1919年10月11日ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。
1990年10月16日死去。
この人ほど豪放に見えてその実緻密なドラマーは数少ない、ワイルドなドラマーの代表的な存在でありながら、
悪趣味なドラマーという批判がほとんどないところにこの人の真骨頂があると粟村氏は紹介している。
元々学校ではピアノを習っていたがある夜演奏中にギャングに脅かされ無理やりドラムを叩かされてから、ドラマーに転向したという。
39年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団に入り、44年〜47年にかけてはビリー・エクスタイン楽団でバップの洗礼を受け、
黒人ジャズの不況時代はバディ・デフランコ(51年〜53年)のカルテットに入って過ごし、54年にハバードランドで自分のクインテットを作った。
このバンドはジャズ・メッセンジャーズの前身ともいうべきバンドで、クリフォード・ブラウン、ホレス・シルバーらが在団しファンキーの萌芽ともいうべきプレイを見せた。
55年にジャズ・メッセンジャーズを結成、ファンキー・ジャズを確立、長年にわたってメンバーを入れ替えながらモダン・ジャズの老舗コンボとして存在感を示した。
61年の初来日以来たびたび来日し、親日家としても有名である。
彼が親日家になったきっかけとして、初来日の時の日本人の接し方に感動したといわれ日本を離れる直前に、
「私は今まで世界を旅してきたが、日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、
アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ。人間として! ヒューマン・ビーイングとして!」と述べたという。
もしその時の日本人が彼にそのような印象を与えたとするならば、これこそ我らが誇るべきことであり、
今の我々がこう言ってもらえるかどうか心すべきではないかと思う。
"Billy Eckstine"(Ember FA 2010)
「ビリー・エクスタイン/トゥゲザー」(ISJ-40010)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)
"Dexter Gordon/Kind of Gordon"(House of jazz 220156)
"Miles Davis/Boppin' the blues"(Black Lion TKCB-30490)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)