本名:セオドア・ナヴァロ(Theodore Navarro)
1923年9月24日フロリダ州キーウエスト生まれ。
1950年7月7日ニューヨークにて死去。
1940年代のビ・バップ・スタイルのジャズ即興演奏の先駆者の一人。
父親は理髪師だったが、音楽の知識がいくらかあり、幼少期にピアノの先生を雇って個人レッスンを受けさせた。
このように6歳でピアノを弾き始めたが、音楽に真剣に取り組むようになったのは13歳でトランペットを始めてからだった。
さらに、テナー・サックスも習得し、キャリアの初期にはトランペットとテナーサックスの双方を演奏した。
ニューヨークで活躍する前は、アンディ・カークなどビッグ・バンドに加わり、ツアーをしていた。
ヴォーカリストでバンド・リーダーでもあったビリー・エクスタインが才能を認め、自分のバンドに加入させた。
その中には新興のビ・バップ・スタイルの著名なミュージシャンも含まれていた。
ツアー生活に疲れたナヴァロは、1946年にニューヨークに定住した。
そしてケニー・クラーク、エディ・"ロックジョー"・デイヴィス、コールマン・ホーキンス、イリノイ・ジャケー、
ハワード・マギーらのコンボのレコーディング・セッションに参加し経験を積んだ。
1948年にメトロノーム誌のポール・ウィナーとなり、メトロノーム・ジャズ・オールスターズの吹込みにも参加した。
1948年ライオネル・ハンプトンのバンドに加わり、ツアーを再開した。
シカゴへ向かう途中のツアー・バスに乗っていた時体調を崩し、ニューヨークに戻った。
結核であることが判明したが、健康状態が悪化しているにもかかわらず、彼はプレーを続けた。
また麻薬を止めなかったことで、病気の進行が早まった。
活動期間は短期間にもかかわらず、マイルス・デイヴィス、クリフォード・ブラウン、リー・モーガンなど、
後に名声を博したトランペット奏者に強い影響を与えた。
1982年、ダウンビートの名声の殿堂入りを果たした。
1945年ビリー・エクスタインの録音に名前が見える。
「ビリー・エクスタイン/トゥゲザー」(ISJ-40010)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)
"Dexter Gordon/Kind of Gordon"(House of jazz 220156)
"Fat Navarro/The 1946-49 small group sesions"(Blue moon BMCD 1016)