ハワード・マギー(トランペット)

Howard McGhee (Trumpet)

ハワード・マギー

1918年2月6日(3月6日という記載あり)オクラホマ州タルサの生まれ。
1987年7月17日ニューヨークにて死去。

ディジー・ガレスピー、ファッツ・ナヴァロなどと並びビ・バップ初期の名トランぺッター。
粟村政昭氏はその著『ジャズ・レコード・ブック』で「かつてファッツ・ナヴァロに影響を与えたともいわれるハワード・マギーは、
ロイ・エルドリッジに感化を受け、アンディ・カークのバンドを去ってコールマン・ホーキンスのコンボに加わる頃、
新しい時代に適応した彼自身のスタイルを創り上げた。
これは40年代半ばのことであったが、この頃の彼のアイドルはディジー・ガレスピーであったことは疑いの余地がない。
バップ全盛時代のマギーのプレイはまとまりという点でやや難点はあったものの、荒々しく奔放で、感覚的には抜群のものを持っていた。
ただ学歴の点からもニュー・ジャズ創造への貢献という点からも常にディズに一歩遅れを取っていた彼が、
ついに「今一人のガレスピー」になりえなかったのは当然のことであったろう」と記している。
デトロイトで少年時代を過ごし学校のバンドではクラリネットを吹いていたという。
しかしサッチモことルイ・アームストロングの演奏を聴いてトランペットに転向した。
1939年レナード・ゲイのバンドを振り出しに、ジミー・ラッチェル、ライオネル・ハンプトン、アンディ・カークなどのバンドで腕を磨いた。
42〜43年にかけてチャーリー・バーネットのバンドに入り、次いでアンディ・カークのバンドに戻り44年6月までとどまった。
以後ジョージ・オールド、カウント・ベイシーを経てコールマン・ホーキンスのバンドの一員としてカリフォルニアに向かい自分のコンボを率いた。
このカリフォルニア在住時代に、東部からやってきたディズ率いるビ・バップ・バンド、殊にチャーリー・パーカー、
マイルス・ディヴィスなどに献身的な世話を焼いている。そしてパーカーのダイアルへの初吹き込みにも参加している。
47〜48年はJ.A.T.P.に参加して楽旅を行い、51年オスカー・ペティフォードの駐留軍慰問楽団に入って来日した。
50年代は麻薬に染まり第一線から姿を消していたが、60年代に復活、61年に「マギーズ・バック・イン・タウン」を吹き込んだ。
60年代中期は再び姿を消していたが、60年代ビッグ・バンドを率いて再起を図るが成功しなかった。70年代は学校や自宅で音楽を教えていたという。

レコード・CD

"The best of Andy Kirk"(MCA2-4105)
"George Auld/Jump , George jump"(hep 27)
"Coleman Hawkins/Hollywood stampede"(Capitol 5C052 82802)
"Lester Young/The complete Aladdin recordings"(BlueNote CDP 7243 8 32787 2-5)
「レスター・ヤング/ザ・コンプリート・アラジン・セッションズ 第1集」(King records K18P-9256)
「ベスト・オブ・レスター・ヤング」(Victor MJ-7042)
「'40年代のJ.A.T.P.」(Verve MV9070/72)
「チャーリー・パーカー・オン・ヴァーヴ」(Verve OOMJ 3268〜3277)
"Charlie Parker/On Dial Volume1"(Spotlite 101)
「チャーリー・パーカー・オン・ダイヤル Vol.1」(TOCJ-6201)
"Miles Davis_Rare Miles"(Further Along FAP-001〜3)