バンジョーのプレイヤーでありニュー・オリンズ・ジャズの紹介者でもあるエドモンド・ドク・スーション(Edmond "Doc" Souchon)の話を紹介している。「ビッグ25」に出演していた時には既になめらかな演奏技術を習得し、熱気があってドライヴ感あふれた、荒々しく活気に満ちた演奏をしたのに対し、シカゴに移ってからは洗練されニュー・オリンズの響きを全く失った演奏スタイルだったという。この辺りのことを当初は知らずにキング・オリヴァーの演奏を錦の御旗に掲げニュー・オリンズ・ジャズの復活活動を行ったルー・ワターズ一党のような存在も現れてくるが、それはまた別の機会に。また、同時代のトランペット奏者マット・ケアリー(第25回KidOry”Tailgate!”参照)は「キング・オリヴァーの本物の演奏とそっくりに響くレコードを聴いたことが無い」と発言しているという。すなわちここで聴かれるオリヴァーの演奏は、本来のニュー・オリンズのものではなく、オリヴァー本来の演奏でもないということになる。

ところでこのレコーディングが行われた1923年はジャズ・レコーディング元年ともいわれる年である。もちろんジャズのレコーディングはその前にも行われはした。最も古いジャズのレコーディングは1918年のO.D.J.B.(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)であったが、レコード会社が積極的にジャズを録音しようとはしていなかった。それはレコードの主要な消費者が白人だったことにもよる。ところがO.D.J.B.のレコードが全国的売れ始め事態は急速に展開することになる。何故、O.D.J.B.が売れ始めたのかはよく分からないが、このことによって初期ジャズの重要人物ジョー・キング・オリヴァーとルイ・アームストロング、フレディ―・ケパード、ジェリー・ロール・モートン、シドニー・ベシエ、ベニー・モーテン、さらにブルースの皇后と言われるベッシー・スミスもこの年に初録音を行っている。しかしこの時には先に述べたようにオリヴァーに見るように10年代にニュー・オリンズで行っていたのと同じ演奏をしていたわけではなかったろう。
この第40回篇はキング・オリヴァーも取り上げるが、どちらかと言えばルイ・アームストロングの足跡を少しでも追ってみようというものである。1923年までニュー・オリンズに留まっていた。オリヴァーにシカゴへ呼ばれたとき、ルイは23歳正に伸び盛りであった。クリス・ケリー、パティ・プティ、キッド・リナなど年長のトランペット奏者を根こそぎ打ち負かしたという伝説を作ったとすればこのころであろう。とすれば15歳年長で38歳のオリヴァーとの上り坂23歳のルイとの関係も考慮に入れなければならないだろう。
ガンサー・シュラーによれば、クレオール・ジャズ・バンドにおいて、このバンドの理想は当然ながらリーダーオリヴァーが標榜したものであり、それは旧来のジャズ、ニュー・オリンズのジャズの再現をするものであったという。つまり、あくまでオリヴァーが中心であって彼がルイに求めたものは自分を引き立てる役目だったという。それはこれからの若者ルイには受け入れられるものではなく、約1年の在団のちルイはニュー・ヨークに向かうことになる。ともかくこの時期オリヴァーが目指したものは、厳密な統制に基づくニュー・オリンズ・ジャズだったという。

以下ほとんどシュラー氏の寸評であるが…。

1.ジャスト・ゴーン (Just gone)
シュラー氏はテンポと和声には難点があると寸評しているが、のたり庵にはよく分からない。

2.キャナル・ストリート・ブルース (Canal street blues)
8.フロッギー・ムーア (Froggie Moore)
この2曲に聴かれる着実で、抑制が効いた揺れる4/4拍子の演奏を聴くと、驚嘆するという。これらは静かに整然としている。音楽家たちのリズム感に投影されている全員が一体という観念に感動させられるという。

3.マンディ・リー・ブルース (Monday Lee blues)
4.アイム・ゴーイング・アウェイ・トゥ・ウェア・ユー・オフ・マイ・マインド (I’m going away to wear to wear you off my mind)
この2曲については寸評なし。ジョーによるものと思われるミュート・トランペットを聴くと音に関してだけだが、エリントン楽団のババー・マイレイに通じるものがあるのではないかと思う。
また、4のI’m going away to wear to wear you off my mindでのピアノ・ソロというのは当時少ないような気がする。

5.チャイムス・ブルース (Chimes blues)
ルイのオリヴァーとの共演における最初のソロ録音はこの”Chimes blues”であったという。またこの曲はリズム・セクションのみの伴奏で行われたという異例のナンバーであるという。ルイの2コーラスにおいてのみ6小節目の和声の転換が正確に演奏されていることは注目に値する。ルイがF♯のディミニッシュド・コードへ移行する箇所は、アンサンブルが前のではかたくなにFminorのコードで演奏した箇所であり、ピアノを担当したリル・ハーディンに至っては軽率にもFmajorで弾き続けていた箇所であるという。またテンポと和声には難点があるという。

6.ウェザー・バード・ラグ (Weather bird rag)
この曲についても寸評はない。

7.ディッパ―・マウス・ブルース (Dipper mouth blues)
オリヴァーのソロが素晴らしいとしている。ここでのソロはミュートによるもので、そういえばオリヴァーはミュートの達人と呼ばれていたらしい。

9.スネイク・ラグ (Snake rag)
シュラー氏はブレイクにおける2本のコルネットがおかしいという、確かにうまくタイミングがっていない感じがする。2か月後のオーケー・レーベルの録音では訂正された。またテンポと和声にも難点がある。

ガンサー・シュラー氏は過去40年前後もの間のソロ志向のジャズのせいで、クレオール・ジャズ・バンドに代表される集団による音楽の想像ということをすぐに理解することは多くの人にとって難しいことだ。しかしこの言葉こそが初期のニュー・オリンズ・ジャズを理解するうえでの第一歩なのかもしれない。
僕は全体を通してジョニー・ドッズのクラリネットがとても効いていると思う。そもそも最も目立つのはクラリネットだと思う。オールド・ニュー・オリンズ・ジャズでは普通なのだろうか。

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