ヘレン・フォレスト (ヴォーカル) 

Helen Forrest (Vocal)

ヘレン・フォレスト

本名:ヘレン・フォーゲル Helen Fogel
1917年4月12日ニュージャージー州アトランティック・シティ生まれ。
1999年7月11日カリフォルニア州ロス・アンゼルスにて死去。

幼時に父親を亡くし3人の兄と共に母の手一つで育てられたという。重大の初めに家族でニューヨークのブルックリンに引っ越した。
母は家を塗るペンキ職人と再婚したが、ヘレンは彼を嫌っていたという。その義父に14歳の時に強姦されかけ、とっさに身を守るためにキッチン・ナイフで義父を刺すという事件が起こった。この事件以来彼女は家を出て、彼女のピアノ教師だったハニー・シルヴァーマンと彼女の家族と同居することになった。ピアノを教えるうちにシルヴァーマンはヘレンに歌の才能があることを見出し、歌うことを勧めた。彼女は高校を退学し歌手になることを決意した。
故郷のアトランティック・シティに戻り兄エドのバンドで歌い始めた。そしてニューヨークに戻り音楽出版社やラジオ局のオーディションを受けて回った。そのころ苗字を“Fogel”から“Forrest”に変えている。理由は“Fogel”はユダヤっぽい名前だということらしい。因みに彼女両親はロシア系のユダヤ人だった。
17歳の時にWNEWというラジオ局で歌い始める。彼女はまたWCBSでも歌い始め“Bonnie blue”とか“The blue lady of song”と呼ばれていたという。
また彼女はワシントンD.C.のマドリロン・クラブで歌の仕事を見つけ2年間歌っていた。
そのマドリロン・クラブで歌っているところをアーティー・ショウに見いだされ、1938年彼のバンドに入ることになった。ショウは専属歌手だったビリー・ホリディが辞めると決心したため後任の歌手を探していたのだった。彼女は暫くの間ビリーと共にステージに立ったという。かの女はショウのバンドで38枚のレコードを吹き込んだ。ショウのバンドで最もヒットした曲は“They say”と“All the sings you are”であった。ショウのバンド活躍し次第に全米で人気を得るようになっていた。
1939年11月ショウがバンドを解散したため、同年の12月にベニー・グッドマンのバンドに加わった。彼女はベニーのバンドで55枚のスタジオ録音のレコードを吹き込んだ。BGは完璧主義のミュージシャンで、彼のもとで働くのがツラくなり1941年8月に退団している。
その後はナット・キング・コールやライオネル・ハンプトンのバンドで吹込みを行っていたが、同41年にはハリー・ジェイムスのバンドに加わった。そしてハリーの楽団に在団中の42年と43年にダウンビート誌のベスト女性シンガーに選ばれた。
1943年ハリーの楽団を辞してフリーとなり、レコーディングやラジオやテレビのショウなどで活躍した。

レコード・CD
「ベニー・グッドマン/新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(CSM 890-1)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA-63)
"The complete Artie Shaw Vol.7 1939-45"(Bluebird AXM2−5580−2−D)
"Benny Goodman presents Eddie Sauter"(Philips B 07010 L)
「ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)