1923年2月27日カリフォルニア州ロス・アンゼルス生まれ。
1990年4月25日ペンシルべニア州フィラデルフィアにて死去。
13歳で和声、理論、クラリネットの勉強を始め、15歳でアルト・サックスを吹き始めた。
17歳で学校を出てからテナー・サックスをプレイするようになったという。
40年(17歳)からライオネル・ハンプトン楽団で演奏、その後ビリー・エクスタイン、
チャーリー・パーカーらと共演し、最も優れたバップ・テナー奏者の一人と目されるようになった。
1945年から1947年にかけてサヴォイ・レコードのためのレコーディング・セッションを行い、
バド・パウエル、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどの敏腕プレイヤーと共演した。
その後自己のグループを持ったりしたが、50年代はほとんど姿を消していた。その原因は麻薬である。
キャリアの割にレコーディングが少ないといわれるが、それは麻薬で収監されることが多く通常黄金時代を迎える年代はほとんど刑務所で過ごしたことが原因と言われる。
しかし60年になって驚異のカムバックを遂げる。
60年にウエスト版『コネクション』の音楽を書き、翌年ブルー・ノートに”Doin' all right”を録音、ファンを喜ばせた。
続く1960年代初頭から1976年にかけては、フランスやデンマークなどヨーロッパを中心に活動し、1963年にバド・パウエルらと共にパリで録音し、
ブルー・ノートから発表した『アワ・マン・イン・パリ』は人気の高い1枚となった。
その他、ケニー・ドリューなどと共演している。なお、デンマークのゲントフテに滞在していた頃、
現地のジャズ・クラブのマスターで元テニス選手であったトルベン・ウルリッヒと親しくなり、トルベンの息子の代父となる。
その息子は、後にメタリカのドラマーとして成功を収めるラーズ・ウルリッヒであった。
1976年にはアメリカに戻り、殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行った。
後に有名サックス奏者となるジョー・ロヴァーノはこの時の演奏を生で聴いており、「私をサックス奏者として最も向上させてくれた経験だった」と述懐している。
1986年には映画『ラウンド・ミッドナイト』で主役を務め、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
"Billy Eckstine"(Ember FA 2010)
"Dexter Gordon/Kind of Gordon"(House of jazz 220156)
"Charlie Parker/Every bit of it"(Spotlite SPJ150D)
"Charlie Parker/A Studio choronicle"(JSP RECORD JSP915)
「ディジー・ガレスピー/シングス・トゥ・カム」(Columbia YW-7534-EV)
"Dizzy Gillespie/Groovin high"(Savoy MG-12020)