マックス・ローチ (ドラムス)

Max Roach(Drums)

Max Roach

フルネーム:マックスウェル・レムエル・ローチ(Maxwell Lemuel Roach)
1925年1月10日ノース・カロライナ州生まれ。
一説では、生まれはニューヨーク・ブルックリンともいわれる。
2007年8月16日ニューヨークの病院にて死去。83歳だった。

1942年にハイ・スクールを出るころにはドラマーとして立派な腕前となっており、すぐにチャーリー・パーカーと共演したほどであった。
当時はバップが隆盛になりつつあったが、彼はバップのメッカともいうべきミントンズ・プレイハウスを頻繁に訪れ、
モダン・ドラミングの開祖といわれるケニー・クラークの奏法を研究、その長所を取り入れ自分の双方を確立していった。
1944年コールマン・ホーキンスのグループに加わりレコーディングに参加、次いでディジー・ガレスピーのバップバンドへ参加、
さらにベニー・カーターと一緒にカリフォルニアに赴いたが、45年にふたたびニューヨークへ戻った。
このころにはすでにバップ・ドラマーとして名声ができつつあったが、まだ20歳という若さであった。
その後バッド・パウエル、マイルス・ディヴィス、チャーリー・パーカーという巨匠と共演、
1952年にはノーマン・グランツ率いるJATPの一座とともにヨーロッパ各地を講演して回った。
幾多の名プレーヤーと共演して自己のプレイの幅を広げた彼は、55年ついに自分のコンボを率いるに至る。
これが有名なローチ=ブラウン五重奏団である。クリフォード・ブラウンの入神の名演奏と相まってローチの名声も上がったが、
自動車事故という思わぬハプニングでブラウンが早世し、かなり衝撃を受ける。
この悲劇から立ち直った彼は、トランペットにケニー・ドーハムを加え、再結成を行った。
以後ブッカー・リトル、ジュリアン・プリースター、タレンタイン兄弟、ジョージ・コールマンといった有能な新人を発掘していったが、
歌手のアビー・リンカーンと結婚してからは社会派的な傾向を強めていった。
人種問題に取り組んだ野心的な作品などにより、前衛的なジャズ音楽家としての個性を強めていった。

レコード・CD

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"Charlie Parker/Every bit of it"(Spotlite SPJ150D)
"Charlie Parker/A Studio choronicle"(JSP RECORD JSP915)
"Dizzy Gillespie-Charlie Parker"(Uptown UPCD-27.51)
「ザ・チャーリー・パーカー・ストーリー」(Savoy MG-12079)
「ザ・イモータル・チャーリー・パーカー」(Savoy MG-12001)
「チャーリー・パーカー・メモリアル」(Savoy MG-12009)
「ザ・ジニアス・オブ・チャーリー・パーカー」(Savoy MG-12014)
「スタン・ゲッツ/オパス・デ・バップ」(SAVOY MG 12114)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)
"Fat Navarro/The 1946-49 small group sesions"(Blue moon BMCD 1016)
"Dexter Gordon/Kind of Gordon"(House of jazz 220156)