エディ・コンドン 1938年

Eddie Condon 1938

コモドア・レコード

エディ・コンドンの1938年の録音を取り上げる前に<コモドア・レコード(Commodore records)>について触れておきたい。同レーベルは、ミルト・ゲイブラーが立ち上げたジャズ史上初のインディーズ・レーベルと言われ、数々の傑作、問題作を世に問うてきた。ジャズ史上初の独立系レーベルかどうかはさておくとして、同レーベル設立の経緯などについて詳しく書いたものは実は余りない。スイング・ジャーナル社が1991年に「スイング・ジャーナル」の増刊号として出した『ジャズ・レコード・マニア』(右写真)に詳しく紹介しているので抜粋して紹介しておこう。寄稿者は故油井正一氏で、さすがの博識ぶりである。
コモドア・レーベルのオーナー、ミルト・ゲイブラー氏は、1911年5月ニュー・ヨークで生まれた。父ジュリアスはオーストリア・ジュウ(ユダヤ人)で、13歳でアメリカに渡り、1909年母スージーと結婚した。ミルとが生まれたころ両親はニュー・ヨーク、イースト42丁目で金物屋を営んでいた。
ミルトは、高校生の時、放課後は店を手伝っていたが、金物よりもラジオを扱った方が利幅が大きいと両親を説き伏せ、商売変えをさせる。さらにミルトは、電蓄やレコードも扱うように商売を拡大させた。
ミルトが、シティ・カレッジの商科に進んだころ、大恐慌でオーケー・レコードが倒産した。約2万枚のレコードが倉庫に山積みしてあるのを、一枚10セントで買い取った。不況の世の中で、世間はレコードどころではなく、競争者は皆無だったという。後このストックを1枚35セントから1ドル50セントで売ったのが、レコード・ショップへの転業のきっかけという。
次第にこの店はアメリカのコレクターたちにとってメッカとなっていった。1935年夏顧客の一人で、有名なジャズ学者マーシャル・スターンズが訪ねて来て、こう提案するのである。「ジャズ・ファンに呼び掛けて、この店を事務所にファン・グループ『ホット・クラブ』を作らないかい?」それが店の繁盛につながることは明白であった。こうしてジョン・ハモンドを名誉会長に、スターンズが書記長、ゲイブラーが会計、役員にニュー・ヨーク在住のジャズ・ジャーナリスト10数名が加わり、UHCA(United Hot Club America)は華々しくスタートした。
ほどなくUHCAは雲散霧消するが、ゲイブラーは、この名称をレーベル名として、ブランズウィック、ヴォカリオン、オーケーなどの名盤を復活、再発売した。このおかげでSP盤57枚の名盤が日の目を見たという。
そしてゲイブラーは1937年秋、自分のレーベルを作ることを決意する。これは、UHCAがジャズ・ファンの間で話題になり、再発された会社の多くが原盤の貸し出しを断り出し、再発はその原盤保有会社が行うような雲行きになったことが一つの理由に挙げられる。しかしそれよりも大きな理由は、彼自身の信条として、編曲とか綿密な打ち合わせを行った上でのレコーディングではなく、気心の知れたミュージシャンによるスポンティニアスなジャム・セッションをレコード化したいという念願を持っていたのだった。
そこで彼は、その考えをエディ・コンドンに話すと、たちまち乗り気になったコンドンは、二人でグリニッジ・ヴィレッジの「ニックス」に出演中のピー・ウィー・ラッセル(Cl)、ジョージ・ブルニーズ(Tb)、ボビー・ハケット(Cor)を訪ねて同意を取り付けた。さらにレッド・ノーヴォ楽団のジョージ・ウエットリング(Ds)、ジョー・マーリラ・バンドのアーティ・シャピロ(B)、トミー・ドーシー・バンドのバド・フリーマン(Ts)、ベニー・グッドマン楽団のジェス・ステイシー(P)にも呼びかけを行った。
こうして、<コモドア・レーベル>の記念すべき第1回録音が1938年1月17日の深夜(正確にはもうすでに1月18日になっていた)に行われることになった。そして12インチSP盤2曲を含む全5曲がレコーディングされたと油井氏は述べているが、同日バド・フリーマン(Ts)、ジェス・ステイシー(P)、ジョージ・ウエットリング(Ds)の3人で3曲ほど録音を行っている。それは含めないのだろうか?いずれにせよ、僕の持っているのはコンドン参加が4曲。フリーマン等トリオが3曲である。このトリオについては「バド・フリーマン 1938年」を参照。

<Date&Place> … 1938年1月17日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … エディ・コンドンと彼のウィンディ・シティ・セヴン(Eddie Condon and his Windy City Seven)

Bandleader&Guitarエディ・コンドンEddie Condon
Cornetボビー・ハケットBobby Hackett
Tromboneジョージ・ブルニーズGeorge Brunies
Clarinetピー・ウィー・ラッセルPee Wee Russell
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoジェス・ステイシーJess Stacy
Bassアーティー・シャピロArtie Shapiro
Drumsジョージ・ウェットリングGeorge Wettling

バンド名の"Windy City"はシカゴの別名だが、シカゴ出身はコンドン、ラッセル、フリーマン、ステイシーの4人である。

<Contents> … 「栄光のコンドン・ジャズ」(Mainstream Records XM-34-MSD)&"Eddie Condon/That's a serious thing"(History 20.3008-HI)

B面2曲目カーネギー・ドラッグCarnegie Drag
CD1-3.ジャ‐ダJa-Da
CD1-4.ラヴ・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・コーナーLove is just around the corner
CD2-4.ビート・トゥ・ザ・ソックスBeat to the socks

この日の録音は、CD"Eddie Condon/That's a serious thing"に3曲、メインストリーム・レコーズから発売された「栄光のコンドン・ジャズ」に1曲収められている。油井正一氏によれば全体で5曲録音されたというので、残り1曲あることになる。
まず興味を引かれるのは、「栄光のコンドン・ジャズ」に収められた「カーネギー・ドラッグ」である。実はこの日の前日カーネギー・ホ−ルではベニー・グッドマンのコンサートが行われており、そのBG楽団のレギュラー・ピアニストとしてジェス・ステイシーは、<シング・シング・シング>などにおいて一世一代の大熱演を演じている。この録音日は、1月17となっているが、実際のところは、ステイシーはコンサートが終了したその足で、スタジオ入りし、その興奮冷めやらぬ指でピアノを弾いたのである。
右は初レコーディングのウォーミング・アップと思われる写真。ベースはシャピロ、テナーのフリーマン、そして煙草を吹かすラッセルが写っている。

B面2曲目「カーネギー・ドラッグ」
伝統的な12小節のブルースをヘッド・アレンジで演奏したもの。上記ソロはまずステイシーが2コーラス取り、ミュートTb、コルネット、Ts、Clの順に出る。Tbのブルニーズは彼の全録音中屈指の名演だという。ラスト・コーラスのアンサンブルは、ディキシー・スタイルで行われる。
CD1-3.「ジャ‐ダ」
ゆったりとしたディキシー風のアンサンブルで始まる。コンドン一党のシカゴ・ジャズは元々ニューオリンズ・ジャズの再現を目指したものだったことを思い出させる演奏となっている。しかしソロを取るフリーマンはどこかレスター・ヤング風であるのが面白い。ソロはフリーマン⇒ハケット。短いフリーマンのカデンツアからエンディングとなる。
CD1-4.「ラヴ・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・コーナー」
こちらもハケットのリードするアンサンブルはディキシー風である。ソロはラッセルが取り、ハケットとの絡みなどがあり、フリーマンのソロとなり、ハケットのリードするアンサンブルで締め括る。
CD2-4.「ビート・トゥ・ザ・ソックス」
このCDは2枚組であるが、ここで2枚目のCDに移る。全体の流れでこういう収録順になったのだろうが、その意図がよく分からない。録音順不同の収録である。この曲はステイシーのイントロで始まるブルースである。まずソロはハケット(Cor)、そしてブルニーズ(Tb)、フリーマン(Ts)、ラッセル(Cl)と1コーラスずつ取り、ディキシー風の合奏になって終わる。

<Date&Place> … 1938年4月30日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … エディ・コンドンと彼のウィンディ・シティ・セヴン(Eddie Condon and his Windy City Seven)

前回1月17日からの移動
Trombone … ジョージ・ブルニーズ ⇒ ジャック・ティーガーデン(Jack Teagarden)

<Contents> … "Eddie Condon/That's a serious thing"(History 20.3008-HI)

CD1-5.エンブレイサブル・ユーEmbraceable you
CD2-10.ダイアンDiane
CD2-11.セレナーデ・トゥ・ア・シャイロックSerenade to a Shylock
CD1-5.「エンブレイサブル・ユー」
ガーシュインの作で現代でもよく取り上げられるスタンダード・ナンバー。ハケットのリードするテーマ吹奏の後、フリーマンのソロとなる。続いてティーガーデン(Tb)、ラッセル(Cl)、ハケット(Tp)がソロを取るが、いずれもリリカルでメロウな雰囲気を醸し出す好ソロの連続である。特にティーガーデンはさすがの力量を示し聴き応えのある素晴らしいソロを取る。またハケットのソロの時にリズム・パターンを変える工夫も見られる。当時の力作の一つではないかと思う。
CD2-10.「ダイアン」
ちょっとしたピアノのイントロの後、ティーガーデンがソロを取るがさすがに聴かせる。続くフリーマンも負けじといいソロを取るが、何となくレスター風である。続いてハケットのリードするアンサンブルとなり、エンディングでは再びティーガーデンが締める。 <5>CD2-11.「セレナーデ・トゥ・ア・シャイロック」 ブルースで、ヴォーカル入り。声を聴いてティーガーデンだと分かる。ヴォーカルの後ソロを取るのもティーガーデン。そしてフリーマン、ハケットが続く。いずれも好ソロだ。そして短いドラム・ソロが入りラッセルhのソロから倍テンポとなり、ディキシー風アンサンブルで締め括る。

<Date&Place> … 1938年11月12日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … エディ・コンドンと彼のウィンディ・シティ・セヴン(Eddie Condon and his Windy City Seven)

Bandleader&Guitarエディ・コンドンEddie Condon
Cornetボビー・ハケットBobby Hackett
Tromboneヴァ―ノン・ブラウンVernon Brown
Clarinetピー・ウィー・ラッセルPee Wee Russell
Tenor saxバド・フリーマンBud Freeman
Pianoジョー・ブシュキンJoe Bushkin
Bassアーティー・シャピロArtie Shapiro
Drumsライオネル・ハンプトンLionel Hampton

バンド名は正確には分からないが、前作同様コモドアへの吹込みなので同じバンド名ではないかと思う。
移動は、
Trombone … ジャック・ティーガーデン ⇒ ヴァ―ノン・ブラウン(Vernon Brown)
Piano … ジェス・ステイシー ⇒ ジョー・ブシュキン(Joe Bushkin)
Drums … ジョージ・ウェットリング ⇒ ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)
ハンプトンの参加が意外である。

<Contents> … "Eddie Condon/That's a serious thing"(History 20.3008-HI)

CD1-6.サンディSunday
CD2-5.カリフォルニア・ヒア・アイ・カムCalifornia here I come

ハンプトンの参加が意外である。ヴィクターにおける「オールスター・セッション」が始まってからは、恩義のあるベニー・グッドマンのセッションにしかサイドマンとしての参加は極めて稀ではないかと思う。

CD1-6.「サンディ」
フリーマンの短いイントロの後ニュー・オリンズ風の合奏となる。こういう録音にハンプトンが加わるというのがとにかく意外。ソロはラッセル(Cl)⇒ブラウン(Tb)⇒ブシュキン(P)⇒フリーマン(Ts)⇒ハケット(Cor)と短いソロが続き合奏となって終わる。ハンプトンらしいプレイは全く見受けられない。
CD2-12.「カリフォルニア・ヒア・アイ・カム」
ピアノのイントロで始まるところはスイング・ナンバーのようだが、合奏は完全なニュー・オリンズ風である。ソロはラッセル(Cl)、続いてハケットのソロにラッセルが絡むところもニュー・オリンズ風である。ハンプトンの存在感がない。

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