オスカー・ピーターソン (ピアノ)

Oscar Peterson(Piano)

オスカー・ピーターソン

フルネーム:オスカー・エマニュエル・ピーターソン Oscar Emmanuel Peterson
1925年8月15日カナダ・オンタリオ州トロント生まれ(ケベック州モントリオール生まれ説あり)。
2007年12月23日腎不全のためトロント郊外ミンサガ市の自宅にて死去。

5歳から父からクラシック・ピアノとトランペットを習い始める。
6歳の時に生地のピアノのローカル・コンテストで入賞し、ラジオ・ショウに出演したことからピアノに専念するようになったという記述と、
7歳の時結核にかかり、トランペットを吹くのが難しくなりピアノに専念するようになったという記述がある。
多分多作家で個人としては最もリーダー・アルバムが多いのではないかと思う。
1944年カナダのジョニー・ホームズのオーケストラで演奏。しばらくはトロントのナイト・クラブなどに出演していた。
その頃にRCAに初吹込みがなされている。
49年9月、たまたまJ.A.T.P.を引き連れてカナダをツアーしていたノーマン・グランツの目に留まりJ.A.T.P.のメンバーとなる。
そして同年ノーマン・グランツの手により、ニューヨーク市のカーネギー・ホールにてアメリカに進出した。
天才アート・テイタムやナット・キング・コール等の影響を強く受けているといわれる。
初代トリオはベースはレイ・ブラウン、ギターにアーヴィング・アシュビーという布陣だったが、
後にギターがバーニー・ケッセル、ハーブ・エリスに代わり、その後ギターをドラムに替えエド・シグペンを加えたトリオを結成した。
その後メンバーはいろいろ入れ替わったが、90年代初頭まで常に第一線のピアノトリオとして活躍した。
自己のトリオの他にも、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ジョー・パス、カウント・ベイシーや
スタン・ゲッツ、アニタ・オディ等の著名なアーティストと共演し録音も数多い。
1959年以来グランツが創設したヴァーヴ・レコードに籍を置き、重要なキャリアを築いたが、
1965年〜1971年にはドイツのMPSレコードに移籍、彼の経歴の中でも一際モダンな作風に挑戦している。
1973年にはグランツの創設したパブロ・レコードレーベルにおいても幾つかの名盤を残した。
1993年に脳梗塞で倒れ、歩く事が出来なくなるもリハビリを重ねた。
その後、まだ左手が不自由ではあったが再びピアノを弾けるようになった。
2005年8月15日に80歳の誕生日を迎え、トロントのHMVにおいて祝賀会が開かれた。
我が国との関係も深い。
1953年に来日した時に秋吉敏子のプレイを聴き、ノーマン・グランツに強力に推薦してくれたおかげで、敏子の初レコーディングが実現し、その後の発展につながった。
1999年に第11回高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)を受賞。左手が不自由ながらも授賞式でピアノを披露した。

レコード・CD

「若き日のオスカー・ピーターソン」(RCA RA-5399〜400)