フルネーム:エロール・ルイ・ガーナー(Erroll Louis Garner)
1921年6月15日ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。
1977年1月2日カリフォルニア州ロサンゼルスにて死去。
6人兄弟の末っ子として生まれた。兄のリントン・ガーナーもピアニストである。
ビリー・ストレイホーンとアーマド・ジャマルと同じジョージ・ウェスティング・ハウス高校に通った。
ピアノは独学で学び、生涯を通じて「耳のプレーヤー」であり続け、楽譜は学ばなかった。
7歳のとき、ピッツバーグのラジオ局KDKAにキャンディ・キッズというグループで出演し始めた。
1937年地元のサックス奏者リロイ・ブラウンのバンドに加わった。
1944年にニューヨークに移住、ベーシストのスラム・スチュワートと短期間一緒に働いた。
1947年にはチャーリー・パーカーと「クール・ブルース」のセッションで共演した。
ピッツバーグ音楽組合への入会は当初、楽譜が読めないという理由で拒否されたが、
1956年に組合が折れ、彼を名誉会員にした。
粟村政昭氏は、彼のプレイを「ワン・アンド・オンリーの"Behind the beat"スタイルと評している。
では、この"Behind the beat"スタイルとはどのようなスタイルなのだろうか?
「右手でビートの少し後ろで演奏し、左手で安定したリズムと句読点をかき鳴らすという特徴的なスタイル」
ということのようだ。
しかしこのプレイの秘密は次のようにも指摘されている。
「左利きであったことで演奏においては左手が強烈なビート(リズム)を刻むことができたが、右手のメロディが若干遅れて出ていた。
しかし、そのことが彼独自の雰囲気やスウィング感を醸し出すことに繋がった。
次第にその演出は 「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれることとなり、彼のトリッキーなサウンドの代名詞ともいえるようになった。」
1945年のジョージ・オウルドの吹込みに名前が見える。
"George Auld/Musicraft"(Trend records MVS 501)
"Boyd Raeburn/Memphis in June"(Hep 22)