スタン・ケントン (ピアノ、作編曲&バンド・リーダー)

Stan Kenton (Piano , composer & bandleader)

スタン・ケントン

フルネーム:スタンリー・ニューカム・ケントン Stanley Newcomb Kenton
1912年2月19日(1911年12月15日という記載あり)カンサス州ウィチタ生まれ。
1979年8月25日カリフォルニア州ロサンゼルスにて死去。

革新的なバンドを率い、作・編曲家としても多くの作品を手がけ、ジャズ・シーンに変革と影響をもたらした革命的なジャズマン。
彼のバンドからは多数の優れた才能を輩出し、ウディ・ハーマンとならびウエストコースト・ジャズの大きな潮流をつくった。
晩年には教育者としても後進の育成に努めた。
カンザス州・ウィチタに生まれ、コロラドを経て、カリフォルニアに移り住む。幼少時より母親と家庭教師に付き、ピアノ、音楽を学び、
10代後半にはすでにバンドについて各地を旅していたという。
そして16歳の時ローカル・ダンス・バンドでピアニスト、ラルフ・ヨウと知り合い、ヨウからジャズについて教えを受けたという。
ヨウに進められてルイ・アームストグやアール・ハインズのレコードを知り、熱心に聴くようになったという。 20代のほとんどをローカル・バンドとハリウッドのスタジオ・ミュージシャンとして過ごしたが、ずーっと自らのバンドを率いることを目指していたという。
1941年ついに自身のオーケストラを組織し、バルボア海岸のバルボア・ボールルームを根拠地に演奏活動を開始した。そして同年9月デッカに初吹込みを行った。
1943年11月、キャピトル・レコードに移籍、バンドのテーマ曲「アーティストリー・イン・リズム」を録音、その新鮮な感覚で有名になった。
47年一旦バンドを解散したが、50年1月に40人編成の意欲的なバンドを再編、「イノヴェーション・イン・モダーン・ミュージック」を旗印に、全米中を楽旅し、
ピート・ルゴロの新鮮な編曲を採用し、ジャズ界の話題をさらった。
依頼、ケントンはキャピトルに多数の吹込みを行いと同時に、毎年秋にオーケストラを編成し直し、楽旅を続け56年にはイギリスにも楽旅を行った。
在団したソロイストには、ソロイストとしてアート・ペッパー、(短期間だが)スタン・ゲッツ、リー・コニッツ、レニー・ニーハウス、ショーティ・ロジャース、
ジェリー・マリガン、ビル・ホールマンなどがおり、歌手ではアニタ・オデイ、ジューン・クリスティ、クリス・コナーなどがいる。
ケントンは自分の音楽を「プログレッシブ・ジャズ progressive jazz :(和音や対位法を実験した)進歩的なジャズ」と呼んで、当時、多くのビッグ・バンドが解体・再編していくなか、
ダンスのためのバンドではない(純粋な)コンサート・オーケストラにしようと努力したことは特筆に値する。

レコード・CD

「スタン・ケントン 1941」(BMG RJL-3113)
「One night stand with Stan Kenton」(Joyce 1140)
「ゾーズ・ケントン・ディズ/アート・ペッパー」(Capitol ECJ-50070)
"Stan Kenton-1944"(Queen-disc -054)
"Stan Kenton/The fabulous alumni of"(ST 1028)
"Stan Kenton/The Christy years"(ST 1035)
「スタン・ケントン/ケントンズ・ガール・フレンド」(ECP-88033)
"Stan Kenton/The comprehensive"(Capitol STB-12016)