ジャズ・ディスク・ノート 2020年2月3日

第400回 ベニー・グッドマン 1939年 その1

No.400 Benny Goodman 1939 Vol.1

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

スイング・イーラの中心人物ベニー・グッドマンの1939年の録音を聴いていこう。BGはこの年5月の録音を最後にヴィクターを去り、ライヴァル社のコロンビアに移る。
音源は一つである。
「コンプリート・ベニー・グッドマン」“Benny Goodman / The RCA years 1935-1939”BMG BVCJ-7030〜41
BG自身の1939年最初の吹込みは、1月11日メトロノーム・オール・スターズであり、上記CDボックスにも収録されているが、前回取り上げたのでここでは割愛する。

<Contents> … 1939年2月1日 ニューヨークにて録音

CD12-6.シャット・アイShut eye
CD12-7.カッコー・イン・ザ・クロックCuckoo in the clock
CD12-8.天使は歌うAnd the angels sing
CD12-9.セント・フォー・ユー・イエスタディSent for you Yesterday

<Personnel> … ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ (Benny Goodman and his orchestra)

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Trumpetクリス・グリフィンChris Griffinジギー・エルマンZiggy Elmanアーヴィング・グッドマンIrving Goodman
Tromboneレッド・バラードRed Ballardヴァ―ノン・ブラウンVernon Brown
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Schertzerノニ・ベルナルディNoni Bernardi
Tenor saxアート・ロリーニArt Rolliniジェリー・ジェロームJerry Jerome
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarベン・ヘラーBen Heller
Bassハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsバディ・シャッツBuddy Schutz
Vocalマーサ・ティルトンMartha Tiltonジョニー・マーサーJohnny Mercer

BGバンド名義のこの年最初の吹込みは2月1日に行われる。メンバー移動としては、花形スターだったハリー・ジェイムズが抜け穴を埋める形で弟のアーヴィング・グッドマンが加入した。ジェイムズの独立はいわゆる「円満退社」で、BGからも祝福を受け、自身のバンドをスタートさせるに当たって財政的援助も受けたという。
またジェイムズ独立に伴い、アルトのディヴ・マシューズがジェイムズに協力するためバンドを辞め、ハイミー・シャーツァーが復帰することになった。
Trumpet … ハリー・ジェイムズ ⇒ アーヴィング・グッドマン
Alto sax … ディヴ・マシューズ ⇒ ハイミー・シャーツァー
CD12-6.「シャット・アイ」
元々はポップス・チューンでフレッチャー・ヘンダーソンがアレンジを担当している。ヴォーカルは、この頃にはBG楽団の花形となっていたマーサ・ティルトンで、堂々たる歌いっぷりを示している。
CD12-7.「カッコー・イン・ザ・クロック」
どちらかと言えば作詞家として有名なジョニー・マーサーだがここでは自作詞を歌っている。BGのClとテナー・サックスの掛け合いが聴かれる。
CD12-8.「天使は歌う」
この曲はTpのジギー・エルマンが作曲し、マーサ―が歌詞を書き、ティルトンが歌い、ティルトンの最大のヒット曲となったナンバー。彼女の歌のうまさ、貫禄がものを言っているという。ヴォーカルの後のユダヤ民族舞曲風のエルマンのアドリブもこの人のお家芸となった。
後に製作された映画『ベニー・グッドマン物語』でティルトン、エルマンがスペシャル・ゲストとして出演し、この演唱を再現している。
CD12-9.「セント・フォー・ユー・イエスタディ」
この曲はカウント・ベイシー楽団の十八番で、ベイシー、ジミー・ラッシング、エディー・ダーハムの共作。編曲のジミー・マンディはベイシー風を踏襲し、カンサス・リフを活かしたノリを創り出している。ヴォーカルはマーサ―。

<Contents> … 1939年2月9日 ニューヨークにて録音

CD12-10.エストレリータEstrellita
CD12-11.ホーム・インザ・クラウドA home in the clouds

<Personnel> … ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ (Benny Goodman and his orchestra)

メンバーは2月1日と同じ
CD12-10.「エストレリータ」
元はメキシコの歌曲という。とてもリラックスしたスインギーな演奏で、BG、ステイシー、ジェロームのソロもよく歌っている。
CD12-11.「ホーム・インザ・クラウド」
この曲は珍しくBGとベニー・カーターが共作したナンバーで、カーターがアレンジを担当している。ティルトンのヴォーカル入り。

この後BG自身とアーヴィング・コロディンとの共著『スイングの王国』というBGの自伝が発売される。

<Contents> … 1939年4月6日 ニューヨークにて録音

CD12-12.オーパス3/4Opus 3/4

<Personnel> … ベニー・グッドマン・カルテット(Benny Goodman quartet)

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Vibraphoneライオネル・ハンプトンLionel Hampton
Drumsバディ・シャッツBuddy Schutz

1939年初のカルテット録音。ピアニストとして定着していたテディ・ウィルソンがしばらく休みを取ったために初めてステイシーがピアノを弾くことになった。ハンプトンがヴァイブで入り、ドラムスにはシャッツが就くことになった。
CD12-12.「オーパス3/4」
この日は、カルテット1曲だけの録音である。BGとハンプトンの共作。このメンバーでのカルテット吹込みはこれだけだという。中々スリリングで面白いナンバーだと思う。

<Contents> … 1939年4月7日 ニューヨークにて録音

CD12-13.ショウ・ユア・リンネン・ミス・リチャードソンShow your linen Miss Richardson
CD12-14.レディス・イン・ラヴ・ウィズ・ユーThe lady’s in love with you
CD12-15.スイングの王国 テイク1Kingdom of swing part1
CD12-16.スイングの王国 テイク2Kingdom of swing part2
CD12-17.ワシントン広場のバラRose of Washington square
CD12-18.サイレンズ・ソングThe siren’s song

<Personnel> … ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ (Benny Goodman and his orchestra)

メンバーは2月1日と同じ
CD12-13.「ショウ・ユア・リンネン・ミス・リチャードソン」
ヘンダーソンのアレンジで、マーサ―のヴォーカル入り。
CD12-14.「レディス・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」
この曲は元BG楽団の花形ドラマー、ジーン・クルーパが主演した映画”Some like it hot”の主題歌でティルトンのヴォーカル入り。それにしてもクルーパが映画の主役を張ったことがあるとは知らなかった。
CD12-15、16.「スイングの王国」
BGの考えたリフ曲で、ヘンダーソンのアレンジによって堂々たるビッグ・バンド・ジャズに仕上がっている。ソロはBGで、どういう訳かSP盤時代にはお蔵入りになっていた曲だという。少し前に出たBGの自伝に因んだ曲か?
CD12-17.「ワシントン広場のバラ」
20世紀初頭ジーグフェルドの小レヴュー「ミッドナイト・フロリック」の中でファニー・プライスが歌った曲。1939年にアリス・フェイが主演したプライスの伝記映画の題名にもなり、ヒットしたので取り上げたのだという。ヘンダーソンのアレンジでヴォーカルはなし。
CD12-18.「サイレンズ・ソング」
ジェローム・カーンの新作ミュージカル「ジェーンに任せて」の主題歌だという。

<Contents> … 1939年5月4日 シカゴにて録音 RCAヴィクターへの最後の吹込み

CD12-19.ピック・ア・リブPick-a-rib
CD12-20.ユー・アンド・ユア・ラヴYou and your love
CD12-21.フール・バイ・マイ・バブリチキWho'll buy my Bublitchki

<Personnel> … ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ (Benny Goodman and his orchestra)

下記以外メンバーは2月1日と同じ
Trumpet … アーヴィング・グッドマン ⇒ コーキー・コーネリアスCorky Cornelius
Trombone … ブルース・スクワイアーズBruce Squires ⇒ +
Bass … ハリー・グッドマン Harry Goodman ⇒ アーティー・バーンスタインArtie Bernstein or クイン・ウィルソンQuinn Wilson
Drums … バディ・シャッツ ⇒ ライオネル・ハンプトン Lionel Hampton
CD12-19.「ピック・ア・リブ」
38年12月にクインテットで吹き込んだ曲のオーケストラ版。
CD12-20.「ユー・アンド・ユア・ラヴ」
ジョニー・グリーン(曲)、マーサ―(詞)の新曲で、ティルトンのヴォーカルの出来が素晴らしい。いい曲なのにスタンダードにならないのが不思議なくらいだという。
CD12-21.「フール・バイ・マイ・バブリチキ」
これもヘブライ色の強いものでエルマンとBGのユダヤ節が聴き処と野口氏。

この後BGはコロンビアへの移籍するのである。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月29日

第399回 メトロノーム・オールスターズ 1939年

No.399 Metronome all stars 1939

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今回は1939年録音の第1回目として「メトロノーム・オールスターズ」の録音を取り上げよう。まずこの「メトロノーム・オールスターズ」とは?
そもそも「メトロノーム(Metoronome)」とは、1884年創刊されたアメリカ最古の音楽雑誌であった。この雑誌においては始めジャズ関連の記事はほとんど掲載されることはなかったが、1935年ハーバード大学出身のドラマー、ジョージ・T・サイモンが編集部に加わり、当時スイング・ジャズが一般大衆の間で人気を集めていたとこと頃から、やがてスイング・ミュージックの専門誌的な編集方針を取るようになっていったという。
当時ライバル誌として1934年に発刊したダウンビート(Downbeat)誌が、1937年から読者人気投票によるミュージシャンを選出していたので、「メトロノーム」誌も39年度(集計は38年暮)からサイモン氏の指導を下に同様のポール・ウィナーの選出を始めた。その頃は「メトロノーム」誌の方が圧倒的に売れていたので、その結果は「ダウンビート」誌よりも一般大衆の好みを一層反映していたことになる。そしてその結果に基づいたレコーディングを企図することは、ジャズ・ファンの夢を満たすものとして大きな意義を持つものであった。
ところで「メトロノーム」誌、「ダウンビート」誌の39年度のポール・ウィナーズはどのような顔ぶれだったかというと現段階では資料がなく分からない。ググってみても該当する資料にヒットしない。「メトロノーム」誌の方は本録音のメンバーと解説文中から想像するしかない。
そして僕が考えるにこう言うことが実現できることこそがジャズの特徴の一つではないかということである。
すなわち「メトロノーム・オールスターズ」とは、トランペット、クラリネッット、ピアノ、ベースなどの楽器ごとの分野での人気No.1プレイヤーを集めたバンドによる録音ということであるが、そういった企画自体他の分野では難しいのではないかと思われる。ヴァイオリン部門やチェロ部門の人気No.1になった演奏奏者を一堂に集めて交響楽団を作って演奏や録音をしたなどということはあるのだろうか?僕は聴いたことがない。
では、このような企画がなにゆえジャズでは可能かといえば、ジャズで一番の聴かせ処は「アドリブ」だからではないだろうか?アンサンブルが重要ではないということではないが、そもそもプロになるくらいのプレイヤーなら譜面のあるなしにかかわらず主旋律部のアンサンブルくらいはそれほど苦労なく吹けたり、弾けたり出来るであろう。つまりそういった合奏部はそれなりにこなして、勝負はソロになる。そしてここでは各プレイヤーが腕を競うからかえって聴き処の多い演奏になることも多いのだろう。
ともかくこうして選ばれたポール・ウィナーたちは、スタジオに集合しレコーディングを行った。因みに第1回目は「ヴィクター」に、2回目は「コロンビア」というように2大メジャー・レコード会社が録音を行ったが、7回目からはキャピトルが参加し、その後MGMとクレフ(後のヴァ―ヴ)も1回ずつ吹込みを行った。
この催しは太平洋戦争中を除いて51年まで毎年続いた。その後は53年と56年に行われただけで、肝心の「メトロノーム」誌が廃刊となったため消滅した。
また56年に録音を行ったのは「クレフ」であったが、「メトロノーム・オールスターズ」と銘打っているものの、投票結果を全く無視した編成で、単に上位に入賞したクレフに専属契約していたミュージシャンが加わっていた。つまりクレフのノーマン・グランツが「メトロノーム・オールスターズ」という名を商売に利用しただけであった。
さらにこの企画を最初に考え、中心となって担当してきたジョージ・T・サイモンは、投票結果を尊重しながらも、ただそれだけに盲従したわけではなく、構成メンバー全体のバランスを考え、また単なる表面的な人気だけではなく真の実力を備えた者を選出するなど最新の配慮をしながらこのレコーディングに向かったのであった。
なおこのセッションに当たって、それぞれ別々のレーベルに専属契約していたスターたちを一堂に集めてレコーディングすることの問題は、「メトロノーム」誌がミュージシャンに支払うギャラの問題だが、これを失業ミュージシャン救済のため使うということで解決したのであった。

第1回1939年度は投票が行われたのは1938年である。この年と言えばスイング時代の絶頂期で、ベニー・グッドマン、トミー・ドーシー、アーティー・ショウ・ボブ・クロスビーなど白人ビッグ・バンドの演奏が圧倒的に大衆に受けていた時代である。当然ポール・ウィナーズの顔ぶれも白人によって占められた。結局この年ポール・ウィナーに選ばれた黒人はピアノ部門のテディ・ウィルソンとヴォーカル部門のエラ・フィッツジェラルドだけであった。結局この年の録音は白人プレイヤーのみで行われることになった。またこの時は「メトロノーム・オールスターズ」という名ではなく単に「オール・スター・バンド」という名で吹き込まれた。ドラムス部門のポール・ウィナーはジーン・クルーパだったが、都合により不参加となった。
このレコーディング・セッションは1月11日夜から準備が行われ、実際に録音に入ったのは12日の午前1時であった。当時これらの録音の気苦労は大変なものであった。当時人気を二分するベニー・グッドマンとトミー・ドーシーを共演させること自体が問題だったという。2人ともプライドが高く気難し屋で有名だったからである。さらにボブ・クロスビー楽団から4人が選ばれていたが、当夜このバンドはフィラデルフィアの劇場に出演しており、終演後間に合うように来てくれるかどうか心配もあった。

音源は、「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第17巻/スイングからバップへ」RA96〜100
「コンプリート・ベニー・グッドマン」BVCJ-7030〜41
どちらにも同じ音源が入っている。

<Contents> … 1939年1月11日 ニューヨークにて録音

record2-A面1ブルー・ルー テイク2Blue Lou take2
record2-A面2ブルー・ルー テイク3Blue Lou take3
record2-A面3ザ・ブルースThe blues

<Personnel> … オール・スター・バンド(All star band)

Trumpetバニー・ベリガンBunny Beriganソニー・ダンハムSonny Dunhamチャーリー・スピヴァクCharlie Spivakハリー・ジェイムズHarry James
Tromboneジャック・ティーガーデンJack Teagardenトミー・ドーシーTommy Dorsey
Cralinet & Alto saxベニー・グッドマンBenny Goodman
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Schertzer
Tenor saxxアート・ロリーニArt Rolliniエディー・ミラーEddie Miller
Pianoボブ・ザークBob Zurke
Guitarカーメン・マストレンCarmen Mastren
Bassボブ・ハガートBob Haggart
Drumsレイ・ボデュークRay Bauduc

Record2.A面1、2.「ブルー・ルー」
セッションで最初に演奏したナンバー。ここではトミー・ドーシーがバンドを指揮した。それは彼のバンドが使っていたアレンジを用いたからであった。
ここではメンバーに選ばれていたTpのハリー・ジェイムズは加わっていない。それは彼の場合リーダーがBG以外の下ではレコーディングに加わわらないという契約を結んでいたからである。そのためこの曲では代役のチャーリー・スピヴァクが加わったとレコード・ボックスにはあるが、CDボックス「コンプリート・ベニー・グッドマン」には、この時ハリー・ジェイムズはBG楽団を辞めていたとある。ならばなぜ参加しなかったんだろう。ジェイムズはBGの祝福を受け、自身のバンドをスタートさせるに当たってはベニーの財政的援助を受けたという。 サックス・アンサンブルをリードしたのはBG楽団のハイミー・シャーツァー。BG自身もアンサンブルには第2アルトとして加わった。
最初にSP盤として発売されたのは、A面1テイク2の方だったが、やはり出来はこちらの方が良い。ソニー・ダンハムのアドリブを聴くとベリガンのプレイと酷似している。それだけこの時代のトランぺッターにベリガンの影響が絶大だったことが知れる。
Record2.A面3.「ザ・ブルース」
BGがバンドを指揮することになった。そこでスピヴァクが抜け、ジェイムズが加わった。
BGはブルースはどうだろうかと提案し、自分でブルース・リフのハミングを始めた。メンバーは賛同し、すぐさまヘッド・アレンジに取りかかった。
トミー・ドーシーは自分がポール・ウィナーであったにもかかわらずソロをジャック・ティーガーデンに譲った。こういうブルース・プレイは自分よりティーガーデンが名手であることを認めていたのである。それでメンバーもドーシーにも鼻を持たせるべく、ティーガーデンのアドリブ・バックをドーシーのストレート・メロディーが修飾するように提案し実行された。友情と敬愛の念の証である。
マストレンのギター・イントロの後、前述のようにドーシーのストレート・メロディに乗ってフレイズを重ねていくティーガーデンが素晴らしい。ここでのジェイムズのTpソロにもベリガンの影響が色濃い。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月25日

第398回 ジェリー・ロール・モートン 1938年

No.39 Jelly Roll Morton 1938

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

さて今回は、1938年のジェリー・ロール・モートンを取り上げる。実に久しぶりの登場である。いつ以来かと言えば1930年の録音以来である。
まず最初に断っておこう。僕はジェリー・ロール・モートンの1938年の音源をほとんど持っていない。ではそもそも38年に録音はあるのか?あるのである。

ボックスの解説に拠ると、1929年10月勃発した大恐慌により、人々はジャズを楽しむどころではなくなっていたという。その割に録音は結構行われていたようであるが、ともかくモートンのバンドも行き詰まり、メンバーも一人、二人と辞めていくようになった。そんな中で、モートンの派手な生活ぶりや化粧品の事業に手を出し失敗したこともあって、モートンは破産状態に陥ってしまったという。
1930年代の前半の5年間をモートンはニューヨークで過ごした。演奏活動は続けていたものの、もはや人々の注目を得ることも無く過去の人として忘れられ始めていた。
この間の活動としては、1931年4月にハーレムの「チェッカー・クラブ」に地震のオーケストラを率いて出演し、翌5月には彼の創作レヴューである“スピ―ディング・アロング”をジャマイカ劇場で上演した。
1932年10月には「リド・ボールルーム」に出演し、その後“ヘッディン・フォー・ハーレム”というショウの中でリリン・ブラウンの伴奏をしたり、ローラ・プランピン・オーケストラの一員として、クラブ「コニー・アイランド」にも出演した。
また、「ポッズ・アンド・ジェリーズ」にも時々出演していたが、その後は「レッド・アップル・クラブ」の専属ピアニストになった。
1934年8月15日モートンは、ディッキー・ウエルズ、アーティー・ショウ、バド・フリーマンらとウィンギー・マノンのレコーディング・セッションに参加し、スペシャル・エディションズに2曲の録音を行ったが、これが1930年代前半における彼の唯一の吹込みであった。
1935年モートンは再び巡業用のバンドを結成し楽旅に出たが、翌年には早くも解散し、そのままワシントンに住みついたのだった。この頃には「ジェリー・ロール・モートン」の名は完全にジャズ・シーンから消え去り、ジャズ界の人々にとっては消息不明の過去の人物と考えられるようになっていた。
1936年暮から38年夏まではワシントンの黒人街にある小さな「ジャングル・クラブ」でピアノを弾き何とか生活をしていたのだった。
そんな彼が一躍注目を集めることになる。

「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」(RCA RA-9〜12 国内編集盤4枚組LP)の解説に拠れば、先ずは1938年ダウンビート誌にモートンの抗議文が掲載される。
しかしWeb検索によれば順序が違うのではないかと思う。僕の思う順番で書いていこう。
1938年3月当時の人気教養番組ロバート・リプレイ(Robert Leroy Ripley)の“Believe it or not”(信じますか、信じませんか)において、W.C.ハンディのことを取り上げ「ジャズとブルースの創始者」としてその業績をたたえるとモートンの怒りは心頭に達した。
モートンは直ちに筆を執り、ボルチモア・アフローアメリカン紙に「ハンディはブルースの父ではない(Handy not father of blues)」という抗議文を送り、ワシントンポスト紙にも抗議文を送った。さらに「W.C.ハンディは嘘つきだ(W.C.Handy is a liar)」という4000字にも及ぶ長文の抗議文を先のリプレイ氏に、そのコピーをダウンビート誌にも送るに至った。そこで彼はジャズ発祥地はニューオリンズであり、1902年に自分が創り上げたのだと大見得を切った。そしてその手紙の末尾を“Jelly Roll Morton / Originator of jazz and stomps /Victor artist /Worlds greatest hot tune writer”と署名した。後には“Stomps”の後に“Swing”を加え、「ジャズ・ストンプ・スイングの創始者/ヴィクター専属/世界で最も偉大なホットな作曲家」と名乗るようになった。
この独りよがりの方言によりモートンは「大ぼら吹きのいやな奴」として大方の顰蹙を買ってしまった。
こうして彼の名が再び人口に膾炙されるようになると一人男が興味を抱くことになる。その名はアラン・ロマックス(Alan Lomax)という民謡研究家であり評論家であった。ロマックスは早速モートンと連絡を取り、1938年5月〜7月までの3か月間国会図書館のために、ピアノ演奏、ヴォーカル、語りによるジャズ創成期の回顧談、ジャズ音楽の形成などについて12インチSP盤48枚に吹き込んだ。このSP盤は当初サークル・レーベル(ジャズ・マン・レーベル)で発売された。後にリヴァーサイド・レコードから30センチLP12枚として世に送られた。僕はこのうち何枚かを2019年東京・御茶ノ水のレコード・ショップ「Jazz Tokyo」で見たことがあるが、購入はしなかった。僕の最も信頼する評論家粟村政昭氏は「史的音楽的に測り知れない価値がある」と評している。
これが1938年のモートンの録音である。
僕は冒頭「1938年の音源を持っていない」と書いたが実は1曲だけ持っている。これについては2014年11月24日の第74回で取り上げている。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月23日

第397回 ライオネル・ハンプトン 1938年

No.397 Lionel Hampton 1938

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

さて今回は、ライオネル・ハンプトンの「オール・スター・セッション」の1938年の録音を聴いていこう。
音源は引き続き、ハンプトンのオールスター・セッションの全曲を初めて集大成した画期的なボックスだという「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第16巻 ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95レコード)である。

<Contents> … 1938年1月18日 ニューヨークにて録音

record2-A面8ユーアー・マイ・アイディアルYou're my ideal
record2-B面1ザ・サン・ウィル・シャイン・トゥナイトThe sun will shine tonight
record2-B面2リング・デム・ベルズRing dem bells
record2-B面3その手はないよDon't be that way

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetクーティー・ウィリアムスCootie Williams
Alto saxジョニー・ホッジスJohnny hodges
Baritone saxエドガー・サンプソンEdger Sampson
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassビリー・テイラーBilly Taylor
Drumsソニー・グリアSonny Greer

1938年最初のセッションは1月18日に行われた。これはかのベニー・グッドマンのカーネギー・ホールでの歴史的なコンサートの翌々日である。メンバーを見るとハンプトン、ステイシー、リュースはBGのバンドメンバーとしてカーネギーに出演しているし、ウィリアムス、ホッジスもエリントニアンだがカーネギーに出演している。カーネギーには出ていないがソニー・グリアもビリーテイラーもエリントニアンである。ステイシーなどはカーネギーからバド・フリーマンの吹込みに駆け付け、翌日はハンプトンに呼ばれたこのセッションに参加している。

record2-A面8.「ユーアー・マイ・アイディアル」
ファッツ・ウォーラーの作。サンプソンのバリトンによるイントロから、ホッジスとウィリアムス(サビ)のファースト・コーラスが圧巻で、バリトンのブリッジからハンプトンのヴォーカルも良く、オブリガードをつけるホッジス、ステイシーも快調である。ヴォーカルの後リュースのGtをブリッジにして、ハンプトンのVbと合奏となる。ヘッド・アレンジによるジャム・セッション型の演奏だが、まことに素晴らしい。
record2-B面1.「ザ・サン・ウィル・シャイン・トゥナイト」
ミディアム・スロウのナンバーで、ファースト・コーラスはVbで出て、サビをウィリアムスがグロウル・スタイルで盛り上げ、短いピアノを挟んでヴォーカルとなる。歌の後の半コーラスはホッジスとハンプトンが分け合っている。全体として都会的で洒落た感じの仕上がりである。
  record2-B面2.「リング・デム・ベルズ」
エリントンの作で自身では1930年に初吹込みを行っている作品。ハンプトンのオール・スター・セッション中屈指の名演。ハンプトンと合奏によるファースト・コーラス、ホッジスの輝かしい半コーラス、ハンプトンのユーモラスなスキャット入りヴォーカル、続いてウィリアムスのグロウル・スタイルの1コーラス、サンプソンの半コーラスを経てハンプトンとウィリアムスが2コーラス半の大熱演を繰り広げる。バックの盛り上げもさすがに素晴らしい。
  record2-B面3.「その手はないよ」
この曲はBGとバリトンで参加しているサンプソンの合作。この日2日前カーネギーで大当たりを取ったナンバーで、BGは2月に入って16日にスタジオ録音を行っている。つまり大当たりを取ったことを知って録音した形であり、BGはどう思っただろうか?ただ作ったのはサンプソンでもあるので文句は言えないが面白くないというところだったのではないだろうか?
こちらの演奏は第1コーラスがハンプトンのVbとサンプソンのサビ、第2コーラスはホッジスとウィリアムス(サビ)、そしてハンプが半コーラスとなっている。ここでもホッジスの流麗かつ新鮮なアドリブが大きなハイライトを作っている。ここまでホッジスは3回セッションに参加しており、いずれも名演を残しているが、これ以降何故か参加していない。

<Contents> … 1938年7月21日 ニューヨークにて録音

record2-B面4スイング気分でI'm in the mood for swing
record2-B面5靴磨きのドラッグShoe shiner's drag
record2-B面6エニ・タイム・アット・オールAny time at all
record2-B面7マスクラット・ランブルMuskrat ramble

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetハリー・ジェイムスHarry James
Clarinet & Alto saxベニー・カーターBenny Carter
Alto saxディヴ・マシューズDave Mathews
Tenor saxハーシャル・エヴァンスHerschel Evansベイブ・ラッシンBabe Russin
Pianoビリー・カイルBilly Kyle
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsジョー・ジョーンズJo Jones

この日のセッションでは、BGバンドから3人が参加している。看板スター、ハリー・ジェイムス、ディヴ・マシューズ、ベイブ・ラッシンの3人、ベイシー楽団からは初登場ハーシャル。エヴァンスとジョー・ジョーンズ、ジョン・カービーのオニックス・クラブ・ボーイズからは代表のカービーとビリー・カイルそしてもちろん大物ベニー・カーターとと今回も豪華な顔ぶれである。

record2-B面4.「スイング気分で」
ベニー・カーターが当時のヒット曲”I'm in the mood for love”に引っ掛けて書き、アレンジしたミディアム・テンポのスインギーなナンバー。ジェイムズとサックス・セクション(サビ)によるオープニング・コーラスに続いて、カーターがフル・コーラスのソロを取り、ホッジスと双璧のプレイを展開する。次にハンプトンのVbとカイル(サビ)のコーラス、そして最後はカーターがアレンジしたスムースなサックス・アンサンブルとハンプトンのソロが分け合う。
record2-B面5.「靴磨きのドラッグ」
ジェリー・ロール・モートンが書いた古いブルース。TpとVbのリードする最初の2コーラスから、カーター(As)、ジェイムズ、エヴァンズ、カーター(Cl)、ハンプトン(Vb)とそれぞれ1コーラスのソロを取る。名手揃いとあってさすがに聴き応えのあるソロが並ぶ。
record2-B面6.「エニ・タイム・アット・オール」
ヴァン・ヒューゼン、ドーシーの合作曲。これもカーターのアレンジが光る。ミディアム・スロウでジェイムズ(Tp)とサックス・セクション(サビ)の第1コーラスからハンプトンのヴォーカルとなり、バックに寄り添うカーターが光る。歌の後全員による半コーラスで締め括っている。
record2-B面7.「マスクラット・ランブル」
名トロンボーン奏者キッド・オリーがルイ・アームストロングのホット・ファイヴのために書いた曲で、ディキシーのスタンダード・ナンバー。アンサンブルによるA、Bテーマの演奏の後、エヴァンズ、カーター(Cl)、ジェイムズ、再びカーター(As)、カイル(P)、ラッシン(Ts)、ハンプトン(Vb)とほとんど全員が16小節づつソロをリレーする。リズム・セクションも良くソロイストをバックしている。野口氏はスタジオ・セッションとは思えない緊密なチーム・ワークが抜群であると述べている。


<Contents> … 1938年10月11日 シカゴにて録音

record3-A面1ダウン・ホーム・ジャンプDown home jump
record3-A面2ロック・ヒル・スペシャルRock hill special
record3-A面3フィドル・ディドルFiddle diddle

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone , Piano & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetウォルター・フラーWalter Fuller
Clarinet & Alto saxオマー・シメオンOmer Simeon
Alto saxジョージ・オールダムGeorge Oldham/td>
Tenor saxバッド・ジョンソンBudd Johnsonロバート・クラウダ―Robert Crowder
Pianoスペンサー・オダンSpencer Odun
Bassジェシー・シンプキンスJesse Simpkins
Drumsアルヴィン・バロウズAlvin Burroughs

初のシカゴ録音。シカゴと言えばアール・ハインズがいてグランド・テラスを根城にしている。ということで当時のハインズの楽団からの参加者が多い。因みにピアノのオダン、ベースのシンプキンス以外はハインズ楽団である。シカゴというせいかこれまでとは一味違うノリのような気がする。

record3-A面1.「ダウン・ホーム・ジャンプ」
ジャンプ・ナンバーでシメオン(Cl)、フラー(Tp)、ジョンソン(Ts)、ハンプトン(Vb)が1コーラスずつソロを取り、リフ・アンサンブルにかえしている。
record3-A面2.「ロック・ヒル・スペシャル」
ハンプトンのオリジナル。ハンプトンは例の2本指奏法のピアノで出て、フラー(Tp)、ハンプトン(P)、ジョンソン(Ts)、ハンプトン(Vb)とソロの競演が続く。アンサンブルもよくスイングしている。
record3-A面3.「フィドル・ディドル」
ハンプトンとBGの合作したリラックス・ムードの曲。シメオン(Cl)、オダン(p)を経て、とぼけた味のハンプトンのヴォーカル、フラーのミュート・プレイ、Vbとアンサンブルとなる。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月20日

第396回 ライオネル・ハンプトン 1937年

No.396 Lionel Hampton 1937

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

テディ・ウィルソンのブランズウィック・セッションと並び称せられるスイング時代の花形セッション、ライオネル・ハンプトンの「オール・スター・セッション」は1937年2月8日から録音が開始された。このセッションを取り上げるのがこのように遅れてしまったのは、僕が記憶違いをして1939年からスタートすると思い込んでいたこととが一番の原因ではあるが、もう一つ要因としてベニー・グッドマンRCA全曲集に一切記述がないのである。これは意外だ。
ハンプトンは、BGに見いだされ、カルテットのメンバーとしてBGの公演やレコーディングに同伴していた。その同じRCAでハンプトンを主人公としたセッション・シリーズを始めるに当たって一切の記載がない。僕は当然何かコメントなりがあると思っていたのだ。
そもそもBGとハンプトンが出会ったのは1936年の夏のことであった。それから半年しかたっていないのである。ではどのようにこのセッションが始まることになったのだろうか?
1937年初頭のある日、RCAヴィクターのレコーディング・ディレクター、イーライ・オーバーステイン(Eli Oberstein)から、
「いつでも気が向いた時にレコーディングしてくれないか。色々違ったタイプのミュージシャンを自由に組んで、君がニューヨークにいる時ならいつでもスタジオを都合するよ」という夢のような申し入れを受けた。
グッドマン・コンボの先輩メンバーで同僚のテディ・ウィルソンは、これより先ブランズウィックからオールスター的メンバーによるシリーズ・レコーディングを開始し、ジャズ・ファンの注目を集めていた。オーバーステインは、ハンプトンのライヴァル意識を駆り立てようという魂胆もあった。リーダー吹込みをしたことのないハンプトンにとっては実に嬉しい話であった。
こうして第1回セッションが行われることになった。
第1回はグッドマンのバンドのメンバー9名を誘い合わせて実施された。グッドマン・バンドの直近前の録音は、1月14日新トランぺッターとしてハリー・ジェイムスを迎えて行われていたがそれにはハンプトンは参加していない。そして2月3日にはハンプトンも加わったカルテットによる録音は2月3日に行われている。
その5日後にBGバンドのメンバー9名を起用してのセッション、BGはどう思ったのだろうか?きっと面白くないと思ったから、それが側近的なモート・グッド氏に伝わったからこのセッションを無視するような記述になったのであろう。
音源は「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第16巻 ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95レコード)で、このボックスはハンプトンのオールスター・セッションの全曲を初めて集大成した画期的なボックスだという。

<Contents> … 1937年2月8日 ニューヨークにて録音

record1-A面1マイ・ラスト・アフェアMy last affair
record1-A面2ジャイヴィン・ザ・ヴァイブスJivin' the vibes
record1-A面3ザ・ムード・ザット・アイム・インThe mood that I'm in
record1-A面4ストンプStomp

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone , Drums & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetジギー・エルマンZiggy Elman
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Schertzerジョージ・ケーニヒGeorge Koenig
Tenor saxアート・ロリーニArt Rolliniヴィド・ムッソVido Musso
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

レコード解説に拠れば、このセッションの話がヴィクターからハンプトンに寄せられたのは、1937年の初頭だというからほぼ1か月で実現までこぎつけたことになる。そういったこともあってかメンバーは全て当時のベニー・グッドマンのバンド・メンバーで占められている。このことから絶対にBGにもこのレコーディングの話は通っているはずである。この直前のBGオーケストラの録音は1月14日で、その時のトランペット・セクションは、ハリー・ジェイムス、ジギー・エルマン、クリス・グリフィンであった。そこからエルマンだけが参加していることになる。
record1-A面1.「マイ・ラスト・アフェア」
元はポピュラー歌曲だという。ミディアム・テンポで、アンサンブルとハンプトンのヴァイブが絡む第1コーラス、続いてハンプトンのヴォーカル、ピアノがブリッジして再びアンサンブルとヴァイブの合奏となる。肩慣らし的な堅さが感じられると野口氏は書いている。アンサンブルの響きがさすがにBGっぽい。
record1-A面2.「ジャイヴィン・ザ・ヴァイブス」
ハンプトンのオリジナルでヴォーカルは無し。やや速めのテンポでハンプトン、エルマン、ムッソとソロが続く。
record1-A面3.「ザ・ムード・ザット・アイム・イン」
甘いポピュラー・ソングでハンプトンのヴァイブとヴォーカルが大きくフューチャーされている。
record1-A面4.「ストンプ」
これもハンプトンのオリジナル。32小節形式のリフ・ナンバー。ここではハンプトンはドラムを叩いている。速いテンポで、ドラムのイントロからエルマンのリードする合奏に入り、ロリーニ、ステイシーがフル・コーラスのソロを取り、さらにロリーニ、ハリー・グッドマン、リュース、ハンプトンが半コーラスのソロを取り合奏に入る。弟ベニーのバンドでフューチャーされたことのないハリーのソロは大変珍しい。ハンプトンのドラムはバッキング、ソロともに素晴らしい。リム・ショットらしき音がするがこの時代からあったのだろうか?

<Contents> … 1937年4月14日 ニューヨークにて録音

record1-A面5バズィン・ラウンド・ウィズ・ザ・ビーBuzzin' round with the bee
record1-A面6ウォー・ベイブWhoa babe
record1-A面7ストンポロジーStompology

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetクーティー・ウィリアムスCootie Williams
Tromboneローレンス・ブラウンLawrence Brown
Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Alto saxジョニー・ホッジスJohnny hodges
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsコージー・コールCozy Cole

初吹込みから2か月後の2回目の吹込みは、俄然豪華なメンバーとなる。これはある程度1回目のレコードが売れヴィクターが手応えを掴んだということなのだろう。
エリントン楽団から3名、BG楽団から2名、ヘンダーソン楽団からラッキー・ミリンダーに移り直後自楽団を率いるジョン・カービー、これもヘンダーソン楽団にいたコージー・コール、そしてシカゴ・スタイルの中心人物メズ・メズロウというメンバーで、白黒混成九重奏団である。しかし何故かメズロウにはソロ・スペースが与えられていない。
record1-A面5.「バズィン・ラウンド・ウィズ・ザ・ビー」
蜂がブンブンという感じのヴァイブ・イントロからそのままハンプトンがリードする合奏、続いてステイシーとホッジスの絡み、クーティーのグロウル・スタイルのTpの間に短いハンプトンのヴォーカルを挟み、再びホッジス、ブラウン、ハンプトンとホットなソロをリレーして合奏に戻している。野口久光氏は、RCAのハンプトンの最初の快作と評している。
record1-A面6.「ウォー・ベイブ」
ラリー・クリントンがリフを素に書いたミディアム・ナンバー。合奏コーラスのサビはステイシー、次いでハンプトンのヴォーカル、そしてホッジスとブラウンがコーラスを分け合い、ヴァイブを絡ませたアンサンブルで締め括っている。
record1-A面7.「ストンポロジー」
ハンプトンのオリジナル。これも32小節形式。ホッジス、ブラウン、クーティーというエリントニアンが取る1コーラスずつのソロが聴きもの。最後は合奏リフで盛り上げるバックにハンプトンのソロで締め括る。

<Contents> … 1937年4月26日 ニューヨークにて録音

record1-B面1明るい表通りでOn the sunny side of the street
record1-B面2リズム・リズムRhythm , rhythm
record1-B面3チャイナ・ストンプChina stomp
record1-A面4あなたはご存じねI know that you know

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone , Drums , Piano & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Clarinetバスター・ベイリーBuster Bailey
Alto saxジョニー・ホッジスJohnny hodges
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsコージー・コールCozy Cole

第3回録音は、前回から約2週間後にエリントニアン2人とメズロウが抜け、クラリネットにバスター・ベイリーが入りセプテットで行われる。
record1-B面1.「明るい表通りで」
ジミー・マクヒュー作のスタンダード・ナンバー。名人ホッジスを大きくフューチャーしたこのRCAセッション中屈指の傑作。先ずホッジスが第1コーラスをアルトで歌い、ハンプのヴォーカルとなる。ホッジスは引き続きステイシーとバックに絡み、ギターのブリッジからハンプトンのヴァイブとなり、後半ホッジスがまた加わる。ホッジスはこの吹込み以来エリントン楽団でも彼のソロ・ナンバーとして度々演奏するようになった。
record1-B面2.「リズム・リズム」
こういうタイトルになっているが、実はガーシュイン作の「アイ・ガット・リズム」である。ソロはホッジスが先発しフル・コーラスを取る。次にステイシー、リュースがコーラスを分け、ベイリーが1コーラス、そしてハンプトンのヴァイブ、合奏となる。ホッジス、ベイリーが圧巻である。
record1-B面3.「チャイナ・ストンプ」
多くのジャズ・マンに好まれてきたというジェローム・シュワルツの合作曲。ハンプトンはピアノをステイシーと連弾で弾いている。ハンプトンのピアノは、2本指を使ったヴァイブ方式でものすごいテクニックを見せる、とても指二本で弾いているとは思えないほどだ。ホッジス、ベイリーはお休みで最後にちょっとだけ現れる。
record1-B面4.「あなたはご存じね」
ミュージカル『おゝプリーズ』のためにヴィンセント・ユーマンスが作曲したナンバー。BGはクインテット、オーケストラでも録音している。ハンプトンはここではドラマーとして登場する。ホッジスが珍しくまともにメロディーを吹き、ベイリーが絡む第1コーラスの後、ホッジス、ベイリーのソロがよく歌う。後半はハンプトンのドラム・ショウとなる。

<Contents> … 1937年8月16日 ハリウッドにて録音

record1-B面5コンフェッシンConfessin'
record1-B面6ドラム・ストンプDrum stomp
record1-B面7ピアノ・ストンプPiano stomp
record1-B面8アイ・サレンダー・ディアI surrender , Dear

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone , Drums , Piano & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetジョナ・ジョーンズJonah Jones
Clarinetエディ・ベアフィールドEddie Barefield
Pianoクライド・ハートClyde Hart
Guitarボビー・ベネットBobby Bennett
Bassマック・ウォーカーMack Walker
Drumsコージー・コールCozy Cole

この回はハリウッドでの録音となった。7月初めからハリウッドに出たBGに帯同したハンプトンが現地ハリウッドで録音したのだと思われる。因みにBGは7月6日から9月6日までハリウッドで録音を残している。場所がハリウッドということでメンバーはかなり変わることとなった。
Tpのジョナ・ジョーンズ、Pのハートは当時スタッフ・スミス(Vi)のバンドに、Clのベアフィールドは後にヘンダーソン楽団に加入するが、この当時はハリウッドのクラブで自己のトリオを率いていた。
record1-B面5.「コンフェッシン」
1930年に作られたポピュラー・ソングだが、ハンプトンは以前ルイ・アームストロングの吹込みに加わって演奏したことがある。ここではハンプトンのヴァイブとヴォーカルの後、ジョーンズ(tp)のソロが入る。シャッフル・ビートで盛り上げるコールのDsは古風な良さを感じる。
record1-B面6.「ドラム・ストンプ」
バンド・リーダーのロジャー・ウルフ・カーンとジョゼフ・マイヤーが1938年に作曲したダンス・バンドに人気があった曲だという。ここはハンプトンのショウ・ケースだがハート(P)とベアフィールド(Cl)、ジョーンズ(Tp)のソロが光る。
record1-B面7.「ピアノ・ストンプ」
このようなタイトルになっているが原曲は”Shine”。1924年作という古い曲だが、ミルス・ブラザーズ、エラ・フィッツジェラルドによって30年代でもヒットした。ここではピアニスト、ハンプトンが登場する。ヴァイブのマレットに代わって2本指奏法の妙技が披露される。ハート(P)も加わり、後半はぶらす・ホーンも加わり日の吹くような熱演となる。
record1-B面8.「アイ・サレンダー・ディア」
ビング・クロスビーが1924年に歌ってヒットした曲。ジョナのミュートTp(サビはベアフィールド)からハンプトンのヴァイブ、そして倍テンポで全員合奏となり、スロウに戻して終わる。

<Contents> … 1937年9月5日 ハリウッドにて録音

record2-A面1ぼくのお目当て テイク1I'm object of my affection take1
record2-A面2ぼくのお目当て テイク2I'm object of my affection take2
record2-A面3ジュディJudy
record2-A面4家へ帰らないかBaby , won't you please come home
record2-A面5エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビーEverybody loves my baby
record2-A面6君去りし後After you've gone
record2-A面7アイ・ジャスト・クドント・テイク・イット・ベイビーI just couldn't take it baby

<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)

Band leader , Vibraphone , Drums & Vocalライオネル・ハンプトンLionel Hamton
Trumpetジギー・エルマンZiggy Elman
Clarinet & Tenor saxヴィド・ムッソVido Musso
Tenor saxアート・ロリーニArt Rollini
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Guitarアラン・リュースAllan Reuss
Bassジョニー・ミラーJohnny Miller
Drumsコージー・コールCozy Cole

前セッション同様ハリウッドでの録音。BGは翌日9月6日に同じくハリウッドで録音を行っている。その関係でBGバンドのメンバーが多いのは当然と言える。まずテナーのムッソがクラリネットを吹いているのが珍しい。ベースのジョニー・ミラーは拙HP初登場であるが、後にナット・キング・コールのトリオで名が知られるようになった人物。
record2-A面1、2「ぼくのお目当て」
SP盤で当時発売されたのはテイク2の方だが、演奏パターンも同じで甲乙つけがたい。ハンプトンのレイジーなヴォーカルの前後にロリーニ(Ts)、エルマン(Tp)のソロを配している。ヴォーカルのバックのClはムッソで、ラスト・コーラス前にステイシーとリュースの短いソロが入る。
record2-A面3.「ジュディ」
ホーギー・カーマイケルが1934年に合作したカントリー調の曲で、”ジュディ・ガーランド”という芸名はこの曲からつけられたという。ヴァイブのリードする合奏からギターのブリッジを経てハンプトンのヴォーカルとなり、ステイシーとムッソがバックに絡む。後半エルマンのミュートTpとヴァイブとの合奏で終わる。
record2-A面4.「家へ帰らないか」
クラレンス・ウィリアムスが1919年に書いた小唄で、ジャズ・バンドに好まれディキシー・ナンバーとしてよく愛奏されているという。快適なミディアム・テンポでTsとアンサンブル・コーラスからハンプトンの粋なヴォーカルとなり、その後エルマンとハンプトン(Vib)ソロ、そして合奏で終わる。後半シャッフル・ビートを強調するコールのドラミングが印象的だという。
record2-A面5.「エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー」
これもこの時代よく取り上げられたナンバーで、コールのイントロからエルマンのソロとアンサンブル、ヴォーカルの後ドラム・ブレイクを経て再び今度はエルマンのミュート・ソロそしてハンプトンのヴァイブとソロが受け渡される。
record2-A面6.「君去りし後」
1918年アル・ジョルソンが歌ってヒットしたナンバーで、スイング時代よく歌われ、演奏されたナンバー。ここではハンプトンがしっとりと曲本来の良さを引き出すヴォーカルを聴かせる。ここでのハンプトンはDsを担当している。ロリーニのTs、ステイシーとソロを取るが、ステイシーのソロは出色のでき。その後テンポ・アップしてエルマンのホットなソロ、ハンプトンのドラムスでクライマックスを作る。
record2-A面7.「アイ・ジャスト・クドント・テイク・イット・ベイビー」
1934年にできた軽いラヴ・ソング。冒頭エルマンのミュート・ソロが聴けるが、ハンプトンのヴォーカルとヴァイブ・ソロを中心にしたナンバー。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月16日

第395回 カンサス・シティ・コンボ 1938年

No.395 Kansas City Combo 1938

ご覧いただきありがとうございます。引退オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

いかなる理由かは分からないが、ベイシー楽団の主要メンバーが集いレコーディングを行っていた。そしてそのレコードを持っていたのである。

<Contents> … 1938年3月18日 ニューヨークにて録音

「コモドア・ショウケース」London GSW-3007

Record1A面5.あなたはご存知ねI know that you know
Record1A面6.ラフィング・アット・ライフLaughing at life
Record1A面7.グッド・モーニング・ブルースGood morning blues

<Personnel> … カンサス・シティ・ファイヴ (Kansas City Five)

Trumpetバック・クレイトンBuck Clayton
Trombone & Guitarエディー・ダーハムEddie Durham
Guitarフレディー・グリーンFreddie Greene
Bassウォルター・ペイジWalter Page
Drumsジョー・ジョーンズJo Jones

レコード1.A-5.「あなたはご存知ね」
1926年のミュージカル・コメディ「オー・プリーズ」の挿入歌で、ベアトリス・リリーが歌って大当たりを取った曲という。スイング時代様々なバンドが取り上げている。ミュートTp、ギター、ドラムスと1コーラスのソロがあり、最後はクレイトンが締め括る。ダーハムはエレキ・ギターを弾いている。
レコード1.A-6.「ラフィング・アット・ライフ]
クレイトン、ダーハムに続くウォルター・ぺージのソロは誠に貴重であるという。
レコード1.A-7.「グッド・モーニング・ブルース」
  沈鬱なムードのブルース。クレイトン、ダーハム共にしみじみとしたソロを取っている。

<Contents> … 1938年9月8日 ニューヨークにて録音

「ジ・アルタネイティヴ・レスター」Tax m-8000

A面3.ウェイ・ダウン・ヨンダー・イン・ニューオリンズWay down yonder in New Oreans
A面4.カウントレス・ブルースCountless blues
A面5.ゼム・ゼア・アイズThem there eyes
A面6.アイ・ウォント・ア・リトル・ガールI want a little girl
A面7.ペイギン・ザ・デヴィルPagin’the devil

<Personnel> … カンサス・シティ・シックス (Kansas City Six)

Trumpetバック・クレイトンBuck Clayton
Trombone & Guitarエディー・ダーハムEddie Durham
Clarinet & Tenor saxレスター・ヤングLester Young
Guitarフレディー・グリーンFreddie Greene
Bassウォルター・ペイジWalter Page
Drumsジョー・ジョーンズJo Jones

上記のメンバーにレスター・ヤングが加わり、六重奏団になった演奏。これは”Hall of fame/Lestre Young”というCD5枚組にも2曲ほど収録されているが、「ジ・アルタネイティヴ・レスター」(Tax m-8000)には、その2曲を含む全5曲が収録されている。

A面3.「ウェイ・ダウン・ヨンダー・イン・ニューオリンズ」
抑え気味のアンサンブルの後、まずソロを取るのはクレイトン、続くレスターが良い。さらに続くダーハムはここではアコースティック・ギターを弾いているようだ。そして合奏はニューオリンズ風で締め括る。
A面4.「カウントレス・ブルース」
「カウントレス」とは、ベイシー抜きといった意味であろう。ソロは今度は逆にダーハム、ヤング(ここでは珍しくクラリネットを吹いている)、クレイトンと続く。最後はカンサス・シティ風のリフだが人数が少ないのでそれほど迫力はない。
A面5.「ゼム・ゼア・アイズ」
今でもよく取り上げられるスタンダード・ナンバー。何とフレディー・グリーンがヴォーカルを取っている。ヴォーカルの後に出るヤングのソロが良い、そして続くクレイトンも負けじといいソロを取り、短いダーハムのソロを挟んで、ヤングがクラリネットで登場する。
A面6.「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」
スロウでメロウなナンバー。クレイトンの抑えたミュート・プレイ、そしてヤングのリリカルなプレイも光る。そしてこの回初めてクレイトンがオープンでメロディを歌いあげて終わる。
A面7.「ペイギン・ザ・デヴィル」
カンサス風のリフで始めるが実に抑え気味である。ここでもヤングはクラリネットでソロを取る。そしてクレイトンがオープンでソロを取り、非常に抑え気味の合奏で曲は終わる。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月14日

第394回 アーティー・ショウ 1938年

No.394 Artie Shaw 1938

ご覧いただきありがとうございます。引退オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

僕が最も信頼するジャズ評論家粟村政昭氏は、1970年ごろに出版した『ジャズ・レコード・ブック』のアーティー・ショウの項で、「今日のモダン・ファンはアーティー・ショウのレコードなどには鼻もひっかけぬであろう」と書いている。それから約50年、アーティー・ショウが再評価されたという話も聞かないので、その後もずっと「鼻もひっかけぬ」状態が続いているが、アメリカなどでは非常に高く評価されているという話を聞いたことがある。
アーティー・ショウは、15歳の時に家出して以来、何度が郷里に帰ったこともあるようだが、アメリカ各地を転々としながら腕を磨き、30年頃ニューヨークに進出する。そして色々なジャズ・マンと共演を果たしながら腕を磨いたり、田舎に引っ込んだりしていたが、1936年5月異色の編成のスモール・グループを結成し注目を集めるようになる。そして弦楽4重奏を加えたビッグ・バンドを結成するがこれは見事に失敗してしまう。そして翌37年春通常編成のビッグ・バンドを結成するが、スタートがやや遅くベニー・グッドマン、トミー・ドーシーなどのビッグ・バンドの後塵を拝する形となってしまう。しかしショウは着々とバンドの強化に力を注いでいた。1938年初頭にメンバーの3分の一を入れ替え、専属歌手に白人バンドとしては最初に黒人女性歌手、カウント・ベイシー楽団を辞めたばかりのビリー・ホリディを雇い入れセンセイショナルな話題を提供した。
そしてボストンの「ローズランド・ステート・ボールルーム」に長期出演契約を結ぶなど上昇気運に乗るようになった。さらに後にグレン・ミラー楽団で名を上げたジェリー・グレイを迎えハリー・ロジャース、アル・アヴォラというアレンジャー人を充実させ、バンドスタイルは一新し、素晴らしいビッグ・バンドに急成長するに至るのである。

こういったショウ楽団の評判に目を付けたRCAヴィクターは1938年7月ショウ楽団と専属契約を結ぶ。その第1回目の録音が1938年7月24日に行われる。その内の1曲「ビギン・ザ・ビギン」が空前の大ヒットとなり、一躍ベニー・グッドマン、トミー・ドーシーと並ぶスイング・バンドの地位を獲得した。

38年2月〜10月はビリー・ホリディが専属歌手として在団した時期であるが、レコーディングには一切参加していない。これはなぜか?ショウがトラブルを回避したのかどうかは分からないが、演奏のレベルが高く歌手に頼らなくても十分聴くに値するレコードであることは間違いない。

今回はそのヴィクター契約第1回録音から11月までの録音を聴いていこう。音源は一つ、「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」RCA RA-63である。

<Contents> … 1938年7月24日 ニューヨークにて録音

Record4A面1.ビギン・ザ・ビギンBegin the beguine
Record4A面2.インディアン・ラヴ・コールIndian love call
Record4A面3.バック・ベイ・シャッフルBack bay shuffle

<Personnel(分かるものだけ)> … アーティー・ショウ・アンド・ヒズ・オーケストラ (Artie Shaw and his orchestra)

Band leader&Clarinetアーティー・ショウArtie Shaw
Trumpetチャック・ピーターソンChuck Peterson
Tenor Sax & Vocalトニー・パスターTony Pastor
Drumsクリフ・リーマンCliff Leeman

まずこの「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」再発盤は、何度も書いているが、経費削減のため録音データを削除したというとんでもないレコードなのである。よってパーソネルは全く分からない。曲解説に出てくる名前が知りうる範囲である。

A面1.「ビギン・ザ・ビギン」
コール・ポーター作の名曲で、アレンジはジェリー・グレイ、名編曲である。このレコードは当時ミリオン・セラーを記録したという。ショウ、パスターのソロ各セクションのアンサンブルを交錯させたアレンジが見事。現在聴いてもその素晴らしさは十分に通用する。
A面2.「インディアン・ラヴ・コール」
ルドルフ・フリムルがミュージカル「ローズマリー」のために書いた名曲という。最初ショウのCLとタム・タムによるバックだけで進行し、やがて合唱が入ってくる部分で曲のムードを出し切り、そこから後は見事なジャズ化が行われるとは解説氏。ブラス陣、サックス陣の使い方も見事で、またパスターのヴォーカルは、この曲のジャズ・ヴォーカルの典型として後にルイ・アームストロングも踏襲するほどの名唱だという。後半のストップ・タイムなどアレンジも工夫が凝らされている。
A面3.「バック・ベイ・シャッフル」
ショウ自作のオリジナル。リーマンのDsもきびきびしており、ショウ、ピーターソン、パスターのソロも短いが光っている。ラスト・コーラスもカンサス・リフ風に重量感のあるアンサンブルで盛り上げている。

<Contents> … 1938年9月27日 ニューヨークにて録音

Record4A面4.ナイトメアNightmare
Record4A面5.恋とは何でしょうWhat is this thing called love

<Personnel(分かるものだけ)> … アーティー・ショウ・アンド・ヒズ・オーケストラ (Artie Shaw and his orchestra)

Band leader&Clarinetアーティー・ショウArtie Shaw
Trumpetチャック・ピーターソンChuck Peterson
Tromboneジョージ・アルスGeorge Als?

A面4.「ナイトメア」
ショウのオリジナル。このバンドのテーマ曲として有名になった。ホテルの部屋で考え事をしていた夜に、「夢魔」のように繰り返しショウの脳裏に浮かんだメロディをもとに書いたと言われる。何かが起こりそうな不穏なムードの中に浮かび上がるショウのプレイは鬼気迫るものがある。
A面5.「恋とは何でしょう」
コール・ポーターの有名なヒット・チューンでアレンジはジェリー・グレイ。イントロが終わるとスイング・ビートに乗った演奏が展開され、短いがショウ、ピーターソン、ジョージ・アルス(Tb)のソロが楽しめる。

ショウ楽団は38年10月26日からホテル・リンカーンのブルー・ルームに出演することになり、ニューヨークにおける最初のビッグ・ビジネスのチャンスを得た。そしてNBCネットワークで全米にショウ楽団の演奏は流され、いよいよ人気は高まっていくのである。

<Contents> … 1938年11月17日 ニューヨークにて録音

Record4A面6.コペンハーゲンCopenhagen

<Personnel(分かるものだけ)> … アーティー・ショウ・アンド・ヒズ・オーケストラ (Artie Shaw and his orchestra)

Band leader&Clarinetアーティー・ショウArtie Shaw
Drumsクリフ・リーマンCliff Leeman

A面6.「コペンハーゲン」
ディキシー、スイング・バンドが好んで取り上げる曲。ルイ・アームストロングも録音している。かつてショウは弦楽四重奏を加えたビッグ・バンドで録音したことがある。全篇ショウのClとスインギーなアンサンブルに終始している。リーマンのバッキングが良い。

<Contents> … 1938年12月19日 ニューヨークにて録音

Record4A面6.コペンハーゲンCopenhagen
Record4A面7.イット・ハド・トゥ・ビー・ユーIt had to be you

<Personnel(分かるものだけ)> … アーティー・ショウ・アンド・ヒズ・オーケストラ (Artie Shaw and his orchestra)

Band leader&Clarinetアーティー・ショウArtie Shaw
Tenor Saxジョージ・オールドTony Pastor
Drumsジョージ・ウエットリングGeorge Wettling

A面7.「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」
12月には行ってリーマンが病気で倒れたために、短期間ジョージ・ウエットリングが代役を務めた。アイシャム・ジョーンズが1924年に書いたスタンダード・ナンバー。軽快なテンポで、特にサックス・セクションのソフトなアンサンブルが心地よい。ソロはショウと新加入のオールド(Ts)が担当している。

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月10日

第393回ドン・レッドマン&ジョン・カービー 1938年

No.393Don Redman & John Kirby 1938

ご覧いただきありがとうございます。引退オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今回はドン・レッドマンとジョン・カービーの1938年の録音を聴いていこう。本来は別個の方が良いのだが、音源が少ないのでご容赦ください。
まずは、ドン・レッドマンから。

ドン・レッドマン

「ザ・ビッグ・バンド・イーラ 第2集」レコード4枚目B面

<Contents> … 1938年12月6日 ニューヨークにて録音

「ザ・ビッグ・バンド・イーラ 第2集」RCA RA-57

Record4B面1.アイ・ガット・ヤI got ya
Record4B面2.スイート・レイラニSweet Leilani
Record4B面3.ダウン・ホーム・ラグDown home rag
Record4B面4.ミレンバーグ・ジョイズMilemberg joys

<Personnel> … ドン・レッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Don Redman and his Orchestra)

 
Reeds , Bandleader & Vocalドン・レッドマンDon Redman
Trumpetカール・ワーウィックCarl Warwickルノー・ジョーンズReunald Jonesマリオ・バウザMario Bauza
Tromboneクエンティン・ジャクソンQuentin Jacksonジーン・サイモンGene Simon
Clarinet , Alto sax & Baritone saxエディ・ベアフィールドEddie Barefieldエドワード・インジEdward Ingeピート・クラークPete Clark
Tenor saxジョー・ガーランドJoe Garland
Pianoニコラス・ロドリゲスNicholas Rodriguez
Guitarボブ・レッシーBob Lessey
Bassボブ・イサグイアー(?)Bob Ysaguirre
Drumsビル・ビーソンBill Beason

B面1.「アイ・ガット・ヤ」
レッドマンのオリジナル。速いテンポで演奏される。ここで聴かれるノヴェルティ風のヴォーカルはレッドマン自身が歌っているもの。バンドのコーラスとの掛け合いも楽しいナンバー。
B面2.「スイート・レイラニ」
ハリー・オーエンス作のハワイアン・ナンバーをスイング化したものだという。解説氏による聴き処は、「サブトーンのクラリネットに絡むカウンター・メロディのコーラス、メロディアスなレッドマンのソプラノ・サックス等たいへん楽しめる演奏」だという。
B面3.「ダウン・ホーム・ラグ」
古いジャズ・ナンバーで、レッドマンはソプラノ・サックスをエモーショナルに吹いている。演奏が複雑なアレンジによって千変万化していくところが楽しい。
B面4.「ミレンバーグ・ジョイズ」
ジェリー・ロール・モートン作の有名な作品で、色々なバンドが録音している。インジのCl、ジョーンズのTp、レッドマンのAsソロが光っているが、整然たるアンサンブルによるホットなナンバー。終わりのトロンボーンのソリも面白いアイディアである。本当に千変万化のアレンジの妙である。

ジョン・カービー

「MCAジャズの歴史」レコード3枚目B面

<Contents> … 1938年10月28日 ニューヨークにて録音

「MCAジャズの歴史」 MCA records VIM-19

Record3B面5.変イ長調からハ長調までFrom A flat to C

<Personnel> … ジョン・カービーと彼のオニックス・クラブ・ボーイズ(John Kirby and his Onyx club boys)

 
Bandleader & Bassジョン・カービーJohn Kirby
Trumpetチャーリー・シェイヴァースCharlie Shaversk
Clarinetバスター・ベイリーBuster Bailey
Alto saxラッセル・プロコープRussell Procope
Pianoビリー・カイルBilly Kyle
Drumsオニール・スペンサーOneil Spencer

Record3B面5.「変イ長調からハ長調まで」
{MCAジャズの歴史」というオムニバス・レコードに収録されたジョン・カービー名義の唯一のナンバー。カービーは、スイング時代きってのベーシストとしてこれまでも多数の録音に参加しており、拙HPでもよく登場する人物。しかし彼自身は単なるベーシストではなく、サウンド・イノヴェイターであったと言って過言ではない。ビッグ・バンド全盛時代に彼が組織したこの六重奏団こそは真にコンボ・スタイル・ジャズの草分けではなかったかと云われる。そんな彼らのこのナンバーはタイトルからして、「普通のスイング・ナンバー」ではないことを示唆している。
と言って決して難解ではなく、楽しい演奏になっている。シェイヴァースとプロコープのソロが見事。全体の雰囲気としては後年のジョージ・ラッセル風である。いや逆だ、ラッセルがカービー風なのだ。

 

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ジャズ・ディスク・ノート 2020年1月8日

第392回 ザ・パナシェ・セッションズ1938年

No.392 The Panassie sessions 1938

今更ですが、明けましておめでとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。引退オジサン<のたり庵>の本年最初のジャズ学習帳です。

ユーグ・パナシェ

このレコードは、史上初めてジャズの芸術性を論じたと言われるフランスのジャズ評論家、ユーグ・パナシェ氏が1938年初めてアメリカに渡り、その敬愛するミュージシャンたちを集めてレコーディングをプロデュースしたその記録である。先ずこのレコーディングについては氏自身が「レコーディングの思い出」として記述しているので、その要点をかいつまんで紹介しよう。
> 1938年10月私は数枚のレコーディングを企画してニューヨークに赴いた。
その頃はスイング全盛時代で、ビッグ・バンドの活動が目立っていた。デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ジミー・ランスフォードなど優れたバンドが、超一流のソロイストを擁して活躍していた。私はそれらが大変好きだったが、それぞれ吹込みレコードも多く、私の助力を少しも必要とはしていなかった。
私が企画したのは、ニューオリンズ・スタイルのジャズだったが、この種のものはもうレコーディングの対象とはなっていなかった。
ニューオリンズ・バンドのラスト・レコーディングは、1932年トミー・ラドニアとシドニー・ベシエが率いた「ニューオリンズ・フィートウォーマーズ」によるものだった。
ジャズ史学者の中には、1938年頃にはニューオリンズ・ジャズは骨董品になっていたという人がいるが、今世紀の初めころに生まれた偉大なミュージシャンたちはまだ40歳にもなっていなかった。彼らは音楽的にも健在だったが、色々なバンドに散って、ニューオリンズとは関係ない音楽をやっていたのだ。
ニューオリンズ・ジャズの花形は何といってもトランペットで、真っ先に手を付けるべきだと思った。偉大なルイ・アームストロングが最適任者だが、専属会社が異なっていた。 もう一人の偉大なニューオリンズ・スタイルのプレイヤーはトミー・ラドニアだが、当初は誰にもその居所が分からなかった。ズッティ・シングルトンは、ラドニアはニューヨークの近くに住んでいるというので、1週間探し回ったが見つけられなかった。
まずクラリネットには、メズ・メズロウを選んだ。プレイだけではなく、バンド・リーダーとしても適任だと思ったからだ。

油井正一著『ジャズの歴史』

そしてドラムはズッティ・シングルトン、ベースはポップス・フォスター0の教え子、エルマー・ジェイムス、テディ・バンのギター、そしてピアノにはジェイムズ・P・ジョンソンでリズム隊を構成した。
どうしてもニューオリンズ的なトロンボーンが見つからなかったので、メズロウは第2トランペットとして、シドニー・ド・パリスを入れることを勧めた。
しかしどうしてもラドニアが見つからないので、録音を延期した。
再度捜索を行った結果やっと彼の居場所を知っているという男を見つけ出した。その男に手紙を託し待っていると、ラドニアは3日後にメズロウの家を訪ねてきた。彼はニューヨークからそれほど離れていないニューバーグに住み、トリオを率い、トランペットの個人指導をしながら平穏な生活をしていた。彼は吹込みに大いに乗り気になり、最初のセッションは11月21日と決まった。<

こうしてフランス人の評論家がプロデュースする、ジャズのレコーディングが行われることになったが、余談として油井正一氏は次のようなエピソードを紹介している(『ジャズの歴史』)。
パナシェ氏が渡米してレコーディングのプロデュースをすると聞いたエディ・コンドンは、
「おいおい、フランスの馬鹿野郎が俺たちにジャズのやり方を教えに来るとよ。俺たちもフランスにブドー酒の作り方を教えに行くベエか」(油井氏の原文のまま)。パナシェは、それまで、シカゴ・スタイルとエディ・コンドンが大好きだったのですが、これでいっぺんにイヤになったと見え、「ワシはバカだった、シカゴ・スタイルはジャズのゲテモノだった」と声明を出す始末となったという。

「ザ・パナシェ・セッションズ」“The Panassie sessions” レコード…ヴィクター(Victor VRA-5015)
Produce…ユーグ・パナシェ

<Contents> … 1938年11月21日 ニューヨークにて録音

A面5曲目レヴォリューショナリー・ブルースRevolutionary blues
A面6曲目さあ、はじめよう パート1Comin’ on with the come on in part1
A面7曲目さあ、はじめよう パート2Comin’ on with the come on in part2

<Personnel> … メズ・メズロウ楽団

Bandleader & Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Trumpetトミー・ラドニアTommy Ladnierシドニー・ド・パリスSidney De Paris
Pianoジェイムズ・P・ジョンソンJames P Johnson
Guitarテディ・バンTeddy Bunn
Bassエルマー・ジェイムスElmer James
Drumsズッティ・シングルトンZutty Singleton

A面5.「レヴォリューショナリー・ブルース」
先ずはパナシェ氏自身は解説で、「32小節のブルース。ラドニアが第1、3コーラスの、ド・パリスが第2コーラスのアンサンブルのリードを取った。この対照は面白い。ラドニアは順ニューオリンズ・ビートで演奏し、ド・パリスは純粋ではなく、ニューオリンズ・ビートに似たビートで演奏しているからである。
この演奏には、昔の有名なキング・オリヴァーのクレオール・ジャズ・バンドの演奏に非常に似ているところがある。この曲とオリヴァーの『スイート・ラヴィング・マン』を交互に欠ければわかっていただけるだろう」と書いている。
何度か聴いたのだが、僕は正直ラドニアとド・パリスのビートの違いがよく分からない。『32小節のブルース』とあるが、16小節×2ではないかと思える。出だしと随所に出てくるバンのギターがブルージーでカッコいいのだが、これがニューオリンズ的かというとそうではないのではないかと思う。
A面6、7.「さあ、はじめよう」
まずこの2ヴァージョンはイントロも異なり、言われなければ同一曲とは分からない。パート1ではイントロでソロを弾くバンがブルージーでカッコいいのだが、これもプリミティヴなニューオリンズ風なのだろうか?それにリフも出てくるし極めてカンサスっぽいのである。
パート2は、最初から合奏で始まり、始めの2コーラスがラドニアのリードで、第3コーラス及びグロウルをド・パリスが担当しているがこの辺りもエリントン風に感じてしまうのだが。因みにド・パリスがグロウルを始めると怒ったラドニアは吹くのを辞めてしまったという。

<Contents> … 1938年11月28日 ニューヨークにて録音

パナシェ氏曰く「この日のセッションには、ベシエを加えることができた。彼は有名な「ニックのターヴァン」(店名か?)にカムバックしたばかりだった。メズロウは2曲でテナー・サックスを吹いた。」前回はこのメンバーでの初吹込みだったので、いささか硬さがあったように思えるが、こちらでは大分リラックスして本来の力を発揮した素晴らしい録音となった。

A面1曲目ウェアリー・ブルースWeary blues
A面2曲目リアリー・ザ・ブルースReally the blues
A面3曲目マギー、若き日の歌をWhen you and I were young , Maggie
A面4曲目ジャダJa-da

<Personnel> … トミー・ラドニア楽団

Bandleader & Trumpetトミー・ラドニアTommy Ladnier
Soprano sax & Clarinetシドニー・ベシエSidney Bechet
Clarinet & Tenor saxメズ・メズロウMezz Mezzrow
Pianoクリフ・ジャクソンCliff Jackson
Guitarテディ・バンTeddy Bunn
Bassエルマー・ジェイムスElmer James
Drumsマンジー・ジョンソンManzie Johnson

A面1.「ウェアリー・ブルース」
ベシエは、そのままトランペットに移し替えても素晴らしいと思えるような力強いソロを取る。そしてラドニアはアンサンブルをリードし、寛いだスイング感のあるソロを取っている。ド・パリスは副聴室でこの録音を聴き、感激して「まるでニューオリンズの街角を行進しているようだ!」と叫んだ。またここでソロを取るベシエはソプラノ・サックスを吹いているようだ。
A面2.「リアリー・ザ・ブルース」
ベシエとメズロウが見事なクラリネット・デュエットを演じている。各自が実に心のこもった素晴らしい素晴らしいプレイを展開する。ブルース・プレイのお手本のような演奏である。
A面3.「マギー、若き日の歌を」
一転して楽しい雰囲気のナンバーである。ディキシーの楽しさの見本のような演奏である。
A面4.「ジャダ」
中間でジョーダン(P)のストライド奏法によるピアノ・ソロ、バンのギター、ラドニア(Tp)、メズロウ(Ts)というソロ回しが楽しい。

<Contents> … 1938年12月19日 ニューヨークにて録音

ラドニアとメズロウのプレイに深い感動を覚えたパナシェ氏は、メロディ・セクションをこの2人に絞り、3リズムをつけた録音を思い立った。それでこのセッションが行われることになった。そして予想通りこの2人は素晴らしかったと述べる。油井正一氏は別の場所でこの5曲にこそラドニアの真価が表れていると書いている。

B面1曲目ロイヤル・ガーデン・ブルースRoyal garden blues
B面2曲目逢いにくるならIf you see me comin’
B面3曲目ゲッティン・トゥゲザー パート1Getting’ together part1
B面4曲目ゲッティン・トゥゲザー パート2Getting’ together part2
B面5曲目マイ・ジェリー・ロールAin’t gonna give nobody none of my Jelly-Roll
B面6曲目エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビーEverybody loves my baby

<Personnel> … メズロウ=ラドニア5重奏団

Trumpetトミー・ラドニアTommy Ladnier
Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Guitarテディ・バンTeddy Bunn
Bassポップス・フォスターPops Foster
Drumsマンジー・ジョンソンManzie Johnson
B面1.「ロイヤル・ガーデン・ブルース」
ディキシーのスタンダードのようなナンバー。ラドニアがリードするアンサンブルの後先ずソロを取るのはメズロウ、そしてラドニア、バンとソロが続き合奏に戻る。
B面2.「逢いにくるなら」
ここでヴォーカルを取っているのは、テディ・バン。ソロも最初に取っている。続いてメズロウ、ラドニアとソロが続く。パナシェ氏は特にラドニアの2コーラスのソロは、ニューオリンズ的に吹かれたブルースの完璧な標本だという。ラスト・コーラスのメズロウの冷静で感動的なクラリネット・オブリガードも素晴らしい。
B面3、4.「ゲッティン・トゥゲザー」
バンのギター・ソロが素晴らしい。チョーキングなども駆使した現代にも通用する素晴らしいものだ。続くラドニアも良く、メズロウのオブリガードも効いている。
B面5.「マイ・ジェリー・ロール」
ミディアム・テンポの曲で合奏の後ソロを取るのはメズロウ、続いてラドニア。どういう訳かラドニアはメズロウの後にソロを取っている曲が多い。
B面6.「エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー」
この曲でも最初にソロを取るのはメズロウで、ラドニアに続く。

<Contents> … 1939年1月13日 ニューヨークにて録音

本来はシカゴまで足を延ばして、ジミー・ヌーン、ジョニー・ドッズ、ベイビー・ドッズなどニューオリンズ・スターの録音も行う予定だったが、不幸にしてそれは実現せず、ニューヨークで最後のセッションを録音することになった。
パナシェ氏は、趣向を変えて一流のスイング・ミュージシャンを集めた。ニュートン、ブラウン、ケイシー、コール、カービーである。ピアノは大好きなジョンソンにしたのは、第1回セッションでソロを取っていなかったからである。クラリネットはメズロウ。彼はいつも非常に協力してくれた。6曲ほどレコーディングしたがその中で出来のよかった3曲をここに収めた。私は大変満足した、特にピアノのジョンソンには…。だがこのラスト・セッションは余りにも今日的過ぎ、前3回のようなオリジナリティに欠けるような気がすると述べている。

A面8曲目ロゼッタRosetta
B面7曲目フー?Who ?
B面8曲目世界は日の出を待っているThe world is waiting for the sunrise

<Personnel> … フランキー・ニュートン楽団

Band leader & Trumpetフランキー・ニュートンFrankie Newton
Clarinetメズ・メズロウMezz Mezzrow
Alto saxピート・ブラウンPete Brown
Pianoジェイムズ・P・ジョンソンJames P Johnson
Guitarアル・ケイシーAl Casey
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsコージー・コールCozy Cole

A面8.「ロゼッタ」
アール・ハインズ作の曲。確かにかなりモダンなディキーランド・ジャズという感じの演奏。まずソロを取るのはブラウン、続いてジョンソン。そして合奏になりエンディングに向かう。
B面7.「フー?」
イントロはジョンソンの奏でるストライド・ピアノ。ピアノをバックにブラウンがメロディを吹き、ジョンソンのソロ、そしてケイシー、コール、ブラウンとソロが続く。その後ディキシー風の合奏となって終わる。
  B面8.「世界は日の出を待っている」
これもニューオリンズ・スタンダード・ナンバー。ニュートンがミュートでメロディを吹き、ジョンソン、ブラウンとソロが続き、ニュートンのリードする合奏となって終わる。

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ジャズ・ディスク・ノート 2019年12月30日

第391回 1938年のブルース

No.391 Blues in 1938

ご覧いただきありがとうございます。引退オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

2019年最後、令和元年最後のアップは、僕の持っているブルースの1938年の音源を日付順に聴いていくことにしよう。と言っても僕はこの年の録音は3曲しか持っていない。音源は一つ「MCAブルースの古典」ビクター(VIM-20〜22)だけである。

「MCAブルースの古典」レコード・ボックス

<Contents> … 1938年4月1日 ニューヨークにて録音

Record2.A-7.ホワット・モア・キャン・ア・マン・ドゥ?What more can/a man do ?

<Personnel> … ピーティー・ウィートストロウ・ウィズ・ロニー・ジョンソン (Peetie Wheatsraw with Lonnie Johnson)

Vocal & Pianoピーティー・ウィートストロウPeetie Wheatsraw
Guitarロニー・ジョンソンLonnie Johnson
Drums不明Unknown

Record2.A-7.「ホワット・モア・キャン・ア・マン・ドゥ?」
ピーティーは本名をウィリアム・バンチといい、30年代ブルース界のスターだったという。ギターのロニー・ジョンソンは以前登場したことがある。それはルイ・アームストロングとの共演で、その時も名演を記録しているが、ここでも素晴らしいギター・ワークを聴かせている。解説の中村とうよう氏は、「いやらしいほどうまい」と言っている。全体として非常に完成度が高い作品である。

<Contents> … 1938年5月26日 ニューヨークにて録音

Record2.B-2.マイ・ダディ・ロックス・ミーMy daddy rocks me

<Personnel> … トリキシー・スミス (Trixie Smith)

Vocalトリキシー・スミスTrixie Smith
Trumpetチャーリー・シェイヴァースCharlie Shavers
Clarinetシドニー・ベシエSidney Bechet
Pianoサミー・プライスSam Price
Guitarテディ・バンTeddy Bunn
Bassリチャード・フルブライトRichard Fullbright
Drumsオニール・スペンサーOneil Spencer
「MCAブルースの古典」1枚目B面

<Contents> … 1938年5月26日 ニューヨークにて録音

Record3.A-7.ブルー・マンデイ・オン・シュガー・ヒルBlue Monday on sugar hill

<Personnel> … クート・グラント&キッド・ウィルソン (Coot Grant&Kid Wilson)

Vocalクート・グラントCoot Grant
Vocalキッド・ウィルソンKid Wilson
Trumpetチャーリー・シェイヴァースCharlie Shavers
Clarinetシドニー・ベシエSidney Bechet
Pianoサミー・プライスSam Price
Guitarテディ・バンTeddy Bunn
Bassウェルマン・ブラウドWellman Braud
Drumsオニール・スペンサーOneil Spencer

レコードでは離れたところに収録されているが、同一日で主役と何故かベーシストが異なっているで他は同じメンバーということは、Tp、Cl、P、Gt、Dsといったメンバーはスタジオに待機して、主役が交代して録音を行ったのだろう。ベースが交替したのは、次の仕事との時間的兼ね合いだったのかもしれない。
Tpのシェイヴァース、Gtのバン、Dsのスペンサーは、ジョニー・ドッズのレコーディングで登場したばかり、Clのベシエはルイ・アームストロングとも丁々発止のアドリブ合戦を行った大御所である。38年に一時音楽界を離れるので、その直前の貴重な録音である。彼は通常ソプラノ・サックスを用いていて、クラリネットを吹くのは珍しい。

Record2.B-2.「マイ・ダディ・ロックス・ミー」
歌手のトリキシー・スミスは、20年代に活躍した女性シンガーで、ベッシー・スミス、メイミー・スミス同様クラシック・ブルースの草分けの一人。この録音は彼女の最晩年のもの。。元来クラシック・ブルースとは、女性シンガーがディキシー・バンドのバンドで歌うブルースのことだと中村氏は書く。主として劇場やクラブのショウの出し物として成立した形式だから、ヴォードヴィル・ブルースと呼ぶ方が適切であるという。
この曲も、歌詞の内容はかなり猥褻なもので、そういったところにヴォードヴィルらしさが感じられるという。
ただし演奏内容はヴォーカルも含めて素晴らしい。これだけのメンバーなのにソロがないのは惜しいが、歌に付けるベシエ、シェイヴァースのオブリガードは実に聴き応えのあるものだ。

Record3.A-7.「ブルー・マンデイ・オン・シュガー・ヒル」
歌手のグラントことレオーラ・B・ウィルソンとキッドことウェズリー・ウィルソンは、バタービーンズ&スージーなどと同じような夫婦コンビのヴォードヴィル芸人。「シュガー・ヒル」とは当時ハーレムの中で高級とされていた地域である。
先ず女性のグラントがヴォーカルを取り、ベシエ、シェイヴァースのソロを挟んでキッドのヴォーカルとなる。このベシエとシェイヴァースのソロが良い。ただフィーリングはスイングのものなのが意外な感じがする。キッドのバックの合奏は一転してディキシー風になる。折衷期の作品なのだろうが、内容は素晴らしい。

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