フルネーム:ヤーヴァント・ハリー・ババシン・ジュニア(Yervant Harry Babasin Jr.)
1921年3月19日テキサス州ダラス生まれ。
1988年5月21日カリフォルニア州ロサンゼルスにて死去。
父親はアルメニア人である。
ノース・テキサス州立大学に入学した。同校の卒業者には、チャーリー・フィスクやハーブ・エリスがいる。
しかし1942年入学が決まると学校を辞め、チャーリー・フィスク・オーケストラに加わり、ツアーに出た。
1940年代、ジーン・クルーパ、チャーリー・バーネット、ボイド・レイバーン、ベニー・グッドマン、ウディ・ハーマン等のツアーに加わった。
1947年、ドド・マーマロサ・トリオと共に、ジャズ史上で初と言われるチェロ・ソロを録音した。
1950年代半ば、自身のバンド、ハリー・ババシン&ザ・ジャズピッカーズを結成、ハリウッドのパープル・オニオンで定期的に演奏した。
このバンドは3枚のアルバムをリリースしたが、中でも注目すべき録音は、1952年にイングルウッドのトレードウィンズ・ナイトクラブで行われたもので、
これにはチャーリー・パーカー、チェット・ベイカー、ソニー・クリス、アル・ヘイグ等が出演し、バードの数少ない西海岸録音の1つとなっている。
ブラジルのギタリスト、ローリンド・アルメイダと出会い、2人は一緒にジャム・セッションを行うようになった。
この2人にロイ・ハートとバド・シャンクが加わり、ブラジル音楽とジャズを融合させた実験的演奏を行った。
これらを捉えた1954年の10インチディスクは、1950年代後半から1960年代初頭にかけてのボサノヴァ爆発の前身と言われる。
しかし1960年代に入ると仕事が減り、チャーリー・バーネットのバンドに戻り、USOツアーでボブ・ホープのバックを務めた。
1970年代には、ロイ・ハートとジャズのアーカイブと保存協会であるロサンゼルス劇場を設立した。
最後のツアーは1985年にピアニストのジョン・バニスターに帯同したもので、その3年後にロサンゼルスで肺気腫ため亡くなった。
ボイド・レーバーンの1945年の録音に名前が見える。
"Boyd Raeburn/Where you at"(Hep 3)
"Boyd Raeburn/Nemphis in June"(Hep 22)