1916年バミューダ生まれ。
2016年1月25日99歳にて死去。
『ジャズ人名辞典』未収録
3歳のときに家族でニューヨークに移住した。
1940年代の短期間、彼はディジー・ガレスピーのバンドでトロンボーンを演奏していた。
しかし、第二次世界大戦で兵役を終えてより熟練したミュージシャンが帰国してくると、
「より優れたミュージシャンが戻ってきたとき、私の音楽キャリアはそれで終わりでした。
私はあの一流の人たちほど上手ではなかった。
それで、人々の家の世話など、さまざまな仕事に就きました。」
と2003年トロント・スター紙に語った。
その後1960年代まで音楽を作ってはいなかったが、その後自費製作を続け、レコーディングを行い、
アルバムを贈り物として贈ることもよくあったという。
彼の曲のカセット・テープの複製が「アウトサイダー・ミュージック」のコレクターの間で広まり始めたが、
この歌手についてはほとんど知られていなかった。
2001年に映画監督のデウルフとフレイザーの友人が興味を持ち、その探求をフィルムに記録することにした。
1年にわたる努力の末、彼らは「ほとんど偶然」に彼を見つけた。
そして二人は、トーマスの人生に焦点を当てたドキュメンタリーを制作することにした。
その映画"Everything's Coming My Way: The Life and Music of Gordon Thomas"は、
2005年3月にバミューダ国際映画祭で初公開されました。
ディジー・ガレスピーの1946年の録音に名前が見える。
「ディジー・ガレスピー/シングス・トゥ・カム」(Columbia YW-7534-EV)
"Dizzy Gillespie/Professor bop"(Atlantis ATS-11)
"Dizzy Gillespie/Groovin high"(Savoy MG-12020)