1928年4月24日イリノイ州シカゴ生まれ。
2008年7月25日フランスにて心臓発作を発症し死去。
母親は歌手で、父親はコルネット奏者だったことがあるという。
ハイスクール時代クラリネットを手掛け、後にテナー・サックスに転向した。
45年〜47年までライオネル・ハンプトンのバンド、47年〜50年までジョー・モリス、
以後ジョー・ジョーンズ、アーネット・コブのグループを経て
シカゴを中心に活躍し、注目されるようになった。
57年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに迎えられた後、
58年セロニアス・モンクのグループに加入しキャリアを積んだ。
その後再び生地シカゴに戻り58年〜60年まで様々な場所でプレイをした。
ブルーノートに3枚のアルバムを残したものの、結局をブルーノートを去り、
リバーサイド・レコードへ移籍することとなったのは、ブルーノート・レーベルの
ハウス・エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーとの折り合いが悪かったためと言われる。
吹込みのためにニューヨークに出ることもあったが、62年12月からヨーロッパに渡りパリを中心に活動を行った。
クラーク=ボーラン・ビッグ・バンドのソロイストとして活躍した。
彼のテナー奏法はハード・バップの語法によるもので力強い野性味が身上で、
体が小さいが大きなブローに因んで「リトル・ジャイアント(Little giant)と呼ばれる。
1945年のライオネル・ハンプトンの録音に名前が見える。
"Lionel Hmpton/Hampton"(Master of Jazz R2CD 8017)