
本名:マイケル・アンドリュー・ハッコー(Michael Andrew Hucko)
1918年4月7日ニューヨーク州シラキュース生まれ。
2003年6月19日テキサス州フォートワースにて死去。
ニューヨーク州シラキュースで生まれたが、1939年にニューヨークに移住した。
1940年までウィル・ブラッドリー、トミー・レイノルズ、ジョー・マルサラのバンドではテナーサックスを演奏した。
チャーリー・スピヴァクのバンドで短期間プレイした後、第二次世界大戦中ヨーロッパで活動していたグレン・ミラー陸軍航空隊バンドに加わった。
この時期にクラリネットに集中し始めたという。
大戦後、ベニー・グッドマン、レイ・マッキンリー、エディ・コンドン、ジャック・ティーガーデン等のバンドでプレイした。
1950年から1955年まで、CBSとABCのスタジオ・ミュージシャンとしてニューヨークで活躍した。
その後、グッドマンやティーガーデンでの仕事が増え、また1958年から1960年まではルイ・アームストロング・オールスターズに参加した。
1951年1月、ベニー・グッドマン楽団員として、来日した。
1964年から1966年までエディ・コンドンのクラブで自身のグループを率いて演奏していた。
1964年、デンバーに自身のナイトクラブ、ピーナッツ・ハッコズ・ナバールを開店、歌手である妻ルイーズ・トービンとラルフ・サットンをフィーチャーした。
1966年からは、ディック・ギブソンのコロラド・ジャズ・パーティーに定期的に出演した。
1970年代には、グレン・ミラー・オーケストラを率いて、全米および海外でツアーを行った。
1980年代もフリーランスとして、またパイド・パイパー・クインテットの一員として、コンサートやツアーで多忙に活躍した。
マグシー・スパニアの1945年の録音に名前が見える。
「マグシー・スパニア/ディキシーランド・ホーン」(ELEC record KV-121)