スタン・ゲッツ(テナー・サックス)

Stan Getz (Tenor sax)

スタン・ゲッツ 1927年2月2日 ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。
1991年6月6日 肝臓がんのため死去。

1987年から2006年まで、民主党・共和党と政権と関わりなく5期にわたってFRBの議長を務めたアラン・グリーンスパン氏は、
日本経済新聞の著名コラム「私の履歴書」に面白いことを書いている。
1943年〜44年ジュリアード音楽院でクラリネット、サックスを学んだ彼は本気でジャズのテナー・サックス奏者になろうと思っていたという。
そしてそこそこ吹けると自信を持ってあるジャズ・バンドのオーディションを受けたのだという。
しかし同じテナー・サックス・セクションにいた自分と歳の変わらない色白の男が、彼を打ちのめすことになった。
こんな奴がいるのなら自分はかなわないと思い、ジャズ・ミュージシャンをあきらめ経済の勉強に専念することにしたのだという。
今思えばあの決断は正解だった、と書いている。その男の名は、(スタン・ゲッツ)というんだけどね…。
時期的に見てそのバンドとはスタン・ケントンのオーケストラだったのではないかと思われる。
最初ベースを学び、後にバスーンを吹いたという。15歳くらいでバンドに入り、一度学校へ戻ったが16歳にはジャック・ティーガーデン楽団に入った。
1944年〜45年にはスタン・ケントン楽団に入り49年の初めまでプレイした。一時ベニーグッドマン楽団にも在籍したが、
1947年ウッディー・ハーマン楽団に入りここで演奏した「初秋(Early autumn)」や「サマ−・シークエンス(Summer seaquennce)のソロは、
クール・ジャズと言われ、人気も上がり独立。自分のバンドを率いて活躍した。
1951年から52年には北欧へ楽旅、ヨーロッパでも人気を得た。1956年にはコペンハーゲンに落ち着き、スウェーデンの女性モニカと結婚した。
彼のテナーは誠に個性的で、白人的なセンスにあふれている。
クールでスムースなフレーズは軽やかな中に知的な輝きを見せ、白人テナーマンとして、他の追随を許さぬアドリブの名手である。
61年に家族を連れて帰米、、さっそくジャズクラブに出演した。当時アメリカに輸入されたばかりのボサ・ノヴァを取り入れた「ジャズ・サンバ」を62年に録音。
世界的なヒットとなった。「ゲッツ/ジルベルト」はグラミー賞を獲得した。
スタン・ケントンの1944年の録音に名前が見える。

レコード・CD

"Stan Kenton-1944"(Queen-disc -054)
「新たなる宝庫 黄金時代のベニーグッドマン」(Nostalgia CSM 891)
"Stan Kenton/The fabulous alumni of"(ST 1028)
「スタン・ケントン/ケントンズ・ガール・フレンド」(ECP-88033)
「スタン・ゲッツ/オパス・デ・バップ」(SAVOY MG 12114)